作品ID:111
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アルバイト軍師!
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 連載中
前書き・紹介
第一話 ここは日本じゃない……と思います!
目次 | 次の話 |
第一話 ここは日本じゃない……と思います!
「すっかり遅くなったなぁ」
盛大にくしゃみをして秋の夜空を見上げながら、薄暗い道を徒歩で歩く一人の青年――如月ユウトは日付が変わる少し前までバイトに勤しんでいた。
本来ならば、三時間は前に帰宅できる予定だったのだが、バイト先の店長の奥さんが産気づいたとかで、大急ぎで病院へ直行したのが理由だった。まぁ、それについては事前に店長から、近々急遽で自分の代役を頼むかもしれないと、理由と共に説明されていたので、理由が理由でもあったし、断る理由も拒否しなければならないほど重要な用事も無いので二つ返事で返答した結果である為、愚痴を言っても仕方が無い。それに、初産だったという事も理由の一つかもしれない。もし自分が同じような立場になったら、可能ならば立会いたいと思うのは親心だろう。
「しかし、流石にこの時間帯は少し冷えるか……」
普段ならば寝ている時間なので少々眠い。瞼が今にも閉じてしまいそうだ。
悠斗は近くの自販機でコーヒー缶を一本購入すると、隣のベンチに座った。
「もうそろそろ試験か……」
重大な案件を思い出し少し憂鬱になる。
悠斗は大学受験を控えている。しかも、悲しいかな二浪中……。もし、今年ダメならば大学は諦めて就職活動をするしかないかと思われ。しかも、目指しているのは考古学部。正直、入学した後の将来の展望はかなり薄い。本当に好きな人間しか入らない部だ。
勉強をするにも、疲れ果てているこの状態でやっても余り意味は無いだろう。それに明日は休みなのだから、明日、集中的にすれば問題ないだろう。夏は灼熱、冬は酷寒、六畳一間で、風呂トイレが共同で、壁が薄いために隣の音楽が聞こえてくるとしても、住み慣れれば都の部屋だと自分自身に暗示をかけようとして失敗したとしても、勉強する分には不足は無い。
空になった空き缶をゴミ箱に投げ入れて悠斗は家路に着いた。
安らぎの我が都。もとい、我が家に到着した悠斗は、とりあえず上着を脱いでベッドに放り投げると、冷蔵庫からビールを取り出した。
カシュ。という音がした後、ビールを口にする。ビール特有の香りと苦味が口の中を支配し、炭酸と共に喉を滑り落ちた。
「プハーッ! あー疲れたー」
そして、一言。……帰宅して冷蔵庫からビールを取り出してこの一言を言うのは、ほぼ毎日の事である意味儀式化していた。
さて、遅い夕飯というのか、早すぎる朝食と言うべきか……。メニューは調理担当の同僚がまかないで作ってくれた牛丼。うん。美味そう。
「いただきます!」
号令直下、空腹の虫が鳴り響き続けていた胃と栄養補給を催促していた本能の赴くままに牛丼を口の中に放り込んだ。
「美味い!」
一言感想。以下、猛烈な勢いで牛丼を胃袋に入れてしまい、最後に缶に残ったビールを一気で飲んだ。
悠斗は、酒が強い方では無い。まったく飲めない訳では無いが、ビール一缶でほろ酔い状態になる。
「さて、風呂に………………………………………………いや、もう、寝よう……」
疲労から来る強烈な睡魔が、入浴という魅惑の癒しに激闘の末、完全勝利を告げた。
赤い顔のまま、寝間着に着替える事も億劫になった悠斗はそのままベッドに倒れこんだ。
「明日……起き……たら…………風呂に…………入…………」
睡魔による征服が完了。悠斗は寝息を立てて就寝した。
心地よい陽射しを肌に感じる。どうやらとてつもない速さで眠ってしまった様だ。
「……ん……もう、朝……か……」
大きなあくびを一つ。ゆっくりと上半身を起す。
「あー良く寝た……」
目を軽く擦り首を左右に振ってバキバキと鳴らして、背伸びをする。
「さて、起きるか」
瞼を開けて悠斗は起床した。
「……………………………………………………………………………………………………」
さて、大きな大きな問題が発生した。
間違っても、朝起きてふと横を見ると全裸の美女がスヤスヤ眠っていた……などと言うオイシイ問題ではない。もし、そうならば責任持って美味しくイタダキ……イヤイヤそれは妄想で片付ける事にする。
「……ここはどこ?」
悠斗が瞼を開けると見えた物。それは見知らぬ壁、見知らぬ調度品、見知らぬ家具。しかも、どれもこれも……デザインが古いのに、妙に真新しい物がある。
とりあえず確定事項なのは、ここは自分が寝ていたはずの我が家では無い。
「……夢か?」
とりあえずベタベタの確認方法を実行。バチン。と、頬を打つ音が部屋に鳴り響く。
「…………あー……めっさ痛てぇ!」
自分で張り手をしておきながら手加減しなかったのが悪かったのか……。かなりの痛みが響いた。
「って、痛いってどういう事だよ!?」
さて、これからどうする? という次の問題が発生してしまった。
「と、とりあえず、起きよう!」
ベッドから降りて、足に地面か付く感覚に襲われる。夢じゃないのか? いやいや、まだ確定とするには早い。
とりあえず自分の服装を確認する。
「……あーそう言えば風呂に入らずに飯喰ってそのまま寝たっけ」
前日と同じ格好をしていた事をまず確認する。靴も履いたままだ。
ちなみに悠斗は基本的に『黒』と『青』を良く好んで着込んでいる。服装も、黒の靴に、黒の靴下、青いジーパン、ベルト、黒のTシャツ、黒の長袖である。お世辞にもファッションセンスがあるとは言いがたい。
そういえば、前日は少し寒かったので黒革ジャケットを着ていたはずだが……。
周りを見渡すと、黒革ジャケットは椅子の背もたれに掛けられていた。とりあえず黒革ジャケットを着て、自分に違和感が無いか確認する。
「あ、そうだ!」
ふと思いついてポケットを確認。取り出した物をテーブルの上に並べる。
財布、携帯電話、家の鍵、アナログの腕時計。
「……これだけか……」
財布の中身を確認する。
「……えっと、帰りに缶コーヒーを買ったから百二十円を差し引いて…………ぴったりか。一円も盗られていない…………」
財布の中は前日とぴったり、一万円札が三枚、五千円札は無し、記念に保存していた二千円札が一枚、千円札が五枚、五百円玉が一枚、百円玉が七枚、五十円玉が二枚、十円玉が六枚、五円玉は六枚、一円玉三枚。総計三万八千三百九十三円。
なぜ、正確に一円単位で把握しているのか? その理由は単純にして明快である。
「家計簿はやっぱり役に立つなぁ」
少し自慢げにフフフと含み笑いして今そんな事をしている場合では無いと気付く。
