作品ID:137
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アルバイト軍師!
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 連載中
前書き・紹介
第二話 舌戦は大変だ……と思います!
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第二話 舌戦は大変だ……と思います!
陽が落ち、大きな満月が夜空で月光を照らす。部屋には……というより電気送る電線どころか発電施設が無い為、当然の事ながら電灯は存在しない。蝋燭も無いのでかなり暗い。しかし、満月の月光は部屋を予想より明るく照らしてくれていた。普段電気の恩恵で部屋が明るい悠斗の世界では、このありがたみは気付き難い。
「無いからこそ気付くありがたみ……ってか?」
窓の直ぐ傍に椅子を移動させ、月を見上げながら、すっかり生温くなってしまった最後の一杯の紅茶を口に含みながら悠斗が呟く。
もしかしたら、これがこの世界において最初で最後の月見になるかもしれない。そう考えると感慨も深くなるというものだ。
「風流だねぇ……」
そろそろ夕飯でも……と悠斗が考えた時だった。コンコン。と、ドアをノックする音が部屋に響き、ヒエンと完全武装の兵士が四人、部屋の中に入ってきた。
「…………随分と優雅なものだな? それほどの余裕は一体何処からでてくるのだ?」
ヒエンの最初の言葉は皮肉だった。
「月見をするのは本当に久しぶりでね……。綺麗な満月を見ながら紅茶を一杯。風流と思わないか?」
紅茶を注いだティーカップを持ち上げると、ヒエンは右手を挙げた。と、同時に四人の兵士達が悠斗を取り囲んだ。
「……時間だ。これからお前を領主様の元へ連行する。念の為、お前の両手を拘束する。後ろを向いて、両腕を腰の辺りで交差しろ」
「もう時間ですか」
悠斗はティーカップに残った最後の一口を飲み干し、悠斗は椅子から立ち上がると空になったティーカップをテーブルに戻した。
兵士の一人が悠斗の背中を槍の柄先で小突く。早くしろという事だろう。
悠斗はテーブルの前で兵士達に対して背を向けて、腕を腰の辺りで交差した。
「動くなよ。おかしな動きをすれば、命は無いと思え」
ヒエンの警告は本気だろう。悠斗は溜息を吐きながらおとなしくジッとする。兵士の一人が悠斗の背後に近づく。
「……痛いって。俺にSMの趣味は無いんだから、もうちょっと手加減してくれ」
「えすえむ……が何か知らないが、お前の都合など知らん」
悠斗の悪態をヒエンはバッサリと斬り捨てる。このヒエンという女騎士はどうも自分を処理したがっているようにしか思えない。たぶん、思っているんだろうけど!
「……できたか?」
悠斗が尋ねると、悠斗を拘束していた兵士がポンポンと肩を叩く。
「ほんじゃ、行きましょうかねぇ」
ヒエンが先頭で部屋を出る。悠斗の四方は兵士達ががっちり固め、さらに腕を左右の兵士がそれぞれ掴んでいた。
暫く歩き続けると、大きな扉の前に到着した。おそらく此処が面会の場所なのだろう。扉の前には槍を携えた護衛兵が二人、鋭い目つきで立っている。
「ヒエン=ルートリア。昨日の侵入者を連行した」
「はっ! 伺っております! どうぞ、お通り下さい!」
直立不動で兵士の一人が言うと、もう一人の兵士がゆっくりと扉を開いた。
「付いて来い」
ヒエンがそう言うと、悠斗は頷きながらヒエンの後ろを付いて行く。
暫く館の中を歩き続けたその先にある部屋。そこはとても広い部屋だった。部屋の左右の壁には一定の間隔で兵士達がずらりと並んでおり、奥の少し段が高くなっている所には、大きな椅子に座っている少し痩せた白髪の男が鋭い目つきで見ていた。配置的に考えてこの男が領主なのだろう。そのすぐ左横には銀髪で、長い髪をポニーテールにしている甲冑姿の若い少女が立っていた。その二人を中心に左右に人が立っていた。悠斗から見て右側が甲冑姿の男達。少し鎧が豪勢なので恐らく武官。反対の左側にはゆったりとした服装の男達が立っていた。たぶん、文官だろう。
武官と文官が並ぶその間を通るようにヒエンと悠斗は進み、領主まで七、八メートルぐらい手前でヒエンが立ち止まる。
「キサラギ。領主様の前だ、平伏しろ」
ヒエンが鋭い目つきで命令する。
「……目上の相手なら指示されなくても頭を下げるさ。……ただ、命令されて頭を下げるのは気に喰わねぇ」
悠斗の思わぬ言葉に周囲は騒然とした。ヒエンも一瞬驚いたのか、鳩が豆鉄砲を受けたような顔した。しかし、すぐさま右手は左腰にある剣の柄に添えられ、刃が蝋燭の火で煌きながら悠斗の首筋に当てられた。
「口の利き方に気を付けろ!」
「……俺はここで領主様を納得させなければ処刑される。命を失う覚悟をした人間にその程度の脅しが効くと思うな。そもそも、俺を拘束している時点で俺は罪人扱いになっている。なぜ罪人の俺が領主に頭を下げる必要がある? 罪人では無く客分であるならば、俺を世話して部屋まで宛がってくれたくれた事に感謝し、自然と頭も下がるものだ」
悠斗のまっすぐな瞳と、その言葉はヒエンを狼狽させるに十分だった。
「……ヒエン、その者の縄を解け」
ゆっくりと落ち着いた、威厳のある言葉が部屋に響いた。
「バルバロッサ様! しかしそれは……」
「ヒエン。私は解け……と、命令したのだが?」
椅子に座った男がヒエンを見つめながら今一度口を開く。それは有無を言わせぬ力強い言葉だった。
ヒエンは条件反射の様にその場で膝を付いた。
「し、失礼致しました。すぐに縄を解きます!」
それだけ言うと、ヒエンは剣を鞘に収め、代わりに短剣を取り出して悠斗の縄を切った。
「……部下が失礼をした」
椅子に座った男が呟く様に言うと、悠斗は軽く頭を下げた。
「いえ、私も少々言い過ぎました。ご無礼は平にご容赦下さい」
悠斗はそれだけ言うと、改めて頭を下げた。
「お初にお目に掛かります。私の名前はユウト=キサラギと申します。大広間に倒れていた所を助けて頂いたと聞きました。ありがとうございます!」
「……まだ、感謝するには早い。これから貴殿を処刑するかもしれないのだから……な」
「いえ、例えそうなったとしても、助けて頂いたのは変わらぬ事実。感謝致します」
「ふむ、変わった男だと周囲に言われぬか?」
「時々、言われます」
「……おお、そうだ。一応名乗っておかなくてはな。ワシはこのシンヴェリル領主、バルバロッサ=アートルという」
これが、領主バルバロッサか。
ユウトは言葉にはしないが酷い緊張に包まれていた。最初にハッタリをかましたとは言え、この少し痩せた白髪の男にはまったく意味を成さなかった。流石に領主ともなればこれぐらいの貫禄になるのだろうか?
