作品ID:2011
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『人狼』~アルデガン外伝2~
小説の属性:一般小説 / 異世界ファンタジー / 感想希望 / 初投稿・初心者 / R-15 / 完結
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第5章:占師の家
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ローザは子供の頃から遠見の力を持っていた。それがどのようなものかは彼女自身もうまく説明ができなかったが、集中すると遠くのものが映像として心に映るということだった。生まれつき不自由なその身を天が哀れんだと周囲がみなしたため、幸いにも大きな迫害は受けずにすんだという。
歩くのもままならぬ彼女は鳥に憧れ、空を見たり空から視下ろすのを好んだ。そのうちに遠くの空模様を視ることで村の天候を予測できるようになった。村人たちは彼女の助言がなければ対処できなかったはずの作物への被害を幾度も免れたのだ。
「おかげでみんなには大事にしてもらったよ。でなけりゃあたしなんかただの役立たずだったんだからね。赤ん坊を残して亭主に死なれた身じゃとても生きていけなかったろうよ」
鳶色の目が哀しげに天を仰いだ。その力ももう失われたのだ。アラードは翼の折れた鳥を連想せずにいられなかった。
「もうわかっただろうけど、あたしは占いをするわけじゃない。ただ遠くが視えるだけだったんだ。みんなが勝手に占師と呼んでいたのさ」
「そんなふうにして、あの街のこともご覧になったのか?」
グロスの言葉にローザはうなづいた。顔色が失せていた。口を開きかけて、彼女はごくりと生つばを飲みこんだ。
「……夜中に目が覚めちまったんだ。なんだか恐ろしい夢を見ていたようだった。気持ちの悪い汗でびっしょりだった。
夢のなごりのざわめくような気配が西に固まっていくように感じた。あたしの意識も気配につられるようにそっちに伸びた。ゼリアの街を視下ろしていた。空からいつも視ていた街だった。でも、様子が変だった。視線が街に降りるにつれてうごめくものがいっぱい視えた。それがみんな化け物だったんだ」
「人間の姿は?」
ボルドフが問うたが、ローザは首を横に振った。
「……あらかた終わっちまった後だった。よくわからない、わかりたくないものを喰ってるところだった。身震いもできずに凍りついてたくせに、もし早く目が覚めていたらもっとひどいものを視たんだろうってしびれた頭でぼんやり思ってた……。
そしたら叫びが聞こえたんだ」
「聞こえたんですか? そんな遠くの声が!」
アラードは思わず口をはさんだ。
「耳で聞いたんじゃない。頭に響くような感じだった。とたんに意識がそっちに引っ張られて、寺院の中が視えたんだ」
「建物の中まで!」
「あたしもそんなのは初めてだった。そもそも空ばかり見ていたからね。叫びを感じたり建物の中が視えたりするなんて自分でも知らなかったんだ」
「そこも化け物であふれていた。外と同じようにひたすら貪っていた。でも一番奥で、背の高い男が壁際に押しつけられていた。神官姿で年配の、その男が叫んだらしかった」
「生きていたのか!」
ボルドフの声に、ローザはかぶりを振った。
「男を壁に押しつけていたやつが首筋に吸いついていた。背なんかずっと低い、か細い小娘にしか見えないやつが。あごまで血が垂れて真っ赤だった。そいつが吸いついている最中なのに化け物どもが次々と待ちきれないみたいに男の手足に食らいついた」
思わず呻いたアラードをローザが一瞥した。
「やっぱりあいつを知っているね? あんたたちが追ってるのはあいつなんだね!」
グロスが無言で首肯した。
「……だったらわかるだろう? あいつを見たあたしがどれほど驚いたか。恐ろしく、おぞましく思ったか」
ローザはアラードたちを見回した。
「なんであいつはあんなにリーザに似てるんだ?」
答えられる者がいるはずもなかった。