「そうだ、携帯!」
携帯を開いて電波確認。
「圏外かよ!」
圏外の携帯電話。それ即ち役立たず。
さて、ふりだしに戻った所で今一度部屋を見渡す。
ベッド、椅子、テーブル、花を飾った花瓶、小さな窓が一つ。但し、窓はカーテンで日の光を遮っている。
「窓……か」
カーテンを横にずらして外を見渡す。
「………………ちょと、待て。ふざけんなよ?」
思わず悠斗は毒づいた。
悠斗の瞳に映った風景、それはまるで中世ヨーロッパのような町並みが広がっている風景だった。しかも、その街は城壁に囲まれている。そして、その風景が見える位置から考えて、街の中心にある建物内部と思われ、しかも、四、五階ぐらいの建物で、少し小高くなっている丘の上に建てられた建物のようだ。下を見ると甲冑姿の兵士が巡回をしていて、しかもこの部屋はどうも三階らしく、とてもじゃないが窓から降りるのは少し問題がある。
まず、ここで問題となるのは……『ここは日本では無い』と断言できてしまう事だ。巡回中の兵士の顔をみるにどう考えても西洋人だ。次に問題となるのは時代考察。『現代』では有り得ない。建物はどう考えてもその様式や構造が古すぎる。そして、甲冑姿の兵士だ。装備をみるとプレートアーマーとは言いがたい。しかし、全身鎖帷子という訳でも無く、鎖帷子の胸鎧の上に心臓を守る為の胸鎧を二重に着込んでいる。他は腕鎧、足甲、手甲と、分散している。ここがヨーロッパと仮定する。となると、だ。外の様子を見る限り……での大雑把推測になるが十二世紀から十五世紀ぐらいという事になる。勿論、推定するだけの根拠はある。全身を覆うプレートアーマーより実際には軽くて動きやすい鎖帷子の方が古代ローマで上級指揮官が装着していた。そして、中世となり鎖の大量生産が確立して鎖帷子が主流となり一度プレートアーマーは衰退する。が、ここで復活を遂げる事態が発生する。十字軍である。異国での異教徒との戦いは、ヨーロッパ内部での戦闘よりも遥かに過酷なものでありキリスト教徒同士の戦闘であれば、例えば命はできるだけ奪わず捕虜にする、クロスボウを禁じるなどの約束事があったが、異教徒との戦闘ではそういったものは無かった為、自らの命を守るためにより安全な甲冑が求められたからである。そして、プレートアーマーはより完全防御が可能な『現代』の人々が想像するガチガチの装甲鎧へと改良が重ねられたのである。
それを考えるとやはり十二世紀からと考えるのが無難と言う事になる。が、ここで新たな問題が発生する。
現代では無い。
「タイムスリップ? いや、待て。そんな事が俺の部屋限定で起きてなるものか」
が、しかし、考えても分からないものは分からない。調べようにもどう調べたらいいのか分からない。まさに八方塞がり。
コンコン。と、部屋のドアをノックする音が響いた。
「入るぞ」
返事もしない内からその訪問者は部屋に入ってきた。
赤い髪のセミロング。鋭い目つきの若い女性騎士がそこには立っていた。年齢的に俺と同じ年か? たぶん、この女性は自分を一瞬で殺せる。そんな予想がふと悠斗の中を駆け巡った。それは動物の本能としての危険回避なのか、単純に腰に剣を携えている人間に対して耐性が無いのか分からなかった。ただ、目つきさえもう少し朗らかならば、言い寄る男は多そうだ。
「……えっと……どちら様?」
恐る恐る、尋ねる。
「ようやく目を覚ましたか……。今の質問だがそっくりそのまま返そう。貴様は何者だ? 何故、大広間に倒れていた? どうやってこの館に侵入した?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。え? 俺は大広間に倒れていたのか?」
「……覚えていないのか?」
「全然。そもそも、ここはどこ?」
「……ここはエーベルン王国、北部領シンヴェリル」
「……は? エーベルン? シンヴェリル?」
悠斗の知識にエーベルンという国名は存在しない。古代にそんな国家が存在していたのか? いや、そうすると、仮定となった時代考察は的外れという事になる。
ふととても簡単にして、分かりやすい確認項目を思いついた。
「すまない。一つ聞きたいのだが……。ローマという国、都市、どちらでも構わない。知ってる?」
「ろうま? ……聞いた事はないがそれがお前の国か?」
「いや、違うんだけど……あれ? ローマだよ? 知らない? 本当に?」
「知らないと言っている。さっきから何だ? 私がそれを知っていて当然とでも言いたげだな」
その通りです。とは流石に言えなかった。ローマを知らない? あの大帝国を知らないとはどういう事だ? いや、十二世紀ぐらいならばすでに大帝国とは言えないが、ローマ教皇など、様々なところにローマの名前は存続し続けている。知らない、聞いた事は無いというのはほぼ有り得ないと思うのだが……。単純にタイムスリップしたという訳では無い? となると更に事態はややこしくなる。いや、もう十二分にややこしい事態なのだが……。
「あ、そうだ。貴方の名前を聞いていなかった。俺は如月悠斗」
「……私はヒエン=ルートリア。妙な名前だな」
「……ん? 妙? ……あ! ユウト=キサラギだ。俺のところでは先に姓から名乗る」
テーブルにあった羊皮に手を伸ばし、そこにインクと共に添えられた羽ペンで名前を書き込んだ。
「……見た事も無い字だな……。これはお前の国の文字か? ユウト=キサラギ……だな。で、お前は何者なのだ? 今は領主様のご好意にて部屋で休ませたが、私としてはお前を今すぐにでも牢屋に放り込みたいのだが? それに他国の者となれば密偵の可能性もあるからな……」
ヒエンと名乗った女騎士の目がスッと細くなる。その瞬間、背中におぞましい今まで感じた事の無い恐怖を感じた。
「……不審者ですか……」
この屋敷の大広間に見た事も無い男が倒れている。うん。完全に不審者だ。よく殺されなかったな、俺。
……ん?
ふと、悠斗はとても素朴な疑問に気付く。
「ねぇ? 何で君は日本語を話しているの?」
「……は?」
何をバカな事を言っている? とでも言いたげな顔をヒエンは浮かべる。
「い、いや、何でもない……。その反応で十分だよ、問題に切り替える。えと、今何年?」
「……は? 良く分からぬ事ばかり尋ねるな……。今は、神耀歴七五八年だが?」
「…………し、なに? しん……ようれき?」
「神耀歴だ、今年は七五八年なる」
頭を抱える。これはどういう事だ? 暦がまったく違うというのはありか? なしにした所でどうにもならないのだが……。西暦ではない。号歴か? いや、神耀なんて号歴聞いた事が無いぞ!? 聞いた事も無い国名、聞いた事も無い地名、聞いた事も無い号歴。時代考察はまったくの的外れだったと言う事か? となると、ここはどこだ? 地球のどこだ?
