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作品ID:582
こちらの作品は、「批評希望」で、ジャンルは「一般小説」です。
文字数約8505文字 読了時間約5分 原稿用紙約11枚
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サイコ・ロジカル・ガン・ショット
作品紹介
妹が教えてくれた、驚くほどまともな生きる動機。
半年前に書きました。
自分でもなかなか掴みづらい作品です。
半年前に書きました。
自分でもなかなか掴みづらい作品です。
快調とは程遠い朝。でも、俺の場合、高校を辞めてからの五年間はずっと快調と無縁だから、いつもの朝と言っていい。そもそも時計をよく見たら朝ではない。もう夕方だった。
夏の青い匂いを嗅ぎながら縁側で煙草を燻らせていると、ランドセルを背負ったモノコが玄関側から現れた。赤いスカートに白のブラウス。なんだか懐かしい眺めだなと思う。
「おはよう、モノコ」
「あ、兄ちゃん」声を掛けられるまで、すっかり置物と化していた俺に気付かなかったようだ。「いま起きたの?」
「お前はいま帰りか?」
「うん」
「アイス食うか? 残ってたぞ」
「いいの?」
「俺が買ったアイスじゃないけど」
立ち上がり、そこで自分がパンツ一丁であることに気付く。モノコの教育上どうなのか、と殊勝なことを考える。幼い実妹に対してはいつでも殊勝でいたい俺である。
シャツだけ着てからアイスを持っていくと、モノコは浮かない顔をしていた。ランドセルを脇に置いて縁に座り、子供に似つかわしくない物憂げな表情で庭のコスモスを眺めている。その頬にガリガリくんをくっつけると「うひゃっ」と跳ね上がった。
「どうした、暗い顔して。悩みでもあるのか」
「え? ううん、ないよ」
「兄ちゃんに嘘はよくないな」
「ほんとだよ」彼女はガリガリくんを受け取って一口齧る。
俺は黙って煙草に火をつけ、彼女の隣に座った。軒先から覗ける陽は傾きかけ、空が臙脂色に焼けつき始めていた。
物事は移ろう瞬間が一番綺麗だ。
燃える蝋燭、プリズムを透過する光線、大人へ近づく少年少女、散っていく花。
俺はもう移ろってしまったのだろうか。終着まで辿ってしまったのだろうか。そう考えると、いつも静かな焦燥の煙が俺を燻し始める。
「あのね、わたし、欲しいものがあるの」
俺のSPA(サイレント・プレッシャー・アタック)に根負けしたモノコが口を開いた。
「何だ? 兄ちゃんが買ってやろうか?」
「兄ちゃん、お金あるの?」
「ないけど、まぁ、どっかにかはあるだろ。俺の金じゃないだろうけど」
「それ、なぞなぞ?」
「高尚な物言いで悪いね。何が欲しいんだ?」
「えっと」彼女は一度躊躇ってから、そんなことする必要はないのに、辺りを憚って俺の耳元に囁いた。「鉄砲」
意外な言葉に気が抜けるのを感じた。
「テッポー? 銃のこと?」
「そう」恥ずかしそうにモノコは頷く。
「なんでそんなもんが欲しい? 兄ちゃんはてっきりプリキュアとか妖怪ウォッチ関連のグッズかと思った」
「プリキュアなんてもうみない」妙なところで彼女が反駁する。「兄ちゃんとは違うもん」
「兄ちゃんだって今シーズンは観てないもん。まぁ、いいや。なんで鉄砲?」
「それは……」彼女がもごもごする。「秘密」
「ほぉ、面白い」俺は破顔してみせた。「兄ちゃん、秘密には強いぞ」
「強いって?」
「兄ちゃん、これでも昔は探偵だった」
「嘘つき」
「嘘違う。真実はいつも一つ、体は大人、頭脳は子供」
「じゃあ、当ててみて」
「学校で嫌なことがあったんだろ」
モノコは少し顔を歪ませてから、こくりと素直に頷いた。
俺は気分よくなって煙草の煙を斜め上に吹く。
「どうだ、兄ちゃん名探偵だろ」
「でも、でも!」とモノコがムキになる。「そんなの、生きてれば誰だって嫌なことの一つくらいあるでしょ! 答えになってない!」
どうやら妹は九歳にして俺よりも人生経験が豊富らしい。含蓄のある言葉に思わず頷かされた。
「じゃあ、続けようか」俺は煙草を灰皿に揉み消し、ホームズよろしく優雅な所作で笑みを浮かべる。「銃の用途なんて一つしかない。発砲して人を撃ち殺す為の道具でしかない。ということは、モノコはそれを使って誰かを撃ちたいと思っている。まだ九歳のいたいけな少女が、人をぶっ殺してやりたいと考えている。その相手を考えるのが、つまりこの推理の肝だな、ワトソンくん?」
「ねぇ、兄ちゃん。わたし危ないのかな」
興に乗ってきたところで急にしゅんとされたので、俺は慌ててしまった。
「ちょ、いや、あの、別に危ないってことないよ、モノコちゃーん。誰だって嫌な人の一人や二人はいるだろ? あいつ撃ち殺してやりてぇな、なんて誰だって考えるよ」
