作品ID:168
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アルバイト軍師!
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前書き・紹介
第五話 天性の才能の持ち主っているよね……と思います!
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第五話 天性の才能の持ち主っているよね……と思います!
ノートリアム王国、デヴォン地方西部。
山脈と森が連なる地。そこには、幾つかの街道と無数の林道、山道がある。その内の一つで主要街道から外れた場所。ここに、ノートリアム軍は密かに迎撃軍の展開を終えていた。
「……偵察部隊からの報告だが。愚かに正面玄関から入って来たぞ、敵は。ここまで堂々とした泥棒は滅多に居ないぞ」
ノートリアム王の妹であり、エーベルン迎撃軍司令官にして、筆頭将軍エイシア=レンダークは、側近のリリアに自慢の栗色の長い髪を、豪華な櫛で梳いて貰いながら言い放った。
彼女はまだこの時、十九歳。総司令官としても、将軍としても若すぎるが、その有無を言わせぬ威厳と、その才覚が他の将軍達を心酔させていた。
「それでも、敵は八万。我が軍は急ぎの出兵の為、歩兵一万、騎兵五千の一万五千。我が方の四倍以上です」
そう言ったのは、全身黒で統一された鎧の男。カイ=ファング将軍である。
ノートリアム随一の将として名高い。ノートリアムの若き王ウォルス=レンダークの三つ年上の幼馴染であり、本当の意味での親友である。まだ二十八だが、王の友人だけで、彼は将軍の地位を獲得していない。その智略と類稀なる武勇をもって軍功を重ね、彼が率いる彼と同じ黒鎧で統一された騎兵部隊は『鴉軍』と呼ばれ、ノートリアム最強と讃えられている。
エイシアはその鋭い目でカイを見つめた。
「だとしても、だ。このような進軍では全軍の部隊展開などできん。ましてや、この地は高い山々や、森が多数乱立している。大軍が展開できる場所など限られる」
「エイシア様、出来上がりました」
「うん。ありがとう」
リリアが櫛をテーブルに置くと、エイシアはテーブルに手を伸ばしてグラスを掴むと、水を一口飲む。そして、地図を改めて見直す。
「現在の敵の位置を」
「はっ」
返事と共に、敵を意味する駒を地図上に置いたのはカシェル=スヴォーロフ将軍である。この時、実に七十二。長老である。
自慢の長く伸びた白い髭を撫でるその様は、先々代ノートリアム王から忠義を尽くす宿将にして、老練という言葉がもっとも似合う男である。
「偵察部隊からの報告では、敵はこのように五つに分裂して進軍しているようです。将の名前まではまだ分かっていませんが、間違いなく総大将はバッカス大公爵でしょうな。敵は一軍から三軍がそれぞれ約一万。本隊四万、かなり遅れて後詰に約一万と輜重部隊」
「………………」
エイシアは暫く地図を見つめた後、ある一つの駒を指した。
「随分この第一軍は進撃しているようだが? 囮か?」
「目的は不明です。まぁ、動きから見て、一番にデヴォン西部を制圧して、武功を上げようとしているのでしょう。実際問題、西部最端の峠を制圧されれば、楔も同然ですから。今回の早急な出撃が功を奏しましたな」
デネール=クライブ将軍が地図を指し示しながら回答した。
右目は戦傷によって塞がれ、残る左目は鋭く、その鎧の下には、数々の戦場で受けた戦傷が残る歴戦の勇将である。勇猛という点については、カイ将軍とノートリアム一、二を争う。
「……と、思わせた策の可能性」
エイシアが続いて尋ねる。
「ありません。策であるならば、まっすぐ直進するのではなく、迂回するはずです。それすらも策であるとするならば、伏兵としか思えません。しかし、伏兵の存在は確認できませんでした。それ以前に、敵は我々が既にこの地に布陣していること、それ事態まだ気付いていない様です」
「その程度の敵か……。愚かな者達に、本当の戦が如何なるものか、教えてやろう」
「……では、出撃ですね?」
カイが尋ねると、エイシアは頷いた。
「リリア。この戦い、思ったほど早く終わりそうだな」
「御意」
エイシアの側近リリア=ヨークは、その燃えるような赤毛の髪を揺らして微笑みを浮かべた。彼女もエイシアと同じ十九。しかし、エイシアにとっては、寝食を共にし、同じ戦場で戦い続けた一番の戦友である。
「全軍に通達! 我等ノートリアム一万五千は全軍を持ってハオル山で迎撃、先手を取る! 手順は強襲、奇襲、総攻撃の三段構えだ。敵本隊は叩かず退却は整然と。先陣は私とカイ、リリアは私の傍にいるように。良いな!」
『はっ!』
三人の将軍と、一人の側近が同時に左手で胸を打った。
と、同時に一人の伝令が天幕に入ってきた。
「伝令! ダルト将軍が援軍二万を率いて此方に進軍中とのよし」
『………………』
伝令の言葉と共に、天幕に微妙な空気が流れた。
「……え? ダ、ダルトが? く、来るのか!?」
エイシアが裏声で言うと、伝令は頷く。
「ダルトに伝達! 此方は当面問題無い、兵だけでも早く送ってくれ。と、特にダルトは! 日々! 忙しいから! でき得る限り! ゆっっっっっくりっ! 来るように!」
つい先程の号令時の覇気とは打って変わって、その声には焦燥と困惑が混じっていた。
「もう一つ、伝令です……」
伝令兵は残念そうに言う。
「ダルト将軍から伝言です。『迎撃のご出陣、大変結構。姫様らしい、果断な決断と存じます。……しかし、私の許可なく勝手に兵を動員して出撃するとは、軍政統括責任者兼軍監統括責任者の立場を蔑ろにされるおつもりか』……と」
軍政とは、軍隊の事務および、統帥の一部を包括する。ダルトはその一切の統括責任者である。さらに悪い事に、このダルトは軍監統括責任者でもある。軍監とは、軍事の戦功および軍律違反を報告する立場の者である。エイシアは、その双方の統括責任者に対して無許可で出陣した……という事だ。
「え? 許可、取ってなかったの?」
デネール将軍が隣にいたカシェル将軍に尋ねる。
「ワシは知らんぞ。ワシは出撃命令に従っただけじゃ。尋ねるならカイに聴くが良い」
「わ、私に聞かれても……。そ、それに、許可を取っているとばかり……」
慌ててカイも弁明をする。
『………………』
三人の将軍は自分達の指揮官であるエイシアを見つめた。
「……そ、そんな目で見るな! そ、それに、エーベルンの迎撃の為には、この地点に集結するのが一番だったから、許可を取っていたら集結が間に合うか分からないじゃないか!」
「エイシア様。言い訳、考えておいて下さいね」
リリアがにっこり笑顔で有罪判決の宣告を告げた。
「な、何という事だ……。部下が……全員……裏切るとは……」
エイシアはテーブルに手を付き、がっくり肩を落とした。
「……とりあえず、出陣しよう……。敵に一撃与えて戦果を挙げないと、ダルトの説教時間が長くなる……。今回は三時間か、五時間か……いや、前は八時間だったか……」
エイシアが顔を青くしながら言うと、三人の将軍は笑いを堪えながら出撃準備を始めた。と、同時に、ダルトの説教が飛び火しない事を祈った。
エーベルン第一軍は快進撃を続けていた。
ノートリアム国境突破していから一度も敵軍と相対していないからである。
「アルフレッド様、少々本隊と離れ過ぎでは?」
副官の一人が危機感を覚えたのか、指揮官であるアルフレッド=カーランデル伯爵に進言した。
「敵が居ないならば、でき得る限り進撃をすれば良い。この大軍だ。敵は我等を恐れて一向に現れないではないか!」