「キサラギ殿であったか。色々尋ねたい事がある。その全てに答えてもらうぞ?」
「……失礼を承知で申し上げます。バルバロッサ様。私自身、今現在のこの状況に驚いている次第でございます。また、私自身にも理解できない事が多数あります。よって、答えられる事と、尋ねられても答える事が出来ない事があります。ただ、真実のみを口にする事を誓約致します」
「ほう……。では、最初に尋ねる。貴殿はどちらから来られたのかな?」
「日本です」
「……その……にほん? という国はどこにある」
「少し、説明を挟みます。ここの侍女、エルキア殿に少しこの世界の事を聞きました。そこから確信を得た事があります。私の祖国である日本は、この世界とは別の……異なる世界にある小さな島国……。と、お答えします」
ざわめきが部屋を包んだ。まぁ、それはそうだろう。どこに自分は異世界から来ましたと言う馬鹿馬鹿しい事を言う奴がいるだろうか? まぁ、後にも先にも俺だけだろう。
「フフフフフフ。異世界とはな……。また盛大な大ホラを聞いた。……それでワシを納得させる事が出来ると思っているのか!」
静かな口調から一転、怒号のような言葉。その一言で周囲のざわめきは一瞬で止まった。
「……無論、このような事をただ言葉だけで納得させようとは思っていません」
ユウトはそこで言葉を切るとヒエンを見つめた。
「ヒエン。俺のポケットに携帯電話と、財布がある。俺が取り出すと騒ぐ事になるから代わりに取り出してくれ。無論、不審な行動をとればこの場で俺を殺せばいい」
ヒエンが領主の方を向く。指示に従えば良いのか困っているのだろう。領主が頷くとヒエンも頷き、悠斗のポケットを調べ始める。
取り出されたのは携帯電話、財布、家の鍵だ。悠斗はそこから携帯電話だけを受け取る。
「これは携帯電話と言います。これを使えば遠くに離れた人と会話する事が出来る道具です」
「ほう、遠く離れた人と……な。今、それが出来るかね?」
「……残念ながらできません。電波が無いので」
「でん……ぱ……?」
「えと……説明しますけど、恐らく理解できませんよ? ある程度、基礎が無いと分からない人にはまったく分からないです」
「理解できるかどうかは此方が判断する」
バルバロッサは言い切ると、悠斗は諦めた。
「……えと、じゃあ、いいますね? 電波は、電磁波のうち光より周波数が低いものを指します。まぁ、波長が長いものとも言えます。光としての性質を備える電磁波のうち最も周波数の低いものを赤外線、もしくは遠赤外線と呼ぶのですが……」
「ま、待て、キサラギ」
ヒエンが手を上げて悠斗を止める。眉間に皺を寄せながら首を傾げていた。
「すまないが、我々に理解できるように説明してくれ。簡潔に……」
ヒエンが言うと、周囲の人々も同様な反応を示す。流石にこの説明方法は無理だな。うん。
「……電波っていう……目に見えない……えと、モノ? を、使って人と会話するんだが、その電波を使う為の機械が無いので、この電話は人と話す為に使えない」
「つまり、その機械は使えないというのだな?」
ヒエンが悠斗の説明をなんとか頭の中で整理しながら尋ねる。
「電話としての機能はね……。これって、結構多機能なんだ。と、言っても主要な物は同じような理屈で使えない訳ではあるのだが……」
悠斗は携帯電話を操作してカメラモードにする。
「写真、撮ります?」
「しゃ……しん?」
悠斗がバルバロッサに尋ねると、バルバロッサは首を傾げた。うん、理解してない反応だよね。
「うん……んじゃ、お試しで……ヒエン」
悠斗はニヤニヤ笑いながらヒエンに携帯のカメラレンズを向けた。
「何かポーズをとれ」
「ぽ、ぽうず?」
「あ、分からないか、んじゃいいや。とりあえず、そのまま動かずジッとしておいて」
悠斗はあっさり諦めると、決定ボタンを無造作に押した。
カシャ。と、携帯から音が鳴る。
「な、何だ!? 今の音は!? 貴様! 今何をした!?」
ヒエンが驚いて剣の柄に手を添える。直ぐに剣の柄に手を添えるのは癖か?
「うん、綺麗に撮れたな。ほれ」
悠斗はヒエンの反応を無視してヒエンに近づくと携帯の画面に映ったヒエンの画像を本人に見せた。
「……こ、これは……私?」
ヒエンは目を丸くしてマジマジと携帯の画面を見続ける。
面白いな、この反応! ヤバイ、普通に楽しい!
「バルバロッサ様に見せたら?」
悠斗が静かに言うと、ヒエンは自分が夢中になって画面を見続けている事に気付いた。照れ隠しのように悠斗から携帯電話を奪い取ると、それをバルバロッサに渡した。
……耳、赤いよ、ヒエン。と、流石に口には出さないが、悠斗は心の中でニヤニヤ笑いながら呟いた。
「……不思議だな……。このような小さな箱にヒエンがおる……」
バルバロッサが見つめていると、悠斗は元の立ち位置に戻ったヒエンに顔を向けた。
「ヒエン、実はあの道具。魂を吸い取って写すんだ。悪いが、少し寿命が減ったぞ」
悠斗がそう言った瞬間、部屋全体が止まった様に粛然とした。特にヒエンが僅かに震えながら悠斗に顔を向ける。
「お、お前……た、魂を……す、すい、吸い取る……、わ、私は……し、死ぬのか!?」
まずい。かなり本気で受け取っている。しかも目が涙目だ。ちょっと涙目のヒエンが可愛い。少し萌えてしまったが、理解されそうに無いのでそれは言わないでおこう。うん。
「……すまん、冗談だ。そこまで怯えるとは思わなかった」
「じょ、冗談だと!?」
「いや、何度もお前、俺に刃向けたじゃん? ちょっとお返しがしたくてな。すまんすまん」
ヒエンは怒り任せに悠斗の胸倉を掴んだ。
「貴様! やっていい事と悪い事があるぞ! しかも、貴様は今尋問されているのだぞ!? 冗談なんて言っているヒマが僅かでもあるとでも思っているのか!?」
「わ、悪かったって。いや、ヒエンの反応が楽しくて、つい……な?」
「私で遊ぶな!」
「だから謝ってるじゃん」
「……ヒエン、そこまでにせよ」
バルバロッサが呆れた口調でヒエンを止める。
「キサラギ殿も自分の立場を弁えたほうが宜しい。最悪、今ので処刑されても文句は言えないぞ?」
「はい、申し訳ありません。以後、注意します」
僅かだが、口元に笑みを残したまま悠斗はバルバロッサに謝罪した。
「魂を吸い取る訳では無いのだな?」
一応というか、確認という形でバルバロッサが尋ねる。
「はい、私も何度も写真は撮っていますので、何も問題はありません。お騒がせしました。後、仕組みについては省きます。先程と同じ様な電波の説明のようになりますので……」
「……ああ、それは構わぬ」
「えと、携帯電話についてはもう、宜しいですね? もう一つ、私が異世界から来た証拠をお見せします」
悠斗は財布から札と硬貨を取り出した。
「これが私の国の通貨です」
悠斗はヒエンに全財産を渡すと、ヒエンはそのままそれをバルバロッサに手渡した。
「……ふむ。複雑な紋様だな。これほど精巧に作れるとは……。む、この紙は……透かし……か? 一つ、一つ全てにか?」
「その透かしの技術もこの国、この世界では有り得ない技術と思います。その透かしは偽造防止の為に加工されています」
「……なるほど、偽造防止……か」
バルバロッサは暫く見続けると、それをヒエンに手渡した。
「はっきり聞こう。キサラギ殿。現時点で貴国と我が国の技術はどの程度の差がある?」
「おおよそになりますが……。この世界の科学技術は私の世界の十二世紀頃と酷似しています。それをどこも同じである、と仮定して考えるとざっと千年の差はあるでしょうか」
悠斗のこの発言には周囲は驚きの反応を見せた。幾ら技術が発達していると言われても、千年も離れていると言われれば信じられないのが普通だろう。
「……では、キサラギ殿は何をしていたのだ? そのキサラギ殿の世界で」
「私は学生をしていました。私の得意分野は歴史でして、歴史の勉強と知識を深めたい為に精進を続けている状態です。無論、日々の糧を得る為にレストランで働いても居ましたが。あ、レストランというのは大衆食堂で、私は掃除とか、注文を受けたりとか、出来上がった料理を運んだり、レジ……会計を行ったりとかです」
無論、これも事実だ。何しろもう二年近くそういう生活をしていたのだから。
「では、どうやってこの世界に来た?」
「……わかりません……」
一間、大きく息を吐き出して悠斗は答えた。
「……私はその日……夜遅くまで働いた後、食事を済ませ、酒を飲み、そのまま寝ました。次に気が付いたら……あの運ばれた部屋でした。この間の記憶は一切ありません。誰かに連れて来られたのか、何か不可思議な超常現象とも言える出来事が起きたのか、さっぱり分かりません。私は完全に熟睡していましたので」
「物品を見たが、これでは貴様が他国の密偵ではないという証拠にはならん」
悠斗を鋭い視線で射抜きながら言ったのは、バルバロッサの左隣でずっと一言も喋らずに事の推移を見守っていた銀髪ポニーテールの甲冑少女だ。恐らくバルバロッサの隣にいるという事は近親者だろう。
「……おっしゃるとおりです。私が他国の密偵では無い証拠は何一つありません。……可能性を考えるのならですが、全ては皆様に近づく為の演技であり、情報を聞き出し、内情を調べ上げる為に送り込まれた内通者……。信用させて重要な場面で暗殺を実行する者」
「分かっているではないか。その可能性がある以上、貴様をこれ以上生かしておけない」