「ほんと?」
「ほんと、ほんと。兄ちゃんなんてね、頭の中で百人近く殺してるから」言いながら、さて、俺って今まで百人もの人に出会ったっけ、なんて考える。俺くらいの年齢になれば、普通はそれくらいの人数と話したりするのだろうか。「日本ってアメリカと違って銃が規制されてるだろ? それはやっぱり、日本の国民性がね、島国根性がね、キレた時にぶっ放しちゃうような危ない奴が山ほどいるからだと兄ちゃん思うのね。この平成の世、今や全国民の八十パーセント以上は潜在的サイコパスだと思うんだよ。かくいう兄ちゃんも猟奇作品なんかを愛してやまないし、チャンスがあれば狂人としていつでも惨劇の場に馳せ参じる所存よ。モノコはどう思う? やっぱり国民の八割以上はイカレてると思う?」
「えっと、わかんない」
「モノコはまともだ。普通だ」
「ほんと?」とモノコは顔半分だけ嬉しそうにする。喜んでいいのか迷っている感じだ。
「話を戻そう。モノコは拳銃で誰かを撃ちたがっている。それは間違いない?」
「うん」彼女はこっくり頷く。
「撃ちたいのは学校の先生だな? 怒られたんだろ。だから、今日落ち込んでるんだな?」
彼女はぷるぷると首を振って笑う。
「先生は良い人だもん。あのね、モノコが毎朝花壇に水を上げてるの、ちゃんと見てくれてるんだよ。この間、偉いねって褒めてくれたの。先生ってちゃんと見てくれてるんだなぁってわたし思った」
「へぇ、それは良い先生だ」
俺が今まで出会った教師は誰一人として俺のことなんか見てくれなかったのに、日本の教育現場は日々改善されているのだろう。ひと昔前に流行ったモンスターペアレンツ達による業績かもしれない。違うかもしれない。どっちでもいい。もう学校にはいかない身だ。
「それなら、友達の誰かだな?」
「さぁ、誰でしょう?」モノコがくすくす笑う。楽しくなってきたらしい。
「んー、いつもモノコが一緒に帰ってる、あの子、えっと、名前なんだっけ……」
「ミユキちゃん?」
「そうそう、ミユキちゃんだ、ミユキちゃん。将来ビッチになりそうな子」
「ミユキちゃんは親友だもん」
「いやぁ、女の友情って殺意に変わりやすいじゃん。昼ドラとかでさ、友達同士で男取り合ったりとかさぁ。あれって馬鹿だよなぁ」
「よくわかんないけど、違うよ」そう答えてからモノコはまた顔を暗くした。「時々は、あるけど」
待った、と手をかざした。
「今のは重要なヒントだ」びっくりした顔のモノコを指して俺は言った。「今の感じだと、ミユキちゃんもワンチャン殺していいって感じ」
「そんなことない!」
「兄ちゃん名探偵だからな、鋭いぜ。今日も冴える冴える」
モノコがまた沈み始めてしまった。冗談なのに、九歳の女の子というのは非常にナイーヴなものだ。間違っても銃を持たせてはいけない年齢だ。
「ごめん。ふざけ過ぎた」
「兄ちゃんはいつもふざけてる」
「昔が真面目すぎたからね。もう真面目さが残ってないんだ」
「そういうのが、ふざけてる」モノコが冷たく睨んだ。
俺はふざけてるのだろうか。
これでも充分に、真面目なつもりなんだけどな……。
呼吸をして、飯を食って、排泄して、眠って、ネットを眺めて、将来を無視して、過去も忘れて、ただただ迷路の中で思考してる。
生きているなんて、まるで絡みつく鎖だ。
これだけでこんなに苦しいのに。
こんなに耐えているのに。
それでも俺はまだ、ふざけてるって思われてしまうのだろうか。
真面目と不真面目の境界って、どこにあるんだろうか。
そんなに大事で、目くじら立てるくらいなら、どうして誰も教えてくれなかったのだ?
「ねぇ、兄ちゃん」思考の沼に沈んだ俺の腕をモノコが心配そうに引っ張る。「大丈夫? 気分悪い?」
「いや、大丈夫」俺は慌てて微笑を作った。「元気百倍、兄ちゃんマン」
「わたしね、兄ちゃんが真面目だってちゃんと知ってるよ」
「え?」
「兄ちゃんが外に出られなくなったのは残念だけど、でも、それは兄ちゃんにも辛いことが沢山あって、それでいっぱい傷ついちゃったからだっていうのもわかってる。ママが言ってたから」
「ママが?」ちょっと意外だった。
「うん。兄ちゃんは悪くないよ。だから、気にしないで」
不本意ながらグッときてしまった。本来は恥入って穴に籠もるべき状況であるにも関わらず、妹のいたいけな慈悲に迂闊にも涙ぐんでしまった。アホか。
「ば、馬鹿だなぁ、モノコ。兄ちゃん慰めても何にも出てこないぞ。すっからかんなんだからな」
「兄ちゃんは役立たずなんかじゃない」
「ありがとうな、モノコ。兄ちゃん嬉しい」
「クズでも社会ふてきごう者でもない」
「ん? うん……、ありがとう」
