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感想批評の書き方講座
小説の属性:随筆・コラム / 未選択 / お気軽感想希望 / 初投稿・初心者 / 年齢制限なし / 連載中
前書き・紹介
【前回の復習】
前回は、感想の書き方の例と、感想と批評の違いについて書きました。また、批評というと「べきである!」的な堅苦しいのを想像しがちですが、そうではなくて、「代案を示す」ことが大事だと書きました。代案……すなわち、「もっとこうしたらよくなるんじゃないか」ということですが、今回はその辺りの具体的な方法について書いていきたいと思います。
あと、本講座は、簡潔に伝えたいという意図から、「である。」調にすることにしています。上から目線に感じられるかもしれませんが、「こういった考え方もあるのではないか」という思いで書いていますので、そのあたりは、皆さんの脳内変換でお願いいたします。では以下本文。
3:批評の具体的な書き方
前の話 | 目次 | 次の話 |
◇代案を示すとは?
代案、と書くと難しく聞こえるが、要するに、「もっとこうしたら良くなるんじゃないか」という提案のことだ。
残念ながらよく目にするのが、悪いところや、自分の気に食わなかったところを列挙して、さも「言ってやったぜ」的な感想(?)や批評(?)である。
――いやまぁ、気持ちは分からなくもない。
高いお金を出して映画館で観た作品が、自分の期待していた内容と全く違っていたら、愚痴の一つや二つ、「金と時間を返せ!」と言いたくなるかもしれない。
しかし、そういった自身の感情を癒すための行為と、本講座1の冒頭でも書いたように、その作品の作者のためになったり、自分のためになったりする感想や批評とは、全く違うことは頭の隅にでも入れておきたい。
カッコつけた書き方をすれば、その読んだ作品に「愛があるか」である。
こき下ろしたいだけ、足を引っ張りたいだけという思いしかなければ、到底「代案」なんて浮かばないし、そもそも考え付きもしない。
しかし、「惜しいな、こうしたらもっと面白かったのに」とか、「自分ならこうするのに」というのがあれば、それを指摘された側の作者だって大いに得るものがあるはずなのだ。
(――がしかし、そうしたつもりで書いたのに、作者が怒ってしまうこともある。仕方がない。コミュニケーションの難しいところだ。しかし、できるだけその可能性を低くすることも可能と思われるので、そうした「伝え方」といった面についても、今後の記事では書いていきたいと思う)
◇3つの観点
というわけで、批評をする――要するに、「よくないと思ったところを見つけ、それに対しての改善策を示す」ための、心構え的なのを書かせて頂いた。――分かっている、本記事をお読みの貴方は、「そんなこと分かっている」と思われていることだろう。ただし、感想や批評を書く際に、上の心構えはとても重要なので、あらためて書かせて頂いたという意図はご承知おき頂きたいところである。
それでは次に(ようやく)、具体的な方法を探っていくとしたい。
まず、作品を読んで批評をする際の観点は、大きく以下の3つである。
・ストーリー
・描写
・ウィット
それぞれ、手前みそであるが、昔に書いたそれぞれの観点について自サイト掲載の文章を引用したい。
◇◇ストーリー
「起承転結など文章の構成力を表す指標。絶妙な伏線がはられていたり、退屈せずに最後まで読み進められたかどうかなどが評価基準となる」
ということだが、要は、「お話として面白いかどうか」である。――となると、かなり主観的な部分が大きい。恋愛ものと戦記物における面白さは全然違う。
ただし、一定の面白い法則というのはある。ストーリーの作り方というと、様々なノウハウ本というのも多いので、一冊や二冊は参考にしてよいと思う。
ただ、ここでも、本講座で通底した考え方であるが、「素直」であってよい。
自分が面白いと思ったら面白いし、あまり楽しめなかったと思ったらその通りなのだ。そこを否定したって何の意味もない。
人間は多様なのだ。たくさんの様々な価値観をもっていてよいのだ。
まずは「素直」に、自分がその作品を面白いと思ったか否かを考えてみよう。
◇◇描写
描写とは大きく、人物描写と、情景描写とに分けられる。
人物描写は、
「人物のイメージのしやすさを表す。文章の技術力。感覚的な評価軸の「キャラクター」とは異なり、人物を描く文章力を評価する項目。情景のイメージのしやすさを表す。文章の技術力」
といった観点であり、情景描写は、
「「ストーリー」の流れではなく、場面場面のイメージが鮮明に浮かんだかどうかを評価」
といった観点である。どのような内容の観点かについては、特に説明は不要だろう。
