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「ドライセン王国シリーズ:滔々と流れる大河のように(冒険者編)」を読み始めました。
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ドライセン王国シリーズ:滔々と流れる大河のように(冒険者編)
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
第六章「死闘」:第30話「奇跡」
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第6章.第30話「奇跡」
午後六時四〇分
街道を進む騎士たちの耳に、森の奥からドォーンという低い爆発音が届いた。
だが、厳しい訓練を積んだ騎士たちは無駄口を叩くことなく、馬を進めていく。
ロベルト・レイナルドは今の音を聞き、このまま進ませるべきか悩んでいた。
(今の音は何だ? 大きな岩が落ちたような音だ。このまま部隊を進めても大丈夫だろうか……)
冒険者のアルフォンスがレイナルドに向かって、
「さっきの音は罠を仕掛けた辺りだ。タイガの罠が作動したのかもしれない」
「了解した。全員、このまま進め!」
五分ほど進むとアルフォンスが手を上げて、停止の合図をする。
「ここだ。ここから入っていく」
部隊が停止し、馬から下りると、街道脇の木に大河が殺した盗賊の死体が転がっていた。
レイナルドはその死体を一瞥し、盗賊の一味と判断する。
レイナルドは騎士たちを整列させ、一個小隊に馬の確保を命じ、アルフォンスに、
「案内を頼む。何かあればすぐに下がってくれ。我々が対応する」
アルフォンスは頷き、部隊を先導していく。
午後六時五〇分
森の中を進んでいく騎士たちの中で、シルヴィアは次第に強くなる隷属の首輪がもたらす痛みに、苦しめられていた。
胸の奥を刺すような鋭い痛みが、断続的に彼女を襲っていた。
彼女はその痛みを顔には全く出さず、そして歩みを遅くすることなく、騎士たちについていった。
午後六時五五分
アルフォンスが右手を挙げ、レイナルドに注意を促していた。
「前方から呻き声が聞こえる。ここの辺りから弩と落とし穴の罠があったはずだから、罠に掛かった盗賊かもしれない……上を見てくれ、木の枝にロープが吊るしてあるだろう。その下が安全なルートだ」
十mも進むと、盗賊の死体と重傷者が転がっていた。
レイナルドは盗賊たちを放置することにし、更に先に進んでいく。
シルヴィアの顔色はかなり蒼ざめてきているが、松明のオレンジ色の光のせいで誰も気付いていなかった。
午後七時〇〇分
前方にまだ燃えている木が見え、次第に焦げ臭い匂いがたち込めてきた。
燃えている木の傍には焼け焦げた盗賊の死体があり、そのすぐ先には斬り殺された盗賊の死体が転がっている。
「先に進むぞ。しかし、一人でこれだけのことを……」
レイナルドは大河の能力に感歎していた。罠を駆使しているとは言え、僅か一人で自分たちがあれほど苦しめられた盗賊たちを倒している。
シルヴィアの胸の痛みが突然なくなった。
彼女はこれが凶兆のような気がし、早く大河の下に行きたいと焦りが胸を焦がし始めていた。
アルフォンスが手を上げ、騎士たちを停止させる。そして、彼の視線の先、百五十mくらい先に松明の光が見えた。
「この先に松明が見える!」
レイナルドは先を急ぐように指示を出し、自らも先頭を走っていく。
午後七時〇五分
若い木が倒され、近くの木には盗賊の死体が叩きつけられていた。
彼らはその先にある松明を目指し、その場所を通り過ぎていった。
その時、シルヴィアが騎士たちの列から離れ、一人飛び出していった。
「タイガ! ああ、治癒師を! 早く!」
彼女は大河の姿を見つけ、走り寄っていた。
彼の体には長剣が突き立てられ、彼の周りは大量の血で、雪が赤く染まっている。
彼女は彼の体を抱え、何度も名前を呼んでいる。
「タイガ! タイガ! 私だ、シルヴィアだ! タイガ!」
極弱い息をしているが、彼女の問い掛けにも全く反応しない。
騎士団の治癒師が鎖骨に刺さった剣を引き抜くと、彼の体から更に多くの血が流れ、シルヴィアを濡らしていった。
治癒師とアルフォンスは彼に治癒魔法を掛けようとするが、大河の魔力がほとんど尽きているため、止血すらできない。