「もえブタでもアニオタでもないもん。シスコンでもないし、ごくつぶしでもない、犯罪者でもない、ゴキブリでもない、ゆとりの典型でもない」
「ちょっと待て。それ誰が言った?」腋の下に変な汗が浮かんだ。「なんで今日、そんなにボキャブラリー豊富なの? ママが言ったの? それともパパ?」
「学校の子」モノコは庭の方へ目を向ける。「あと、近所の人にも言われた」
「なるほどね」俺は頬に痙攣を感じながら頭を掻く。
「男の子に言われたけど、でも、男子だけじゃない。ミユキちゃんも、ハナちゃんも、シズクちゃんも、本当はそう思ってるにきまってる」
「友達疑っちゃいかんよ。友達は宝だ、悪く言っちゃいけない」
どの口で言ってんだ、と自分を罵りたくなる。
お前の不甲斐なさで可愛い妹が罵詈雑言を受けているんだぞ。だいたい、お前友達もいないじゃないか。こんな田舎街で五年も優雅に引きこもり決めてるからこんなことになってるんだぞ。
「だから、鉄砲で撃ってやりたい」
「早まるな、モノコ」俺は兄としての責任、プラスαとβとγくらいの諸々を感じて宥める。「兄ちゃんのせいでごめん。謝る」
「兄ちゃんは皆が言うほど酷い人じゃない」
「うん、そうだね。ありがとう。でも、それだけで殺してやりたいって思うのはどうかなぁ、早計だなぁ」
「兄ちゃん、さっき誰だって人を殺したくなるって言ったじゃん。それが普通だって感じで」
「あ、そうね。うん、そうなんだけどね、その原因が俺にあるってなると、こう、浮かばれないっていうか、責任感じるっていうか……、俺のせいでモノコに銃は撃たせたくないんだよなぁ、兄ちゃんとして」
モノコは答えなかった。口を固く締めて、仇を見るかのように庭の花を睨んでいる。
俺は焦って続けた。
「道徳でも習ったろ? 人を殺しちゃいけないとか、傷つけちゃいけないとか。あ、ていうか最近の小学校って道徳の時間あるの?」
「どうして殺しちゃいけないの?」
モノコは強張った眼差しを向ける。差し迫る斜陽の影の中、九歳の無垢な双眸は妙な凄味を漂わせている。
兄として試されている、と直感した。いつかやってくると思っていた兄の威光を示す日が、まさか今日だとは毛ほども予想していなかった。俺は無意識に居住まいを正してモノコを正面に見据える。モノコもまっすぐに俺を見つめていた。
途端に、俺は目を泳がせてしまった。
「それはお前、あれだよ」むにゃむにゃと答える。「自分がやられて嫌なことは人にやっちゃいけないだろ」
「殺されてもいいっていう人は、どうするの?」
あっさり返ってきた疑問に俺は立ち往生した。
「えー……、そ、そんな人いるかなぁ?」
「いるよ」
淡々として短い返答に、俺はしばし言葉を失って妹の横顔を見つめた。
「もしかして、モノコがそうなのか?」
モノコは防御するように縁の上で体育座りになった。立てた膝に顎を乗せ、怒ったような目で、決壊しそうな目で、庭に向き直る。返答はなかった。
知らなかった。
俺のせいで、妹がこれほど傷ついているなんて。
学校や近所で心ない扱いを受けているなんて。
なんて酷い兄貴だろう。これがアニメや漫画だったら奮起してハイスペックな能力に目覚めるところ。そして、妹に笑顔を取り戻してみせる。そんな戦いに喜んで身を晒してみせよう。
でも、不本意ながら、現実の俺は等身大の俺。
原寸大の俺。
ここにいるのは、見た目通りの、ありのままの俺。
何にもしてこなかった俺。
出来ることは、せいぜいふざけて笑いを取るくらい。
アホが出来ることなんて踊るくらいなのだ。
踊るアホに見るアホ同じアホなら……、なんて、言葉遊びはやめろ!
現実逃避するな!
九歳のガキから逃げてどうすんだ!
「だ、駄目だ、モノコ、それは」俺は溶けて沓脱石に雫を落とすガリガリくんを見ながら言った。「殺されてもいいとか、死んでもいいとか、そういうことは考えちゃいけない」
「兄ちゃんだって考えてるでしょ」
「俺が?」意外な言葉に面食らう。
「兄ちゃんだってよく、もういいや、死んでもいいや、とか言うじゃん。呼吸するのもめんどくせぇとか」
「いや、それはギャグっつーか……」
でも、本当にそうか?
それって、本当に嘘なのか?
毎晩、思ってるじゃないか。
もう死んでもいいやって……、生きていたって、と溜息を吐いているじゃないか。ただ痛いのが怖いから、ほっといても死なないから、腹が減っても飯が出るから、とりあえず死なずに済んでいただけじゃないか。
周りがどんどん流れていって、ここに留まっている自分だけが惨めで、腐敗ぶりが我ながらもう凄くて、ふんぷんと臭ってしまって、無理やり蓋をして、息苦しくなってしまって、どうしてこんなことになったんだっけとか考えたりしながら、今日も明日も昨日と同じように過ごしたりして……。
やめろ、やめろ!
