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作品ID:137

こちらの作品は、「感想希望」で、ジャンルは「一般小説」です。

文字数約18466文字 読了時間約10分 原稿用紙約24枚


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小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし /

先生!きょーちゃんがいません!

作品紹介

 リレー小説を形にしてみよう

 そのような企画で三人が力を合わせて

 作品を仕上げました。



 テーマ「明日からの歴史」

    「透明GIRL]

    「姉妹」



ご拝読ありがとうございました。

ぞぞ、マサキ、ようすけでした!


京ちゃんはいつだって、わたしの傍に居る。

他の人に見えるかどうかなんて関係ない。

世界が京ちゃんを忘れても、それは絶対に変わらないことだ。





小学校



「先生!きょーちゃんがいません!」

 遠足などに来ると、いつもこうだ。

「あら? そう…。りっちゃん、悪いけど探してきてもらえる?」

 そして、いつもわたしが探すハメになる。だって、他の人じゃ見つけられないから。

 わたしの妹の京子は、『先天性存在薄弱症』という、どんどん影が薄くなる病気なのだそうだ。正確に言えば、他人に自分の存在を意識されなくなってしまう病気、とお医者さんは言っていた。

 よくは判らないけど、わたしも、ときどき京ちゃんを見失う。隣に居るのに、気づかないこともある。どうやら、それが『症状』らしい。



「きょーちゃ?ん!」

 わたしは声をあげて、動物園を走りまわった。

「りっちゃん!」

 ライオンの檻の前に来たときに、声がした。

 京ちゃんが居た。ライオンの檻の前で手を振っている。

「きょーちゃんっ! もう帰る時間だよ」

「りっちゃん。いま、ライオンに石投げたら吼えられたよっ! えへっ」

 京ちゃんは嬉しそうだ。

「だめだよ。石なんか投げちゃ!」

 人には無視されやすい京ちゃんだから、からかえば反応してくれる動物たちが大好きだ。

「あたしライオンのぬいぐるみが欲しいな。買ってこうよ」

「お金ないよぉ? 今度お父さんに買って来てもらおう?」

「やだよ、おとーさんいつも忘れるんだもんっ!」

「しょうがないじゃん……」

 と言ってから、しまったと思った。

「……りっちゃんは、どーせ覚えてもらえるもんね」

 ほっぺたを膨らまして怒る。

「ごめん……」

 京ちゃんとわたしは、同じ年の同じ月の同じ日に生まれた。

 それでも、その病気は京ちゃんだけがかかった。双子だけど『イチランセイ』じゃなかったかららしい。

「いいよ。りっちゃんのせいじゃないもん。それに、りっちゃんは、いつもあたしを見つけてくれるしね」

 そう言って、京ちゃんはわたしの手を取った。温かい手がしっかりとわたしを握る。

「行こう。おいてかれたら大変だっ」

 京ちゃんとわたしは一緒に駆け出す。

 前を向いてしまうと、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、隣を走る京ちゃんを忘れてしまいそうになる。

 わたしは、それが怖くて、京ちゃんの手をギュッと握り返した。

 みんなのところに戻ったとき、先生は「りっちゃんお帰り」と言ってから、「あら、きょうちゃんも」と付け足した。

 京ちゃんは眉をしかめたけど、何も言わなかった。



 小学校では京ちゃんとわたしは、いつも同じクラスだった。わたしが居ないと、ときどき先生が京ちゃんの事を忘れてしまうからだ。

 五年生の新学期が始まったとき、新しい先生は京ちゃんの出席を取り忘れた。

その時は京ちゃんが「あたし、ここに居ます!」と大きな声で言ったので、先生は慌てて謝った。

 休み時間、わたしと京ちゃんは、一緒に教室で絵を描いたり、図書館で本を読んだりした。みんなでやる遊びだと、京ちゃんが忘れられてしまうからだ。

「りっちゃん、これ美味しそう! こんど作ろっ」

 そう言って京ちゃんが見せてくる本は、ほとんどお菓子の出てくるものばかりだ。

 反対に、わたしが自分の好きなものを読んでいると、

「また、りっちゃんがむずかしい本読んでる!」

 と言って邪魔してくるのだ。

 京ちゃんは頭が良くて、あんまり勉強してないのに、いつもテストは一〇〇点だった。

 わたしは京ちゃんに負けるのが悔しくて、たくさん勉強して一〇〇点を取った。

 だけど、先生にほめられるのは、わたしだけだ。クラスのみんなにうらやましがられるのも、わたしだけ。

 わたしは、なんだか京ちゃんに悪いと思ったが、京ちゃんは笑っていた。

 京ちゃんは運動も出来て、徒競走でもよく一番になっていたし、鉄棒だって何でも出来た。でも、京ちゃんはリレーの選手には選ばれなかったし、鉄棒のお手本になることもなかった。

