斎藤から半休を貰い、美味しいと評判のお団子を手土産に持って剣心が世話になっている神谷道場の前まで来ると、「よぉ」と低いが若々しい張りのある声と共に肩を軽く叩かれた。
「あなたは……」
「相楽左之助だ。左之助でかまわねぇよ」
「……左之、と呼んでも?」
「おう! 別嬪さんにそう呼ばれるなんて嬉しーぜ!」
は口元に手を当ててくすくすと笑った。その姿は可愛らしさと上品さがあって、左之助の顔には自然と熱が集まる。左之助はに気づかれないうちに、道場の戸を開けていつも通りずかずかと中に入っていく。左之助に続いて「お邪魔します」とが遠慮がちに足を踏み入れれば、ここの家主である薫が箒を持って怒りの形相で弟子の弥彦を追いかけている所に出くわした。しかしの存在に気が付いた薫は、今までの行いを誤魔化す様に乾いた笑い声を零して後ろ手に箒を隠してを歓迎する。
「こんにちは。お取込み中にお邪魔してしまってすみません。今よろしいでしょうか?」
「おほほほほ! そんなっウチは全っ然構いませんことよ!」
「薫ー……無理して普段使わねー言葉使うなよ」
「弥彦うっさい!」
の淑やかな雰囲気に呑まれて不自然な言葉遣いを披露する薫に、やれやれと呆れた様子で突っ込む弥彦。は二人のやり取りに小さく笑う。自分の知らない剣心の日常を垣間見れた様で、単純に嬉しかったのだ。
「あの、これ……少しですがお団子です。皆さんで召し上がって下さい」
「わっありがとうございます! ここのお団子なかなか買えないって有名なのに!」
玄関に通されたは早速薫に手土産を渡すが、すぐさま左之助の手に奪われて団子をつまみ食いされる。怒った薫ともう一本つまみ食いしようとする左之助が騒ぎ始めたので、埒が明かないと悟ったは弥彦に剣心の居場所を尋ねた。今は昼食の片付けを終えて食休みと称して居間でお茶を啜っているらしいので、そこまで案内してもらう。
「お前、とか言ったな。聞くけどよ、お前何歳なんだ?」
「弥彦っ! さん、でしょ!! それに会って間もない女性に年齢聞くなんて失礼よ!!」
「いえいえ、お気になさらないで下さい。弥彦君、何歳に見えますか?」
「うーん……二十……ってとこか?」
「ふふっ、正解です」
「殿……十以上も年齢を偽るのはよすでござる」
丁度が年齢を答えた時に剣心の所に着いたので、剣心は大きな誤解が生まれる前に早々に口を挟んできた。剣心の言葉で一斉にに視線が集まったが、はにこにこと変わらず笑顔だったので、そこから何も読み取る事は出来ない。
「え……じゃあさんって……」
「確か三十一でござるよ」
「これで三十路越えぇぇぇえ!!!??」
「本気で言ってんのかっ?!」
いよいよ飛天御剣流が、本当は使い手が不老不死になる秘術なのかと疑い始める。そんなみなの反応に、あらあらまあまあとは更に笑みを深めた。
「ほらほら二十に見える位美人ですって」
「誰も言ってないでござるよ……まったく、相変わらずでござるな、殿は」
このふわふわした独特の空気と丁寧な口調が今も健在である事に、剣心は少なからず安心していた。激動の最中で生きてきた剣心にとって、変わらないものを見ない事の方が少なかったからだ。
薫が居間の座卓に茶との持ってきた団子を準備すると、は丁寧にお礼を述べて用意された座布団に座して茶に口をつけ、皆座するのを確認してから話し始めた。
「さて、ここに来たのはコトの経緯を話そうと思ったからなのですが……何から話せばいいでしょうかねえ……」
「ちょーっと待て。まず剣心とはどんな関係かはっきりさせてくれねぇか?」