アルフレッド伯は嘲笑するように笑う。
「ですが、待ち構えている可能性が」
「一万の軍勢がそうそう簡単に負けるものか。敵で襲ってくれば、ここで敵軍を防ぎ、第二軍を待てば良い」
「……し、しかし……。兵は急速な進軍で疲労しています。それに、軍列が伸びきっています」
「くどい! 貴様は貴族であり、伯爵たる私が間違っていると言うのか!」
鋭い目つきでアルフレッド伯が言うと、副官は息を呑んだ。
「……いえ、申し訳ありませんでした」
しかし、この副官の悪い予感は直ぐに的中した。
前方の少し小高いハオル山の尾根に差し掛かった瞬間であった。ハオル山の反対側から突如ノートリアムの軍旗が上がったのである。
それはエイシア率いる直属部隊と、ノートリアム最精鋭であるカイ率いる黒騎兵部隊であった。
「敵だ! 全軍応戦せよ!」
突然の攻撃に第一軍は対処し切れなかった。次いで、副官の言うとおり、急な進軍で兵は疲労困憊の状態であった。さらに、ハオル山の尾根に差し掛かった部分であった為、ノートリアム軍が一気に駆け下りる形であった。
「逃げるな! 敵は此方より少ない! 逃げるな!」
アルフレッド伯爵は狂った様に叫んだ。確かに、ノートリアム軍は僅か半数の五千騎であった。しかし、戦況は絶望的であった。馬に轢かれ、踏み潰され、軍列が長く伸びていた為に統制すら取れなかった。
ノートリアム騎兵部隊の半数は、エイシア直属の親衛隊であり、もう半数は、カイ率いる鴉軍である。事実上、ノートリアムの最強騎兵部隊である。
ノートリアム精鋭である彼等の刃は次々とエーベルン兵の血を啜った。地面はエーベルンの兵で埋め尽くされ、地面は血の川が流れた。
「そこの指揮官、この軍の将を見た!」
アルフレッドが声に気付いた瞬間だった。全身黒に染められた甲冑の騎士、カイの刃によって、その生涯を閉じたのである。
指揮官を失った第一軍はあっさりという形で壊滅した。ノートリアムの騎兵部隊は存分にその機動力をもって、長く伸びた軍列を蹂躙したのである。
「追撃するな! 敵はまだいる。軍列を整えよ。次があるぞ!」
エイシアは追撃を行わず、再びハオル山の尾根で味方部隊を集結させた。
第二軍が第一軍に追いついたのは、ノートリアム軍が第一軍を撃滅し、軍列を整えてハオル山の尾根で待ち構えている状態の時だった。
「おのれ、ノートリアムめ。第一軍のアルフレッドは無能だったが、ワシが違うぞ!」
第二軍指揮官、グリーズ=ホッテンハイム伯爵は内心勝利を確信していた。こちらは一万二千。敵は半数以下。さらに敵は第一軍と交戦したばかりで疲労しているはずである。ハオル山の尾根を制圧すれば、此方が駆け下りる形となる。そうなれば、此方の優勢は揺るがない物となる。
「全軍突撃! 敵を蹴散らせ!」
グリーズ伯の号令に従い、エーベルン第二軍はノートリアムに襲い掛かった。
「……ふん。ご苦労な事だ。よし、撤退だ」
エイシアは右手を挙げて号令すると、ノートリアムは退却を始めた。
無論、これは計画的な撤退であったが、グリーズ伯は安易に味方兵力を見て逃げ始めたと判断した。
「敵が逃げるぞ! ハオル山の尾根を制圧しろ!」
エーベルンの兵士達は勝利を確信したのか、勢い良くノートリアム軍を追いかけ始めた。
逃げるノートリアム、追うエーベルン。この撤退戦はハオル山の尾根を超え、山の反対側に達した。
ハオル山を駆け下り、完全にエーベルンの優勢であり、ノートリアム軍に追いつくまであと少しという所まで迫った。
「行け! かかれ! 敵は小勢だ!」
グリーズ伯は興奮の極地であった。絶対優位な情勢が冷静な判断を奪い去っていた。
エーベルン軍がハオル山を下った瞬間であった。ハオル山道の左右にある森から大量の矢が、雨のようにエーベルン軍の頭上に降り注いだ。
矢を放ったのはずっと静かに敵を待ち続けていた、カシェル、デネール両将軍率いる各五千の伏兵部隊であった。
「今だ! 全軍反転!」
エイシアの号令の元、ノートリアム騎兵部隊は美しいと表現されるほど、素早く軍列を反転させた。
「ノートリアムの勇士よ! 反撃せよ!」
エイシアの右手にある剣が振り下ろされたと同時、ノートリアムは前、右、左と三方から攻撃を開始した。
本来ならば、この時点で指揮官であるグリーズ伯がなんらかの指示をすべきであった。しかし、肝心の指揮官であるグリーズ伯は全身に四本の矢を受けて、この時既に絶命していた。
エーベルン第二軍は指揮官を失い、逃げようとした。が、それは困難であった。山を駆け下りるという事は、逃げるときは駆け登るという事だ。混乱して統制もされてもいない兵が、山を登るというのは非常に困難である。我先にと、味方を引き摺り降ろして自分が助かろうとする者が相次いだ。だが、それをのんびり見つめるノートリアムの将達ではなかった。倒れたエーベルンの兵を槍で、剣で突き下ろし、大量の矢で息切れをする逃亡兵を撃ち殺した。地面は再びエーベルンの血で染まった。
第二軍は徹底的に叩きのめされた。だが、ノートリアムは追撃を行わなかった。
「全軍、一時休息。補給を受けよ。敵第三軍の到着までまだ猶予はある」
エイシアの指示に従い。第二軍壊滅後、ノートリアムの兵士達は近くに待機していた輜重部隊から補給物資を受け取った。輜重隊は素早く任務を実行した。水、傷薬、消化の良い軽い食事等の配給、武器の交換、矢の補充、身動きが取れない負傷兵の搬送などである。
小一時間休息を取ったノートリアム軍は輜重部隊と共にその場から一度離れた。しかし、只離れるだけではなかった。
「……第二軍まで敗れ去ったのか!」
報告を聞いた第三軍指揮官、ノードン=カルトロー男爵は顔を青くした。八万の大軍で意気揚々と攻めて来たの言うのに、一瞬にして二万の味方が壊滅したのである。
「アルフレッド伯とグリーズ伯はご無事なのか!?」
「……残念ながらアルフレッド伯は敵将に討ち取られたようです。グリーズ伯は消息不明……」
「おのれ! こうなれば我が第三軍で仇討ちだ!」
「お、お待ち下さい! 敵は二万の味方を打ち破ったのですぞ! 敵は一万強、我等は八千。ここは本隊の到着を待つべきです!」
慌てて副官が止めに入るが、副官に返ってきたのは拳であった。
「黙れ! 男爵にして、カルトロー一族である私に意見するな! それに、第一、第二軍と連続で戦っているのだ。敵は疲労しているはず。それに、両伯爵が敵に手傷を負わせているはずだ!」
バッカス大公爵の嫡子にして、いずれカルトロー家を継ぐであろう未来の大公爵という自負が、余計な焦りと共に冷静な判断力を失わせていた。こうして第三軍は急ぎ戦場へ向かった。
「やはり、敵はそれなりの損害が出ているようだ」
第一軍、第二軍が敗れ去ったハオル山に到着した時、ノードンは自分の判断が正しかったと満足した。しかし、それはノートリアムの罠であった。
ノートリアムは離脱の際、ボロボロの大量の軍旗を戦場に残した。ノードン男爵は大量に散乱した敵の旗を見て、敵がかなりの打撃を受けていると誤認したのである。
ハオル山の尾根の部分に到達した際、見下ろすとそこにはノートリアム軍が待機していた。見る限り一万程であった。軍列は乱れて、先頭に立つはずの騎馬部隊は後方に居た。
「敵は弱っている! 行け! 襲え! 殺せ!」
ノードンは狂ったように叫びながら全軍の突撃命令を下した。
猛然とハオル山を下る第三軍の動きを見て、エイシアはゆっくりと右手を挙げた。
「まだ、まだ待て……。敵をじっくり引き付けろ」
ノートリアムの将兵は今か今かとエイシアの合図を待つ。