「そろそろ私の質問に答えてもらおうか? お前の質問に答えるのは飽いた」
呆れた口調でヒエンが言う。
「……では、最初からだ。何処から来た? どうやってこの屋敷に侵入した? 何故大広間に倒れていた?」
「え?と……、まず、俺は日本から来た。 この屋敷に侵入した覚えは無い。 大広間に倒れていた理由は分からない」
「……日本とはどこだ?」
「ここから遥か東の先の方にある。……はず……きっと……たぶん……」
「お前、死にたいか?」
ヒエンの右手がゆっくりと左腰にある剣の柄に添えられた。
「ちょ、ちょっと待て! 俺は虚偽の発言はして無いぞ!」
虚偽ではないぞ! 虚偽では! ただ、それが事実としてあるのかどうかは別だけど。
「では、お前の発言を証明して見せろ」
「……証明?」
「そうだ。証明だ」
「……なに、その悪魔の証明」
「……悪魔の証明?」
「比喩だよ、比喩。そうだな……。例えば、俺が男である。というのは、簡単に調べられる。ヒエンが女である。これも簡単に調べられる。神は確かに存在する。なぜならば神が存在しない確かな証拠は何処にも無いからだ。だが、悪魔は存在しない。なぜならば悪魔が存在する確かな証拠は何処にも無いからだ。……はい、ヒエン。神が存在しない証拠と悪魔が確かに存在するという証拠を見せてくれ。と、言われても、出来ないだろう? これが悪魔の証明」
「……つまり、お前自身の証明は出来ない……そう言う事か?」
「俺にも分からない事象に関してはどうにも説明できないし、俺が知りたいぐらいだ。だが、俺自身は確かに存在する。すまないが、少し時間が欲しい。俺にも今自分自身が置かれている状況が分からないんだ。今分かっているのは、俺は本来ここに存在すべき人間では無い事、不審者では無い事を証明しないと、俺の命が無い。それだけだ」
「本来ここに存在すべき人間では無い? どういう意味だ?」
「……それも含めて、纏めて話す。……できれば領主様に弁解したい。もし、ダメならば、その時は俺の命を奪えば良いさ。どうせ此処から逃げる事も出来ないし、ほぼ幽閉状態なのだから」
悠斗が言い終わると、ヒエンは一つ大きな溜息を吐いた。そして暫く考え込んだ後、大きく頷いた。
「良いだろう、領主様にそのように伝える。恐らく今夜には面会が叶うだろう。その時、お前自身が何者であるか我々を納得させる事が出来なかった場合、お前は処刑場だ。それは覚悟しておけ。何かあればそこにある鈴を鳴らせ」
ヒエンはそれだけ言うと、部屋から退室した。
外を見る限り、太陽は正午に差し掛かった所……か。ならば、まぁだいたい残り六時間か? まだ時間はある。
近くの椅子に座り、一息いれる。
「喉が渇いたな……」
寝起きのコーヒーが飲みたい……いや、この時代にコーヒーは無いだろう……。まぁ、精々生温い水だろう。
さっそく鈴を鳴らす。チリン。という音が鳴り響き、しばらくするとドアを、コンコン。と、ノックする音が部屋に響く。
「……どうぞ」
悠斗が返事をすると、一人の女性が部屋に入室した。
青い長い髪を紐で括っているとても若い、恐らく十五、六の……少女……で……凄い美人で……
「メイドだ」
思わず声に出してしまった。
「は?」
少女は不思議そうな顔で面食らっている悠斗の顔を見る。
「めいど……とは何でしょうか? 私は侍女でございますが?」
「…………あ! いや、何でもない!」
余りに自然に振舞われて悠斗は狼狽する。いや、しかし、メイドだよ!? メイド!! しかも紛い物のメイド喫茶のメイドじゃなく、本物ですよ!? ちょっと感動を覚えたじゃないか!
「え? 何か御用だったのでは……?」
「ああ、うん。少し喉が渇いてね……。一応聞くけど……コーヒーは無いよね?」
「こーひー……という物が何か存じ上げませんが、申し訳有りませんがそのような物はご用意できません」
「えと、それじゃ……紅茶とか、ミルクとか、水は用意できる?」
「はい。それならばご用意できます。如何致しましょう?」
「それじゃ……紅茶をお願いできるかな?」
「はい。直ぐにご用意致します。ミルクは必要でございますか?」
「あ、それはいいよ。砂糖が少しあればうれしい」
「分かりました。少々お待ち下さいませ」
少女はそれだけ言うと見本とも言える綺麗な会釈をして静かに退室した。
「……びっくりしたぁ」
これが正直な感想だ。鈴を鳴らせば筋肉ムキムキのおっさん兵士が尋ねてくると思ったらアレですよ? 素でびっくりするわ!
まぁ、何はともあれ。今は現状の把握だ。
今までの話で分かった事を少し纏めて見る。
ここはエーベルン王国という国の、北方に位置するシンヴェリル、そこの領主様の館である。
神耀歴七五八年である。
この世界にも神、悪魔というのは存在する。その証拠となるのは、悪魔の証明を説明していたその中で神という単語、悪魔という単語にヒエンは特に違和感無く受け入れていたからだ。
ここは中世封建制(フューダリズム)と思われる。領主が居て、騎士がいて、領民がいる。当然、王国なのだから国王も居るだろう。
ここの装備を考えるにおおよそだが十二世紀から十五世紀頃の科学技術であるという事。
現時点で不明な点。
世界の歴史にエーベルンという国家は存在しない。また、ローマが知られていない。神耀歴という暦は存在しない。という事から……考えたくはないが、『悠斗がいた世界』の過去では無いと思われる。そもそも地球なのかどうか怪しい。しかし、パラレルワールドという物が本当に存在しているならば、地球ではあるが、別の歴史を辿った世界……と考えられなくも無い。しかし、それを現時点で証明する事は不可能。あくまで推定にも届かない妄想だ。
倒れていた場所も不可解だ。なぜこの館の大広間なのか? それに何か意味が有るのだろうか? これは考えるだけ無駄なので、検討項目からは外す。
もう一つ検討項目から外す事がある。言葉の壁だ。
日本人である自分と、まったくの外国の住人であるヒエンと違和感無く会話をする事が出来た。……何故だ? ……考えるだけ無駄だ。それよりも言葉も通じない方が余計に状況は最悪なまでに悪い。話が通じないのならば即処刑も考えられる。考えるだけでゾッとする。まだ、言い分を聞いても貰えるだけでも幸運と思うべきだろう。しかし、文字についてはまったく違うようだ。名前を書いた時、ヒエンは見た事も無い文字と言った。言葉は通じて文字が違う。……面倒だが、仕方が無い。
現在の状況と問題点が以上となる。これを踏まえて自分が不審者では無いと証明する必要がある。
……これって大学の入試より難題じゃね? しかも命を失うかどうか一発勝負。
悠斗は大きく息を吸って吐いた。
気分を下げても仕方が無い。
