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作品ID:372
こちらの作品は、「批評希望」で、ジャンルは「一般小説」です。
文字数約6939文字 読了時間約4分 原稿用紙約9枚
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Let It Die
作品紹介
戦争、飛行兵、少女、終戦、空、飛翔の意味。 原曲・Foo Fighters
東の空はゆっくりと金色に染まり始め、基地の滑走路に眩しい光を落とした。雲は高い位置に流れ、そのどれもが浅く曙の色に輝いている。鳥の影が時々、基地の朝空を横切った。予報によると今日一日、天気は快晴らしい。
格納庫から引っ張り出された戦闘機の周囲には人が群がっている。鋼鉄の翼を朝陽に煌めかせ、機体の先端に組み込まれたプロペラが排気と轟音を伴って回転している。飛行前の、整備員達によるエンジンテストだ。その後ろにも、同じように轟音を上げる機体が何機も控えていた。
その滑走路から少し逸れた小さな丘で、飛行服を着た少年と、彼の幼馴染である少女は並んで腰を降ろしていた。二人の目は、これから飛び立つのを今か今かと待つ鋼鉄の鳥の群れへ向けられ、互いの手は、草地の上でそっと触れ合っていた。
「そろそろ、出発だ」 少年の口調は諦めたような憂いを帯びていたが、その声は澄んだ大気を貫くかのように通る、低い、不思議な声帯だった。
大人になりかけたその少年の声が、少女は大好きだった。
「わたしも行きたい」 少女は遥かな空を仰いで呟いた。
「無茶言うなよ」 少年は可笑しそうに笑って首を振った。
「ねぇ、今度はいつ帰って来るの?」 少女は尋ねた。
「わからない。でも、せいぜい三日くらいだと思う」
「そう……、ずいぶん長いのね」
「三日なんてすぐだよ」 少年は少女の黒髪を指で梳き上げ、そして自分の胸元へ静かに引き寄せた。 「戦争が終わってくれれば、もっと早く帰れるんだけどね」
「飛ぶの、嫌い?」 少女は優しく訊く。
少年は首を振った。
「飛ぶのは大好きだよ」 そして、その笑みを僅かに暗くして俯きがちになる。 「ただ、人を撃ち墜とすのは嫌いだ」
「どうして?」
「臆病だからだよ、僕は。それが楽しいって奴もいるけど、僕には解らない」 少年は言ってから、少しの間だけ口を噤み、そしてまた少女の瞳を見た。 「いや、嘘だ。僕は、楽しんでいる。雲の上で敵機を墜とした時、僕は笑ってポーズしているんだ。僕が嫌いなのは、それに歓びを見出している僕自身なんだ」
「じゃあ、どうして飛ぶの?」
「そりゃ……、戦争だからさ」 少年は目を逸らし、卑屈な笑みを浮かべて溜息をつく。
それも嘘だ、と少女は察したが、口にするのはやはり躊躇われた。
少年は朝焼けの空を眺めている。その目線の先にあるもう一つの世界こそが、彼の本当の居場所なのかもしれない。少年が生命の無い大空を愛している事を、少女は知っていた。あるいは、そう、『飛ぶ』という行為に対する少年の愛が、自分に対する愛情よりも深いのでは、という事にも彼女は勘付いていた。だが、なぜそこまで駆り立てられるのか、理由については知らなかった。
それを口にするのは怖かった。
その疑問を口にしてしまえば、その瞬間に、全てが終わりを告げてしまうような気がしていたのだ。
けたたましいエンジンが止み、号令の笛が滑走路に響いた。
「行かなくちゃ」 少年はヘルメットを拾って、立ち上がる。そして少女に振り返って、その薄桃色の頬にそっと口づけをした。 「必ず、帰って来るよ」
「うん」 少女は彼を強く抱きしめてから頷いた。
ぞろぞろと他のパイロット達も自らの機体へ集まり、乗り込む。少年も愛機のデルタ翼に立って、コクピットに滑り込んだ。シートに座り込んでから、じっと見守る少女に気付き、笑って手を振った。少女は瞳に薄く涙を浮かべていたが、微笑んで手を振り返した。そうしなければ、少年を待ち受ける蒼い大空を前に、自分の存在が忘れ去らてしまいそうな気がしたからだ。
整備員達が忙しく立ち回り、並んだ戦闘機の斜め前に立った男が両手を伸ばして、親指を上げた。出撃の合図だ。少女はその模様を幾度も見ていたのでわかっていた。