「そりゃあ髪や目の色は違うさ。でも自分の娘そっくりのやつが化け物どもといっしょに人間に食いついてるんだ。真っ赤な目は焦点なんか全然合ってなくて、なにも見えてないみたいだった。気が変になりそうだった。なのに目もそらせられなかった。
とうとうあいつは男を離した。とたんに食いついていた化け物どもがあっという間に男の死体を引き裂いた。見る間に影も形もなくなった」
「あいつは放心したみたいにつっ立っていた。いつのまにか目もつぶってた。そのまぶたが震えてゆっくり開いた。そしたら瞳が青く変わってた。
どこにいるのかわからないような顔で、あいつはあたりを見回した。手が血だらけのあごに触れた。びっくりしたみたいに赤く汚れた自分の手を見た。
リーザそっくりの顔がみるみる歪んだ。とたんにあいつは天をあおいで絶叫した。殺された男の叫びどころじゃなかった。その絶叫があたしを直撃したんだ。頭の芯がはじけた、焼き切れたと感じたとたん、あたしは気絶してしまった」
「やっと気がついたら、リーザの顔が目の前だった。あたしを心配して、泣いて。なのにあたしは悲鳴をあげてしまった。リーザの泣き顔があいつの叫んだ顔とだぶって見えてしまったんだ。
丸一日意識がなかったということだった。それっきり遠見の力も無くなってしまった……」
「……そのせい、なんですね……」
「あんたのせいじゃないだろ? なぜそんな顔をするのさ」
言葉を継げなくなったアラードを見て、ローザは深くため息をついた。
「あんたたち、そろいもそろって嘘も隠しごとも下手だねえ。腕は立つのかどうか知らないが、そんなんじゃこの物騒な世の中で長生きなんかできないよ」
言葉を切ると、ローザは姿勢を改めた。
「どんな因縁で追っているのか知らないけど、とにかくあいつを早くなんとかしてやっておくれ!」
「恨んでいるのではないのか?」
ボルドフがいうと、ローザの表情が歪んだ。
「そう単純に割り切れるもんか。あんなのに触れちまったら」
「叫びに何か感じたといわれるのか?」
グロスの言葉にローザはうなづいた。
「さっきもいったように、あたしは声を耳で聞いたんじゃない。頭に響くような感じなんだ。あいつの場合、それが殺された男とは比べものにならないほど凄かった。むき出しの感情の固まりが飛び込んできて、一瞬心が丸見えになったんだ。
取り返しのつかないことをしたというとてつもない罪悪感。我が身のおぞましさへの底なしの嫌悪。それやこれやが何もかも、もういっしょくたになってた。ものすごい自責の念だった」
「こんなやつは許せない。この世にいちゃいけないとんでもない化け物だ。あたしだってそう思ってたさ。でもあいつはあたしの何倍もそう思って、絶望的に思いつめて、叫んで……」
ローザは三人を見回した。熱に浮かされたような目だった。
「あれが吸血鬼っていうやつなんだろう? 血を吸われた人間も化け物になってしまうとかいう。じゃあ元はあいつも人間だったはずだよ。生まれつきああだったはずがない。でなけりゃ自分をあんなふうに思うわけがない。違うかい?」
声がかすれていた。ローザは言葉を切り、唇をなめた。
「あんまりリーザそっくりだからいやでも思っちまうんだ。もしリーザがああだったらって。そんなこと考えたら人間と化け物の違いがどんどんあやふやになってきて、どうしようもなく不安になるんだ。あいつが化け物になったのはたまたまじゃないのか。リーザだったかもしれない。あたしやあんたたちだったかもしれない。では人間なんていつ化け物になってもおかしくないようなものなのかって。
あたしたちは絶対に化け物なんかにならない、あいつとは違うんだって言い切れるなら、ただ許せないの一言で片付けられる。だったら安心だってできるだろう。でもリーザの顔を見るだけでそんなふうには思えなくなる。しまいに恐ろしいはずのあいつを哀れに思いそうになるんだ。一つの街を丸ごと全滅させたあんな化け物だっていうのに……」
「皆には街で見たことを隠していたのか?」
「もちろん街が化け物に滅ぼされたことは話したさ。でもあいつのことは村の誰にもいえなかった。どこからリーザの耳に入るかわからないじゃないか」