 ただ、京ちゃんも損ばかりしていたわけじゃない。

 こっそり朝礼をサボってたし、国語の時間に朗読させられないのは喜んでいた。家庭科の時間に、内緒でクッキーを焼いてたりもした。

 わたしが男子に嫌がらせをされたときは、その男子を後ろから殴って助けてくれたりもした。

「えへへ、りっちゃんはモテモテで大変だね」

 いつもわたしに悪戯をしかけてくる男子のことをグチッたとき、京ちゃんはニヤニヤ笑った。

「全然ちがうよ! 森本くんはいつも嫌がらせばっかりしてくるだけだよ」

 わたしはそう言ったのだが、京ちゃんは得意げに話した。

「だってさ、森本のヤツ、この前ほかの男子に『りっちゃんのこと好きだろ』って言われて、顔赤くしてたもん」

「それ聞いてたの!?」

「うん、わたしが居る教室でみんなで話してた」

 そう言う京ちゃんの顔は、最高に得意そうだった。



 強い雨が降った日のことだ。いつもなら、その時間は体育の授業があるはずだったが、雨が降ったために自習となったのだ。

 わたしはいつもの通り、学校の図書室で借りたお気に入りの本を読んでいたのだ。

 そこへ京ちゃんがまるで忍者のように音もなく近づいてきた。

「りっちゃん。なんの本読んでるの?」

 素直に話せばバカにされる気がしたので、何も言わずに視線だけを京ちゃんに向けた。

 しかし、京ちゃんは顔を近づけて覗き込んでくる。何かに興味をもったときの京ちゃんは、少しだけ目を大きく開く癖があって、結構可愛いと思う。

「詰め将棋にゅうもん?」

「……うん」

「りっちゃん。それちょっとおじさんくさい」

 京ちゃんの率直な意見に、わたしは少しだけイラっとしてしまった。

「おじさんくさいから、やめた方がいいと思うよ?」

 たぶん、京ちゃんなりの心配ではあったのだろう。京ちゃんは普通と違うことをして、わたしがいやな目にあわないかと考えてくれたんだと思う。

 わたしは、そう判りながらも、頭ごなしに将棋をバカにする京ちゃんに腹を立ててしまった。

「京ちゃん。そうやってバカにするけど、将棋のことをどれだけ知っているの」

「え……おじさんとかがよくやってるお遊びじゃないの?」

 あまりといえばあまりの言葉に、わたしの頭は、音がなりそうなヤカンのごとく沸騰寸前だった。

「違うよ! そもそも将棋っていうのは日本を代表する遊戯なんだよ」

 京ちゃんは目を丸くして呟いた。

「りっちゃん、難しい言葉知ってるね」

「すごく戦略性も高いし、とっても楽しいんだよ!」

 気がつけばクラス中の視線がわたしに集まっていた。

 クラスメイトたちが口々に呟いている。

「……りっちゃんが一人で叫びだした」

「うちのお父さんもああいう本読んでる」

 そういえば、京ちゃんはとても影が薄いのだ。意識しなければそこにいるとも判らないし、声だって小さい訳でもないのに聞き取れない。小声で話されると、何を言っているかも認識できないのだ。つまりはそういう病気だということだ。

