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神算鬼謀と天下無双
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 連載中
前書き・紹介
そえのネタバレ解説! バルハ城砦迎撃戦
前の話 | 目次 | 次の話 |
まずは、何故ネタバレをするか?
私の様に戦記・歴史物を執筆なさる人がいれば、その人の資料の一つになれば、と考えたからです。
解説を今後どんどん入れていこうと思いますので、よろしくです。
史実の戦を私なりにオリジナル手法を交えていますのでそれは、ご承知下さい。
プロを目指している人が、私を踏み台にするならば、私的には望む所で御座います。
ではでは、バルハ城砦迎撃戦の解説を始めさせていただきます。
まず、この戦いのネタとなった戦いをご紹介致します。
あくまで簡単に説明、解説するだけなので、詳しくはウィキペディア先生か、グーグル先生で調べてください(笑)
日本の戦国時代、天正12年(1584年)
肥前国島原半島(現在の長崎県)で行われた沖田畷(おきたなわて)の戦いです。
畷とは湿地帯の中に延びた小道の意味
当事者
龍造寺隆信VS有馬晴信&島津家久
(メインは島津)
兵力
龍造寺軍 一万八千?六万
(資料により開きがあり)
有馬&島津軍 八千
結果
龍造時軍 被害 数千?(実質壊滅)
当主 隆信戦死
主力家臣 ほぼ全員死亡
(唯一戦場で優勢だった鍋島信生は生還→後の鍋島直茂→肥前佐賀藩の藩祖 戦場から離脱の際は僅か数騎で九死に一生状態であったと記録されています)
有馬&島津連合軍 被害 数百
戦闘の経過
島原半島の海沿いだった為、山、畷、浜の三方から龍造寺が数的有利を生かして平押し→湿地帯で、足が滑る。進めない。鉄砲で撃たれる。でも、後が押してくる。ぎゃあああああ 以降、ループ
有馬&島津連合 鉄砲撃ちまくりしながら徐々に後退
島津お家芸『釣り野伏せ』発動!
気付けば伏兵に包囲されて龍造寺フルボッコ
有馬&島津連合の大勝利
と、いう内容です。
★補足:釣り野伏せとは?
『島津義久(四兄弟の長男で、家久は末っ子四男)により考案された戦術で、部隊を三つに分ける。中央の部隊が敵に向かって突進、速攻撤退。敵が追いかけてくる。所定の場所で三方からフルボッコ! という戦術です。文字通り、釣る訳です。但し、非常に難易度の高い戦術で、ちょっとでも襲撃タイミングを間違えれば各個撃破、中央突破、前線の崩壊の危険があり、誰でも使える戦術ではありませんのであしからず』
★疑問:なんでこんなにも死者に差がでるの?
想像してみて下さい。お互い武器持っている。相手と目が合う。もし、斬りかかればその一撃を避けられて自分が死ぬかもしれないという恐怖。さぁ、皆様、命を賭けて必殺の一撃を出しましょう……無理です! 私は嫌です。 つまり、防御中心になるので、戦闘中はそんなに死んでいないんですね。死亡率の差が出る戦闘は、敵軍が壊走した場合。つまり、追撃を受けた場合になります。
無論、例外が幾つか存在しますが、大体そういうものであると考えて間違いはありません。
あと、死亡率は刀&槍≒鉄砲<弓矢 でした。
但し、鉄砲を大規模に組織的運用をすると、鉄砲>弓矢です。
使用方法の問題ですね。
特に島津軍は鉄砲の扱いに関しては一級品でした。
運用方法では織田でしょうが、鉄砲部隊の熟練度で言えば島津であると思えます。匹敵するのは……雑賀衆(さいかしゅう)でしょうか? あ、雑賀衆とは、鉄砲を主武器とした傭兵集団です。
本願寺との連携で織田を苦しめています。まぁ、数の暴力で負けたんですけどね。
今回、そえは地形をほぼ真似ました(笑)
付け加えたのは、戦況により超少数での挑発夜襲攻撃&松明を使っての偽兵です。天候にも手を加えて大雨としました。月明かりでバレないようにする為です。あと、大雨は沼地を最高のコンディション?にする為でもありました。
ご都合主義バンジャーイ!
