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神算鬼謀と天下無双
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第五話 孫武軍略と再来
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第五話 孫武軍略と再来
「さてさて。今の所は順調だが……」
空となった糧食搬送用馬車の荷台で地図を片手に様々な書類と検証している秀孝。その秀孝を護衛するヴァッロとマゴの二人も馬車に同乗して左右を固めていた。
「秀孝、本当にあの男の同行を認めてよかったのか?」
馬車の隣、武具を身につけ馬上の人となったリューネが不安そうに尋ねた。
「ん? あの男とは? 久秀殿の事?」
「そうだ。確かにあの男は有能だ。このレノークに向かう為の準備を素早く整えるのに一役買った。しかし、武将としても有能か?」
「……ん。まぁ、並の上……かな。あの方の真骨頂は刃を交わす戦場では無く、言葉と謀略が飛び交う戦場だから」
「…………宮廷の中…………という事か」
「そうそう。まぁ、今からそんな心配しても仕方が無い。まずは、レノーク城を奪還する事に集中しましょう」
「……わかった。ああ、先程連絡が入った。今晩にはフェニル将軍率いる西部方面軍が合流する」
「ふむ。予定より早いね」
「フェニル将軍はバルバロッサの愛弟子だ」
「ほう? それは初耳」
「バルバロッサが一兵卒から抜擢して手塩に育てた将軍だ」
「まさに、叩き上げの将軍ですか」
「そうだ」
秀孝は感心しながらも、一抹の不安を感じた。バルバロッサ将軍の人となりは理解しているつもりだ。彼は前面に立つ事はしない。必ず主君であるライネやリューネを立て、その補佐に徹底している。しかし、彼の役職は将軍。それも、エーベルンに仕える全ての将軍の長、筆頭将軍である。その筆頭将軍の愛弟子という事は、それだけ自負があると思う。
果たして、新参者。それも、まだ二十歳そこそこの自分の言葉を受け入れるだろうか?
「人が増える。味方が増える。そして摩擦も増える……か」
大きな溜息を吐いて秀孝は空を仰ぎ見る。
既に秀孝の作戦は始まっている。そして、レノーク城にて戴冠式を行うという戦略的勝利を得る為に戦術的勝利をいかに手にするか。それも既に考え抜いている。
しかし、秀孝の不安は尽きない。戦術的勝利の大前提は、西部、北部、南部各方面残党軍を率いる将軍達が秀孝の指示に従う事が大前提となっている。一応、ライネ、リューネ二人の署名入りで命令書を送ってはいるが、バルハ城砦で自分が迎撃の主導をした事は耳に入っているはず。果たして指示通りに動いてくれるかどうか……。
万が一、指示通りに動かなかった場合に備えた作戦も考えはしたが…………思いつかなかった。
はっきり言って、エーベルン軍に余力というものは存在しない。まさに崖先でつま先立ちしているのと同じ状況なのだ。一度でも敗北すれば、やはりだめだったかと大半の人間が諦めてしまう。諦めは絶望へ変化し、どのような挽回も受け付けないだろう。それが、秀孝が導き出した結論だった。故に、思いつかなかった。
圧倒的戦術的勝利を得る事によって、ライネ率いるエーベルンが今だ健在であると、エーベルンの全国民に知らしめる必要があるのだ。
「秀孝殿。水をお飲み下さい」
マゴが水筒を差し出してきた。気が付けばリューネは既にライネの隣に馬を並べていた。
バルハ城砦迎撃戦以来、若き兵士ヴァッロとベテランのマゴの二人は秀孝の護衛として定着した。最初は二人ともよそよそしく、秀孝様なんて呼んだが、秀孝自身がそれを嫌がったので殿でなんとか落ち着いた。
「ああ、どうもありがとう。マゴとヴァッロは水分補給したの?」
「我等は大丈夫です。それよりも秀孝殿が我等は心配です。常に思い悩んでいますから」
「……まぁ、考える事。それが仕事だからね」
秀孝は水筒を受け取ると、一口水を飲んだ。
為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり。
既に二万人を殺害した秀孝に逃げる、諦めるという選択肢は無い。達成するか、失敗するか。どちらかしかない。
達成すれば二万人。さらには今後増え続けるであろう死者に対して無駄死にでなかったと言える。失敗すれば、犬死となる。
「また考え事か?」
秀孝が考え事をしていると、秀孝の目に旗が映る。
真紅の呂旗。
呂布の旗である。これを作るように命じたのは他ならぬ秀孝であった。元ネタは某ゲームであるが、彼にぴったりだと思った。
「呂布。ちょっと頼みたい事がある」
「む? 何だ?」
「次の戦。でき得る限り敵兵を多く殺してくれ。それも、目立つように……ね」
「どういう意味だ?」
「それが、次の布石になるのと、もう一つの意味を持つ。面倒かもしれないが、よろしく頼む」
「……それをお前が望んでいるのならば、良いだろう。でき得る限り、目立てば良いのだな?」
「ああ」
「了承した。では、全軍の先頭に居た方が良いか?」
「うん、そうだね。宜しく頼んだ」
呂布は大きく頷くと、馬足を速めて秀孝の横を通り抜けて行った。それを見届けて秀孝は再び地図に視線を移した。
レノーク城から東の平原。ここに、ドゴール遠征軍に任じられた将軍八人の内、二人が宿営地の天幕で話し合いをしていた。
「……敵の目標はレノーク城である事は明白。問題は敵の集結が何処なのか……」
そう語るのはドゴール王国エーベルン遠征軍第三軍司令官リット将軍である。年齢は三十五歳。勇将と評価され、将来を期待される将である。
「敵が集結する前に叩くのができぬ。必ず敵軍を集結させなければならない。なんとも矛盾していますな。各個撃破する絶好の機会であると言うのに」
腕を組んで溜息を吐くのは同じくエーベルン遠征軍第三軍副司令官のヨール将軍である。年齢は四十歳。リット将軍よりも年上であるが、功績の問題でリット将軍の副官に甘んじていた。
「確かに各個に撃破するのは容易い。しかし、それでは敵の総大将であるライネ=エーベルンを打ち損なった時、別の残党と合流する。そうすれば何度も戦い続ける事になる。敵が折角一箇所に集まるのだ。それも、我が軍より少ない兵力。一度に叩き潰す機会であるとは思わないか?」