 わたしはクラスメイトたちの方を向いて、慌てて言った。

「ち、ち、ちがうの。今のは京ちゃんと話してて……」

 クラスメイトたちは、こそこそとささやきあう。。

「京ちゃん? 誰だっけ」「確か百瀬の妹だろ?」「でもどこにいるんだ?」「りっちゃん一人で話してるように見えた」

「京ちゃんと話してたんだって! 本当だよ!」

 わたしが半ばやけになりつつ叫ぶと、京ちゃんが小さく呟いた。

「でも、将棋はおやじくさいよ」

 その声にわたしは、まるで熱湯に指を入れてしまったときのような速さで返事をした。

「おじさんっぽくなんかないよ! 将棋はいいものなの!」

 叫んだあとにわたしは気付いた。わたしを囲んでいたクラスメイトたちが、一歩後ろに下がっていることに。

「そ、そうだよね……」

「将棋はいいんだよね。きっと。おじさんくさくなんか、ないよね」

 クラスメイトたちは苦笑いをしていた。

 いきなり叫びだしたわたしのことが、怖かったのかもしれない。

 その後、しばらくの間わたしのあだ名は『将棋親父』となった。

 わたしはそのあだ名で呼ばれ続けるのだろうかと、先のことを思うと暗い気持ちとなった。

 数週間で元の『りっちゃん』という呼び方に戻った。うれしくてちょっとだけ涙が出たのは秘密だ。



 ある日、担任の先生が子どもを産むとかで長いおやすみをとった。代わりの先生がきたのだけれど、わたしたちにとって良い先生ではなかった。

 宿題の量は多いし、授業で質問に答えられないと、ものすごく怒る。

 先生は生徒の中でも、京ちゃんのことが一番嫌いなようだった。

 たしかに京ちゃんは出席をとるときとかに手間がかかるし、授業に出ているかさえ意識しなければ判らない。

 先生にしてみれば扱いづらい生徒だったのだろう。そのためか、京ちゃんに対する風当りは強かった。

 給食の時間のことだ。京ちゃんは給食のプレートが配られないことがよくある。

 先生はそれに気付かなかった。

「それでは、いただきます」

 先生が食事の挨拶をすると、クラスメイトたちがそれに続く。

「「いただきます」」

 先生がシチューをスプーンですくって、口に運ぼうとしているところで、わたしは立ち上がって発言した。

「先生、京ちゃんのご飯がまだ配られてません」

 先生は眉をしかめると、小さく小さく呟いた。

「ったく……めんどくさいな」

 京ちゃんはつらそうに顔をしかめてから、すくっと立ち上がった。

「……京ちゃん?」

 クラスメイトのほとんどが、京ちゃんの行動に気付かなかった。京ちゃんのほうに目をやっている子も何人かいたから、その子たちは気付いているかもしれなかった。

 京ちゃんは先生の脇へと立ち、でろーん、とよだれを垂らした。

 そのよだれは、先生のシチューめがけてちていった。

「……京ちゃん!?」

 京ちゃんの行動を見ていた人たちが、口をぽかんと開いた。

 先生はそのことに気付かず、もう一度食事の挨拶をした後に、シチューを口へと運んだ。

 それを見て、クラスメイトの一人がわたしに話しかけてきた。

「ねえ、りっちゃん。今京ちゃん、すごいことしてなかった?」

 わたしはコクンと頷いた。京ちゃんの蛮行は噂となってクラス中に広まった。

 先生のことが嫌いだった生徒たちは団結し、京ちゃんに対して熱烈なエールを送った。今まで陰で生きてきた京ちゃんにとって、それは強力すぎるエンジンだった。

 調子に乗った京ちゃんは、先生に様々な嫌がらせを行ったのだ。

 授業中に黒板けしを投げつけたり、

 座ろうとした椅子を後ろから引っ張って転がしたりと、やりたい放題だった。

 クラスの男子は調子に乗って色々なことを京ちゃんにお願いしていた。

 わたしは京ちゃんを止めたが、今まで誰からも気にされなかった京ちゃんは止まらない。

 クラスの男子は面白がって煽るばかりだ。

 そんな状況で、京ちゃんの悪行がばれない訳がなかった。

 先生は両親と京ちゃんを呼び出してしまった。



 私は、校門の前で、京ちゃんが出てくるのを手持ち無沙汰に待っていた。どうしても家で一人で待つことができなかったのだ。

 まんまるのお月様がオレンジ色の空に浮かんでいた。

 少しずつ寒くなってきた。

 セーターの袖の部分を伸ばして、両手を中に閉じ込める。

「……」

 私は、今、怒られているだろう京ちゃんのことを想像した。

(京ちゃんは……。多分、ううん、絶対に。うれしかったんだよね)

 本当は行ってはいけない行動でも、それでも『誰かに期待されて行動する』、そんな事は今まで京ちゃんは出来なかったから。

 みんなの先生への反感と、京ちゃんの強いキャラクター、その二つが合わさって、みんなが京ちゃんを認識して、そして一致団結することが出来た。

 それは良くない結果を招いたものだったけど……。

 京ちゃんにとっては凄く、凄く、貴重なことだったんだ。

(やめられなかったんだ。やめたくても、やめられなかったんだ)

 太陽の茜色は、少しずつ山の向こうに吸い取られていった。電灯がともり、そしてやっと正面玄関から京ちゃんと両親が出てきた。

 私を見つけると京ちゃんは飛び込むように走ってきて、私の胸の中に顔を埋めた。

「りっちゃん……わたしっわたしっ」

 うん。

「さみしかったの」

 わかるよ。

「いたずらをするとね、みんなが、わたしをたよってくれたの」

 うれしそうだったもんね。

「でもね、でもね、よくないことやってたの」

 うん。

「最初は楽しかったんだけどね、でも、だんだんダメだなって思ってたの。あたし、ちゃんと判って先生にイタズラしてたの」

 そっか。

「自分がされて、嫌なことを、わかっていて、やってたの……」



 わかってるから。

 おねえちゃんは、

 だれよりも、

 きょうちゃんのことを、

 わかっていられるから。



「りっちゃん。わたしね、ダメな子なんだって。そりゃ、そうだよね。いつも病気で迷惑をかけてるのに、その上イタズラを繰り返して、どんな大人になるかも判らない、ダメな子なんだって」

「京ちゃんはダメなんかじゃないよ。病気だって迷惑なんてかけてないよ」

 私は「素敵な大人になれるよ」という言葉をごくり、と飲み込んだ。

 そして気付いてしまったんだ。

 京ちゃんの病気は、悪化していく。

 大人の京ちゃんを、想像できなかった。

「私ね、京ちゃんがだいすきだからね」

 そう言って。

 不安定な気持ちと、京ちゃんを抱き締めた。

「りっちゃん、りっちゃぁああん……」

 お母さんとお父さんは、私たちの背中をぽん、と押してくれた。

 何も言わず、私たち家族は歩き始めた。

 私の手の中には、まるくて暖かいりっちゃんの手が握られていた。

 

 そして一瞬、そのぬくもりが

 消えた気がしたことを

 私は一生忘れられないだろう。



中学校



 わたしと京ちゃんは中学生になった。

 だんだん、だんだん、京ちゃんは周囲に認知されなくなっていった。

 小学校の頃は影が薄かったものの、クラスメイトにその存在を覚えてもらっていた。

けれど、いまでは京ちゃんのことを認識できるのは、学校ではわたしだけになってしまった。



 寒い冬の日だった。今朝方まで振り続けていた雪は、道路や歩道の上に折り重なり、銀色のじゅうたんを作っていた。

 冷え切った空気が、下からわたしと京ちゃんを攻撃してきていた。

 学校へ向かう途中の京ちゃんの鼻の頭が赤くなっている。

 京ちゃんが着ているのはただのダッフルコートなのに、妙にかわいい。首に巻いた白いマフラーも似合っている。

 京ちゃんからローズマリーの香りがふわりと漂った。わたしが京ちゃんの誕生日にあげた香水。いつもつけてくれているから、わたしの中では、ローズマリーは京ちゃんのにおいとしてインプットされている。

 けれど、このかわいい京ちゃんを見れるのはわたしと、両親だけだ。

 誰にも見えないのに、なんでオシャレをするの? と聞いたことがある。わたしは京ちゃんの返事を聞いたとき、後悔した。少し考えればわかることだったのに、と。

 京ちゃんはこう答えた。

『うん……見えない。見えないんだよね。でもさ、あたしがここにいること、わかってほしいから。精一杯の自己主張。みたいな』

 そういったあと、京ちゃんは笑った。でも、その裏に隠された京ちゃんの感情を思うと、わたしは少しだけ辛くなった。

 京ちゃんの香り……ローズマリーの香りすら、他の人には届かないのだろうか?