少女はそこまで言うと剣の柄に手を添えた。
「……ま、人を疑えばキリが無い。猜疑心が強いのは結構ですが、貴方はほんの僅かでも不審と見れば人を殺すのですか?」
「なんだと?」
「今、私を殺そうとしている貴方に心から従う者は片手で足りるのか? と、尋ねているのです」
「貴様、私に人望が無いと言うのか!」
「そう言っているのですが?」
悠斗がはっきり断言した瞬間だった。ヒエンが悠斗を足払いして手を地面に付かせると刃を首筋に当てた。
「貴様! リューネ様に対して無礼であるぞ!」
「……本当に内通者や暗殺者であるならば、こんな目立つやり方をするかよ。と、貴方は猜疑心がとてもとても強い方でしたね。で、あればこそ逆に……と考えますね」
「貴様、私を愚弄するか! ヒエン! 斬れ!」
銀髪少女が叫ぶ。
「リューネ! ヒエン! 黙れ!」
しかし、バルバロッサの一喝が再び部屋全体を粛然とさせた。
「キサラギ殿。言葉には気を付けろと言った筈だが?」
バルバロッサが言うと、悠斗はバルバロッサを睨み付けた。
「……ならば何故さっさと殺さない?」
「キサラギ殿を信用はしていない。ただ、命を奪われるかどうかのこの状況でそこまで言い放つ、その胆力を評価しているからよ」
これは悠斗にとって以外な反応だった。
「……先ほど、貴殿は……がくせい……と言っていたな。それについては良く分からぬが、勉学に励んでいると言っていたな? 貴殿の知識を試したい」
「私如きが分かる事でしたらお答えしますが、出来ればこの首筋に当てられている刃を下げて頂けると、答え易いのですが」
バルバロッサがヒエンを見つめると、ヒエンはゆっくりと刃を悠斗から離した。
まったく、今日一日で一体何回殺されかけるんだ? ほとんどは自分が相手を怒らせた結果なのだが……。
「そうだな。……うむ、キサラギ殿に問う。ワシは領主として長年この地を治めている。領地に住む領民にとって良い領主は何であろうか?」
悠斗は崩れた身なりを整え、大きく息を吐いた。
「そうですね……。言い方は悪いのかも知れませんが……領民にとって良い領主。それは領民にとって、都合が良い領主です」
「……ほう。それはどのように」
バルバロッサはその先を促す。
「領民にとって都合が良い領主。それは自分達の生活を保護する者を言います。また、利を与える者を指します。これは統治者として絶対条件です。まぁ、逆の事を行えば住民反乱、武力蜂起が起きるのですから当たり前と言えば当たり前ですが……」
「しかし、時には重い税をかける事もある。重い罰則を実施する事もある。そうでなければ領民を守れるかな?」
バルバロッサがすぐさま反論を論じる。悠斗は僅かに目を閉じると、すぐさま反撃に転じた。
「重い税。……確かに、それは時には必要でしょう。しかし、領民が納得する税でなければなりません。まず、第一に領民が税を徴収する事に反対するのは、税を支払う事に反発しているのではなく、税が自分達の生活にまったく反映されない無意味な使い方、不公平な使い方をされるから反発するのです。例えば豪勢な食事、豪勢な邸宅、領主や、その家族を着飾るための高価な衣服、贅沢な装飾品。領主も人間です。まぁ、多少の贅沢も良いでしょう。外交上の儀礼として多少の着飾りや装飾品も必要です。しかし、……領民が骨と皮だけになるまで痩せ細り、領主や役人が豚のように肥太る。領民はそういう事に不満を持ちます。再び例えになりますが、領民達が開拓した新たな農地。しかし、川が氾濫を起こしてそれを全て台無しにしてしまう。その川の氾濫を防ぐ為に工事する為に必要な税、犯罪が多発する街の治安維持向上の為に警備人員を増やす為に必要な税、主要な道の整備、橋の建設、補修などといった開発、整備の為の税。そういう物ならば納得するでしょう。なぜならば、その結果として、自分達の生活が豊かになるからです。重い税とは、理不尽で不正な税であり、税そのものの金額が高いか安いか、そういう問題では無いのです。次に重い罰則ですが、領民が一番重く、徐々に上に行くほど逃げ道がある、刑が軽いでは、不公平です。領民はそういう不公平は見逃さず、また不満を持ちます。まず、領主自ら自身を律し、その家族、家臣が規律を守り、その手本を見せれば多少重い罰則でも領民は納得するでしょう。人は甘えます。人は他人を頼ります。人は他人より自分が幸福でありたいと願います。それはどうにもなりません。形で締め付けるのでは無く、心を汲み取るのが最も宜しい方策であると私は考えます。なぜ、ここまで領民の意思を汲み取るのかと申しますと、国家の危機に対して領民の力が必要不可欠だからです。普段から心を汲み取った政治をするからこそ、いざ危機に瀕した時に領民は全力で支援します。また、領主の命令に疑問を持ちません。それは、今まで自分達を守ってくれた者に対する信頼と、領主が斃れた後、自分達の生活が脅かされるという恐怖心があるからです」
悠斗はそこで一区切りを作る。
「そ、それは理想に過ぎない! そのような甘い態度で戦に挑めるか!」
銀髪の甲冑少女が叫ぶ。確か……リューネとバルバロッサに呼ばれていたか?
「……リューネ様……でしたか? 少しお尋ねしたい。戦に必要なのは何でしょうか? 正義の心? 敵に立ち向かう勇気? そんなゴミは必要有りません。必要なのは税によって蓄えられた豊富な資金、領民達が納める潤沢な糧食です。資金が無ければ剣は買えず、馬具どころか馬も買えず、鎧も然り、兵士達に支払う給金も税です。餓えた兵士が役に立ちますか? 戦が始まる前に逃げ出しますよ。逃げ出す兵士を諌める為に見せしめとして何人か殺しますか? 歴史上、古今東西如何なる名将でさえも、逃げ出す兵士を止める事は不可能です。では、領民から金と食料を掠奪して揃えますか? もし、そのような事すれば住民の反乱が起きます。敵と通じて我等を殺すかもしれません。進んで敵軍の道案内をするでしょう。領民達は大手を振って敵軍を迎え入れる事でしょう。何しろ、自分達を蔑ろにする悪徳領主とその軍兵を殺してくれるのですから、文字通り救世主としてその目には映る事でしょう。で、リューネ様はそれでも領民の意思など踏み潰し、自分達の都合の良いように領民達を支配しますか?」
「……そ、それは……」
リューネは反論の術が無いのか何かを言おうとして、直ぐに口を閉じる。
「ですから、普段から良い政治。領民にとって都合の良い領主で無ければならないのです。無論、都合が良すぎるだけではダメです。締める所は締めます。だからこそ、領民は領主を信頼し、指示に従う事でしょう。領民達、国民から絶対支持を受けた領主、国王は強い。なぜならば、その国力、その軍事力の根幹は領民達の生産力で支えられているからです。だからその軍隊は良く整備され、良い武器を持ち、良い鎧を身に纏い、良い馬を揃え、豊富な糧食で英気を養い、明確な命令に従って存分にその実力を発揮するからです。無論、全てを一人でするのではありません。全て一人できる人間は数百年に一人でるかどうか……。だからこその武官、文官です。それぞれが役目に誠意を持って全力でそれを実行すれば良くはならなくても悪くはなりません。それだけで一定の評価を民はしてくれる事でしょう」
悠斗が言い終わると、乾いた拍手が鳴り響いた。拍手をしていたのはバルバロッサ只一人。そして、その顔には笑みが浮かんでいた。
「まったくの理想ではあるが……。実際その通りだ。いや、心に響き、かつ痛む話だ。しかも、正論であるが故に反論も許されぬ」
バルバロッサは手を止めるとゆっくりと立ち上がった。そして悠斗の目をジッと見つめた。
「キサラギ殿。貴殿を放逐しようと思うが……生きる術はあるか?」
「……あるはずも無く」
「では、此処で客分として住む事は可能かね?」
バルバロッサの提案は悠斗にとって思い掛けない言葉だった。そしてその言葉は周囲の者達を驚愕させるに十分過ぎた。
「ち、父上! 私は反対です! このような得体の知れない者を傍に置くなど!」
リューネが真っ先に反論を言い放った。って、父上? バルバロッサの娘なのか……。と、悠斗は感心した。しかし、まぁ、随分勝気でじゃじゃ馬な娘に育ったな……。もう一つ。言葉は悪いが、奥様はさぞ美人だったのだろう。リューネはかなりの麗しい少女だ。正直、目にした時に不覚にもドキッとしてしまった。ヒエンも美人だが、それとは別の美しさがある。
「疑わしい事があれば、処分すれば良いだろう。だが、実際にキサラギ殿が言う通り異界から来た者であれば、我等は貴重な人材を得た事になる。異界の知識を得る事ができるのだから。そしてキサラギ殿。その人物を見る限り誠意ある人物とワシには見えた。それに中々率直で胆力もあり、知識もあるようだが?」
「……し、しかし……」
それでもリューネは食い下がる。かなり嫌われているな、俺。
「ふむ。ではリューネ。お前の傍に置く、好きに使え」
バルバロッサの提案はリューネを驚愕させた。正直、悠斗も驚いていた。
待て待て。俺はこんな最初から疑いの目で見る女の子の傍で働くの? 生理的に嫌われている位の反応ですよ? 口にはしないが、本気で思った感想である。
「絶対嫌です! このような無礼な者を傍に置きたくありません!」
「領主としての厳命である」
バルバロッサは愉快そうに笑いながらリューネに告げた。あの……娘で遊んでいませんか?
