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神算鬼謀と天下無双
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前書き・紹介
第四話 劇薬の男
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第四話 劇薬の男
バルハ城砦迎撃戦。その戦いで二万のドゴール軍を僅か六千五百という劣勢の状態で完全勝利をもたらした本城秀孝。
彼に対する将兵の変化は一目で分かる。
彼が城内と歩く度、兵士達は通り道を空け、直立不動で敬礼するのだ。
「俺は珍種の動物か何かか?」
過保護なまでに保護されている事に、秀孝は不満を募らせていた。
「過保護? いまやお前はエーベルンに欠かせない存在となった。そういう扱いになるのは理解していたのではないか?」
私室でライネは秀孝を迎えながら、苦笑しながら秀孝に答えた。
「さて、冗談はさておき、紅茶でも飲みながら今後の話をしよう」
リューネ、バルバロッサ、そして呂布も同席している。
「まず、我々は可能な限りの兵力を引き連れて東へ向かう。目標はレノーク城。王都より南西に位置する」
「……なんでそんな所に? まっすぐ東に向かうんじゃないのか?」
素朴な疑問を秀孝がライネに言う。
「出来ればそうしたいが、我がエーベルン王国は代々レノーク城で戴冠式を行う」
「何故王都で戴冠式をしない?」
「エーベルン王国初代国王が戴冠した城だからだ。王都は三代目国王が建設した」
「伝統ってやつか」
「その通りだ。そして、この進撃の途上で西方、北部、南部方面軍の残軍と合流する」
「……バルバロッサ将軍が以前言っていた三人の将軍か。使者は?」
「到着した。西方方面軍は反乱軍を鎮圧、大急ぎで此方に向かっている。兵力は一万五千。北部方面は六千。南部方面は九千の兵力を維持している。我等はこの辺りの守備の兵を残留させる必要があるので五千。全て合流すれば三万五千の兵力となる」
「三万五千ねぇ。敵の現有兵力は?」
「……敵軍の兵力は北部、南部に展開している為、分散されています」
バルバロッサが答えるが、秀孝が聞きたい答えでは無い。
「分散された兵力が統合されれば?」
「……………………二万の敵軍を減らしたので…………およそ十八万かと…………」
「足し算が合ってない。敵本国からの増援も視野に入れる必要もある。また、大兵力で侵攻して来たのね。たった三万五千で十八万の敵と本国からの増援と戦うのね。まぁ、一人あたり六人ぐらい敵を倒せばいい訳だ。あ、なんかそう考えたら楽そうな気がしてきた。気のせいだけど」
秀孝が冗談を言い、会議室に笑みがこぼれた。そして、改めて地図を広げた。
「敵は当然の如くレノーク城への入城を阻止するだろうね。戴冠式が行われれば、文字通りエーベルン健在を周辺諸国に伝える事になる。それは、二重の意味でドゴールにとって致命的だ」
「ん? 二重の意味で?」
リューネが不思議そうに尋ねた。
「どういう意味だ? 戴冠式を行えばエーベルンの民が立ち上がるのではないのか?」
「……………………ああ、まぁ、それもあるけどね……。まずは目の前の事から順番に片付けていこう」
秀孝はそう言うと大きく背伸びをした。
「さて、最初の問題から考えよう。我々は南東に進み、レノーク城を進む。途中、各方面残軍と合流する。問題は敵がそれをまったり待ってくれるかどうか?」
秀孝がバルバロッサを見る。
「待たないでしょうな。しかし、各方面軍の現在の位置から考えれば、我々が集結するほうが早いかと」
「それは問題だな」
秀孝はそう言うと、地図を指差した。
「敵の兵力の大半は中央、王都にあると思われる。まぁ、これは誰が考えてもわかる事だ。で、北部、南部にある程度駐留させる。これで、総兵力は減る。これは、敵にとっては止むを得ない事情であり、戦略上エーベルン王国の征服の完遂を達成するならば必要な兵力の分散であると言えるだろう。では、その分散した兵力を差し引いて。敵兵力は十四、五万であろうと考えられる。では、その十四、五万の兵力を敵はどのように活用するだろうか?」
エーベルン客将軍師である秀孝の考え方はとても簡単だ。
優れた戦術でいかに百戦百勝しようとも、戦略的勝利を得る事ができなければ一度の敗北、最悪は無敗のままで敗北する。逆に考えれば、戦略的勝利こそ重要であって、戦術的勝利は二の次である。しかし、世間の人間はそのように見ない。まぁ、素人である事も要因の一つではあるが、華麗で盛大な結果が見る事が出来る戦術的勝利を支持し、そして、それを応援するのである。一方、戦略的勝利というのは、長期的に見て得る物や、最終的結果で見るものであるので、一般的にこうして勝利を得たと見る事が出来ない。
一つの例を挙げるならばファビアン主義である。
ファビアン主義というのは、持久戦略の事を指す。この名前の由来は、古代ローマの元老院で執政官、独裁官を務めたクィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートルという人物の名前が由来であり、紀元前二一九年から二〇一年にかけて行われたローマとカルタゴの戦争、第二次ポエニ戦争の時活躍した人物である。
ちなみに、クンクタートルは渾名であり、『のろま』『くず』という意味である。しかし、その後の戦略的勝利により意味は『細心』『周到』という意味に変化する事になる。
カルタゴの若き名将にして天才戦術家ハンニバル・バルカによって滅亡寸前となったローマを持久戦に持ち込み、徹底的な焦土作戦と敵戦力、敵補給のすり減らし、壊滅したローマ軍団の再建と増強によって守りきり、ついにハンニバル軍を戦略的に追い込んで撤退指せる事に成功。『ローマの盾』と讃えられた。
ハンニバルは確かに天才であった。今現在も彼が戦場で魅せた戦術は、現代の全ての軍隊で教科書に記載されるほどの完成された戦術であった。だが、戦略的に敗れた。そして、カルタゴはローマによって徹底的に破壊されて滅んだ。
このように、いかに戦術でどれだけ勝利を手にしても、戦略的に敗北すれば意味が無いのである。
バルハ城砦迎撃戦の勝利でエーベルン兵はほとんど浮かれているように秀孝は感じている。戦略的勝利を何一つ挙げていないのに何を喜んでいるのか? そう問い質したいが、流石にその言葉は飲み込んでいる。
「現在、エーベルン王国は絶体絶命の状況であると言える。バルハ城砦迎撃戦で二万の敵軍を撃破したが、何一つ状況は変化していない。敵軍は十八万。ただし、これは遠征軍であり、敵本国からの増援によってさらに増大する恐れがある。一方、エーベルン王国はたった、三万五千。この際、ハッキリ言ってしまえば絶望的兵力差だ。ここで我々が考えなければならないのは、いかにして戦術的勝利を続け、エーベルンの民から支持を取り付けつつ味方を増やし、エーベルンを奪還する事ができるのか?」
これが当面の目標である。レノーク城の戴冠式の重要性は理解しているつもりではあるが、そのような血統崇拝にどのような意味があるのか?ライネが国王としてエーベルン復活の旗印とするならば、それは確かな勝利と、民衆に対する治世によって証明すれば言いだけの話であるが、それだけでは満足しないというのも人間である。
そして、秀孝が考えている将来の展望はさらに先にある。
ドゴール王国は征服国家であるという事実。これは、ライネから聞いた事であるが、ドゴールは三十年前にエーベルンと同盟を組んでからは北方、東方、南方へと軍を進めて領土を拡張した侵略国家である。
秀孝が注目するのは、その侵略という鍵である。
征服された国家とドゴールが三十年という短い年月でそう簡単に一体化するだろうか?