「確かめに行った方はおられるのか?」
「一ヶ月以上たってから若いのが何人かでこわごわ見に行った。あんたたちが見たのと同じだった。誰もいない廃墟だった」
「でもあたしは思ってたんだ。あいつはもうここへ来ないんじゃないか。ここを避けて行ったんじゃないかって」
「なぜ? どうしてそう思ったんです?」
「あんたたちは廃墟からここへ来た。街や街道の道しるべを見て全然迷わずに来れただろう? だったら他の化け物はともかく、あいつは来る気があれば来れたはずだ。あたしが気絶から覚める前にみんな食われていたはずじゃないか。
あいつはわかってて来なかった。いや、わかったから来れなくなったんじゃないか。化け物としての自分を許せないんだから。我を忘れるのも狂うのも許せな……」
足音がした。ローザが言葉を呑み込んだとたん、水桶を持ったリーザが入ってきた。一瞬、全ての視線がリーザに集中した。
「汲んできたわ」そういいながら、彼女はとまどったように皆を見回した。
ローザの話を聞いた今、アラードはリーザの顔から目をそらすことができなかった。気づいた彼女も視線を返してきた。
それと察したのか、グロスがアラードに声をかけた。
「ただで泊めてもらうわけにはいかないな。道中の小川に水鳥がいたじゃないか。そなた、あれを獲ってきてくれないか」
鴨を射落として戻ったときには日が暮れかけていた。アラードは戸口の前にたたずむ少女の姿にぎくりとした。足が止まった。それを見た相手が滑るように近づいてきた。
リーザだった。リアのはずなどなかった。だが黄昏の光も薄れゆく影の中もはや髪の色も定かではなく、酷似した顔形ばかりがやたらと目立った。アラードは息をのんだ。
そんな彼を色あせたリーザの目が見つめた。思いつめたようなまなざしだった。やがて彼女は口を開いた。
「母さんはなにを話したの?」
アラードが言葉を見つけられずにいると、リーザは続けた。
「あたしのことをなにか話したんじゃないの?」
否定しようとした。だが、相手の思いつめた顔が安易な言葉を許さなかった。
「母さんも時々そんなふうになるわ。あたりが暗かったり、急にあたしを見たりしたとき。街のことを見て以来」
「あなたたちまでなによ。あたしを見てびっくりしたような顔をするじゃない! まるで、まるで母さんみたいに……」
いつしか涙声になりかけていた。
「こんなに心配しているのに、なぜみんなで隠すのよ。あたしがどうしたっていうの? 教えてよ! 知ってるんでしょう?」
「そなたの母はあまりにも恐ろしいものを見てしまわれた。その心の傷が化け物にそなたが襲われる悪夢を見せているのだ」
リーザが振り返った。グロスが戸口に立っていた。
「いずれ日にちがたてば記憶も薄れよう。そうなるまでしばらくかかるやもしれぬが、寄り添ってあげてはもらえぬか。そなたが一番の薬なのだから。ほらアラード、鳥を渡してあげねば仕度もできぬではないか」
グロスをしばし見たあと、リーザはまたアラードのほうに向き直った。だが宵闇の中、その表情はもうはっきりしなかった。
やがて彼女はうつむき、ぎこちなく差し出されたアラードの手から鴨を受け取ると足早に家の中に姿を消した。アラードの傍にグロスが歩み寄り、戸口を振り返ってため息をついた。
「納得してはくれなかったか。なにしろ私たちは嘘も隠しごとも下手だそうだからなあ」
夕餉の仕度はリーザの仕事だった。アラードの持ち帰った鴨は簡素ながらも香り高い料理に姿を変えて出された。
だがアラードは食事にほとんど手が付けられなかった。夕餉の支度をするリーザの姿にローザが語ったリアの姿がいやでも対比された。まるでリアがなにを奪われたのかを見せつけられる思いだった。
リアを牙にかけたのは確かにラルダの仕業だった。だが死にかけたリアに血を与え、人の心のまま吸血鬼などに転化させたのは自分に他ならなかった。リーザのような人としての生き方を永遠に失わしめたのはラルダだったが、一歩誤れば狂気に堕ちるしかないぎりぎりの縁に在り続ける身とさせたのは自分だった。