まず、自分がこの世界の人間では無い事の説明……。いや……違う。自分がこの世界では無く、この時代の人間では無い事を証明すれば……。
「携帯……か」
携帯があっても通話は出来ない。圏外だし。しかし……。
「写メならどうだ?」
写真ならば、この時代考察からすれば明らかなオーバーテクロノジーだ。あとは、音楽……とか? ……あ、曲入れてないや。何曲かダウンロードしておけばよかった……。まぁ、悔いても仕方が無い。写真だけでも十分だろう。
「あとは……紙幣か」
透かしの技術もオーバーテクロノジーだろう。これも何かの役に立ちそうだ。
「他には……無いな……」
携帯と紙幣。この二点で人生最大の勝負……か。
「……まぁ、成るように成るさ」
現状、やれる事はこれだけだ。後は……あの少女か。
先程の綺麗な少女を思い出し少し顔が綻ぶ。いや、そんな事をしている場合では無い。重要な事はでき得る限りの情報を引き出す事だ。
コンコン。というドアをノックする音が響く。
「はい、どうぞ」
悠斗が返事をすると、先程の青い長い髪のメイド少女が台車を引いて部屋に入って来た。
テーブルの傍まで来ると、少女は優雅な手つきでティーポットからティーカップへ紅茶をゆっくりと注ぎ、悠斗の前にそっと置く。
「砂糖の好みの量が分からないので……」
少女が申し訳なさそうに言う。自分で好みの量を入れてくださいという事だろう。その程度は別に何とも思わない。
「ありがとう。えっと……」
悠斗が呼びかけようとしてまだ名前を聞いていない事に気付く。それに気付いたのか、少女が頭を下げた。
「申し送れました。私、エルキアと申します」
「エルキアさんね。俺はユウト=キサラギ。俺の国の字でこう……書く」
ヒエンに対して書いた羊皮に書き込んだ名前を見せる。
「初めて見る字です。キサラギ様ですね」
「エルキアさん。少し話をしてもいいかな?」
悠斗が尋ねると、エルキアが少し困った表情をする。恐らく必要最低限の会話以外するなとでも命令されているのだろう。その程度の事、気遣えばよかったのだが、何分悠斗には時間も無ければ助けてくれる人も居ない。今必要なのは情報だ。
「もし、迷惑なら諦める。だが、俺と会話内容全てを最低限の会話しかするなと言う人物にありのまま話せばいいさ。どうせ今夜領主を納得させなければ首が飛ぶんだから」
悠斗が紅茶に口をつけてゆっくりと飲むと、エルキアは悠斗を見つめた。
「何故、そんなに落ち着いていらっしゃるのですか? 自分の命が危ういというのに……」
「ふむ。成るように成れ。と、開き直っているから。逃げ出せないし、抵抗もできない。まるでまな板の魚だ。ならば、まな板の上でふんぞり返ってやるさ」
そう言ってもう一口紅茶を口に含む。
「さて、話を聴きたい。いいかな?」
悠斗が尋ねると、エルキアはゆっくりと頷いた。
「私如きに分かる事でしたら」
「ありがとう、助かる」
エルキアの口から飛び出した情報は悠斗にとって驚くべきものだった。
まず、地図だ。羊皮に描いてもらった、エルキアの分かる範囲の地図だが、ヨーロッパとはまったく違う。本当に別世界だ。
エーベルン王国を中心に、東にドゴールという大国が存在する。このドゴールとは同盟を結んでいるとの事。そして、北には大草原。此処には多種多様の遊牧の民が住んでいるとの事。南には砂漠が広がる大きなシルルア王国。このシルルア王国とドゴールは大きな川で国境は隔たれている。一方、西にはノートリアムという国がある。国土はエーベルンより少し小さい。その西にも多数の小国家があるが、それについては余り知らないとの事だ。
国の配置、国名、大きさも悠斗の世界の歴史では存在しないものばかりだ。
このエーベルンについても少し詳しく教えてもらった。このシンヴェリルの他に八つの領地があり、一番大きいのは本領エーベルンである。北から時計周りに北部シンヴェリル、北東部ワノン、東部アッチラ、南東部カラカス、南部ムダラ、南西部ホーチス、西部ルットリア、北西部ギリアス、そして中央に本領であるエーベルン。そのエーベルンに王都エルレーンがある。ちなみに、このエルレーンだが、勝利の都という意味があるそうだ。
勝利の都という名前の都市ならば、悠斗の世界にもある。確か……エジプトのアルモイッズカーヒラ、インドのファティプール・シクリだったか?
「……私が知っているのはこの程度です。何かのお役に立てればいいのですが……」
エルキアが申し訳なさそうに言う。彼女がそういう表情をするのは、これらの事が余りにも一般的というよりは、一般常識の部類に入るからだろう。一般常識を教えたところで、全員知っている事なのだから特異な情報という訳でも無い。まぁ、そこまで重要な情報を期待しても居ないし、そもそも軟禁状態であり、初対面したばかりの悠斗に詳しすぎる内容を喋るのは抵抗があるだろう。
「十分役に立ったよ。これである程度自分が置かれている立場に確信が持てた」
「?」
「あ、こっちの話。長居させて悪かったね。仕事があるのだろう? 後はこっちで考えるから……」
「はい、分かりました。ティーセットはこのまま置いておきますね。また何か御用が有りましたらお呼び下さいませ」
エルキアは一礼して部屋を退出した。
「はてさて……考える事が多いなぁ」
正直、頭を抱えそうだ。というか、もう抱えている。
「異世界……か」
ふと、異世界という単語が頭を過ぎった。そして、もう一つ。……家に帰る事が出来るのだろうか?
「……期待薄……だな」
正直、異世界から帰宅するなど、方法を探す事そのものが困難の極みだろう。かなりの高確率で、このまま一生この地で過ごす事になる。
「両親との別れの挨拶が……はいはい、がんばりますよ……じゃ、締まらないよなぁ」
何としてでも家に帰る。その為には、まず生きなければならない。やはり当初の予定通りこの時代の人間では無い事を証明した方が、その後を話するのが優位になるだろう。ともかく、話の主導権だけは譲らない。これは絶対条件だ。もし、話の主導権を領主側に獲られてしまうと、その時点で自分の処理方法についての相談が始まる可能性がある。それだけは回避しなくては!
少し、シュミレーションしてみるか。
相手はどのような事を尋ねてくるだろうか? それに対しての明確で明瞭な回答は? 何を話せば納得するだろうか? どうやって証明するか? 証明するタイミングはどうする?
証明した後、今後どうするか? という問題がふと浮かんだ。……これについては考えない! という方向でいいだろう。と、言うのも失敗すれば死ぬ。死ぬかどうかの状況で説得成功後の事など考えている余裕は、現在悠斗には無い。
「人事を尽くして天命を待つ」
ふと父が良く言っていた言葉を思い出す。今現在自分自身ができる精一杯の事をすればいい。後は天命次第。まさしく成るように成れ……だ!