治癒師はレイナルドに向かって報告する。
「報告いたします! 副長代理は魔力切れ。このため治癒魔法が掛けられません! 止血も鎖骨の下の動脈であり、我々では手の施しようがありません! 申し訳ありません!」
その治癒師は悔しそうに歯を食いしばり、深々と頭を下げている。
レイナルドは僅かに間に合わなかったことに絶望しそうになるが、すぐに盗賊の残党が潜んでいないかを確認させる。
「周りに盗賊どもがいないか確認しろ!」
彼女は彼の血に真っ赤に染まりながら、彼の命をつなぎとめようと叫んでいた。
「タイガ、死ぬな! 死なないでくれ! 私を一人にしないで……いやだ! いやだ!」
レイナルドは泣き叫ぶ彼女の肩に手を置き、
「シルヴィア殿……」
彼女は彼の命が消えていくのを見守るしかなく、力なく呟いている。
「どうして……どうして、置いていく……私も連れて行ってくれ……頼む……」
大河の体がビクンと動いたのを最後に、彼の息は止まっていた。
「いやだ! 私の命をやる! 魂でも何でもいい! だから、彼を、タイがを連れて行かないでくれ!……誰でもいい! だから……」
彼女の叫び声が突然消えた。
森の空気がにわかに変わる。
木々の擦れる音や松明の燃える音が消え、無音の世界のように音が無くなる。
静寂の中、神聖とも言える清涼な空気が流れ、森が浄化されていくような気さえする。
そして、木々がざわめくように風が吹くと、騎士たちの前に大きな銀色の狼が立っていた。
大河であればすぐに判ったのだろうが、他の者たちは魔物が現れたと思い、武器に手を置き、臨戦態勢になる。
レイナルドは目の前の狼がただの魔物ではなく、知性を持った神獣であると確信した。
(神獣か? 銀色の狼……フェンリルか!)
レイナルドが声を上げずに、手で騎士たちを制した。
銀色の狼はゆっくりとシルヴィアに近づいていく。
『そなたの想いを見せよ。そなたの想いを……』
そう言って、一陣の風と共に銀色の狼は消えていった。
シルヴィアがフェンリルに気付いていたのか、それとも気付いていなかったのか、横で見ているレイナルドには判らなかった。
だが、一陣の風の後、彼女は彼を抱きしめ祈り始めた。
「タイガ、貴方を愛しています。誰よりも愛しています。だから帰ってきて……」
俺は消えていく意識の中で、緑の丘で酒を酌み交わす五人の男たちを見ていた。
その男たちはベテラン然とした冒険者で、車座になって座り、楽しそうに笑っていた。
その中に見慣れた顔、ミルコの顔を見付けた。
「ミルコ、俺も混ぜてくれよ。喉が渇いたんだ」
「タイガ、てめぇはまだ早ぇ。ここは俺たちみてぇなベテラン様しか入れねぇんだよ」
ミルコは犬を追い払うように手を振っている。
そして酒を煽った後、
「それになんだぁ、さっきの戦いは? 俺の方がまだましだったぞ……おめぇはよぉ、俺なんかよりずっと才能があるんだ。もっと強くなれるんだ……」
ミルコは俺の後ろを指差し、
「それに後ろを見てみろ。おめぇはまだここに来ちゃいけねぇんだ。待っている嬢ちゃんたちがいるんだろうが……てめぇ、まさか女房がいなかった俺への当て付けか? 帰れ、帰れ」
俺が後ろを振り向くと、シルヴィア、アマリー、ノーラ、アンジェリーク、カティア、クリスティーネ、レーネの祈りを捧げるような姿が見える。
(何を祈っているんだ? 何で泣いているんだ?……そうか、俺は殺されたんだ……ごめんな、みんな……)
「馬鹿かおめぇは。まだ死んじゃいねぇよ。さっさと帰れ! 何十年かしたら混ぜたやるから、今は帰れ」
悲しそうな、それでいて嬉しそうなミルコの顔を見て、俺はその場を後にした。
「師匠! 今度は混ぜてくれよ。自分だけうまい酒を飲むんじゃねぇよ。俺にも……今度は俺にも……」
俺の目には涙が浮かんでいた。だが、寂しさだけではなく、喜びのようなものも感じていた。
風景が突然変わった。
草原の中にある小さな家。俺はその家の食卓に座っていた。
「本当にお馬鹿さんね。タイガは」
いつものような花が咲いたような笑顔で、彼女はそう言ってきた。
俺は何のことか判らず、「何のことだ? エルナ」と聞く。
エルナは急に悲しそうな顔になり、
「どうしてここに来ちゃうのよ。それは私だって一緒に暮らしたいわ。でも、まだあなたには帰るところ、帰りを待つ人たちがいるの」
「何のことだ、エルナ?」
