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Reptilia ?虫篭の少女達?
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 休載中
前書き・紹介
第二章 ミッドナイト・クラクション・ベイビー 3
前の話 | 目次 |
早河は走り去った若者二人に怒声を虚しく投げた後、諦めて車内へ厳めしい顔を引っ込めた。外気に触れて少し汗ばんでいることに気付く。冷房の風が心地良かった。
「クソ餓鬼どもが……」 忌々しげに早河は舌打ちした。
「サキちゃん、クールだなぁ」 佐々木がアクセルを踏みながらにやけていた。
「そのサキちゃんってのはなんだよ。あいつは一応、犯罪者だぞ」
「えぇ、わかっていますよ。惜しいですよねぇ」
何が惜しいんだよ、と早河は苦々しげに煙草に火をつけた。
車は右折してしばらく直進する。旧工業地帯へ向かう道のりだ。左手には昔ながらの総菜屋やカフェが並んでいて、右手には木造アパートや廃ビルがぎっしり詰め込まれた風景が流れていた。日陰に座り込んでじっとしている浮浪者もちらほら見える。相変わらず、廃れた眺めだった。
やがてそれらも疎らになって、緩い坂道を昇る道となる。かつては栄えに栄えていた鉄板工場は既に跡地となっていて、工事用の仕切板と共に見えてきた。中の様子は見えないが、空に向かって高々とクレーンが聳えている。前まで覗いていた廃工場のギザギザ屋根はもう跡形も無かった。地響きのような、建物を解体する音が聞こえる。
「先週から始まりましたよね、ここの工事」 佐々木は減速して屈み込みながら右手を眺める。
「新知事が当選した時期とほぼ同時にな。準備が良すぎるぜ」 早河は憮然とした表情で言った。
まだ島全体が活気づいていた頃からこの街の空気を吸っていた早河は、新しく島知事に就任した熊井茂久が掲げる改革が気に食わなかった。かつての賑わいを取り戻す、という単純な名目で土地を買収し、新事業の展開を図っているのだ。ヤクザ達も絡んでいるらしく、地上げに遭っている店や住人も出始めていると聞く。ここ一週間で建築関係の車をよく見るようにもなった。事業を新たにするのは決して悪くはないが、古くからの住民達を追い出すというのはどうも腑に落ちない。それも、通例では考えられぬほどの大金を個人に用意してまでだ。苦情や訴訟が起こらないのはこの為である。
肝心の新事業というのも中身が全く不透明で不気味だ。この国が持つ暗い影がじわりじわりと島を覆っていくようで息苦しい思いがする。
「きなくせぇぜ……」 早河は短くなった煙草を灰皿に捻り潰した。
何気なく工事現場のほうを向くと、黒塗りのベンツが停められているのにまず気付き、仕切板の向こうから見知った顔が現れるのが見えた。知り合いというよりも、宿敵と称したほうがいいかもしれない。
佐々木に車を停めさせ、早河はドアを開けた。相手は三人の部下を引き連れていて、その強面の男達が車から降りた早河を発見するなり、素早く懐に手を滑らせた。
「待て待て。確かにヤクザ顔だが、ありゃデカだよ」
ごつい男達に埋もれるように佇んでいた初老の男が笑いを堪えるようにして宥めた。
「お前らに言われちゃお終いだな。えぇ? 砂原よぅ」
「誰かと思ったら、虫篭一の名物刑事じゃないか」 砂原は煙草を銜えながら、にこやかに言う。彼の煙草へ、包帯を巻いた若い男が寡黙に火をつけた。 「天然記念物とでも言い直そうか、早河刑事」
「国の手伝いたぁ、また柄でもねぇことしているじゃねぇか」
「そうだな。我ながらそう思うよ」 砂原は人を食ったような笑みを浮かべているものの、その細く切れ込んだ双眸は決して笑ってはいなかった。その表情の翳りに早河は妙なものを見て取る。
早河刑事と大政組幹部である砂原の因縁は深い。早河が虫篭に赴任し、そして砂原が裏社会で頭角を現し始めた頃に顔を突き合わせてから数十年が経っている。現在の成熟しきった姿からは想像も出来ないほど互いに尻が青く、そして血の気が盛んであった頃からの対立関係である。
「そいつが道田か」 早河は包帯の男へ角張った顎をしゃくる。 「サキにやられたらしいじゃねぇか」
男は鋭く睨み返した。無言ではあったが、野蛮にぎらついた目が事の真相と憤怒の情を饒舌に語っていた。