◇◇ウィット
「知的な面白さの度合い。作品のテーマ性を評価。また各場面における登場人物のセリフまわしなどが巧みな場合も高評価」
単に抜粋するとこうなるが、これは少し分かりづらいので補足したい。
ウィットというと、「機知にとんだ」といったことが浮かぶけれども、ここでは、「作品のテーマ性」がポイントである。目の付け所というか、「あらすじだけで読む気にさせられる」ようなものである。色々事例は浮かぶけれども、敢えて古くて多くの人が知っているであろう作品では、マトリックスという映画はどうだろうか。「現実だと思っていた世界は、シンギュラリティを迎えて人類を全部支配している【機械】が作り出す虚構だった」というのは、当時は新鮮斬新であったろう。とあるサイトで見かけた、「勇者なのに常軌を逸して慎重すぎる……」という作品も、ウィットが利いていると思う。
まぁこれも、主観的といえば主観的である。
いくら自分が「斬新だ!」と思っても、類似の作品をたくさん触れている人からすれば、「似たようなものの焼き増し」みたいに思うこともあるかもしれない。だから繰り返しになるが、やはり、まず「自分」を基準にしなければ、何も書けなくなる。度々繰り返しになるが、何も書かなければ、それは「ゼロ」だ。
さて、上の、三つの観点をもとに、自分が読んだその作品が、「自分」という評価基軸からみてどうだったか、もう少し具体的に考えていってみよう。
◇事例
……。
しかし、事例となって、はたと困った。
事例を挙げるには、何か対象となる作品を選ばなければいけない。
しかし、具体的に、小説投稿サイトに投稿されている作品を挙げるというのは如何なものか。
というわけで、少々つまらなくなってしまうが、古典的で著作権もないだろうし、かつ誰でも知っているであろう、「桃太郎」で批評を書いてみようと思う。
(ただ、問題は、桃太郎をしっかりと読んだことが自分はあったろうかということであるが、まぁ想像上の桃太郎でいこう)
◇◇ストーリー
桃から男の子が生まれる。「何故桃なのだッ?!」――その疑問は、結局明かされることはないが、冒頭ストーリーからインパクトがある。つかみは悪くないであろう。
その後、たびたび村を襲って金銀財宝や女たちを攫っていく鬼に業を煮やした桃太郎は、鬼退治に向かうことを決意する。
育ての親のおばあさんからもらった「きび団子」を手に、えっさほいさと歩いていると、腹をすかした犬、猿、雉に出会う。桃太郎は、自分も腹が減っているにも関わらず快く大事な食料を彼らに分け与え、そんな心の広い桃太郎に感激した3人(匹)は、身が裂け心朽ちるまで、桃太郎に仕えることを決意するのである。
――どうして「きび団子」ぐらいでそこまで心服するのか。やや疑問である。
まぁともかく、鬼の牙城『鬼ヶ島』にたどり着いた桃太郎は、鬼を成敗し、金銀財宝や捕らわれていた女たちを解放し、村に戻るのである。めでたし、めでたし。
……子供向けの絵本とはいえ、ストーリーとしては、十分面白いのではなかろうか。
ただ、上に書いた内容の中に、既に何点か「疑問点」(気になった点)が生じている。このように、読んでいて気になった点についてをベースにして考えていくのである。
今回は、
・何故桃だったのか
・家来たちはどうしてそこまで心服したのか
・鬼が案外に弱い
というところが、僕が気になった点である。
実は、桃というのは、おじいさんとおばあさんが若かりし頃に山にピクニックへ行った際に、まだ若木であった桃の木が倒れそうになっていたのを助けてあげたことで、桃の精が子供にめぐまれなかった夫婦に桃太郎を遣わしたとか。
桃太郎が犬たちに授けた「きび団子」はただの団子などではなく、「誓約の証」と呼ばれるマジックアイテムだったとか。
鬼ヶ島での戦闘において、一時は桃太郎の奇襲により混乱に陥った鬼たちも、鬼の総大将ザナドゥの鼓舞によって落ち着きを取り戻し、数に劣る桃太郎らは劣勢に陥るとか……。
といった具合に、深く考えず、「こうだったらどうだろう」というのを考えてみたわけであるが、「批評する」=「代案を示す」とは、これぐらいの感覚でよいと思う。
もちろん、深く考えることが悪いことなどではない。できるだけ考えたほうがよいだろう。ただ、よく考えるということであれば、読者よりも、その作品を作った作者のほうがよほど長い時間を、その作品に費やしているのである。読むのと書くのは、単に時間が二倍とか三倍とかで測れるものではないのだ。文章を打ち込んでいる時間もそうだが、それ以上に、「どういった物語を創ろうか」と考えている時間だってたくさんあるはずなのである。それ以上に、読者のほうが考えて、時間をかけて感想や批評ができるだろうか。
――おっと、3000字をいつの間にか超えてしまっている。