 だからわたしが、精一杯いまの京ちゃんを見てあげるんだ。

「京ちゃんは、今日もかわいいね」

「えへへ。りっちゃんもかわいいよ」

 この笑い方は京ちゃんの小さいときからの癖だ。わたしの好きな笑い方。

 雪で舗装され、滑りやすくなった通学路を二人で歩く。

 後ろから、自転車が雪の上を走る音が聞こえてくる。

 自転車はわたしたちの隣に並んだ。

「おはよ。百瀬」

 同じクラスの男子だった。陸上部に入っている、わりとかっこいい人。

「広野くん。おはよー」

「おう」

 広野くんは快活に笑った。

 さわやかな人だと思う。

 京ちゃんのほうを振り返ると、京ちゃんは固くなっていた。

「お、お、お、おはよう。広野くん!」

 でも、広野くんは気付かない。

「そういえば百瀬の妹もいるのか? 見たことないけど、よろしく言っといてくれよ。同じ部活でもあるしな」

「大丈夫。京ちゃんは今の言葉聞いてたから。ね、京ちゃん」

 京ちゃんは目元を朱に染めながら三回頷いた。

「そっか。んじゃ、オレ練習あるから行くよ」

 広野くんが視界から消えた頃、わたしは京ちゃんに訪ねた。京ちゃんはようやく平静を取り戻したようだった。

「ねえ、京ちゃん。広野くんのこと好きなの?」

 京ちゃんは耳まで真っ赤だった。

「え、えへへへ。…………うん」

「……そうなんだ」

「…………実はそう」

 恥ずかしがってもじもじする京ちゃんがすごく可愛く見えて、わたしは何も考えずにこう言った。

「判った。私も協力するからね」

 京ちゃんは嬉しそうな、でも困ったような顔で口を開いた。

「……うん。ありがと、りっちゃん」



 遅刻せずに陸上部の朝練に間に合った。

 といってもわたしは陸上部ではない。栄えある将棋部の一員なのだ。陸上部なのは京ちゃんの方。

 でも京ちゃんは一人でタイムを計ることができないから、わたしが朝練だけ付き添っている。

 雪が積もっていたから、今日の部活は体育館で行うらしい。

 京ちゃんの種目は長距離走だ。

 一五〇〇メートルを走りきるなんて、わたしは考えるだけでふくらはぎが痛くなりそうだけど、京ちゃんは楽しそうに走りきるのだ。

 今日は走りこみをするらしい。三人程度で同時に走り、タイムを計る練習だ。

 いま京ちゃんと二人の陸上部員が一斉にスタートを切った。

 キュッキュ、と走る音がする。

 こういうとき、京ちゃんは他人に見えないから気を使わなければならない。他の部員にぶつからないよう、わざと外側を走って大回りをしている。

「京ちゃん。がんばれー!」

 ただの走りこみだというのに、わたしは声をあげて応援する。そうすることで、周りの人に京ちゃんが存在するってことを理解してもらえると思うから。

「京ちゃーん!」

 今、五週目が終わった。体育館の一周は二〇〇メートルだから、あと二週半だ。

 陸上部員二人がわたしの前を走り去り、その後に京ちゃんが通り過ぎる。いつも京ちゃんは一番前なのに、今日はなぜか一番後ろを走っていた。

「京ちゃーん。がんばってー」

 応援を投げられた京ちゃんは、わたしの方に向かって親指を立てた。

 残り一周半。

 そこで、わたしは京ちゃんが一番後ろの理由に気付いた。

 体育館が狭いからだ。狭い円を大回りで走ると、いつも以上に長い距離を走らなければならないのだ。

「京ちゃん、がんばってー!」

 京ちゃんは、最後の一周一気に加速した。

 他の二人もラストスパートをかけた。だけど、京ちゃんのほうが全然はやかった。

 ぐんぐんと二人に迫っていく。

 京ちゃんは二人とも追い越し、一番はやく一五〇〇メートルを走りきった。

 わたしは手に持ったタオルで京ちゃんの首筋を拭きながら「がんばったね」と声をかけた。

 京ちゃんはうついて、キュっと靴をならした。その響きはどこか悲しそうに聞こえた。



私と京ちゃんは中学校に入ったあたりから交換日記をしていた。毎日の文章に少しずつ京ちゃんの嘆きが増えていった。

 テストの順位の発表の時、二位だった私ばかりが、皆に褒められて、京ちゃんのことは誰も触れなかった。

『あたしのほうががんばって、がんばって勉強してたのになんで? りっちゃんがうらやましい』

 京ちゃんが焼いたアップルパイのことを両親が私に「上手ね」と言ってきた。その後すぐ京ちゃんが作ったと気付いた両親は、凄く反省して謝ってた。

『いやーお父さんとお母さん、酷いったらないよね! パイに塩でも……ぶちこんでやれば良かった! 本当にそうすれば良かったよ。本当に』

 体育のシャトルランの途中、まだ妹ちゃんが走っているのに、音楽が止められてしまった事だってあったのだ。

『いっつも走ってきたのに。一番得意なものだって、途中で止められちゃうなんてさ。りっちゃんが一番だって先生に言われてたよね。りっちゃんは……りっちゃんはさ……』

 どうしようもない病状の悪化に私はどうして良いのかわからなかった。

 京ちゃんはきっと日記でこう続けたかったんだと思う。

 りっちゃんは、ずるいって。



 放課後の教室。円柱の灯油ストーブの近くに椅子を置いて、『週間・将棋』に目を通していく。ぼぉお、という炎の音。教室の窓には音もなく流れ落ちていく雪。

 ふと気がつくと教室で一人になってしまっていた。ひとり。それは今の私にとって少しだけ気が休まる時間でもあった。

 京ちゃんのストレスは、そのまま私に寄りかかっていた。

 もちろん京ちゃんのほうが辛いに決まっている。それでも、あさましい私は心のどこかで思ってしまっていたんだ。

(病気にかかったのは私のせいじゃないもん。それなのに、いつもいつも愚痴を聞かされて、疲れちゃうよ)

