「パーティの準備をしているんだよ」
  聞いてもいないのに、男はにこやかに答えた。まるで聖人のような面をして、手元で折り紙を弄んでいる。バカバカしい話ではあるが、こんな手遊びでさえ数人がかりでその意味を読み解こうと監視カメラの向こうで唸っている者たちがいる。言葉のひとつ、指先の動きひとつですら逐一そこに意図がないかと疑われている男、それがマルクスという囚人だった。
「ホムラのときはバイオテロだったな」
「あいつは死ななかったよね、残念だ」
「俺のときは立て篭り事件だ」
「お前は大活躍だったそうじゃないか、兄として誇らしいよ」
「『今度』は何を企んでいる?」
  成立しているようで、していない会話。太刀を振り下ろすがごとく鋭いエンカクの声音に、マルクスは微塵も動揺を見せない。それどころか荒唐無稽なことを言う子どもを見るような色さえ浮かべた瞳を細め、大仰に肩を竦めた。
「おいおい、ドラマの見過ぎじゃないか? 俺が事件の首謀者だったみたいな言い方はよしてくれよ。監獄の底に閉じ込められている俺に何ができるって言うんだ? なぁ?」
「お前がそれを自白すれば、少なくとも監視カメラの向こうの連中は不眠から解放されるだろうな」
「あいつらが勝手に深読みしてるだけだろ? たまたまお前たちの公安入りと時を同じくして大きな事件が起きた、それだけだよ。そんなことまで俺のせいにされてたら堪らない」
「お前がそんなことを気にするのか?」
「冤罪で刑期が伸びるのは嫌じゃないか」
「どうせ生涯出られないだろう」
  分厚い強化プラスチック以上になお厚い壁が、兄弟の間に聳え立っている。マルクスは椅子にどかりと背を預け、エンカクは不機嫌そうに足を組み直した。
「お前がおねだりするなら、『推測』くらいはしてやるよ?」
「……あれの歓迎をする事件パーティの内容は?」
「『兄さん』を忘れてるぞ、エンカク。おねだりって言っただろう」
  ニヤニヤと笑うマルクスを、エンカクはじっと睨み付けている。その瞳の中では怒りが燃えていたが、大半は目の前のふざけた男に向けられたものではない。エンカクが『あれ』と呼んだ対象に、その怒りのほとんどは向けられているようだった。
「それは成功報酬だ」
「厳しいなあ。俺はこんな寒々しい独房で寂しく過ごしてるっていうのに」
「不確かな『推測』のために口を腐らせるのはごめんだ」
  探り合うように、視線が交錯する。透明な壁を挟んで睨み合う兄弟は、何も知らない者からすればまるで鏡合わせのように見えるのだろう。けれど弟は炎で、兄は陽炎だ。傍目には似ていても、実際何も似ていない兄弟だった。
「――二度あることは三度ある、か」
  先に根負けしたのは、マルクスだった。否、どうせ『こう』なることもマルクスの予定通りなのだろう。譲ったように見せて、負けたように見せて、ただ深くに身を潜めていくだけ。厳重な監獄に閉じ込められていても、少しも囚われているようには見えない男。史上最も犯罪係数が高い人間。更生は不可能だと判断されているのに、シビュラシステムが処刑を許さない唯一の者。外界と隔絶されているはずなのに、まるで予言のように正確に外で起こる事件を言い当てる。全ての影はマルクスの目であり耳であるのだと、くだらない噂話が生まれるほどだった。
「お前の愛しい『ねえさん』だものな。必死になるわけだ」
「喋ると決めたなら早くしろ」
「結論を急ぐ男は嫌われるぞ? 余裕を持てよ」
  言いながらも、マルクスは器用に折り鶴を量産していく。それだけは本当に意味のある行動のようで、千羽というには足りないが繋げて差し出されたそれは明確に『お見舞い』のそれだった。
「あれにお前からの物品を渡すことは禁じられている」
  胡乱気な顔をして、エンカクは折り鶴を見た。何が楽しいのか、マルクスだけがにやにやと笑っている。
「違うよ。これはお前にだ」
「要らないな」
「受け取っておけよ。『お前が入院してからじゃ、俺は見舞いになんて行けないんだから』」
  つまり、エンカクが入院するような事態が起きると言いたいらしい。カメラの向こうでは、今頃どよめきが起こっているだろう。何しろエンカクが今まで入院するほどの怪我を負ったのは数えるほどで、いずれも社会の根幹を揺るがすような大事件だった。公安では、そのような大きな事件など予兆すら掴んでいない。ならば、とエンカクは顔を顰める。エンカクの手に負えないような大事件ではなく、エンカクが怪我を負わざるを得ない状況が来ると言いたいのだとしたら。
「俺があれを庇うとでも?」
「庇うかもしれないな。でも、そんなことは問題じゃあない」
「…………」
「ご愁傷さま、だ。可愛い弟くん」
  ガタリと立ち上がったエンカクは、何も持たずにマルクスに背を向ける。折り鶴はどうせ、係の者が回収するに違いない。モニターの前にいる多くの人間の予想と、エンカクの予想は大いに異なっている。今回は、彼らが思うような大した事件にはならないだろう。それでもエンカクが不快な思いをするのはどうやらもう、確定事項のようだった。
 
 210725
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