もし、一体化していないならば、付け入る隙は幾らでもある。
秀孝が今一番としている目標、それは、ドゴール王国の解体である。エーベルン奪還など、途中経過の一つに過ぎない。それは、戦術的勝利で得る事が出来る。しかし、戦略的勝利では無い。戦略的勝利を得る為には、やはりドゴール王国そのものをどうにかする事である。ドゴールを解体してこそ、エーベルン王国は真の独立国家としての絶対的名声を得る事ができる。それこそ、戦略的勝利である。
しかし、この事を言葉にして一体誰が理解するだろうか? 王都を奪還する、エーベルンを取り戻す事に全員必死なのだ。その中でドゴール王国を滅ぼすにはどうすれば良いかなど考えてもいないだろう。まぁ、その対策も考えてはいるが……。
さらに秀孝を困らせている事。それは、情報である。情報に基づき戦略、戦術を考えるのに、その情報そのものが不足している。
これは、根本的問題でもある。この世界の戦い方は正面決戦。よって、情報収集は戦う前か、戦う直前である。
秀孝としては、情報を統括する部署がほしいぐらいである。諜報によりもたらされる利益は計り知れない。
そして、秀孝の言葉は続く。
「我々の前途は多難どころか絶望だ。今、そういう状況にあるという事をこの場にいる全員理解してくれ。たった二万の敵軍に勝利した程度で浮かれる事が出来るほど甘い状況ではない。さて、まずは、こちらの都合を完全に無視して、ドゴール側になって考えよう。俺が考えるのは相手の立場になって自問自答する事。エーベルンが集結しようとしている。先の戦いで士気は上がっている。それを挫く為に効果的な方法は何か? 集結前に各個撃破する。それも、集結直前に行う。あえて敵を集結させて圧倒的兵力でまとめて叩き潰すか。もし、各個撃破するならば、最初に狙うのは……兵力が少ない北部方面。だが、北部方面残党軍を攻撃すれば、王都より南西にあるレノーク城に敵本隊の入城を許してしまう可能性がある。では、南部方面残党軍を狙うか? しかし、それでは、敵に北部方面残党軍、西部方面残党軍の合流を許す。その場合、エーベルンの兵力は二万六千。……十分叩き潰す事が可能な兵力だ。しかし、残る残党軍が大人しく降伏すれば問題ないが、ライネ、リューネの内、どちら一人でも生き残り、残る残党軍と合流すれば、戦いは長期化する恐れがある。長期化すれば、折角はるばる遠征し、エーベルンをほぼ制圧したこの状況で、未だに残党軍を殲滅できないのかと本国から催促される。そうすれば自分達の評価が下がる。最悪、責任を取らされるか、地方へ転属する恐れさえある。ならば、やはり全てを合流させて圧倒的兵力で叩き潰す。ドゴールの兵力は十八万。北部、南部を掌握し常駐させる為にある程度兵力が必要。動かすならば本拠地である王都の兵力。この内、五、六万を送り込めばいいだろう。全軍を挙げて移動すれば、多方面で反乱起きた場合対処できない。必ず抑えの兵力が必要だ。だが、現有兵力で可能な作戦だ。合流したエーベルンを殲滅すれば、例えライネ、リューネのどちらかが生き残っても、組織的反抗は不可能になる。もし、他国に援助を求めて戦いを挑むのならば、援助した事それ自体を口実にその敵国に堂々と侵略する事が出来る。と、これが敵側の都合を並べた考え。では、ドゴールの目的を誘導させるにはどうすれば良いか? 此方が望む状況としては、全軍が集結して敵を迎え撃ち、レノーク城に入城する事。では、それを敵が望む状況とするならばどうすれば良いか? まず、ドゴールがエーベルン軍に早く集結して欲しいと望む状況を作り上げる事。では、集結して欲しいと望む時はどのような時か?」
「……秀孝。すまないが、少々、その……途中から混乱して来た」
リューネは、呆れながら淡い栗色の髪を弄る。
「我等が軍師殿は我々の想像を絶する思考をするらしい。私も武将として敵に挑むのは吝かではないが、敵に戦いを智恵で挑む者はそこまで考えるか」
ライネは不敵に笑いながら、紅茶を一口飲み干した。
「では、軍師殿。我等はどう動く?」
「敵が望む事。それは、我々がレノーク城に到着する前に叩き潰す事。できれば、敵が合流した状態で。では、敵の望むようにしてやろう。但し、合流するのは、レノーク城の手前では無い」
「……何ですと? 手前では無い?」
バルバロッサが驚いた表情で尋ねる。
「北部、南部、西部の残党軍に使者を出して欲しい。合流地点は……ここだ」
秀孝が地図のとある一点を指し示し、その場にいた全員が地図を覗き込み、秀孝が指差す地点を見つめた。
その時、ドアを叩く音が室内に響いた。
「ライネ様、軍資金を提供したいと申し出た商人がお越しになられております。その商人が是非、お会いしたいと申し出ておりますが、いかが致しましょう?」
「……軍資金だと?」
ライネは不思議そうにリューネ、バルバロッサ、秀孝、呂布を見る。
「会う方がいいと思う」
秀孝は即答でライネに勧めた。
「この状況で軍資金を提供しようとするとは、利を主とする商人としては些か勇み足と思う。もしくは、俺達が勝つと見込んだか……」
「……なるほど。中々面白そうな人間だな。よし、客間に通せ。私もすぐに向かおう。……そうだ、リューネ、バルバロッサ、秀孝、呂奉先。お前達も付いて来い」
バルハ城砦の客間。そこで一同が集まり、未だエーベルンに勝利の旗色が見えない状況で軍資金を提供するという酔狂な商人を待った。
「ライネ様、商人を連れて参りました。入室させても宜しいでしょうか?」
ドアを叩く音が響き、続いて衛兵からの声が響く。
「許す、通せ」
ライネが許可の言葉を言うと、ゆっくりと部屋の扉が開き、バルバロッサと同じぐらいの老人が部屋に入って来た。
老商人はライネの前に進み出ると、床に膝をつけて頭を下げた。
「この度は私のような一介の商人にお目通りして頂き、感謝申し上げます」
ライネ、リューネ、バルバロッサ、そして、秀孝も呂布も驚いてその老人を見た。
日本人であった。顔には無数の傷があり、まるで武人のようだ。
「……名を聞こうか」
ライネが言うと、商人は恭しく頭を下げた。
「はっ。私は南方の港で主に陶磁器の商いをさせて頂いております、姓をマツナガ、名をヒサヒデと申します」
老商人は微笑みを浮かべながら、媚び諂いながらライネに言った。
「ほう、で、その商人がどのような用件で此処まで遠路はるばる来たのだ?」
「はっ! まずはこの度の勝利、心よりお祝い申し上げます。不肖、このマツナガ。心から感服致しました。今だエーベルンは滅びず。まだ、エーベルンには希望が残っている事を実感致しました。現在、南方の港は全てドゴールに抑えられ、我々商人は自由に商売が出来ません。もし、ライネ様率いるエーベルン軍が勝利致しましたら、是非とも我等の商売を奨励して頂きたく存じます。その為に私はライネ様に僅かばかりではございますが、軍資金を援助致します。是非、勝ってエーベルンを再興して頂けるようお願い申し上げます」
「ほう? それは感謝するべきであろう。我々はこれからも戦い続ける。貴殿の援助は何よりの助けとなるだろう。ただ、それが援助だけが目的であるならばだ」
ライネはマツナガと名乗る商人に一本の釘を刺した。
「……そのような物言い、真に遺憾でございます。私は心から平和を願う商人でございます。平和で有ればこそ、我等商人は思うがまま商売に励む事ができます」
「一介の商人とは片腹痛い。商売に励む? 謀略、政略を考えさせたら右に出る者がいない、稀代の梟雄と評された大人物でしょうに。せめて謀略に励む事ができると言った方が清々しいとは思わないか? 弾正殿」