轟音を上げて、機体が滑り出す。一様に灰色である機体の側面には、国旗のペイントが施されている。そこに幾つもの機体が陽を反射させ、滑走路は一瞬、水面のようにきらきらと輝いた。
先頭の機体が加速して走りだし、遠くで浮き上った。車輪が白い腹に格納され、エンジンが噴き上がる。それが何度も続いた。少年を乗せた機体も同じように飛び立ち、平坦な地平線の上空で翼を翻した。機影はあっという間に見えなくなった。後を引くのはエンジン音による耳鳴りだけだった。
やがて、地上には朝の平静が戻って来る。遠い戦地で流れた血を洗ってきたはずの微風は澄み切っていて、少女の頬と黒髪を撫でる。遠い空の上で流れた油と血を吸い取ってきたはずの雲は霞むように棚引き、少女の遥か頭上で漂っている。
少女は少年の辿った軌道をずっと眺めていた。その瞳に溜まっていた涙が零れていたが、それにも気付かず、ただ、少年が描いた出撃の空路を自らの将来への道標のように睨んでいた。
少女は空が嫌いだった。
彼女の父も兄も、空の上で命を散らした。電報には立派な最期だったとしか記されておらず、遺体も何も残らなかった。一人の命が、一人の生きてきた証が、全てその巨大な空に吸い込まれて、消えていった。何度も見上げたその別世界が、今は少女には、神にも似た理不尽な怪物のように映って仕方がなかった。
なぜ、飛ぶことがそんなに素敵なの?
少女は少年の機影が消えた先を見つめながら、呟いた。独りの時には遠慮なく口に出せる疑問であった。
今度こそは、尋ねてみよう。
そして、自分が彼に抱く愛情と、青い空の魅力のどちらが彼にとって深いものか、訊いてみよう。きっと、その質問は彼を困らせるだけなのだろうけど。
少女は暫くしてから踵を返し、滑走路脇の丘から降りた。
たったの三日……、それくらい待てる。
そう少女は心の中で呟いた。
しかし、三日待っても、一週間待っても、とうとう少年は帰って来なかった。
後に、少年の家族の元へ届けられた訃報の電報を、少女も読んだ。そこには、立派な最期だった、としか書かれていなかった。少年の家の軒下からふらふら出た時、晴れた空には儚い雲影が漂っていた。
その年の晩夏に、戦争は終わった。
◇
終戦から八年の月日が経った。
かつての少女は、毅然とした物腰の美しい女へと成長していた。未だ復興の賑わいが収まらぬ小さな町の、小さな出版社で働いていた。彼女の母も健在で、今は二人で、戦火の被害を受けなかった実家で暮らしている。逞しく、前向きに生きているが、もちろん、居間の仏壇には彼女の父と兄の遺影が今も飾ってあった。どちらも飛行服を着て敬礼している写真だ。
少年の家はもう無い。住んでいた一家は終戦の翌年に田舎へと引っ込んでしまった。しかし、女とは馴染みの深い関係だったので、今でも時々、便りをくれた。
出版社の仕事が休みだったある日、女は郊外へと出かけた。バスに乗り、ぼんやりと午前中の町の風景を眺め、時々、空を見上げた。当然だが、空だけは昔から変わらない。八年間、煩わしく喧しく活動しているのは地上だけであった。
郊外の辺鄙な位置にあるバス停で女は下車した。降りたのは彼女一人だけだった。
バスはさっさと扉を閉めて、未舗装の道路を行く。その道路を辿れば、山を迂回する形で一周し、また町中へと行けるのである。そちらへは向かわず、女は草原の道を真っ直ぐ歩いた。
梅雨が明けたばかりなので、蝉の音が盛っていた。草原を挟む梢の隙間からジジジ、とラジオの雑音のように一定に響く。女は白いワンピースだったが、それを聞いているだけですぐに汗ばみ、ハンカチで額を拭った。
この辺は変わってないのね。
少女は誰に言うでもなく、呟いた。草原の先にはかつての飛行基地がある。今は使われていないが、施設はまだ残っている。時代から忘れ去られ、すっかりくすんだその佇みに女は胸を締め付けられるような気持ちに毎度襲われた。その草原から基地へと続く道は、彼女が少年と共に歩いた道だった。
柵へと辿りつき、門の脇にある守衛室に声をかける。すっかり顔馴染みである年老いた整備士がのっそり顔を出した。