「よし! 腹は括った! でき得る限りの事をしてみますか!」
悠斗は大きく息を吐き。パチン。と手を叩くとそう叫んだ。
そして、陽は徐々に傾き、闇が空の支配領域を拡げて行く……。
「すっかり遅くなったなぁ」
盛大にくしゃみをして秋の夜空を見上げながら、薄暗い道を徒歩で歩く一人の青年――如月ユウトは日付が変わる少し前までバイトに勤しんでいた。
本来ならば、三時間は前に帰宅できる予定だったのだが、バイト先の店長の奥さんが産気づいたとかで、大急ぎで病院へ直行したのが理由だった。まぁ、それについては事前に店長から、近々急遽で自分の代役を頼むかもしれないと、理由と共に説明されていたので、理由が理由でもあったし、断る理由も拒否しなければならないほど重要な用事も無いので二つ返事で返答した結果である為、愚痴を言っても仕方が無い。それに、初産だったという事も理由の一つかもしれない。もし自分が同じような立場になったら、可能ならば立会いたいと思うのは親心だろう。
「しかし、流石にこの時間帯は少し冷えるか……」
普段ならば寝ている時間なので少々眠い。瞼が今にも閉じてしまいそうだ。
悠斗は近くの自販機でコーヒー缶を一本購入すると、隣のベンチに座った。
「もうそろそろ試験か……」
重大な案件を思い出し少し憂鬱になる。
悠斗は大学受験を控えている。しかも、悲しいかな二浪中……。もし、今年ダメならば大学は諦めて就職活動をするしかないかと思われ。しかも、目指しているのは考古学部。正直、入学した後の将来の展望はかなり薄い。本当に好きな人間しか入らない部だ。
勉強をするにも、疲れ果てているこの状態でやっても余り意味は無いだろう。それに明日は休みなのだから、明日、集中的にすれば問題ないだろう。夏は灼熱、冬は酷寒、六畳一間で、風呂トイレが共同で、壁が薄いために隣の音楽が聞こえてくるとしても、住み慣れれば都の部屋だと自分自身に暗示をかけようとして失敗したとしても、勉強する分には不足は無い。
空になった空き缶をゴミ箱に投げ入れて悠斗は家路に着いた。
安らぎの我が都。もとい、我が家に到着した悠斗は、とりあえず上着を脱いでベッドに放り投げると、冷蔵庫からビールを取り出した。
カシュ。という音がした後、ビールを口にする。ビール特有の香りと苦味が口の中を支配し、炭酸と共に喉を滑り落ちた。
「プハーッ! あー疲れたー」
そして、一言。……帰宅して冷蔵庫からビールを取り出してこの一言を言うのは、ほぼ毎日の事である意味儀式化していた。
さて、遅い夕飯というのか、早すぎる朝食と言うべきか……。メニューは調理担当の同僚がまかないで作ってくれた牛丼。うん。美味そう。
「いただきます!」
号令直下、空腹の虫が鳴り響き続けていた胃と栄養補給を催促していた本能の赴くままに牛丼を口の中に放り込んだ。
「美味い!」
一言感想。以下、猛烈な勢いで牛丼を胃袋に入れてしまい、最後に缶に残ったビールを一気で飲んだ。
悠斗は、酒が強い方では無い。まったく飲めない訳では無いが、ビール一缶でほろ酔い状態になる。
「さて、風呂に………………………………………………いや、もう、寝よう……」
疲労から来る強烈な睡魔が、入浴という魅惑の癒しに激闘の末、完全勝利を告げた。
赤い顔のまま、寝間着に着替える事も億劫になった悠斗はそのままベッドに倒れこんだ。
「明日……起き……たら…………風呂に…………入…………」
睡魔による征服が完了。悠斗は寝息を立てて就寝した。
心地よい陽射しを肌に感じる。どうやらとてつもない速さで眠ってしまった様だ。
「……ん……もう、朝……か……」
大きなあくびを一つ。ゆっくりと上半身を起す。
「あー良く寝た……」
目を軽く擦り首を左右に振ってバキバキと鳴らして、背伸びをする。
「さて、起きるか」
瞼を開けて悠斗は起床した。
「……………………………………………………………………………………………………」
さて、大きな大きな問題が発生した。
間違っても、朝起きてふと横を見ると全裸の美女がスヤスヤ眠っていた……などと言うオイシイ問題ではない。もし、そうならば責任持って美味しくイタダキ……イヤイヤそれは妄想で片付ける事にする。
「……ここはどこ?」
悠斗が瞼を開けると見えた物。それは見知らぬ壁、見知らぬ調度品、見知らぬ家具。しかも、どれもこれも……デザインが古いのに、妙に真新しい物がある。
とりあえず確定事項なのは、ここは自分が寝ていたはずの我が家では無い。
「……夢か?」
とりあえずベタベタの確認方法を実行。バチン。と、頬を打つ音が部屋に鳴り響く。
「…………あー……めっさ痛てぇ!」
自分で張り手をしておきながら手加減しなかったのが悪かったのか……。かなりの痛みが響いた。
「って、痛いってどういう事だよ!?」
さて、これからどうする? という次の問題が発生してしまった。
「と、とりあえず、起きよう!」
ベッドから降りて、足に地面か付く感覚に襲われる。夢じゃないのか? いやいや、まだ確定とするには早い。
とりあえず自分の服装を確認する。
「……あーそう言えば風呂に入らずに飯喰ってそのまま寝たっけ」
前日と同じ格好をしていた事をまず確認する。靴も履いたままだ。
ちなみに悠斗は基本的に『黒』と『青』を良く好んで着込んでいる。服装も、黒の靴に、黒の靴下、青いジーパン、ベルト、黒のTシャツ、黒の長袖である。お世辞にもファッションセンスがあるとは言いがたい。
そういえば、前日は少し寒かったので黒革ジャケットを着ていたはずだが……。
周りを見渡すと、黒革ジャケットは椅子の背もたれに掛けられていた。とりあえず黒革ジャケットを着て、自分に違和感が無いか確認する。
「あ、そうだ!」
ふと思いついてポケットを確認。取り出した物をテーブルの上に並べる。
財布、携帯電話、家の鍵、アナログの腕時計。
「……これだけか……」
財布の中身を確認する。
「……えっと、帰りに缶コーヒーを買ったから百二十円を差し引いて…………ぴったりか。一円も盗られていない…………」
財布の中は前日とぴったり、一万円札が三枚、五千円札は無し、記念に保存していた二千円札が一枚、千円札が五枚、五百円玉が一枚、百円玉が七枚、五十円玉が二枚、十円玉が六枚、五円玉は六枚、一円玉三枚。総計三万八千三百九十三円。
なぜ、正確に一円単位で把握しているのか? その理由は単純にして明快である。
「家計簿はやっぱり役に立つなぁ」
少し自慢げにフフフと含み笑いして今そんな事をしている場合では無いと気付く。
「そうだ、携帯!」
携帯を開いて電波確認。
「圏外かよ!」
圏外の携帯電話。それ即ち役立たず。