秀孝がマツナガと名乗った男の前に進み出た。
「松永弾正久秀。一介の商人からその卓越した学識と教養を認められて権力者の側近となり、ついには軍指揮官となるも、権力を奪う為に主君の嫡子を毒殺し、主君の弟二人を謀殺し、主君の心を追い詰めて病で死なせ、邪魔な存在だった権威ある足利家の当主義輝を殺し、東大寺を焼き討ちした。ああ、ライネ達に分かるように言うならば、この国で一番歴史がある教会があるだろう? それを戦の最中に邪魔だから焼き払ったという事だ。まぁ、それに関しては、その場所を敵が本拠点としたというどうしようもない理由もあるけれど」
秀孝の言葉は更に続いた。
「しかし、学識と教養に富み、築城の達人であり、自ら支配した土地には善政を敷き、名君と讃えられた。良くも悪くも傑物と評価しなければならないバケモノだ」
秀孝の言葉が終わり、部屋の中の空気は一変した。凍りつき、誰も口を開こうとはしなかった。だが、僅かに震えるような笑い声が響いた。
「……ふふふ…………小僧! このワシを知っているのか! これは参った! 流石にこれは予想していなかったぞ!」
久秀は立ち上がると、秀孝の目前まで迫った。その表情は先程までの微笑みを浮かべた老商人ではなく、親兄弟が殺し合い家臣が主君を狙う。それが当たり前の下克上の世の中で、一介の商人から戦国大名に伸し上がった威厳と迫力を持ち合わせた一代の英雄の顔だった。バルバロッサと同じぐらいの年齢ではあるが、年齢など微塵も感じさせないほど眼光は鋭く、まるで鷹のようだ
「小僧、貴様こそ何者だ? 何故ワシをそこまで詳しく知っている? なぜ、この訳の分からない世界にいる? どうやってきた? さぁ、話せ!」
「何者か? エーベルンの客将軍師だ。何故詳しく知っているか? お前より未来から来たからだ。此処に居る理由? さっぱり分からん。逆にこっちが質問したいね」
「………………客将軍師だと? では、先の戦を主導したのはお前か。……で? 未来から来たというのは?」
苛烈な言葉から一転、今度は冷静に質問を繰り返す。切り替えの早さには秀孝も驚きを隠せなかった。
「文字通り。あんたが死んでから……ざっと四百年ちょい後に俺は生まれている。ちなみに、俺の横で剣の柄に利き手を添えているのは、大陸の三国時代に活躍した呂布奉先その人だ」
「……な、何だと? 四百年だと? 呂奉先だと?」
久秀は動揺したのか、目を白黒させたが、大きく息を吐き出して己を落ち着かせた。
「……嘘……とは、言えないか。今のワシが嘘のような状況だからのぅ……」
久秀は一歩下がると、腕を組んだ。
「……お前、先程ワシが死んでから……と、言ったな? 死んだ事になっているのか、ワシは」
「俺の時代で確認されているあらゆる文献の中、日本史上初の爆死って事になっている」
「うむ。……確かに、ワシは平蜘蛛に火薬を詰めて火を点けた。しかし、気が付いたら平蜘蛛と共にこの世界にいた。三年前の事だ」
「……三年前だと?」
「そうだ。頼る者もおらず、致し方なく再び商人として立ち上がったのだが……」
「……秀孝、久秀とやら、そろそろいいか?」
ライネが少し呆れた声で二人に声をかけた。
「まぁ、秀孝の言葉でお前が信用に値しない人物である事が良く分かった。確かに、今後戦い続ける上で軍資金は欲しいが、お前のような輩から受け取る筋合いは無いな」
「ほう? 信用に値しない。その程度の理由で、自らの首を絞めるか」
久秀はせせら笑いながらライネに言い放った。ライネは一瞬怒りの余り椅子から立ち上がったが、言葉を発する事も無く静かに椅子に腰を下ろした。
「貴様に言われる筋合いなど無い! 軍資金が足りずとも、我等は智恵と勇気でそれを補うであろう」
「…………ほう? 随分笑わせる言葉を吐く跡継ぎ殿だ。これは秀孝と言ったか? お前はさぞかし苦労しているであろうなぁ。このような愚かな君主では、例えこのまま勝ち続けてもエーベルンは長くは持つまい」
「大言壮語を吐く奴だな貴様は。そんなにこの私に殺されたいか?」
久秀とライネはお互い睨み合った。それはある意味駆け引きでもあった。
「で? お前はどう考える。客将軍師秀孝殿? このままで本当に良いのか?」
久秀は冷徹に笑いながら秀孝を見つめた。
「……良いも何も、主君の決定だ。俺はあくまでエーベルンの客将だ」
「肝心な所は投げ出すのか?」
「違う。肝心な所だから主君に背負わせるのさ。この程度如きで潰れるのならば、その程度の主君という事だ」
「お主、主君に厳しいの」
「まぁね。……ところで、貴方の目的は? まさか、軍資金を提供して顔を覚えてもらう。その為だけにここに来るとは、貴方の考え方から言って、少し考え難いのですが?」
久秀はチラリと呂布を見つめた。呂布の利き手が剣の柄を握り締めたからである。
「……まぁ、隠しても無駄か。用件は二つ。一つは軍資金提供により、繋がりを作っておく事。どっちに転ぶか分からんからな。もう一つは、取り込める人物かどうか見極める為よ」
「で? 貴方の評価は?」
「……無能では無いが、経験が無い。思慮深くは無いが、直感に優れる。だが、その直感も己の想像の範囲から外れると無意味だな。そして、お主という知恵袋がいる。正直、お主の方がワシ個人としては面白い。しかし、お主軍略に優れているが、それだけのようだな」
「あ、分かります?」
あっけらかんと、秀孝はあっさり認めた。と、同時に久秀の眼力に恐ろしさを感じた。
「うむ。お主、軍略に優れる一方で……そうだな、政略に疎いな。もし、ワシならば……ワシという存在を知っているという利をこの場で使わぬ」
「……降参。松永弾正殿。貴方には逆立ちしても勝てそうに無い」
「では、どうするかね? ワシをこの場で殺すか?」
「それは、ライネ様次第ですね」
秀孝はそう言うと、ライネの方へ振り向き、床に膝を付け、頭を下げた。
「恐れ多くもエーベルン客将軍師、本城秀孝が奏上致します。松永弾正久秀。この者、エーベルンにとって極めて重要な人物であり、得難い才略の持ち主です。ただ、特効薬でも有りますが、一度使い方を誤ると猛毒にもなる人物ではありますが、是非、松永弾正久秀を家臣として加えて頂けるよう、お願い申し上げます」
「お、おい。秀孝、本気で言っているのか!? お前、先程まで言っていた事と今言っている事が逆だぞ!?」
これにはライネも驚いたが、久秀も驚きの表情を浮かべた。
「本気です。この者、弱者とみればドゴールへ裏切りを謀りますでしょうが、我等が勝ち続ける限り裏切る事よりも、私を謀略によって失脚させ権勢を得る事を望むでしょう。もしくは、己の智略を思う存分に発揮する事が出来る立場を得る事か……。……あ、両方かな?」
「おいおい。自ら政敵を作るのか、お前は」
久秀は呆れながら秀孝に言う。その言葉を秀孝は僅かな時間、天井を見上げて考えるが、すぐに視線を久秀に戻した。
「いあ、何と言うか。貴方ならば信用は出来ないけど、信頼して色々と頼れるかなぁ……と」
「信用は出来ずとも、頼れる……だと?」
久秀が言うと、秀孝は大きく頷いた。
「ええ。今後、俺はエーベルンを復興させるつもりですが、そうなれば権勢や、権力を欲する屑が集まるでしょ? その時、貴方が一番光り輝く。まぁ、ちょっと、不審な死や、不幸な事故で死んじゃったとか、非業の死を遂げるという出来事が多発しそうで恐ろしくもありますが……。基本原則、貴方は有能な人間を殺しはしない。それは、殺すよりも利用することを第一と考えるでしょう? まぁ、それもあくまで利用できるならば。邪魔な存在ならばあらゆる手段を用いて排除すると思いますけど」
