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ドライセン王国シリーズ:滔々と流れる大河のように(冒険者編)
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前書き・紹介
第三章「街道」:第4話「西へ」
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第3章.第4話「西へ」
オステンシュタットについて三日目の朝。今日から西に向かって移動を開始する。
旅人の止まり木亭の女将のフランカには、プルゼニ王国への配達クエストを受けたと偽情報を流しておいた。
盗賊たちが自由にオステンシュタットを出入りできるとは思えないが、何らかの情報収集をするはずだ。
この情報がゴスラーでの情報の補完情報となって、更に引っ掛かりやすくなるはずだ。
盗賊たちとは数日程度の差しかないと考えておいた方が安全だ。
西へ向かう途中で襲われるのが一番厄介なので、少し無理をするが、一日三十マイル=約五十km進んで、できるだけ早くノイレンシュタットに着いてしまいたい。
オステンシュタットからドライセンブルクまでの行程で、最大の難関がオステンシュタットから五十マイル進んだところにある「アーヘンタール峠」だ。
アーヘンタール峠は、王国中央部と東部の境にあるエルム山地を越える峠で、標高は二千mくらいあり、峠自体の高低差が約五百mもある険しい峠だ。
アーヘンタール峠を越えるためには、手前の村「タンネルンドルフ」で一泊してから一日掛けて峠を越えるのが一番安全だそうだ。
行程を考えると、オステンシュタットから三十マイル西にあるアーダスベルクまでが一日目、更に十五マイル進んだタンネルンドルフまでが二日目、アーヘンタール峠を越え、五マイル先の町「クーフシュタイン」まで進むのが三日目といったところになりそうだ。
クーフシュタインから先は緩やかな丘陵地帯となるようなので、一日三十マイル以上は稼げるだろう。後は一日三十マイルを目標に適当な街で宿泊し、まずはドライセンブルクに行く計画だ。
今日は火の月第2週の水の曜、すなわち8月9日に当る。ドライセン王国の東部は標高が高く、真夏の今の時期でも朝はかなり涼しい。
オステンシュタットの西門を出て、大街道(シュトラーセ)を進んでいく。
オステンシュタットを出て十分もすると、大街道は徐々に森の中に入っていく。
最初は深い森ではなかったが、徐々に楢や樫の大木が増え、街道の上にも大きな枝が張り出し、空が見えなくなっていく。
大街道といえども早朝の朝靄の中では、鳥のさえずりと虫の声、風で木の葉を揺らす音くらいしか聞こえない。
俺は静かに馬を進めていく。
大街道は、元々「塩の街道=ザルツシュトーラセン」と呼ばれ、千年位前の古代帝国が建設した街道で、現在の王国中央部にある岩塩鉱山から切り出された岩塩を大陸の中央域に向けて運ぶ運搬路として整備されたそうだ。
その後、古代帝国が崩壊し、いわゆる戦国時代となると、現在のプルゼニ王国付近にできたクラクフ帝国によって西部進出用の軍用道路として再整備され、現在の大街道になったとのことだ。
現在もドライセン王国の軍用道路としても活用されているため、道幅は規格で十八フィート=五・五mに定められている。このため、荷馬車がすれ違うことが比較的容易になっている。
石畳などの舗装はされていないが、定期的に整備もされているらしく、ゴスラー街道よりも移動はかなり楽だ。
オステンシュタットからアーダスベルクまでは緩やかな上り坂になっているが、昨日一日休んでいたため、馬の調子もよく、順調に街道を進んでいく。
昼頃になり、街道の往来はかなり多くなってきた。護衛を伴った大規模な隊商や個人の小さな荷馬車、乗合馬車の他、冒険者らしい徒歩の旅人も多く見られる。
途中の村で何度か休憩をいれ、約十一時間後の午後五時頃に無事アーダスベルクに到着した。宿を探すが、さすがに旅人が多く、この時間に空いている宿は少ない。
一泊十五Sとかなり高級な宿しか見つからなかったが、資金に余裕があるのでその宿に宿泊することにした。