「本当に判らないの? もう! あの子たちのこと……あなたのことを心配してくれる、それも命を捨ててもいいって言ってくれる、あの子たちのところよ」
その言葉を聞いても、俺の心には何も響かなかった。
俺はその時とても疲れていた。なぜ疲れているのか、判らなかったが、本当に疲れていた。
「なあ、エルナ。俺は休みたいんだ。一緒にいてくれ……頼むよ……」
「もう、本当にしょうがない人ね。そんなこと言われた一緒にいたくなるじゃない……でも、あなたは帰るの。まだ、あなたは残された人のことを考えた? 私はあなたのところに帰りたかったわ……タイガもそうでしょ。私が死んで、悲しかったでしょ……」
俺はエルナが殺されたと聞いた時のことを思い出していた。
「ああ、悲しかった。もう笑いかけてくれないのかと思うと、涙が止まらなかった……」
「それなら、あの子たちが同じ思いをしてもいいの? 私はあの時死んだわ。でも、あなたはまだ帰れるの。あなたが帰ろうと思えば……だから……」
俺はエルナの悲しそうな顔を見て、ここが俺の居場所ではないと思った。
「判ったよ、エルナ。また、会おう。必ず……じゃ、行ってくる……」
「行ってらっしゃい、タイガ……」
シルヴィアは大河が生き返ることだけを祈っていた。
祈り始めてどのくらい時間が経ったのかは判らないが、突然、彼女の心の中に女性の声が聞こえ始めてきた。
「シルヴィアさん。貴女はタイガを生き返らせたいの?」
シルヴィアはその問いにすぐに力強く答える。
「ええ、この人を、タイガを生き返らせる。タイガに生きていてほしい……」
「貴女の想いはそれだけ? 彼が助からなかったら、どうするつもり?」
更にその声は問い掛けていく。
彼女もその問いにすぐに答えていく。
「私は……私も彼を追う。タイガがいなければ生きていけない……」
「そう。じゃ、彼が生き返ったらどうするの? どうしたいの?」
その女性は彼女が想定していない問い、予想外の問い掛けをしてきた。
「えっ? 私は……私はどうしたいのだろう? 置いて行かれるのが嫌だった……ただ、嫌だった……一緒に生きていきたい? 私は……」
シルヴィアは自分が何を求めているのか、彼に何を求めていたのか考え込む。
「そうね。置いて行かれるのは嫌よね……本当にタイガはお馬鹿さんなんだから。残される人のことを考えなさいよ。ふふふ……」
その声はシルヴィアの耳に入ってはいなかった。そして、徐々に彼女の中に答えが浮き上がってくる。
「……私はどうしたい? 共に歩みたい……そんなきれいごとではない。彼の声を聞きたい。彼の体温を感じたい。匂いを感じたい。一緒に笑いたい。一緒に泣きたい。一緒に……彼を感じていたい……」
彼女は彼だけでなく、自分に対しても素直になれなかったことに気付く。
そして、その声は明るい、そして少しからかう口調になる。
「そうよ。彼のことをちゃんと見なさい。貴女もタイガと同じね。本当に不器用なんだから……タイガをあなたのところに返すわ。今度はしっかり捕まえておきなさいね。次に離したら、貰っちゃうから……うそよ、ふふふ……」
シルヴィアはその声の主に感謝の言葉を掛ける。
「ありがとう。本当にありがとう、エルナさん……」
午後六時三〇分。
シュバルツェンベルクの屋敷の中では、六人の女たちが一心に彼の無事な帰りを祈っていた。
彼の帰りを待つ女たちの真摯な祈りを見て、警護の騎士たちも彼の無事を祈っていた。
午後六時五〇分
屋敷で祈る女たちの表情が突然暗くなる。
アマリーは涙を浮かべ、ノーラは唇を強くかみしめている。
アンジェリークは虚空を睨みつけ、カティアとクリスティーネは抱き合うようにして悲しみを堪え、レーネは下を向いて涙をこぼしていた。
騎士たちはその姿を見て、彼に何かあったのではないかと直感した。
午後七時〇〇分
六人は西の森の方を向き、自分たちの祈りが通じなかったのではという想いが更に強くなり、皆、双眸から涙があふれ、遂には嗚咽を漏らしていた。
午後七時〇五分
泣き崩れた六人のうち、アマリーが顔を上げた。
ノーラたち五人も次々と顔を上げていく。
そして、ノーラたちは誰も聞いたことが無い女性の声を聞いた。
「タイガが戻ってくるように強く、強く祈って……」
ノーラはその声に、
「心の底から祈っているわ。でも、私たちの声なんか聞こえていないわ……私たちはあの方に心から愛されてはいないもの……もう駄目……」