エーベルン第三軍全てがハオル山の尾根を越えた瞬間だった。
「今だ! 陣形変更!」
エイシアが右手を振り下ろすと同時に、軍列は素早く整えられた。中央に大盾を装備した歩兵部隊、その背後に弓兵部隊、左右に騎兵部隊が整列した。
「全軍、攻撃開始!」
ノートリアム軍一万、エーベルン軍八千はハオル山の中腹辺りで激突した。
当初はハオル山を駆け下りるエーベルンの勢いが勝ったが、大盾を装備した歩兵部隊が押し支えていた。両軍の勢いが拮抗した瞬間であった。
「旗振れ! 総攻撃!」
エイシアはここぞとばかりに合図を送る。
「何だ! どうした!?」
ノードンは驚愕の声を挙げた。突然背後から敵が攻めて来たのである。
エイシアの策は二重に行われていた。大量の軍旗は、ノートリアムがそれなりの打撃を被っていると誤認させる為、もう一つは、旗やエーベルン兵の死体の陰に隠れた伏兵部隊を隠す為である。
前後を挟撃された第三軍はたちまち劣勢に追い込まれた。
「お、おのれ! ノートリアムの卑怯者!」
ノードンは突如捨て台詞を吐くと、いきなり戦場から逃げ始めた。
指揮官の逃亡。
第三軍の運命はこの行動で決定された。
指揮官逃亡が伝わるや否や、第三軍は進む事も、逃げる事もできずにノートリアム兵が振り下ろす刃を血で塗らした。ノートリアムは追撃を実行した。陽が落ち、敵が見えなくなるまで追撃は繰り返された。
「皆の者! 良く戦った! 我等の勝利だ!」
エイシアが剣を天高く上げると、ノートリアム軍の勝鬨の声がハオルの山々に響き渡った。
その日、僅か一日でエーベルンは第一から第三軍、合わせて二万八千の内、戦死、重傷者一万八千以上という大損害を受けた。一方のノートリアムは僅か千近くの死傷者であり、初戦はノートリアムの完全勝利であった。
ハオル山にて、エーベルン第一から第三軍壊滅。アルフレッド伯、グリーズ伯戦死。
この報告を悠斗が聞いたのは、リューネから緊急招集がかかった天幕であった。
「……そうか」
悠斗は特に驚くことも無く、淡々とその事実を受け止めた。それよりも心配なのは、この後の事であった。
「で、大公爵様とやらはどうするんだ? 引き上げるのか?」
「……決戦するそうだ」
そら来た。と言わんばかりに悠斗は溜息を吐いた。
全軍の二割近くを失ったのだ。通常はここで引き上げるべきだろう。
「で、後詰の俺達は?」
「このまま待機。本隊四万と、再結集した第一から第三軍の残兵、合わせて約五万の陣容だ」
「敵の兵力は?」
悠斗に変わって、信繁が尋ねる。
「二万の援軍が到着したそうだ。約三万五千。この先の開けたところで軍を展開しているようだ。指揮官はノートリアム王の妹、エイシア=レンダーク」
「完璧だな」
悠斗が感想を漏らす。
「敵が居ない事を理由に調子に乗った第一軍、第一軍が惨敗した時点で、己の危機を感じればいいのに攻め込んだ第二軍、そして、総攻撃を受けた第三軍。いずれも見事な撃退だ。見事に先手を取られた。敵の指揮官はよほど戦術に優れていると見える」
悠斗の評価に信繁も賛同した。
「確かに、敵の動き見事としか言いようがありませんな」
「まず、一番評価すべき点は、此方が進撃するより早く、最適な迎撃地点に出撃していた事だ」
「……なるほど、戦い方より、まずそこを評価されますか」
「迅速な動きだ。さらに援軍の到着。最初から、援軍到着を考えての一撃であったとするならば、最初から勝利する予定だったという事だ。勝利する予定で廟算を立てるという事は、勝てる確信があったはず。すでに俺達は戦う前から敵に敗北していたという事だ」
「……まるで上杉殿だ」
信繁が呟くと、悠斗は苦笑を浮かべた。
迅速な動き、統制された兵士達、華麗な戦術。まるで上杉謙信公のようだ。……もしかすれば、今自分達は最悪の相手と戦っているのではないか?
「アルフレッド伯、グリーズ伯は運が悪かった……」
ヒエンが言い終わるより早く、悠斗が右手を挙げて止めた。
「勝利には勝利した理由、敗北には敗北した理由がある。では、敗北した理由を考えてみよう。第一、敵が居ない事に油断した。第二、敵を過小評価した。第三、進撃速度の調整など、他の部隊との連携がまったく取れていなかった。第四に八万という兵力による安心感が驕り昂らせた。第五に、指揮官は無能だった」
「き、キサラギ! 口が過ぎるぞ!」
ヒエンが慌てて悠斗に注意する。
「無能と評価して何が悪い。動かし難い事実だ。アルフレッド伯は無秩序に計画性も無く進撃した。グリーズ伯は第一軍が敗北した時点で、第二、第三の罠を考えるべきだった。バッカス大公爵の嫡子でノードン男爵だったか? 兵を見捨てて単身逃げ出すなど、将として有能か?」
悠斗がバッサリ切り捨てるように言うと、ヒエンもリューネも言い返せなかった。
「ま、過ぎた事はどうしようもない。これからだ、問題は。まず、次の決戦は負ける。間違いなく」
「負ける……だと?」
リューネは驚きの声を挙げた。今だ兵力は勝っており、エーベルンが優勢であるはずだが……。
「兵力が勝っているから此方が有利だ。なのに、何故負けると言う? とでも言いたそうだな」
悠斗が言うと、リューネは目を丸くした。
「そうだな、確かに兵力で勝っているというのは重要な要素だ。これは否定しない。この場合、問題となるのは地形にある」
「地形?」
リューネが呟くように尋ねると、悠斗が頷く。
「そうだ。大軍の用兵はたった一つ。断続的な攻撃を続けて敵を押し潰す事だ。それは理解していると思う」
リューネ、ヒエンが頷く。それを見て悠斗は説明を続ける。
「では、大軍が敵を押し潰す為には、ある必要条件を満たす必要性がある。それは、全軍が展開できる平地、平原など広い場所である事だ。そうではない場合は勝手が違ってくる」
「それはどのように?」
リューネが再び尋ねる。
「……そうだな。俺の世界の出来事なのだが、ギリシャ諸国連合と、ペルシアという国の間で、テルモピュライの戦いというのがあった。とても古い時代の出来事だから、信憑性に乏しい資料しか残っていないので、ある程度推測でしかないが、ギリシャ諸国連合は約七千。ペルシアは約二十万だ。結果だけを言えばギリシャの敗北なのだが、戦術という点で注目すべき点がある。敗れたギリシャ諸国の一つ、スパルタ王レオニダス一世だ。この人物も戦場に参加していたのが、様々な諸事情があって、親衛隊三百のみの出陣だった。援軍として他の都市の兵を交えて総数千四百。この千四百名は、テルモピュライという山と海の狭間にある、とても狭い隘路に布陣した。他の諸国は戦況不利として撤退をしていたにも関わらず」
悠斗はそこで区切り、水を一口飲んだ。そして話を続ける。
「相対した両軍だったが、ペルシア軍はその兵力の余りの違いから、レオニダスがまともな戦闘をするつもりが無いと考えて、レオニダスの撤退を四日待った。だが、レオニダスは玉砕覚悟だった為に、軍を引き上げようとはしなかった。そして、五日目。正面攻撃を行った。だが、結果はレオニダスの勝利だった。狭い隘路に大量の兵士を送り込む事が出来ず、強兵で知られるスパルタの親衛隊三百を中心としたギリシャ軍に蹂躙される結果となった。二日目、ペルシアは精鋭を送り込んだが、結果は同じだった。そこでペルシアは土地の住民を買収して、道案内させた。案内させたのはテルモピュライの背後に通じる山道だ。ペルシア軍は夜の間にその道を駆け抜けた。そして三日目。完全に包囲されたギリシャ軍に降伏を迫ったが、レオニダスの解答は『来て、獲れ』だった。ペルシア軍は四方から総攻撃を開始。ギリシャ軍は玉砕覚悟で奮闘した。途中、レオニダス王が戦死したが、王の遺体を奪われまいとギリシャ軍は四回に渡ってペルシア軍を撃退した。そして、最後まで徹底抗戦してスパルタ兵は全員戦死、援兵であるテーバイ兵が辛うじて生き残り、降伏した。だが、この戦いでペルシア軍は二万の兵を死なせている」
