ミケ・ザカリアス 06

こんなにも足が重くなるなんて
はそう思いながら目的の兵舎を見上げると溜息を漏らした
あれは仕方がない、ミケが悪い、気にするな
皆がそう言ってくれるが、彼の部下はどうだろう
上官に平手打ちをした自分は歓迎されないのではないだろうか
まぁ、そうなってしまっても受け入れるしかないのだけれど
命じられた事を淡々と熟していれば良いだけだと思い、は分隊長室のある兵舎の前に立った
扉を開けてきょろりと視線を彷徨わせる
正面にある階段を見るとそちらへと歩み寄った
すると上階から男性兵士が下りて来るのが見えて端に身を寄せる

「すまない。あ、君は……」
「?」
「ミケ分隊長のところに配属されるそうだな。彼の部屋は二階の左側だ」
「はい。教えて下さり、ありがとうございます」

なんか、見た事のある顔のような
誰だっただろうと扉を出て行く背中を見送った

「……えっと……あぁ、ハンジさんの側にいた、気がする」

彼女の側に居たのだから、恐らくは副隊長
今度会ったら名前を聞かなければと思いながら階段を上がり、教えてもらった通りに左の方へと歩いた
扉の前に立つと室内に複数の人がいる気配を感じられる
部下が、恐らく二人ほど在室のようだ
嫌だなぁと思いながらも背筋を伸ばし、軽くジャケットの襟を直した
額に掛かる前髪を整えて、それから深呼吸をして軽く握った手でノックをする
一瞬の間をおいて「入れ」と返答があり手指を開いてノブを掴んだ
扉を引き開け、室内へと入り、静かに扉を閉める
それから正面へと向き直り、三歩前に出て足を止めた
背筋を伸ばし、敬礼の姿勢を取ると口を開く

「エルヴィン団長の命により、本日より入隊します。です」
「あぁ、待っていた」

正面の机に向って座っているのはミケ・ザカリアス
その手前に二人の――男女が立っていた
男性は何やら個性的な髪形で、女性はボーイッシュな感じで背が高い
この人たちが同僚となる人たちか
仲良く出来るかなぁと思っているとミケが口を開く

「励め」
「尽力します」

事前にオルオやペトラに聞いているが彼は無口だそうだ
確かにあまり喋らないなと思っていると女性の方が自分へと声を掛ける

「私はナナバ。よろしくね」
「ゲルガーだ」
「ナナバさん、ゲルガーさん。よろしくお願いいたします」
「そう畏まらなくても。歓迎するよ」
「あぁ。……昨日のことは、気にしなくて良い。ミケさんも反省しているから」
「……先日は、失礼いたしました」
「いや……」

そう言い、僅かに視線を落とした彼が背もたれに身を預ける
改めて彼を見るがあまり覇気の感じられない顔立ちをしていた
目つきのせいだろうか、なんて失礼な事を考えているとミケがちら、とこちらを見る

「兵舎に案内させる。仕事は明日からだ」
「了解しました」

言い終えると背後で扉が開かれる
肩越しに見やると、どうやら案内をしてくれるらしい兵士が立っていた
ミケに頭を下げるとくるりと背を向けて部屋を出る
先輩の二人は良い人っぽい
それに安心して兵士の後へと付いていった
部屋は何人部屋になるのだろう
王都では二人部屋だったがこちらでもそうなのだろうか
色々と揃えなければならない物があるから街へ行かないと
兵舎に何があって何がないのかを見てから買う物を決めよう
はそう思いながら外へと出て兵舎の並ぶ道へと足を踏み出した




……綺麗な子だね」
「なんか品が良さそうな感じが……王都で過ごすとあんな風になるんですかね」
「周りは貴族ばかりだろうからね。いい子そうで良かった。ね、ミケ」
「……あぁ、そうだな」
「昨日のことは……まぁ、仕方がないよ。も吃驚しただろうし」
「……」
「えぇと……十八歳でしたっけ?そんな若い子の匂い嗅いだらさすがに……」
「そうだな……お前たちには話しておこう。他言はするな」

そう言うと二人がすっと表情を変え、こちらに体を向ける
真剣な眼差しを受けながらミケは言葉を続けた

は……分隊長になる」
「っ、分隊長……」
「昨日の討伐数は五体だ。憲兵団に三年居たとはいえ……初陣での討伐としては上位だ」
「それは……そうだね。巨人を見たこともなかっただろうに。普通は逃げてしまったり、恐怖で動けなかったりするよ」
「初めて巨人を目にして五体……」
「編入したばかりですぐに昇格はさせられない。エルヴィンの判断で俺の元で分隊長として学ばせることになる」
「……そう、団長が……に素質があるんだね。了解したよ」
「了解です。あの子は、知ってるんですか?この話」
「いや……何も話していない。配属先が俺の部隊になっただけだと思っているだろう」
「彼女のこと、少し見ていた方が良さそうだね。なにも問題はないと思うけど」
「あぁ……頼んだ」

そう言うとナナバとゲルガーがこくりと頷く
仕事に対する姿勢や訓練内容
それに普段の生活も見ておかなければならなかった
本人には気付かれないように、様子を見るというのは自分には向かない
この二人に任せておけば何の問題もないだろう
ミケはそう思い、椅子から腰を上げると背後にある窓から外へと目を向けた