アンジェリークも、
「私たちはあの方にとって、妹のようなもの……いいえ、妹なら家族。私たちはあの方に助けられただけの存在。だから、私たちが呼んでも……」
再び、女性の声が聞こえる。
「貴女たちもシルヴィアさんと同じね。本当に不器用ね。私も人のことは言えないけど……ふふふ……あのお馬鹿さん、タイガは貴女たちのことも愛しているわ。本当に何人の女(ひと)を愛せるのかしら? もし、貴女たちが彼のことを愛しているなら、強く祈りなさい。貴女たちが望むことを強く……」
ノーラたち五人は跪き、強く手を握りしめ、一心に祈り始めた。
アマリーも同じ声を聞いていた。
「私はタイガさんを……愛している? よく判らない……私はどうしたいの? タイガさんが死ぬのが怖い? それは私のせいであの人が死ぬから……ううん、違うわ。あの人の声が、優しく“アマリー”って言って貰えなくなるから……駄目ね。私はあの人のためにできることなんか一つもない。いつも何かを貰うだけ……これで愛していると言っていいの?」
アマリーの心にやさしいが力強い言葉が響く。
「貴女はタイガに安らぎを与えたの。自信を持ちなさい。私がいない今、安らぎを与えられるのは貴女だけよ……」
その声は更に続いていく。
「一緒に戦えない? タイガがそんなことを望んでいるの?」
「彼を守れない? タイガはそんなに弱くはないわ」
「貴女は本当は強い人。だから、もっと自分に自信を持ちなさい。そして、タイガが帰ってくる場所を作ってあげなさい。タイガに貴女が待っているって伝えなさい……」
アマリーはその声に頷き、タイガの帰る場所はここだと、強く祈り始めた。
六人は跪いて、祈りをささげるように硬く目をつむり、頭を垂れていた。
彼女たちを見ていた一人の騎士は、暖炉の赤い炎の光の中、六人の姿が白く光っているような錯覚に陥った。
目を凝らして、もう一度見ると、赤い炎に照らされた彼女たちに異常はなかった。
ただ、彼女たちの表情が悲しみから、強い決意を感じさせる表情に変わっていた。
午後七時一〇分
銀色の狼は消えたが、まだ凛とした空気が森を支配している。
シルヴィアの銀色の髪が徐々に白く輝き出し、彼女の体も同じように白く、眩しく輝き始めていた。
彼女の体を中心に白い光が溢れ、レイナルドを始め、騎士たちは彼女の姿を見ることが出来なくなった。
何分が過ぎたのだろう。
彼女の白い光が弱くなり、辺りは元の森に戻っていく。
彼女は大河を抱いたまま、雪の中に倒れていた。
アクセルとテオが近寄り、彼女の体を支えると、大河が息をしていることに気付いた。
「タイガ卿が息を、息をしています! 治癒師! もう一度治癒を!」
アクセルがそう叫ぶと、レイナルドとアルフォンスも駆け寄ってきた。
アルフォンスが慌てて治癒魔法を掛けると、手の施しようが無かった、鎖骨から流れていた血はすぐに止まる。
「何とか、何とかなるかもしれない。治癒師殿、あとを任せる」
シルヴィアはゆっくりと目を開け、
「タイガは、タイガは帰ってきたの?」
いつもの彼女とは別人のように柔らかい口調でテオに聞いている。
「タイガ卿は一命を取りとめたようです。シルヴィア殿も休んでください」
彼女は頷き、大河の胸に抱きながら、「ありがとう、エルナさん」と呟いて、意識を失った。
レイナルドは、部下たちに
「担架を用意しろ。タイガ殿とシルヴィア殿を運ぶ。フックスベルガー、このことをフォーベック殿たちに直ちに伝えてくれ」
アクセルは二人の従士を連れ、街道に駆け戻っていく。
(奇跡なのか……だが、神の奇跡ではない。彼女の、いや、皆の想いが奇跡を起こしたのだろう……)
レイナルドは目の前で起きたことが、理解できると思っていない。だが、心は何が起こったかを正確に感じ取っていた。
彼を助けたいという想いが神獣を呼び、そしてその神聖な空気の下で奇跡が起きた。
東の一神教なら、神の奇跡といっただろう。
だが、この奇跡は神が起こしたものではない。神獣――フェンリル――でもない。
確かにきっかけは作ったかもしれない。
だが、奇跡を起こすのは人なのだと。
(本当にそうなのかは判らない。だが、判る必要があるのか?)
レイナルドは奇跡について考えることを止め、部下たちに盗賊の死体と重傷者の収容を命じた。
(この中にグンドルフがいればこれで終わりなのだが、タイガ殿の近くに倒れていた男がそうなのだろうか?)