 間違っても口に出したりなんてしない。出せるわけがない。

 それでもやっぱり重荷ではあったんだ。

 廊下の奥から、人が走ってくる音が聞こえた。誰もいない廊下は、その走る人の息づかいすら明確に私の耳に届けた。

「お、あーやっぱり居たか。百瀬」

「あ、広野君」

 広野君は、体操服だった。部活の途中なのか、この寒い温度の中、頭の上に湯気を立ち昇らせている。

「あ、あのさ、百瀬」

「ん?」

 広野君は何故か突然黙ってしまって、目線が下へと落ちた。

 走ってきたのは判るけれど、どんどん息が上がっているように感じる。

「……っぁー。男だろっオレっ」

 広野君はそう小さく叫んで、自分の胸をドンと叩いた。

「???」

「俺、百瀬の事好きなんだ。付き合ってほしい」

「は?」

 あまりの突然の告白に私は目をぱちぱちと瞬いた。

「ずっと、遠くから見てた。情けないかもしれないけど、それでも?じゃないよ。なぁ、俺と付き合ってくれないか」

「え、ええっとね……」

 その時、教室の後ろ側の扉が開く音がした。

 私と広野くんは、ばっと振り返った。

 だけど、そこには誰もいなかった。いや、気付けなかっただけなのかもしれない。私はすぐに扉に駆け寄った。そこには、ローズマリーの香水の匂いだけが残っていた。



 私が家に帰り着き、自分たちの部屋にあがった。二段ベッドの上には明かりが供っており、まるまった毛布が見えた。

「京ちゃん……」

 私は梯子に足を掛け、手を伸ばした。でも、その手は大きな日記帳ではたかれてしまった。

 私はゆっくりと、その厚いハードカバーの日記帳を開いた。

「りっちゃん、ずるいよう」

 いつもとっても綺麗な文字を書く京ちゃんの文字が、幼稚園の子が書くみたいに下手で、気持ちをぶつけるようにふるえていた。

『ごめんね、京ちゃん』

 私は、気持ちが伝わるように、ゆっくり丁寧に文字を書いて、ベッドの上の京ちゃんに返した。

『りっちゃんがうらやましくてうらやましくて仕方がないの。いつも私は見つけてもらえない。ずっとずっと見て欲しくて、構って欲しくて、いっしょうけんめいやってきたのに』