ずっと薫の気掛かりであった事を左之助が代弁し、ぴくりと肩が微細に跳ね上がる。剣心の過去話で女性が出てくる事なんてとんとなかった。だからこそすっかり安心していたのに、剣心は突如現れた三十路美人に気を許している。薫の胸の内に眠る淡い乙女心が揺れない訳がなかった。
「拙者と殿は同じ師を持った、所謂姉弟弟子でござるよ」
「ってことはも飛天御剣流が使えるのか!?」
「ええまあ、嗜む程度には」
の微笑みからは多くの感情は読み取れない。自身の本意を上手く隠しているの実力は謎のままだ。を知れば知る程、とてもではないが刀を振り回す様な人間には見えなかった。割とぴっちりとした警察の制服はの細い線をなぞっていて、人の首を落とす力はなさそうに見える。しかし思い返してみれば、昨日の死闘を止めたのは他でもないである。この場にいる誰も剣心と斎藤を止められなかったにもかかわらず、虫も殺した事もなさそうな見た目をしているが彼らを止めたのだ。それだけでも又動乱の幕末を生きた者の一人だと察する。
「ええと……もうお話をしても……?」
みなの視線に少し居心地悪そうなが話題を変えようと口を開くと、気持ちを汲んだ剣心が質問を投げ掛ける。
「ではまず、何故殿が斎藤と一緒にいるのかお聞かせ願いたい」
「そうですねえ……お互い蕎麦が好物だからでしょうか」
「は?」
師匠の反対を押し切って山を下りる事を決断した当時の剣心は、から見てもまだ肉体的にも精神的にも成熟しきっていないのは明らかであった。そんな剣心が心配で、後を追う様には京都に向かったのだ。そこでとある事がきっかけで、剣心の宿敵である新撰組の斎藤や沖田と関りを持つ様になったのだが、今回子細は割愛する。
剣心を追って京都に来ただが、剣心自身に干渉するつもりはなかった。あくまで剣心の意志を尊重しようと、はどこにも与する事無く彼を見守ると心に決めていたのだ。しかし、もし剣心が志を見失い、只の快楽殺人者と成り果てた時は、自分の手で殺す事も決意していた。
幸いが剣心を殺す事も、剣心が誰かに殺される事もなく、京都の戦乱は終息。志士を抜けた剣心を見届け、も又幾つかの戦いを見守りながら流れに流れ、最終的に師匠の元へと帰った。
そして偶然京都に出張で来ていた斎藤と蕎麦屋で再会。そこで斎藤も認めるの高い戦闘力と、常に笑顔で社交的な性格から、絡みづらい上に捻くれ者で無愛想な斎藤の仲介役として適任と見なされ、警察に引き抜かれて今に至る訳だ。
「師匠は警察に入るに何も言わなかったのでござるか?」
「師匠……ですか?」
笑顔を崩さなかったの片眉がひく、と上がる。剣心はの放つ気の変化に即座に気づき、己の失言を悔やんだが、もう遅い。
「聞いて下さいよ剣心!! 師匠ったら酷いんです! 警察に引き抜かれそうになってるって言ったら、愚鈍なお前を雇うたぁ世も末だなって鼻で笑うし、出張もあるって言ってみても、引き留めるどころか掘り出し物の美味い酒を買ってこいだの……ちょっとはお前がいないとさびしいとか俺の傍にいろとか……っきゃー! ヤダ、想像しただけで恥ずかしいから今のなし! 私ったらなんてはしたない女なんでしょう……っ!」
一人で勝手に妄想を突っ走らせて赤面した顔を両手で隠し、キャーキャー騒ぐに周囲はさあっと心の距離を広げていた。先刻まで感情を読ませない不可思議な笑みを湛えていた美人が、今や只の変人である。剣心は慣れているのか、苦笑するばかりだ。が師匠である比古の事になると、周りが見えなくなるのは昔からだった。しかし初めて目の当たりにした人間からすれば、淑女を素でいくの豹変ぶりにがっかりするのも無理はない。
「お前の姉弟子、色んな意味ですげえな……」
「拙者が殿を刺激したばかりに……」