彼がその男のカードを確認すると”グロッセート王国カロチャ村”の”グイド”と書かれていた。
「こいつがグンドルフで間違いないようだ。これで終わったんだな」
彼は騎士たちの警戒は緩めず、周りを警戒していた。
午後六時四〇分
街道を進む騎士たちの耳に、森の奥からドォーンという低い爆発音が届いた。
だが、厳しい訓練を積んだ騎士たちは無駄口を叩くことなく、馬を進めていく。
ロベルト・レイナルドは今の音を聞き、このまま進ませるべきか悩んでいた。
(今の音は何だ? 大きな岩が落ちたような音だ。このまま部隊を進めても大丈夫だろうか……)
冒険者のアルフォンスがレイナルドに向かって、
「さっきの音は罠を仕掛けた辺りだ。タイガの罠が作動したのかもしれない」
「了解した。全員、このまま進め!」
五分ほど進むとアルフォンスが手を上げて、停止の合図をする。
「ここだ。ここから入っていく」
部隊が停止し、馬から下りると、街道脇の木に大河が殺した盗賊の死体が転がっていた。
レイナルドはその死体を一瞥し、盗賊の一味と判断する。
レイナルドは騎士たちを整列させ、一個小隊に馬の確保を命じ、アルフォンスに、
「案内を頼む。何かあればすぐに下がってくれ。我々が対応する」
アルフォンスは頷き、部隊を先導していく。
午後六時五〇分
森の中を進んでいく騎士たちの中で、シルヴィアは次第に強くなる隷属の首輪がもたらす痛みに、苦しめられていた。
胸の奥を刺すような鋭い痛みが、断続的に彼女を襲っていた。
彼女はその痛みを顔には全く出さず、そして歩みを遅くすることなく、騎士たちについていった。
午後六時五五分
アルフォンスが右手を挙げ、レイナルドに注意を促していた。
「前方から呻き声が聞こえる。ここの辺りから弩と落とし穴の罠があったはずだから、罠に掛かった盗賊かもしれない……上を見てくれ、木の枝にロープが吊るしてあるだろう。その下が安全なルートだ」
十mも進むと、盗賊の死体と重傷者が転がっていた。
レイナルドは盗賊たちを放置することにし、更に先に進んでいく。
シルヴィアの顔色はかなり蒼ざめてきているが、松明のオレンジ色の光のせいで誰も気付いていなかった。
午後七時〇〇分
前方にまだ燃えている木が見え、次第に焦げ臭い匂いがたち込めてきた。
燃えている木の傍には焼け焦げた盗賊の死体があり、そのすぐ先には斬り殺された盗賊の死体が転がっている。
「先に進むぞ。しかし、一人でこれだけのことを……」
レイナルドは大河の能力に感歎していた。罠を駆使しているとは言え、僅か一人で自分たちがあれほど苦しめられた盗賊たちを倒している。
シルヴィアの胸の痛みが突然なくなった。
彼女はこれが凶兆のような気がし、早く大河の下に行きたいと焦りが胸を焦がし始めていた。
アルフォンスが手を上げ、騎士たちを停止させる。そして、彼の視線の先、百五十mくらい先に松明の光が見えた。
「この先に松明が見える!」
レイナルドは先を急ぐように指示を出し、自らも先頭を走っていく。
午後七時〇五分
若い木が倒され、近くの木には盗賊の死体が叩きつけられていた。
彼らはその先にある松明を目指し、その場所を通り過ぎていった。
その時、シルヴィアが騎士たちの列から離れ、一人飛び出していった。
「タイガ! ああ、治癒師を! 早く!」
彼女は大河の姿を見つけ、走り寄っていた。
彼の体には長剣が突き立てられ、彼の周りは大量の血で、雪が赤く染まっている。
彼女は彼の体を抱え、何度も名前を呼んでいる。
「タイガ! タイガ! 私だ、シルヴィアだ! タイガ!」
極弱い息をしているが、彼女の問い掛けにも全く反応しない。
騎士団の治癒師が鎖骨に刺さった剣を引き抜くと、彼の体から更に多くの血が流れ、シルヴィアを濡らしていった。
治癒師とアルフォンスは彼に治癒魔法を掛けようとするが、大河の魔力がほとんど尽きているため、止血すらできない。
治癒師はレイナルドに向かって報告する。
「報告いたします! 副長代理は魔力切れ。このため治癒魔法が掛けられません! 止血も鎖骨の下の動脈であり、我々では手の施しようがありません! 申し訳ありません!」
その治癒師は悔しそうに歯を食いしばり、深々と頭を下げている。
レイナルドは僅かに間に合わなかったことに絶望しそうになるが、すぐに盗賊の残党が潜んでいないかを確認させる。
「周りに盗賊どもがいないか確認しろ!」
彼女は彼の血に真っ赤に染まりながら、彼の命をつなぎとめようと叫んでいた。
「タイガ、死ぬな! 死なないでくれ! 私を一人にしないで……いやだ! いやだ!」
レイナルドは泣き叫ぶ彼女の肩に手を置き、
「シルヴィア殿……」
彼女は彼の命が消えていくのを見守るしかなく、力なく呟いている。
「どうして……どうして、置いていく……私も連れて行ってくれ……頼む……」
大河の体がビクンと動いたのを最後に、彼の息は止まっていた。
「いやだ! 私の命をやる! 魂でも何でもいい! だから、彼を、タイがを連れて行かないでくれ!……誰でもいい! だから……」
彼女の叫び声が突然消えた。
森の空気がにわかに変わる。
木々の擦れる音や松明の燃える音が消え、無音の世界のように音が無くなる。
静寂の中、神聖とも言える清涼な空気が流れ、森が浄化されていくような気さえする。
そして、木々がざわめくように風が吹くと、騎士たちの前に大きな銀色の狼が立っていた。
大河であればすぐに判ったのだろうが、他の者たちは魔物が現れたと思い、武器に手を置き、臨戦態勢になる。
レイナルドは目の前の狼がただの魔物ではなく、知性を持った神獣であると確信した。
(神獣か? 銀色の狼……フェンリルか!)