再び悠斗は水を一口飲む。
「今の話でも分かるように、地形一つで戦況が変わるものだ。大軍の用兵は敵を押し潰す。その為には迂回して敵の背後を奪う必要性があった。では、この話をこのデヴォンの地と考えればどうだ?」
「……ノートリアムがギリシャで、我々がペルシアか」
ヒエンは言いながら、地図に目を落とす。
「デヴォンの地は山脈が連なる山岳地帯。しかも、深い森が点在している。そして、大軍が通れる道は限られる。狭い場所で防衛されればこちらが不利か。迂回路を使えば兵力が勝っている分、有利になるが、正面決戦では戦力の一斉投入は不可能」
「ヒエン。正解だ。つまり、敵は此方の動きを予想できるのさ。そして、大軍が展開できる場所は限られる。では、それ以外の場所でどう戦うか? もしくは、そうできない状況に敵を追い込むか? 敵はそれを考えればいいのさ。此方は、敵にそうされないように考える必要があるのだが、まぁ、大公爵がどれほど戦上手なのか、甚だ疑問である。しかも、敵は援軍を交えて大軍を展開でき、かつ此方が全軍を展開できない場所に布陣している。例え兵力差があっても、無理だろうな」
「……で、撤退戦か」
リューネが言う。
「そうだ。俺達が頭を悩ますのは、この後の事だ。さて、その作戦をこれからみんなに伝えようと思う。ヒエン、信繁殿。すまないが三領主を呼んでくれ。今回の撤退は、第五軍の総力を結集するのが前提だ」
「……分かった。すぐに呼んで来よう」
「承知」
ヒエンと信繁は、急ぎ天幕を出て行った。
悠斗は腕組みをして目を瞑った。
出来るならば、決戦が早く終わる事を祈るしかない。長引けはそれだけ死者の数が増えるのだから……。
「キサラギ、自信があるようだが?」
リューネが尋ねると、悠斗は笑った。
笑って嘲笑するような顔で、右手を伸ばしてリューネの左腕を掴んだ。
「………………」
悠斗の手は緊張からか、恐怖からか、震えが止まる事は無かった。ただ、リューネは黙って悠斗を見つめた。
視線に気付き、悠斗は右手を離して再び腕組みをする。
「……誰にも言うなよ」
小さくリューネにだけ聞こえるように悠斗は呟く。リューネはただ頷いた。
「恐ろしく強い相手だ」
悠斗は薄ら笑いを浮かべながら呟く。
地形を完全に熟知し、地形による攻勢の変化を見極め、さらに驚く事は、第二軍撃破後、補給を受けている事だ。
悠斗が知る限り、このような戦いの最中に補給を受けるという手法は、余り例が無い。近代と呼ばれる時代になっても、補給の重要性は理解している者、理解していない者と別れる。補給に失敗すればどうなるか、兵士達の戦闘能力の維持は勝敗を分ける一つの重要な要素だ。
「リューネ。もし、君は一流の将になるべく努力を積み重ねるならば、この戦いの相手。エイシアと言ったか? その人物を良く観察する事だ」
「敵を……見ろ?」
「そうだ。優れた将を模倣するのは悪い事ではない。重要なのは、何故そのような事を実行したのか良く理解する事だ」
「……お前はどうなんだ?」
リューネが尋ねる。
「ん? どう……とは?」
「お前が目指す人物は誰だ?」
「……俺が目指す人物か……」
悠斗は苦笑して、リューネを見つめる」
「俺の育ての親父だ」
「育ての……父親?」
リューネは不思議に思った。単純に父親と言えばいいのに、何故育ての……となるのか?
「俺の父の名は、如月琢磨。だが、血の繋がりは無い」
「ん? お前は養子なのか? その……拾い子とか……」
「もっと悪い。俺はその如月琢磨の妻が浮気して作った子供だ。つまり、生まれてはいけなかった忌み子だ」
「……そ、その……悪い。そのような事を尋ねるつもりは……」
想像の範疇を超えていたのか、リューネが謝るが、悠斗は笑いながら首を横に振った。
「いや、大丈夫だ。もう、吹っ切れた過去の事だ。最初は反発して大喧嘩したけどな」
恥ずかしい過去を語るように、悠斗は顔を赤くして語る。
「俺の実の父と母は、俺を捨てて何処かで暮らしている。正直、死んでいても俺は特に感傷も受けないだろう。それよりも捨てられた俺を育てたのが、浮気されたその琢磨だ。なんで育てたのか? 俺は当時尋ねたよ。浮気された上に、血の繋がりが無い子供を、何で育てるのか? 答えは一言だった。『血の繋がりが重要か? そんなくだらない事はどうでもいい。お前は俺の子だ』と……ね」
悠斗は嬉しそうに話した。その顔には笑顔があった。
「……立派な父上殿だな」
「ああ、頭が上がらない。だから……かな。親父が目標になったのは。親父が再婚した時は祝福したさ。新しい母とはそれなりに上手くやっている……と、思う」
ふと悠斗が手を見ると、恐怖による震えが止まっていた。
「……リューネ、ありがとう。震えが止まったよ」
「そ、そうか? その、お前の主だからな、私は! か、感謝しろ!」
リューネが恥ずかしそうに怒った口調で言う姿は、とても可笑しくて愛らしい。
さて、これからすべき事は、只一つだ。
それだけに、只それだけに、全身全霊をかけて、自分の知識の限りを尽くしてやってみよう。
悠斗が決意を新たにした時、ヒエンと信繁が、エドガー、フェニル、アルトの三領主を連れて天幕に戻ってきた。
「おい、俺達を呼び出すとはどういう事だ?」
エドガーが言うと、アルトはエドガーを押さえながら、悠斗に視線を向けた。
「何か、重要なお話があるようですが、どのようなお話で?」
「………………」
フェニルも悠斗に視線を向ける。
「……これから、決戦で敗北した場合に備え、撤退戦の準備をしたい。第五軍総力を結集する。これが大前提の作戦だ」
悠斗は、自分が考えに考え抜いた作戦書と地図をテーブルに広げた。
「貴様、エーベルンが敗北するというのか?」
エドガーが一歩前に出て悠斗に迫った。その言葉と、エドガーからの威圧に悠斗は怯む事は無かった。
「そうだ。勝率はかなり低い」
悠斗は断言するように言い放つ。それを受けてアルトが口を開く。
「……貴殿の実力を我々は知らない。貴方の言葉は信用に値するかどうか……」
「聴くだけでいい。承諾するかしないかはこの場の全員で決めてくれ。ただし、兵を無駄に死なせる戦いをするならば、俺は許さない」
悠斗は腰に挿した短剣を手にすると、勢い良くテーブルに突き刺した。
「そのような人物はこの場に居ないと思うが、自らの名誉や、誇り、王の面子の為に兵を死なすならば、それは国家万民の有害な敵であり、国を滅ぼす亡国のクズだ。兵とは即ち民。それを殺しておいて、国家が成り立つと思っている阿呆は本国の連中で十分だ。今、この場で俺が殺す」
三人の領主が悠斗を見つめた。悠斗の瞳が本気であるかどうか見定める為であった。
「ははははは! 本国の連中は亡国のクズか! ははははは! いいだろう、話だけ聴いてやる」
豪快に大笑いしながら言ったのはエドガーである。
「是非、お聞かせ下さい」
「…………伺おう」
続いてアルト、フェニルが答えると、悠斗は大きく息を吐き出した。
「では、説明に入る。質問は随時してくれて構わない。この策が成れば、一兵も失わずに撤退が可能となる。ただし、一歩間違えれば殲滅される。だが、廟算は成っている。これを受け入れるも、受け入れないも、自由だ」
悠斗は一本の棒を手に取り、地図を指し示した。その姿は、初めて軍師としての姿だった。