「人の口ってのは怖いね。すぐに広まりやがる」 砂原は道田の肩に腕を回し、愉快そうに笑った。もう先程の翳りは見当たらなかった。
「指でも詰めてけじめ取ったか? 若造」
それは砂原の小指が無い事を仄めかしての皮肉である。
「殺すぞ」 道田という名の筋者が低い声で凄んだ。
しかし、その脅しが早河に通用するはずがない。
「おいおい、若者をあんまり虐めねぇでくれや」 砂原は引き笑いを起こしながら、舎弟にも向き直って言う。 「ミッチーもよ、まともに取り合っちゃいかんぜ。特にこういう人間離れした手合いにゃあな」
「大した教育係だな」 早河は鼻を鳴らして煙草に火をつけた。
産業地として島が賑わい、その裏で利権を巡る暴力団同士の抗争が激化していた時代、捨て身に近い行動力とそれに伴う功績で将来有望とされていた早河は、同時期に急速に悪名を上げ始めていた砂原を幾度も留置所に送り込んだ。銃刀法違反、麻薬取り締まり、暴力事件、殺人未遂、その他諸々と、容疑を数え上げればキリがないが、当時の早河は巧妙に懲役と実刑を免れ続ける砂原を徹底的にマークしていた。放っておけば必ず砂原という筋者がとんでもない怪物になる、と直感していたのだ。今ではその面影すら確認できないほど熱血気質だった早河は取調室、あるいは留置所の鉄格子を隔てて砂原と幾度も言葉を交わし、そして、その回数を重ねるごとに底知れぬ砂原という男の人格を知って、一層強く己の正義感と使命感を燃やした。
この男を何としてでも逮捕し、この社会から隔絶させると誓ったのだ。
早河は一瞬の回想から醒める。
数十年という月日を自覚し、思わず苦笑が漏れた。
「今回の工事、お前らの組が噛んでいるらしいじゃねぇか」
「まぁね……」 砂原はもう煙草を捨てていた。 「噛んだら放さない性質なのよ」
「組長の小僧が張り切ってんのか?」
「早河よぉ」 砂原は一度、空を仰いで深呼吸をすると、緩慢とした仕草で早河に向いた。不気味に笑っている。 「お前、いつまでこの街にいるつもりだ?」
「どういう意味だ?」 鼻から煙を勢いよく吹きながら早河は訊き返す。
「俺らの時代なんざ、とうに過ぎちまってるぜ。知ってたか?」
いつになくしおらしいその発言を内心驚いて吟味したが、早河はそれを決して表情には出さなかった。
「知っているよ。街の様相を見りゃわかる」
「俺も歳食って腐っちまった。最近は、若ぇ衆のことをよく考える。世代ってのは水みてぇに流れていきやがる。止まっちまうと腐るしか能がねぇ」
驚愕していたのは決して早河だけではなかったろう。彼を取り囲む舎弟達も戸惑ったように砂原を見つめていた。
「奇遇だな。お前も隠居するつもりかよ」 早河は嘲笑して見せた。
「隠居なんてできる身かね、俺が」 砂原も笑った。 「しかし、この街の顔は変わっちまった」
「……サキの事を言ってんのか?」
「そうだな……、そう、あいつも新しい顔だ」
「最高幹部の言う台詞じゃねぇな、そりゃ。おい、どうした? 巾着で身ぃ囲ってるわりには弱気な物言いじゃねぇか。示しがつかねぇぜ」
「……お前は、いつまで刑事を続けるつもりだ?」 砂原は同じ問いをする。
「さぁな。強いて言やぁ、クソ生意気なガキを保護できるまでかな」
砂原は吹き出し、肩を揺すって笑った。
「相変わらず、イカレてやがる」
彼の舎弟達がベンツのドアを開けて収まる。道田が砂原の席のドアを閉める時、早河をじろりと睨んだ。殺気の籠もった、昔の砂原を彷彿とさせる目だった。早河も奥まった眼で挑発的に睨み返した。
黒の窓が開いて老いぼれた砂原が顔を出す。
「さっさと街を出な、早河」
「脅してんのか?」 早河は睨みつけて訊いた。
「忠告さ」
「わけわかんねぇことばっか言いやがって」
「留まっていりゃ、じきにわかるさ」 彼は言う。 「そん時にゃ、今よりも腐っちまってるだろうがな」
謎めいた言葉を残して、ベンツは排気ガスを巻き上げて行ってしまった。残された早河は舌打ちして、指に挟んでいた煙草を弾き飛ばす。遠くなっていく車の影を見送りながら束の間、彼は再び若かりし頃の自分を追想した。
まだ若かった早河は、自らが守ると誓った社会に、敗北した。