さらに、地形的に北部、南部を山としましたが、その設定を作り上げて後に考えたのは、罠を多用した軽歩兵によるゲリラ山岳戦でした。ちょっと殴りつけては速攻逃げる→逃げた先で罠→また殴るという超卑怯戦法です! だって、兵力に限りがあるんだもん!
いかがでしたでしょうか?
少数の兵で大軍を打ち破った数少ない事例の一つを使いました。
ちなみに、勝った方も負けた方もどちらも能力は一流です。
ただ、島津家久はというより、有名なチート一族真田一家に匹敵するチート一族の一人です。
ちょっと、簡単にご紹介しましょう
長男:島津義久
義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わりと評価された ほとんどの合戦では『お留守番』でしたが、その卓越した政治力は一級品! 九州全土を制圧しかけますが、秀吉に降伏。
本領である薩摩・大隅2ヶ国と日向諸県郡を安堵され、豊臣政権、関ヶ原、徳川政権を生き抜いた
次男:島津義弘
たぶん一番有名人
義弘は雄武英略を以て傑出と評価された。その活躍はガチです。顕著な二つを記しますと、
七千の兵力で三万七千の明軍を殲滅(マジです
千五百の兵で関ヶ原に出陣、数万に全方位囲まれるも『敵に向かって退却(敵中央突破で撤退)』で戦場を離脱←頭のネジが五、六本ぶっ飛んでないか?
三男:島津歳久
歳久は始終の利害を察するの智計並びなくと評価された。アニキの義弘の副将として活躍する。真の実力は外交で遺憾なく発揮 島津家の外務大臣
四男:島津家久
家久は軍法戦術に妙を得たりと評価された。コミックのドリフターズ主人公島津豊久の実父。沖田畷では龍造寺をフルボッコに、豊臣秀吉の九州征伐軍との戦い戸次川(へつぎがわ)の戦いでは一万ちょいの兵力で豊臣軍二万をフルボッコにした
なに、このチート四兄弟
私の様に戦記・歴史物を執筆なさる人がいれば、その人の資料の一つになれば、と考えたからです。
解説を今後どんどん入れていこうと思いますので、よろしくです。
史実の戦を私なりにオリジナル手法を交えていますのでそれは、ご承知下さい。
プロを目指している人が、私を踏み台にするならば、私的には望む所で御座います。
ではでは、バルハ城砦迎撃戦の解説を始めさせていただきます。
まず、この戦いのネタとなった戦いをご紹介致します。
あくまで簡単に説明、解説するだけなので、詳しくはウィキペディア先生か、グーグル先生で調べてください(笑)
日本の戦国時代、天正12年(1584年)
肥前国島原半島(現在の長崎県)で行われた沖田畷(おきたなわて)の戦いです。
畷とは湿地帯の中に延びた小道の意味
当事者
龍造寺隆信VS有馬晴信&島津家久
(メインは島津)
兵力
龍造寺軍 一万八千?六万
(資料により開きがあり)
有馬&島津軍 八千
結果
龍造時軍 被害 数千?(実質壊滅)
当主 隆信戦死
主力家臣 ほぼ全員死亡
(唯一戦場で優勢だった鍋島信生は生還→後の鍋島直茂→肥前佐賀藩の藩祖 戦場から離脱の際は僅か数騎で九死に一生状態であったと記録されています)
有馬&島津連合軍 被害 数百
戦闘の経過
島原半島の海沿いだった為、山、畷、浜の三方から龍造寺が数的有利を生かして平押し→湿地帯で、足が滑る。進めない。鉄砲で撃たれる。でも、後が押してくる。ぎゃあああああ 以降、ループ
有馬&島津連合 鉄砲撃ちまくりしながら徐々に後退
島津お家芸『釣り野伏せ』発動!
気付けば伏兵に包囲されて龍造寺フルボッコ
有馬&島津連合の大勝利
と、いう内容です。
★補足:釣り野伏せとは?