「結局、貴様はワシに何を望んでいる? 政の主導をしろと言うのか?」
「で、俺は軍略のみに集中できます。というか、それ以外を考える事が出来るほど、俺は頭が良くないのです。元々、頭が悪く、知能が低いので。貴方は確かに大悪党だ。様々な悪事をあっさり実行する。だが、貴方の功績もまた絶大。貴方を高く評価しているのですよ?」
あっけらかんと物申すとは、この事か。秀孝は悪びれる様子も無く言い放つ。
「…………面白い。実に面白い。だが、足りんな」
「何がです?」
「その程度の言葉でワシを動かせると思っているのか?」
久秀が言い放った直後、呂布が恐るべき速さで剣を抜き放ち、白刃の刃をピタリと久秀の首に押し付けた。
「そこを何とか、お願いできませんか?」
「…………懇願するか、脅迫するかどちらか片方にせんか?」
「俺、不器用なんです」
「心の問題と思うが?」
「あ、じゃあ、俺はクソッタレという事で、ここは一つ」
久秀は疲れたように大きく溜息を吐いた。ここまで自分のペースを崩す奴は今まで一人もいなかった。だが……。
「呂奉先……だったか? ワシを殺しても良いが……。お前の主君……の妹が死ぬぞ?」
「っ!」
一瞬の出来事だった。呂布がリューネに目を向けた瞬間、バルバロッサは蹴り倒され、ライネも剣を抜き放つが、その柄を握る手を薙ぎ払われた。そして、忍装束の顔を覆面で覆った男がリューネの首に刃を突き付けていた。
「さて、これで状況はほぼ五分じゃのぅ」
笑いながら久秀は言い放つ。それを鋭い眼差しで見つめる者がいた。秀孝とライネである。
「……もし、妹に傷一つでも付けてみろ。生かしてこの城から返さんぞ!」
ライネが怒りの目で久秀を貫くが、貫かれた本人は何処吹く風である。むしろ、この状況を楽しんでいるような節すらあった。
「それは、秀孝とワシ……次第かのぅ。なぁ? 秀孝殿。言った通りであろう? 経験が足りぬ……と。ワシは人を見る目はまぁまぁあると自負している」
「呂布に刃を向けられても余裕があったのはそういう事ですか」
「まぁ、切るべき札は多く、そして先の先、後の先で有るほうが良い」
秀孝は舌打ちをすると、呂布を見る。
「…………呂布、気付かなかった?」
「……完全に気配を消されていた。気付いたのは直前だ」
「武の化身でもそれかよ。余程の手練……いや、達人だな。どこの誰ですか?」
「…………」
刺客は答えない。ただ、身動き一つせずに秀孝を見つめた。
「秀孝。刺客はそのような質問には答えない」
呂布が無駄な事だと言い放つが、秀孝は止まらない。
「いいや、答えるね。俺の勘だが、お前、俺と同じ日本人だろう? 忍か。どこの出身だ? 伊賀か? 甲賀か? 風魔か? 軒猿か? 戸隠か? 三ツ者か? 透波か? 鉢屋か? 黒脛巾か? 偸組か? 山潜か? 座頭か? 木陰か?」
「……お前の頭は書物庫か何かか? ワシも知らぬ忍集団が居るとは」
秀孝の質問攻めに久秀は呆れながらも恐ろしさを感じていた。未来から来た。自分の所業全てを知っている事。この上に忍集団の知識まであるとなると、何処まで知識として知っているか、想像できない。
「早く答えろ。ああ、リューネに傷は付けるなよ? まだ……十六の女の子だ。顔や首に傷があるのは…………まぁ、その、なんだ。いろんな意味で不味いだろ? それに、もし……俺達が元の居るべき場所に帰れる事が出来るのならば、その時協力してくれるのは間違いなく、ライネやリューネだ。他は多分、無理だろうな。狂人の戯言として放逐されるか、殺されるな。さぁ、どうする? お前の行動一つで、俺と、呂布、松永弾正、お前自身の運命が決するかもしれない」
「……………………」
秀孝の説得が効いたのか、刺客はゆっくりと刃を離した。
「楯岡」
刺客は僅かに一言だけ言葉を口にして、ゆっくりと下がり、そのまま柱の影に隠れたかと思うと、完全に気配が消えてしまった。
「……楯岡……なるほど。伊賀の達人ですか。よく、存じていますよ。まぁ、何はともあれ、リューネを解放してくださり、感謝します」
秀孝はゆっくりと頭を下げて感謝を示すと、久秀に向き直った。
「さて、久秀殿。貴方にも同じ事が言えるけど、どうする?」
「…………ふむ、ワシは今更戻るつもりはないが……。そうか、ワシの命はお前とそこの小娘の気分次第か」
「俺は含まれないよ? 助命嘆願ぐらいならするけど。あと、家臣への推挙かな」
「ワシをどうあっても家臣に取り立てたいのか?」
「有能ですからね。そして、政治という魑魅魍魎が跋扈する世界で貴方は随一の知恵者だ」
久秀は少し考えると、大きく頷き膝を床に付けた。
「……よかろう。もし家臣として末席に加えるならば、そこの小娘が、主君で足りえるかどうか、見定めよう。弱者であれば殺す。強者であるならば、ワシは好きに使われよう」
「決断はやっ!」
「悩んでも仕方が無いからのぅ」
久秀は笑いながらライネを見据える。秀孝もライネを見つめた。
「…………貴様、リューネを人質とした挙句、私の家臣になりたいと良くも恥を知らずに言えるな」
「恥なら知っている。知っているから捨てた。役にも立たぬ塵芥と同じよ。何をするべきか、何を求めるか、それが重要であって、誇りや名誉など犬に喰わせれば良い」
「誇りや名誉を捨てるだと!? 貴様、それでも武人か!?」
「武人になったつもりは無いな。だが、将であると自負している。ワシは己の欲望に忠実ではあるが、誇りや名誉など実利の無い物の為に、民や家臣を危険に晒した事など一度も無い。それは自己満足であって、民や家臣には何一つ利が無い事だからのぅ」
「口だけは達者なのは褒めてやる。だが、それ以上の才覚があるようには私には見えないな」
「ほう? 小娘が子犬の癖に吼えておるわ。では、新たな王となるライネ=エーベルンに尋ねる。貴様は何処に民を導くのだ?」
「何処にだと? 決まっている。エーベルンの領土を奪還し、平穏を取り戻す」
「ワシが言うておるのは、平穏を取り戻すその方法と、その後の治世についてよ。土地を取り戻してどのように再配分する? 国境の守備はどの程度にする? 周辺諸国との外交はどのようにする? 国力が弱体化している状況でまさか周辺各国全てと戦をする訳ではあるまい? 税の取り分、食料の確保はどうする? ドゴールに屈した裏切り者の処分は? 戦いで夫や働き手を失った遺族に対してどのように対処する? 敵の捕虜はどうするのだ? 身代金を迫るか? それとも名声を得る為に解放するのか? 破壊された教会や城壁の修復はどうする? その費用はどこから捻出する?」
「…………それは…………ぎ、吟味中だ」
「……おい、秀孝」
呆れながら久秀が秀孝を見つめると、両手を手で塞いで
「アー、アー、キコエナーイ、キコエナーイ」
と、ブツブツ呟いている姿だった。
「それは一体何のまじないだ?」
久秀は今日何度目か数え切れない溜息を吐いた。
結局、最終的にライネが折れる形で松永久秀の客将となる事が了承された。リューネもバルバロッサも大反対した。当然だ。特に、リューネは刺客まで差し向けられて危うく命を落とす所だったのだから仕方が無い。
久秀は悪びれる様子も無く、それも交渉手段の一つであるから一々文句を言う方がおかしい。と、超理論を展開し始め、物議が終了したのは深夜近くになってからだった。
ともかく、エーベルン王国に秀孝としては待望の逸材が入る事になった。
謀略と政治に関しては一級品である松永久秀。
そして、もう一人。
伊賀忍で中忍であり、役職としては多数の忍を統率する前線指揮官として活躍し、伊賀忍達人十一人にも数えられた諜報のプロである伊賀崎道順の加入である。