かなり疲れていたので、宿の従業員に馬の世話を任せ、夕食を取った後、体を拭くこともなく、そのままベッドに倒れこんだ。
翌朝、夜明けと共に目覚め、とりあえず水で体を拭き、朝食をとりに行く。
旅慣れていない自分では、一日三十マイルはかなりきつい。
途中でへばってしまっては意味がないので、アーヘンタール峠越えは特に慎重に行くべきだろう。
馬の調子を見てみると、かなり丈夫な馬なのか、調子は良さそうだ。馬を見ていると、きついのは俺の体力がなさ過ぎることが原因かもしれないと思えてきた。
今日はタンネルンドルフまで十五マイル。道はそれほど厳しくなく、朝八時に出ても三時には充分到着できるそうだ。
朝食をとった後、午前八時にタンネルンドルフに向けて出発する。
今日の天気はやや曇っており、アーヘンタール峠のあるエルム山地の山頂付近は雲が掛かって見ることが出来ない。
火の月(八月)は雨が多く、天気が崩れると一週間くらい続くとのことなので、明日一杯は天気がもって欲しいと願っている。
街道を進むと、徐々に標高が上がっていく感じで、植生も少しずつ高山系の植物に変わっていく。周りの風景も深い森から低い潅木類の茂みに変わっていく。
予定通り、午後二時過ぎにタンネルンドルフに到着した。
いかにも高原の村といった感じで、牛や羊などの放牧が多く行われている。
タンネルンドルフは、それほど大きな村ではないが、大街道の宿場町、特に難所の入口ということで宿は多く、旅人向けの店も多い。
今日は早めの到着なので、宿はすぐに見つけることができた。
今日は自分で馬の世話をし、情報収集のため、旅人向けの店に入っていく。
店の中には携行食や酒などの食料品の他に峠越えに必要な雨具や防寒具なども揃えてある。
店の主人に話を聞いてみると、火の月は防寒具が必要なほど寒くはないが、天候が崩れ、峠の頂上付近で立ち往生するとかなり冷え込む。雨具や防寒具はあった方がいいし、念のため、予備の食料を持っていくことも勧められた。
明日の天気について聞いてみると、明日が天気の変わり目らしく、峠の頂上では昼頃から天気が崩れ始めるので、明日出発するなら、できるだけ早い時間に出発する方がいいとのことだ。
クーフシュタインは僅か五マイル先だが、登りがきついので馬でも六時間くらいは覚悟しておく必要があるそうだ。
ローゼンハイム産の蒸留酒があったので、万一の遭難に備えて、それを一壷と甜菜糖で作った甘い菓子を買う。
防寒具と雨具はマントと毛布があるのでそれで代用することにし、購入しないことにした。
通過に六時間掛かるとして、朝六時に出れば、昼頃にはクーフシュタインに到着できる計算なので何とかなるはずだ。
念のため、宿でも明日の天気を確認してみると、主人の話ではやはり明日の昼頃が天気の変わり目との予想だった。
いろいろ情報を集めに行ったが、夕食まで時間がある。
試したかったエールを使っての髪染め実験を行ってみることにした。
宿の主人に湯の準備してもらい、エールを食堂で分けてもらって、部屋の中で毛染め作業をやってみる。
鏡がないので携帯を使って後頭部、側頭部の写真を撮り、確認しながら慎重にエールを浸透させていく。
一応、むら無く出来ているようなので、再び作業を開始した。
一時間ほど掛けてエールを満遍なく髪に浸透させると、多少脱色した感じになり、光に透かすと茶色い髪かなという程度には色が落ちた。
炭酸が弱いためか、元々こんなものなのか、苦労した割にはあまり効果がないような気がする。
結果に完全に満足できなかったが、一応の成果が見られたと自分を慰めるが、その後の洗髪が大変だった。
元々、酵母が多く入っている地元のエールなので、その酸っぱいような甘いような匂いが頭に染み付き、洗ってもなかなか匂いが取れない。
何度か石鹸を使って洗い、ようやく匂いが気にならなくなったかなといった感じだ。もしかしたら、匂いに慣れただけかもしれないが。
宿の主人は帽子をかぶった姿しか見ていないので、髪の色が変わったとは気付かないだろう。
運が良ければ、黒髪の男はここタンネルンドルフで姿を消すことになる。