レイナルドが声を上げずに、手で騎士たちを制した。
銀色の狼はゆっくりとシルヴィアに近づいていく。
『そなたの想いを見せよ。そなたの想いを……』
そう言って、一陣の風と共に銀色の狼は消えていった。
シルヴィアがフェンリルに気付いていたのか、それとも気付いていなかったのか、横で見ているレイナルドには判らなかった。
だが、一陣の風の後、彼女は彼を抱きしめ祈り始めた。
「タイガ、貴方を愛しています。誰よりも愛しています。だから帰ってきて……」
俺は消えていく意識の中で、緑の丘で酒を酌み交わす五人の男たちを見ていた。
その男たちはベテラン然とした冒険者で、車座になって座り、楽しそうに笑っていた。
その中に見慣れた顔、ミルコの顔を見付けた。
「ミルコ、俺も混ぜてくれよ。喉が渇いたんだ」
「タイガ、てめぇはまだ早ぇ。ここは俺たちみてぇなベテラン様しか入れねぇんだよ」
ミルコは犬を追い払うように手を振っている。
そして酒を煽った後、
「それになんだぁ、さっきの戦いは? 俺の方がまだましだったぞ……おめぇはよぉ、俺なんかよりずっと才能があるんだ。もっと強くなれるんだ……」
ミルコは俺の後ろを指差し、
「それに後ろを見てみろ。おめぇはまだここに来ちゃいけねぇんだ。待っている嬢ちゃんたちがいるんだろうが……てめぇ、まさか女房がいなかった俺への当て付けか? 帰れ、帰れ」
俺が後ろを振り向くと、シルヴィア、アマリー、ノーラ、アンジェリーク、カティア、クリスティーネ、レーネの祈りを捧げるような姿が見える。
(何を祈っているんだ? 何で泣いているんだ?……そうか、俺は殺されたんだ……ごめんな、みんな……)
「馬鹿かおめぇは。まだ死んじゃいねぇよ。さっさと帰れ! 何十年かしたら混ぜたやるから、今は帰れ」
悲しそうな、それでいて嬉しそうなミルコの顔を見て、俺はその場を後にした。
「師匠! 今度は混ぜてくれよ。自分だけうまい酒を飲むんじゃねぇよ。俺にも……今度は俺にも……」
俺の目には涙が浮かんでいた。だが、寂しさだけではなく、喜びのようなものも感じていた。
風景が突然変わった。
草原の中にある小さな家。俺はその家の食卓に座っていた。
「本当にお馬鹿さんね。タイガは」
いつものような花が咲いたような笑顔で、彼女はそう言ってきた。
俺は何のことか判らず、「何のことだ? エルナ」と聞く。
エルナは急に悲しそうな顔になり、
「どうしてここに来ちゃうのよ。それは私だって一緒に暮らしたいわ。でも、まだあなたには帰るところ、帰りを待つ人たちがいるの」
「何のことだ、エルナ?」
「本当に判らないの? もう! あの子たちのこと……あなたのことを心配してくれる、それも命を捨ててもいいって言ってくれる、あの子たちのところよ」
その言葉を聞いても、俺の心には何も響かなかった。
俺はその時とても疲れていた。なぜ疲れているのか、判らなかったが、本当に疲れていた。
「なあ、エルナ。俺は休みたいんだ。一緒にいてくれ……頼むよ……」
「もう、本当にしょうがない人ね。そんなこと言われた一緒にいたくなるじゃない……でも、あなたは帰るの。まだ、あなたは残された人のことを考えた? 私はあなたのところに帰りたかったわ……タイガもそうでしょ。私が死んで、悲しかったでしょ……」
俺はエルナが殺されたと聞いた時のことを思い出していた。
「ああ、悲しかった。もう笑いかけてくれないのかと思うと、涙が止まらなかった……」
「それなら、あの子たちが同じ思いをしてもいいの? 私はあの時死んだわ。でも、あなたはまだ帰れるの。あなたが帰ろうと思えば……だから……」
俺はエルナの悲しそうな顔を見て、ここが俺の居場所ではないと思った。
「判ったよ、エルナ。また、会おう。必ず……じゃ、行ってくる……」
「行ってらっしゃい、タイガ……」
シルヴィアは大河が生き返ることだけを祈っていた。
祈り始めてどのくらい時間が経ったのかは判らないが、突然、彼女の心の中に女性の声が聞こえ始めてきた。