アルデガンで別れたときのリアはまだ人を殺める前だったが、いまや己の所業にどれだけ苦しんでいるのか。そんな苦しみの中でさえせめて自分の犠牲になる者を一人でも少く抑えよう、自分と同じような境遇の者は決して出さないようにしようともがいているのに違いなかった。吸血鬼の血への渇きは人間を転化の呪いに落とすためにこそあるものなのに、彼女は人としての心ゆえに吸血鬼の理それ自体にひたすら抗い続けているのだとアラードは悟った。
呪いの連鎖を自分のところで断ち切ろうとする意志ゆえの行為だった。だがそれは、狂気による忘我も許されぬ戦いを、片時の安息もなく続けることだった。アラードは自分の行いの罪深さに改めておののいた。
そしてアラードは危ぶまずにはいられなかった。そんなことをいつまで続けられるのかと。人間の心はそんな戦いに耐えきれるものなのかと。
ラルダは地獄に落とされたに等しい己の運命を、リアが免れるのが許せぬあまりに呪ったのだった。では、リアがリーザの姿をもし見たとしたら? 彼女はリーザを自分のようにさせたくないと思えるのか。それでも連鎖を絶とうとできるだろうか。運命の不条理に耐えきれるのか。堕ちずに踏み留まれるのだろうか。
確かにリアは人の心ゆえに抗い続けている。しかし、ラルダがリアを牙にかけながら激しい渇きに耐えてまで吸い残したのも、そのほうが相手をより苦しめると思えばこそだった。吸血鬼の渇き、理に逆らってまで目の前の少女の苦しみを求めたのだった。それもまたラルダが持つ人の心ゆえの仕業だった。人の心が歪み堕ちた結果なされた所行に他ならなかった。髪一筋の違いとしか思えなかった。
失ってならぬものを奪われた者は、失わずにいる者にどう臨むのか。
踏み留まれるだろうか、自分がその立場だったら……。
リーザの人としての生が失われてならないのは当然だった。
それを奪うのが決して許せぬ大罪なのも自明のはずだった。
にもかかわらず、アラードは容易に答えを出せなかった。
自分が落としたリアの苦悶を想うと確信が持てなかった。
”人間なんていつ化け物になってもおかしくないものなのか”
ローザの言葉がより内面的な意味と化して突きつけられた。
アラードはその夜、煩悶に一睡もできなかった。
歩くのもままならぬ彼女は鳥に憧れ、空を見たり空から視下ろすのを好んだ。そのうちに遠くの空模様を視ることで村の天候を予測できるようになった。村人たちは彼女の助言がなければ対処できなかったはずの作物への被害を幾度も免れたのだ。
「おかげでみんなには大事にしてもらったよ。でなけりゃあたしなんかただの役立たずだったんだからね。赤ん坊を残して亭主に死なれた身じゃとても生きていけなかったろうよ」
鳶色の目が哀しげに天を仰いだ。その力ももう失われたのだ。アラードは翼の折れた鳥を連想せずにいられなかった。
「もうわかっただろうけど、あたしは占いをするわけじゃない。ただ遠くが視えるだけだったんだ。みんなが勝手に占師と呼んでいたのさ」
「そんなふうにして、あの街のこともご覧になったのか?」
グロスの言葉にローザはうなづいた。顔色が失せていた。口を開きかけて、彼女はごくりと生つばを飲みこんだ。
「……夜中に目が覚めちまったんだ。なんだか恐ろしい夢を見ていたようだった。気持ちの悪い汗でびっしょりだった。
夢のなごりのざわめくような気配が西に固まっていくように感じた。あたしの意識も気配につられるようにそっちに伸びた。ゼリアの街を視下ろしていた。空からいつも視ていた街だった。でも、様子が変だった。視線が街に降りるにつれてうごめくものがいっぱい視えた。それがみんな化け物だったんだ」
「人間の姿は?」
ボルドフが問うたが、ローザは首を横に振った。
「……あらかた終わっちまった後だった。よくわからない、わかりたくないものを喰ってるところだった。身震いもできずに凍りついてたくせに、もし早く目が覚めていたらもっとひどいものを視たんだろうってしびれた頭でぼんやり思ってた……。
そしたら叫びが聞こえたんだ」