リットが言うと、ヨールも頷く。確かにリットがいう事も一理ある。
「敵残党軍が合流を果たしたとしても三万五千。我々は五万。しかし、バルハ城砦での一件もあります。あれで我が軍の第四軍は再編成する事になった」
「あれは確かに敵ながら見事であると言える。最後の悪あがきとしては賞賛に値するだろう。だが、バルハ城砦に送った指揮官の油断と怠慢が敗因であろう。数に任せて突撃、罠にはまって包囲されるなど、愚かにも程がある」
「……本当に油断と怠慢でしょうか?」
ヨールの言葉にリットが眉を吊り上げた。
「何が言いたい?」
「敵に知恵者がいるのではないか? 私がそう考えています」
ヨールが言うと、リットは大きく肩を竦めた。
「それは考えすぎだろう。もし本当に知恵者が存在するならば、何故最初からその知恵者は実力を発揮しなかった? ただの偶然であろう」
「しかし、今までエーベルンには考えられない戦い方です」
「……敵も学ぶ」
「はい、それを私は最初に考えました。……しかし、付け焼刃であそこまで見事に戦えるものでしょうか?」
「つまり敵は我々の戦い方に精通した者であると? それが、偶然にもバルハ城砦にいたとでも?」
「いえ、精通しているのではなく、最初からそういう戦い方をしていた……のではないか? それならば色々と納得が出来るのです」
「…………やはり考えすぎだろう。そのような人物がいるという報告は来ていない。もし、本当にいるならばお手並み拝見しようじゃないか」
リットが話しを締めくくろうとした時であった。
「伝令! リット将軍に面会を願う!」
かなり慌てた様子の伝令の声が天幕の中にまで響いた。
「……どうした?」
「さて? 何か有りましたかな?」
両将軍が首を傾げていると、かなり急いできた様子の伝令兵が両将軍の前で膝を折った。
「レノーク城守備隊よりお伝え致します。敵エーベルン残党軍が現れました! 数は五千!」
「何? 敵は合流せずにレノーク城を目指したのか!? レノーク城は無事か!?」
リットは焦りを感じた。レノーク城には現在守備兵が二千しかいない。これはバルハ城砦攻撃の兵を割いた為に起こった事であった。
「はい! その……敵の動きが……何と申しましょうか……レノーク城に攻撃を一度もせず、そのまま通り過ぎました!」
伝令兵の言葉にリット、ヨール両将軍は言葉を失った。余りに予想外の報告であったからである。
「……………………な、何? 通り過ぎただと? 敵は何処に向かった?」
最初に立ち直ったのはリットであった。
「はっ! レノーク城を無視して南へ!」
「南だと?」
リットがヨールに視線を移すと、すでにヨールは地図を広げていた。
「…………レノークの南と言いますと、商業都市リグがございますな」
「リグだと? リグ……。リグか……」
リットは腕組みをして考え始めた。リットはエーベルン残党軍の動きの理由が分からなかった。レノーク城は代々エーベルンの王族が戴冠式を行う城であり、エーベルン健在を示すには必要不可欠な戦略上重要な城だ。それを無視するだけの相当な理由とは何か?
「奴等は軍資金や食料が不足しているのか?」
リットがヨールに尋ねると、ヨールは首を横に振った。
「軍資金は分かりませんが、食料はバルハ城砦に向かった遠征軍の分があります。豊富とは言えませんが、現段階では余裕はあるかと」
「では、金か?」
「レノーク城で戴冠式を行えばエーベルン健在を内外に示す事が出来ます。そうすればエーベルンの民から軍資金の提供も受けられるでしょう。それが分からない連中でもありますまい」
「では、なぜレノーク城を無視する!?」
「…………私にも敵の真意がわかりません。もしかしたら南方の残党軍との合流を……いや、結局は全てが合流しなければ我等に対抗するなど……」
「……敵の何の利益は無い。では、なぜそれを行うのか……」
「商業都市であるリグを奪還すれば、敵は長期戦を行う事が可能となります。なにしろ、リグはエーベルンの海洋貿易最大拠点です。リグを新たな王都としてしまえば……」
「かつての慣習であるレノークなど無意味な城になる……という訳か」
「豊富な資金もあれば傭兵を雇う事も可能となりましょう。兵力を整えて我々に対抗するのかもしれません」
「………………」
リットは大きく息を吐くと、腕を組んで改めてヨールを見つめた。
「ヨール将軍。たった一手だ。レノークを通り過ぎて南に向かう。たったそれだけで我々は途方も無い窮地に立たされたぞ。考えられる事はレノークを通り過ぎたと見せかけてのレノークの強襲。ヨール将軍が言った様にリグの奪還を目指している。敵の動きも目的も見えなくなった。敵には相当な知恵者がいるぞ!」
「……バルハ城砦は……偶然の敗北……ではないと……いう事になりましょうか」
「その可能性が大きくなった。面白い! それぐらい歯応えがある敵と戦うというのは武人としての生きがいだ! ヨール将軍。南方に偵察部隊を派遣しろ。まずは敵が今何処にいて、何処に向かっているのか知る必要がある」
「はっ!」
ヨールが返答して天幕を出ると、リットは地図を改めて見つめた。
リットには一抹の不安があった。本当に敵の狙いはレノーク、リグなのか。それ以外の何か別の目的、別の目標があるのではないか。
「…………まさか……敵の狙いは我々第三軍そのものか?」
敵が戦い易い場所へ移動して迎え撃つ準備している。それならばそれは何処であるのか?
「敵の狙いがリグだとすれば、敵は傭兵を雇って我々を迎え撃つという事になる。……五千も集まれば敵は四万。我々第三軍五万と正面で戦える。だが、そんな事は莫迦でも思いつく事だ。バルハ城砦で二万を撃破した奴が考えるにはお粗末過ぎる…………敵の本当の目的はどこにある?」
リットは選択肢が増えた事に戸惑っていた。
今まではレノーク城の奪還を目指す敵軍を迎え撃つ為、出来るだけ早くレノーク城に到達し、レノーク城の近くにある大軍を活用できる場所で合流を果たしたエーベルン軍と一戦交える。そういう話だった。それが、根底が覆った。
敵は合流もせずに急進してレノーク城の前に現れ、何もせずに南へ向かった。それに一体何の意味があるのか? そもそもそれ自体に意味があるのか? 我々を動揺させる為か?
合流はどこで行う? そして何処で戦うのか? そもそも敵はまともに我々と戦うつもりがあるのか?