 ふたたび返ってきた日記帳の紙面は、ぽたぽたと雨が落ちたように濡れていた。

『ごめんね、ごめんね』

『りっちゃんは悪くないのに。わかってるのに。だいすきなのに』

 息が詰まる。

 こらえきれなくなって、私は二段ベッドの梯子を駆け上った。

「京ちゃん!」

 そこには膨らんだ布団と明かりだけが私には見えた。

 私にも、京ちゃんが見えなくなってしまったのだ。

「京ちゃん?」

身を乗り出した。

「りっちゃん……」

声は聞こえた。でも、それも、耳を澄ませなければ聞き落としてしまいそうだ。

「もしかして……見えてない?」

私は答えられなかった。頷くこともできなかった。

胸がギュッと押し潰れるような気がした。

目の前に京ちゃんが居るはずなのに。

涙はあっという間にあふれてきた。

いっそのこと、このまま眼が萎んで瞑れてしまえばいいと思う。

京ちゃんを見つけられない眼なんて。

「だいじょうぶ……、ここに居るよ」

京ちゃんの優しい声が聞こえる。

「ごめんね」

私は、それを言うのが精一杯だった。

「あたしのほうこそ、ごめん。……ううん、ちがった。ありがとう。……りっちゃんはいつも…………」

京ちゃん言葉の最後は、家の前を走る車の音でかき消された。

私は世界の無神経さに腹がたった。

ほんの少しの間でいいのだ。京ちゃんが喋っている間だけでも、世界中の音が止んでほしかった。

そう思うと、堪え切れなかった。

涙も鼻水も止まらない。最悪だ。

京ちゃんの姿を見なきゃいけないのに、これじゃあ、ローズマリーの匂いだって嗅げない。

泣きじゃくる私の額に、とん、と温かいものが触れる。京ちゃんのおでこ。

京ちゃんの指が、私の涙を拭ってくれる。ついでに鼻水も。

「えへへ……ぺとぺとだ……」

京ちゃんはいつものように笑った。

「ごめん」

「いいよ。……次は、あたしもいっぱい泣くから」

「広野君のこと……」

言いかけた私の唇を、京ちゃんの指がそっと押さえる。

「しかたないよ。知らない人のことは、好きになれないもん」

そう言うと、京ちゃんは悲しそうに微笑んだ。

そう、その瞬間だけは、京ちゃんを見ることができた。

次の瞬きまでの間に、私はしっかりと京ちゃんの顔を眼の奥にしまいこんだ。



なんで、京ちゃんなんだろう。

よく、そう思う。

なんで世界は、こんなに優しい子を、独りぼっちにさせようとするのだろう。



日曜日、京ちゃんがクッキーの作り方を教えてくれた。

広野君にしっかりと答えるためらしい。

それなら、京ちゃんが作ってもかわらないんじゃないかと思ったけど、京ちゃんに言わせれば、私が作ることに意義があるらしい。

お菓子作りが趣味の京ちゃんが指導してくれただけあって、クッキーはなかなかの出来栄えだった。

焼いている間に、私は詰め将棋に夢中になってしまい、クッキーの事を忘れてしまっていたが、京ちゃんがオーブン止めておいてくれたのは、内緒の話。

「でもさぁ」

私は、摘み食いしてる京ちゃんに尋ねた。

「私が焼いたクッキーなんかあげたら、OKしたと思われるよね?」

「そりゃ……(モグモグ)、そうだよ」

あっけらかんとした京ちゃんの声が返ってきた。

「ええっ!?」

「つき合っちゃいなよ。りっちゃんだって、広野君のこと嫌いじゃないでしょ?」

「でも…、だって、京ちゃんは広野君のこと好きなんでしょ?」

「広野君が好きなのは、りっちゃんだよ」

無理無理、と首を振る私に、京ちゃんはあっけらかんと言った。

「他の人だと嫌だけど、りっちゃんなら、まあ許せるかなって。それに……」

「それに?」

「他の人が告るところは覗くわけにはいかないけど、りっちゃんのなら覗けるし」

「見る気なの!?」

「あれ? する気なの?」

そう言って、京ちゃんは「えへへへ」と笑った。

見えなくたって判るもん。ちょっと意地悪な顔をしていたに違いないんだ。



高校



 京ちゃんの病状が悪化してから、姿を捉えられる人は居なくなった。

 京ちゃんの声が届くのも、私だけになった。

 食卓には京ちゃん分の料理も並ぶが、それは気づくと平らげられるようになった。いつも朝には、急いで出ていったのか布団が地面に転がり、陸上部の京ちゃんは一人でグラウンドの外周を走っているのだろう。

 進んでいく毎日は、ただ、物悲しいとしか言えない。

 存在が気薄になったことにすら気づけないということは、そこに哀しみすら見いだせないのだから。

 毎日、交換日記の分量だけが増えていっていた。それでも、京ちゃんの日記には、暗い所なんてまるで見えず、 今日は猫と午後ひなたぼっこをしたとか。空がきれいだったね。とか。

 そんな言葉がつづられるようになった。



 私達の部屋の中心には盤が置かれ、二人で将棋を指していた。

「あ、やるわね……京ちゃん……穴熊とは……」

「むむ。ここで銀を取られると痛いわね。でも、将棋部の期待のルーキーの私には 勝てないわよ京ちゃん! 王手!」

「こら! 気づかれないように飛車を持っていったって分かるわよ!」

 京ちゃんが黙ってしまえば、こんな風にまるで私が虚しい独り言を言っているような一シーンが出来上がる。それでも、私は絶対に文句なんて言わない。言えない。言いたくない。

「きょ、京ちゃん?」

「えへへ ん? なぁにりっちゃん」

 心配で心配で尋ねてしまう。声がまだ届くと信じたくて、京ちゃんすら不安にさせるような言葉を呟いてしまう。

 そして、いつも、私が不安になっているとき、京ちゃんは私の袖を引く。すぐ近くによりそって体温を伝える。ローズマリーの匂いだけが私をほっとさせた。



 いったいいつまで、わたしは京ちゃんを忘れないでいれるだろうか。



 その次の日の朝、目覚めると家族四人のテーブルに三人分の料理しか並べられていなかった。

 私は驚愕し、すぐにお母さんを問い詰めた。

「おかあさん! 京ちゃんの、朝ごはん作ってないよ! すぐに作って」

「きょう……ちゃん? それ、だぁれ?」

 それ、だぁれ?

 仕方のないことなのに、私は声を荒げてしまう。

 いつも定期券の中に忍ばせている写真を取り出して叫ぶ。

 私達が二人がピースをして映った写真。

「京ちゃんだよ! ほら、この写真みて!」

「えっと」

 おかあさんが写真を手にして目を細める。

 いつも笑顔のお母さんの顔が少しずつ、本当に少しずつ曇っていく。

「えっと、えっと」

 捉えられない言葉や、感情を探すように

 その写真の中の何かを探す。

「なにか、なにかね。足りないって思ってたの」

 私は只、その姿を見つめることしか出来なかった。

「その写真の中の子のこと、知ってる。知ってるのに」

 いつも続いていた、当たり前の食卓。

「みつけられなくなっちゃった……みつけられなくなっちゃった……あぁぁあああぁ……」「……」

 みつけられなくなる。

 わたしはお母さんをそっと抱きしめて それから京ちゃんの朝ごはんは私が作ることになった。

 また、袖が引かれる。

「ねぇ、京ちゃん私どうしたらいいの?」



 それでも時間は過ぎていく。悪化していく病気の中でも、京ちゃんはずっと「私」に、いや「私達」に存在を訴え続けた。

 お母さんがフライパンのフタを探せば、それを次の瞬間にはシンクの傍に。お父さんが新聞を捜せば食卓の上に、届けた。

 庭の手入れは京ちゃんの仕事になって、それはもうきれいに整備されるようになった。

 一個だけ増えた鉢植えにはローズマリーの花の苗が植えられていた。

 それと、猫がたくさん庭に居つくようになった。今となっては十匹以上がローテーションを組んでうちに餌をもらいにやってきているのだ。そして時に何かの中心でくるくると猫たちは回っていた。

「きょーちゃん」

 だから私は呼ぶ。

「りっちゃん」

 やまびこのように帰ってくる。

「もう、寒いからおうちの中はいりなよ」

「んーもーちょっと!」

「風邪ひいたらどうするのー」

「えへへ大丈夫、大丈夫。体、丈夫だから」

 明るい声で、どんな顔をしてるの?

 本当に今も一緒に私達は学校に行くことができてるの?

 ねー。京ちゃん。

今日はどんな格好をしてるの?

私と違って、可愛いもの好きだから、今だってオシャレしているはず。運動もするから、スマートなんだろうな。

好きな人だって居るんでしょ?