「聞こえたんですか? そんな遠くの声が!」
アラードは思わず口をはさんだ。
「耳で聞いたんじゃない。頭に響くような感じだった。とたんに意識がそっちに引っ張られて、寺院の中が視えたんだ」
「建物の中まで!」
「あたしもそんなのは初めてだった。そもそも空ばかり見ていたからね。叫びを感じたり建物の中が視えたりするなんて自分でも知らなかったんだ」
「そこも化け物であふれていた。外と同じようにひたすら貪っていた。でも一番奥で、背の高い男が壁際に押しつけられていた。神官姿で年配の、その男が叫んだらしかった」
「生きていたのか!」
ボルドフの声に、ローザはかぶりを振った。
「男を壁に押しつけていたやつが首筋に吸いついていた。背なんかずっと低い、か細い小娘にしか見えないやつが。あごまで血が垂れて真っ赤だった。そいつが吸いついている最中なのに化け物どもが次々と待ちきれないみたいに男の手足に食らいついた」
思わず呻いたアラードをローザが一瞥した。
「やっぱりあいつを知っているね? あんたたちが追ってるのはあいつなんだね!」
グロスが無言で首肯した。
「……だったらわかるだろう? あいつを見たあたしがどれほど驚いたか。恐ろしく、おぞましく思ったか」
ローザはアラードたちを見回した。
「なんであいつはあんなにリーザに似てるんだ?」
答えられる者がいるはずもなかった。
「そりゃあ髪や目の色は違うさ。でも自分の娘そっくりのやつが化け物どもといっしょに人間に食いついてるんだ。真っ赤な目は焦点なんか全然合ってなくて、なにも見えてないみたいだった。気が変になりそうだった。なのに目もそらせられなかった。
とうとうあいつは男を離した。とたんに食いついていた化け物どもがあっという間に男の死体を引き裂いた。見る間に影も形もなくなった」
「あいつは放心したみたいにつっ立っていた。いつのまにか目もつぶってた。そのまぶたが震えてゆっくり開いた。そしたら瞳が青く変わってた。
どこにいるのかわからないような顔で、あいつはあたりを見回した。手が血だらけのあごに触れた。びっくりしたみたいに赤く汚れた自分の手を見た。
リーザそっくりの顔がみるみる歪んだ。とたんにあいつは天をあおいで絶叫した。殺された男の叫びどころじゃなかった。その絶叫があたしを直撃したんだ。頭の芯がはじけた、焼き切れたと感じたとたん、あたしは気絶してしまった」
「やっと気がついたら、リーザの顔が目の前だった。あたしを心配して、泣いて。なのにあたしは悲鳴をあげてしまった。リーザの泣き顔があいつの叫んだ顔とだぶって見えてしまったんだ。
丸一日意識がなかったということだった。それっきり遠見の力も無くなってしまった……」
「……そのせい、なんですね……」
「あんたのせいじゃないだろ? なぜそんな顔をするのさ」
言葉を継げなくなったアラードを見て、ローザは深くため息をついた。
「あんたたち、そろいもそろって嘘も隠しごとも下手だねえ。腕は立つのかどうか知らないが、そんなんじゃこの物騒な世の中で長生きなんかできないよ」
言葉を切ると、ローザは姿勢を改めた。
「どんな因縁で追っているのか知らないけど、とにかくあいつを早くなんとかしてやっておくれ!」
「恨んでいるのではないのか?」
ボルドフがいうと、ローザの表情が歪んだ。
「そう単純に割り切れるもんか。あんなのに触れちまったら」
「叫びに何か感じたといわれるのか?」
グロスの言葉にローザはうなづいた。
「さっきもいったように、あたしは声を耳で聞いたんじゃない。頭に響くような感じなんだ。あいつの場合、それが殺された男とは比べものにならないほど凄かった。むき出しの感情の固まりが飛び込んできて、一瞬心が丸見えになったんだ。
取り返しのつかないことをしたというとてつもない罪悪感。我が身のおぞましさへの底なしの嫌悪。それやこれやが何もかも、もういっしょくたになってた。ものすごい自責の念だった」
「こんなやつは許せない。この世にいちゃいけないとんでもない化け物だ。あたしだってそう思ってたさ。でもあいつはあたしの何倍もそう思って、絶望的に思いつめて、叫んで……」