「こんにちは」 女は陽射しに目を細めながら微笑む。
年寄りの整備士も頷いて応え、門を開けた。女はその敷地内に足を踏み入れ、大きく息を吸い込むと、アスファルトと初夏の匂いがした。終戦を迎えてからも、女は幾度もここを訪れていた。
「今日が最後だな」 老人は軍手をはめて、守衛室から出てきた。
◇
女は古びた施設の、無人の部屋で着替えを済ませた。長袖に長ズボン、それに通気性も良くないのですぐに汗が噴き出した。しかし、その汗も、これから迎える瞬間への緊張を幾分かほぐしてくれる気がした。
着替え終わって荒れかけた滑走路に出ると、整備士がせっせと格納庫から飛行機を引き摺り出していた。女もそれを手伝って、さらに汗をかいた。完全に取り出した所で、女は数歩下がって、機体の全体を眺めた。
それは戦闘機ではなく、練習用の小型の複葉機だった。故障して放っとかれたものを老人の整備士が修理したものらしい。黄色いカラーのボディに、二枚に重ねられた翼の上部に赤いラインが入っている。ボディはランディングギアに支えられ、先端のプロペラはまだ回っていないが、かつて見た戦闘機のそれのように雄々しく空へ向いていた。
女はヘルメットとゴーグルを受け取り、剥き出しのコクピットに乗り込む。途中で整備士が手を貸し、機器の最終点検を行った。
「この基地も、近々取り壊される事に決まったよ」 老人はレンチを片手に翼から身を乗り出して言う。
「そう……、きっと、そのほうがいいわ」 女は計器メーターと舵を確かめながら応える。
「わしもそう思うが、しかし、寂しい事には変わりがない」
「空を飛べなくなるから?」
「空を知らない者の時代になるからだよ」
女は黙りこんで、地平線を錯覚させる滑走路の果てへ目をやり、その次に空へと目を向けた。快晴の夏空は不思議と、子供の時に見上げたものと違って、幾分か穏やかに見えた。今はもう恐怖はない。
女はその景色に、かつての少年の軌道を思い描く。空を知っていたあの少年は、丘の上で『飛ぶ』ことを好きだと語り、そして空に呑まれて死んでいった。彼を駆り立てたものの正体を、いわば彼の命を奪ったのにも等しいその正体を掴む為に、女は八年間、民間センター通いと独学で航空技術を学んだ。しかし、実際に飛ぶのは今日が初めてだった。だから、今日こそ、長年の疑問が晴れそうな予感がしていた。
「本当にやるのかね?」 無線の簡易説明を終えた後、老人が尋ねた。
「心配しているの?」 女はくすりと微笑み、ポケットから取り出した手帳を見せる。金を工面して取得した資格証だった。 「ちゃんと免許だって持ってるんだから」
老人は肩を竦めた。
◇
イグニッションを入れ、プロペラを回転させる。機体の振動はもちろん、女の体へと伝わった。ふぅっと息をつき、ゴーグルを掛ける。手袋に収めた彼女の手は操縦桿へと掛かり、もう片方はスロットルレバーを握っていた。
とにかく、冷静に。女は深呼吸を繰り返しながら、自分に言い聞かせる。
年老いた整備士は戦時中のように、両腕をこちらへ伸ばして親指を上げる。発進の合図だ。少年の最後の微笑みが一瞬、脳裏をよぎる。
スロットルを上げる。引き摺るように機体が動き出した。両脚のペダルを上手く操作して、角度を補正。道を譲った老人の脇を通り抜ける。
エンジンを吹き上げた。機体が加速し、車輪の感触が激しくなる。あれだけ爆音に聞こえていた排気音は、自分が乗る時はあまり気にならなかった。速度が充分に達した所で、そっと操縦桿を引いた。
加速する景色。
錯綜する重力。
抵抗する風。
女はゴーグルの奥にある目をしばたいてそれを見、体感する。奇妙な浮遊感の後に、景色が地上から離れた。引いていた操縦桿を緩やかに奥へ戻す。あまり引きすぎると、推進力が足りずに墜落してしまう危険があったからだ。
それでも、ぐんぐんと空へと昇っていく。女はあくまで冷静に呼吸しながらも、胸が裂けそうなくらいに興奮していた。指先が小さく震えているのにも彼女は気づいていた。
遠くの木々と施設の屋根を眼下に眺められた所で、女はペダルを浅く踏み、右へ旋回させた。翼を傾かせ、はっきりと地上を見下ろす。先程歩いた草原、山道へ向かう途中のバス停も見えた。
すごい!