エーベルン軍追跡を開始して二日目。
リットの元に偵察部隊から報告が来た。報告に寄れば、敵は南、リグへ直進する道を選んで進軍しているとの報告だった。
エーベルン軍追跡四日目。
偵察部隊より報告。敵は街道分岐点にてリグでは無く、南西に向かう道を進み始めたという報告だった。
エーベルン軍追跡六日目。
偵察部隊より報告。敵は街道分岐点にて西方からの残党軍と合流。そのまま現地にて待機。同じ日の夜。北方からの残党軍と合流。
エーベルン軍追跡七日目。
偵察部隊より報告。一夜を明かした敵軍は南東、リグへ向かう道へ進軍再開。
エーベルン軍追跡九日目。
偵察部隊より報告。敵は南方残党軍と合流。敵総兵力三万五千となる。街道分岐点にて東へ針路変更。レノーク湖北側に向かう。
エーベルン軍の追跡開始から十日目ドゴール軍はエーベルン軍を完全に捕捉した。
早朝、レノーク湖から発生した濃い霧の中、ドゴール王国エーベルン遠征軍第三軍司令官リット将軍、副司令官ヨール率いる五万の軍団はレノーク湖の北側を進軍していた。
偵察部隊からの報告により、エーベルン残党軍が既に西方、南方、北方の残党軍と合流し、三万五千まで兵を増やしてリグに向かっている事を知ったからである。
しかし、エーベルンは致命的失敗を犯した。西方からの残党軍と合流する為に進路をやや南西にとった。よって、やや西側に大回りする形になったのである。
リットは勝利を確信した。エーベルンは三万五千。対する自軍は五万。さらに敵の位置を偵察部隊によって把握できていた。
そして、ドゴール軍はエーベルン軍に追い付く事ができる。
エーベルン軍は三万五千。ドゴール軍は五万。さらにレノーク湖の北側を通ればその先は平原であり、大軍を運用するには絶好の場所でもあった。
リットは偵察部隊を呼び戻し、最終的にエーベルン軍がレノーク湖の北側を通る様子を確認させた。
「敵の目的はやはりリグだったようですね」
「ああ、何度もレノーク城に定時連絡を遣した。予備兵力で襲わないか心配であったが、敵の知恵者はそこまで考えなかったようだな。俺ならば、北方の部隊でレノークを襲わせるが」
リット、ヨール二人の将軍に笑みが浮かぶ。
慎重に、慌てず、敵の動きをじっくりと観察し続けた。敵がどのような突発的な行動をとっても、対処出来る様に備えた。
そして、第三軍はエーベルンを奇襲する事ができる状況まで耐え抜いた。
エーベルン遠征の功績第一は、まさに二人が手にする事になるであろう。
しかし、その笑顔が浮かんだの一瞬の事であった。
「敵襲! 第一部隊が敵軍から攻撃を受けています!」
それは、バルバロッサ率いる重装歩兵部隊五千人による奇襲攻撃であった。彼は霧を利用して地面に兵を伏せ、ギリギリまで引き寄せて一斉攻撃を仕掛けたのである。敵には目の前に居るはずが無い敵兵がいきなり現れたように映った。
バルバロッサの役目は重装歩兵部隊を秀孝が指導した『鶴翼の陣形』にて迎え撃ち、一歩も動かず迫る敵軍をその整然と並んだ戦列によって押し返す事である。
突然の報告に二人の顔は凍りついた。
「ヨール! 第一部隊の指揮を任せる! なんとしても突破しろ!」
「はっ!」
リットはすぐさまヨールに指示を飛ばし、ヨールもそれに応じて馬を飛ばす。自分達が置かれた状況をすぐに理解したからである。
ドゴール軍はエーベルンに追い付く為にレノーク湖畔の北側を進軍していた。しかし、そこは隘路であり、しかもドゴール軍は戦列が進軍隊形であった為に細長く延びていたのである。
しかし、リットの心配を他所に周囲からほぼ一斉にラッパの音が鳴り響いた。それと同時に喚声の声が上がった。
「最後尾の第五部隊が敵騎兵部隊の奇襲を受けています! 敵の猛攻激しく! 救援を請う!」
「背後からもだと!?」
続いて報告されたのは、呂布率いる騎兵部隊三千による強襲攻撃である。翻る真紅の呂旗と共に呂布は猛然と突撃したのである。目標はドゴール軍全体を前方に押し上げる事である。
「第二部隊、敵歩兵部隊の奇襲を受けています! 指示を!」
「っ! 第二部隊は……」
リットが指示を出そうとした瞬間、それは遮られた。リット率いる第三部隊の頭上に大量の矢が降り注いだ為である。
さらに、敵歩兵が奇襲攻撃を仕掛けてきたのである。
これも秀孝の指示であった。
全体的に言えば、バルバロッサが敵軍先頭部隊を押し返し、呂布率いる騎兵部隊が後方よりドゴール軍を先頭へと押し上げる。そうすると自然に敵は中央に集まる。そこへ猛烈な矢を浴びせながら歩兵による奇襲攻撃を行うのである。
固まれば矢の的になり、後に下がれば湖の中に入り、反撃しようとしても、狭い場所に大軍が犇いているのだ。動くに動けない。そこへ敵が攻撃を仕掛けてくる。
「おのれ! ぐっ!」
リットは怒りの声と共に、左腕に突き刺さった矢を引き抜いた。
「第一部隊のヨールに伝令! 何としても正面突破を成功させろ! 第二から第五部隊に伝令! 敵軍に構わず前進! 立ち止まるな! 立ち止まれば湖に追い落とされて死ぬぞ!」
リットの指示は正しかった。ドゴールが置かれている状況を考えればこの状況を打破する方法はただ一つ。この場所から如何なる犠牲を払ってでも強行突破する事である。
しかし、その言葉を聞く者はいなかった。もはやドゴール軍は隊列を完全に崩して壊乱状態であった。そして、リットの危惧したとおり、大軍である事が余計に混乱を招き、味方の兵に押されて次々と湖に兵士達が倒れた。
「…………全てはこの地で一戦する為の計画でだったという事か」
合流もせずにレノーク城に到達した事。
レノーク城を無視して素通りした事。
リグに向かう素振りを見せた事。
合流地点をわざと西側にして大回りする道を選んだ事。
レノーク湖北側を通過した事。
霧が早朝発生する事。
それを利用して自分達が北側を通過しようとする事。
時間的に平原の地点で自分達がエーベルン軍に追い付く事。
「何もかも、この為だけに準備された茶番劇だったというのか……!」
リットは茫然自失のまま絶命した。新たに矢の雨が降り注ぎ、三本の矢が彼の首、胸、腹部を刺し貫いたからである。
「……ライネ、リューネ。敵は確かに大軍だ。だが、その大軍もこうなれば哀れな獲物に過ぎない。さらに、この地形とあのような混乱振りでは実際に戦闘しているのは五万の内、四千から五千に過ぎない。周囲の味方が悲鳴を挙げながら混乱するのを他所に、懸命に戦う五千に対して、周到に準備して、それも不意打ちで襲い掛かる三万五千。これは、戦だが、戦では無い。一方的な虐殺に近い。しかし、戦いの準備をする段階で、まず敵より多くの兵を準備するのは絶対だ。問題は、その兵をどのように運用するのかという点だ。兵を準備するだけでは勝利では無い」
丘の上でライネ、リューネと共に秀孝は近衛騎士団二百騎と共に戦況を見つめていた。
「さて、リューネ様。敵は何故、罠の掛かったのでしょうか?」