「シルヴィアさん。貴女はタイガを生き返らせたいの?」
シルヴィアはその問いにすぐに力強く答える。
「ええ、この人を、タイガを生き返らせる。タイガに生きていてほしい……」
「貴女の想いはそれだけ? 彼が助からなかったら、どうするつもり?」
更にその声は問い掛けていく。
彼女もその問いにすぐに答えていく。
「私は……私も彼を追う。タイガがいなければ生きていけない……」
「そう。じゃ、彼が生き返ったらどうするの? どうしたいの?」
その女性は彼女が想定していない問い、予想外の問い掛けをしてきた。
「えっ? 私は……私はどうしたいのだろう? 置いて行かれるのが嫌だった……ただ、嫌だった……一緒に生きていきたい? 私は……」
シルヴィアは自分が何を求めているのか、彼に何を求めていたのか考え込む。
「そうね。置いて行かれるのは嫌よね……本当にタイガはお馬鹿さんなんだから。残される人のことを考えなさいよ。ふふふ……」
その声はシルヴィアの耳に入ってはいなかった。そして、徐々に彼女の中に答えが浮き上がってくる。
「……私はどうしたい? 共に歩みたい……そんなきれいごとではない。彼の声を聞きたい。彼の体温を感じたい。匂いを感じたい。一緒に笑いたい。一緒に泣きたい。一緒に……彼を感じていたい……」
彼女は彼だけでなく、自分に対しても素直になれなかったことに気付く。
そして、その声は明るい、そして少しからかう口調になる。
「そうよ。彼のことをちゃんと見なさい。貴女もタイガと同じね。本当に不器用なんだから……タイガをあなたのところに返すわ。今度はしっかり捕まえておきなさいね。次に離したら、貰っちゃうから……うそよ、ふふふ……」
シルヴィアはその声の主に感謝の言葉を掛ける。
「ありがとう。本当にありがとう、エルナさん……」
午後六時三〇分。
シュバルツェンベルクの屋敷の中では、六人の女たちが一心に彼の無事な帰りを祈っていた。
彼の帰りを待つ女たちの真摯な祈りを見て、警護の騎士たちも彼の無事を祈っていた。
午後六時五〇分
屋敷で祈る女たちの表情が突然暗くなる。
アマリーは涙を浮かべ、ノーラは唇を強くかみしめている。
アンジェリークは虚空を睨みつけ、カティアとクリスティーネは抱き合うようにして悲しみを堪え、レーネは下を向いて涙をこぼしていた。
騎士たちはその姿を見て、彼に何かあったのではないかと直感した。
午後七時〇〇分
六人は西の森の方を向き、自分たちの祈りが通じなかったのではという想いが更に強くなり、皆、双眸から涙があふれ、遂には嗚咽を漏らしていた。
午後七時〇五分
泣き崩れた六人のうち、アマリーが顔を上げた。
ノーラたち五人も次々と顔を上げていく。
そして、ノーラたちは誰も聞いたことが無い女性の声を聞いた。
「タイガが戻ってくるように強く、強く祈って……」
ノーラはその声に、
「心の底から祈っているわ。でも、私たちの声なんか聞こえていないわ……私たちはあの方に心から愛されてはいないもの……もう駄目……」
アンジェリークも、
「私たちはあの方にとって、妹のようなもの……いいえ、妹なら家族。私たちはあの方に助けられただけの存在。だから、私たちが呼んでも……」
再び、女性の声が聞こえる。
「貴女たちもシルヴィアさんと同じね。本当に不器用ね。私も人のことは言えないけど……ふふふ……あのお馬鹿さん、タイガは貴女たちのことも愛しているわ。本当に何人の女(ひと)を愛せるのかしら? もし、貴女たちが彼のことを愛しているなら、強く祈りなさい。貴女たちが望むことを強く……」
ノーラたち五人は跪き、強く手を握りしめ、一心に祈り始めた。
アマリーも同じ声を聞いていた。
「私はタイガさんを……愛している? よく判らない……私はどうしたいの? タイガさんが死ぬのが怖い? それは私のせいであの人が死ぬから……ううん、違うわ。あの人の声が、優しく“アマリー”って言って貰えなくなるから……駄目ね。私はあの人のためにできることなんか一つもない。いつも何かを貰うだけ……これで愛していると言っていいの?」