さて、ふりだしに戻った所で今一度部屋を見渡す。
ベッド、椅子、テーブル、花を飾った花瓶、小さな窓が一つ。但し、窓はカーテンで日の光を遮っている。
「窓……か」
カーテンを横にずらして外を見渡す。
「………………ちょと、待て。ふざけんなよ?」
思わず悠斗は毒づいた。
悠斗の瞳に映った風景、それはまるで中世ヨーロッパのような町並みが広がっている風景だった。しかも、その街は城壁に囲まれている。そして、その風景が見える位置から考えて、街の中心にある建物内部と思われ、しかも、四、五階ぐらいの建物で、少し小高くなっている丘の上に建てられた建物のようだ。下を見ると甲冑姿の兵士が巡回をしていて、しかもこの部屋はどうも三階らしく、とてもじゃないが窓から降りるのは少し問題がある。
まず、ここで問題となるのは……『ここは日本では無い』と断言できてしまう事だ。巡回中の兵士の顔をみるにどう考えても西洋人だ。次に問題となるのは時代考察。『現代』では有り得ない。建物はどう考えてもその様式や構造が古すぎる。そして、甲冑姿の兵士だ。装備をみるとプレートアーマーとは言いがたい。しかし、全身鎖帷子という訳でも無く、鎖帷子の胸鎧の上に心臓を守る為の胸鎧を二重に着込んでいる。他は腕鎧、足甲、手甲と、分散している。ここがヨーロッパと仮定する。となると、だ。外の様子を見る限り……での大雑把推測になるが十二世紀から十五世紀ぐらいという事になる。勿論、推定するだけの根拠はある。全身を覆うプレートアーマーより実際には軽くて動きやすい鎖帷子の方が古代ローマで上級指揮官が装着していた。そして、中世となり鎖の大量生産が確立して鎖帷子が主流となり一度プレートアーマーは衰退する。が、ここで復活を遂げる事態が発生する。十字軍である。異国での異教徒との戦いは、ヨーロッパ内部での戦闘よりも遥かに過酷なものでありキリスト教徒同士の戦闘であれば、例えば命はできるだけ奪わず捕虜にする、クロスボウを禁じるなどの約束事があったが、異教徒との戦闘ではそういったものは無かった為、自らの命を守るためにより安全な甲冑が求められたからである。そして、プレートアーマーはより完全防御が可能な『現代』の人々が想像するガチガチの装甲鎧へと改良が重ねられたのである。
それを考えるとやはり十二世紀からと考えるのが無難と言う事になる。が、ここで新たな問題が発生する。
現代では無い。
「タイムスリップ? いや、待て。そんな事が俺の部屋限定で起きてなるものか」
が、しかし、考えても分からないものは分からない。調べようにもどう調べたらいいのか分からない。まさに八方塞がり。
コンコン。と、部屋のドアをノックする音が響いた。
「入るぞ」
返事もしない内からその訪問者は部屋に入ってきた。
赤い髪のセミロング。鋭い目つきの若い女性騎士がそこには立っていた。年齢的に俺と同じ年か? たぶん、この女性は自分を一瞬で殺せる。そんな予想がふと悠斗の中を駆け巡った。それは動物の本能としての危険回避なのか、単純に腰に剣を携えている人間に対して耐性が無いのか分からなかった。ただ、目つきさえもう少し朗らかならば、言い寄る男は多そうだ。
「……えっと……どちら様?」
恐る恐る、尋ねる。
「ようやく目を覚ましたか……。今の質問だがそっくりそのまま返そう。貴様は何者だ? 何故、大広間に倒れていた? どうやってこの館に侵入した?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。え? 俺は大広間に倒れていたのか?」
「……覚えていないのか?」
「全然。そもそも、ここはどこ?」
「……ここはエーベルン王国、北部領シンヴェリル」
「……は? エーベルン? シンヴェリル?」
悠斗の知識にエーベルンという国名は存在しない。古代にそんな国家が存在していたのか? いや、そうすると、仮定となった時代考察は的外れという事になる。
ふととても簡単にして、分かりやすい確認項目を思いついた。
「すまない。一つ聞きたいのだが……。ローマという国、都市、どちらでも構わない。知ってる?」
「ろうま? ……聞いた事はないがそれがお前の国か?」
「いや、違うんだけど……あれ? ローマだよ? 知らない? 本当に?」
「知らないと言っている。さっきから何だ? 私がそれを知っていて当然とでも言いたげだな」
その通りです。とは流石に言えなかった。ローマを知らない? あの大帝国を知らないとはどういう事だ? いや、十二世紀ぐらいならばすでに大帝国とは言えないが、ローマ教皇など、様々なところにローマの名前は存続し続けている。知らない、聞いた事は無いというのはほぼ有り得ないと思うのだが……。単純にタイムスリップしたという訳では無い? となると更に事態はややこしくなる。いや、もう十二分にややこしい事態なのだが……。
「あ、そうだ。貴方の名前を聞いていなかった。俺は如月悠斗」
「……私はヒエン=ルートリア。妙な名前だな」
「……ん? 妙? ……あ! ユウト=キサラギだ。俺のところでは先に姓から名乗る」
テーブルにあった羊皮に手を伸ばし、そこにインクと共に添えられた羽ペンで名前を書き込んだ。
「……見た事も無い字だな……。これはお前の国の文字か? ユウト=キサラギ……だな。で、お前は何者なのだ? 今は領主様のご好意にて部屋で休ませたが、私としてはお前を今すぐにでも牢屋に放り込みたいのだが? それに他国の者となれば密偵の可能性もあるからな……」
ヒエンと名乗った女騎士の目がスッと細くなる。その瞬間、背中におぞましい今まで感じた事の無い恐怖を感じた。
「……不審者ですか……」
この屋敷の大広間に見た事も無い男が倒れている。うん。完全に不審者だ。よく殺されなかったな、俺。
……ん?
ふと、悠斗はとても素朴な疑問に気付く。
「ねぇ? 何で君は日本語を話しているの?」
「……は?」
何をバカな事を言っている? とでも言いたげな顔をヒエンは浮かべる。
「い、いや、何でもない……。その反応で十分だよ、問題に切り替える。えと、今何年?」
「……は? 良く分からぬ事ばかり尋ねるな……。今は、神耀歴七五八年だが?」
「…………し、なに? しん……ようれき?」
「神耀歴だ、今年は七五八年なる」
頭を抱える。これはどういう事だ? 暦がまったく違うというのはありか? なしにした所でどうにもならないのだが……。西暦ではない。号歴か? いや、神耀なんて号歴聞いた事が無いぞ!? 聞いた事も無い国名、聞いた事も無い地名、聞いた事も無い号歴。時代考察はまったくの的外れだったと言う事か? となると、ここはどこだ? 地球のどこだ?