夕食時も特に何も言われず、主人に明日は早く出発することだけを伝えて、部屋に戻ることにした。
オステンシュタットについて三日目の朝。今日から西に向かって移動を開始する。
旅人の止まり木亭の女将のフランカには、プルゼニ王国への配達クエストを受けたと偽情報を流しておいた。
盗賊たちが自由にオステンシュタットを出入りできるとは思えないが、何らかの情報収集をするはずだ。
この情報がゴスラーでの情報の補完情報となって、更に引っ掛かりやすくなるはずだ。
盗賊たちとは数日程度の差しかないと考えておいた方が安全だ。
西へ向かう途中で襲われるのが一番厄介なので、少し無理をするが、一日三十マイル=約五十km進んで、できるだけ早くノイレンシュタットに着いてしまいたい。
オステンシュタットからドライセンブルクまでの行程で、最大の難関がオステンシュタットから五十マイル進んだところにある「アーヘンタール峠」だ。
アーヘンタール峠は、王国中央部と東部の境にあるエルム山地を越える峠で、標高は二千mくらいあり、峠自体の高低差が約五百mもある険しい峠だ。
アーヘンタール峠を越えるためには、手前の村「タンネルンドルフ」で一泊してから一日掛けて峠を越えるのが一番安全だそうだ。
行程を考えると、オステンシュタットから三十マイル西にあるアーダスベルクまでが一日目、更に十五マイル進んだタンネルンドルフまでが二日目、アーヘンタール峠を越え、五マイル先の町「クーフシュタイン」まで進むのが三日目といったところになりそうだ。
クーフシュタインから先は緩やかな丘陵地帯となるようなので、一日三十マイル以上は稼げるだろう。後は一日三十マイルを目標に適当な街で宿泊し、まずはドライセンブルクに行く計画だ。
今日は火の月第2週の水の曜、すなわち8月9日に当る。ドライセン王国の東部は標高が高く、真夏の今の時期でも朝はかなり涼しい。
オステンシュタットの西門を出て、大街道(シュトラーセ)を進んでいく。
オステンシュタットを出て十分もすると、大街道は徐々に森の中に入っていく。
最初は深い森ではなかったが、徐々に楢や樫の大木が増え、街道の上にも大きな枝が張り出し、空が見えなくなっていく。
大街道といえども早朝の朝靄の中では、鳥のさえずりと虫の声、風で木の葉を揺らす音くらいしか聞こえない。
俺は静かに馬を進めていく。
大街道は、元々「塩の街道=ザルツシュトーラセン」と呼ばれ、千年位前の古代帝国が建設した街道で、現在の王国中央部にある岩塩鉱山から切り出された岩塩を大陸の中央域に向けて運ぶ運搬路として整備されたそうだ。
その後、古代帝国が崩壊し、いわゆる戦国時代となると、現在のプルゼニ王国付近にできたクラクフ帝国によって西部進出用の軍用道路として再整備され、現在の大街道になったとのことだ。
現在もドライセン王国の軍用道路としても活用されているため、道幅は規格で十八フィート=五・五mに定められている。このため、荷馬車がすれ違うことが比較的容易になっている。
石畳などの舗装はされていないが、定期的に整備もされているらしく、ゴスラー街道よりも移動はかなり楽だ。
オステンシュタットからアーダスベルクまでは緩やかな上り坂になっているが、昨日一日休んでいたため、馬の調子もよく、順調に街道を進んでいく。
昼頃になり、街道の往来はかなり多くなってきた。護衛を伴った大規模な隊商や個人の小さな荷馬車、乗合馬車の他、冒険者らしい徒歩の旅人も多く見られる。
途中の村で何度か休憩をいれ、約十一時間後の午後五時頃に無事アーダスベルクに到着した。宿を探すが、さすがに旅人が多く、この時間に空いている宿は少ない。
一泊十五Sとかなり高級な宿しか見つからなかったが、資金に余裕があるのでその宿に宿泊することにした。
かなり疲れていたので、宿の従業員に馬の世話を任せ、夕食を取った後、体を拭くこともなく、そのままベッドに倒れこんだ。
翌朝、夜明けと共に目覚め、とりあえず水で体を拭き、朝食をとりに行く。
旅慣れていない自分では、一日三十マイルはかなりきつい。
途中でへばってしまっては意味がないので、アーヘンタール峠越えは特に慎重に行くべきだろう。