「ち、父上! 厳命とは申されますが、このような理屈ばかり立てる男など、口先だけで戦の役に立つとは思えません!」
「理屈では無く、理論。そして、原点」
悠斗も反論するが、リューネは聞く耳を持たなかった。
「黙れ! 戦とは、戦場で相手をいかにこの刃で倒すかだ!」
「リューネ様の仰るとおり……最終的にはそうですが、その刃を相手に届かせるまでの経緯が重要なのです。結果だけを言えば、どのような形であれ相手に刃が届けばそれで宜しい。単純に殺すだけならば、四つか五つの子供が少し小高い所から大人の頭ほどの岩を蹴り落とせば、当れば殺せます。例え刃が届いて倒せたとしても、貴方以外が全員戦死していては、次の戦はどうするのです? 領民を強引に連れ出し、武器を持たせ、いきなり戦場へ連れて行くのですか? 戦が始まる前に壊走するのは自明の理です」
「っ! いい加減にしろ貴様! 何処まで私を侮辱するのだ! そのような事をする訳がないだろう!」
「無論、リューネ様は賢明な方の様なのでそのような事はしないでしょう。では、どうするか? これが重要なのです。戦場で刃を交わすのが戦いだとお考えならば、いますぐ愚鈍な考えは止めたほうが宜しい」
「貴様! 私を愚将呼ばわりするか!」
「勝兵は必ず勝ちて、而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」
悠斗は断言するかのようにリューネに言い放つ。
「……勝利の軍は開戦前にまず勝利を得てそれから戦争しようとするが、敗軍はまず戦争を始めてから後で勝利を求めるものである。先程からリューネ様の言動は戦ってから勝利を求めているとしか思えません。そうではなく、優れた将とは、戦う前にすでに勝利を手にしているのです」
「私に卑怯者になれと貴様は言うか!」
いよいよリューネの限界が近づいてきたのか、リューネは鞘から剣を抜き放ち、剣先を悠斗に向けた。
「卑怯? なるほど、卑怯。確かにそうですね。でも、もし私が指揮官であるならば……、数千の味方兵を無駄に死なせて、その遺族の慟哭の嘆きを見るよりは、卑怯者と謗られ様と数十人の死を選びます」
「おのれ! このリューネ=アートル! 貴様に説教される謂れは無い!」
パン! と、大きな手を叩く音が部屋全体に響いた。その音がバルバロッサから発した物だとその部屋に居た者が理解するまで、そう時間は掛からなかった。
「リューネ、そこまでにしておけ。キサラギ殿。貴殿がそこまで言うからには試させてもらう。異論は無いな?」
バルバロッサが呆れ気味に娘を抑えつつ悠斗に尋ねた。
「……はい」
バルバロッサは悠斗の返答に満足したのか、笑顔を見せた。
「貴殿が寝ていた部屋。そのまま私室として使うが良い。困った事があれば、誰でも良いので尋ねるが良い」
バルバロッサのこの言葉で会見は終了した。
最後にリューネが物凄い形相で睨みつけていたが……まぁ、気にしても仕方が無い。信用はまったくの皆無だろうし、自分が不審人物なのはどうにもならない決定的事実である。
それにしても、試験か。
どのような試験なのだろうか? 恐らくは軍事に関することなのだろうが……完全に素人の自分に出来るのだろうか?
部屋に戻った悠斗は、大きな溜息を吐いた。
「……明日からは自由に出入りして良い。一応、客人という事になったからな」
同行したヒエンが言った後、部屋を後にしようとしたその時。ドスン。と、何かが倒れる音がした。
ヒエンが驚いて振り返ると、座り込んだ悠斗の姿があった。
「どうした?」
「……あ、すまない。その……。情け無い話なんだけど、手を貸してくれ。緊張が解けて安心したら腰が抜けた」
「………………」
「……な、なんだよ! その呆れた顔は」
「先程までのお前、今のお前、どうにも繋がらない。しかし、お前の本性はやはり、今この場にいるお前だな。この臆病者め」
ヒエンの評価に、怒りの感情が不思議と沸いて来なかった。ただ、笑うしかなかった。
臆病者。
その謗りをどう受け取るべきだろうか?
その通りだ? 仕方が無い? それがどうした?
違う。根っからの臆病者なのだ。自分は。
でも。
そう、でも……と、続けることが出来る。
臆病だからこそ……。いや、これは言い訳だな。
「そうだな。俺は矮小で心も狭く小人で臆病者だ」
「ほう? 自覚があるのか」
「でも、やっぱり、生きたい。生きて、元の世界に帰りたいよ。親父とまた酒が飲みたい。母さんの手料理がまた食べたい。友達とまたバカやってドンちゃん騒ぎをしたい」
「……故郷と家族か……」
「うん。……もしかしたら、もう二度と……戻れないかも……知れ…………ぃ……」
身体が震える。
涙が出る。
悲しい。
寂しい。
恋しい。
帰りたい。
「……わりぃ。……こんな……所、人に……見せるのは……ダメダメだよな!」
涙を拭う。
しかし、拭っても拭っても、涙は止まらなかった。
こんなにも止めようとしているのに、止まらないのだ。
自分は弱い人間なのか?
故郷から。
家族から。
友達から。
永遠に成るかもしれない別離。
この事実に目を逸らさず、見つめた瞬間に涙を流すほど……。
「……いや、故郷や家族の事を想うのは誰しもある事だ。それを悪く言うつもりは無い。……明日は早い。もう、寝ておけ」
ヒエンはそれだけ言うと、部屋の扉を静かに閉めた。
窓から空を見上げる。
部屋を明るくする月光が、情け無い自分を包み込んでくれているように思えた。
勿論、そんな事は妄想にしか過ぎない。しかし、それだけでも今の悠斗にはありがたかった。
そして、思う。
自分はこの世界で生きていく事が出来るだろうか?
自分はここで何をすべきだろうか?
元の居場所に戻る事ができるのだろうか?