描写と、ウィットに関して触れることができなかったが、今後、よい事例などが浮かんだら触れていくことにしたいと思う。
◇まとめ
・批評するときは、3つの観点(ストーリー・描写・ウィット)に着目しよう
代案、と書くと難しく聞こえるが、要するに、「もっとこうしたら良くなるんじゃないか」という提案のことだ。
残念ながらよく目にするのが、悪いところや、自分の気に食わなかったところを列挙して、さも「言ってやったぜ」的な感想(?)や批評(?)である。
――いやまぁ、気持ちは分からなくもない。
高いお金を出して映画館で観た作品が、自分の期待していた内容と全く違っていたら、愚痴の一つや二つ、「金と時間を返せ!」と言いたくなるかもしれない。
しかし、そういった自身の感情を癒すための行為と、本講座1の冒頭でも書いたように、その作品の作者のためになったり、自分のためになったりする感想や批評とは、全く違うことは頭の隅にでも入れておきたい。
カッコつけた書き方をすれば、その読んだ作品に「愛があるか」である。
こき下ろしたいだけ、足を引っ張りたいだけという思いしかなければ、到底「代案」なんて浮かばないし、そもそも考え付きもしない。
しかし、「惜しいな、こうしたらもっと面白かったのに」とか、「自分ならこうするのに」というのがあれば、それを指摘された側の作者だって大いに得るものがあるはずなのだ。
(――がしかし、そうしたつもりで書いたのに、作者が怒ってしまうこともある。仕方がない。コミュニケーションの難しいところだ。しかし、できるだけその可能性を低くすることも可能と思われるので、そうした「伝え方」といった面についても、今後の記事では書いていきたいと思う)
◇3つの観点
というわけで、批評をする――要するに、「よくないと思ったところを見つけ、それに対しての改善策を示す」ための、心構え的なのを書かせて頂いた。――分かっている、本記事をお読みの貴方は、「そんなこと分かっている」と思われていることだろう。ただし、感想や批評を書く際に、上の心構えはとても重要なので、あらためて書かせて頂いたという意図はご承知おき頂きたいところである。
それでは次に(ようやく)、具体的な方法を探っていくとしたい。
まず、作品を読んで批評をする際の観点は、大きく以下の3つである。
・ストーリー
・描写
・ウィット
それぞれ、手前みそであるが、昔に書いたそれぞれの観点について自サイト掲載の文章を引用したい。
◇◇ストーリー
「起承転結など文章の構成力を表す指標。絶妙な伏線がはられていたり、退屈せずに最後まで読み進められたかどうかなどが評価基準となる」
ということだが、要は、「お話として面白いかどうか」である。――となると、かなり主観的な部分が大きい。恋愛ものと戦記物における面白さは全然違う。
ただし、一定の面白い法則というのはある。ストーリーの作り方というと、様々なノウハウ本というのも多いので、一冊や二冊は参考にしてよいと思う。
ただ、ここでも、本講座で通底した考え方であるが、「素直」であってよい。
自分が面白いと思ったら面白いし、あまり楽しめなかったと思ったらその通りなのだ。そこを否定したって何の意味もない。
人間は多様なのだ。たくさんの様々な価値観をもっていてよいのだ。
まずは「素直」に、自分がその作品を面白いと思ったか否かを考えてみよう。
◇◇描写
描写とは大きく、人物描写と、情景描写とに分けられる。
人物描写は、
「人物のイメージのしやすさを表す。文章の技術力。感覚的な評価軸の「キャラクター」とは異なり、人物を描く文章力を評価する項目。情景のイメージのしやすさを表す。文章の技術力」
といった観点であり、情景描写は、
「「ストーリー」の流れではなく、場面場面のイメージが鮮明に浮かんだかどうかを評価」
といった観点である。どのような内容の観点かについては、特に説明は不要だろう。
◇◇ウィット
「知的な面白さの度合い。作品のテーマ性を評価。また各場面における登場人物のセリフまわしなどが巧みな場合も高評価」
単に抜粋するとこうなるが、これは少し分かりづらいので補足したい。
ウィットというと、「機知にとんだ」といったことが浮かぶけれども、ここでは、「作品のテーマ性」がポイントである。目の付け所というか、「あらすじだけで読む気にさせられる」ようなものである。色々事例は浮かぶけれども、敢えて古くて多くの人が知っているであろう作品では、マトリックスという映画はどうだろうか。「現実だと思っていた世界は、シンギュラリティを迎えて人類を全部支配している【機械】が作り出す虚構だった」というのは、当時は新鮮斬新であったろう。とあるサイトで見かけた、「勇者なのに常軌を逸して慎重すぎる……」という作品も、ウィットが利いていると思う。
