「お前のさぁ、回帰願望だっけ?」
「…………」
「カニバリズムもイけたりするのか? あいつになら」
「…………」
「食ったらあの世行きになりそうなとこあるよなー。黄泉竈食って言うんだっけ? 細くて食える部分も少なそうだけど」
 くだらない。絡みつくように肩に回された腕を振り払い、エンカクはマルクスの声を無視する。エンカクがエンジュに感じている、自分たちがふたつに分かたれたひとつであるという感覚。一から削ぎ落とされた、半分にも満たない欠片同士。その感覚を揶揄して、マルクスはエンカクに絡んでいた。たとえ実の兄であろうと、エンジュに感じるような感覚をマルクスに抱くことなどない。あれは、エンジュとエンカクの間だけにある繋がりだ。わかったように語るマルクスの言葉など、聞くにも値しなかった。だがそれでもお構いなしにベラベラと舌を動かすのが、このマルクスという実態のない悪魔だ。
「子どもでも作ったらどうだ? 『にいさま』が応援するよ」
 気色の悪いことを言う。エンカクが黙っていれば、マルクスはぺらぺらと調子良く青写真を語った。どっちに似ても可愛いけど女がいいだとか、妊娠中のエンジュの姿を絵に残したいだとか、まるで気のいい友人が幸せな男女を祝福するように、反吐にも劣る妄想を語り続ける。明らかに本気ではなく嫌がらせや揶揄であることが見え透いているのに、声色や表情は自然体で本物に映るのだから相変わらずこの男は現実を騙す幽霊であるらしい。どこまで着いてくる気なのか、いっそケルシーの目の前まで連れて行ってやろうかと思うものの。ふと脳裏に冬に咲く百合のような現実味のない女の姿が浮かんで、自分でも気付かぬうちに嘲笑を浮かべていた。
「……幽霊が子など孕むものか」
 あの肢体の隅々まで暴いて蹂躙しても、手に入れた実感が欠片も湧かない女。本当に存在する人間なのかと疑ったことすらある。マルクスには一生わかるまい。鏡合わせであるが故に、虚像とも思えるこの感覚を。ぼそりと呟いた言葉に、マルクスはわざとらしくぱちくりと目を瞬かせる。驚いたときに瞬きをするエンジュとよく似た仕草は、しかしただ不快なだけだ。エンジュが今日は部外者の立ち入れない区画で缶詰になっていることを不幸中の幸いと言うべきか、それにしても鬱陶しい。あの女がいたところで苛立ちの原因とマルクスの軽口が倍になるだけなのだから、この場にいなくて良かったとも思うが。
「おいおい、幽霊は俺だろ?」
「……そうだな、最初から存在しないものを幽霊と呼ぶべきではない」
 嫌なところばかり似た兄と姉だ。エンジュもどうして、もう少しホムラに似てくれなかったのか。幽霊の兄と虚像の姉。炎の熱がエンカクとホムラだと言うのなら、熱に揺らぐ影がマルクスでありエンジュなのだろう。
「娘ができたら、俺にくれよ。『可愛がる』から」
 吐き気がする。兄の『可愛がり』がどういうものか、マルクスがエンジュにしてきたことを思えば想像することすら不快だった。そもそも子どもなどは自分たちの間にはできないと思いつつも、そんな想像をされること自体が不愉快で。肩に回された兄の手を黙って払い除けると、兄はからからと笑った。
「俺はエンジュの胎から産まれるべきだったよ」
 気持ちの悪い一言を残して、それこそ幽霊のように嫌な余韻と共に去っていく。マルクスがどんな意図でその言葉を発したのか、理解できるわけもないし理解したくもない。だがその言葉が案外兄の本心だった気がして、エンカクは誰もいなくなった廊下で一人舌打ちの音を響かせた。
 
220921
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