秀孝が突然リューネに問いをした。
「え? 何故……だと? えっと……それは、敵がこの地に来たからだ」
「では、どうしてこの地に来たのでしょうか?」
「そ、それは………………我々を追撃したから」
「では、なぜ追撃を決断したのでしょうか? それも、こんな霧が出る時間帯に」
「そうすれば……この先にある平原で我々に追い付く事ができるから?」
「その通り。もう少し掘り下げてみようか?」
「待て、秀孝。それ以上我が妹を虐めてやるな」
ライネが呆れながら秀孝を止めた。
「では、ライネ様。模範解答をどうぞ」
秀孝が恭しく頭を下げながら言うと、ライネは言葉が詰まった。
「それは……我々がレノーク城を通過したから……ではないか? 故に敵は我々がレノーク城を目標としていないと思い込ん…………」
ライネが言葉を区切った。そして何かに気付いたように空を見上げた。
「……この地で迫る敵軍を逆に奇襲して殲滅する為か。それも、我々全軍が合流した状態で」
「はい。正解。つまりはこうです。敵は自分達に都合の良い情報しか収集しなかった。敵が望みはエーベルン残党軍が合流した状態で一戦交える短期決戦。しかし、我々は本隊五千でレノーク城に到達し、さらにレノーク城を無視した。そうしたら考える。他に目的があるのではないか? では、次に考えるのは、目的は何処であるか? 俺達はリグに向かって進軍した。そしてまた考える。リグに向かっているのか? それとも別の目的か? そして俺達は南西に向かい合流を果たした。そうしたら又考える。こんな場所で合流したのはやはりリグを目標としているのではないか? そして俺達はレノーク湖北を通過するとみせかけた。そして敵の考えは確信に変わる。やはりエーベルンの目標はリグだと。そして今度はこう考える。どのようにすればエーベルンを殲滅できるか? 敵は度々偵察部隊を送り、俺達の動きを把握していた。そして、南西に大回りした事により追い付く事ができると考えた。では、追い付く事ができるのならば、それをどのように利用すればいいのか? 簡単だ。大軍を存分に活用できる場所で襲えば良い。そして、このレノーク湖を越えた先には敵が存分に大軍を活用できる場所がある。我々が『偵察部隊を偵察していた』とは知らずに」
すらすらと秀孝は解説した。
「つまりは心理戦だ。俺達は敵にとって都合が良いように動いてあげた。徐々に、緩やかに、さりげなく、そして、敵が襲い掛かる場所を提供してやった。それが、最後の餌だ。俺の世界で孫武という偉大な智将がいる。後日、教師という意味を込めて孫子と呼ばれるのだが、この人物が書き記した兵法書、孫子の兵法書の虚実篇、軍争篇にこのようにある」
孫子の兵法書、虚実篇より。
善く戦う者は、人を致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれを利すればなり。能く敵人をして至るを得ざらしむる者はこれを害すればなり。故に敵を佚すれば能くこれを労し、飽けば能くこれをえしめ、安んずれば能くこれを動かす。
[巧みに戦う者は、敵軍を思うがままに動かして、決して自分が敵の思うままに動かされたりはしない。来て欲しい地点に敵軍が自分から進んでやって来るようにさせられるのは、利益を見せびらかすからである。やって来てほしくない地点に敵軍が来られない様させられるのは、害悪を見せ付けるからである]
孫子の兵法書、軍争篇より。
軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為す。故に其の途を迂にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先きんじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。
[軍争の難しさは迂回路を直進の近道に変え、憂いごとを利益に転ずる点にある。一見戦場に遠い迂回路を取りながら、敵を利益で誘い出して来て、敵より後に出発しながら戦場を手元に引き寄せて敵よりも先に戦場に到着するというのは、迂回路を直進の近道に変える計謀を知るものである]
「……と、まぁ、こういう事だな。進軍する事だけで敵を罠に嵌める事ができる。全ての軍事行動は騙し合いであるという事だ。他にもこういう戒めがある」
孫子の兵法書、軍争篇より。
兵は詐を以て立ち、利を動き、分合を以て変を為す者なり。故に、其の疾きこと風の如く、其の徐なることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、知り難きことは陰の如く、動くことは雷の震うが如くにして、郷を掠むるには衆を分かち郷うところを指すに衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。
[軍事行動は敵を欺く事を基本とし、利益にのみ従って行動し、分散と集合の戦法を用いて臨機応変の処置を取るのである。だから、疾風の様に迅速に進撃し、林の様に静まり返って待機し、火が燃え広がる様に急激に侵攻し、山の様に居座り、暗闇の様に実態を隠し、雷鳴の様に突然動き、偽りの進路を敵に指示するには部隊を分けて進ませ、占領地を拡大する時は要地を分守させ、権謀を巡らせつつ機動する。迂回路を直進の近道に変える手を敵に先んじて察知して勝利する。これこそが軍争の方法なのである]
秀孝は再び戦況に視線を移した。そんな秀孝の顔はリューネには酷く冷徹見えた。
寡兵で敵を破る。それは途方も無く難しい。だが、この男は二度もやってのけた。それも、考えもしなかった手段で。
リューネは複雑な思いに駆られていた。
姉ライネを国王とし、自分は姉の剣となり、盾となってエーベルンの民の為に戦う
ライネの頼もしい妹として役に立つ存在でありたいと願っていた。
だが、現実はどうであろうか?
剣としては呂奉先の足元に及ばず、攻撃部隊の指揮官から外され、姉の警護である近衛騎士団を統率する身。
盾としては本城秀孝に言うに及ばず。これほどの戦いをするなど、真似する事すら出来るかどうか。
頼もしい仲間がいると思うか、恐ろしい味方がいると思うか。
姉ライネは秀孝に対して全幅の信頼を置いているようだった。
こうして目の前でドゴール軍五万が、三万五千の味方によって文字通り圧倒的劣勢に立たされて蹂躙されている。
だが、もしあの時、秀孝、呂奉先の二人と姉ライネが出会わなかったら……。
蹂躙され、悲鳴を上げ、地面に倒れ、湖で溺れ、力なく水に浮かぶ死体はエーベルンの兵や民であったかも知れない。
本当に信用して良いのだろうか?
いつか、自分達にその牙を向けて、エーベルンを乗っ取るという事は無いだろうか? その準備の為に、松永久秀という謀略の達人を陣営に迎えるように言ったのではないか?