答えは……出るはずも無く。
誰も答える事も無い。
ただ。
月だけが、嗚咽を漏らし続ける悠斗を見守っていた……。
陽が落ち、大きな満月が夜空で月光を照らす。部屋には……というより電気送る電線どころか発電施設が無い為、当然の事ながら電灯は存在しない。蝋燭も無いのでかなり暗い。しかし、満月の月光は部屋を予想より明るく照らしてくれていた。普段電気の恩恵で部屋が明るい悠斗の世界では、このありがたみは気付き難い。
「無いからこそ気付くありがたみ……ってか?」
窓の直ぐ傍に椅子を移動させ、月を見上げながら、すっかり生温くなってしまった最後の一杯の紅茶を口に含みながら悠斗が呟く。
もしかしたら、これがこの世界において最初で最後の月見になるかもしれない。そう考えると感慨も深くなるというものだ。
「風流だねぇ……」
そろそろ夕飯でも……と悠斗が考えた時だった。コンコン。と、ドアをノックする音が部屋に響き、ヒエンと完全武装の兵士が四人、部屋の中に入ってきた。
「…………随分と優雅なものだな? それほどの余裕は一体何処からでてくるのだ?」
ヒエンの最初の言葉は皮肉だった。
「月見をするのは本当に久しぶりでね……。綺麗な満月を見ながら紅茶を一杯。風流と思わないか?」
紅茶を注いだティーカップを持ち上げると、ヒエンは右手を挙げた。と、同時に四人の兵士達が悠斗を取り囲んだ。
「……時間だ。これからお前を領主様の元へ連行する。念の為、お前の両手を拘束する。後ろを向いて、両腕を腰の辺りで交差しろ」
「もう時間ですか」
悠斗はティーカップに残った最後の一口を飲み干し、悠斗は椅子から立ち上がると空になったティーカップをテーブルに戻した。
兵士の一人が悠斗の背中を槍の柄先で小突く。早くしろという事だろう。
悠斗はテーブルの前で兵士達に対して背を向けて、腕を腰の辺りで交差した。
「動くなよ。おかしな動きをすれば、命は無いと思え」
ヒエンの警告は本気だろう。悠斗は溜息を吐きながらおとなしくジッとする。兵士の一人が悠斗の背後に近づく。
「……痛いって。俺にSMの趣味は無いんだから、もうちょっと手加減してくれ」
「えすえむ……が何か知らないが、お前の都合など知らん」
悠斗の悪態をヒエンはバッサリと斬り捨てる。このヒエンという女騎士はどうも自分を処理したがっているようにしか思えない。たぶん、思っているんだろうけど!
「……できたか?」
悠斗が尋ねると、悠斗を拘束していた兵士がポンポンと肩を叩く。
「ほんじゃ、行きましょうかねぇ」
ヒエンが先頭で部屋を出る。悠斗の四方は兵士達ががっちり固め、さらに腕を左右の兵士がそれぞれ掴んでいた。
暫く歩き続けると、大きな扉の前に到着した。おそらく此処が面会の場所なのだろう。扉の前には槍を携えた護衛兵が二人、鋭い目つきで立っている。
「ヒエン=ルートリア。昨日の侵入者を連行した」
「はっ! 伺っております! どうぞ、お通り下さい!」
直立不動で兵士の一人が言うと、もう一人の兵士がゆっくりと扉を開いた。
「付いて来い」
ヒエンがそう言うと、悠斗は頷きながらヒエンの後ろを付いて行く。
暫く館の中を歩き続けたその先にある部屋。そこはとても広い部屋だった。部屋の左右の壁には一定の間隔で兵士達がずらりと並んでおり、奥の少し段が高くなっている所には、大きな椅子に座っている少し痩せた白髪の男が鋭い目つきで見ていた。配置的に考えてこの男が領主なのだろう。そのすぐ左横には銀髪で、長い髪をポニーテールにしている甲冑姿の若い少女が立っていた。その二人を中心に左右に人が立っていた。悠斗から見て右側が甲冑姿の男達。少し鎧が豪勢なので恐らく武官。反対の左側にはゆったりとした服装の男達が立っていた。たぶん、文官だろう。
武官と文官が並ぶその間を通るようにヒエンと悠斗は進み、領主まで七、八メートルぐらい手前でヒエンが立ち止まる。
「キサラギ。領主様の前だ、平伏しろ」
ヒエンが鋭い目つきで命令する。
「……目上の相手なら指示されなくても頭を下げるさ。……ただ、命令されて頭を下げるのは気に喰わねぇ」
悠斗の思わぬ言葉に周囲は騒然とした。ヒエンも一瞬驚いたのか、鳩が豆鉄砲を受けたような顔した。しかし、すぐさま右手は左腰にある剣の柄に添えられ、刃が蝋燭の火で煌きながら悠斗の首筋に当てられた。
「口の利き方に気を付けろ!」
「……俺はここで領主様を納得させなければ処刑される。命を失う覚悟をした人間にその程度の脅しが効くと思うな。そもそも、俺を拘束している時点で俺は罪人扱いになっている。なぜ罪人の俺が領主に頭を下げる必要がある? 罪人では無く客分であるならば、俺を世話して部屋まで宛がってくれたくれた事に感謝し、自然と頭も下がるものだ」
悠斗のまっすぐな瞳と、その言葉はヒエンを狼狽させるに十分だった。
「……ヒエン、その者の縄を解け」
ゆっくりと落ち着いた、威厳のある言葉が部屋に響いた。
「バルバロッサ様! しかしそれは……」
「ヒエン。私は解け……と、命令したのだが?」
椅子に座った男がヒエンを見つめながら今一度口を開く。それは有無を言わせぬ力強い言葉だった。
ヒエンは条件反射の様にその場で膝を付いた。
「し、失礼致しました。すぐに縄を解きます!」
それだけ言うと、ヒエンは剣を鞘に収め、代わりに短剣を取り出して悠斗の縄を切った。
「……部下が失礼をした」
椅子に座った男が呟く様に言うと、悠斗は軽く頭を下げた。
「いえ、私も少々言い過ぎました。ご無礼は平にご容赦下さい」
悠斗はそれだけ言うと、改めて頭を下げた。
「お初にお目に掛かります。私の名前はユウト=キサラギと申します。大広間に倒れていた所を助けて頂いたと聞きました。ありがとうございます!」
「……まだ、感謝するには早い。これから貴殿を処刑するかもしれないのだから……な」
「いえ、例えそうなったとしても、助けて頂いたのは変わらぬ事実。感謝致します」
「ふむ、変わった男だと周囲に言われぬか?」
「時々、言われます」
「……おお、そうだ。一応名乗っておかなくてはな。ワシはこのシンヴェリル領主、バルバロッサ=アートルという」
これが、領主バルバロッサか。
ユウトは言葉にはしないが酷い緊張に包まれていた。最初にハッタリをかましたとは言え、この少し痩せた白髪の男にはまったく意味を成さなかった。流石に領主ともなればこれぐらいの貫禄になるのだろうか?