ノートリアム王国、デヴォン地方西部。
山脈と森が連なる地。そこには、幾つかの街道と無数の林道、山道がある。その内の一つで主要街道から外れた場所。ここに、ノートリアム軍は密かに迎撃軍の展開を終えていた。
「……偵察部隊からの報告だが。愚かに正面玄関から入って来たぞ、敵は。ここまで堂々とした泥棒は滅多に居ないぞ」
ノートリアム王の妹であり、エーベルン迎撃軍司令官にして、筆頭将軍エイシア=レンダークは、側近のリリアに自慢の栗色の長い髪を、豪華な櫛で梳いて貰いながら言い放った。
彼女はまだこの時、十九歳。総司令官としても、将軍としても若すぎるが、その有無を言わせぬ威厳と、その才覚が他の将軍達を心酔させていた。
「それでも、敵は八万。我が軍は急ぎの出兵の為、歩兵一万、騎兵五千の一万五千。我が方の四倍以上です」
そう言ったのは、全身黒で統一された鎧の男。カイ=ファング将軍である。
ノートリアム随一の将として名高い。ノートリアムの若き王ウォルス=レンダークの三つ年上の幼馴染であり、本当の意味での親友である。まだ二十八だが、王の友人だけで、彼は将軍の地位を獲得していない。その智略と類稀なる武勇をもって軍功を重ね、彼が率いる彼と同じ黒鎧で統一された騎兵部隊は『鴉軍』と呼ばれ、ノートリアム最強と讃えられている。
エイシアはその鋭い目でカイを見つめた。
「だとしても、だ。このような進軍では全軍の部隊展開などできん。ましてや、この地は高い山々や、森が多数乱立している。大軍が展開できる場所など限られる」
「エイシア様、出来上がりました」
「うん。ありがとう」
リリアが櫛をテーブルに置くと、エイシアはテーブルに手を伸ばしてグラスを掴むと、水を一口飲む。そして、地図を改めて見直す。
「現在の敵の位置を」
「はっ」
返事と共に、敵を意味する駒を地図上に置いたのはカシェル=スヴォーロフ将軍である。この時、実に七十二。長老である。
自慢の長く伸びた白い髭を撫でるその様は、先々代ノートリアム王から忠義を尽くす宿将にして、老練という言葉がもっとも似合う男である。
「偵察部隊からの報告では、敵はこのように五つに分裂して進軍しているようです。将の名前まではまだ分かっていませんが、間違いなく総大将はバッカス大公爵でしょうな。敵は一軍から三軍がそれぞれ約一万。本隊四万、かなり遅れて後詰に約一万と輜重部隊」
「………………」
エイシアは暫く地図を見つめた後、ある一つの駒を指した。
「随分この第一軍は進撃しているようだが? 囮か?」
「目的は不明です。まぁ、動きから見て、一番にデヴォン西部を制圧して、武功を上げようとしているのでしょう。実際問題、西部最端の峠を制圧されれば、楔も同然ですから。今回の早急な出撃が功を奏しましたな」
デネール=クライブ将軍が地図を指し示しながら回答した。
右目は戦傷によって塞がれ、残る左目は鋭く、その鎧の下には、数々の戦場で受けた戦傷が残る歴戦の勇将である。勇猛という点については、カイ将軍とノートリアム一、二を争う。
「……と、思わせた策の可能性」
エイシアが続いて尋ねる。
「ありません。策であるならば、まっすぐ直進するのではなく、迂回するはずです。それすらも策であるとするならば、伏兵としか思えません。しかし、伏兵の存在は確認できませんでした。それ以前に、敵は我々が既にこの地に布陣していること、それ事態まだ気付いていない様です」
「その程度の敵か……。愚かな者達に、本当の戦が如何なるものか、教えてやろう」
「……では、出撃ですね?」
カイが尋ねると、エイシアは頷いた。
「リリア。この戦い、思ったほど早く終わりそうだな」
「御意」
エイシアの側近リリア=ヨークは、その燃えるような赤毛の髪を揺らして微笑みを浮かべた。彼女もエイシアと同じ十九。しかし、エイシアにとっては、寝食を共にし、同じ戦場で戦い続けた一番の戦友である。
「全軍に通達! 我等ノートリアム一万五千は全軍を持ってハオル山で迎撃、先手を取る! 手順は強襲、奇襲、総攻撃の三段構えだ。敵本隊は叩かず退却は整然と。先陣は私とカイ、リリアは私の傍にいるように。良いな!」
『はっ!』
三人の将軍と、一人の側近が同時に左手で胸を打った。
と、同時に一人の伝令が天幕に入ってきた。
「伝令! ダルト将軍が援軍二万を率いて此方に進軍中とのよし」
『………………』
伝令の言葉と共に、天幕に微妙な空気が流れた。
「……え? ダ、ダルトが? く、来るのか!?」
エイシアが裏声で言うと、伝令は頷く。
「ダルトに伝達! 此方は当面問題無い、兵だけでも早く送ってくれ。と、特にダルトは! 日々! 忙しいから! でき得る限り! ゆっっっっっくりっ! 来るように!」
つい先程の号令時の覇気とは打って変わって、その声には焦燥と困惑が混じっていた。
「もう一つ、伝令です……」
伝令兵は残念そうに言う。
「ダルト将軍から伝言です。『迎撃のご出陣、大変結構。姫様らしい、果断な決断と存じます。……しかし、私の許可なく勝手に兵を動員して出撃するとは、軍政統括責任者兼軍監統括責任者の立場を蔑ろにされるおつもりか』……と」
軍政とは、軍隊の事務および、統帥の一部を包括する。ダルトはその一切の統括責任者である。さらに悪い事に、このダルトは軍監統括責任者でもある。軍監とは、軍事の戦功および軍律違反を報告する立場の者である。エイシアは、その双方の統括責任者に対して無許可で出陣した……という事だ。
「え? 許可、取ってなかったの?」
デネール将軍が隣にいたカシェル将軍に尋ねる。
「ワシは知らんぞ。ワシは出撃命令に従っただけじゃ。尋ねるならカイに聴くが良い」
「わ、私に聞かれても……。そ、それに、許可を取っているとばかり……」
慌ててカイも弁明をする。
『………………』
三人の将軍は自分達の指揮官であるエイシアを見つめた。
「……そ、そんな目で見るな! そ、それに、エーベルンの迎撃の為には、この地点に集結するのが一番だったから、許可を取っていたら集結が間に合うか分からないじゃないか!」
「エイシア様。言い訳、考えておいて下さいね」
リリアがにっこり笑顔で有罪判決の宣告を告げた。
「な、何という事だ……。部下が……全員……裏切るとは……」
エイシアはテーブルに手を付き、がっくり肩を落とした。
「……とりあえず、出陣しよう……。敵に一撃与えて戦果を挙げないと、ダルトの説教時間が長くなる……。今回は三時間か、五時間か……いや、前は八時間だったか……」
エイシアが顔を青くしながら言うと、三人の将軍は笑いを堪えながら出撃準備を始めた。と、同時に、ダルトの説教が飛び火しない事を祈った。
エーベルン第一軍は快進撃を続けていた。
ノートリアム国境突破していから一度も敵軍と相対していないからである。
「アルフレッド様、少々本隊と離れ過ぎでは?」
副官の一人が危機感を覚えたのか、指揮官であるアルフレッド=カーランデル伯爵に進言した。
「敵が居ないならば、でき得る限り進撃をすれば良い。この大軍だ。敵は我等を恐れて一向に現れないではないか!」
アルフレッド伯は嘲笑するように笑う。
「ですが、待ち構えている可能性が」
「一万の軍勢がそうそう簡単に負けるものか。敵で襲ってくれば、ここで敵軍を防ぎ、第二軍を待てば良い」
「……し、しかし……。兵は急速な進軍で疲労しています。それに、軍列が伸びきっています」
「くどい! 貴様は貴族であり、伯爵たる私が間違っていると言うのか!」
鋭い目つきでアルフレッド伯が言うと、副官は息を呑んだ。