そんな思いがリューネの中で自覚するほど芽吹いていた。
レノーク湖畔奇襲戦は戦闘開始から僅か三時間で終結を迎えた。
ドゴール軍五万に対してエーベルン軍は三万五千。
数の上で劣勢であったエーベルン軍は敵軍を有利な地点に誘き寄せて、敵が奇襲しようとする所を逆に奇襲するというドゴール軍にとっては予想外の行動に出た。さらに、正面、側面、後背と完全に包囲を完成させていた。
ドゴール軍の死傷者は四万五千。大半は死者で、半数近くがレノーク湖に追い立てられた事による溺死であった。ドゴール軍総司令官リット将軍は戦死。ヨール将軍は捕縛された。
一方のエーベルン軍の死者は僅かに千五百二十一名であった。
勝利を得たエーベルン軍はその後、北へ転進。レノーク城を包囲した。レノーク城守備隊は、ヨール将軍とその生き残り兵を守備隊と共に解放する事を条件に一日で降伏した。
こうしてエーベルン軍は、圧倒的劣勢の状態で、敵軍五万を撃破するという最大の宣伝材料を手にして、レノーク城に入城を果たした。
「さてさて。今の所は順調だが……」
空となった糧食搬送用馬車の荷台で地図を片手に様々な書類と検証している秀孝。その秀孝を護衛するヴァッロとマゴの二人も馬車に同乗して左右を固めていた。
「秀孝、本当にあの男の同行を認めてよかったのか?」
馬車の隣、武具を身につけ馬上の人となったリューネが不安そうに尋ねた。
「ん? あの男とは? 久秀殿の事?」
「そうだ。確かにあの男は有能だ。このレノークに向かう為の準備を素早く整えるのに一役買った。しかし、武将としても有能か?」
「……ん。まぁ、並の上……かな。あの方の真骨頂は刃を交わす戦場では無く、言葉と謀略が飛び交う戦場だから」
「…………宮廷の中…………という事か」
「そうそう。まぁ、今からそんな心配しても仕方が無い。まずは、レノーク城を奪還する事に集中しましょう」
「……わかった。ああ、先程連絡が入った。今晩にはフェニル将軍率いる西部方面軍が合流する」
「ふむ。予定より早いね」
「フェニル将軍はバルバロッサの愛弟子だ」
「ほう? それは初耳」
「バルバロッサが一兵卒から抜擢して手塩に育てた将軍だ」
「まさに、叩き上げの将軍ですか」
「そうだ」
秀孝は感心しながらも、一抹の不安を感じた。バルバロッサ将軍の人となりは理解しているつもりだ。彼は前面に立つ事はしない。必ず主君であるライネやリューネを立て、その補佐に徹底している。しかし、彼の役職は将軍。それも、エーベルンに仕える全ての将軍の長、筆頭将軍である。その筆頭将軍の愛弟子という事は、それだけ自負があると思う。
果たして、新参者。それも、まだ二十歳そこそこの自分の言葉を受け入れるだろうか?
「人が増える。味方が増える。そして摩擦も増える……か」
大きな溜息を吐いて秀孝は空を仰ぎ見る。
既に秀孝の作戦は始まっている。そして、レノーク城にて戴冠式を行うという戦略的勝利を得る為に戦術的勝利をいかに手にするか。それも既に考え抜いている。
しかし、秀孝の不安は尽きない。戦術的勝利の大前提は、西部、北部、南部各方面残党軍を率いる将軍達が秀孝の指示に従う事が大前提となっている。一応、ライネ、リューネ二人の署名入りで命令書を送ってはいるが、バルハ城砦で自分が迎撃の主導をした事は耳に入っているはず。果たして指示通りに動いてくれるかどうか……。
万が一、指示通りに動かなかった場合に備えた作戦も考えはしたが…………思いつかなかった。
はっきり言って、エーベルン軍に余力というものは存在しない。まさに崖先でつま先立ちしているのと同じ状況なのだ。一度でも敗北すれば、やはりだめだったかと大半の人間が諦めてしまう。諦めは絶望へ変化し、どのような挽回も受け付けないだろう。それが、秀孝が導き出した結論だった。故に、思いつかなかった。
圧倒的戦術的勝利を得る事によって、ライネ率いるエーベルンが今だ健在であると、エーベルンの全国民に知らしめる必要があるのだ。
「秀孝殿。水をお飲み下さい」
マゴが水筒を差し出してきた。気が付けばリューネは既にライネの隣に馬を並べていた。
バルハ城砦迎撃戦以来、若き兵士ヴァッロとベテランのマゴの二人は秀孝の護衛として定着した。最初は二人ともよそよそしく、秀孝様なんて呼んだが、秀孝自身がそれを嫌がったので殿でなんとか落ち着いた。
「ああ、どうもありがとう。マゴとヴァッロは水分補給したの?」
「我等は大丈夫です。それよりも秀孝殿が我等は心配です。常に思い悩んでいますから」
「……まぁ、考える事。それが仕事だからね」
秀孝は水筒を受け取ると、一口水を飲んだ。
為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり。
既に二万人を殺害した秀孝に逃げる、諦めるという選択肢は無い。達成するか、失敗するか。どちらかしかない。
達成すれば二万人。さらには今後増え続けるであろう死者に対して無駄死にでなかったと言える。失敗すれば、犬死となる。
「また考え事か?」
秀孝が考え事をしていると、秀孝の目に旗が映る。
真紅の呂旗。
呂布の旗である。これを作るように命じたのは他ならぬ秀孝であった。元ネタは某ゲームであるが、彼にぴったりだと思った。
「呂布。ちょっと頼みたい事がある」
「む? 何だ?」
「次の戦。でき得る限り敵兵を多く殺してくれ。それも、目立つように……ね」
「どういう意味だ?」
「それが、次の布石になるのと、もう一つの意味を持つ。面倒かもしれないが、よろしく頼む」
「……それをお前が望んでいるのならば、良いだろう。でき得る限り、目立てば良いのだな?」
「ああ」
「了承した。では、全軍の先頭に居た方が良いか?」
「うん、そうだね。宜しく頼んだ」
呂布は大きく頷くと、馬足を速めて秀孝の横を通り抜けて行った。それを見届けて秀孝は再び地図に視線を移した。
レノーク城から東の平原。ここに、ドゴール遠征軍に任じられた将軍八人の内、二人が宿営地の天幕で話し合いをしていた。
「……敵の目標はレノーク城である事は明白。問題は敵の集結が何処なのか……」
そう語るのはドゴール王国エーベルン遠征軍第三軍司令官リット将軍である。年齢は三十五歳。勇将と評価され、将来を期待される将である。
「敵が集結する前に叩くのができぬ。必ず敵軍を集結させなければならない。なんとも矛盾していますな。各個撃破する絶好の機会であると言うのに」
腕を組んで溜息を吐くのは同じくエーベルン遠征軍第三軍副司令官のヨール将軍である。年齢は四十歳。リット将軍よりも年上であるが、功績の問題でリット将軍の副官に甘んじていた。
