エルヴィン・スミス2 03
視界の端に見える優しい色合いの髪
緩やかなウェーブを描くその髪は邪魔にならないようにきちんと編まれ、纏められていた
下ろせば腰に届く程に長いがきちんと手入れされていて滑らかな光を弾いている
昨日、初めて私服姿の彼女を見たが女性らしい服装はとても似合っていた
カサカサと紙を弄る音が聞こえ、トントンと揃えられた書類の束がこちらへと運ばれる
机の端に置かれ、サインを終えた書類を持つと届ける先を確認しながら部屋を出て行った
静かに扉が開閉するのを見て、足音が遠ざかって――
エルヴィンはペンを置くと背もたれに体を預けた
ギッと微かに軋む音を聞きながら溜息をもらす
真面目な彼女は必要な事以外は一切口にせず、淡々と仕事を熟していた
仕事中なのだから私語を慎むのは当然の事
問題なのは部屋に来てから一度も視線が合っていない事だった
顔はこちらに向けられても目は手元を見ていたり、それより上に向いてもせいぜい喉の辺りを見る程度
彼女の瞳は日が当たれば銀色にも見える落ち着いた灰色
以前はその不思議で、綺麗な色の瞳で真っ直ぐに自分を見ていたのに
いつからだろうか、彼女が視線を逸らすようになったのは
なにか切欠があった訳ではない
ただある日突然、そうなってしまった
命令に忠実で、人当たりも良く、穏やかで優しい
彼女を慕う者は多く、リヴァイにも信頼され、分隊長とも親しい
同じ班員として選ばれた弟の事をいつも気に掛ける弟思いの女性でもあった
討伐技術に優れ、後輩の指導も熱心で――そんな彼女に避けられるような事をしてしまっただろうか
叱責なんて一度もした事がない
彼女は命令違反なんてしないし、内務も完璧にやっているから
兵士として優秀で、同時に女性としての魅力もある人だった
兵士に性別は関係ない――そう思ってはいるのだが彼女が時折見える女性らしい仕草に目を引き付けられる
笑う時に口元に手を添えたり、耳の横に流れる髪を押さえたり
何気ない仕草に惹きつけられて無意識に見つめてしまう事があった
色恋沙汰とは無縁で生きてきたが、この感情が好意であるとは分かっている
を部下ではなく異性として意識していた
だからこそ、今の状況は自分には良いとは言えず――
どうしたものかと考えながら再びペンを持ち、書類へと視線を落とした
考え事に時間を割いていては仕事を溜めてしまう
夜は予定がないからミケに酒を付き合わせよう
そう思い書類の文面に目を通してサインをした
今日は比較的仕事が少ない方か――と思ったところでカチャ、と微かな音を立ててティーカップが置かれる

「……あぁ、ありがとう」
「一度休んでください。お疲れでしょう」
「そうだな」

顔を上げ、そう言葉を返すと視線の先で彼女――が微笑んだ
やはり視線は、こちらを見てはいないが
書類を各部署へと届けてから紅茶を淹れて来てくれたのだろう
カップを手に取り、湯気が上がる紅茶を一口飲んだ
リヴァイの元で何度も淹れているであろうその腕前は確かなもので香りが良く、味も良い
普段飲んでいる物と同じ茶葉だろうに、ここまで変わるとは
そう思いながら書類を手に再び部屋を出て行くの背中を見送った
出来る事ならば一緒に茶を飲みたかった――と思ったのだが、彼女を座らせる椅子がない
室内を視線だけで見回して、小さく溜息をもらした
女性を立たせたままで茶を飲むなんて、おかしいだろう
明日にでも椅子を一つ調達してこようか
エルヴィンはそう思いながら背凭れに体を預けて紅茶のカップを口元へと寄せた