馬の調子を見てみると、かなり丈夫な馬なのか、調子は良さそうだ。馬を見ていると、きついのは俺の体力がなさ過ぎることが原因かもしれないと思えてきた。
今日はタンネルンドルフまで十五マイル。道はそれほど厳しくなく、朝八時に出ても三時には充分到着できるそうだ。
朝食をとった後、午前八時にタンネルンドルフに向けて出発する。
今日の天気はやや曇っており、アーヘンタール峠のあるエルム山地の山頂付近は雲が掛かって見ることが出来ない。
火の月(八月)は雨が多く、天気が崩れると一週間くらい続くとのことなので、明日一杯は天気がもって欲しいと願っている。
街道を進むと、徐々に標高が上がっていく感じで、植生も少しずつ高山系の植物に変わっていく。周りの風景も深い森から低い潅木類の茂みに変わっていく。
予定通り、午後二時過ぎにタンネルンドルフに到着した。
いかにも高原の村といった感じで、牛や羊などの放牧が多く行われている。
タンネルンドルフは、それほど大きな村ではないが、大街道の宿場町、特に難所の入口ということで宿は多く、旅人向けの店も多い。
今日は早めの到着なので、宿はすぐに見つけることができた。
今日は自分で馬の世話をし、情報収集のため、旅人向けの店に入っていく。
店の中には携行食や酒などの食料品の他に峠越えに必要な雨具や防寒具なども揃えてある。
店の主人に話を聞いてみると、火の月は防寒具が必要なほど寒くはないが、天候が崩れ、峠の頂上付近で立ち往生するとかなり冷え込む。雨具や防寒具はあった方がいいし、念のため、予備の食料を持っていくことも勧められた。
明日の天気について聞いてみると、明日が天気の変わり目らしく、峠の頂上では昼頃から天気が崩れ始めるので、明日出発するなら、できるだけ早い時間に出発する方がいいとのことだ。
クーフシュタインは僅か五マイル先だが、登りがきついので馬でも六時間くらいは覚悟しておく必要があるそうだ。
ローゼンハイム産の蒸留酒があったので、万一の遭難に備えて、それを一壷と甜菜糖で作った甘い菓子を買う。
防寒具と雨具はマントと毛布があるのでそれで代用することにし、購入しないことにした。
通過に六時間掛かるとして、朝六時に出れば、昼頃にはクーフシュタインに到着できる計算なので何とかなるはずだ。
念のため、宿でも明日の天気を確認してみると、主人の話ではやはり明日の昼頃が天気の変わり目との予想だった。
いろいろ情報を集めに行ったが、夕食まで時間がある。
試したかったエールを使っての髪染め実験を行ってみることにした。
宿の主人に湯の準備してもらい、エールを食堂で分けてもらって、部屋の中で毛染め作業をやってみる。
鏡がないので携帯を使って後頭部、側頭部の写真を撮り、確認しながら慎重にエールを浸透させていく。
一応、むら無く出来ているようなので、再び作業を開始した。
一時間ほど掛けてエールを満遍なく髪に浸透させると、多少脱色した感じになり、光に透かすと茶色い髪かなという程度には色が落ちた。
炭酸が弱いためか、元々こんなものなのか、苦労した割にはあまり効果がないような気がする。
結果に完全に満足できなかったが、一応の成果が見られたと自分を慰めるが、その後の洗髪が大変だった。
元々、酵母が多く入っている地元のエールなので、その酸っぱいような甘いような匂いが頭に染み付き、洗ってもなかなか匂いが取れない。
何度か石鹸を使って洗い、ようやく匂いが気にならなくなったかなといった感じだ。もしかしたら、匂いに慣れただけかもしれないが。
宿の主人は帽子をかぶった姿しか見ていないので、髪の色が変わったとは気付かないだろう。
運が良ければ、黒髪の男はここタンネルンドルフで姿を消すことになる。
夕食時も特に何も言われず、主人に明日は早く出発することだけを伝えて、部屋に戻ることにした。
後書き
作者:狩坂 東風 |
投稿日:2012/12/16 13:45 更新日:2012/12/16 13:45 『ドライセン王国シリーズ:滔々と流れる大河のように(冒険者編)』の著作権は、すべて作者 狩坂 東風様に属します。 |
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