この期に及んでまだ思考で遊ぶつもりか。
まともに考えることもできないのか。
「俺のはギャグ」素早く深呼吸してから俺は言った。「でも、モノコはギャグでもそういうの考えちゃ駄目だ」
「どうして?」
「悲しくなるからだよ」微笑する。「俺も、パパもママも、そういうモノコ見ると悲しくなるから」
「じゃあ、兄ちゃんだって、やめてよ!」モノコが声を震わせた。「兄ちゃんがそういうこと言うと、悲しくて、怖くなる」
「お……」妹の激昂に思わず怯んだ。
「嘘でもそういうこといわないで」
「わ、悪かった。ごめん」
「約束して。もう言わないって」
「する。ごめんなさい」両手をついて深々と頭を下げる。「すいませんでした」
木星のように重たい沈黙が落ちてきた。俺は必死に会話の接ぎ穂を探す。
「えっと、何の話だっけ……、そうそう、モノコ、銃が欲しいんだよな。それで誰かを撃ち殺したいと……、そういうことっすね?」
「そうっすね」モノコはこちらを見ずに頷く。
「その誰かは、えっと、じゃあ、学校の子とか近所のおっちゃんおばちゃんでいいのかな?」
しかし、今度は、モノコは頷かなかった。俺は肩すかしを食ったような心地になる。
「あれ? 違った?」
「兄ちゃんのこと悪く言う人達は嫌だと思ってる」
モノコはそれだけ答えて押し黙ってしまう。再び、目線は庭へ。どうやら、今の言葉がヒントらしい。
俺は煙草を銜えて火をつける。その仕草の合間にも考えた。
俺のせいで、モノコは色んな連中に嫌なことを言われている。
でも、撃ち殺したいのはそいつらじゃない?
なぜだ?
俺だったら、迷わずにそいつらを撃つ。
そいつらが俺を苦しめる存在だからだ。
実際、今でもそいつらを撃ちたくてしょうがなかった。
拳銃がなければ、包丁でもバットでもいい。
復讐というよりは、逆恨みに等しいけど……。
でも、いつか、そんな未来が自分に訪れるのでは、という破滅的な予感もする。
モノコは違うのか?
じゃあ、誰を撃つ?
妹は誰を撃ちたがってる?
妹が撃ち殺すべき人間は、誰だ?
そこまで考えて。
やっと、気付いた。
モノコが、いつの間にかこちらへ向いている。
微かな悪寒が走るのを感じた。
「あ、なるほどね」俺は納得する。「撃ち殺したいのは、兄ちゃんだな?」
こくりとモノコは頷いた。
「なんで?」煙を吐いて俺は尋ねる。「動機は?」
「どうきって?」
「えっと、理由って意味。殺した動機とか、ドラマとかでよく言うだろ」
「兄ちゃんが死んだら、兄ちゃんが馬鹿にされる理由がなくなるから」モノコは早口に言った。「それに……、兄ちゃんもこれ以上、辛い思いをしなくなるから」
なるほど、と俺はもう一度頷いた。
なぜか、サイコパス診断の有名な質問を思い出す。夫と死別した妻が、葬式で出会った男にひとめぼれして、自分の子供を殺したという内容の心理テスト。妻の殺害の動機の正解を回答できれば異常者の素質があるというやつだ。
「まっとうな動機だ」俺はつい噴き出してしまう。「さすが俺の妹」
「怒らないの?」
「モノコに撃ち殺されるなら兄ちゃん本望だよ。嬉しいくらいだ」大袈裟に肩を竦めてみせる。「銃、無くてごめんな。たぶん、日本じゃ手に入らない」
「でも、わたし、本当は兄ちゃん撃ちたくない」辛抱できなくなったのか、モノコが急に泣き出した。「お願いだから撃たせないで」
そう言って俺のシャツに顔を埋める。びっくりしたが、兄貴冥利に尽きるなぁ、などと俺はくだらないことを考えて、泣いている妹の背中を撫でた。
「おいおい、そんな、泣くことないだろ、モノコちゃん。たとえ話じゃんか、これ」
「だって」と彼女はごにょごにょ漏らす。「兄ちゃん、こんなこと言われて、傷ついたでしょ」
「あ、だから、秘密だったのな」俺はまた笑ってしまった。「お前、結局白状しちゃってるじゃんか」
でも、秘密と呼ぶことで、そこに秘密があるということは既に示されている。本当に秘密なら、それは秘密と呼ばれることすらないのである。
たぶん……、気付いて欲しいという願いなのだろう。
「それは秘密だ」と口にする人は、例外なくその願望を持っているように感じられる。隠しながらも、誰かに解き明かされ、そこにある真意に陽が当たるのを心のどこかで待っているのだ。
私はあなたを殺したい。
だから、どうか、殺したくなるあなたでいないでくれ。
そんな、倒錯して、でも純粋な感じ。
そうか……、そういう動機もあるのだな。
モノコの肩の震えを感じながら、俺は縁側からの風景を見る。陽はさらに傾き、影の輪郭が濃くなっている。庭木は青々と輝き、花壇の花はラインダンスのように咲き誇っている。蝉がどこかで鳴いていた。夏はこれからさらに盛っていくだろう。学校にはやがて夏休みが訪れる。俺の夏休みはどうだったかな、と思い出そうとしても、すっかり遠くてもう何も浮かばなかった。
物事は移ろう瞬間がいつも綺麗だ。
俺はどうなのだろう。
もうずっとこのままなのだろうか。
いつかモノコに撃たれるのを待つだけの人生を送るのだろうか。
それも悪くないな、と思う自分もいる。
今、死んだって、別にいい。
銃が無いのが惜しいくらいだ。
俺を撃つ瞬間、モノコはきっと泣くだろう。嫌だと喚くだろう。それでも最後には歯を食い縛って、嗚咽しながら兄を撃ち殺すに違いない。そういう素質のある妹だ。優しい子だ。彼女の為に、彼女の綺麗な手を汚さない為に、兄として何か出来ることはないのだろうか? 本当に、俺にはもう何もできないのだろうか?