彼が一言呟いた『楯岡』とは、彼が『楯岡』の出身で、楯岡道順という通称で呼ばれていたからだ。
エーベルンは騒がしくも、それでもライネ戴冠に向けて準備を始めた。
それは、レノーク城奪還作戦の開始でもある。
バルハ城砦迎撃戦。その戦いで二万のドゴール軍を僅か六千五百という劣勢の状態で完全勝利をもたらした本城秀孝。
彼に対する将兵の変化は一目で分かる。
彼が城内と歩く度、兵士達は通り道を空け、直立不動で敬礼するのだ。
「俺は珍種の動物か何かか?」
過保護なまでに保護されている事に、秀孝は不満を募らせていた。
「過保護? いまやお前はエーベルンに欠かせない存在となった。そういう扱いになるのは理解していたのではないか?」
私室でライネは秀孝を迎えながら、苦笑しながら秀孝に答えた。
「さて、冗談はさておき、紅茶でも飲みながら今後の話をしよう」
リューネ、バルバロッサ、そして呂布も同席している。
「まず、我々は可能な限りの兵力を引き連れて東へ向かう。目標はレノーク城。王都より南西に位置する」
「……なんでそんな所に? まっすぐ東に向かうんじゃないのか?」
素朴な疑問を秀孝がライネに言う。
「出来ればそうしたいが、我がエーベルン王国は代々レノーク城で戴冠式を行う」
「何故王都で戴冠式をしない?」
「エーベルン王国初代国王が戴冠した城だからだ。王都は三代目国王が建設した」
「伝統ってやつか」
「その通りだ。そして、この進撃の途上で西方、北部、南部方面軍の残軍と合流する」
「……バルバロッサ将軍が以前言っていた三人の将軍か。使者は?」
「到着した。西方方面軍は反乱軍を鎮圧、大急ぎで此方に向かっている。兵力は一万五千。北部方面は六千。南部方面は九千の兵力を維持している。我等はこの辺りの守備の兵を残留させる必要があるので五千。全て合流すれば三万五千の兵力となる」
「三万五千ねぇ。敵の現有兵力は?」
「……敵軍の兵力は北部、南部に展開している為、分散されています」
バルバロッサが答えるが、秀孝が聞きたい答えでは無い。
「分散された兵力が統合されれば?」
「……………………二万の敵軍を減らしたので…………およそ十八万かと…………」
「足し算が合ってない。敵本国からの増援も視野に入れる必要もある。また、大兵力で侵攻して来たのね。たった三万五千で十八万の敵と本国からの増援と戦うのね。まぁ、一人あたり六人ぐらい敵を倒せばいい訳だ。あ、なんかそう考えたら楽そうな気がしてきた。気のせいだけど」
秀孝が冗談を言い、会議室に笑みがこぼれた。そして、改めて地図を広げた。
「敵は当然の如くレノーク城への入城を阻止するだろうね。戴冠式が行われれば、文字通りエーベルン健在を周辺諸国に伝える事になる。それは、二重の意味でドゴールにとって致命的だ」
「ん? 二重の意味で?」
リューネが不思議そうに尋ねた。
「どういう意味だ? 戴冠式を行えばエーベルンの民が立ち上がるのではないのか?」
「……………………ああ、まぁ、それもあるけどね……。まずは目の前の事から順番に片付けていこう」
秀孝はそう言うと大きく背伸びをした。
「さて、最初の問題から考えよう。我々は南東に進み、レノーク城を進む。途中、各方面残軍と合流する。問題は敵がそれをまったり待ってくれるかどうか?」
秀孝がバルバロッサを見る。
「待たないでしょうな。しかし、各方面軍の現在の位置から考えれば、我々が集結するほうが早いかと」
「それは問題だな」
秀孝はそう言うと、地図を指差した。
「敵の兵力の大半は中央、王都にあると思われる。まぁ、これは誰が考えてもわかる事だ。で、北部、南部にある程度駐留させる。これで、総兵力は減る。これは、敵にとっては止むを得ない事情であり、戦略上エーベルン王国の征服の完遂を達成するならば必要な兵力の分散であると言えるだろう。では、その分散した兵力を差し引いて。敵兵力は十四、五万であろうと考えられる。では、その十四、五万の兵力を敵はどのように活用するだろうか?」
エーベルン客将軍師である秀孝の考え方はとても簡単だ。
優れた戦術でいかに百戦百勝しようとも、戦略的勝利を得る事ができなければ一度の敗北、最悪は無敗のままで敗北する。逆に考えれば、戦略的勝利こそ重要であって、戦術的勝利は二の次である。しかし、世間の人間はそのように見ない。まぁ、素人である事も要因の一つではあるが、華麗で盛大な結果が見る事が出来る戦術的勝利を支持し、そして、それを応援するのである。一方、戦略的勝利というのは、長期的に見て得る物や、最終的結果で見るものであるので、一般的にこうして勝利を得たと見る事が出来ない。
一つの例を挙げるならばファビアン主義である。
ファビアン主義というのは、持久戦略の事を指す。この名前の由来は、古代ローマの元老院で執政官、独裁官を務めたクィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートルという人物の名前が由来であり、紀元前二一九年から二〇一年にかけて行われたローマとカルタゴの戦争、第二次ポエニ戦争の時活躍した人物である。
ちなみに、クンクタートルは渾名であり、『のろま』『くず』という意味である。しかし、その後の戦略的勝利により意味は『細心』『周到』という意味に変化する事になる。
カルタゴの若き名将にして天才戦術家ハンニバル・バルカによって滅亡寸前となったローマを持久戦に持ち込み、徹底的な焦土作戦と敵戦力、敵補給のすり減らし、壊滅したローマ軍団の再建と増強によって守りきり、ついにハンニバル軍を戦略的に追い込んで撤退指せる事に成功。『ローマの盾』と讃えられた。
ハンニバルは確かに天才であった。今現在も彼が戦場で魅せた戦術は、現代の全ての軍隊で教科書に記載されるほどの完成された戦術であった。だが、戦略的に敗れた。そして、カルタゴはローマによって徹底的に破壊されて滅んだ。
このように、いかに戦術でどれだけ勝利を手にしても、戦略的に敗北すれば意味が無いのである。
バルハ城砦迎撃戦の勝利でエーベルン兵はほとんど浮かれているように秀孝は感じている。戦略的勝利を何一つ挙げていないのに何を喜んでいるのか? そう問い質したいが、流石にその言葉は飲み込んでいる。
「現在、エーベルン王国は絶体絶命の状況であると言える。バルハ城砦迎撃戦で二万の敵軍を撃破したが、何一つ状況は変化していない。敵軍は十八万。ただし、これは遠征軍であり、敵本国からの増援によってさらに増大する恐れがある。一方、エーベルン王国はたった、三万五千。この際、ハッキリ言ってしまえば絶望的兵力差だ。ここで我々が考えなければならないのは、いかにして戦術的勝利を続け、エーベルンの民から支持を取り付けつつ味方を増やし、エーベルンを奪還する事ができるのか?」
これが当面の目標である。レノーク城の戴冠式の重要性は理解しているつもりではあるが、そのような血統崇拝にどのような意味があるのか?ライネが国王としてエーベルン復活の旗印とするならば、それは確かな勝利と、民衆に対する治世によって証明すれば言いだけの話であるが、それだけでは満足しないというのも人間である。
そして、秀孝が考えている将来の展望はさらに先にある。
ドゴール王国は征服国家であるという事実。これは、ライネから聞いた事であるが、ドゴールは三十年前にエーベルンと同盟を組んでからは北方、東方、南方へと軍を進めて領土を拡張した侵略国家である。
秀孝が注目するのは、その侵略という鍵である。
征服された国家とドゴールが三十年という短い年月でそう簡単に一体化するだろうか?