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今日も団長の補佐を命じられ、朝から分隊長室へ行ったり、技巧室へと行ったり
キース教官を捜して訓練施設を走り回ったり
なんて忙しいんだと思いながらは訓練兵を散々に怒鳴りつけている教官を見つけてほっと息をはいた
自分も彼の指導を受けていたが相変わらず厳しく、心が折れそうな言葉ばかり
まぁこれを乗り越えなければ兵士にはなれないのだが
そう思いながら呼吸を整えると右手の書類を持ち直した
立体機動装置を使えたらこんなに走らずに済んだのに
頭を打ったから、三日間は駄目だとリヴァイに取り上げられてしまっていた
施設の入り口で他の兵士に馬を借りれば良かったか
そう思いながらキースの視界に入る位置から歩み寄る

「ボザドか」
「はい。お久しぶりです、キース教官。こちら、団長からです」
「うむ。……立体機動装置はどうした」
「兵長に取り上げられています」
「?」
「一昨日、頭を強打しまして……三日間、飛ばないようにと没収されました」
「そうか」

彼の視線が額に巻く包帯へと向けられるのが分かり、はその表面を指先で摩った
誤解されてばかりだが部下想いの兵長
優しい人で、自分が無理をしないようにと立体機動装置を取り上げられたと分かってはいるのだが――

「……こちらへ来る用事がある時は、飛びたいですね」
「……広いからな」
「はい……では、失礼します」

これから来た道を引き返さなければならないなんて
果てしなく遠く感じると思いながらは小走りにキースの側を離れた
走ったり、歩いたり、休んだり
もう疲れたと思いながら木に寄り掛かって空を見上げていると、カッポカッポと馬の蹄の音が近付いてきた
顔を向ければ訓練兵の姿があり、騎乗している彼と視線がぶつかる

さん、こんにちは」
「こんにちは、エレン君」
「どうしたんですか?立体機動装置も着けずにこんなところにいるなんて」
「キース教官に届け物をしてきたの。装備は兵長に没収されちゃって」
「没収?」

なんで?と言う表情をする彼を見て自身の額に指先を触れた
包帯の表面を軽く摩ると恥ずかしさに視線を逸らして口を開く

「事故で、頭に怪我をして。強く打ったから三日間、自主訓練しないようにって」
「そうだったんですか……大丈夫なんですか?」
「ん、うん。まぁ、大した事ないよ」
「そうですか。あ、入り口まで送ります」
「え、良いの?」
「距離があるから。後ろに乗ってください」
「ありがとう」

後輩とはいえ、男性と相乗りとは
照れてしまうなと思いながら歩み寄り、エレンの手に掴まって馬の背へとよじ登った
もぞもぞと安定する姿勢を取ったところで彼が肩越しにこちらを見る

「掴まっていてくださいね」
「うん……なんか、緊張するね」
「え?」
「男の人に密着するのって、慣れていないから」
「恋人、いないんですか?」
「いないよ、そんな相手は」
「……美人だから、いるのかと……」
「あはは……普通の顔よ」

そう返すとエレンが「綺麗ですよ」と言い、前に向き直って馬を走らせた
彼の腹部に回す腕に僅かに力を籠めると視線を流れる景色へと向ける

(こんなものなのか……)

落馬しない為とはいえ、異性と密着するのだからもっとドキドキすると思っていた
でも彼が年下のせいか少し緊張するくらいで胸が高鳴ったりはしない
これが団長ならば顔を隠さなければならないくらい頬が赤くなるのだろうか
彼と相乗り、なんて事はこの先もないだろうけれど
そんな事を考えながら施設の入り口まで送ってもらうとそこで馬から下りた

「ありがとう、助かったよ」
「いいえ。怪我、お大事に」
「うん、君も訓練で怪我をしないようにね」
「はい、失礼します」

覇気のある、良い目をしてそう言葉を返す後輩
この施設内にいるであろう同期の元へ戻って行くのを見送るとくるりと踵を返して走り出した
キース教官を捜すのにかなり時間が掛かってしまったから急いで戻らなければ
エレンのおかげでだいぶ助かったけれど
そう思いながら広場を通り抜け、団長室のある兵舎の前で足を止めた
呼吸を整える間もなく中へと入り廊下を奥へと進む
丁度扉を開けて出て来た兵士と入れ替わるようにして中に入ると机に向うエルヴィンに声を掛けた