あ……、働こ。
泣きじゃくる妹の頭を撫でながら決心した。
外の世界を想像すると未だに身震いが起こる。呼吸もままならないくらい怖くなる。
このまま社会に戻っても、もしかしたら、駄目かもしれない。
原寸大の俺は、恐ろしく小さくて雑魚な生物だから。
でも、とにかく試しに、雑魚なりにカッコつけて生きてみよう。
せめて、殺される時くらいは、もう少しだけカッコいい兄でいたい。
そんな、まともな生きる動機が、一つくらいあってもいいと思うから。
夏の青い匂いを嗅ぎながら縁側で煙草を燻らせていると、ランドセルを背負ったモノコが玄関側から現れた。赤いスカートに白のブラウス。なんだか懐かしい眺めだなと思う。
「おはよう、モノコ」
「あ、兄ちゃん」声を掛けられるまで、すっかり置物と化していた俺に気付かなかったようだ。「いま起きたの?」
「お前はいま帰りか?」
「うん」
「アイス食うか? 残ってたぞ」
「いいの?」
「俺が買ったアイスじゃないけど」
立ち上がり、そこで自分がパンツ一丁であることに気付く。モノコの教育上どうなのか、と殊勝なことを考える。幼い実妹に対してはいつでも殊勝でいたい俺である。
シャツだけ着てからアイスを持っていくと、モノコは浮かない顔をしていた。ランドセルを脇に置いて縁に座り、子供に似つかわしくない物憂げな表情で庭のコスモスを眺めている。その頬にガリガリくんをくっつけると「うひゃっ」と跳ね上がった。
「どうした、暗い顔して。悩みでもあるのか」
「え? ううん、ないよ」
「兄ちゃんに嘘はよくないな」
「ほんとだよ」彼女はガリガリくんを受け取って一口齧る。
俺は黙って煙草に火をつけ、彼女の隣に座った。軒先から覗ける陽は傾きかけ、空が臙脂色に焼けつき始めていた。
物事は移ろう瞬間が一番綺麗だ。
燃える蝋燭、プリズムを透過する光線、大人へ近づく少年少女、散っていく花。
俺はもう移ろってしまったのだろうか。終着まで辿ってしまったのだろうか。そう考えると、いつも静かな焦燥の煙が俺を燻し始める。
「あのね、わたし、欲しいものがあるの」
俺のSPA(サイレント・プレッシャー・アタック)に根負けしたモノコが口を開いた。
「何だ? 兄ちゃんが買ってやろうか?」
「兄ちゃん、お金あるの?」
「ないけど、まぁ、どっかにかはあるだろ。俺の金じゃないだろうけど」
「それ、なぞなぞ?」
「高尚な物言いで悪いね。何が欲しいんだ?」
「えっと」彼女は一度躊躇ってから、そんなことする必要はないのに、辺りを憚って俺の耳元に囁いた。「鉄砲」
意外な言葉に気が抜けるのを感じた。
「テッポー? 銃のこと?」
「そう」恥ずかしそうにモノコは頷く。
「なんでそんなもんが欲しい? 兄ちゃんはてっきりプリキュアとか妖怪ウォッチ関連のグッズかと思った」
「プリキュアなんてもうみない」妙なところで彼女が反駁する。「兄ちゃんとは違うもん」
「兄ちゃんだって今シーズンは観てないもん。まぁ、いいや。なんで鉄砲?」
「それは……」彼女がもごもごする。「秘密」
「ほぉ、面白い」俺は破顔してみせた。「兄ちゃん、秘密には強いぞ」
「強いって?」
「兄ちゃん、これでも昔は探偵だった」
「嘘つき」
「嘘違う。真実はいつも一つ、体は大人、頭脳は子供」
「じゃあ、当ててみて」
「学校で嫌なことがあったんだろ」
モノコは少し顔を歪ませてから、こくりと素直に頷いた。
俺は気分よくなって煙草の煙を斜め上に吹く。
「どうだ、兄ちゃん名探偵だろ」
「でも、でも!」とモノコがムキになる。「そんなの、生きてれば誰だって嫌なことの一つくらいあるでしょ! 答えになってない!」
どうやら妹は九歳にして俺よりも人生経験が豊富らしい。含蓄のある言葉に思わず頷かされた。
「じゃあ、続けようか」俺は煙草を灰皿に揉み消し、ホームズよろしく優雅な所作で笑みを浮かべる。「銃の用途なんて一つしかない。発砲して人を撃ち殺す為の道具でしかない。ということは、モノコはそれを使って誰かを撃ちたいと思っている。まだ九歳のいたいけな少女が、人をぶっ殺してやりたいと考えている。その相手を考えるのが、つまりこの推理の肝だな、ワトソンくん?」
「ねぇ、兄ちゃん。わたし危ないのかな」
興に乗ってきたところで急にしゅんとされたので、俺は慌ててしまった。
「ちょ、いや、あの、別に危ないってことないよ、モノコちゃーん。誰だって嫌な人の一人や二人はいるだろ? あいつ撃ち殺してやりてぇな、なんて誰だって考えるよ」
「ほんと?」
「ほんと、ほんと。兄ちゃんなんてね、頭の中で百人近く殺してるから」言いながら、さて、俺って今まで百人もの人に出会ったっけ、なんて考える。俺くらいの年齢になれば、普通はそれくらいの人数と話したりするのだろうか。「日本ってアメリカと違って銃が規制されてるだろ? それはやっぱり、日本の国民性がね、島国根性がね、キレた時にぶっ放しちゃうような危ない奴が山ほどいるからだと兄ちゃん思うのね。この平成の世、今や全国民の八十パーセント以上は潜在的サイコパスだと思うんだよ。かくいう兄ちゃんも猟奇作品なんかを愛してやまないし、チャンスがあれば狂人としていつでも惨劇の場に馳せ参じる所存よ。モノコはどう思う? やっぱり国民の八割以上はイカレてると思う?」