アマリーの心にやさしいが力強い言葉が響く。
「貴女はタイガに安らぎを与えたの。自信を持ちなさい。私がいない今、安らぎを与えられるのは貴女だけよ……」
その声は更に続いていく。
「一緒に戦えない? タイガがそんなことを望んでいるの?」
「彼を守れない? タイガはそんなに弱くはないわ」
「貴女は本当は強い人。だから、もっと自分に自信を持ちなさい。そして、タイガが帰ってくる場所を作ってあげなさい。タイガに貴女が待っているって伝えなさい……」
アマリーはその声に頷き、タイガの帰る場所はここだと、強く祈り始めた。
六人は跪いて、祈りをささげるように硬く目をつむり、頭を垂れていた。
彼女たちを見ていた一人の騎士は、暖炉の赤い炎の光の中、六人の姿が白く光っているような錯覚に陥った。
目を凝らして、もう一度見ると、赤い炎に照らされた彼女たちに異常はなかった。
ただ、彼女たちの表情が悲しみから、強い決意を感じさせる表情に変わっていた。
午後七時一〇分
銀色の狼は消えたが、まだ凛とした空気が森を支配している。
シルヴィアの銀色の髪が徐々に白く輝き出し、彼女の体も同じように白く、眩しく輝き始めていた。
彼女の体を中心に白い光が溢れ、レイナルドを始め、騎士たちは彼女の姿を見ることが出来なくなった。
何分が過ぎたのだろう。
彼女の白い光が弱くなり、辺りは元の森に戻っていく。
彼女は大河を抱いたまま、雪の中に倒れていた。
アクセルとテオが近寄り、彼女の体を支えると、大河が息をしていることに気付いた。
「タイガ卿が息を、息をしています! 治癒師! もう一度治癒を!」
アクセルがそう叫ぶと、レイナルドとアルフォンスも駆け寄ってきた。
アルフォンスが慌てて治癒魔法を掛けると、手の施しようが無かった、鎖骨から流れていた血はすぐに止まる。
「何とか、何とかなるかもしれない。治癒師殿、あとを任せる」
シルヴィアはゆっくりと目を開け、
「タイガは、タイガは帰ってきたの?」
いつもの彼女とは別人のように柔らかい口調でテオに聞いている。
「タイガ卿は一命を取りとめたようです。シルヴィア殿も休んでください」
彼女は頷き、大河の胸に抱きながら、「ありがとう、エルナさん」と呟いて、意識を失った。
レイナルドは、部下たちに
「担架を用意しろ。タイガ殿とシルヴィア殿を運ぶ。フックスベルガー、このことをフォーベック殿たちに直ちに伝えてくれ」
アクセルは二人の従士を連れ、街道に駆け戻っていく。
(奇跡なのか……だが、神の奇跡ではない。彼女の、いや、皆の想いが奇跡を起こしたのだろう……)
レイナルドは目の前で起きたことが、理解できると思っていない。だが、心は何が起こったかを正確に感じ取っていた。
彼を助けたいという想いが神獣を呼び、そしてその神聖な空気の下で奇跡が起きた。
東の一神教なら、神の奇跡といっただろう。
だが、この奇跡は神が起こしたものではない。神獣――フェンリル――でもない。
確かにきっかけは作ったかもしれない。
だが、奇跡を起こすのは人なのだと。
(本当にそうなのかは判らない。だが、判る必要があるのか?)
レイナルドは奇跡について考えることを止め、部下たちに盗賊の死体と重傷者の収容を命じた。
(この中にグンドルフがいればこれで終わりなのだが、タイガ殿の近くに倒れていた男がそうなのだろうか?)
彼がその男のカードを確認すると”グロッセート王国カロチャ村”の”グイド”と書かれていた。
「こいつがグンドルフで間違いないようだ。これで終わったんだな」
彼は騎士たちの警戒は緩めず、周りを警戒していた。
後書き
作者:狩坂 東風 |
投稿日:2013/02/05 22:44 更新日:2013/02/05 22:44 『ドライセン王国シリーズ:滔々と流れる大河のように(冒険者編)』の著作権は、すべて作者 狩坂 東風様に属します。 |
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