雑誌の相性占いのところに、印つけたりしてたもんね。

なんでだろう?……消えていくのは私じゃないのに、一番辛いのは京ちゃんなのに、細い糸で締めつけられるみたいに、痛い。私の心。

「りっちゃん? また泣いてるの?」

気づくと、私の居る縁側に猫達が寄って来てる。見えない足に体を摺り寄せながら。

「京ちゃん……」

声をするほうを見上げても、京ちゃんの顔は見えない。眼を見たいのに、どこにあるのか判らない。京ちゃんの身長だって知らないのだ。

「京ちゃんは怖くないの?」

「怖くないよ」

耳の近くで、優しい声。

「悲しくないの?」

「うん。悲しくないよ」

「なんで? 消えちゃうんだよ? 声だって聞こえなくなっちゃうんだよ?」

「…………うん」

しっかりとした声だけど、少し間があった。

「京ちゃん、無理しなくていいんだよ?」

「あたし、無理なんてしてないよ」

「ウソ!」

私は思わず叫んでしまった。

「クラスの皆とディズニーランドに行きたいって言ってたじゃない!」

それなのに、クラスには京ちゃんの存在を知っている人すら居ないんだ。

「広野君とだって、付き合いたかったのは京ちゃんじゃない!」

結局、広野君とは中学を卒業する前に別れてしまった。

「うん」

「なのに悲しくないだなんて……、私にまで、そんなウソついて強がらないでよ!」

京ちゃんは、しばらく答えなかった。

足元では一匹の猫が、首を伸ばして気持ちよさそうに喉を鳴らしている。

やがて、京ちゃんは呟くように言った。

「だって……、悲しいのは、りっちゃんほうでしょ?」

「え?」

「たしかに、あたしは不幸じゃないもん。りっちゃんは、あたしに同情しているだけなんだよ」

その言葉を聞いた瞬間、私の頭は沸騰してしまった。

いろんな事を怒鳴ったと思う。

いつも心配させられたこと。

京ちゃんを気にかけていたら、友達が減ったこと。

付き合ってしまったせいで、広野君と喧嘩別れをしてしまったこと。

他にもいっぱい。たぶん、京ちゃんの所為じゃないことばかりだったと思う。

私が言いたいことだけ言い捨てて部屋に入っても、京ちゃんはしばらく縁側に居たのだろう。それでも、日が暮れる前には、猫たちも居なくなっていた。

「きょーちゃん。ご飯だよぉ」

夕食のとき、どこかに居るだろう京ちゃんに声を掛けた。だけど、返事は無かった。

でも、食いしん坊の京ちゃんのことだから、すねながらも食卓には来ているだろうと思って、私たちは「いただきます」をした。

だけど、両親と私が食べ終わっても、京ちゃんのご飯は減ってなかった。おかずだって、京ちゃんの好きなチンジャオロースだったのに、いっぱい残ってる。

「京ちゃん? 食べないの?」

返事は無い。

もしかして、怒って部屋にいるのだろうか、と思い、二階の私たちの部屋にいってみるが、電気はついて居ない。

「京ちゃん? 居るの?」

やっぱり、返事は無い。

私は焦った。

「ごめんね。京ちゃん! 謝るから! 出てきて!」

大きな声で言いながら、家中を探し回った。それでも、京ちゃんは返事をしてくれない。

「お願い! 京ちゃん!」

それでも探した。

「律子、どうしたの?」

母さんが心配そうに声を掛けてくる。

「京ちゃんが居ないのよ!」

「え?」

不思議そうな顔をしている母さん。そんな場合じゃないのに!

玄関にいってみると、京ちゃんの靴が無い。慌てて、ドアを開けて見ると外は雨だ。

「出てっちゃったんだ……」

京ちゃんのお気に入りの傘は置きっぱなしだ。私はそれを掴んで、とび出した。

「京ちゃ?ん!」

どこに行ったのか判らない。

よく猫と遊んでる公園にも行ってみて呼びかけたけど、答えはない。

いつも立ち読みをするコンビニにも行ってみたが、居ない。

私は町中を走り回った。

途中、お巡りさんに会ったので、

「すみません。京ちゃんを……」

と言いかけて、すぐにやめた。

私以外の人じゃ見つけられない。

(どうしよう!)

京ちゃんが、雨に濡れて風邪をひいたらどうしよう。お医者さんにだって行けないのに。

知らないところで、車にひかれちゃたらどうしよう。見つけてあげられなかったら、ずっと一人ぼっちになっちゃう。

京ちゃん。京ちゃん。

走りながら叫んで、叫びながら探した。

でも見つからない。

どんどん怖くなってきて、頬を伝う雨に涙が混じった。

(泣いてばかりだ。私の眼は)

そんな暇があるなら、京ちゃんを見つけてくれればいいのに。

靴もスカートもびちょびちょにして走る私を、行き交う人が振り返る。

(私なんかより、京ちゃんを見つけてよ!)

腹立たしくて、悲しくて、私は泣きながら走り回った。



 何処にもいない。

 京ちゃんと、もう会えないのかもしれない。

 いや、見つけるんだ。

 私が見つけるんだ。

 それで、わたしは京ちゃんのこと、ちゃんと知ってるよって伝えてあげるんだ。この寒い雨の中、街のどこかで泣いているかもしれない京ちゃんを、見つけたい。

 私にはもう京ちゃんは見えない。

 だから、道を歩く猫を探した。

 京ちゃんが猫を引き連れているかもしれないから。

 何匹もの猫を見つけた。

 でも京ちゃんは見つからない。

 もしかしたら、もうすれ違ったりしているのだろうか。

 京ちゃんが声をかけてくれなかったかもしれない。

 私に愛想をつかせてしまったなどという考えが頭の中に浮かんでくる。

「……京ちゃん」

 いいや、そんなことはないはずだ。

 私いは必死で京ちゃんを探した。でも、見つからない。

 そこで私は気付いた。

 もう、京ちゃんの声も聞こえなくなってしまったのかもしれない。

 視界が滲んだ。



 私は肩を落として家へと帰り、シャワーを浴びた。両親が心配していたが、何を言っているかはいまいち理解できなかった。

 きっと頭が疲れているのだろう。

 部屋に戻ると、ベッドの上に交換日記がおいてあった。

 開いてあるページを見る。

『りっちゃん。

……りっちゃんにも、あたしの声が聞こえなくなっちゃったみたいだね……。雨の街中で、探してくれて、ありがとうね。あたし、ずっと近くにいたんだ。りっちゃんに気付いてって叫んでたんだ』