「確かに各個に撃破するのは容易い。しかし、それでは敵の総大将であるライネ=エーベルンを打ち損なった時、別の残党と合流する。そうすれば何度も戦い続ける事になる。敵が折角一箇所に集まるのだ。それも、我が軍より少ない兵力。一度に叩き潰す機会であるとは思わないか?」
リットが言うと、ヨールも頷く。確かにリットがいう事も一理ある。
「敵残党軍が合流を果たしたとしても三万五千。我々は五万。しかし、バルハ城砦での一件もあります。あれで我が軍の第四軍は再編成する事になった」
「あれは確かに敵ながら見事であると言える。最後の悪あがきとしては賞賛に値するだろう。だが、バルハ城砦に送った指揮官の油断と怠慢が敗因であろう。数に任せて突撃、罠にはまって包囲されるなど、愚かにも程がある」
「……本当に油断と怠慢でしょうか?」
ヨールの言葉にリットが眉を吊り上げた。
「何が言いたい?」
「敵に知恵者がいるのではないか? 私がそう考えています」
ヨールが言うと、リットは大きく肩を竦めた。
「それは考えすぎだろう。もし本当に知恵者が存在するならば、何故最初からその知恵者は実力を発揮しなかった? ただの偶然であろう」
「しかし、今までエーベルンには考えられない戦い方です」
「……敵も学ぶ」
「はい、それを私は最初に考えました。……しかし、付け焼刃であそこまで見事に戦えるものでしょうか?」
「つまり敵は我々の戦い方に精通した者であると? それが、偶然にもバルハ城砦にいたとでも?」
「いえ、精通しているのではなく、最初からそういう戦い方をしていた……のではないか? それならば色々と納得が出来るのです」
「…………やはり考えすぎだろう。そのような人物がいるという報告は来ていない。もし、本当にいるならばお手並み拝見しようじゃないか」
リットが話しを締めくくろうとした時であった。
「伝令! リット将軍に面会を願う!」
かなり慌てた様子の伝令の声が天幕の中にまで響いた。
「……どうした?」
「さて? 何か有りましたかな?」
両将軍が首を傾げていると、かなり急いできた様子の伝令兵が両将軍の前で膝を折った。
「レノーク城守備隊よりお伝え致します。敵エーベルン残党軍が現れました! 数は五千!」
「何? 敵は合流せずにレノーク城を目指したのか!? レノーク城は無事か!?」
リットは焦りを感じた。レノーク城には現在守備兵が二千しかいない。これはバルハ城砦攻撃の兵を割いた為に起こった事であった。
「はい! その……敵の動きが……何と申しましょうか……レノーク城に攻撃を一度もせず、そのまま通り過ぎました!」
伝令兵の言葉にリット、ヨール両将軍は言葉を失った。余りに予想外の報告であったからである。
「……………………な、何? 通り過ぎただと? 敵は何処に向かった?」
最初に立ち直ったのはリットであった。
「はっ! レノーク城を無視して南へ!」
「南だと?」
リットがヨールに視線を移すと、すでにヨールは地図を広げていた。
「…………レノークの南と言いますと、商業都市リグがございますな」
「リグだと? リグ……。リグか……」
リットは腕組みをして考え始めた。リットはエーベルン残党軍の動きの理由が分からなかった。レノーク城は代々エーベルンの王族が戴冠式を行う城であり、エーベルン健在を示すには必要不可欠な戦略上重要な城だ。それを無視するだけの相当な理由とは何か?
「奴等は軍資金や食料が不足しているのか?」
リットがヨールに尋ねると、ヨールは首を横に振った。
「軍資金は分かりませんが、食料はバルハ城砦に向かった遠征軍の分があります。豊富とは言えませんが、現段階では余裕はあるかと」
「では、金か?」
「レノーク城で戴冠式を行えばエーベルン健在を内外に示す事が出来ます。そうすればエーベルンの民から軍資金の提供も受けられるでしょう。それが分からない連中でもありますまい」
「では、なぜレノーク城を無視する!?」
「…………私にも敵の真意がわかりません。もしかしたら南方の残党軍との合流を……いや、結局は全てが合流しなければ我等に対抗するなど……」
「……敵の何の利益は無い。では、なぜそれを行うのか……」
「商業都市であるリグを奪還すれば、敵は長期戦を行う事が可能となります。なにしろ、リグはエーベルンの海洋貿易最大拠点です。リグを新たな王都としてしまえば……」
「かつての慣習であるレノークなど無意味な城になる……という訳か」
「豊富な資金もあれば傭兵を雇う事も可能となりましょう。兵力を整えて我々に対抗するのかもしれません」
「………………」
リットは大きく息を吐くと、腕を組んで改めてヨールを見つめた。
「ヨール将軍。たった一手だ。レノークを通り過ぎて南に向かう。たったそれだけで我々は途方も無い窮地に立たされたぞ。考えられる事はレノークを通り過ぎたと見せかけてのレノークの強襲。ヨール将軍が言った様にリグの奪還を目指している。敵の動きも目的も見えなくなった。敵には相当な知恵者がいるぞ!」
「……バルハ城砦は……偶然の敗北……ではないと……いう事になりましょうか」
「その可能性が大きくなった。面白い! それぐらい歯応えがある敵と戦うというのは武人としての生きがいだ! ヨール将軍。南方に偵察部隊を派遣しろ。まずは敵が今何処にいて、何処に向かっているのか知る必要がある」
「はっ!」
ヨールが返答して天幕を出ると、リットは地図を改めて見つめた。
リットには一抹の不安があった。本当に敵の狙いはレノーク、リグなのか。それ以外の何か別の目的、別の目標があるのではないか。
「…………まさか……敵の狙いは我々第三軍そのものか?」
敵が戦い易い場所へ移動して迎え撃つ準備している。それならばそれは何処であるのか?
「敵の狙いがリグだとすれば、敵は傭兵を雇って我々を迎え撃つという事になる。……五千も集まれば敵は四万。我々第三軍五万と正面で戦える。だが、そんな事は莫迦でも思いつく事だ。バルハ城砦で二万を撃破した奴が考えるにはお粗末過ぎる…………敵の本当の目的はどこにある?」
リットは選択肢が増えた事に戸惑っていた。
今まではレノーク城の奪還を目指す敵軍を迎え撃つ為、出来るだけ早くレノーク城に到達し、レノーク城の近くにある大軍を活用できる場所で合流を果たしたエーベルン軍と一戦交える。そういう話だった。それが、根底が覆った。
敵は合流もせずに急進してレノーク城の前に現れ、何もせずに南へ向かった。それに一体何の意味があるのか? そもそもそれ自体に意味があるのか? 我々を動揺させる為か?
合流はどこで行う? そして何処で戦うのか? そもそも敵はまともに我々と戦うつもりがあるのか?