もし、一体化していないならば、付け入る隙は幾らでもある。
秀孝が今一番としている目標、それは、ドゴール王国の解体である。エーベルン奪還など、途中経過の一つに過ぎない。それは、戦術的勝利で得る事が出来る。しかし、戦略的勝利では無い。戦略的勝利を得る為には、やはりドゴール王国そのものをどうにかする事である。ドゴールを解体してこそ、エーベルン王国は真の独立国家としての絶対的名声を得る事ができる。それこそ、戦略的勝利である。
しかし、この事を言葉にして一体誰が理解するだろうか? 王都を奪還する、エーベルンを取り戻す事に全員必死なのだ。その中でドゴール王国を滅ぼすにはどうすれば良いかなど考えてもいないだろう。まぁ、その対策も考えてはいるが……。
さらに秀孝を困らせている事。それは、情報である。情報に基づき戦略、戦術を考えるのに、その情報そのものが不足している。
これは、根本的問題でもある。この世界の戦い方は正面決戦。よって、情報収集は戦う前か、戦う直前である。
秀孝としては、情報を統括する部署がほしいぐらいである。諜報によりもたらされる利益は計り知れない。
そして、秀孝の言葉は続く。
「我々の前途は多難どころか絶望だ。今、そういう状況にあるという事をこの場にいる全員理解してくれ。たった二万の敵軍に勝利した程度で浮かれる事が出来るほど甘い状況ではない。さて、まずは、こちらの都合を完全に無視して、ドゴール側になって考えよう。俺が考えるのは相手の立場になって自問自答する事。エーベルンが集結しようとしている。先の戦いで士気は上がっている。それを挫く為に効果的な方法は何か? 集結前に各個撃破する。それも、集結直前に行う。あえて敵を集結させて圧倒的兵力でまとめて叩き潰すか。もし、各個撃破するならば、最初に狙うのは……兵力が少ない北部方面。だが、北部方面残党軍を攻撃すれば、王都より南西にあるレノーク城に敵本隊の入城を許してしまう可能性がある。では、南部方面残党軍を狙うか? しかし、それでは、敵に北部方面残党軍、西部方面残党軍の合流を許す。その場合、エーベルンの兵力は二万六千。……十分叩き潰す事が可能な兵力だ。しかし、残る残党軍が大人しく降伏すれば問題ないが、ライネ、リューネの内、どちら一人でも生き残り、残る残党軍と合流すれば、戦いは長期化する恐れがある。長期化すれば、折角はるばる遠征し、エーベルンをほぼ制圧したこの状況で、未だに残党軍を殲滅できないのかと本国から催促される。そうすれば自分達の評価が下がる。最悪、責任を取らされるか、地方へ転属する恐れさえある。ならば、やはり全てを合流させて圧倒的兵力で叩き潰す。ドゴールの兵力は十八万。北部、南部を掌握し常駐させる為にある程度兵力が必要。動かすならば本拠地である王都の兵力。この内、五、六万を送り込めばいいだろう。全軍を挙げて移動すれば、多方面で反乱起きた場合対処できない。必ず抑えの兵力が必要だ。だが、現有兵力で可能な作戦だ。合流したエーベルンを殲滅すれば、例えライネ、リューネのどちらかが生き残っても、組織的反抗は不可能になる。もし、他国に援助を求めて戦いを挑むのならば、援助した事それ自体を口実にその敵国に堂々と侵略する事が出来る。と、これが敵側の都合を並べた考え。では、ドゴールの目的を誘導させるにはどうすれば良いか? 此方が望む状況としては、全軍が集結して敵を迎え撃ち、レノーク城に入城する事。では、それを敵が望む状況とするならばどうすれば良いか? まず、ドゴールがエーベルン軍に早く集結して欲しいと望む状況を作り上げる事。では、集結して欲しいと望む時はどのような時か?」
「……秀孝。すまないが、少々、その……途中から混乱して来た」
リューネは、呆れながら淡い栗色の髪を弄る。
「我等が軍師殿は我々の想像を絶する思考をするらしい。私も武将として敵に挑むのは吝かではないが、敵に戦いを智恵で挑む者はそこまで考えるか」
ライネは不敵に笑いながら、紅茶を一口飲み干した。
「では、軍師殿。我等はどう動く?」
「敵が望む事。それは、我々がレノーク城に到着する前に叩き潰す事。できれば、敵が合流した状態で。では、敵の望むようにしてやろう。但し、合流するのは、レノーク城の手前では無い」
「……何ですと? 手前では無い?」
バルバロッサが驚いた表情で尋ねる。
「北部、南部、西部の残党軍に使者を出して欲しい。合流地点は……ここだ」
秀孝が地図のとある一点を指し示し、その場にいた全員が地図を覗き込み、秀孝が指差す地点を見つめた。
その時、ドアを叩く音が室内に響いた。
「ライネ様、軍資金を提供したいと申し出た商人がお越しになられております。その商人が是非、お会いしたいと申し出ておりますが、いかが致しましょう?」
「……軍資金だと?」
ライネは不思議そうにリューネ、バルバロッサ、秀孝、呂布を見る。
「会う方がいいと思う」
秀孝は即答でライネに勧めた。
「この状況で軍資金を提供しようとするとは、利を主とする商人としては些か勇み足と思う。もしくは、俺達が勝つと見込んだか……」
「……なるほど。中々面白そうな人間だな。よし、客間に通せ。私もすぐに向かおう。……そうだ、リューネ、バルバロッサ、秀孝、呂奉先。お前達も付いて来い」
バルハ城砦の客間。そこで一同が集まり、未だエーベルンに勝利の旗色が見えない状況で軍資金を提供するという酔狂な商人を待った。
「ライネ様、商人を連れて参りました。入室させても宜しいでしょうか?」
ドアを叩く音が響き、続いて衛兵からの声が響く。
「許す、通せ」
ライネが許可の言葉を言うと、ゆっくりと部屋の扉が開き、バルバロッサと同じぐらいの老人が部屋に入って来た。
老商人はライネの前に進み出ると、床に膝をつけて頭を下げた。
「この度は私のような一介の商人にお目通りして頂き、感謝申し上げます」
ライネ、リューネ、バルバロッサ、そして、秀孝も呂布も驚いてその老人を見た。
日本人であった。顔には無数の傷があり、まるで武人のようだ。
「……名を聞こうか」
ライネが言うと、商人は恭しく頭を下げた。
「はっ。私は南方の港で主に陶磁器の商いをさせて頂いております、姓をマツナガ、名をヒサヒデと申します」
老商人は微笑みを浮かべながら、媚び諂いながらライネに言った。
「ほう、で、その商人がどのような用件で此処まで遠路はるばる来たのだ?」
「はっ! まずはこの度の勝利、心よりお祝い申し上げます。不肖、このマツナガ。心から感服致しました。今だエーベルンは滅びず。まだ、エーベルンには希望が残っている事を実感致しました。現在、南方の港は全てドゴールに抑えられ、我々商人は自由に商売が出来ません。もし、ライネ様率いるエーベルン軍が勝利致しましたら、是非とも我等の商売を奨励して頂きたく存じます。その為に私はライネ様に僅かばかりではございますが、軍資金を援助致します。是非、勝ってエーベルンを再興して頂けるようお願い申し上げます」
「ほう? それは感謝するべきであろう。我々はこれからも戦い続ける。貴殿の援助は何よりの助けとなるだろう。ただ、それが援助だけが目的であるならばだ」
ライネはマツナガと名乗る商人に一本の釘を刺した。
「……そのような物言い、真に遺憾でございます。私は心から平和を願う商人でございます。平和で有ればこそ、我等商人は思うがまま商売に励む事ができます」
「一介の商人とは片腹痛い。商売に励む? 謀略、政略を考えさせたら右に出る者がいない、稀代の梟雄と評された大人物でしょうに。せめて謀略に励む事ができると言った方が清々しいとは思わないか? 弾正殿」
秀孝がマツナガと名乗った男の前に進み出た。