「えっと、わかんない」
「モノコはまともだ。普通だ」
「ほんと?」とモノコは顔半分だけ嬉しそうにする。喜んでいいのか迷っている感じだ。
「話を戻そう。モノコは拳銃で誰かを撃ちたがっている。それは間違いない?」
「うん」彼女はこっくり頷く。
「撃ちたいのは学校の先生だな? 怒られたんだろ。だから、今日落ち込んでるんだな?」
彼女はぷるぷると首を振って笑う。
「先生は良い人だもん。あのね、モノコが毎朝花壇に水を上げてるの、ちゃんと見てくれてるんだよ。この間、偉いねって褒めてくれたの。先生ってちゃんと見てくれてるんだなぁってわたし思った」
「へぇ、それは良い先生だ」
俺が今まで出会った教師は誰一人として俺のことなんか見てくれなかったのに、日本の教育現場は日々改善されているのだろう。ひと昔前に流行ったモンスターペアレンツ達による業績かもしれない。違うかもしれない。どっちでもいい。もう学校にはいかない身だ。
「それなら、友達の誰かだな?」
「さぁ、誰でしょう?」モノコがくすくす笑う。楽しくなってきたらしい。
「んー、いつもモノコが一緒に帰ってる、あの子、えっと、名前なんだっけ……」
「ミユキちゃん?」
「そうそう、ミユキちゃんだ、ミユキちゃん。将来ビッチになりそうな子」
「ミユキちゃんは親友だもん」
「いやぁ、女の友情って殺意に変わりやすいじゃん。昼ドラとかでさ、友達同士で男取り合ったりとかさぁ。あれって馬鹿だよなぁ」
「よくわかんないけど、違うよ」そう答えてからモノコはまた顔を暗くした。「時々は、あるけど」
待った、と手をかざした。
「今のは重要なヒントだ」びっくりした顔のモノコを指して俺は言った。「今の感じだと、ミユキちゃんもワンチャン殺していいって感じ」
「そんなことない!」
「兄ちゃん名探偵だからな、鋭いぜ。今日も冴える冴える」
モノコがまた沈み始めてしまった。冗談なのに、九歳の女の子というのは非常にナイーヴなものだ。間違っても銃を持たせてはいけない年齢だ。
「ごめん。ふざけ過ぎた」
「兄ちゃんはいつもふざけてる」
「昔が真面目すぎたからね。もう真面目さが残ってないんだ」
「そういうのが、ふざけてる」モノコが冷たく睨んだ。
俺はふざけてるのだろうか。
これでも充分に、真面目なつもりなんだけどな……。
呼吸をして、飯を食って、排泄して、眠って、ネットを眺めて、将来を無視して、過去も忘れて、ただただ迷路の中で思考してる。
生きているなんて、まるで絡みつく鎖だ。
これだけでこんなに苦しいのに。
こんなに耐えているのに。
それでも俺はまだ、ふざけてるって思われてしまうのだろうか。
真面目と不真面目の境界って、どこにあるんだろうか。
そんなに大事で、目くじら立てるくらいなら、どうして誰も教えてくれなかったのだ?
「ねぇ、兄ちゃん」思考の沼に沈んだ俺の腕をモノコが心配そうに引っ張る。「大丈夫? 気分悪い?」
「いや、大丈夫」俺は慌てて微笑を作った。「元気百倍、兄ちゃんマン」
「わたしね、兄ちゃんが真面目だってちゃんと知ってるよ」
「え?」
「兄ちゃんが外に出られなくなったのは残念だけど、でも、それは兄ちゃんにも辛いことが沢山あって、それでいっぱい傷ついちゃったからだっていうのもわかってる。ママが言ってたから」
「ママが?」ちょっと意外だった。
「うん。兄ちゃんは悪くないよ。だから、気にしないで」
不本意ながらグッときてしまった。本来は恥入って穴に籠もるべき状況であるにも関わらず、妹のいたいけな慈悲に迂闊にも涙ぐんでしまった。アホか。
「ば、馬鹿だなぁ、モノコ。兄ちゃん慰めても何にも出てこないぞ。すっからかんなんだからな」
「兄ちゃんは役立たずなんかじゃない」
「ありがとうな、モノコ。兄ちゃん嬉しい」
「クズでも社会ふてきごう者でもない」
「ん? うん……、ありがとう」
「もえブタでもアニオタでもないもん。シスコンでもないし、ごくつぶしでもない、犯罪者でもない、ゴキブリでもない、ゆとりの典型でもない」
「ちょっと待て。それ誰が言った?」腋の下に変な汗が浮かんだ。「なんで今日、そんなにボキャブラリー豊富なの? ママが言ったの? それともパパ?」
「学校の子」モノコは庭の方へ目を向ける。「あと、近所の人にも言われた」
「なるほどね」俺は頬に痙攣を感じながら頭を掻く。
「男の子に言われたけど、でも、男子だけじゃない。ミユキちゃんも、ハナちゃんも、シズクちゃんも、本当はそう思ってるにきまってる」
「友達疑っちゃいかんよ。友達は宝だ、悪く言っちゃいけない」
どの口で言ってんだ、と自分を罵りたくなる。
お前の不甲斐なさで可愛い妹が罵詈雑言を受けているんだぞ。だいたい、お前友達もいないじゃないか。こんな田舎街で五年も優雅に引きこもり決めてるからこんなことになってるんだぞ。
「だから、鉄砲で撃ってやりたい」
「早まるな、モノコ」俺は兄としての責任、プラスαとβとγくらいの諸々を感じて宥める。「兄ちゃんのせいでごめん。謝る」
「兄ちゃんは皆が言うほど酷い人じゃない」
