十日間眠っていた
そう言われても自分にはその実感はなかった
巨人の手に弾かれて廃屋に突っ込んで――それから気を失ったのは覚えている
でも自分の感覚ではそれからすぐに目を覚ました感じなのに
眠っていた時間よりも目を開けて真っ先に見えたのが団長の顔だという事に心底驚いてしまった
あんなに間近で人の顔を見ていたなんて
一体彼は何をしていたのだろうか
本当に団長は変わった人だと思いながら身動ぎをしようとして、思うように動かない体に僅かに眉を寄せた
起き上がりたいのに全ての関節が動きを阻害する
関節が硬いというか、力が入らないような感じがした
無理に動こうとすると頭と腰に痛みを感じる
「いたた……もう、なんなのよ……」
思わず漏れた声も自分のものではないように掠れていた
もう少し横になってから起き上がったほうが良いのかと思っていると廊下を走る足音が耳に届く
(?……)
やけに大きく聞こえるその音に天井を見ていた視線を扉の方へと向けた
診療所の廊下を走るなんて
一体誰が――と思ったところでノックもなく開け放たれる扉
その戸口に立つ人の姿を見てはぱち、と目を瞬くとふうと微かな溜息をはいた
そんな自分を見て彼――オルオが小走りに側に来て自分が横になるベッドの側に膝を付く
「姉ちゃん、分かるか?」
「……廊下は走らない」
「……はあ、良かった。いつもの姉ちゃんだ……どこか痛いところは?」
「あちこち痛いけど、特に痛むのは頭と腰……かな」
「手は動くか?」
「うん……動くみたい」
毛布の中で手指を握ったり開いたり
少しだけぎこちないように思うが全指動かす事が出来た
脚も少しだけ動かして見せると弟がほっとしたようにベッドに突っ伏してしまう
「……オルオ……痩せた?」
「あぁ……姉ちゃんほどじゃねぇが……」
そう言い、少し顔を上げた弟
自分も痩せたのかと思っているとオルオの手が毛布の上からこちらの手を握った
「明日になっても起きなかったら、家族を呼べって……姉ちゃん、本当にヤバかったんだからな!」
「そう……」
「まぁ、目が覚めて良かった。暫くは休んで、それから……リハビリ、だな」
「ん……その前に」
「?」
「着替え、あるかな」
「着替え?」
「お風呂……」
「おい、何言ってるんだよ」
「気持ち悪い……」
それから入りたい、駄目だの押し問答が始まるが、オルオが折れてくれた
一度部屋を出て行くと少しして病衣を抱えて戻ってくる
「ほら、着替え。肌着とか、内側に入ってるから」
その言葉を聞いて両腕を動かし、時間を掛けて体を起こした
人は十日間眠り続けるとこんなにも動けなくなるのか
倒れそうになるが気合で体を支えて床へと足を下ろす
すると足裏に何かが触れて前に転がり落ちないようにベッドの縁を力の入らない手で掴みながら下を覗いた
目に入ったのは簡易な作りの室内履き
患者用の物だろうと思い、自分の足には少し大きいそれを掃いた
弟の手を借りて立ち上がると、その体に縋るようにくっついて歩き出す
「大丈夫か?」
「うん……とにかく、お風呂……あとお手洗い」
「誰かに手伝ってもらった方が……」
「大丈夫よ」
声が思った以上に出ていないが、オルオには聞き取る事が出来るらしい
流石は我が弟、頼りになると思いながら水場へと連れて行ってもらった
「こっちがトイレで、向こうが風呂だ」
「……ありがとう、部屋で待ってて」
「ここで待つ」
「でも……」
「心配だから」
「分かった。時間掛かると思うけど」
「急がなくて良い。気を付けて入れよ」
「うん」
そう言い、オルオの体から離れてまずはお手洗いに入る
眠っている間に筋力が落ちたのか己の体重すら支えられない脚が震えた
壁伝いには歩けるから多分、どうにか出来るだろう
はそう思い、個室の扉を開けて中へと入った
眠っている間、清拭はしてもらっていただろうがさすがに髪を洗う事は出来なかっただろう
いつもよりも絡みの酷い髪をぎこちない動きで梳かし、全身をくまなく洗って倒れそうになりながら脱衣所への扉を開けた
ひやりと冷たい空気が肌に触れるのを感じながら顔を上げる
するとそこにはバスタオルを手に立っているペトラの姿があった
「ペトラ?」
「ーーー!良かったぁーー!」
「っ……う、うん、おはよう?」
