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ローバス戦記
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 連載中
前書き・紹介
第十八話 新たな風
前の話 | 目次 |
第十八話 新たな風
やりがいがある。
今、アフワーズ城で寝る暇を惜しんで仕事に励んでいる男、シャルスはそう思った。
王都奪還に向けた軍団の編成、人事、糧食と軍資金の確保、武器防具の調達、そして、西進する際の軍事行動計画書と、その作戦立案。現在、アフワーズ城には、周辺諸侯から徴収した兵力も加わり、二十五万の戦力が結集している。
全てが今までの倍以上の数値である。多忙どころではすまない状況だった。
シャルスが推挙したロウは実に優秀な逸材だった。シャルスを上手く補佐し、スムーズに事を運ばせた。
また、作戦立案に関しては、グリュード、フィルガリアを含めた四人で深夜まで討議を続けられた。多数の問題も浮かび上がった。その中でも尤も懸念されたのは「アリシア暗殺の可能性」である。
レン大将軍は「地図を見れば智将、剣を持てば猛将」と言われ、「剛毅の名将」と恐れられた英傑だ。だが、この期に及んで体裁を気にするとは考えられなかった。
この点はティアに一任された。
ティアは、選りすぐった精兵で近衛騎士団を編成、同団長に就任した。同時に、ティアの階級は近衛騎士団団員のままだったので、不埒な諸侯達に見下されないよう、下手な横槍を入れられないよう、近衛将軍という役職を作り、その地位にティアを就任させた。
シャルスはさらに、兵達の忠誠心に問題を感じていた。
現在、新規の将軍が多数いた。問題は、元ローバス十将軍であるハルドーならともかく、降伏してきたエレナや、ラオに兵達が信頼を置くとは思えなかった。
この問題を解決すべく、大規模な軍事演習を連日行った。
指揮官はハルドーであり、その補佐に新規将軍であるエレナ、ラオを当てた。二人が直接指揮し、ハルドーが見守るという形だ。実際に率いられて、兵達は二人に信頼をするようになった。
このようにアリシア率いる家臣団が多忙な日々を送っている間、一人、ホルスだけ暇を持て余していた。
ホルス率いる紅蓮騎士団は、戦力を五千から一万に増強される・・・予定だった。しかし、ホルスが反対した。
「五千ならともかく、一万の騎兵部隊は遊撃部隊として意味がない。目立ちすぎるし、警戒される」
ホルスの言葉にも一理あり、一万騎という軍団の編成は中止となった。ただ、五千では少なすぎるという案もあった。
「じゃあ、新規に六千騎兵をよこせ。紅蓮騎士団伝統の訓練をした後、生き残った奴から二千を選抜する」
ホルスの何か間違えているような気がする発言が結局採用され、新規兵六千の騎兵を増強、副団長セルゲイ、突撃隊長クリスに任せ、厳しい・・・いや、もはや紅蓮騎士団伝統と言うべき厳しすぎる訓練を実施させた。六千の内、どれだけ訓練を続けられるか、かなり疑問だが精兵となることは間違いない。さらに二千を選別し、七千騎の遊撃部隊として改めて騎士団を編成する事になるだろう。
紅蓮騎士団は忙しいが、ホルスは城内の庭園で昼寝の毎日だった。
副団長補佐であるセトが息を引き取ってから何もしなくなった。セトはオルガ荒野での戦いで受けた傷が悪化したのが原因で死んだ。イッソス砦では五人いた。混成軍五千騎という馬鹿げた戦力で八万の敵軍に打ち勝った。
その喜びを分かち合った五人の内、二人目が死んだ。
「まあ、今まで良くあった事だが……」
戦友の死は、何故か慣れない。慣れるという言葉が正しいかどうか難しいが、慣れるしかない。生と死が混在する戦場では常に付きまとう事だからだ。
「貴様! こんなところで何をしている!」
ホルスに罵声と共に掛けられたのは大量の水だった。
「ぐおっ。いきなり何をしやがる!」
ホルスは怒りの言葉を、バケツで水を掛けた張本人ティアに向けた。左右にはグリュードとフィルガリアが居たが、この際、知った事ではない。
「貴様、自分の騎士団を放置して、何を油売っている?」