エーベルン軍追跡を開始して二日目。
リットの元に偵察部隊から報告が来た。報告に寄れば、敵は南、リグへ直進する道を選んで進軍しているとの報告だった。
エーベルン軍追跡四日目。
偵察部隊より報告。敵は街道分岐点にてリグでは無く、南西に向かう道を進み始めたという報告だった。
エーベルン軍追跡六日目。
偵察部隊より報告。敵は街道分岐点にて西方からの残党軍と合流。そのまま現地にて待機。同じ日の夜。北方からの残党軍と合流。
エーベルン軍追跡七日目。
偵察部隊より報告。一夜を明かした敵軍は南東、リグへ向かう道へ進軍再開。
エーベルン軍追跡九日目。
偵察部隊より報告。敵は南方残党軍と合流。敵総兵力三万五千となる。街道分岐点にて東へ針路変更。レノーク湖北側に向かう。
エーベルン軍の追跡開始から十日目ドゴール軍はエーベルン軍を完全に捕捉した。
早朝、レノーク湖から発生した濃い霧の中、ドゴール王国エーベルン遠征軍第三軍司令官リット将軍、副司令官ヨール率いる五万の軍団はレノーク湖の北側を進軍していた。
偵察部隊からの報告により、エーベルン残党軍が既に西方、南方、北方の残党軍と合流し、三万五千まで兵を増やしてリグに向かっている事を知ったからである。
しかし、エーベルンは致命的失敗を犯した。西方からの残党軍と合流する為に進路をやや南西にとった。よって、やや西側に大回りする形になったのである。
リットは勝利を確信した。エーベルンは三万五千。対する自軍は五万。さらに敵の位置を偵察部隊によって把握できていた。
そして、ドゴール軍はエーベルン軍に追い付く事ができる。
エーベルン軍は三万五千。ドゴール軍は五万。さらにレノーク湖の北側を通ればその先は平原であり、大軍を運用するには絶好の場所でもあった。
リットは偵察部隊を呼び戻し、最終的にエーベルン軍がレノーク湖の北側を通る様子を確認させた。
「敵の目的はやはりリグだったようですね」
「ああ、何度もレノーク城に定時連絡を遣した。予備兵力で襲わないか心配であったが、敵の知恵者はそこまで考えなかったようだな。俺ならば、北方の部隊でレノークを襲わせるが」
リット、ヨール二人の将軍に笑みが浮かぶ。
慎重に、慌てず、敵の動きをじっくりと観察し続けた。敵がどのような突発的な行動をとっても、対処出来る様に備えた。
そして、第三軍はエーベルンを奇襲する事ができる状況まで耐え抜いた。
エーベルン遠征の功績第一は、まさに二人が手にする事になるであろう。
しかし、その笑顔が浮かんだの一瞬の事であった。
「敵襲! 第一部隊が敵軍から攻撃を受けています!」
それは、バルバロッサ率いる重装歩兵部隊五千人による奇襲攻撃であった。彼は霧を利用して地面に兵を伏せ、ギリギリまで引き寄せて一斉攻撃を仕掛けたのである。敵には目の前に居るはずが無い敵兵がいきなり現れたように映った。
バルバロッサの役目は重装歩兵部隊を秀孝が指導した『鶴翼の陣形』にて迎え撃ち、一歩も動かず迫る敵軍をその整然と並んだ戦列によって押し返す事である。
突然の報告に二人の顔は凍りついた。
「ヨール! 第一部隊の指揮を任せる! なんとしても突破しろ!」
「はっ!」
リットはすぐさまヨールに指示を飛ばし、ヨールもそれに応じて馬を飛ばす。自分達が置かれた状況をすぐに理解したからである。
ドゴール軍はエーベルンに追い付く為にレノーク湖畔の北側を進軍していた。しかし、そこは隘路であり、しかもドゴール軍は戦列が進軍隊形であった為に細長く延びていたのである。
しかし、リットの心配を他所に周囲からほぼ一斉にラッパの音が鳴り響いた。それと同時に喚声の声が上がった。
「最後尾の第五部隊が敵騎兵部隊の奇襲を受けています! 敵の猛攻激しく! 救援を請う!」
「背後からもだと!?」
続いて報告されたのは、呂布率いる騎兵部隊三千による強襲攻撃である。翻る真紅の呂旗と共に呂布は猛然と突撃したのである。目標はドゴール軍全体を前方に押し上げる事である。
「第二部隊、敵歩兵部隊の奇襲を受けています! 指示を!」
「っ! 第二部隊は……」
リットが指示を出そうとした瞬間、それは遮られた。リット率いる第三部隊の頭上に大量の矢が降り注いだ為である。
さらに、敵歩兵が奇襲攻撃を仕掛けてきたのである。
これも秀孝の指示であった。
全体的に言えば、バルバロッサが敵軍先頭部隊を押し返し、呂布率いる騎兵部隊が後方よりドゴール軍を先頭へと押し上げる。そうすると自然に敵は中央に集まる。そこへ猛烈な矢を浴びせながら歩兵による奇襲攻撃を行うのである。
固まれば矢の的になり、後に下がれば湖の中に入り、反撃しようとしても、狭い場所に大軍が犇いているのだ。動くに動けない。そこへ敵が攻撃を仕掛けてくる。
「おのれ! ぐっ!」
リットは怒りの声と共に、左腕に突き刺さった矢を引き抜いた。
「第一部隊のヨールに伝令! 何としても正面突破を成功させろ! 第二から第五部隊に伝令! 敵軍に構わず前進! 立ち止まるな! 立ち止まれば湖に追い落とされて死ぬぞ!」
リットの指示は正しかった。ドゴールが置かれている状況を考えればこの状況を打破する方法はただ一つ。この場所から如何なる犠牲を払ってでも強行突破する事である。
しかし、その言葉を聞く者はいなかった。もはやドゴール軍は隊列を完全に崩して壊乱状態であった。そして、リットの危惧したとおり、大軍である事が余計に混乱を招き、味方の兵に押されて次々と湖に兵士達が倒れた。
「…………全てはこの地で一戦する為の計画でだったという事か」
合流もせずにレノーク城に到達した事。
レノーク城を無視して素通りした事。
リグに向かう素振りを見せた事。
合流地点をわざと西側にして大回りする道を選んだ事。
レノーク湖北側を通過した事。
霧が早朝発生する事。
それを利用して自分達が北側を通過しようとする事。
時間的に平原の地点で自分達がエーベルン軍に追い付く事。
「何もかも、この為だけに準備された茶番劇だったというのか……!」
リットは茫然自失のまま絶命した。新たに矢の雨が降り注ぎ、三本の矢が彼の首、胸、腹部を刺し貫いたからである。
「……ライネ、リューネ。敵は確かに大軍だ。だが、その大軍もこうなれば哀れな獲物に過ぎない。さらに、この地形とあのような混乱振りでは実際に戦闘しているのは五万の内、四千から五千に過ぎない。周囲の味方が悲鳴を挙げながら混乱するのを他所に、懸命に戦う五千に対して、周到に準備して、それも不意打ちで襲い掛かる三万五千。これは、戦だが、戦では無い。一方的な虐殺に近い。しかし、戦いの準備をする段階で、まず敵より多くの兵を準備するのは絶対だ。問題は、その兵をどのように運用するのかという点だ。兵を準備するだけでは勝利では無い」
丘の上でライネ、リューネと共に秀孝は近衛騎士団二百騎と共に戦況を見つめていた。
「さて、リューネ様。敵は何故、罠の掛かったのでしょうか?」
秀孝が突然リューネに問いをした。
「え? 何故……だと? えっと……それは、敵がこの地に来たからだ」
「では、どうしてこの地に来たのでしょうか?」
「そ、それは………………我々を追撃したから」
「では、なぜ追撃を決断したのでしょうか? それも、こんな霧が出る時間帯に」
「そうすれば……この先にある平原で我々に追い付く事ができるから?」
「その通り。もう少し掘り下げてみようか?」
「待て、秀孝。それ以上我が妹を虐めてやるな」
ライネが呆れながら秀孝を止めた。
「では、ライネ様。模範解答をどうぞ」
秀孝が恭しく頭を下げながら言うと、ライネは言葉が詰まった。
「それは……我々がレノーク城を通過したから……ではないか? 故に敵は我々がレノーク城を目標としていないと思い込ん…………」