「うん、そうだね。ありがとう。でも、それだけで殺してやりたいって思うのはどうかなぁ、早計だなぁ」
「兄ちゃん、さっき誰だって人を殺したくなるって言ったじゃん。それが普通だって感じで」
「あ、そうね。うん、そうなんだけどね、その原因が俺にあるってなると、こう、浮かばれないっていうか、責任感じるっていうか……、俺のせいでモノコに銃は撃たせたくないんだよなぁ、兄ちゃんとして」
モノコは答えなかった。口を固く締めて、仇を見るかのように庭の花を睨んでいる。
俺は焦って続けた。
「道徳でも習ったろ? 人を殺しちゃいけないとか、傷つけちゃいけないとか。あ、ていうか最近の小学校って道徳の時間あるの?」
「どうして殺しちゃいけないの?」
モノコは強張った眼差しを向ける。差し迫る斜陽の影の中、九歳の無垢な双眸は妙な凄味を漂わせている。
兄として試されている、と直感した。いつかやってくると思っていた兄の威光を示す日が、まさか今日だとは毛ほども予想していなかった。俺は無意識に居住まいを正してモノコを正面に見据える。モノコもまっすぐに俺を見つめていた。
途端に、俺は目を泳がせてしまった。
「それはお前、あれだよ」むにゃむにゃと答える。「自分がやられて嫌なことは人にやっちゃいけないだろ」
「殺されてもいいっていう人は、どうするの?」
あっさり返ってきた疑問に俺は立ち往生した。
「えー……、そ、そんな人いるかなぁ?」
「いるよ」
淡々として短い返答に、俺はしばし言葉を失って妹の横顔を見つめた。
「もしかして、モノコがそうなのか?」
モノコは防御するように縁の上で体育座りになった。立てた膝に顎を乗せ、怒ったような目で、決壊しそうな目で、庭に向き直る。返答はなかった。
知らなかった。
俺のせいで、妹がこれほど傷ついているなんて。
学校や近所で心ない扱いを受けているなんて。
なんて酷い兄貴だろう。これがアニメや漫画だったら奮起してハイスペックな能力に目覚めるところ。そして、妹に笑顔を取り戻してみせる。そんな戦いに喜んで身を晒してみせよう。
でも、不本意ながら、現実の俺は等身大の俺。
原寸大の俺。
ここにいるのは、見た目通りの、ありのままの俺。
何にもしてこなかった俺。
出来ることは、せいぜいふざけて笑いを取るくらい。
アホが出来ることなんて踊るくらいなのだ。
踊るアホに見るアホ同じアホなら……、なんて、言葉遊びはやめろ!
現実逃避するな!
九歳のガキから逃げてどうすんだ!
「だ、駄目だ、モノコ、それは」俺は溶けて沓脱石に雫を落とすガリガリくんを見ながら言った。「殺されてもいいとか、死んでもいいとか、そういうことは考えちゃいけない」
「兄ちゃんだって考えてるでしょ」
「俺が?」意外な言葉に面食らう。
「兄ちゃんだってよく、もういいや、死んでもいいや、とか言うじゃん。呼吸するのもめんどくせぇとか」
「いや、それはギャグっつーか……」
でも、本当にそうか?
それって、本当に嘘なのか?
毎晩、思ってるじゃないか。
もう死んでもいいやって……、生きていたって、と溜息を吐いているじゃないか。ただ痛いのが怖いから、ほっといても死なないから、腹が減っても飯が出るから、とりあえず死なずに済んでいただけじゃないか。
周りがどんどん流れていって、ここに留まっている自分だけが惨めで、腐敗ぶりが我ながらもう凄くて、ふんぷんと臭ってしまって、無理やり蓋をして、息苦しくなってしまって、どうしてこんなことになったんだっけとか考えたりしながら、今日も明日も昨日と同じように過ごしたりして……。
やめろ、やめろ!
この期に及んでまだ思考で遊ぶつもりか。
まともに考えることもできないのか。
「俺のはギャグ」素早く深呼吸してから俺は言った。「でも、モノコはギャグでもそういうの考えちゃ駄目だ」
「どうして?」
「悲しくなるからだよ」微笑する。「俺も、パパもママも、そういうモノコ見ると悲しくなるから」
「じゃあ、兄ちゃんだって、やめてよ!」モノコが声を震わせた。「兄ちゃんがそういうこと言うと、悲しくて、怖くなる」
「お……」妹の激昂に思わず怯んだ。
「嘘でもそういうこといわないで」
「わ、悪かった。ごめん」
「約束して。もう言わないって」
「する。ごめんなさい」両手をついて深々と頭を下げる。「すいませんでした」
木星のように重たい沈黙が落ちてきた。俺は必死に会話の接ぎ穂を探す。
「えっと、何の話だっけ……、そうそう、モノコ、銃が欲しいんだよな。それで誰かを撃ち殺したいと……、そういうことっすね?」
「そうっすね」モノコはこちらを見ずに頷く。
「その誰かは、えっと、じゃあ、学校の子とか近所のおっちゃんおばちゃんでいいのかな?」
しかし、今度は、モノコは頷かなかった。俺は肩すかしを食ったような心地になる。
「あれ? 違った?」
「兄ちゃんのこと悪く言う人達は嫌だと思ってる」
モノコはそれだけ答えて押し黙ってしまう。再び、目線は庭へ。どうやら、今の言葉がヒントらしい。
俺は煙草を銜えて火をつける。その仕草の合間にも考えた。
俺のせいで、モノコは色んな連中に嫌なことを言われている。
でも、撃ち殺したいのはそいつらじゃない?