「松永弾正久秀。一介の商人からその卓越した学識と教養を認められて権力者の側近となり、ついには軍指揮官となるも、権力を奪う為に主君の嫡子を毒殺し、主君の弟二人を謀殺し、主君の心を追い詰めて病で死なせ、邪魔な存在だった権威ある足利家の当主義輝を殺し、東大寺を焼き討ちした。ああ、ライネ達に分かるように言うならば、この国で一番歴史がある教会があるだろう? それを戦の最中に邪魔だから焼き払ったという事だ。まぁ、それに関しては、その場所を敵が本拠点としたというどうしようもない理由もあるけれど」
秀孝の言葉は更に続いた。
「しかし、学識と教養に富み、築城の達人であり、自ら支配した土地には善政を敷き、名君と讃えられた。良くも悪くも傑物と評価しなければならないバケモノだ」
秀孝の言葉が終わり、部屋の中の空気は一変した。凍りつき、誰も口を開こうとはしなかった。だが、僅かに震えるような笑い声が響いた。
「……ふふふ…………小僧! このワシを知っているのか! これは参った! 流石にこれは予想していなかったぞ!」
久秀は立ち上がると、秀孝の目前まで迫った。その表情は先程までの微笑みを浮かべた老商人ではなく、親兄弟が殺し合い家臣が主君を狙う。それが当たり前の下克上の世の中で、一介の商人から戦国大名に伸し上がった威厳と迫力を持ち合わせた一代の英雄の顔だった。バルバロッサと同じぐらいの年齢ではあるが、年齢など微塵も感じさせないほど眼光は鋭く、まるで鷹のようだ
「小僧、貴様こそ何者だ? 何故ワシをそこまで詳しく知っている? なぜ、この訳の分からない世界にいる? どうやってきた? さぁ、話せ!」
「何者か? エーベルンの客将軍師だ。何故詳しく知っているか? お前より未来から来たからだ。此処に居る理由? さっぱり分からん。逆にこっちが質問したいね」
「………………客将軍師だと? では、先の戦を主導したのはお前か。……で? 未来から来たというのは?」
苛烈な言葉から一転、今度は冷静に質問を繰り返す。切り替えの早さには秀孝も驚きを隠せなかった。
「文字通り。あんたが死んでから……ざっと四百年ちょい後に俺は生まれている。ちなみに、俺の横で剣の柄に利き手を添えているのは、大陸の三国時代に活躍した呂布奉先その人だ」
「……な、何だと? 四百年だと? 呂奉先だと?」
久秀は動揺したのか、目を白黒させたが、大きく息を吐き出して己を落ち着かせた。
「……嘘……とは、言えないか。今のワシが嘘のような状況だからのぅ……」
久秀は一歩下がると、腕を組んだ。
「……お前、先程ワシが死んでから……と、言ったな? 死んだ事になっているのか、ワシは」
「俺の時代で確認されているあらゆる文献の中、日本史上初の爆死って事になっている」
「うむ。……確かに、ワシは平蜘蛛に火薬を詰めて火を点けた。しかし、気が付いたら平蜘蛛と共にこの世界にいた。三年前の事だ」
「……三年前だと?」
「そうだ。頼る者もおらず、致し方なく再び商人として立ち上がったのだが……」
「……秀孝、久秀とやら、そろそろいいか?」
ライネが少し呆れた声で二人に声をかけた。
「まぁ、秀孝の言葉でお前が信用に値しない人物である事が良く分かった。確かに、今後戦い続ける上で軍資金は欲しいが、お前のような輩から受け取る筋合いは無いな」
「ほう? 信用に値しない。その程度の理由で、自らの首を絞めるか」
久秀はせせら笑いながらライネに言い放った。ライネは一瞬怒りの余り椅子から立ち上がったが、言葉を発する事も無く静かに椅子に腰を下ろした。
「貴様に言われる筋合いなど無い! 軍資金が足りずとも、我等は智恵と勇気でそれを補うであろう」
「…………ほう? 随分笑わせる言葉を吐く跡継ぎ殿だ。これは秀孝と言ったか? お前はさぞかし苦労しているであろうなぁ。このような愚かな君主では、例えこのまま勝ち続けてもエーベルンは長くは持つまい」
「大言壮語を吐く奴だな貴様は。そんなにこの私に殺されたいか?」
久秀とライネはお互い睨み合った。それはある意味駆け引きでもあった。
「で? お前はどう考える。客将軍師秀孝殿? このままで本当に良いのか?」
久秀は冷徹に笑いながら秀孝を見つめた。
「……良いも何も、主君の決定だ。俺はあくまでエーベルンの客将だ」
「肝心な所は投げ出すのか?」
「違う。肝心な所だから主君に背負わせるのさ。この程度如きで潰れるのならば、その程度の主君という事だ」
「お主、主君に厳しいの」
「まぁね。……ところで、貴方の目的は? まさか、軍資金を提供して顔を覚えてもらう。その為だけにここに来るとは、貴方の考え方から言って、少し考え難いのですが?」
久秀はチラリと呂布を見つめた。呂布の利き手が剣の柄を握り締めたからである。
「……まぁ、隠しても無駄か。用件は二つ。一つは軍資金提供により、繋がりを作っておく事。どっちに転ぶか分からんからな。もう一つは、取り込める人物かどうか見極める為よ」
「で? 貴方の評価は?」
「……無能では無いが、経験が無い。思慮深くは無いが、直感に優れる。だが、その直感も己の想像の範囲から外れると無意味だな。そして、お主という知恵袋がいる。正直、お主の方がワシ個人としては面白い。しかし、お主軍略に優れているが、それだけのようだな」
「あ、分かります?」
あっけらかんと、秀孝はあっさり認めた。と、同時に久秀の眼力に恐ろしさを感じた。
「うむ。お主、軍略に優れる一方で……そうだな、政略に疎いな。もし、ワシならば……ワシという存在を知っているという利をこの場で使わぬ」
「……降参。松永弾正殿。貴方には逆立ちしても勝てそうに無い」
「では、どうするかね? ワシをこの場で殺すか?」
「それは、ライネ様次第ですね」
秀孝はそう言うと、ライネの方へ振り向き、床に膝を付け、頭を下げた。
「恐れ多くもエーベルン客将軍師、本城秀孝が奏上致します。松永弾正久秀。この者、エーベルンにとって極めて重要な人物であり、得難い才略の持ち主です。ただ、特効薬でも有りますが、一度使い方を誤ると猛毒にもなる人物ではありますが、是非、松永弾正久秀を家臣として加えて頂けるよう、お願い申し上げます」
「お、おい。秀孝、本気で言っているのか!? お前、先程まで言っていた事と今言っている事が逆だぞ!?」
これにはライネも驚いたが、久秀も驚きの表情を浮かべた。
「本気です。この者、弱者とみればドゴールへ裏切りを謀りますでしょうが、我等が勝ち続ける限り裏切る事よりも、私を謀略によって失脚させ権勢を得る事を望むでしょう。もしくは、己の智略を思う存分に発揮する事が出来る立場を得る事か……。……あ、両方かな?」
「おいおい。自ら政敵を作るのか、お前は」
久秀は呆れながら秀孝に言う。その言葉を秀孝は僅かな時間、天井を見上げて考えるが、すぐに視線を久秀に戻した。
「いあ、何と言うか。貴方ならば信用は出来ないけど、信頼して色々と頼れるかなぁ……と」
「信用は出来ずとも、頼れる……だと?」
久秀が言うと、秀孝は大きく頷いた。
「ええ。今後、俺はエーベルンを復興させるつもりですが、そうなれば権勢や、権力を欲する屑が集まるでしょ? その時、貴方が一番光り輝く。まぁ、ちょっと、不審な死や、不幸な事故で死んじゃったとか、非業の死を遂げるという出来事が多発しそうで恐ろしくもありますが……。基本原則、貴方は有能な人間を殺しはしない。それは、殺すよりも利用することを第一と考えるでしょう? まぁ、それもあくまで利用できるならば。邪魔な存在ならばあらゆる手段を用いて排除すると思いますけど」
「結局、貴様はワシに何を望んでいる? 政の主導をしろと言うのか?」
「で、俺は軍略のみに集中できます。というか、それ以外を考える事が出来るほど、俺は頭が良くないのです。元々、頭が悪く、知能が低いので。貴方は確かに大悪党だ。様々な悪事をあっさり実行する。だが、貴方の功績もまた絶大。貴方を高く評価しているのですよ?」
あっけらかんと物申すとは、この事か。秀孝は悪びれる様子も無く言い放つ。
「…………面白い。実に面白い。だが、足りんな」