「そう言うお前はどうだ? 軍団なんか率いた事がないから困っていたりするんじゃないのか?」
「ふん! 私は未熟だ。それを自覚している。だからこそ、こうしてグリュード将軍と、フィルガリア将軍に軍団の指揮について講義を……」
「は? 講義? 軍団の指揮について?」
ホルスは不遜な目でグリュードを見つめた。
「おいおい、俺を睨むなよ」
グリュードは呆れた声で言った。後ろではフィルガリアが笑っていた。
「軍団の指揮なんて、簡単だ。自分が一番上だ! そして、信頼できる奴を直下において“全部任せればいい”」
「阿呆! 全部任せてどうする!?」
「セルゲイは『全部私がやりますから、適当にフラフラ下さい。どうせ戦場以外では役立たずなんですから』というぜ?」
「…………それ、何か間違っていないか?」
「別に? 楽だ」
ホルスはそう言うと、ゆっくり立ち上がった。
「平時はセルゲイが団長役でいい。俺が団長になる時は、それは戦場で、だ。俺は常に陣頭に立つ事にしている。手柄を立てる為じゃない。命懸けで戦う姿を見せないと誰も付いてこない。団長でさえも命懸けで戦う。常に敵は多数。だから、紅蓮騎士団は全員が団結して命懸けで戦う。生き残る為に。だから、紅蓮騎士団は強い」
言い終えたホルスがティアの顔見ると、唖然としたティアの顔がそこにあった。思わず、ホルスはティアのおでこを指先で突いた。
「何を呆けている?」
「あ、いや、お前も指揮官らしい言葉が言えるのだな……と。正直驚いた」
ティアが率直な感想を述べていると、アリシア、シャルス、ロウの三人から出てきた。ホルス達がいる庭園のすぐ傍にアリシアの部屋がある。恐らく、三人で何か話し合いをしていたのだろう。
「将軍が四人も揃ってどんな密談をしているのですか?」
アリシアがからかうように言うと、ホルス以外の三人はアリシアに一礼した。
「いえ、密談など。多少、笑える会話を……」
グリュードがそういうと、ホルスはグリュードを蹴った。
「こら、笑える会話って、俺は漫才師か?」
「いや、お前とティア殿が、だ。気づかなかったのか?」
「ちょ、グリュード将軍! ホルスはともかく、何故、私も!」
「あれ? 二人は打ち合わせしての会話じゃないのか? それとも、意気投合しているのかな?」
グリュードは失笑しながら言った。
『それは絶対に無い!』
ホルスとティアのまさしく意気投合した声だった。
「ティア! 俺は最初からお前が気に喰わなかったたんだ! いきなり突っかかってきやがって!」
「何だと!? 貴様のような不貞な輩がグリュード将軍の友人である事が疑わしい。そもそも、貴様のような男が騎士団団長? 世の中間違っている!」
「間違っているお前の頭だよ。常識知らずのお嬢様」
「常識知らずとは、面白い事を言う。礼儀の一つも知らないお前が言うとかなり笑える」
「はっ、礼儀ばっかりの形だけ指揮官が言うと、もっと笑えるな」
尚を続く二人の低レベルの言い争いにアリシアはどうしたものかと、そっとシャルスに相談した。
「いえ、続けさせましょう。確かに、意気投合した漫才夫婦だ」
シャルスはそう言って、鑑賞続行を推奨した。
「ええ!? 宜しいのですか!?」
ロウは慌てふためきながら言ったが、シャルスは笑って誤魔化した。
だが、心の中では二人の心情が痛烈に分かるシャルスだった。
ホルスにとって、レン大将軍は何かと目を掛けてくれた恩人であり、畏怖の対象でもある。そして、ティアにとっては、心から尊敬する実の父親だ。
レン大将軍と戦う。
その不安が別の言葉となって、出ているのだろう。
と、そこに少し慌てた様子のクリスが駆けてきた。
「これは、アリシア様、皆様方」
クリスは礼儀正しく一同に一礼すると、ホルスを見つめた。
「団長、ちょっと困った事が」
「ん? どうした?」
ティアとの口喧嘩を一時中断し、ホルスはクリスに注意を向けた。
「はい。実は、ちょっとした乱闘が発生しまして、血気盛んなのは良いのですが、その原因がとある貴族の子弟である訓練兵が、平民出身の訓練兵を殴り倒したと。それを止めようとした平民出身者と、貴族出身の者達で乱闘に。今は諸侯の兵とのいさかいは……」
