※どこの時空なのかは深く考えていません
※ifの分岐みたいな……(言い訳)

   
「どうして教えてくれなかったの」
 この女がエンカクにこんなふうに詰め寄るのは珍しい。恨みがましげに、本当にある種の悔しさに似た怒りを向けられているのだと理解してエンカクは口の端を吊り上げた。
「教える必要があったのか?」
「そんなの、だって……姉さまが生きてたなら、もっと早く知りたかった」
「それは悪かったな」
 全く悪びれもせずに、エンカクは肩をすくめる。今にも掴みかかってきそうな様子で(とはいえこの非力で喧嘩の売り方を知らない姉のことだから掴むというより縋っているような絵面になるのだろうが)、ぎゅっと眉根を寄せてエンカクをまっすぐに見ている。怒っているのだ、その眼差しは本人にとっては睨みつけているつもりなのだと理解はしても、当然彼がそれを脅威に感じることなどない。ペットが毛並みを逆立てて威嚇するような愛らしさと、この女もこんな顔をするのだなという感心。つまるところエンカクは、姉を完全になめていた。
「お前は家族の生死などに興味はないと思っていたが、思い違いだったようだ。誤解していたことは悪かったさ、『姉さん』」
「……あなたを責めるのも筋違いだったけれど、」
 苦い顔をして、唇を噛み締める。女は怒った顔がいちばん美しいと言うが、確かにホムラもエンジュも冷たいほどに怒っている顔がもっとも綺麗だ。皮肉を言って冷静にさせてしまったのは勿体なかったなと、それこそエンジュが聞いたら怒りそうなことを考えながらエンカクはそっとその頬に触れた。弟を捨てて逃げておきながら、その弟が姉との再会を黙っていたことに憤る愚かで可愛い女だ。シャイニングたちに連れられて龍門を歩いていたときに、茶屋で偶然再会したらしい。ホムラの方はエンカクが訪ねてきた後だったからエンジュほどは驚いていなかったらしいが、それでもやはりエンカクがエンジュのことを言っていなかったから「次に会ったら叩きのめす」と妙に静かな顔で言っていたそうだ。まるで幽霊に会ったかのように魂が抜けていたエンジュは、「久しぶり」「綺麗になったね」と穏やかな姉の笑みを前にぽろっと涙を零して。止まらなくなった涙に「あれ、」と戸惑いながら震えてうまく涙も拭えないエンジュを、ホムラは幼子をあやすように隻腕で抱き締めてやった。また会いに来ることを約束して、外出時間の終わりが迫っていたエンジュは名残惜しくも姉の元を後にしてきたのだ。ロドスに帰ってきたエンジュは、部屋に入るなり躊躇いのない足取りでエンカクに駆け寄って来て。どうして教えてくれなかったのかと、恨み言を口にしたわけだった。
「姉さま、腕が……」
「生きていたなら安い代償だろう」
 もっとも、あれが幼い頃に死んだと思っていたのはエンジュだけだ。幽霊と呼ぶに一等相応しい男が思い出されて、エンカクは険しい顔になる。昔から長兄(と呼びたくもないが)と長姉は死ぬほど反りが合わず、兄に追い出されるようにしてホムラは弟妹の元を去ったのだ。彼らはホムラが死んだと聞かされていたし、実際あの忌まわしくも狡猾な兄の庇護なしに子どもが一人で生きていくことなどあまりにも望みが薄い。死んだとばかり思っていたホムラが生きていると知ったのは、エンジュが思っているよりずっと前の話だ。とはいえ、傭兵だった頃のホムラの話もホムラが腕を失くした経緯もエンジュに聞かせてやるつもりはない。それはホムラとエンカクだけの過去で、彼らだけの問題だ。エンジュ自身、姉の腕がなくなったことを悲しみこそすれ踏み込んで過去に触れようとすることなどないのだろうが。俯くエンジュを前に、エンカクはどこか冷めた表情だった。この女が唯一再会を受け入れられる肉親がいるとするなら、それはホムラだろう。けれどそれは、ホムラがエンジュに優しかったからだ。優しくて、怖くなくて、ひどいことをしない姉さま。自分を害さない存在だと知っているから、会いたくないとは思わない。自分から再会を望んで探し回っていたわけではないのだから、本当に薄情なものだ。そのくせ、弟の不義理を詰る。面白くはあったが、悪いことをしたとは思っていない。最も不可解なのは、そんな薄情な妹と薄気味悪いくらい仲良くしていけるのがホムラという姉であることだ。あれはあれで妹の本質などに関心がないから、その薄情さに憤ることなどない。乏しい表情筋を精一杯に動かしてまであの姉が妹を可愛がるのは、妹が自分の可愛がれる生き物だからだ。小さくて大人しくて、従順で。お互いに関心がないからこそ、気味が悪いほど仲良しこよしで。外見も気性もさほど似ていないが、そういうところは共通している姉妹なのだろう。馬鹿馬鹿しい茶番に巻き込まれたくないから黙っていたというのに、面倒なことになったものだ。
「…………」
 それでも、この女は存外姉のことを慕っているらしい。少なくとも、同じ血縁であるはずの弟に対するものとはずいぶん態度が違う。エンジュはホムラから逃げようとしないし、拒絶もしない。嫉妬をしているわけではないが、面白くないのも確かで。触れた頬に指先を食い込ませると、びくりと震えたエンジュが怯えたようにエンカクを見上げる。ホムラもエンジュも、弟に向けられている情に感心がないのだ。酷いところばかりよく似た姉妹だと、大仰なため息が口を突いた。
 
210527
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