「……いえ、申し訳ありませんでした」
しかし、この副官の悪い予感は直ぐに的中した。
前方の少し小高いハオル山の尾根に差し掛かった瞬間であった。ハオル山の反対側から突如ノートリアムの軍旗が上がったのである。
それはエイシア率いる直属部隊と、ノートリアム最精鋭であるカイ率いる黒騎兵部隊であった。
「敵だ! 全軍応戦せよ!」
突然の攻撃に第一軍は対処し切れなかった。次いで、副官の言うとおり、急な進軍で兵は疲労困憊の状態であった。さらに、ハオル山の尾根に差し掛かった部分であった為、ノートリアム軍が一気に駆け下りる形であった。
「逃げるな! 敵は此方より少ない! 逃げるな!」
アルフレッド伯爵は狂った様に叫んだ。確かに、ノートリアム軍は僅か半数の五千騎であった。しかし、戦況は絶望的であった。馬に轢かれ、踏み潰され、軍列が長く伸びていた為に統制すら取れなかった。
ノートリアム騎兵部隊の半数は、エイシア直属の親衛隊であり、もう半数は、カイ率いる鴉軍である。事実上、ノートリアムの最強騎兵部隊である。
ノートリアム精鋭である彼等の刃は次々とエーベルン兵の血を啜った。地面はエーベルンの兵で埋め尽くされ、地面は血の川が流れた。
「そこの指揮官、この軍の将を見た!」
アルフレッドが声に気付いた瞬間だった。全身黒に染められた甲冑の騎士、カイの刃によって、その生涯を閉じたのである。
指揮官を失った第一軍はあっさりという形で壊滅した。ノートリアムの騎兵部隊は存分にその機動力をもって、長く伸びた軍列を蹂躙したのである。
「追撃するな! 敵はまだいる。軍列を整えよ。次があるぞ!」
エイシアは追撃を行わず、再びハオル山の尾根で味方部隊を集結させた。
第二軍が第一軍に追いついたのは、ノートリアム軍が第一軍を撃滅し、軍列を整えてハオル山の尾根で待ち構えている状態の時だった。
「おのれ、ノートリアムめ。第一軍のアルフレッドは無能だったが、ワシが違うぞ!」
第二軍指揮官、グリーズ=ホッテンハイム伯爵は内心勝利を確信していた。こちらは一万二千。敵は半数以下。さらに敵は第一軍と交戦したばかりで疲労しているはずである。ハオル山の尾根を制圧すれば、此方が駆け下りる形となる。そうなれば、此方の優勢は揺るがない物となる。
「全軍突撃! 敵を蹴散らせ!」
グリーズ伯の号令に従い、エーベルン第二軍はノートリアムに襲い掛かった。
「……ふん。ご苦労な事だ。よし、撤退だ」
エイシアは右手を挙げて号令すると、ノートリアムは退却を始めた。
無論、これは計画的な撤退であったが、グリーズ伯は安易に味方兵力を見て逃げ始めたと判断した。
「敵が逃げるぞ! ハオル山の尾根を制圧しろ!」
エーベルンの兵士達は勝利を確信したのか、勢い良くノートリアム軍を追いかけ始めた。
逃げるノートリアム、追うエーベルン。この撤退戦はハオル山の尾根を超え、山の反対側に達した。
ハオル山を駆け下り、完全にエーベルンの優勢であり、ノートリアム軍に追いつくまであと少しという所まで迫った。
「行け! かかれ! 敵は小勢だ!」
グリーズ伯は興奮の極地であった。絶対優位な情勢が冷静な判断を奪い去っていた。
エーベルン軍がハオル山を下った瞬間であった。ハオル山道の左右にある森から大量の矢が、雨のようにエーベルン軍の頭上に降り注いだ。
矢を放ったのはずっと静かに敵を待ち続けていた、カシェル、デネール両将軍率いる各五千の伏兵部隊であった。
「今だ! 全軍反転!」
エイシアの号令の元、ノートリアム騎兵部隊は美しいと表現されるほど、素早く軍列を反転させた。
「ノートリアムの勇士よ! 反撃せよ!」
エイシアの右手にある剣が振り下ろされたと同時、ノートリアムは前、右、左と三方から攻撃を開始した。
本来ならば、この時点で指揮官であるグリーズ伯がなんらかの指示をすべきであった。しかし、肝心の指揮官であるグリーズ伯は全身に四本の矢を受けて、この時既に絶命していた。
エーベルン第二軍は指揮官を失い、逃げようとした。が、それは困難であった。山を駆け下りるという事は、逃げるときは駆け登るという事だ。混乱して統制もされてもいない兵が、山を登るというのは非常に困難である。我先にと、味方を引き摺り降ろして自分が助かろうとする者が相次いだ。だが、それをのんびり見つめるノートリアムの将達ではなかった。倒れたエーベルンの兵を槍で、剣で突き下ろし、大量の矢で息切れをする逃亡兵を撃ち殺した。地面は再びエーベルンの血で染まった。
第二軍は徹底的に叩きのめされた。だが、ノートリアムは追撃を行わなかった。
「全軍、一時休息。補給を受けよ。敵第三軍の到着までまだ猶予はある」
エイシアの指示に従い。第二軍壊滅後、ノートリアムの兵士達は近くに待機していた輜重部隊から補給物資を受け取った。輜重隊は素早く任務を実行した。水、傷薬、消化の良い軽い食事等の配給、武器の交換、矢の補充、身動きが取れない負傷兵の搬送などである。
小一時間休息を取ったノートリアム軍は輜重部隊と共にその場から一度離れた。しかし、只離れるだけではなかった。
「……第二軍まで敗れ去ったのか!」
報告を聞いた第三軍指揮官、ノードン=カルトロー男爵は顔を青くした。八万の大軍で意気揚々と攻めて来たの言うのに、一瞬にして二万の味方が壊滅したのである。
「アルフレッド伯とグリーズ伯はご無事なのか!?」
「……残念ながらアルフレッド伯は敵将に討ち取られたようです。グリーズ伯は消息不明……」
「おのれ! こうなれば我が第三軍で仇討ちだ!」
「お、お待ち下さい! 敵は二万の味方を打ち破ったのですぞ! 敵は一万強、我等は八千。ここは本隊の到着を待つべきです!」
慌てて副官が止めに入るが、副官に返ってきたのは拳であった。
「黙れ! 男爵にして、カルトロー一族である私に意見するな! それに、第一、第二軍と連続で戦っているのだ。敵は疲労しているはず。それに、両伯爵が敵に手傷を負わせているはずだ!」
バッカス大公爵の嫡子にして、いずれカルトロー家を継ぐであろう未来の大公爵という自負が、余計な焦りと共に冷静な判断力を失わせていた。こうして第三軍は急ぎ戦場へ向かった。
「やはり、敵はそれなりの損害が出ているようだ」
第一軍、第二軍が敗れ去ったハオル山に到着した時、ノードンは自分の判断が正しかったと満足した。しかし、それはノートリアムの罠であった。
ノートリアムは離脱の際、ボロボロの大量の軍旗を戦場に残した。ノードン男爵は大量に散乱した敵の旗を見て、敵がかなりの打撃を受けていると誤認したのである。
ハオル山の尾根の部分に到達した際、見下ろすとそこにはノートリアム軍が待機していた。見る限り一万程であった。軍列は乱れて、先頭に立つはずの騎馬部隊は後方に居た。
「敵は弱っている! 行け! 襲え! 殺せ!」
ノードンは狂ったように叫びながら全軍の突撃命令を下した。
猛然とハオル山を下る第三軍の動きを見て、エイシアはゆっくりと右手を挙げた。
「まだ、まだ待て……。敵をじっくり引き付けろ」
ノートリアムの将兵は今か今かとエイシアの合図を待つ。
エーベルン第三軍全てがハオル山の尾根を越えた瞬間だった。
「今だ! 陣形変更!」
エイシアが右手を振り下ろすと同時に、軍列は素早く整えられた。中央に大盾を装備した歩兵部隊、その背後に弓兵部隊、左右に騎兵部隊が整列した。
「全軍、攻撃開始!」
ノートリアム軍一万、エーベルン軍八千はハオル山の中腹辺りで激突した。
当初はハオル山を駆け下りるエーベルンの勢いが勝ったが、大盾を装備した歩兵部隊が押し支えていた。両軍の勢いが拮抗した瞬間であった。