「何がです?」
「その程度の言葉でワシを動かせると思っているのか?」
久秀が言い放った直後、呂布が恐るべき速さで剣を抜き放ち、白刃の刃をピタリと久秀の首に押し付けた。
「そこを何とか、お願いできませんか?」
「…………懇願するか、脅迫するかどちらか片方にせんか?」
「俺、不器用なんです」
「心の問題と思うが?」
「あ、じゃあ、俺はクソッタレという事で、ここは一つ」
久秀は疲れたように大きく溜息を吐いた。ここまで自分のペースを崩す奴は今まで一人もいなかった。だが……。
「呂奉先……だったか? ワシを殺しても良いが……。お前の主君……の妹が死ぬぞ?」
「っ!」
一瞬の出来事だった。呂布がリューネに目を向けた瞬間、バルバロッサは蹴り倒され、ライネも剣を抜き放つが、その柄を握る手を薙ぎ払われた。そして、忍装束の顔を覆面で覆った男がリューネの首に刃を突き付けていた。
「さて、これで状況はほぼ五分じゃのぅ」
笑いながら久秀は言い放つ。それを鋭い眼差しで見つめる者がいた。秀孝とライネである。
「……もし、妹に傷一つでも付けてみろ。生かしてこの城から返さんぞ!」
ライネが怒りの目で久秀を貫くが、貫かれた本人は何処吹く風である。むしろ、この状況を楽しんでいるような節すらあった。
「それは、秀孝とワシ……次第かのぅ。なぁ? 秀孝殿。言った通りであろう? 経験が足りぬ……と。ワシは人を見る目はまぁまぁあると自負している」
「呂布に刃を向けられても余裕があったのはそういう事ですか」
「まぁ、切るべき札は多く、そして先の先、後の先で有るほうが良い」
秀孝は舌打ちをすると、呂布を見る。
「…………呂布、気付かなかった?」
「……完全に気配を消されていた。気付いたのは直前だ」
「武の化身でもそれかよ。余程の手練……いや、達人だな。どこの誰ですか?」
「…………」
刺客は答えない。ただ、身動き一つせずに秀孝を見つめた。
「秀孝。刺客はそのような質問には答えない」
呂布が無駄な事だと言い放つが、秀孝は止まらない。
「いいや、答えるね。俺の勘だが、お前、俺と同じ日本人だろう? 忍か。どこの出身だ? 伊賀か? 甲賀か? 風魔か? 軒猿か? 戸隠か? 三ツ者か? 透波か? 鉢屋か? 黒脛巾か? 偸組か? 山潜か? 座頭か? 木陰か?」
「……お前の頭は書物庫か何かか? ワシも知らぬ忍集団が居るとは」
秀孝の質問攻めに久秀は呆れながらも恐ろしさを感じていた。未来から来た。自分の所業全てを知っている事。この上に忍集団の知識まであるとなると、何処まで知識として知っているか、想像できない。
「早く答えろ。ああ、リューネに傷は付けるなよ? まだ……十六の女の子だ。顔や首に傷があるのは…………まぁ、その、なんだ。いろんな意味で不味いだろ? それに、もし……俺達が元の居るべき場所に帰れる事が出来るのならば、その時協力してくれるのは間違いなく、ライネやリューネだ。他は多分、無理だろうな。狂人の戯言として放逐されるか、殺されるな。さぁ、どうする? お前の行動一つで、俺と、呂布、松永弾正、お前自身の運命が決するかもしれない」
「……………………」
秀孝の説得が効いたのか、刺客はゆっくりと刃を離した。
「楯岡」
刺客は僅かに一言だけ言葉を口にして、ゆっくりと下がり、そのまま柱の影に隠れたかと思うと、完全に気配が消えてしまった。
「……楯岡……なるほど。伊賀の達人ですか。よく、存じていますよ。まぁ、何はともあれ、リューネを解放してくださり、感謝します」
秀孝はゆっくりと頭を下げて感謝を示すと、久秀に向き直った。
「さて、久秀殿。貴方にも同じ事が言えるけど、どうする?」
「…………ふむ、ワシは今更戻るつもりはないが……。そうか、ワシの命はお前とそこの小娘の気分次第か」
「俺は含まれないよ? 助命嘆願ぐらいならするけど。あと、家臣への推挙かな」
「ワシをどうあっても家臣に取り立てたいのか?」
「有能ですからね。そして、政治という魑魅魍魎が跋扈する世界で貴方は随一の知恵者だ」
久秀は少し考えると、大きく頷き膝を床に付けた。
「……よかろう。もし家臣として末席に加えるならば、そこの小娘が、主君で足りえるかどうか、見定めよう。弱者であれば殺す。強者であるならば、ワシは好きに使われよう」
「決断はやっ!」
「悩んでも仕方が無いからのぅ」
久秀は笑いながらライネを見据える。秀孝もライネを見つめた。
「…………貴様、リューネを人質とした挙句、私の家臣になりたいと良くも恥を知らずに言えるな」
「恥なら知っている。知っているから捨てた。役にも立たぬ塵芥と同じよ。何をするべきか、何を求めるか、それが重要であって、誇りや名誉など犬に喰わせれば良い」
「誇りや名誉を捨てるだと!? 貴様、それでも武人か!?」
「武人になったつもりは無いな。だが、将であると自負している。ワシは己の欲望に忠実ではあるが、誇りや名誉など実利の無い物の為に、民や家臣を危険に晒した事など一度も無い。それは自己満足であって、民や家臣には何一つ利が無い事だからのぅ」
「口だけは達者なのは褒めてやる。だが、それ以上の才覚があるようには私には見えないな」
「ほう? 小娘が子犬の癖に吼えておるわ。では、新たな王となるライネ=エーベルンに尋ねる。貴様は何処に民を導くのだ?」
「何処にだと? 決まっている。エーベルンの領土を奪還し、平穏を取り戻す」
「ワシが言うておるのは、平穏を取り戻すその方法と、その後の治世についてよ。土地を取り戻してどのように再配分する? 国境の守備はどの程度にする? 周辺諸国との外交はどのようにする? 国力が弱体化している状況でまさか周辺各国全てと戦をする訳ではあるまい? 税の取り分、食料の確保はどうする? ドゴールに屈した裏切り者の処分は? 戦いで夫や働き手を失った遺族に対してどのように対処する? 敵の捕虜はどうするのだ? 身代金を迫るか? それとも名声を得る為に解放するのか? 破壊された教会や城壁の修復はどうする? その費用はどこから捻出する?」
「…………それは…………ぎ、吟味中だ」
「……おい、秀孝」
呆れながら久秀が秀孝を見つめると、両手を手で塞いで
「アー、アー、キコエナーイ、キコエナーイ」
と、ブツブツ呟いている姿だった。
「それは一体何のまじないだ?」
久秀は今日何度目か数え切れない溜息を吐いた。
結局、最終的にライネが折れる形で松永久秀の客将となる事が了承された。リューネもバルバロッサも大反対した。当然だ。特に、リューネは刺客まで差し向けられて危うく命を落とす所だったのだから仕方が無い。
久秀は悪びれる様子も無く、それも交渉手段の一つであるから一々文句を言う方がおかしい。と、超理論を展開し始め、物議が終了したのは深夜近くになってからだった。
ともかく、エーベルン王国に秀孝としては待望の逸材が入る事になった。
謀略と政治に関しては一級品である松永久秀。
そして、もう一人。
伊賀忍で中忍であり、役職としては多数の忍を統率する前線指揮官として活躍し、伊賀忍達人十一人にも数えられた諜報のプロである伊賀崎道順の加入である。
彼が一言呟いた『楯岡』とは、彼が『楯岡』の出身で、楯岡道順という通称で呼ばれていたからだ。
エーベルンは騒がしくも、それでもライネ戴冠に向けて準備を始めた。
それは、レノーク城奪還作戦の開始でもある。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2012/07/02 18:22 更新日:2012/07/02 18:22 『神算鬼謀と天下無双』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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