「それがどうした?」
ホルスはクリスの不安を斬り捨てた。
「紅蓮騎士団は私闘許さず、略奪を許さず、指揮官の命令無くして撤退、退却を許さず、敵に対して怯える事を許さず。それは、最初に俺が決めた事だ。正規の軍律ならば、罰則に従い処理するが、この決まりを破った者は死罪だと決めた。私闘した二人は死罪。止めなかった関係者全員、穴ほりと穴埋め百回と丸太運び五十週だ。それは、騎士団長以下、全員だ」
ホルスは一切の意見を聞かない断固した言葉で言い放った。
「……しかし、その師弟の親が抗議を……」
「…クリス」
ホルスは静かに、クリスの名を呼んだ。
「ローバス軍紅蓮騎士団団長、ホルス=レグナール将軍が命ずる。直ちに実行しろ。俺もすぐに行く」
「了解しました!」
クリスはホルスに敬礼すると、来た時よりも早くその場から立ち去った。
「さて、急用ができましたので、これにて」
ホルスはアリシアに一礼すると、ゆっくりクリスの後を追った。
「ティア殿」
グリュードは微笑を浮かべてティアの左肩を叩いた。
「軍団の指揮官とは、あのような態度で臨む事だ。ホルスに学ばされましたね」
ティアは少し悔しそうな顔でホルスの背中を見つめた。
紅蓮騎士団正規兵五千、訓練兵六千、一万一千人が穴掘り、穴埋め、丸太運びをしていた姿をみた領民が、一体何の工事をしているのか、と尋ねる者が多数アリシアの元へ向かったのは、この翌日の事だった。
とある、夕暮れ。ホルスは紅蓮騎士団訓練兵の選抜の報告をセルゲイ、クリスから受けていた時だった。
七千人の大所帯である紅蓮騎士団はアフワーズ城郊外にある、屋敷を仮本営として活動していた。
「うん、これで問題は無いだろう」
報告書を三秒で読み終えたホルスは了承の返事を出した。
「読んでいる振りぐらいはして下さい」
セルゲイは厳しい目つきで冷ややかに言い放った。
「まあ、そう言うな。必要な報告書にはちゃんと目を通しているぞ?」
「そういう問題ではありません!」
バンッと大きな音を立てて、セルゲイはホルスの机を叩いた。
ちょうどその時だった、クリスがノックと共に部屋に入って来た。
「だ、団長、ちょっとお時間宜しいですか?」
クリスは少し慌てた様子だった。
「ん? クリスどうした?」
「はい、団長に客人です。その、まあ、とりあえず会ってください」
「客人?」
「ええ、お二方、どうぞ中へ」
クリスが手を招くと、中年の男と、一人の少女が入ってきた。
「っ!」
ホルスは驚愕の余り息を呑んだ。だが、なんとか堪えて表情に出さなかった。
「お初にお目にかけます。将軍。私はメディナ=ファルドルア。ファルドルア商会という店を構え、ささやかに商売をしている者でございます。こちらは私の娘でシリアと申します」
中年の男は微笑みを浮かべて挨拶してきた。だが、その目はまったく笑っていなかった。そう、まるでホルスの値段を計算している目だった。
「“ささやか”に商売? 最近の商人は冗談も一級品なのかな?」
そう答えつつも、視線はどうしても娘のシリアに向かった。
シリアという少女は確かに美しい。だが、それ以上に……。
(似ている。というか、瓜二つじゃないか……)
ホルスは声に出さないように呟いた。そして、セルゲイに視線を向けた。だが、セルゲイは憮然とした表情でメディナを見つめていた。
「ローバス随一の豪商が俺に何の用だ?」
ホルスはとにかく、このクセ者の相手に集中する事に決めた。
メディナ=ファルドルア。
一代でローバス随一の豪商となった、大人物である。特に、ローバス南方。ローバスの海の玄関口である海洋貿易都市バスラはファルドルア商会の本拠地であり、桁外れの金が動く。
「はい、実は将軍の口利きで、アリシア皇女殿下と、『神略の軍師』と名高いシャルス様にお引き合わせ願います」
「…………」
ホルスは口には出さなかったが、用があるのはシャルス一人と言う事だろう。アリシアの名前を出したのは礼儀か…………。
「はて、口利きなどせずとも、貴方ほどの人なら、直に謁見できるであろう。一応伝える事を約束しよう。明日、またお出で下さい」