ライネが言葉を区切った。そして何かに気付いたように空を見上げた。
「……この地で迫る敵軍を逆に奇襲して殲滅する為か。それも、我々全軍が合流した状態で」
「はい。正解。つまりはこうです。敵は自分達に都合の良い情報しか収集しなかった。敵が望みはエーベルン残党軍が合流した状態で一戦交える短期決戦。しかし、我々は本隊五千でレノーク城に到達し、さらにレノーク城を無視した。そうしたら考える。他に目的があるのではないか? では、次に考えるのは、目的は何処であるか? 俺達はリグに向かって進軍した。そしてまた考える。リグに向かっているのか? それとも別の目的か? そして俺達は南西に向かい合流を果たした。そうしたら又考える。こんな場所で合流したのはやはりリグを目標としているのではないか? そして俺達はレノーク湖北を通過するとみせかけた。そして敵の考えは確信に変わる。やはりエーベルンの目標はリグだと。そして今度はこう考える。どのようにすればエーベルンを殲滅できるか? 敵は度々偵察部隊を送り、俺達の動きを把握していた。そして、南西に大回りした事により追い付く事ができると考えた。では、追い付く事ができるのならば、それをどのように利用すればいいのか? 簡単だ。大軍を存分に活用できる場所で襲えば良い。そして、このレノーク湖を越えた先には敵が存分に大軍を活用できる場所がある。我々が『偵察部隊を偵察していた』とは知らずに」
すらすらと秀孝は解説した。
「つまりは心理戦だ。俺達は敵にとって都合が良いように動いてあげた。徐々に、緩やかに、さりげなく、そして、敵が襲い掛かる場所を提供してやった。それが、最後の餌だ。俺の世界で孫武という偉大な智将がいる。後日、教師という意味を込めて孫子と呼ばれるのだが、この人物が書き記した兵法書、孫子の兵法書の虚実篇、軍争篇にこのようにある」
孫子の兵法書、虚実篇より。
善く戦う者は、人を致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれを利すればなり。能く敵人をして至るを得ざらしむる者はこれを害すればなり。故に敵を佚すれば能くこれを労し、飽けば能くこれをえしめ、安んずれば能くこれを動かす。
[巧みに戦う者は、敵軍を思うがままに動かして、決して自分が敵の思うままに動かされたりはしない。来て欲しい地点に敵軍が自分から進んでやって来るようにさせられるのは、利益を見せびらかすからである。やって来てほしくない地点に敵軍が来られない様させられるのは、害悪を見せ付けるからである]
孫子の兵法書、軍争篇より。
軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為す。故に其の途を迂にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先きんじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。
[軍争の難しさは迂回路を直進の近道に変え、憂いごとを利益に転ずる点にある。一見戦場に遠い迂回路を取りながら、敵を利益で誘い出して来て、敵より後に出発しながら戦場を手元に引き寄せて敵よりも先に戦場に到着するというのは、迂回路を直進の近道に変える計謀を知るものである]
「……と、まぁ、こういう事だな。進軍する事だけで敵を罠に嵌める事ができる。全ての軍事行動は騙し合いであるという事だ。他にもこういう戒めがある」
孫子の兵法書、軍争篇より。
兵は詐を以て立ち、利を動き、分合を以て変を為す者なり。故に、其の疾きこと風の如く、其の徐なることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、知り難きことは陰の如く、動くことは雷の震うが如くにして、郷を掠むるには衆を分かち郷うところを指すに衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は勝つ。此れ軍争の法なり。
[軍事行動は敵を欺く事を基本とし、利益にのみ従って行動し、分散と集合の戦法を用いて臨機応変の処置を取るのである。だから、疾風の様に迅速に進撃し、林の様に静まり返って待機し、火が燃え広がる様に急激に侵攻し、山の様に居座り、暗闇の様に実態を隠し、雷鳴の様に突然動き、偽りの進路を敵に指示するには部隊を分けて進ませ、占領地を拡大する時は要地を分守させ、権謀を巡らせつつ機動する。迂回路を直進の近道に変える手を敵に先んじて察知して勝利する。これこそが軍争の方法なのである]
秀孝は再び戦況に視線を移した。そんな秀孝の顔はリューネには酷く冷徹見えた。
寡兵で敵を破る。それは途方も無く難しい。だが、この男は二度もやってのけた。それも、考えもしなかった手段で。
リューネは複雑な思いに駆られていた。
姉ライネを国王とし、自分は姉の剣となり、盾となってエーベルンの民の為に戦う
ライネの頼もしい妹として役に立つ存在でありたいと願っていた。
だが、現実はどうであろうか?
剣としては呂奉先の足元に及ばず、攻撃部隊の指揮官から外され、姉の警護である近衛騎士団を統率する身。
盾としては本城秀孝に言うに及ばず。これほどの戦いをするなど、真似する事すら出来るかどうか。
頼もしい仲間がいると思うか、恐ろしい味方がいると思うか。
姉ライネは秀孝に対して全幅の信頼を置いているようだった。
こうして目の前でドゴール軍五万が、三万五千の味方によって文字通り圧倒的劣勢に立たされて蹂躙されている。
だが、もしあの時、秀孝、呂奉先の二人と姉ライネが出会わなかったら……。
蹂躙され、悲鳴を上げ、地面に倒れ、湖で溺れ、力なく水に浮かぶ死体はエーベルンの兵や民であったかも知れない。
本当に信用して良いのだろうか?
いつか、自分達にその牙を向けて、エーベルンを乗っ取るという事は無いだろうか? その準備の為に、松永久秀という謀略の達人を陣営に迎えるように言ったのではないか?
そんな思いがリューネの中で自覚するほど芽吹いていた。
レノーク湖畔奇襲戦は戦闘開始から僅か三時間で終結を迎えた。
ドゴール軍五万に対してエーベルン軍は三万五千。
数の上で劣勢であったエーベルン軍は敵軍を有利な地点に誘き寄せて、敵が奇襲しようとする所を逆に奇襲するというドゴール軍にとっては予想外の行動に出た。さらに、正面、側面、後背と完全に包囲を完成させていた。
ドゴール軍の死傷者は四万五千。大半は死者で、半数近くがレノーク湖に追い立てられた事による溺死であった。ドゴール軍総司令官リット将軍は戦死。ヨール将軍は捕縛された。
一方のエーベルン軍の死者は僅かに千五百二十一名であった。
勝利を得たエーベルン軍はその後、北へ転進。レノーク城を包囲した。レノーク城守備隊は、ヨール将軍とその生き残り兵を守備隊と共に解放する事を条件に一日で降伏した。
こうしてエーベルン軍は、圧倒的劣勢の状態で、敵軍五万を撃破するという最大の宣伝材料を手にして、レノーク城に入城を果たした。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2012/07/15 00:02 更新日:2012/07/15 00:02 『神算鬼謀と天下無双』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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