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神算鬼謀と天下無双
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前書き・紹介
そえのネタバレ解説! レノーク湖畔奇襲戦!
前の話 | 目次 | 次の話 |
毎度、おなじみ(?) そえ の解説コーナー
ワー ドンドンドン パフパフ ドンドンドン
はい、今回はレノーク湖畔戦 正確に言えば レノーク湖畔逆奇襲戦と言えば宜しいでしょうか。
この戦いの解説をしようと思います。
えー、まず。今回の戦いの元となった史実の戦いですが、トラシメヌス湖畔の戦いです。
詳しくはグーグルかウィキペディア先生を参考にして下さい。
では、解説を始めます。
はい、今回は文字通りそのまんまのコピー戦でした。
もっと、頭を捻れよ!
と、皆様をおっしゃる事でしょう! うん、反省はしている。
一つだけ言い訳させてくれ。
敵が湖畔に来るように誘導する作戦で無い頭をフル活動させたので、もう、考えるのが面倒になったんだよ!(オイ!
だってさ! レノーク城を素通りする時点で不審な点満載だろ!? それをいかに自然に見せかけること。
行軍日程、行軍速度、他残党軍との合流地点、目標地点誤認に導く情報誘導。
もうね、パンクしたわ。
この話を書いている時、相当悩んだのか、気が付いたら灰皿が煙草の山になっていたよ。
それに、このレノーク湖畔の元となったトラシメヌス湖畔の戦いは、戦術的に完璧で、私の頭では弄りようがありませんでした(合掌)
紀元前217年6月21日
イタリアのトラシメヌス湖畔(現在のトラジメーノ湖)で起こった共和政ローマ軍とカルタゴ軍の戦いであり、
カルタゴの若き天才戦術家ハンニバル=バルカ将軍率いるカルタゴ軍が、ガイウス・フラミニウス率いるローマ軍を破った戦いです。
状況としては、ローマ軍は四個軍団に五万人を準備します。
そして、ハンニバルに戦いを挑むのですが、この時点はハンニバルはアルプス山脈を越え、その後数度の戦いでローマに勝利を収めており、都市であるローマそのものに近づいていました。よって、ローマ軍はハンニバルはそのままローマに来るだろうと予想していましたが、どの道を通って来るのか予想が出来ませんでした。
ローマ軍の四個軍団を指揮していたのはグナエウス・セルウィリウスとガイウス・フラミニウスの二人でした。二人は相談して軍は半分に分けて
セルウィリウスはリミニ(ローマの北東でイタリア半島東海沿い)
フラミニウスはアレッツォ(ローマの北東、イタリア半島の真ん中あたり)
にそれぞれ進軍、カルタゴ軍を探しました。
そえ としてはの考えではありますが、カルタゴ軍か進軍する考えられるルートは
1、西側海沿い、超危険な最短ルート
2、普通の進軍、アルペン山脈西側ルート
3、まさかの三度目の山越え、アルペン山脈東側ルート(一度目はピレネー山脈 二度目はアルプス山脈 )
4、何でこっちに? 大回りする東側海沿いルート
5、死亡フラグです。船に乗って直接ローマへ
となるでしょうか。消去法で言えばまず5が消えます。船の準備をする必要がありますし、ローマ海軍は当時地中海で無双してました。
次は1ですね。西の海側なんて、ローマの真正面ですし、当然徹底的にローマは防衛強化しています。さらに、海軍を使えばローマ、海から、船で兵を輸送して北側から、3方向から囲まれる危険性があるので、まず通りません。
となれば、2、3、4、です。よって、アルペン山脈の南側に1部隊 これで、2、3に備えれます。次にまさかの4が考えられるので東側に1部隊
実際、前代未聞のアルプス山脈踏破を成し遂げてハンニバルが来たのですから。4はありでしょう。
ちなみに、二千年経過今現在でも、一体アルプスの何処を通って、しかも象さん連れて踏破したのか、さっぱりわかっていません!