「いえ、急ぎの用件でございます。今すぐに謁見致したく」
「ほう、それほどの急ぎというのは、どのような……」
「それはアリシア様に申し上げます」
あっさりとホルスの追求は避けられた。やはり舌戦に至ってはホルスよりも、メディナの方が百枚は上手と言う事か……。いや、初めからそれを見越しての願いか。ホルスはただの武芸者。自分の舌でどうにでもあしらえると考えていたのだろう。
ホルスは自分の不利を悟り、大きく息を吐いた。
「やれやれ、貴方には私は勝てそうにないな。ところで、何故娘を連れて? 謁見ならば、貴殿一人で来れば宜しかろう」
「これは、私の末娘でございます。こうして貴方と出会うのも何かの縁。是非、娘を傍に仕えさせていただけませんか?」
「……ほう、貴方にも見込み違いがあるのですな」
メディナが眉を吊り上げるのが速かったか、ホルスが剣を抜き、メディナの咽喉に突きつけるのが速かったか、一瞬の出来事だった。
「しょ、将軍。何をなされます」
「おい、俺を余り怒らせるなよ。今日は少し機嫌が余り良くない」
殺気を込めた目でメディナの目をホルスが睨み付けると、娘のシリアが小さな悲鳴を上げた。
ホルスはそれを合図に剣を鞘に納めると、改めてメディナを見つめた。
「貴殿の願いは聞いた。アリシア皇女との謁見だけな。今すぐ支度されよ。クリス、アリシア皇女へ謁見を願い出ろ」
「了解しました」
クリスは一礼すると、すぐさま部屋を出た。
「セルゲイ、二人を外へ。俺も準備して急ぎ、向かう」
「了解です」
セルゲイは礼儀正しくメディナとシリアの二人に一礼すると、二人と共に外へ退出した。
「…………はぁ」
ホルスは深い溜め息を吐いた。
頭に浮んだのはシリアという娘だ。
「死んだセルゲイの奥さんに瓜二つじゃないかよ。クリスが最初気が動転していた理由は分かったが……」
セルゲイはどのように思っているのだろう。
後の言葉が口から出なかった。
ホルスはとにかく、気を取り直して謁見の支度を始めた。
やりがいがある。
今、アフワーズ城で寝る暇を惜しんで仕事に励んでいる男、シャルスはそう思った。
王都奪還に向けた軍団の編成、人事、糧食と軍資金の確保、武器防具の調達、そして、西進する際の軍事行動計画書と、その作戦立案。現在、アフワーズ城には、周辺諸侯から徴収した兵力も加わり、二十五万の戦力が結集している。
全てが今までの倍以上の数値である。多忙どころではすまない状況だった。
シャルスが推挙したロウは実に優秀な逸材だった。シャルスを上手く補佐し、スムーズに事を運ばせた。
また、作戦立案に関しては、グリュード、フィルガリアを含めた四人で深夜まで討議を続けられた。多数の問題も浮かび上がった。その中でも尤も懸念されたのは「アリシア暗殺の可能性」である。
レン大将軍は「地図を見れば智将、剣を持てば猛将」と言われ、「剛毅の名将」と恐れられた英傑だ。だが、この期に及んで体裁を気にするとは考えられなかった。
この点はティアに一任された。
ティアは、選りすぐった精兵で近衛騎士団を編成、同団長に就任した。同時に、ティアの階級は近衛騎士団団員のままだったので、不埒な諸侯達に見下されないよう、下手な横槍を入れられないよう、近衛将軍という役職を作り、その地位にティアを就任させた。
シャルスはさらに、兵達の忠誠心に問題を感じていた。
現在、新規の将軍が多数いた。問題は、元ローバス十将軍であるハルドーならともかく、降伏してきたエレナや、ラオに兵達が信頼を置くとは思えなかった。
この問題を解決すべく、大規模な軍事演習を連日行った。
指揮官はハルドーであり、その補佐に新規将軍であるエレナ、ラオを当てた。二人が直接指揮し、ハルドーが見守るという形だ。実際に率いられて、兵達は二人に信頼をするようになった。
このようにアリシア率いる家臣団が多忙な日々を送っている間、一人、ホルスだけ暇を持て余していた。
ホルス率いる紅蓮騎士団は、戦力を五千から一万に増強される・・・予定だった。しかし、ホルスが反対した。
「五千ならともかく、一万の騎兵部隊は遊撃部隊として意味がない。目立ちすぎるし、警戒される」