「そろそろ私の質問に答えてもらおうか? お前の質問に答えるのは飽いた」
呆れた口調でヒエンが言う。
「……では、最初からだ。何処から来た? どうやってこの屋敷に侵入した? 何故大広間に倒れていた?」
「え?と……、まず、俺は日本から来た。 この屋敷に侵入した覚えは無い。 大広間に倒れていた理由は分からない」
「……日本とはどこだ?」
「ここから遥か東の先の方にある。……はず……きっと……たぶん……」
「お前、死にたいか?」
ヒエンの右手がゆっくりと左腰にある剣の柄に添えられた。
「ちょ、ちょっと待て! 俺は虚偽の発言はして無いぞ!」
虚偽ではないぞ! 虚偽では! ただ、それが事実としてあるのかどうかは別だけど。
「では、お前の発言を証明して見せろ」
「……証明?」
「そうだ。証明だ」
「……なに、その悪魔の証明」
「……悪魔の証明?」
「比喩だよ、比喩。そうだな……。例えば、俺が男である。というのは、簡単に調べられる。ヒエンが女である。これも簡単に調べられる。神は確かに存在する。なぜならば神が存在しない確かな証拠は何処にも無いからだ。だが、悪魔は存在しない。なぜならば悪魔が存在する確かな証拠は何処にも無いからだ。……はい、ヒエン。神が存在しない証拠と悪魔が確かに存在するという証拠を見せてくれ。と、言われても、出来ないだろう? これが悪魔の証明」
「……つまり、お前自身の証明は出来ない……そう言う事か?」
「俺にも分からない事象に関してはどうにも説明できないし、俺が知りたいぐらいだ。だが、俺自身は確かに存在する。すまないが、少し時間が欲しい。俺にも今自分自身が置かれている状況が分からないんだ。今分かっているのは、俺は本来ここに存在すべき人間では無い事、不審者では無い事を証明しないと、俺の命が無い。それだけだ」
「本来ここに存在すべき人間では無い? どういう意味だ?」
「……それも含めて、纏めて話す。……できれば領主様に弁解したい。もし、ダメならば、その時は俺の命を奪えば良いさ。どうせ此処から逃げる事も出来ないし、ほぼ幽閉状態なのだから」
悠斗が言い終わると、ヒエンは一つ大きな溜息を吐いた。そして暫く考え込んだ後、大きく頷いた。
「良いだろう、領主様にそのように伝える。恐らく今夜には面会が叶うだろう。その時、お前自身が何者であるか我々を納得させる事が出来なかった場合、お前は処刑場だ。それは覚悟しておけ。何かあればそこにある鈴を鳴らせ」
ヒエンはそれだけ言うと、部屋から退室した。
外を見る限り、太陽は正午に差し掛かった所……か。ならば、まぁだいたい残り六時間か? まだ時間はある。
近くの椅子に座り、一息いれる。
「喉が渇いたな……」
寝起きのコーヒーが飲みたい……いや、この時代にコーヒーは無いだろう……。まぁ、精々生温い水だろう。
さっそく鈴を鳴らす。チリン。という音が鳴り響き、しばらくするとドアを、コンコン。と、ノックする音が部屋に響く。
「……どうぞ」
悠斗が返事をすると、一人の女性が部屋に入室した。
青い長い髪を紐で括っているとても若い、恐らく十五、六の……少女……で……凄い美人で……
「メイドだ」
思わず声に出してしまった。
「は?」
少女は不思議そうな顔で面食らっている悠斗の顔を見る。
「めいど……とは何でしょうか? 私は侍女でございますが?」
「…………あ! いや、何でもない!」
余りに自然に振舞われて悠斗は狼狽する。いや、しかし、メイドだよ!? メイド!! しかも紛い物のメイド喫茶のメイドじゃなく、本物ですよ!? ちょっと感動を覚えたじゃないか!
「え? 何か御用だったのでは……?」
「ああ、うん。少し喉が渇いてね……。一応聞くけど……コーヒーは無いよね?」
「こーひー……という物が何か存じ上げませんが、申し訳有りませんがそのような物はご用意できません」
「えと、それじゃ……紅茶とか、ミルクとか、水は用意できる?」
「はい。それならばご用意できます。如何致しましょう?」
「それじゃ……紅茶をお願いできるかな?」
「はい。直ぐにご用意致します。ミルクは必要でございますか?」
「あ、それはいいよ。砂糖が少しあればうれしい」
「分かりました。少々お待ち下さいませ」
少女はそれだけ言うと見本とも言える綺麗な会釈をして静かに退室した。
「……びっくりしたぁ」
これが正直な感想だ。鈴を鳴らせば筋肉ムキムキのおっさん兵士が尋ねてくると思ったらアレですよ? 素でびっくりするわ!
まぁ、何はともあれ。今は現状の把握だ。
今までの話で分かった事を少し纏めて見る。
ここはエーベルン王国という国の、北方に位置するシンヴェリル、そこの領主様の館である。
神耀歴七五八年である。
この世界にも神、悪魔というのは存在する。その証拠となるのは、悪魔の証明を説明していたその中で神という単語、悪魔という単語にヒエンは特に違和感無く受け入れていたからだ。
ここは中世封建制(フューダリズム)と思われる。領主が居て、騎士がいて、領民がいる。当然、王国なのだから国王も居るだろう。
ここの装備を考えるにおおよそだが十二世紀から十五世紀頃の科学技術であるという事。
現時点で不明な点。
世界の歴史にエーベルンという国家は存在しない。また、ローマが知られていない。神耀歴という暦は存在しない。という事から……考えたくはないが、『悠斗がいた世界』の過去では無いと思われる。そもそも地球なのかどうか怪しい。しかし、パラレルワールドという物が本当に存在しているならば、地球ではあるが、別の歴史を辿った世界……と考えられなくも無い。しかし、それを現時点で証明する事は不可能。あくまで推定にも届かない妄想だ。
倒れていた場所も不可解だ。なぜこの館の大広間なのか? それに何か意味が有るのだろうか? これは考えるだけ無駄なので、検討項目からは外す。
もう一つ検討項目から外す事がある。言葉の壁だ。
日本人である自分と、まったくの外国の住人であるヒエンと違和感無く会話をする事が出来た。……何故だ? ……考えるだけ無駄だ。それよりも言葉も通じない方が余計に状況は最悪なまでに悪い。話が通じないのならば即処刑も考えられる。考えるだけでゾッとする。まだ、言い分を聞いても貰えるだけでも幸運と思うべきだろう。しかし、文字についてはまったく違うようだ。名前を書いた時、ヒエンは見た事も無い文字と言った。言葉は通じて文字が違う。……面倒だが、仕方が無い。
現在の状況と問題点が以上となる。これを踏まえて自分が不審者では無いと証明する必要がある。
……これって大学の入試より難題じゃね? しかも命を失うかどうか一発勝負。
悠斗は大きく息を吸って吐いた。
気分を下げても仕方が無い。
まず、自分がこの世界の人間では無い事の説明……。いや……違う。自分がこの世界では無く、この時代の人間では無い事を証明すれば……。
「携帯……か」
携帯があっても通話は出来ない。圏外だし。しかし……。
「写メならどうだ?」
写真ならば、この時代考察からすれば明らかなオーバーテクロノジーだ。あとは、音楽……とか? ……あ、曲入れてないや。何曲かダウンロードしておけばよかった……。まぁ、悔いても仕方が無い。写真だけでも十分だろう。