「旗振れ! 総攻撃!」
エイシアはここぞとばかりに合図を送る。
「何だ! どうした!?」
ノードンは驚愕の声を挙げた。突然背後から敵が攻めて来たのである。
エイシアの策は二重に行われていた。大量の軍旗は、ノートリアムがそれなりの打撃を被っていると誤認させる為、もう一つは、旗やエーベルン兵の死体の陰に隠れた伏兵部隊を隠す為である。
前後を挟撃された第三軍はたちまち劣勢に追い込まれた。
「お、おのれ! ノートリアムの卑怯者!」
ノードンは突如捨て台詞を吐くと、いきなり戦場から逃げ始めた。
指揮官の逃亡。
第三軍の運命はこの行動で決定された。
指揮官逃亡が伝わるや否や、第三軍は進む事も、逃げる事もできずにノートリアム兵が振り下ろす刃を血で塗らした。ノートリアムは追撃を実行した。陽が落ち、敵が見えなくなるまで追撃は繰り返された。
「皆の者! 良く戦った! 我等の勝利だ!」
エイシアが剣を天高く上げると、ノートリアム軍の勝鬨の声がハオルの山々に響き渡った。
その日、僅か一日でエーベルンは第一から第三軍、合わせて二万八千の内、戦死、重傷者一万八千以上という大損害を受けた。一方のノートリアムは僅か千近くの死傷者であり、初戦はノートリアムの完全勝利であった。
ハオル山にて、エーベルン第一から第三軍壊滅。アルフレッド伯、グリーズ伯戦死。
この報告を悠斗が聞いたのは、リューネから緊急招集がかかった天幕であった。
「……そうか」
悠斗は特に驚くことも無く、淡々とその事実を受け止めた。それよりも心配なのは、この後の事であった。
「で、大公爵様とやらはどうするんだ? 引き上げるのか?」
「……決戦するそうだ」
そら来た。と言わんばかりに悠斗は溜息を吐いた。
全軍の二割近くを失ったのだ。通常はここで引き上げるべきだろう。
「で、後詰の俺達は?」
「このまま待機。本隊四万と、再結集した第一から第三軍の残兵、合わせて約五万の陣容だ」
「敵の兵力は?」
悠斗に変わって、信繁が尋ねる。
「二万の援軍が到着したそうだ。約三万五千。この先の開けたところで軍を展開しているようだ。指揮官はノートリアム王の妹、エイシア=レンダーク」
「完璧だな」
悠斗が感想を漏らす。
「敵が居ない事を理由に調子に乗った第一軍、第一軍が惨敗した時点で、己の危機を感じればいいのに攻め込んだ第二軍、そして、総攻撃を受けた第三軍。いずれも見事な撃退だ。見事に先手を取られた。敵の指揮官はよほど戦術に優れていると見える」
悠斗の評価に信繁も賛同した。
「確かに、敵の動き見事としか言いようがありませんな」
「まず、一番評価すべき点は、此方が進撃するより早く、最適な迎撃地点に出撃していた事だ」
「……なるほど、戦い方より、まずそこを評価されますか」
「迅速な動きだ。さらに援軍の到着。最初から、援軍到着を考えての一撃であったとするならば、最初から勝利する予定だったという事だ。勝利する予定で廟算を立てるという事は、勝てる確信があったはず。すでに俺達は戦う前から敵に敗北していたという事だ」
「……まるで上杉殿だ」
信繁が呟くと、悠斗は苦笑を浮かべた。
迅速な動き、統制された兵士達、華麗な戦術。まるで上杉謙信公のようだ。……もしかすれば、今自分達は最悪の相手と戦っているのではないか?
「アルフレッド伯、グリーズ伯は運が悪かった……」
ヒエンが言い終わるより早く、悠斗が右手を挙げて止めた。
「勝利には勝利した理由、敗北には敗北した理由がある。では、敗北した理由を考えてみよう。第一、敵が居ない事に油断した。第二、敵を過小評価した。第三、進撃速度の調整など、他の部隊との連携がまったく取れていなかった。第四に八万という兵力による安心感が驕り昂らせた。第五に、指揮官は無能だった」
「き、キサラギ! 口が過ぎるぞ!」
ヒエンが慌てて悠斗に注意する。
「無能と評価して何が悪い。動かし難い事実だ。アルフレッド伯は無秩序に計画性も無く進撃した。グリーズ伯は第一軍が敗北した時点で、第二、第三の罠を考えるべきだった。バッカス大公爵の嫡子でノードン男爵だったか? 兵を見捨てて単身逃げ出すなど、将として有能か?」
悠斗がバッサリ切り捨てるように言うと、ヒエンもリューネも言い返せなかった。
「ま、過ぎた事はどうしようもない。これからだ、問題は。まず、次の決戦は負ける。間違いなく」
「負ける……だと?」
リューネは驚きの声を挙げた。今だ兵力は勝っており、エーベルンが優勢であるはずだが……。
「兵力が勝っているから此方が有利だ。なのに、何故負けると言う? とでも言いたそうだな」
悠斗が言うと、リューネは目を丸くした。
「そうだな、確かに兵力で勝っているというのは重要な要素だ。これは否定しない。この場合、問題となるのは地形にある」
「地形?」
リューネが呟くように尋ねると、悠斗が頷く。
「そうだ。大軍の用兵はたった一つ。断続的な攻撃を続けて敵を押し潰す事だ。それは理解していると思う」
リューネ、ヒエンが頷く。それを見て悠斗は説明を続ける。
「では、大軍が敵を押し潰す為には、ある必要条件を満たす必要性がある。それは、全軍が展開できる平地、平原など広い場所である事だ。そうではない場合は勝手が違ってくる」
「それはどのように?」
リューネが再び尋ねる。
「……そうだな。俺の世界の出来事なのだが、ギリシャ諸国連合と、ペルシアという国の間で、テルモピュライの戦いというのがあった。とても古い時代の出来事だから、信憑性に乏しい資料しか残っていないので、ある程度推測でしかないが、ギリシャ諸国連合は約七千。ペルシアは約二十万だ。結果だけを言えばギリシャの敗北なのだが、戦術という点で注目すべき点がある。敗れたギリシャ諸国の一つ、スパルタ王レオニダス一世だ。この人物も戦場に参加していたのが、様々な諸事情があって、親衛隊三百のみの出陣だった。援軍として他の都市の兵を交えて総数千四百。この千四百名は、テルモピュライという山と海の狭間にある、とても狭い隘路に布陣した。他の諸国は戦況不利として撤退をしていたにも関わらず」
悠斗はそこで区切り、水を一口飲んだ。そして話を続ける。
「相対した両軍だったが、ペルシア軍はその兵力の余りの違いから、レオニダスがまともな戦闘をするつもりが無いと考えて、レオニダスの撤退を四日待った。だが、レオニダスは玉砕覚悟だった為に、軍を引き上げようとはしなかった。そして、五日目。正面攻撃を行った。だが、結果はレオニダスの勝利だった。狭い隘路に大量の兵士を送り込む事が出来ず、強兵で知られるスパルタの親衛隊三百を中心としたギリシャ軍に蹂躙される結果となった。二日目、ペルシアは精鋭を送り込んだが、結果は同じだった。そこでペルシアは土地の住民を買収して、道案内させた。案内させたのはテルモピュライの背後に通じる山道だ。ペルシア軍は夜の間にその道を駆け抜けた。そして三日目。完全に包囲されたギリシャ軍に降伏を迫ったが、レオニダスの解答は『来て、獲れ』だった。ペルシア軍は四方から総攻撃を開始。ギリシャ軍は玉砕覚悟で奮闘した。途中、レオニダス王が戦死したが、王の遺体を奪われまいとギリシャ軍は四回に渡ってペルシア軍を撃退した。そして、最後まで徹底抗戦してスパルタ兵は全員戦死、援兵であるテーバイ兵が辛うじて生き残り、降伏した。だが、この戦いでペルシア軍は二万の兵を死なせている」
再び悠斗は水を一口飲む。
「今の話でも分かるように、地形一つで戦況が変わるものだ。大軍の用兵は敵を押し潰す。その為には迂回して敵の背後を奪う必要性があった。では、この話をこのデヴォンの地と考えればどうだ?」