「キサラギ殿であったか。色々尋ねたい事がある。その全てに答えてもらうぞ?」
「……失礼を承知で申し上げます。バルバロッサ様。私自身、今現在のこの状況に驚いている次第でございます。また、私自身にも理解できない事が多数あります。よって、答えられる事と、尋ねられても答える事が出来ない事があります。ただ、真実のみを口にする事を誓約致します」
「ほう……。では、最初に尋ねる。貴殿はどちらから来られたのかな?」
「日本です」
「……その……にほん? という国はどこにある」
「少し、説明を挟みます。ここの侍女、エルキア殿に少しこの世界の事を聞きました。そこから確信を得た事があります。私の祖国である日本は、この世界とは別の……異なる世界にある小さな島国……。と、お答えします」
ざわめきが部屋を包んだ。まぁ、それはそうだろう。どこに自分は異世界から来ましたと言う馬鹿馬鹿しい事を言う奴がいるだろうか? まぁ、後にも先にも俺だけだろう。
「フフフフフフ。異世界とはな……。また盛大な大ホラを聞いた。……それでワシを納得させる事が出来ると思っているのか!」
静かな口調から一転、怒号のような言葉。その一言で周囲のざわめきは一瞬で止まった。
「……無論、このような事をただ言葉だけで納得させようとは思っていません」
ユウトはそこで言葉を切るとヒエンを見つめた。
「ヒエン。俺のポケットに携帯電話と、財布がある。俺が取り出すと騒ぐ事になるから代わりに取り出してくれ。無論、不審な行動をとればこの場で俺を殺せばいい」
ヒエンが領主の方を向く。指示に従えば良いのか困っているのだろう。領主が頷くとヒエンも頷き、悠斗のポケットを調べ始める。
取り出されたのは携帯電話、財布、家の鍵だ。悠斗はそこから携帯電話だけを受け取る。
「これは携帯電話と言います。これを使えば遠くに離れた人と会話する事が出来る道具です」
「ほう、遠く離れた人と……な。今、それが出来るかね?」
「……残念ながらできません。電波が無いので」
「でん……ぱ……?」
「えと……説明しますけど、恐らく理解できませんよ? ある程度、基礎が無いと分からない人にはまったく分からないです」
「理解できるかどうかは此方が判断する」
バルバロッサは言い切ると、悠斗は諦めた。
「……えと、じゃあ、いいますね? 電波は、電磁波のうち光より周波数が低いものを指します。まぁ、波長が長いものとも言えます。光としての性質を備える電磁波のうち最も周波数の低いものを赤外線、もしくは遠赤外線と呼ぶのですが……」
「ま、待て、キサラギ」
ヒエンが手を上げて悠斗を止める。眉間に皺を寄せながら首を傾げていた。
「すまないが、我々に理解できるように説明してくれ。簡潔に……」
ヒエンが言うと、周囲の人々も同様な反応を示す。流石にこの説明方法は無理だな。うん。
「……電波っていう……目に見えない……えと、モノ? を、使って人と会話するんだが、その電波を使う為の機械が無いので、この電話は人と話す為に使えない」
「つまり、その機械は使えないというのだな?」
ヒエンが悠斗の説明をなんとか頭の中で整理しながら尋ねる。
「電話としての機能はね……。これって、結構多機能なんだ。と、言っても主要な物は同じような理屈で使えない訳ではあるのだが……」
悠斗は携帯電話を操作してカメラモードにする。
「写真、撮ります?」
「しゃ……しん?」
悠斗がバルバロッサに尋ねると、バルバロッサは首を傾げた。うん、理解してない反応だよね。
「うん……んじゃ、お試しで……ヒエン」
悠斗はニヤニヤ笑いながらヒエンに携帯のカメラレンズを向けた。
「何かポーズをとれ」
「ぽ、ぽうず?」
「あ、分からないか、んじゃいいや。とりあえず、そのまま動かずジッとしておいて」
悠斗はあっさり諦めると、決定ボタンを無造作に押した。
カシャ。と、携帯から音が鳴る。
「な、何だ!? 今の音は!? 貴様! 今何をした!?」
ヒエンが驚いて剣の柄に手を添える。直ぐに剣の柄に手を添えるのは癖か?
「うん、綺麗に撮れたな。ほれ」
悠斗はヒエンの反応を無視してヒエンに近づくと携帯の画面に映ったヒエンの画像を本人に見せた。
「……こ、これは……私?」
ヒエンは目を丸くしてマジマジと携帯の画面を見続ける。
面白いな、この反応! ヤバイ、普通に楽しい!
「バルバロッサ様に見せたら?」
悠斗が静かに言うと、ヒエンは自分が夢中になって画面を見続けている事に気付いた。照れ隠しのように悠斗から携帯電話を奪い取ると、それをバルバロッサに渡した。
……耳、赤いよ、ヒエン。と、流石に口には出さないが、悠斗は心の中でニヤニヤ笑いながら呟いた。
「……不思議だな……。このような小さな箱にヒエンがおる……」
バルバロッサが見つめていると、悠斗は元の立ち位置に戻ったヒエンに顔を向けた。
「ヒエン、実はあの道具。魂を吸い取って写すんだ。悪いが、少し寿命が減ったぞ」
悠斗がそう言った瞬間、部屋全体が止まった様に粛然とした。特にヒエンが僅かに震えながら悠斗に顔を向ける。
「お、お前……た、魂を……す、すい、吸い取る……、わ、私は……し、死ぬのか!?」
まずい。かなり本気で受け取っている。しかも目が涙目だ。ちょっと涙目のヒエンが可愛い。少し萌えてしまったが、理解されそうに無いのでそれは言わないでおこう。うん。
「……すまん、冗談だ。そこまで怯えるとは思わなかった」
「じょ、冗談だと!?」
「いや、何度もお前、俺に刃向けたじゃん? ちょっとお返しがしたくてな。すまんすまん」
ヒエンは怒り任せに悠斗の胸倉を掴んだ。
「貴様! やっていい事と悪い事があるぞ! しかも、貴様は今尋問されているのだぞ!? 冗談なんて言っているヒマが僅かでもあるとでも思っているのか!?」
「わ、悪かったって。いや、ヒエンの反応が楽しくて、つい……な?」
「私で遊ぶな!」
「だから謝ってるじゃん」
「……ヒエン、そこまでにせよ」
バルバロッサが呆れた口調でヒエンを止める。
「キサラギ殿も自分の立場を弁えたほうが宜しい。最悪、今ので処刑されても文句は言えないぞ?」
「はい、申し訳ありません。以後、注意します」
僅かだが、口元に笑みを残したまま悠斗はバルバロッサに謝罪した。
「魂を吸い取る訳では無いのだな?」
一応というか、確認という形でバルバロッサが尋ねる。
「はい、私も何度も写真は撮っていますので、何も問題はありません。お騒がせしました。後、仕組みについては省きます。先程と同じ様な電波の説明のようになりますので……」
「……ああ、それは構わぬ」
「えと、携帯電話についてはもう、宜しいですね? もう一つ、私が異世界から来た証拠をお見せします」
悠斗は財布から札と硬貨を取り出した。
「これが私の国の通貨です」
悠斗はヒエンに全財産を渡すと、ヒエンはそのままそれをバルバロッサに手渡した。
「……ふむ。複雑な紋様だな。これほど精巧に作れるとは……。む、この紙は……透かし……か? 一つ、一つ全てにか?」
「その透かしの技術もこの国、この世界では有り得ない技術と思います。その透かしは偽造防止の為に加工されています」
「……なるほど、偽造防止……か」
バルバロッサは暫く見続けると、それをヒエンに手渡した。
「はっきり聞こう。キサラギ殿。現時点で貴国と我が国の技術はどの程度の差がある?」
「おおよそになりますが……。この世界の科学技術は私の世界の十二世紀頃と酷似しています。それをどこも同じである、と仮定して考えるとざっと千年の差はあるでしょうか」
悠斗のこの発言には周囲は驚きの反応を見せた。幾ら技術が発達していると言われても、千年も離れていると言われれば信じられないのが普通だろう。
「……では、キサラギ殿は何をしていたのだ? そのキサラギ殿の世界で」
「私は学生をしていました。私の得意分野は歴史でして、歴史の勉強と知識を深めたい為に精進を続けている状態です。無論、日々の糧を得る為にレストランで働いても居ましたが。あ、レストランというのは大衆食堂で、私は掃除とか、注文を受けたりとか、出来上がった料理を運んだり、レジ……会計を行ったりとかです」
無論、これも事実だ。何しろもう二年近くそういう生活をしていたのだから。
「では、どうやってこの世界に来た?」
「……わかりません……」
一間、大きく息を吐き出して悠斗は答えた。
「……私はその日……夜遅くまで働いた後、食事を済ませ、酒を飲み、そのまま寝ました。次に気が付いたら……あの運ばれた部屋でした。この間の記憶は一切ありません。誰かに連れて来られたのか、何か不可思議な超常現象とも言える出来事が起きたのか、さっぱり分かりません。私は完全に熟睡していましたので」
「物品を見たが、これでは貴様が他国の密偵ではないという証拠にはならん」
悠斗を鋭い視線で射抜きながら言ったのは、バルバロッサの左隣でずっと一言も喋らずに事の推移を見守っていた銀髪ポニーテールの甲冑少女だ。恐らくバルバロッサの隣にいるという事は近親者だろう。
「……おっしゃるとおりです。私が他国の密偵では無い証拠は何一つありません。……可能性を考えるのならですが、全ては皆様に近づく為の演技であり、情報を聞き出し、内情を調べ上げる為に送り込まれた内通者……。信用させて重要な場面で暗殺を実行する者」
「分かっているではないか。その可能性がある以上、貴様をこれ以上生かしておけない」