「すみません、遅くなりました」
「いや、疲れただろう。少し休むと良い」
「はい……」

では休憩室に行こうか
そう思っていると団長の手がすっと机の側を指さした
なんだろうと目を向けて見えたのは一つの椅子
クッション性のある座面の、座り心地が良さそうな物だった

「調達しておいた。使うと良い」
「あ……ありがとうございます」

補佐としてここに居るのに気を遣わせてしまって申し訳ない
そう思いながらもありがたくそこに腰を下ろした
ふうふうと呼吸を整えているとエルヴィンが手を止めてこちらを見る
視界の端でその動きを見ていると彼が「あぁ」と小さく声を発した

「キース教官のところへ行ったのか」
「はい。奥の方の拠点にいらっしゃいました。馬を借りれば良かったと思っています」
「立体機動装置が無いからな」
「はい。兵長も心配してくださるのは、嬉しいのですが……」

飛ぶ事は禁止されたが、走り回ってしまっては意味がないのでは
そう思っているとエルヴィンが「すぐに戻る」と言って席を立った
部屋を出て行くのを見送り、椅子の背もたれに背を預けて深く息をはく
喉が渇いたが、休憩時間でもないのに飲むのは気が引けた
それに、届いた書類の分別もしないといけないし
団長の仕事は大変だなと思い、疲れた脚を摩って、前髪を軽く弄って
そうしていると廊下から足音が聞こえて姿勢を正すとそちらに顔を向けた
ノブが回るのを見て、団長が戻って来たのだと分かる
お手洗いだったのかなと思っていると扉が開かれ、エルヴィンが片手に二つのカップを器用に持って室内へと入って来た
それを見て慌てて立ち上がり、彼に声を掛ける

「団長、紅茶ならば私が……」
「いや。今は疲れているだろう」

言いながら彼がこちらへと歩み寄り、机にカチャリと微かな音を立ててカップが置かれた
もう一つは手に持ったまま席へと腰を下ろすのを見て、自分ももう一度椅子へと座る
良い香りだなと思いながらカップを見つめ、それから団長の手元を見た

「頂きます」
「あぁ」

返答を聞いてからカップに手を触れて口元へと寄せる
香りを感じ、それから熱いそれを一口飲んで
美味しさに自然と口元が緩んでしまった

「……やはり、君が淹れるのとは香りも味も違うな」
「え?」
「リヴァイは紅茶に拘るだろう。班員は皆、紅茶を淹れるのが上手いと聞いている」
「はい。紅茶の淹れ方と掃除の腕前は自然と上達しますね」
「……リヴァイが羨ましい」

忙しい合間の僅かな休憩時間に飲むのだから紅茶は美味しいものが良いだろう
でも団長に淹れ方を教えるのはなぁと思い、はもう一口紅茶を飲むとカップをソーサーに戻した

「私が補佐の時はお淹れします。この前、香りの良い紅茶を見つけたのでそれを持って来ますね」
「あぁ……楽しみにしている」

こちらに顔を向け、無表情の多い彼がふっと笑みを浮かべる
薄い青い瞳が自分を見ているのが分かって、は視線を机へと向けた
貴重な笑顔だから、ちゃんと、真っ直ぐにその顔を見たいのに
やはり恥ずかしさが勝り、そして感情を押し殺す事が出来ないから視線を逸らしてしまう
人を好きになる事がこんなにも辛い事だったなんて
はそう思いながら、ほんの少しだけ肩を落とすとカップに手を触れて湯気を上げる紅茶の表面へと視線を落とした