舞台から放逐させるような決定打を打てぬまま暴力団の一大抗争は終結し、勝ち残った大政組による島の支配が始まった。依然変わらず砂原の追跡を続けていた早河は当時の署長に呼び出され、大政組絡みの捜査から手を引くか、辞職するか、という選択を迫られた。大政組による警察の抱き込みが本格的に始まっていたのだ。
もちろん、砂原の手回しだったのだろう。タイムリミットはとうに過ぎ、形勢は既に逆転していたのだ、と早河は愕然と悟った。
当時の署長は成績を上げ続けていた早河に配慮して、手を引く様にと諭してくれた。穏便な口調であったが有無を言わさぬ気配があった。その場では、早河は頷く他なかった。ほっと安堵した署長の、疲れ切った笑みは未だに彼の網膜に焼きついている。
プライドをとって滅びるか。
プライドを捨てて出世するか。
それが、彼に用意されていた選択だった。しかし、既に答えは決まっていた。
早河刑事は翌日、大政組が仕切る街の賭博場に単独で潜入し、訪問していた砂原の手首に手錠をかけた。どんな言い逃れも利かない現行犯として。
後悔はなかった。名ばかりの国家権力、警察という組織の実態、正義の脆弱さに打ちひしがれていた彼が、折れかかった信念によって起こした最後の行動であった。
何かが変わる事を信じて、賭けてみたのだ。一縷の希望に縋ったとも言える。
「正気かよ、早河」 手錠をかけられた砂原は暴挙を演じた刑事に言った。その時ばかりは、流石に笑っていなかった。 「イカレてるぜ、お前」
「かもな」 早河は煙草に火をつけながら、ごつごつした顔面を歪めて不敵に笑ってやった。 「でも、ひと泡吹かせてぇ面してんだよ、てめぇは」
結局、何も変わりはしなかった。
暴力団関係者であり、賭博罪の現行犯であり、なおかつ数々の前歴と容疑があるというのに、裁判官は砂原に懲役一年半という異例な判決を言い渡した。全霊を込めて臨んでもこんなものか、と妙に醒めた実感だけが早河にはあった。もちろん、その判決結果も大政組の仕込みによるものだった。
そして、早河の出世の道は絶たれ、万年平刑事として生きていく事を決定付けられた。しかし、当初は辞職という条件が出されていたので、それだけの処置で済んだのはむしろ幸いだった。覚悟を決めていた早河はむしろ拍子抜けし、すぐに事の顛末を調べ、当初の条件を覆して早河に刑事の肩書を残させたのが他でもない砂原だった事を知った。
詳しい経緯は知らないが、逮捕されて前線から退いた事や、刑事を庇った事に対するけじめとして、砂原は小指まで落としたらしい。彼が指を失くした経緯は、ある意味早河にあったのだ。
面会室で彼と会って、早河は激しく真意を詰問した。
「まぁ、頑張ったで賞ってやつかな」 囚人服を着た砂原はそうおどけて肩を竦めるだけだった。
早河は言葉も発せず、ただ茫洋と宿敵を見つめるばかりであった。
「いやぁ、やっぱり迫力ありますね、ヤクザって」
その気抜けた声で我に返り、早河はすぐ傍に立った新米刑事に振り返った。
「そういやお前、いたんだっけか」
「あ、ひっどいなぁ、それ」 佐々木は膨れっ面をしてみせる。
新しい顔、か……。
早河は宿敵の吐いた言葉を思慮し、若手刑事の整った顔を横目で見る。それは微笑ましいというような穏和な感情よりも、ある種の戸惑いを伴った気落ちの念が支配していた。
自分もそうなのだろうか?
早河は誰に問うでもなく、胸の内で呟く。
きっとそうだ、と違う声が返答する。
敗北を悟ったあの時から、あの瞬間から、もう終わっていたのかもしれない。
そして、この街そのものが、住民達と共に時代に置き去りにされていたのだ。
澱んだ流れ……。
「確かに、濁りきってやがる」
「え?」 佐々木が聞き返す。
「なんでもねぇ」 早河は首を振って、覆面車の助手席に乗った。
終わっているなら終わっているで、退き時を見極めるだけだ。
サキを一度でも補導できれば、退職しよう。
もう一度、変わりゆく街の風景を眺めると、言い知れぬ不吉な予感が胸をよぎった。
良い予感など、早河がこの街にやってきてから一度もしたことがなかったが。
後書き
作者:まっしぶ |
投稿日:2012/01/13 23:38 更新日:2012/01/13 23:38 『Reptilia ?虫篭の少女達?』の著作権は、すべて作者 まっしぶ様に属します。 |
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