「……ノートリアムがギリシャで、我々がペルシアか」
ヒエンは言いながら、地図に目を落とす。
「デヴォンの地は山脈が連なる山岳地帯。しかも、深い森が点在している。そして、大軍が通れる道は限られる。狭い場所で防衛されればこちらが不利か。迂回路を使えば兵力が勝っている分、有利になるが、正面決戦では戦力の一斉投入は不可能」
「ヒエン。正解だ。つまり、敵は此方の動きを予想できるのさ。そして、大軍が展開できる場所は限られる。では、それ以外の場所でどう戦うか? もしくは、そうできない状況に敵を追い込むか? 敵はそれを考えればいいのさ。此方は、敵にそうされないように考える必要があるのだが、まぁ、大公爵がどれほど戦上手なのか、甚だ疑問である。しかも、敵は援軍を交えて大軍を展開でき、かつ此方が全軍を展開できない場所に布陣している。例え兵力差があっても、無理だろうな」
「……で、撤退戦か」
リューネが言う。
「そうだ。俺達が頭を悩ますのは、この後の事だ。さて、その作戦をこれからみんなに伝えようと思う。ヒエン、信繁殿。すまないが三領主を呼んでくれ。今回の撤退は、第五軍の総力を結集するのが前提だ」
「……分かった。すぐに呼んで来よう」
「承知」
ヒエンと信繁は、急ぎ天幕を出て行った。
悠斗は腕組みをして目を瞑った。
出来るならば、決戦が早く終わる事を祈るしかない。長引けはそれだけ死者の数が増えるのだから……。
「キサラギ、自信があるようだが?」
リューネが尋ねると、悠斗は笑った。
笑って嘲笑するような顔で、右手を伸ばしてリューネの左腕を掴んだ。
「………………」
悠斗の手は緊張からか、恐怖からか、震えが止まる事は無かった。ただ、リューネは黙って悠斗を見つめた。
視線に気付き、悠斗は右手を離して再び腕組みをする。
「……誰にも言うなよ」
小さくリューネにだけ聞こえるように悠斗は呟く。リューネはただ頷いた。
「恐ろしく強い相手だ」
悠斗は薄ら笑いを浮かべながら呟く。
地形を完全に熟知し、地形による攻勢の変化を見極め、さらに驚く事は、第二軍撃破後、補給を受けている事だ。
悠斗が知る限り、このような戦いの最中に補給を受けるという手法は、余り例が無い。近代と呼ばれる時代になっても、補給の重要性は理解している者、理解していない者と別れる。補給に失敗すればどうなるか、兵士達の戦闘能力の維持は勝敗を分ける一つの重要な要素だ。
「リューネ。もし、君は一流の将になるべく努力を積み重ねるならば、この戦いの相手。エイシアと言ったか? その人物を良く観察する事だ」
「敵を……見ろ?」
「そうだ。優れた将を模倣するのは悪い事ではない。重要なのは、何故そのような事を実行したのか良く理解する事だ」
「……お前はどうなんだ?」
リューネが尋ねる。
「ん? どう……とは?」
「お前が目指す人物は誰だ?」
「……俺が目指す人物か……」
悠斗は苦笑して、リューネを見つめる」
「俺の育ての親父だ」
「育ての……父親?」
リューネは不思議に思った。単純に父親と言えばいいのに、何故育ての……となるのか?
「俺の父の名は、如月琢磨。だが、血の繋がりは無い」
「ん? お前は養子なのか? その……拾い子とか……」
「もっと悪い。俺はその如月琢磨の妻が浮気して作った子供だ。つまり、生まれてはいけなかった忌み子だ」
「……そ、その……悪い。そのような事を尋ねるつもりは……」
想像の範疇を超えていたのか、リューネが謝るが、悠斗は笑いながら首を横に振った。
「いや、大丈夫だ。もう、吹っ切れた過去の事だ。最初は反発して大喧嘩したけどな」
恥ずかしい過去を語るように、悠斗は顔を赤くして語る。
「俺の実の父と母は、俺を捨てて何処かで暮らしている。正直、死んでいても俺は特に感傷も受けないだろう。それよりも捨てられた俺を育てたのが、浮気されたその琢磨だ。なんで育てたのか? 俺は当時尋ねたよ。浮気された上に、血の繋がりが無い子供を、何で育てるのか? 答えは一言だった。『血の繋がりが重要か? そんなくだらない事はどうでもいい。お前は俺の子だ』と……ね」
悠斗は嬉しそうに話した。その顔には笑顔があった。
「……立派な父上殿だな」
「ああ、頭が上がらない。だから……かな。親父が目標になったのは。親父が再婚した時は祝福したさ。新しい母とはそれなりに上手くやっている……と、思う」
ふと悠斗が手を見ると、恐怖による震えが止まっていた。
「……リューネ、ありがとう。震えが止まったよ」
「そ、そうか? その、お前の主だからな、私は! か、感謝しろ!」
リューネが恥ずかしそうに怒った口調で言う姿は、とても可笑しくて愛らしい。
さて、これからすべき事は、只一つだ。
それだけに、只それだけに、全身全霊をかけて、自分の知識の限りを尽くしてやってみよう。
悠斗が決意を新たにした時、ヒエンと信繁が、エドガー、フェニル、アルトの三領主を連れて天幕に戻ってきた。
「おい、俺達を呼び出すとはどういう事だ?」
エドガーが言うと、アルトはエドガーを押さえながら、悠斗に視線を向けた。
「何か、重要なお話があるようですが、どのようなお話で?」
「………………」
フェニルも悠斗に視線を向ける。
「……これから、決戦で敗北した場合に備え、撤退戦の準備をしたい。第五軍総力を結集する。これが大前提の作戦だ」
悠斗は、自分が考えに考え抜いた作戦書と地図をテーブルに広げた。
「貴様、エーベルンが敗北するというのか?」
エドガーが一歩前に出て悠斗に迫った。その言葉と、エドガーからの威圧に悠斗は怯む事は無かった。
「そうだ。勝率はかなり低い」
悠斗は断言するように言い放つ。それを受けてアルトが口を開く。
「……貴殿の実力を我々は知らない。貴方の言葉は信用に値するかどうか……」
「聴くだけでいい。承諾するかしないかはこの場の全員で決めてくれ。ただし、兵を無駄に死なせる戦いをするならば、俺は許さない」
悠斗は腰に挿した短剣を手にすると、勢い良くテーブルに突き刺した。
「そのような人物はこの場に居ないと思うが、自らの名誉や、誇り、王の面子の為に兵を死なすならば、それは国家万民の有害な敵であり、国を滅ぼす亡国のクズだ。兵とは即ち民。それを殺しておいて、国家が成り立つと思っている阿呆は本国の連中で十分だ。今、この場で俺が殺す」
三人の領主が悠斗を見つめた。悠斗の瞳が本気であるかどうか見定める為であった。
「ははははは! 本国の連中は亡国のクズか! ははははは! いいだろう、話だけ聴いてやる」
豪快に大笑いしながら言ったのはエドガーである。
「是非、お聞かせ下さい」
「…………伺おう」
続いてアルト、フェニルが答えると、悠斗は大きく息を吐き出した。
「では、説明に入る。質問は随時してくれて構わない。この策が成れば、一兵も失わずに撤退が可能となる。ただし、一歩間違えれば殲滅される。だが、廟算は成っている。これを受け入れるも、受け入れないも、自由だ」
悠斗は一本の棒を手に取り、地図を指し示した。その姿は、初めて軍師としての姿だった。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2010/03/14 21:02 更新日:2010/03/27 17:37 『アルバイト軍師!』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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