(この踏破で四万六千が 歩兵二万 騎兵六千 まで減りました 崖から落ちたり、逃亡したり、色々です。しかしながら、彼等は北アフリカ出身が大半の兵隊であり、基本的に温暖な気候で生活していた人々なので、二万六千人も残ったことが逆に凄いです)
二人が軍を分散したのはこういう理由があると考えています。決して二人がアホだった訳ではありません。
で、そのカルタゴ軍はアペニン山脈(イタリア半島中央に伸びる山脈)越えてフィレンツェに到着、その後、ペルージャに向かいました。
ペルージャは丁度、グナエウス・セルウィリウスとガイウス・フラミニウスそれぞれの中間地点でした。
カルタゴ軍の発見、ペルージャに向かっている事を察知したフラミニウスは
「あ、ちょうど中間地点じゃん。それなら南北から挟み撃ちができるんじゃね?」
と考えて、すぐにセルウィリウスに連絡。セルウィリウスもそれを承諾しました。
二人は挟み撃ちでカルタゴをフルボッコにしようと画策しました。が、そこは天才戦術家ハンニバル。
「ま、当然そうするよね。読んでたよ。バカめ」
元々、ハンニバルはこれを挟撃してくる事を予測し、逆に各個撃破の機会を狙っていました。
哀れ、襲撃対象に選ばれたのは挟撃提案者のフラミニウスでした。
ハンニバルはフラミニウス率いる二個軍団二万五千が自分達を挟撃する為に通る場所、トラシメヌス湖畔に先に到着。直ぐに部隊を展開しました。
トラシメヌス湖の北岸を通る街道は、丘陵の間を通る隘路であり、迎撃と埋伏に最適な地形だった。まさに死亡フラグ満載の場所。
ハンニバルは、湖畔の出口側へ重装歩兵を配置し、そこから西へ軽装歩兵、ガリア兵、騎兵の順番で丘陵の陰に隠れるように配置。
ちなみに、ハンニバル率いるカルタゴ軍は五万。ローマ軍の倍の兵力でした。
重装歩兵が敵の進軍を阻止し、騎兵が退路を遮断、軽装歩兵とガリア兵が敵主力を攻撃して湖へ追い落とす。という、作戦でした。
そして運命の日。
早朝、フラミニウス率いるローマ軍はトラシメヌス湖畔に到着。この日は濃霧のために視界が悪く、ローマ軍は接触までカルタゴ軍の存在に気が付かなかった。
まず、予定通りカルタゴ軍重装歩兵がローマ軍先鋒を襲撃。
カルタゴ軍重装歩兵の戦闘が始まると、直ちにカルタゴ軍騎兵がローマ軍の後方へ回りこみ、退路を断つと同時にローマ軍を前方へ押し込んだ。
この時点でローマ軍は大混乱に陥っていたが、丘陵の陰から軽装歩兵とガリア兵が出現すると混乱は頂点に達した。
側面奇襲に成功したカルタゴ軍は、長く伸びたローマ軍隊列を分断し、またたくまにこれを壊滅させた。
ローマ軍の前衛がカルタゴ軍重装歩兵の戦列を突破したが、逃亡出来たのは6,000名に過ぎなかった。戦闘は三時間で終了。
うん、二倍の敵に、退路を断たれ、長く伸びた戦列に次々伏兵が襲い掛かってくる。
最初の時点で、もう詰んでる。
この戦いにおけるローマ軍の死者は一万五千人を超え、指揮官のフラミニウスは戦死した。
ローマ軍はなんとかカルタゴ重装歩兵部隊を強行突破して一度は逃亡に成功したけど、カルタゴ軍の追撃によって大半が降伏に追い込まれた。
一方のカルタゴ軍の損害は千五百?二千程度でした。
文句なしのカルタゴ軍の戦術的勝利です。
挟撃するつもりだったもう一人の指揮官、セルウィリウスはフラミニウスの戦死と、二個軍団の壊滅を知り、自軍に対して二倍の兵力をもつカルタゴに挑むのは無理と判断。すぐにローマへ引き返しました。
うん、正しい判断だ。
本編でも語りましたが、この戦いの後、
クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートル ローマの盾の異名を持つ事になるこの男が執政官に就任。
ハンニバルに対して持久戦を挑む事になります。
ワー ドンドンドン パフパフ ドンドンドン
はい、今回はレノーク湖畔戦 正確に言えば レノーク湖畔逆奇襲戦と言えば宜しいでしょうか。
この戦いの解説をしようと思います。
えー、まず。今回の戦いの元となった史実の戦いですが、トラシメヌス湖畔の戦いです。
詳しくはグーグルかウィキペディア先生を参考にして下さい。
では、解説を始めます。
はい、今回は文字通りそのまんまのコピー戦でした。
もっと、頭を捻れよ!