ホルスの言葉にも一理あり、一万騎という軍団の編成は中止となった。ただ、五千では少なすぎるという案もあった。
「じゃあ、新規に六千騎兵をよこせ。紅蓮騎士団伝統の訓練をした後、生き残った奴から二千を選抜する」
ホルスの何か間違えているような気がする発言が結局採用され、新規兵六千の騎兵を増強、副団長セルゲイ、突撃隊長クリスに任せ、厳しい・・・いや、もはや紅蓮騎士団伝統と言うべき厳しすぎる訓練を実施させた。六千の内、どれだけ訓練を続けられるか、かなり疑問だが精兵となることは間違いない。さらに二千を選別し、七千騎の遊撃部隊として改めて騎士団を編成する事になるだろう。
紅蓮騎士団は忙しいが、ホルスは城内の庭園で昼寝の毎日だった。
副団長補佐であるセトが息を引き取ってから何もしなくなった。セトはオルガ荒野での戦いで受けた傷が悪化したのが原因で死んだ。イッソス砦では五人いた。混成軍五千騎という馬鹿げた戦力で八万の敵軍に打ち勝った。
その喜びを分かち合った五人の内、二人目が死んだ。
「まあ、今まで良くあった事だが……」
戦友の死は、何故か慣れない。慣れるという言葉が正しいかどうか難しいが、慣れるしかない。生と死が混在する戦場では常に付きまとう事だからだ。
「貴様! こんなところで何をしている!」
ホルスに罵声と共に掛けられたのは大量の水だった。
「ぐおっ。いきなり何をしやがる!」
ホルスは怒りの言葉を、バケツで水を掛けた張本人ティアに向けた。左右にはグリュードとフィルガリアが居たが、この際、知った事ではない。
「貴様、自分の騎士団を放置して、何を油売っている?」
「そう言うお前はどうだ? 軍団なんか率いた事がないから困っていたりするんじゃないのか?」
「ふん! 私は未熟だ。それを自覚している。だからこそ、こうしてグリュード将軍と、フィルガリア将軍に軍団の指揮について講義を……」
「は? 講義? 軍団の指揮について?」
ホルスは不遜な目でグリュードを見つめた。
「おいおい、俺を睨むなよ」
グリュードは呆れた声で言った。後ろではフィルガリアが笑っていた。
「軍団の指揮なんて、簡単だ。自分が一番上だ! そして、信頼できる奴を直下において“全部任せればいい”」
「阿呆! 全部任せてどうする!?」
「セルゲイは『全部私がやりますから、適当にフラフラ下さい。どうせ戦場以外では役立たずなんですから』というぜ?」
「…………それ、何か間違っていないか?」
「別に? 楽だ」
ホルスはそう言うと、ゆっくり立ち上がった。
「平時はセルゲイが団長役でいい。俺が団長になる時は、それは戦場で、だ。俺は常に陣頭に立つ事にしている。手柄を立てる為じゃない。命懸けで戦う姿を見せないと誰も付いてこない。団長でさえも命懸けで戦う。常に敵は多数。だから、紅蓮騎士団は全員が団結して命懸けで戦う。生き残る為に。だから、紅蓮騎士団は強い」
言い終えたホルスがティアの顔見ると、唖然としたティアの顔がそこにあった。思わず、ホルスはティアのおでこを指先で突いた。
「何を呆けている?」
「あ、いや、お前も指揮官らしい言葉が言えるのだな……と。正直驚いた」
ティアが率直な感想を述べていると、アリシア、シャルス、ロウの三人から出てきた。ホルス達がいる庭園のすぐ傍にアリシアの部屋がある。恐らく、三人で何か話し合いをしていたのだろう。
「将軍が四人も揃ってどんな密談をしているのですか?」
アリシアがからかうように言うと、ホルス以外の三人はアリシアに一礼した。
「いえ、密談など。多少、笑える会話を……」
グリュードがそういうと、ホルスはグリュードを蹴った。
「こら、笑える会話って、俺は漫才師か?」
「いや、お前とティア殿が、だ。気づかなかったのか?」
「ちょ、グリュード将軍! ホルスはともかく、何故、私も!」
「あれ? 二人は打ち合わせしての会話じゃないのか? それとも、意気投合しているのかな?」
グリュードは失笑しながら言った。
『それは絶対に無い!』
ホルスとティアのまさしく意気投合した声だった。
「ティア! 俺は最初からお前が気に喰わなかったたんだ! いきなり突っかかってきやがって!」