「あとは……紙幣か」
透かしの技術もオーバーテクロノジーだろう。これも何かの役に立ちそうだ。
「他には……無いな……」
携帯と紙幣。この二点で人生最大の勝負……か。
「……まぁ、成るように成るさ」
現状、やれる事はこれだけだ。後は……あの少女か。
先程の綺麗な少女を思い出し少し顔が綻ぶ。いや、そんな事をしている場合では無い。重要な事はでき得る限りの情報を引き出す事だ。
コンコン。というドアをノックする音が響く。
「はい、どうぞ」
悠斗が返事をすると、先程の青い長い髪のメイド少女が台車を引いて部屋に入って来た。
テーブルの傍まで来ると、少女は優雅な手つきでティーポットからティーカップへ紅茶をゆっくりと注ぎ、悠斗の前にそっと置く。
「砂糖の好みの量が分からないので……」
少女が申し訳なさそうに言う。自分で好みの量を入れてくださいという事だろう。その程度は別に何とも思わない。
「ありがとう。えっと……」
悠斗が呼びかけようとしてまだ名前を聞いていない事に気付く。それに気付いたのか、少女が頭を下げた。
「申し送れました。私、エルキアと申します」
「エルキアさんね。俺はユウト=キサラギ。俺の国の字でこう……書く」
ヒエンに対して書いた羊皮に書き込んだ名前を見せる。
「初めて見る字です。キサラギ様ですね」
「エルキアさん。少し話をしてもいいかな?」
悠斗が尋ねると、エルキアが少し困った表情をする。恐らく必要最低限の会話以外するなとでも命令されているのだろう。その程度の事、気遣えばよかったのだが、何分悠斗には時間も無ければ助けてくれる人も居ない。今必要なのは情報だ。
「もし、迷惑なら諦める。だが、俺と会話内容全てを最低限の会話しかするなと言う人物にありのまま話せばいいさ。どうせ今夜領主を納得させなければ首が飛ぶんだから」
悠斗が紅茶に口をつけてゆっくりと飲むと、エルキアは悠斗を見つめた。
「何故、そんなに落ち着いていらっしゃるのですか? 自分の命が危ういというのに……」
「ふむ。成るように成れ。と、開き直っているから。逃げ出せないし、抵抗もできない。まるでまな板の魚だ。ならば、まな板の上でふんぞり返ってやるさ」
そう言ってもう一口紅茶を口に含む。
「さて、話を聴きたい。いいかな?」
悠斗が尋ねると、エルキアはゆっくりと頷いた。
「私如きに分かる事でしたら」
「ありがとう、助かる」
エルキアの口から飛び出した情報は悠斗にとって驚くべきものだった。
まず、地図だ。羊皮に描いてもらった、エルキアの分かる範囲の地図だが、ヨーロッパとはまったく違う。本当に別世界だ。
エーベルン王国を中心に、東にドゴールという大国が存在する。このドゴールとは同盟を結んでいるとの事。そして、北には大草原。此処には多種多様の遊牧の民が住んでいるとの事。南には砂漠が広がる大きなシルルア王国。このシルルア王国とドゴールは大きな川で国境は隔たれている。一方、西にはノートリアムという国がある。国土はエーベルンより少し小さい。その西にも多数の小国家があるが、それについては余り知らないとの事だ。
国の配置、国名、大きさも悠斗の世界の歴史では存在しないものばかりだ。
このエーベルンについても少し詳しく教えてもらった。このシンヴェリルの他に八つの領地があり、一番大きいのは本領エーベルンである。北から時計周りに北部シンヴェリル、北東部ワノン、東部アッチラ、南東部カラカス、南部ムダラ、南西部ホーチス、西部ルットリア、北西部ギリアス、そして中央に本領であるエーベルン。そのエーベルンに王都エルレーンがある。ちなみに、このエルレーンだが、勝利の都という意味があるそうだ。
勝利の都という名前の都市ならば、悠斗の世界にもある。確か……エジプトのアルモイッズカーヒラ、インドのファティプール・シクリだったか?
「……私が知っているのはこの程度です。何かのお役に立てればいいのですが……」
エルキアが申し訳なさそうに言う。彼女がそういう表情をするのは、これらの事が余りにも一般的というよりは、一般常識の部類に入るからだろう。一般常識を教えたところで、全員知っている事なのだから特異な情報という訳でも無い。まぁ、そこまで重要な情報を期待しても居ないし、そもそも軟禁状態であり、初対面したばかりの悠斗に詳しすぎる内容を喋るのは抵抗があるだろう。
「十分役に立ったよ。これである程度自分が置かれている立場に確信が持てた」
「?」
「あ、こっちの話。長居させて悪かったね。仕事があるのだろう? 後はこっちで考えるから……」
「はい、分かりました。ティーセットはこのまま置いておきますね。また何か御用が有りましたらお呼び下さいませ」
エルキアは一礼して部屋を退出した。
「はてさて……考える事が多いなぁ」
正直、頭を抱えそうだ。というか、もう抱えている。
「異世界……か」
ふと、異世界という単語が頭を過ぎった。そして、もう一つ。……家に帰る事が出来るのだろうか?
「……期待薄……だな」
正直、異世界から帰宅するなど、方法を探す事そのものが困難の極みだろう。かなりの高確率で、このまま一生この地で過ごす事になる。
「両親との別れの挨拶が……はいはい、がんばりますよ……じゃ、締まらないよなぁ」
何としてでも家に帰る。その為には、まず生きなければならない。やはり当初の予定通りこの時代の人間では無い事を証明した方が、その後を話するのが優位になるだろう。ともかく、話の主導権だけは譲らない。これは絶対条件だ。もし、話の主導権を領主側に獲られてしまうと、その時点で自分の処理方法についての相談が始まる可能性がある。それだけは回避しなくては!
少し、シュミレーションしてみるか。
相手はどのような事を尋ねてくるだろうか? それに対しての明確で明瞭な回答は? 何を話せば納得するだろうか? どうやって証明するか? 証明するタイミングはどうする?
証明した後、今後どうするか? という問題がふと浮かんだ。……これについては考えない! という方向でいいだろう。と、言うのも失敗すれば死ぬ。死ぬかどうかの状況で説得成功後の事など考えている余裕は、現在悠斗には無い。
「人事を尽くして天命を待つ」
ふと父が良く言っていた言葉を思い出す。今現在自分自身ができる精一杯の事をすればいい。後は天命次第。まさしく成るように成れ……だ!
「よし! 腹は括った! でき得る限りの事をしてみますか!」
悠斗は大きく息を吐き。パチン。と手を叩くとそう叫んだ。
そして、陽は徐々に傾き、闇が空の支配領域を拡げて行く……。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2010/01/11 17:26 更新日:2010/03/27 17:35 『アルバイト軍師!』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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