と、皆様をおっしゃる事でしょう! うん、反省はしている。
一つだけ言い訳させてくれ。
敵が湖畔に来るように誘導する作戦で無い頭をフル活動させたので、もう、考えるのが面倒になったんだよ!(オイ!
だってさ! レノーク城を素通りする時点で不審な点満載だろ!? それをいかに自然に見せかけること。
行軍日程、行軍速度、他残党軍との合流地点、目標地点誤認に導く情報誘導。
もうね、パンクしたわ。
この話を書いている時、相当悩んだのか、気が付いたら灰皿が煙草の山になっていたよ。
それに、このレノーク湖畔の元となったトラシメヌス湖畔の戦いは、戦術的に完璧で、私の頭では弄りようがありませんでした(合掌)
紀元前217年6月21日
イタリアのトラシメヌス湖畔(現在のトラジメーノ湖)で起こった共和政ローマ軍とカルタゴ軍の戦いであり、
カルタゴの若き天才戦術家ハンニバル=バルカ将軍率いるカルタゴ軍が、ガイウス・フラミニウス率いるローマ軍を破った戦いです。
状況としては、ローマ軍は四個軍団に五万人を準備します。
そして、ハンニバルに戦いを挑むのですが、この時点はハンニバルはアルプス山脈を越え、その後数度の戦いでローマに勝利を収めており、都市であるローマそのものに近づいていました。よって、ローマ軍はハンニバルはそのままローマに来るだろうと予想していましたが、どの道を通って来るのか予想が出来ませんでした。
ローマ軍の四個軍団を指揮していたのはグナエウス・セルウィリウスとガイウス・フラミニウスの二人でした。二人は相談して軍は半分に分けて
セルウィリウスはリミニ(ローマの北東でイタリア半島東海沿い)
フラミニウスはアレッツォ(ローマの北東、イタリア半島の真ん中あたり)
にそれぞれ進軍、カルタゴ軍を探しました。
そえ としてはの考えではありますが、カルタゴ軍か進軍する考えられるルートは
1、西側海沿い、超危険な最短ルート
2、普通の進軍、アルペン山脈西側ルート
3、まさかの三度目の山越え、アルペン山脈東側ルート(一度目はピレネー山脈 二度目はアルプス山脈 )
4、何でこっちに? 大回りする東側海沿いルート
5、死亡フラグです。船に乗って直接ローマへ
となるでしょうか。消去法で言えばまず5が消えます。船の準備をする必要がありますし、ローマ海軍は当時地中海で無双してました。
次は1ですね。西の海側なんて、ローマの真正面ですし、当然徹底的にローマは防衛強化しています。さらに、海軍を使えばローマ、海から、船で兵を輸送して北側から、3方向から囲まれる危険性があるので、まず通りません。
となれば、2、3、4、です。よって、アルペン山脈の南側に1部隊 これで、2、3に備えれます。次にまさかの4が考えられるので東側に1部隊
実際、前代未聞のアルプス山脈踏破を成し遂げてハンニバルが来たのですから。4はありでしょう。
ちなみに、二千年経過今現在でも、一体アルプスの何処を通って、しかも象さん連れて踏破したのか、さっぱりわかっていません!