「何だと!? 貴様のような不貞な輩がグリュード将軍の友人である事が疑わしい。そもそも、貴様のような男が騎士団団長? 世の中間違っている!」
「間違っているお前の頭だよ。常識知らずのお嬢様」
「常識知らずとは、面白い事を言う。礼儀の一つも知らないお前が言うとかなり笑える」
「はっ、礼儀ばっかりの形だけ指揮官が言うと、もっと笑えるな」
尚を続く二人の低レベルの言い争いにアリシアはどうしたものかと、そっとシャルスに相談した。
「いえ、続けさせましょう。確かに、意気投合した漫才夫婦だ」
シャルスはそう言って、鑑賞続行を推奨した。
「ええ!? 宜しいのですか!?」
ロウは慌てふためきながら言ったが、シャルスは笑って誤魔化した。
だが、心の中では二人の心情が痛烈に分かるシャルスだった。
ホルスにとって、レン大将軍は何かと目を掛けてくれた恩人であり、畏怖の対象でもある。そして、ティアにとっては、心から尊敬する実の父親だ。
レン大将軍と戦う。
その不安が別の言葉となって、出ているのだろう。
と、そこに少し慌てた様子のクリスが駆けてきた。
「これは、アリシア様、皆様方」
クリスは礼儀正しく一同に一礼すると、ホルスを見つめた。
「団長、ちょっと困った事が」
「ん? どうした?」
ティアとの口喧嘩を一時中断し、ホルスはクリスに注意を向けた。
「はい。実は、ちょっとした乱闘が発生しまして、血気盛んなのは良いのですが、その原因がとある貴族の子弟である訓練兵が、平民出身の訓練兵を殴り倒したと。それを止めようとした平民出身者と、貴族出身の者達で乱闘に。今は諸侯の兵とのいさかいは……」
「それがどうした?」
ホルスはクリスの不安を斬り捨てた。
「紅蓮騎士団は私闘許さず、略奪を許さず、指揮官の命令無くして撤退、退却を許さず、敵に対して怯える事を許さず。それは、最初に俺が決めた事だ。正規の軍律ならば、罰則に従い処理するが、この決まりを破った者は死罪だと決めた。私闘した二人は死罪。止めなかった関係者全員、穴ほりと穴埋め百回と丸太運び五十週だ。それは、騎士団長以下、全員だ」
ホルスは一切の意見を聞かない断固した言葉で言い放った。
「……しかし、その師弟の親が抗議を……」
「…クリス」
ホルスは静かに、クリスの名を呼んだ。
「ローバス軍紅蓮騎士団団長、ホルス=レグナール将軍が命ずる。直ちに実行しろ。俺もすぐに行く」
「了解しました!」
クリスはホルスに敬礼すると、来た時よりも早くその場から立ち去った。
「さて、急用ができましたので、これにて」
ホルスはアリシアに一礼すると、ゆっくりクリスの後を追った。
「ティア殿」
グリュードは微笑を浮かべてティアの左肩を叩いた。
「軍団の指揮官とは、あのような態度で臨む事だ。ホルスに学ばされましたね」
ティアは少し悔しそうな顔でホルスの背中を見つめた。
紅蓮騎士団正規兵五千、訓練兵六千、一万一千人が穴掘り、穴埋め、丸太運びをしていた姿をみた領民が、一体何の工事をしているのか、と尋ねる者が多数アリシアの元へ向かったのは、この翌日の事だった。
とある、夕暮れ。ホルスは紅蓮騎士団訓練兵の選抜の報告をセルゲイ、クリスから受けていた時だった。
七千人の大所帯である紅蓮騎士団はアフワーズ城郊外にある、屋敷を仮本営として活動していた。
「うん、これで問題は無いだろう」
報告書を三秒で読み終えたホルスは了承の返事を出した。
「読んでいる振りぐらいはして下さい」
セルゲイは厳しい目つきで冷ややかに言い放った。
「まあ、そう言うな。必要な報告書にはちゃんと目を通しているぞ?」
「そういう問題ではありません!」
バンッと大きな音を立てて、セルゲイはホルスの机を叩いた。
ちょうどその時だった、クリスがノックと共に部屋に入って来た。
「だ、団長、ちょっとお時間宜しいですか?」
クリスは少し慌てた様子だった。
「ん? クリスどうした?」
「はい、団長に客人です。その、まあ、とりあえず会ってください」
「客人?」
「ええ、お二方、どうぞ中へ」
クリスが手を招くと、中年の男と、一人の少女が入ってきた。
「っ!」