少女はそこまで言うと剣の柄に手を添えた。
「……ま、人を疑えばキリが無い。猜疑心が強いのは結構ですが、貴方はほんの僅かでも不審と見れば人を殺すのですか?」
「なんだと?」
「今、私を殺そうとしている貴方に心から従う者は片手で足りるのか? と、尋ねているのです」
「貴様、私に人望が無いと言うのか!」
「そう言っているのですが?」
悠斗がはっきり断言した瞬間だった。ヒエンが悠斗を足払いして手を地面に付かせると刃を首筋に当てた。
「貴様! リューネ様に対して無礼であるぞ!」
「……本当に内通者や暗殺者であるならば、こんな目立つやり方をするかよ。と、貴方は猜疑心がとてもとても強い方でしたね。で、あればこそ逆に……と考えますね」
「貴様、私を愚弄するか! ヒエン! 斬れ!」
銀髪少女が叫ぶ。
「リューネ! ヒエン! 黙れ!」
しかし、バルバロッサの一喝が再び部屋全体を粛然とさせた。
「キサラギ殿。言葉には気を付けろと言った筈だが?」
バルバロッサが言うと、悠斗はバルバロッサを睨み付けた。
「……ならば何故さっさと殺さない?」
「キサラギ殿を信用はしていない。ただ、命を奪われるかどうかのこの状況でそこまで言い放つ、その胆力を評価しているからよ」
これは悠斗にとって以外な反応だった。
「……先ほど、貴殿は……がくせい……と言っていたな。それについては良く分からぬが、勉学に励んでいると言っていたな? 貴殿の知識を試したい」
「私如きが分かる事でしたらお答えしますが、出来ればこの首筋に当てられている刃を下げて頂けると、答え易いのですが」
バルバロッサがヒエンを見つめると、ヒエンはゆっくりと刃を悠斗から離した。
まったく、今日一日で一体何回殺されかけるんだ? ほとんどは自分が相手を怒らせた結果なのだが……。
「そうだな。……うむ、キサラギ殿に問う。ワシは領主として長年この地を治めている。領地に住む領民にとって良い領主は何であろうか?」
悠斗は崩れた身なりを整え、大きく息を吐いた。
「そうですね……。言い方は悪いのかも知れませんが……領民にとって良い領主。それは領民にとって、都合が良い領主です」
「……ほう。それはどのように」
バルバロッサはその先を促す。
「領民にとって都合が良い領主。それは自分達の生活を保護する者を言います。また、利を与える者を指します。これは統治者として絶対条件です。まぁ、逆の事を行えば住民反乱、武力蜂起が起きるのですから当たり前と言えば当たり前ですが……」
「しかし、時には重い税をかける事もある。重い罰則を実施する事もある。そうでなければ領民を守れるかな?」
バルバロッサがすぐさま反論を論じる。悠斗は僅かに目を閉じると、すぐさま反撃に転じた。
「重い税。……確かに、それは時には必要でしょう。しかし、領民が納得する税でなければなりません。まず、第一に領民が税を徴収する事に反対するのは、税を支払う事に反発しているのではなく、税が自分達の生活にまったく反映されない無意味な使い方、不公平な使い方をされるから反発するのです。例えば豪勢な食事、豪勢な邸宅、領主や、その家族を着飾るための高価な衣服、贅沢な装飾品。領主も人間です。まぁ、多少の贅沢も良いでしょう。外交上の儀礼として多少の着飾りや装飾品も必要です。しかし、……領民が骨と皮だけになるまで痩せ細り、領主や役人が豚のように肥太る。領民はそういう事に不満を持ちます。再び例えになりますが、領民達が開拓した新たな農地。しかし、川が氾濫を起こしてそれを全て台無しにしてしまう。その川の氾濫を防ぐ為に工事する為に必要な税、犯罪が多発する街の治安維持向上の為に警備人員を増やす為に必要な税、主要な道の整備、橋の建設、補修などといった開発、整備の為の税。そういう物ならば納得するでしょう。なぜならば、その結果として、自分達の生活が豊かになるからです。重い税とは、理不尽で不正な税であり、税そのものの金額が高いか安いか、そういう問題では無いのです。次に重い罰則ですが、領民が一番重く、徐々に上に行くほど逃げ道がある、刑が軽いでは、不公平です。領民はそういう不公平は見逃さず、また不満を持ちます。まず、領主自ら自身を律し、その家族、家臣が規律を守り、その手本を見せれば多少重い罰則でも領民は納得するでしょう。人は甘えます。人は他人を頼ります。人は他人より自分が幸福でありたいと願います。それはどうにもなりません。形で締め付けるのでは無く、心を汲み取るのが最も宜しい方策であると私は考えます。なぜ、ここまで領民の意思を汲み取るのかと申しますと、国家の危機に対して領民の力が必要不可欠だからです。普段から心を汲み取った政治をするからこそ、いざ危機に瀕した時に領民は全力で支援します。また、領主の命令に疑問を持ちません。それは、今まで自分達を守ってくれた者に対する信頼と、領主が斃れた後、自分達の生活が脅かされるという恐怖心があるからです」
悠斗はそこで一区切りを作る。
「そ、それは理想に過ぎない! そのような甘い態度で戦に挑めるか!」
銀髪の甲冑少女が叫ぶ。確か……リューネとバルバロッサに呼ばれていたか?
「……リューネ様……でしたか? 少しお尋ねしたい。戦に必要なのは何でしょうか? 正義の心? 敵に立ち向かう勇気? そんなゴミは必要有りません。必要なのは税によって蓄えられた豊富な資金、領民達が納める潤沢な糧食です。資金が無ければ剣は買えず、馬具どころか馬も買えず、鎧も然り、兵士達に支払う給金も税です。餓えた兵士が役に立ちますか? 戦が始まる前に逃げ出しますよ。逃げ出す兵士を諌める為に見せしめとして何人か殺しますか? 歴史上、古今東西如何なる名将でさえも、逃げ出す兵士を止める事は不可能です。では、領民から金と食料を掠奪して揃えますか? もし、そのような事すれば住民の反乱が起きます。敵と通じて我等を殺すかもしれません。進んで敵軍の道案内をするでしょう。領民達は大手を振って敵軍を迎え入れる事でしょう。何しろ、自分達を蔑ろにする悪徳領主とその軍兵を殺してくれるのですから、文字通り救世主としてその目には映る事でしょう。で、リューネ様はそれでも領民の意思など踏み潰し、自分達の都合の良いように領民達を支配しますか?」
「……そ、それは……」
リューネは反論の術が無いのか何かを言おうとして、直ぐに口を閉じる。
「ですから、普段から良い政治。領民にとって都合の良い領主で無ければならないのです。無論、都合が良すぎるだけではダメです。締める所は締めます。だからこそ、領民は領主を信頼し、指示に従う事でしょう。領民達、国民から絶対支持を受けた領主、国王は強い。なぜならば、その国力、その軍事力の根幹は領民達の生産力で支えられているからです。だからその軍隊は良く整備され、良い武器を持ち、良い鎧を身に纏い、良い馬を揃え、豊富な糧食で英気を養い、明確な命令に従って存分にその実力を発揮するからです。無論、全てを一人でするのではありません。全て一人できる人間は数百年に一人でるかどうか……。だからこその武官、文官です。それぞれが役目に誠意を持って全力でそれを実行すれば良くはならなくても悪くはなりません。それだけで一定の評価を民はしてくれる事でしょう」
悠斗が言い終わると、乾いた拍手が鳴り響いた。拍手をしていたのはバルバロッサ只一人。そして、その顔には笑みが浮かんでいた。
「まったくの理想ではあるが……。実際その通りだ。いや、心に響き、かつ痛む話だ。しかも、正論であるが故に反論も許されぬ」
バルバロッサは手を止めるとゆっくりと立ち上がった。そして悠斗の目をジッと見つめた。
「キサラギ殿。貴殿を放逐しようと思うが……生きる術はあるか?」
「……あるはずも無く」
「では、此処で客分として住む事は可能かね?」
バルバロッサの提案は悠斗にとって思い掛けない言葉だった。そしてその言葉は周囲の者達を驚愕させるに十分過ぎた。
「ち、父上! 私は反対です! このような得体の知れない者を傍に置くなど!」
リューネが真っ先に反論を言い放った。って、父上? バルバロッサの娘なのか……。と、悠斗は感心した。しかし、まぁ、随分勝気でじゃじゃ馬な娘に育ったな……。もう一つ。言葉は悪いが、奥様はさぞ美人だったのだろう。リューネはかなりの麗しい少女だ。正直、目にした時に不覚にもドキッとしてしまった。ヒエンも美人だが、それとは別の美しさがある。
「疑わしい事があれば、処分すれば良いだろう。だが、実際にキサラギ殿が言う通り異界から来た者であれば、我等は貴重な人材を得た事になる。異界の知識を得る事ができるのだから。そしてキサラギ殿。その人物を見る限り誠意ある人物とワシには見えた。それに中々率直で胆力もあり、知識もあるようだが?」
「……し、しかし……」
それでもリューネは食い下がる。かなり嫌われているな、俺。
「ふむ。ではリューネ。お前の傍に置く、好きに使え」
バルバロッサの提案はリューネを驚愕させた。正直、悠斗も驚いていた。
待て待て。俺はこんな最初から疑いの目で見る女の子の傍で働くの? 生理的に嫌われている位の反応ですよ? 口にはしないが、本気で思った感想である。
「絶対嫌です! このような無礼な者を傍に置きたくありません!」
「領主としての厳命である」
バルバロッサは愉快そうに笑いながらリューネに告げた。あの……娘で遊んでいませんか?