いきなり泣き出す彼女に少し引きながらそう返す
するとペトラが側に来てこちらの体を支えながらタオルの敷かれた椅子へと座らせてくれた
ふわりと肩にタオルが掛けられ、それからこちらの体に視線が向けられる
「可哀そう……」
「?」
「痩せ過ぎよ。肋骨が浮いて……」
「……食べれば、戻るから」
「時間が掛かるわ。もオルオも元からあまり食べないから……」
「うん……ところで、何故ここに……」
「お手伝いよ。起きた直後にお風呂だなんて無理するわね」
「気持ち悪くて……」
「そうだろうけど。今、皆部屋に来て待ってるのよ」
「皆?」
「兵長とか、ハンジさんとか、ミケさんとか。団長もね」
「え……」
「もう。皆に顔を見せるまで待っていれば良いのに。オルオに止められたんでしょ?」
「だ、だって。頭が気持ち悪くて……」
そんな言葉を交わしている間にもペトラの手によって体の水滴が拭われていく
普段からお風呂の時間が重なる事が多く互いの裸を見る事に抵抗はなかった
髪も丁寧に拭われると次々と渡される着替えを身に着ける
最後に病衣を着て腰の部分の紐を結ぶと無意識にため息が漏れた
「なんか、凄く疲れちゃう……」
「それはそうよ。十日間、少しの水だけで生きてたのにいきなりお風呂だもの」
「水?飲んでた?」
「うん。皆で匙を使って少しずつ飲ませてたの。ふふっ、兵長も頑張ってたわよ」
「えぇ……」
「団長も飲ませてくれてたわ。空いた時間があればいつも来ていたのよ」
「そ、そう……」
「その分、ハンジさんとミケさんの仕事が増えて大変だったみたいだけど」
「あぁ……謝らないと」
「良いのよ。皆、のことが心配だったんだから」
皆でなんとか自分を生かそうとしてくれていたのか
嬉しくもあり、申し訳なくもあり――
そう思いながらペトラに支えられて廊下へと出た
すると正面の壁にオルオが寄り掛かるようにして立っていて、自分を見ると側へと歩み寄って来る
間近で足を止めると腕が背に回され、ひょいと体が持ち上げられてしまった
「わぁっ」
「軽っ。はぁ……何キロ痩せたんだろうな」
まさか、弟に抱っこされる日が来るとは
驚きながらも、男らしい力強さを感じられてなんだか嬉しく思った
見た目は細いのに、立派な兵士になったではないか
そう思いながらは自分の右腕を左手で軽く摩った
「鏡を見たけど、自分で見ても可哀そうな体だった……」
「少しずつで良いけど、元に戻せよ」
「うん」
そんな言葉を交わし、ペトラが持つ燭台に照らされる廊下へと視線を向ける
しんと静まり返っていて自分たち以外には人がいないのではないかというような錯覚を覚えた
診療所という場所で、怪我をしたり具合の悪い兵士がいるのだから静かになるのも当然か
だが、馴染みのない暗い廊下は少し怖く感じた
オルオとペトラがいるから普段通りでいられるけれど
そう思いながら肩に掛けたタオルで髪を拭う
ぎこちない動きに気付いたのか、ペトラがこちらに顔を向けた
「大丈夫?」
「うん。ちょっと、動かしにくいけど……オルオが、マッサージしてくれてたんだってね」
「あぁ」
「腕とか、脚とか。何回も曲げ伸ばしていたわ」
「んふふ……オルオは良い子だねぇ」
「子ども扱いすんな」
恥ずかしそうな弟の表情を見て思わず笑みを零す
関節が固まらないようにと必死にやっていてくれたのだろうに
嬉しく思ったところで病室に着いたらしく、オルオが足を止めた
待たせてしまった人たちに何を言われるか
ペトラが扉を開けると、中にいる人たちの視線が一斉に自分へと向けられるのが分かった
びくりと肩が揺れると、それを宥めるようにペトラの手がそっと腕に触れる
「お待たせしました。まずはをベッドに運びますね」
彼女の言葉にオルオが部屋へと入り、ベッドへと運ばれてシーツの上に体が下ろされた
手に触れる質感から、どうやら入浴している間に交換してくれたのだと分かる
清潔感のある白いシーツの表面を軽く摩るとベッドの周囲に集まる人々の顔を見回した
団長、二人の分隊長、それからリヴァイにエルドにグンタ
皆が自分を見ていてなんだか気恥ずかしいような――と視線を落とした
おはようございます、と挨拶してみようかと考えたところで突然真正面から強い衝撃を受けて後ろへとひっくり返ってしまう