『島津義久(四兄弟の長男で、家久は末っ子四男)により考案された戦術で、部隊を三つに分ける。中央の部隊が敵に向かって突進、速攻撤退。敵が追いかけてくる。所定の場所で三方からフルボッコ! という戦術です。文字通り、釣る訳です。但し、非常に難易度の高い戦術で、ちょっとでも襲撃タイミングを間違えれば各個撃破、中央突破、前線の崩壊の危険があり、誰でも使える戦術ではありませんのであしからず』
★疑問:なんでこんなにも死者に差がでるの?
想像してみて下さい。お互い武器持っている。相手と目が合う。もし、斬りかかればその一撃を避けられて自分が死ぬかもしれないという恐怖。さぁ、皆様、命を賭けて必殺の一撃を出しましょう……無理です! 私は嫌です。 つまり、防御中心になるので、戦闘中はそんなに死んでいないんですね。死亡率の差が出る戦闘は、敵軍が壊走した場合。つまり、追撃を受けた場合になります。
無論、例外が幾つか存在しますが、大体そういうものであると考えて間違いはありません。
あと、死亡率は刀&槍≒鉄砲<弓矢 でした。
但し、鉄砲を大規模に組織的運用をすると、鉄砲>弓矢です。
使用方法の問題ですね。
特に島津軍は鉄砲の扱いに関しては一級品でした。
運用方法では織田でしょうが、鉄砲部隊の熟練度で言えば島津であると思えます。匹敵するのは……雑賀衆(さいかしゅう)でしょうか? あ、雑賀衆とは、鉄砲を主武器とした傭兵集団です。
本願寺との連携で織田を苦しめています。まぁ、数の暴力で負けたんですけどね。
今回、そえは地形をほぼ真似ました(笑)
付け加えたのは、戦況により超少数での挑発夜襲攻撃&松明を使っての偽兵です。天候にも手を加えて大雨としました。月明かりでバレないようにする為です。あと、大雨は沼地を最高のコンディション?にする為でもありました。
ご都合主義バンジャーイ!
さらに、地形的に北部、南部を山としましたが、その設定を作り上げて後に考えたのは、罠を多用した軽歩兵によるゲリラ山岳戦でした。ちょっと殴りつけては速攻逃げる→逃げた先で罠→また殴るという超卑怯戦法です! だって、兵力に限りがあるんだもん!
いかがでしたでしょうか?
少数の兵で大軍を打ち破った数少ない事例の一つを使いました。
ちなみに、勝った方も負けた方もどちらも能力は一流です。
ただ、島津家久はというより、有名なチート一族真田一家に匹敵するチート一族の一人です。
ちょっと、簡単にご紹介しましょう
長男:島津義久
義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わりと評価された ほとんどの合戦では『お留守番』でしたが、その卓越した政治力は一級品! 九州全土を制圧しかけますが、秀吉に降伏。
本領である薩摩・大隅2ヶ国と日向諸県郡を安堵され、豊臣政権、関ヶ原、徳川政権を生き抜いた
次男:島津義弘
たぶん一番有名人
義弘は雄武英略を以て傑出と評価された。その活躍はガチです。顕著な二つを記しますと、
七千の兵力で三万七千の明軍を殲滅(マジです
千五百の兵で関ヶ原に出陣、数万に全方位囲まれるも『敵に向かって退却(敵中央突破で撤退)』で戦場を離脱←頭のネジが五、六本ぶっ飛んでないか?
三男:島津歳久
歳久は始終の利害を察するの智計並びなくと評価された。アニキの義弘の副将として活躍する。真の実力は外交で遺憾なく発揮 島津家の外務大臣
四男:島津家久
家久は軍法戦術に妙を得たりと評価された。コミックのドリフターズ主人公島津豊久の実父。沖田畷では龍造寺をフルボッコに、豊臣秀吉の九州征伐軍との戦い戸次川(へつぎがわ)の戦いでは一万ちょいの兵力で豊臣軍二万をフルボッコにした
なに、このチート四兄弟
後書き
作者:そえ |
投稿日:2012/06/07 10:45 更新日:2012/06/18 04:13 『神算鬼謀と天下無双』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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