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


案内された兵舎は自分が来るという話が通っていたようで掃除がされていた
兵長の兵舎に比べればまだ薄汚れているが、自分が掃除をすれば良いだろう
そう思い、衣装棚に私服を入れていく
王都で買った物ばかりだからこちらでは見かけないような物ばかり
私服とは言えこれは目立つのでは
何枚か服も買った方が良さそうだと思いながら、予備の制服もその隣に掛けた
衣装棚の扉を閉めるとポケットの中の財布を確認する

「まずは掃除道具、かな。で、次が紅茶。……おいしい紅茶、あれば良いけど」

そう呟いて兵舎を出ると街へと向かって歩いた
こちらの方は見た目は昔と変わらず、人々が行き交っている
昔はオルオと一緒に親に頼まれた買い物を済ませに来ていたっけ
懐かしいなと思いながら目に入った日用品の店へと足を向ける
いらっしゃい、と初老の女性の声を聞きながら店内に視線を巡らせた
丁度良い大きさのバケツを選ぶとその中に雑巾、洗剤にたわしを入れる
もう一方の手に箒とハタキを持つと会計を頼んだ
一度兵舎に戻ってからではないと紅茶は持てないか
そう思い、お金を払うと両手に掃除道具を持って店を出た
背負う為の布を持って来たら良かったか
兵士が両手に掃除道具を持っているなんて普通の人からしては可笑しな光景だろう
少し恥ずかしいなと思い、顔を伏せ気味にして歩いていると前方から「」と声を掛けられた
顔を上げるとオルオが立っていて、こちらへと歩み寄って来る

「何してんだ?」
「買い出し。ちょっと部屋の汚れがね……オルオは?」
「俺も買い出しだよ」

言いながら彼がこちらの手からバケツを取り上げた

「あ」
「お前買い過ぎ。重いだろ」
「大丈夫だよ。自分で――」
「遠慮するなって言っただろ」
「……ありがとう」

こちらの言葉に兄がふっと笑い、兵舎の方へと体を向ける
雑巾とか洗剤が入っているだけなのだが、その洗剤が大容量で重さがあった
何度か持ち替えながら帰るしかないと思っていたので兄の申し出がとてもありがたい
はそう思いながらオルオが背負う布の膨らみを見た
そう大きなものではないのだが、何を買ったのだろう
気になっていると兄がこちらに目を向けた

「ティーサーバー」
「あ、そうなの」
「兵舎にあるやつ、壊れかけてただろ」
「そうね、持ち手がカタカタ動いて取れそうだった」
「いい加減に新調するって、兵長が。……良い紅茶も貰ったからな」
「そんな。あの紅茶、王都じゃ上の下くらいの値段なのに」
「ここで売ってるやつの何倍の値段だよ」
「う……ま、まあ、物価が違うから、ね」

先程の買い物で、安いと思ってしまったくらい値段が違う
王都は貴族の街だからなぁと思いながら歩き、街から離れた
やがて兵舎が並ぶ通りへと入るとオルオが歩調を少し緩める

「ミケさんの隊は……向こうの兵舎か」
「うん、個室だった」
「へぇ」
「のびのび出来そう。王都は二人部屋で。友達だったけど、気を遣ってたから」
「そうか。他人が居ると自由にはできねぇな」
「うん」

そんな話をしながら歩いていると自分の部屋がある兵舎の前に辿り着く
扉の前でオルオに体を向けると彼がこちらにバケツを差し出した

「じゃ、無理しない程度に頑張れよ」
「うん。オルオもね」
「ははっ、俺は班員の中で討伐数ダントツだぞ。心配すんなよ」
「だから、それが……もう、多く討伐したいのは分かるけど」

でも、その分巨人と対峙する事が多くなるのだから心配で
リヴァイ兵長のようになりたい、というのは分かるけど、もう少し自重を――と思ったところで兄の手が頭に触れた

「っ……」
「大丈夫だ。お前こそ、まだ新兵と変わらないんだから」
「……」
「俺は側に付いていてやれないからな。……死ぬなよ、
「ん……オルオもね」
「あぁ」

話しながらこちらの頭をわしわしと撫で、結って纏めていた髪が乱される
解けた髪がふわりと顔の前に下がり、さすがに目を細めた
すると兄が手を離し、その手を軽くヒラつかせて立ち去って行く
両手が塞がり、視界を半分覆う髪を除ける事も出来ずにその姿を見送った

「もう、髪がぐしゃぐしゃ」

部屋に戻ったら結い直さないと
そう思い、顔の前に下がる髪にふっと息を吹きかけると兵舎の玄関へと足を向けた




兵舎の扉が閉まるのを見届けてから、一歩前に出て僅かに首を傾げる

「あの二人、どんな関係なんだろうね」
「随分と親しそうだったな」
「あんな風に髪を触らせるなんて。普通は嫌がるだろうに」
「うーん……恋人、か?いやでも憲兵団と調査兵団で……」
「三年間、離れて……?謎だね」
「探るか?」
「そうしよう」

そんなやり取りをして、窓が開いた部屋へ視線を向ける
そこには乱れた髪を下ろしたの姿があった
長いとは思ったが、予想以上に伸ばされた髪が風にふわりと揺れる
王都で暮らしていたせいか、彼女の立ち居振る舞いはとても優雅で品があった
そのせいか、髪を下ろしたその姿が貴族令嬢だと錯覚させる
本人にはそんなつもりは一切無いのだろうが――

「……変わった兵士が、来たものだね」

ナナバはぽつりとそう呟くとゲルガーを促して静かにその場を立ち去った

2024.11.27