とはいえ、ベッドの縁に腰かけた状態だったから背中がマットに沈んだだけだが――
だが体の前面に圧し掛かる重さに肺が圧迫されて口から空気が漏れた
「ぐぇっ」
なんて、女らしくない声を上げてしまう
衰弱した体にはダメージが大きすぎる――と思ったところでさらりと何かに頬が撫でられた
目を瞬き、視線を動かしてその正体が髪だと分かる
どうやらハンジが抱きついてきたようだ
友人にも余程心配をさせていたのだろう
そう思い、その背に手を触れて軽く摩さすった
「……ハンジさん」
「あぁ、良かった……、良かったよ!」
「……ごめんなさい」
「こんなに痩せて、美人が台無しだよ。後で、食事が来るから――」
と、言葉の途中でハンジの体が自分から離れる
自ら動いたわけではなく、なんだか後ろへと引っ張られたような動きだったけれど
倒れた状態のまま分隊長の行方を追っていると、その背後に立つリヴァイの姿に目を留める
どうやら彼がハンジの襟首を掴んで引っ張ったようだ
苦しかったから助かったと思いながらエルドとグンタに手を引かれて体を起こす
「クソメガネ。を潰すな」
「潰すって、失礼な。そんなに重たくないよ」
「今のこいつには拷問だ。……無事か」
「はい、大丈夫です……」
こちらへと掛けられた言葉にそう返した
肉が薄くなった分、衝撃がダイレクトに響いたけれど
内臓が潰れなくて良かったと思っていると兵長がほっとしたように肩の力を抜くのが分かった
「思ったよりも元気だな。元の体が頑丈だったからか」
「はい。鍛えていて良かったです」
「そうだな。だが、今のてめぇは骸骨だ。元に戻せ」
「が、骸骨……!」
兵長の言葉に酷いと思いながら己の頬に両手で触れる
でも以前はふくふくしていたその部分はすっかりと脂肪が落ちて皮膚の下にすぐ骨があるような――
「確かに骨と皮の一歩手前だな……」
「、指まで痩せているぞ」
エルドとグンタに追い打ちを掛けられ、肩を落とした
鏡を見てショックを受けたが、人から言われるとダメージも大きい
最初から沢山は食べられないだろうから、ゆっくりと体重を戻すしかないか
そう思っているとミケが側に来て、彼と目を合わせる為に顔を上げた
背が高いから大変だと思っているとその手がまだ濡れている髪に触れる
頭を揺らさない程度にわしわしと撫でられて驚いているとふっと短く笑った
「目覚めて良かった」
「はい……あの、申し訳ありません。お仕事が、増えてしまったと……」
「いや。仕方のない事だ。二人での分担だからそう多くもなかった」
「ですが……」
団長の補佐をした時の仕事量を見るに、あれを二分割にしてたとしてもかなりの量だっただろうに
恐らく、兵長の仕事も増えただろうなと思っているとミケの手が頭から離された
「気にすることはない」
そう言い終えると彼が正面から避けて、入れ替わるようにして団長が立つ
彼を見上げて、一瞬視線が合ってすっと少しだけ下を見た
団長の口当たりを見つめていると彼がその場に片膝を付いて姿勢を低くする
「っ……」
座った状態で団長を見下ろすなんて
初めての事だと思っていると彼の手がそっとこちらの手を握った
そこへ視線を落とすと手の甲が親指で摩られ、それから指を見られる
無言でそんな事をされて、なんだか落ち着かなかった
無意識に指を握るように力が入ってしまうと、それ以上の力で握り返される
「」
「っ、はい」
「目覚めてくれて良かった」
「……はい。色々と、ご面倒をお掛けしました」
「いや。起きてくれたのなら……それで十分だ」
そんな言葉を聞いてこくりと頷いた
日に日に痩せていく自分を見ていた彼らの心境はどんなものだったのか
自分には想像する事しか出来ないが、辛いという事だけは分かる
この場にいる人たちは自分が兵団に入る前から知っている人も居るのだから
特にオルオとは姉と弟として長く側に居るし――
そんな事を考えているとコンコン、とノックの音が聞こえてそちらに意識を向けた
エルヴィンが握っていた手を離して立ち上がる
その体の影から少し体を傾けるとペトラが応対に出るのが見えた
廊下に立っているのは医師だろうか
はそう思いながら開いていく扉の隙間へと目を向けた
2024.05.18 up