まぁこれも、主観的といえば主観的である。
いくら自分が「斬新だ!」と思っても、類似の作品をたくさん触れている人からすれば、「似たようなものの焼き増し」みたいに思うこともあるかもしれない。だから繰り返しになるが、やはり、まず「自分」を基準にしなければ、何も書けなくなる。度々繰り返しになるが、何も書かなければ、それは「ゼロ」だ。
さて、上の、三つの観点をもとに、自分が読んだその作品が、「自分」という評価基軸からみてどうだったか、もう少し具体的に考えていってみよう。
◇事例
……。
しかし、事例となって、はたと困った。
事例を挙げるには、何か対象となる作品を選ばなければいけない。
しかし、具体的に、小説投稿サイトに投稿されている作品を挙げるというのは如何なものか。
というわけで、少々つまらなくなってしまうが、古典的で著作権もないだろうし、かつ誰でも知っているであろう、「桃太郎」で批評を書いてみようと思う。
(ただ、問題は、桃太郎をしっかりと読んだことが自分はあったろうかということであるが、まぁ想像上の桃太郎でいこう)
◇◇ストーリー
桃から男の子が生まれる。「何故桃なのだッ?!」――その疑問は、結局明かされることはないが、冒頭ストーリーからインパクトがある。つかみは悪くないであろう。
その後、たびたび村を襲って金銀財宝や女たちを攫っていく鬼に業を煮やした桃太郎は、鬼退治に向かうことを決意する。
育ての親のおばあさんからもらった「きび団子」を手に、えっさほいさと歩いていると、腹をすかした犬、猿、雉に出会う。桃太郎は、自分も腹が減っているにも関わらず快く大事な食料を彼らに分け与え、そんな心の広い桃太郎に感激した3人(匹)は、身が裂け心朽ちるまで、桃太郎に仕えることを決意するのである。
――どうして「きび団子」ぐらいでそこまで心服するのか。やや疑問である。
まぁともかく、鬼の牙城『鬼ヶ島』にたどり着いた桃太郎は、鬼を成敗し、金銀財宝や捕らわれていた女たちを解放し、村に戻るのである。めでたし、めでたし。
……子供向けの絵本とはいえ、ストーリーとしては、十分面白いのではなかろうか。
ただ、上に書いた内容の中に、既に何点か「疑問点」(気になった点)が生じている。このように、読んでいて気になった点についてをベースにして考えていくのである。
今回は、
・何故桃だったのか
・家来たちはどうしてそこまで心服したのか
・鬼が案外に弱い
というところが、僕が気になった点である。
実は、桃というのは、おじいさんとおばあさんが若かりし頃に山にピクニックへ行った際に、まだ若木であった桃の木が倒れそうになっていたのを助けてあげたことで、桃の精が子供にめぐまれなかった夫婦に桃太郎を遣わしたとか。
桃太郎が犬たちに授けた「きび団子」はただの団子などではなく、「誓約の証」と呼ばれるマジックアイテムだったとか。
鬼ヶ島での戦闘において、一時は桃太郎の奇襲により混乱に陥った鬼たちも、鬼の総大将ザナドゥの鼓舞によって落ち着きを取り戻し、数に劣る桃太郎らは劣勢に陥るとか……。
といった具合に、深く考えず、「こうだったらどうだろう」というのを考えてみたわけであるが、「批評する」=「代案を示す」とは、これぐらいの感覚でよいと思う。
もちろん、深く考えることが悪いことなどではない。できるだけ考えたほうがよいだろう。ただ、よく考えるということであれば、読者よりも、その作品を作った作者のほうがよほど長い時間を、その作品に費やしているのである。読むのと書くのは、単に時間が二倍とか三倍とかで測れるものではないのだ。文章を打ち込んでいる時間もそうだが、それ以上に、「どういった物語を創ろうか」と考えている時間だってたくさんあるはずなのである。それ以上に、読者のほうが考えて、時間をかけて感想や批評ができるだろうか。
――おっと、3000字をいつの間にか超えてしまっている。
描写と、ウィットに関して触れることができなかったが、今後、よい事例などが浮かんだら触れていくことにしたいと思う。
◇まとめ
・批評するときは、3つの観点(ストーリー・描写・ウィット)に着目しよう
後書き
◆次回予告
次回は、感想や批評の「定型文を考える」ということをやっていきたいと思います。学校で配られる「ワークシート」みたいで何だか嫌な印象がありますが、いつも「ゼロ」から考えるよりも、「型:テンプレート」があったほうがスムーズにアウトプットできるものです。
作者:遠藤 敬之 |
投稿日:2018/11/10 10:24 更新日:2018/11/10 10:24 『感想批評の書き方講座』の著作権は、すべて作者 遠藤 敬之様に属します。 |
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