ローザは三人を見回した。熱に浮かされたような目だった。
「あれが吸血鬼っていうやつなんだろう? 血を吸われた人間も化け物になってしまうとかいう。じゃあ元はあいつも人間だったはずだよ。生まれつきああだったはずがない。でなけりゃ自分をあんなふうに思うわけがない。違うかい?」
声がかすれていた。ローザは言葉を切り、唇をなめた。
「あんまりリーザそっくりだからいやでも思っちまうんだ。もしリーザがああだったらって。そんなこと考えたら人間と化け物の違いがどんどんあやふやになってきて、どうしようもなく不安になるんだ。あいつが化け物になったのはたまたまじゃないのか。リーザだったかもしれない。あたしやあんたたちだったかもしれない。では人間なんていつ化け物になってもおかしくないようなものなのかって。
あたしたちは絶対に化け物なんかにならない、あいつとは違うんだって言い切れるなら、ただ許せないの一言で片付けられる。だったら安心だってできるだろう。でもリーザの顔を見るだけでそんなふうには思えなくなる。しまいに恐ろしいはずのあいつを哀れに思いそうになるんだ。一つの街を丸ごと全滅させたあんな化け物だっていうのに……」
「皆には街で見たことを隠していたのか?」
「もちろん街が化け物に滅ぼされたことは話したさ。でもあいつのことは村の誰にもいえなかった。どこからリーザの耳に入るかわからないじゃないか」
「確かめに行った方はおられるのか?」
「一ヶ月以上たってから若いのが何人かでこわごわ見に行った。あんたたちが見たのと同じだった。誰もいない廃墟だった」
「でもあたしは思ってたんだ。あいつはもうここへ来ないんじゃないか。ここを避けて行ったんじゃないかって」
「なぜ? どうしてそう思ったんです?」
「あんたたちは廃墟からここへ来た。街や街道の道しるべを見て全然迷わずに来れただろう? だったら他の化け物はともかく、あいつは来る気があれば来れたはずだ。あたしが気絶から覚める前にみんな食われていたはずじゃないか。
あいつはわかってて来なかった。いや、わかったから来れなくなったんじゃないか。化け物としての自分を許せないんだから。我を忘れるのも狂うのも許せな……」
足音がした。ローザが言葉を呑み込んだとたん、水桶を持ったリーザが入ってきた。一瞬、全ての視線がリーザに集中した。
「汲んできたわ」そういいながら、彼女はとまどったように皆を見回した。
ローザの話を聞いた今、アラードはリーザの顔から目をそらすことができなかった。気づいた彼女も視線を返してきた。
それと察したのか、グロスがアラードに声をかけた。
「ただで泊めてもらうわけにはいかないな。道中の小川に水鳥がいたじゃないか。そなた、あれを獲ってきてくれないか」
鴨を射落として戻ったときには日が暮れかけていた。アラードは戸口の前にたたずむ少女の姿にぎくりとした。足が止まった。それを見た相手が滑るように近づいてきた。
リーザだった。リアのはずなどなかった。だが黄昏の光も薄れゆく影の中もはや髪の色も定かではなく、酷似した顔形ばかりがやたらと目立った。アラードは息をのんだ。
そんな彼を色あせたリーザの目が見つめた。思いつめたようなまなざしだった。やがて彼女は口を開いた。
「母さんはなにを話したの?」
アラードが言葉を見つけられずにいると、リーザは続けた。
「あたしのことをなにか話したんじゃないの?」
否定しようとした。だが、相手の思いつめた顔が安易な言葉を許さなかった。
「母さんも時々そんなふうになるわ。あたりが暗かったり、急にあたしを見たりしたとき。街のことを見て以来」
「あなたたちまでなによ。あたしを見てびっくりしたような顔をするじゃない! まるで、まるで母さんみたいに……」
いつしか涙声になりかけていた。
「こんなに心配しているのに、なぜみんなで隠すのよ。あたしがどうしたっていうの? 教えてよ! 知ってるんでしょう?」
「そなたの母はあまりにも恐ろしいものを見てしまわれた。その心の傷が化け物にそなたが襲われる悪夢を見せているのだ」