(この踏破で四万六千が 歩兵二万 騎兵六千 まで減りました 崖から落ちたり、逃亡したり、色々です。しかしながら、彼等は北アフリカ出身が大半の兵隊であり、基本的に温暖な気候で生活していた人々なので、二万六千人も残ったことが逆に凄いです)
二人が軍を分散したのはこういう理由があると考えています。決して二人がアホだった訳ではありません。
で、そのカルタゴ軍はアペニン山脈(イタリア半島中央に伸びる山脈)越えてフィレンツェに到着、その後、ペルージャに向かいました。
ペルージャは丁度、グナエウス・セルウィリウスとガイウス・フラミニウスそれぞれの中間地点でした。
カルタゴ軍の発見、ペルージャに向かっている事を察知したフラミニウスは
「あ、ちょうど中間地点じゃん。それなら南北から挟み撃ちができるんじゃね?」
と考えて、すぐにセルウィリウスに連絡。セルウィリウスもそれを承諾しました。
二人は挟み撃ちでカルタゴをフルボッコにしようと画策しました。が、そこは天才戦術家ハンニバル。
「ま、当然そうするよね。読んでたよ。バカめ」
元々、ハンニバルはこれを挟撃してくる事を予測し、逆に各個撃破の機会を狙っていました。
哀れ、襲撃対象に選ばれたのは挟撃提案者のフラミニウスでした。
ハンニバルはフラミニウス率いる二個軍団二万五千が自分達を挟撃する為に通る場所、トラシメヌス湖畔に先に到着。直ぐに部隊を展開しました。
トラシメヌス湖の北岸を通る街道は、丘陵の間を通る隘路であり、迎撃と埋伏に最適な地形だった。まさに死亡フラグ満載の場所。
ハンニバルは、湖畔の出口側へ重装歩兵を配置し、そこから西へ軽装歩兵、ガリア兵、騎兵の順番で丘陵の陰に隠れるように配置。
ちなみに、ハンニバル率いるカルタゴ軍は五万。ローマ軍の倍の兵力でした。
重装歩兵が敵の進軍を阻止し、騎兵が退路を遮断、軽装歩兵とガリア兵が敵主力を攻撃して湖へ追い落とす。という、作戦でした。
そして運命の日。
早朝、フラミニウス率いるローマ軍はトラシメヌス湖畔に到着。この日は濃霧のために視界が悪く、ローマ軍は接触までカルタゴ軍の存在に気が付かなかった。
まず、予定通りカルタゴ軍重装歩兵がローマ軍先鋒を襲撃。
カルタゴ軍重装歩兵の戦闘が始まると、直ちにカルタゴ軍騎兵がローマ軍の後方へ回りこみ、退路を断つと同時にローマ軍を前方へ押し込んだ。
この時点でローマ軍は大混乱に陥っていたが、丘陵の陰から軽装歩兵とガリア兵が出現すると混乱は頂点に達した。
側面奇襲に成功したカルタゴ軍は、長く伸びたローマ軍隊列を分断し、またたくまにこれを壊滅させた。
ローマ軍の前衛がカルタゴ軍重装歩兵の戦列を突破したが、逃亡出来たのは6,000名に過ぎなかった。戦闘は三時間で終了。
うん、二倍の敵に、退路を断たれ、長く伸びた戦列に次々伏兵が襲い掛かってくる。
最初の時点で、もう詰んでる。
この戦いにおけるローマ軍の死者は一万五千人を超え、指揮官のフラミニウスは戦死した。
ローマ軍はなんとかカルタゴ重装歩兵部隊を強行突破して一度は逃亡に成功したけど、カルタゴ軍の追撃によって大半が降伏に追い込まれた。
一方のカルタゴ軍の損害は千五百?二千程度でした。
文句なしのカルタゴ軍の戦術的勝利です。
挟撃するつもりだったもう一人の指揮官、セルウィリウスはフラミニウスの戦死と、二個軍団の壊滅を知り、自軍に対して二倍の兵力をもつカルタゴに挑むのは無理と判断。すぐにローマへ引き返しました。
うん、正しい判断だ。
本編でも語りましたが、この戦いの後、
クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートル ローマの盾の異名を持つ事になるこの男が執政官に就任。
ハンニバルに対して持久戦を挑む事になります。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2012/07/15 00:34 更新日:2012/07/15 00:34 『神算鬼謀と天下無双』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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