女は歓声を上げた。
今度は逆方向へ翼を立て、左旋回へ。僅かに上昇した。頭上を見ると雲が近く、太陽の熱線が眩しかった。
「応答せよ」 スピーカーから雑音混じりの老人の声が響く。
「聞こえています、どうぞ」 女はそこで遅れて緊張しだした。
「調子はどうだ?」
「ええ……、最高です」 女は正直に答えて、また笑いだした。
「こちらからも見える。初の飛行にしては上出来だ、おめでとう」
「ありがとう」 女は答えた。
一しきり旋回を終えた後、女は高度を下げ、また滑走路へ近付いた。だが、着陸するつもりではない。
慎重に舵を操作して、地表すれすれの高度で飛ぶ。そして、ゆっくりとまた機首を上げた。再び空へと開けていく視界に、あの日に見た朝陽を、少年が乗った機体の煌めきを描いた。
そう、この空路は、彼の道。
ここを辿って、彼は戦地の空へと向かった。
一度翼を翻して、しばらく、女はそちらへ方角を定めて飛んだ。高度は段々と上げ、ついに雲に達するほどまで上がった。ここまで来ると、分厚い飛行服に包まれているにも関わらず、女は肌寒さを感じた。夏の陽が暖かく感じられるほどだった。
地上が遠く、空が近い。
行き交う自動車の列。山道に疎らに続く電柱の周りを飛ぶ鳥。東には湾曲した形の漁港に船、純白の飛沫と水面の蒼緑色が際立つ海が見えた。
陽射しが眩しい。女はゴーグルを一度外して、目を拭った。彼女は泣いていた。少し切なかったが、決して哀しくはなかった。むしろ、女のその涙は嬉し涙とも言える、感極まった内情の表れだった。女は独り微笑んで、涙を拭い続けた。
少年が、そして彼の仲間達が飛んだ空は、とても美しく澄んだ景色だった。この空を飛んだ少年の笑顔が目に見えるようだった。
鼓動は早い。
寒いのに浮かび上がる汗。
大気へと散っていく涙の欠片。
うずうずと燃えるように震える四肢。
世界を支配する重力と、それに反発する浮力。
煌めく翼。
吼えるエンジン。
空気を切り裂くプロペラ。
――あなたが触れていたものって、これだったのね。
女は全てを理解した。否、その片鱗に触れたと言うべきだろうか。
何者も存在しない空に、彼女は独り歓声を上げる。
翼を翻し、再び旋回へ入れ、スロットルを押し上げて加速。時々は失速させて、重力に任せてダイブもしてみる。禁止されていたが、ロールも二回転ほどした。
八年の時を経て、かつての少女は、想いを寄せていた少年と初めて心が通じ合った気がした。
彼はこの景色の中で、この風の中で、この蒼穹の中で青春を送っていたのだ。
少年がこの果てのない空で命を落としたことについても女は考えた。もう戦争は終わった。戦うべき相手が、墜とすべき敵がいない彼女には完全にあの日の少年の心境がわかったわけではない。操縦桿を握り、機銃の引金に指を掛けていた少年の心はもう、誰にも永遠に理解ができないのだ。それが、人間の喪失が残す、一番重大なものなのかもしれない。一番重要な物に限って、中々理解ができないものだ。
だが、慣れた町の上空を飛ぶ今の彼女には、不思議と察せられるものがあった。
そう。
自分の命を燃やせる場所が。
きっと、欲しかっただけ。
約束された生の形を。
あるいは、死の形を。
彼は、この蒼穹の中に望んでいたのだろう。
誰にだって、理想があって。
彼の場合は、空だったのだ。
女はもう一度だけ残った涙を拭い、ボディの逆光に目を細め、ゴーグルを掛け直した。燃料はまだあと数十分は飛べる量があった。彼女は再び翼を立て、雲の下から急降下してスパイラルに入れた。
歓声と爆音が、複葉機の描く螺旋に響き渡る。
女はその飛行の愉快さと、生きている事への実感に胸が透き、やがて少年の事も、そして己という存在をも忘れて、ただ飛び回った。
誰の為でも無く、彼女は飛んだ。
それこそが、かつての少年や、彼女の父や兄が抱いていた『飛ぶ』事への意味であったが、女がその真理に自覚的になれることはなかった。
黄色の翼が、陽光にきらりと光った。
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