リーザが振り返った。グロスが戸口に立っていた。
「いずれ日にちがたてば記憶も薄れよう。そうなるまでしばらくかかるやもしれぬが、寄り添ってあげてはもらえぬか。そなたが一番の薬なのだから。ほらアラード、鳥を渡してあげねば仕度もできぬではないか」
グロスをしばし見たあと、リーザはまたアラードのほうに向き直った。だが宵闇の中、その表情はもうはっきりしなかった。
やがて彼女はうつむき、ぎこちなく差し出されたアラードの手から鴨を受け取ると足早に家の中に姿を消した。アラードの傍にグロスが歩み寄り、戸口を振り返ってため息をついた。
「納得してはくれなかったか。なにしろ私たちは嘘も隠しごとも下手だそうだからなあ」
夕餉の仕度はリーザの仕事だった。アラードの持ち帰った鴨は簡素ながらも香り高い料理に姿を変えて出された。
だがアラードは食事にほとんど手が付けられなかった。夕餉の支度をするリーザの姿にローザが語ったリアの姿がいやでも対比された。まるでリアがなにを奪われたのかを見せつけられる思いだった。
リアを牙にかけたのは確かにラルダの仕業だった。だが死にかけたリアに血を与え、人の心のまま吸血鬼などに転化させたのは自分に他ならなかった。リーザのような人としての生き方を永遠に失わしめたのはラルダだったが、一歩誤れば狂気に堕ちるしかないぎりぎりの縁に在り続ける身とさせたのは自分だった。
アルデガンで別れたときのリアはまだ人を殺める前だったが、いまや己の所業にどれだけ苦しんでいるのか。そんな苦しみの中でさえせめて自分の犠牲になる者を一人でも少く抑えよう、自分と同じような境遇の者は決して出さないようにしようともがいているのに違いなかった。吸血鬼の血への渇きは人間を転化の呪いに落とすためにこそあるものなのに、彼女は人としての心ゆえに吸血鬼の理それ自体にひたすら抗い続けているのだとアラードは悟った。
呪いの連鎖を自分のところで断ち切ろうとする意志ゆえの行為だった。だがそれは、狂気による忘我も許されぬ戦いを、片時の安息もなく続けることだった。アラードは自分の行いの罪深さに改めておののいた。
そしてアラードは危ぶまずにはいられなかった。そんなことをいつまで続けられるのかと。人間の心はそんな戦いに耐えきれるものなのかと。
ラルダは地獄に落とされたに等しい己の運命を、リアが免れるのが許せぬあまりに呪ったのだった。では、リアがリーザの姿をもし見たとしたら? 彼女はリーザを自分のようにさせたくないと思えるのか。それでも連鎖を絶とうとできるだろうか。運命の不条理に耐えきれるのか。堕ちずに踏み留まれるのだろうか。
確かにリアは人の心ゆえに抗い続けている。しかし、ラルダがリアを牙にかけながら激しい渇きに耐えてまで吸い残したのも、そのほうが相手をより苦しめると思えばこそだった。吸血鬼の渇き、理に逆らってまで目の前の少女の苦しみを求めたのだった。それもまたラルダが持つ人の心ゆえの仕業だった。人の心が歪み堕ちた結果なされた所行に他ならなかった。髪一筋の違いとしか思えなかった。
失ってならぬものを奪われた者は、失わずにいる者にどう臨むのか。
踏み留まれるだろうか、自分がその立場だったら……。
リーザの人としての生が失われてならないのは当然だった。
それを奪うのが決して許せぬ大罪なのも自明のはずだった。
にもかかわらず、アラードは容易に答えを出せなかった。
自分が落としたリアの苦悶を想うと確信が持てなかった。
”人間なんていつ化け物になってもおかしくないものなのか”
ローザの言葉がより内面的な意味と化して突きつけられた。
アラードはその夜、煩悶に一睡もできなかった。
後書き
未設定
作者:ふしじろ もひと |
投稿日:2018/07/06 20:23 更新日:2018/07/06 20:23 『『人狼』~アルデガン外伝2~』の著作権は、すべて作者 ふしじろ もひと様に属します。 |
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