 目の前で、何もない空間で、日記帳にただ文字だけが次々と増えていく。たどたどしい文字が、ゆっくりと綴られていく。

『でも、りっちゃん、聞こえなかった。これって、いつもあたしが迷惑かけてた仕返し? ううん。そんなことりっちゃんがしないのは、わかってる。でも、そうであって欲しいんだ……』

 私は綴られていく文字を見てると、鼻の奥がツンと痛くなった。

 しばらくして、また文章が書かれていく。

『りっちゃん、あたしの声は、きこえますか?』

「聞きたいよ。京ちゃんの声、聞きたいよ……。ねえ、これって、いつものイタズラだよね……?」

『そうだと、あたしも嬉しいな』

 日記帳が水滴で濡れていく。私のじゃない。それは京ちゃんの涙。

 かちかち、と時計の音がする。

 私はただ、日記帳を見つめていた。

 ようやく文字が書かれ始めた。京ちゃんは迷っていたのかもしれない。

『ねえ、もう、こうやってお話しするの、やめようよ』

 京ちゃんは突然そんなことを書きだした。……そんなのってない。

「やだよ……。なんで、やめなきゃならないのよ……」

『だってさ、絶対そのうちりっちゃん、つらくなるよ。それに、あたしのこと忘れちゃうと思う』

「忘れない。私が京ちゃんのこと、忘れるわけないじゃん。私が誰よりも京ちゃんを見てきた。誰よりも京ちゃんを知ってる」

『お母さんだって、あたしのこと忘れてた。りっちゃんも、そのうち忘れるよ』

「忘れない」

『忘れても、いいよ』

「忘れないってば!」

『もし、りっちゃんが忘れても、あたしは絶対りっちゃんの気持ち、覚えてるよ。りっちゃんがあたしを好きでいてくれたってことは、消えないよ』

「なんで私が忘れるって決めてかかるのよ……」

『それにね、あたしも辛いんだ。りっちゃんに言葉が届かなくなるんじゃないか。りっちゃんに気持ちが伝わらなくなるんじゃないかって、すごく怖いんだ。……ごめんね』

「京ちゃんの気持ち、わかるよ! わかってるからっ……!」

『じゃあね、りっちゃん。大好きだよ。ありがとう』

「待ってよ、京ちゃん……! 私も大好きだから、一緒に……いてよぅ……」

『あたしはずっと、いるよ』

「京ちゃん! 京ちゃん……!」

 私は叫んだ。けれど、日記の文字は増えない。いくら待っても、綴られない。

 それでも、私は京ちゃんの言葉を待った。

でも、京ちゃんの言葉が返ってくることは、けして無かった。



その日から私は毎日、日記を書いている。



『今日はドーナツを食べたよ。京ちゃんはフレンチ・クルーラが好きだったよね。テーブルの上においておいたから』



『暖かくなってきたね。今日は髪を切ったよ。ちょっと髪型変えてみたんだけど、似合うかな。京ちゃんは今、どんな髪型なのかな?』



『今日は駅前に買い物に行ったんだ。可愛いワンピースがあったよ。京ちゃんが着たら絶対似合うと思う』



『もう暑くなってきたね。海とか、一緒にいきたかったね。今日は水着を買ったんだ。京ちゃんは、どんな体系だったっけ?』



『京ちゃん、最近は何をしているの?』



『京ちゃんのことを忘れないために、似顔絵を描こうと思ったの。けど、京ちゃんはどんな顔だったのか、思い出せないよ。……ごめんね』



『今日はかわいいブレスレットを見つけたから買って来たよ。置いておくね』



『月九のドラマみた? 主役の男の人かっこいいよね』



『友達とライブに行ってきた。初めてのライブ。すごく楽しみだったけど、ちょっとだけ期待はずれ。期待しすぎてたのかも』



『センター試験を受けてきた。志望大学に受かるといいなあ』



『大学に受かったよ。来年から大学生だ。楽しむぞー』







 私は今日も自室で日記を書いている。

 ずっと以前からの癖だ。

 ときどき、誰かに話しかけるように書いてしまうけど、最近ではそのようなこともなくなった。

 なんで書き始めたのかはもう覚えていない。

 だけど、何かきっかけがあった気がする。

 今日も日記をかかないと、だ。

「あれー。私ペン、何処にやったっけなぁ……」

 口にすると、先ほど見たはずのテーブルの上においてあった。

 私はペンを手に取り、日記を綴る。



『友達は気のせいだっていうけど、私の家には妖精がいる気がする。

 探し物はすぐに見つかるし、誰かがいるような気配もする。

 ローズマリーの花だって、誰も世話していないはずなのに、ちゃんと綺麗に成長してるし。

 びっくりだ。

 あとは、何故かうちに猫がすごいよりつく。

 誰もエサなんてあげてないはずなのに、不思議だよね』



「にゃー」

 すぐ背後で猫の声が聞こえて振り返る。

「猫ちゃんか。どこから入ってきたんだろう」

 猫はとことこと私に近づいてくる。

 猫は私との間に、人一人分くらいのスペースを開けて止まった。

 私は再び日記を書くのに戻ろうとする。



「えへへ」



 懐かしい声を聞いた気がした。

 私は振り返って周りを見る。けど、猫しかいない。

「今、君喋ったかなー? って、……まさかね」

 私は呟いて、今日も日記を綴る。

 明日も、

 明後日も、

 日記帳がなくなったら新しい日記帳に、

 私は日記を綴るだろう。

後書き

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作者 紹介作品(管理人投稿)
投稿日:2010/01/11 22:26:42
更新日:2010/01/11 22:26:42
『先生!きょーちゃんがいません!』の著作権は、すべて作者 紹介作品(管理人投稿)様に属します。
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