「ち、父上! 厳命とは申されますが、このような理屈ばかり立てる男など、口先だけで戦の役に立つとは思えません!」
「理屈では無く、理論。そして、原点」
悠斗も反論するが、リューネは聞く耳を持たなかった。
「黙れ! 戦とは、戦場で相手をいかにこの刃で倒すかだ!」
「リューネ様の仰るとおり……最終的にはそうですが、その刃を相手に届かせるまでの経緯が重要なのです。結果だけを言えば、どのような形であれ相手に刃が届けばそれで宜しい。単純に殺すだけならば、四つか五つの子供が少し小高い所から大人の頭ほどの岩を蹴り落とせば、当れば殺せます。例え刃が届いて倒せたとしても、貴方以外が全員戦死していては、次の戦はどうするのです? 領民を強引に連れ出し、武器を持たせ、いきなり戦場へ連れて行くのですか? 戦が始まる前に壊走するのは自明の理です」
「っ! いい加減にしろ貴様! 何処まで私を侮辱するのだ! そのような事をする訳がないだろう!」
「無論、リューネ様は賢明な方の様なのでそのような事はしないでしょう。では、どうするか? これが重要なのです。戦場で刃を交わすのが戦いだとお考えならば、いますぐ愚鈍な考えは止めたほうが宜しい」
「貴様! 私を愚将呼ばわりするか!」
「勝兵は必ず勝ちて、而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」
悠斗は断言するかのようにリューネに言い放つ。
「……勝利の軍は開戦前にまず勝利を得てそれから戦争しようとするが、敗軍はまず戦争を始めてから後で勝利を求めるものである。先程からリューネ様の言動は戦ってから勝利を求めているとしか思えません。そうではなく、優れた将とは、戦う前にすでに勝利を手にしているのです」
「私に卑怯者になれと貴様は言うか!」
いよいよリューネの限界が近づいてきたのか、リューネは鞘から剣を抜き放ち、剣先を悠斗に向けた。
「卑怯? なるほど、卑怯。確かにそうですね。でも、もし私が指揮官であるならば……、数千の味方兵を無駄に死なせて、その遺族の慟哭の嘆きを見るよりは、卑怯者と謗られ様と数十人の死を選びます」
「おのれ! このリューネ=アートル! 貴様に説教される謂れは無い!」
パン! と、大きな手を叩く音が部屋全体に響いた。その音がバルバロッサから発した物だとその部屋に居た者が理解するまで、そう時間は掛からなかった。
「リューネ、そこまでにしておけ。キサラギ殿。貴殿がそこまで言うからには試させてもらう。異論は無いな?」
バルバロッサが呆れ気味に娘を抑えつつ悠斗に尋ねた。
「……はい」
バルバロッサは悠斗の返答に満足したのか、笑顔を見せた。
「貴殿が寝ていた部屋。そのまま私室として使うが良い。困った事があれば、誰でも良いので尋ねるが良い」
バルバロッサのこの言葉で会見は終了した。
最後にリューネが物凄い形相で睨みつけていたが……まぁ、気にしても仕方が無い。信用はまったくの皆無だろうし、自分が不審人物なのはどうにもならない決定的事実である。
それにしても、試験か。
どのような試験なのだろうか? 恐らくは軍事に関することなのだろうが……完全に素人の自分に出来るのだろうか?
部屋に戻った悠斗は、大きな溜息を吐いた。
「……明日からは自由に出入りして良い。一応、客人という事になったからな」
同行したヒエンが言った後、部屋を後にしようとしたその時。ドスン。と、何かが倒れる音がした。
ヒエンが驚いて振り返ると、座り込んだ悠斗の姿があった。
「どうした?」
「……あ、すまない。その……。情け無い話なんだけど、手を貸してくれ。緊張が解けて安心したら腰が抜けた」
「………………」
「……な、なんだよ! その呆れた顔は」
「先程までのお前、今のお前、どうにも繋がらない。しかし、お前の本性はやはり、今この場にいるお前だな。この臆病者め」
ヒエンの評価に、怒りの感情が不思議と沸いて来なかった。ただ、笑うしかなかった。
臆病者。
その謗りをどう受け取るべきだろうか?
その通りだ? 仕方が無い? それがどうした?
違う。根っからの臆病者なのだ。自分は。
でも。
そう、でも……と、続けることが出来る。
臆病だからこそ……。いや、これは言い訳だな。
「そうだな。俺は矮小で心も狭く小人で臆病者だ」
「ほう? 自覚があるのか」
「でも、やっぱり、生きたい。生きて、元の世界に帰りたいよ。親父とまた酒が飲みたい。母さんの手料理がまた食べたい。友達とまたバカやってドンちゃん騒ぎをしたい」
「……故郷と家族か……」
「うん。……もしかしたら、もう二度と……戻れないかも……知れ…………ぃ……」
身体が震える。
涙が出る。
悲しい。
寂しい。
恋しい。
帰りたい。
「……わりぃ。……こんな……所、人に……見せるのは……ダメダメだよな!」
涙を拭う。
しかし、拭っても拭っても、涙は止まらなかった。
こんなにも止めようとしているのに、止まらないのだ。
自分は弱い人間なのか?
故郷から。
家族から。
友達から。
永遠に成るかもしれない別離。
この事実に目を逸らさず、見つめた瞬間に涙を流すほど……。
「……いや、故郷や家族の事を想うのは誰しもある事だ。それを悪く言うつもりは無い。……明日は早い。もう、寝ておけ」
ヒエンはそれだけ言うと、部屋の扉を静かに閉めた。
窓から空を見上げる。
部屋を明るくする月光が、情け無い自分を包み込んでくれているように思えた。
勿論、そんな事は妄想にしか過ぎない。しかし、それだけでも今の悠斗にはありがたかった。
そして、思う。
自分はこの世界で生きていく事が出来るだろうか?
自分はここで何をすべきだろうか?
元の居場所に戻る事ができるのだろうか?
答えは……出るはずも無く。
誰も答える事も無い。
ただ。
月だけが、嗚咽を漏らし続ける悠斗を見守っていた……。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2010/01/30 09:45 更新日:2010/03/27 17:35 『アルバイト軍師!』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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