なぜだ?
俺だったら、迷わずにそいつらを撃つ。
そいつらが俺を苦しめる存在だからだ。
実際、今でもそいつらを撃ちたくてしょうがなかった。
拳銃がなければ、包丁でもバットでもいい。
復讐というよりは、逆恨みに等しいけど……。
でも、いつか、そんな未来が自分に訪れるのでは、という破滅的な予感もする。
モノコは違うのか?
じゃあ、誰を撃つ?
妹は誰を撃ちたがってる?
妹が撃ち殺すべき人間は、誰だ?
そこまで考えて。
やっと、気付いた。
モノコが、いつの間にかこちらへ向いている。
微かな悪寒が走るのを感じた。
「あ、なるほどね」俺は納得する。「撃ち殺したいのは、兄ちゃんだな?」
こくりとモノコは頷いた。
「なんで?」煙を吐いて俺は尋ねる。「動機は?」
「どうきって?」
「えっと、理由って意味。殺した動機とか、ドラマとかでよく言うだろ」
「兄ちゃんが死んだら、兄ちゃんが馬鹿にされる理由がなくなるから」モノコは早口に言った。「それに……、兄ちゃんもこれ以上、辛い思いをしなくなるから」
なるほど、と俺はもう一度頷いた。
なぜか、サイコパス診断の有名な質問を思い出す。夫と死別した妻が、葬式で出会った男にひとめぼれして、自分の子供を殺したという内容の心理テスト。妻の殺害の動機の正解を回答できれば異常者の素質があるというやつだ。
「まっとうな動機だ」俺はつい噴き出してしまう。「さすが俺の妹」
「怒らないの?」
「モノコに撃ち殺されるなら兄ちゃん本望だよ。嬉しいくらいだ」大袈裟に肩を竦めてみせる。「銃、無くてごめんな。たぶん、日本じゃ手に入らない」
「でも、わたし、本当は兄ちゃん撃ちたくない」辛抱できなくなったのか、モノコが急に泣き出した。「お願いだから撃たせないで」
そう言って俺のシャツに顔を埋める。びっくりしたが、兄貴冥利に尽きるなぁ、などと俺はくだらないことを考えて、泣いている妹の背中を撫でた。
「おいおい、そんな、泣くことないだろ、モノコちゃん。たとえ話じゃんか、これ」
「だって」と彼女はごにょごにょ漏らす。「兄ちゃん、こんなこと言われて、傷ついたでしょ」
「あ、だから、秘密だったのな」俺はまた笑ってしまった。「お前、結局白状しちゃってるじゃんか」
でも、秘密と呼ぶことで、そこに秘密があるということは既に示されている。本当に秘密なら、それは秘密と呼ばれることすらないのである。
たぶん……、気付いて欲しいという願いなのだろう。
「それは秘密だ」と口にする人は、例外なくその願望を持っているように感じられる。隠しながらも、誰かに解き明かされ、そこにある真意に陽が当たるのを心のどこかで待っているのだ。
私はあなたを殺したい。
だから、どうか、殺したくなるあなたでいないでくれ。
そんな、倒錯して、でも純粋な感じ。
そうか……、そういう動機もあるのだな。
モノコの肩の震えを感じながら、俺は縁側からの風景を見る。陽はさらに傾き、影の輪郭が濃くなっている。庭木は青々と輝き、花壇の花はラインダンスのように咲き誇っている。蝉がどこかで鳴いていた。夏はこれからさらに盛っていくだろう。学校にはやがて夏休みが訪れる。俺の夏休みはどうだったかな、と思い出そうとしても、すっかり遠くてもう何も浮かばなかった。
物事は移ろう瞬間がいつも綺麗だ。
俺はどうなのだろう。
もうずっとこのままなのだろうか。
いつかモノコに撃たれるのを待つだけの人生を送るのだろうか。
それも悪くないな、と思う自分もいる。
今、死んだって、別にいい。
銃が無いのが惜しいくらいだ。
俺を撃つ瞬間、モノコはきっと泣くだろう。嫌だと喚くだろう。それでも最後には歯を食い縛って、嗚咽しながら兄を撃ち殺すに違いない。そういう素質のある妹だ。優しい子だ。彼女の為に、彼女の綺麗な手を汚さない為に、兄として何か出来ることはないのだろうか? 本当に、俺にはもう何もできないのだろうか?
あ……、働こ。
泣きじゃくる妹の頭を撫でながら決心した。
外の世界を想像すると未だに身震いが起こる。呼吸もままならないくらい怖くなる。
このまま社会に戻っても、もしかしたら、駄目かもしれない。
原寸大の俺は、恐ろしく小さくて雑魚な生物だから。
でも、とにかく試しに、雑魚なりにカッコつけて生きてみよう。
せめて、殺される時くらいは、もう少しだけカッコいい兄でいたい。
そんな、まともな生きる動機が、一つくらいあってもいいと思うから。
後書き
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