ホルスは驚愕の余り息を呑んだ。だが、なんとか堪えて表情に出さなかった。
「お初にお目にかけます。将軍。私はメディナ=ファルドルア。ファルドルア商会という店を構え、ささやかに商売をしている者でございます。こちらは私の娘でシリアと申します」
中年の男は微笑みを浮かべて挨拶してきた。だが、その目はまったく笑っていなかった。そう、まるでホルスの値段を計算している目だった。
「“ささやか”に商売? 最近の商人は冗談も一級品なのかな?」
そう答えつつも、視線はどうしても娘のシリアに向かった。
シリアという少女は確かに美しい。だが、それ以上に……。
(似ている。というか、瓜二つじゃないか……)
ホルスは声に出さないように呟いた。そして、セルゲイに視線を向けた。だが、セルゲイは憮然とした表情でメディナを見つめていた。
「ローバス随一の豪商が俺に何の用だ?」
ホルスはとにかく、このクセ者の相手に集中する事に決めた。
メディナ=ファルドルア。
一代でローバス随一の豪商となった、大人物である。特に、ローバス南方。ローバスの海の玄関口である海洋貿易都市バスラはファルドルア商会の本拠地であり、桁外れの金が動く。
「はい、実は将軍の口利きで、アリシア皇女殿下と、『神略の軍師』と名高いシャルス様にお引き合わせ願います」
「…………」
ホルスは口には出さなかったが、用があるのはシャルス一人と言う事だろう。アリシアの名前を出したのは礼儀か…………。
「はて、口利きなどせずとも、貴方ほどの人なら、直に謁見できるであろう。一応伝える事を約束しよう。明日、またお出で下さい」
「いえ、急ぎの用件でございます。今すぐに謁見致したく」
「ほう、それほどの急ぎというのは、どのような……」
「それはアリシア様に申し上げます」
あっさりとホルスの追求は避けられた。やはり舌戦に至ってはホルスよりも、メディナの方が百枚は上手と言う事か……。いや、初めからそれを見越しての願いか。ホルスはただの武芸者。自分の舌でどうにでもあしらえると考えていたのだろう。
ホルスは自分の不利を悟り、大きく息を吐いた。
「やれやれ、貴方には私は勝てそうにないな。ところで、何故娘を連れて? 謁見ならば、貴殿一人で来れば宜しかろう」
「これは、私の末娘でございます。こうして貴方と出会うのも何かの縁。是非、娘を傍に仕えさせていただけませんか?」
「……ほう、貴方にも見込み違いがあるのですな」
メディナが眉を吊り上げるのが速かったか、ホルスが剣を抜き、メディナの咽喉に突きつけるのが速かったか、一瞬の出来事だった。
「しょ、将軍。何をなされます」
「おい、俺を余り怒らせるなよ。今日は少し機嫌が余り良くない」
殺気を込めた目でメディナの目をホルスが睨み付けると、娘のシリアが小さな悲鳴を上げた。
ホルスはそれを合図に剣を鞘に納めると、改めてメディナを見つめた。
「貴殿の願いは聞いた。アリシア皇女との謁見だけな。今すぐ支度されよ。クリス、アリシア皇女へ謁見を願い出ろ」
「了解しました」
クリスは一礼すると、すぐさま部屋を出た。
「セルゲイ、二人を外へ。俺も準備して急ぎ、向かう」
「了解です」
セルゲイは礼儀正しくメディナとシリアの二人に一礼すると、二人と共に外へ退出した。
「…………はぁ」
ホルスは深い溜め息を吐いた。
頭に浮んだのはシリアという娘だ。
「死んだセルゲイの奥さんに瓜二つじゃないかよ。クリスが最初気が動転していた理由は分かったが……」
セルゲイはどのように思っているのだろう。
後の言葉が口から出なかった。
ホルスはとにかく、気を取り直して謁見の支度を始めた。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2009/12/12 20:51 更新日:2009/12/12 20:52 『ローバス戦記』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
前の話 | 目次 |
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