一周回って感心する左之助の横で、とほほと肩を落とす剣心であった。
「お見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
我に返ったは頭を下げてこほんと咳払いを落とし、スッと気を引き締める。あまりの空気の温度差に、震えそうだ。
「では、本日の本題である志々雄真実についてお話ししましょう。その志々雄ですが――私は政府が殺そうとしていた志々雄真実を救ってしまったのです」
しんと静まりかえり、呼吸さえも大きく響いた。
が志々雄真実と出会ったのは全くの偶然だった。戊辰戦争で世が混乱に陥っている時分、各地を渡り歩いていたは火傷で藻掻き苦しむ者が転がっているのを見つけたのだ。その人物こそが、自分の弟弟子の代わりに人斬り抜刀斎となった志々雄真実という事実は後に知る事になる。
人並み以上には裏の情報に精通していたも、剣心が遊撃剣士となって表舞台に出た後、維新志士の中でも極秘中の極秘であった剣心の後任の顔までは知る由もなかった。もっとも全身に酷い火傷を負っていた志々雄は、もはや顔を知る者でもわからぬ程別人と化していたが。そんな志々雄が自ら正体を馬鹿正直に話すなんて愚行をする筈もなく、素性を偽って何も知らないの看病を受けたのだった。
「知らなかったとはいえ、志々雄の命を救ったのは間違いなく私です。そしてその所為で今、多くの人々が苦しんでいる……私が志々雄討伐の任務をお受けしたのは、きちんと責任をとるためです」
穏やかな笑顔は消え失せ、剣気を放つに剣心以外の者達は背筋を凍らせる。やはり昨日剣心と斎藤を止めた実力は本物だったのだ。見た目に騙されて美しい花に不用意に近づけば、容赦なくぶすりと一突きされるだろう。
「いや、の所為では――元はと言えば俺が山を下りて人斬りにな「剣心」
「っ!」
思わず素に戻った剣心の言葉を遮り、は剣心の額を小突く。
「それならば山を下りる剣心を止められなかった私に責任があります」
「だからっ! 勝手に山を下りた俺が悪「それならば剣心の良心と正義感の強さを知っていたにもかかわらず、下界の荒れた様子を剣心に教えた私の責任です」
「あの時は俺がに教えてくれとせがんだからっ!」
「では、剣心の可愛さの余り教えてしまった私の責任ですね」
と剣心の突然始まった口論に口を挟むどころか、薫達は呆気にとられていた。あの剣心がまるで幼子――こんなにもムキになって言い返す様は見た事がない。
「いい加減に諦めなさい。何年も師匠と斎藤さんにいじめられ続けた私に勝てる訳ないでしょう? 剣心が譲らないと言うのなら、可愛い女の子であればおまけしてくれる甘味処の店主に女装もしてないのに言い寄られた話を「わーっ!!!!」
もう大方の内容が露呈しているが、それでも剣心はこれ以上が余計な事を口走らない様に口を塞ぐしか手はなかった。剣心の凄まじい勢いでふっ飛ばされたは受け身こそ取ったが、柱に頭をぶつけていた。喧嘩両成敗である。
「……ふふっ」「ふっ……」
畳に投げ出した体を起こして互いに顔を見合わせれば、思わず笑いが漏れる。年齢的には彼らは十二分に大人なのだが、やっている事はまるで童だ。しかしいくら年を重ね様とも、剣心とはいつまでも姉弟であり、家族であった。たとえ血の繋がりはなくとも、目には見えない強固な絆が二人を結んでいる。彼らにとって、それが何より最上の喜びであった。
「あなたは昔から頑固者で、ひとりで何でも背負い込む質だから、言って聞かせても仕方ないと思っているけれど……私や大久保さん――そして今までの自分の行いに責任を感じて無理に今回の話を受ける必要はありませんからね」
は剣心の決して消えぬ十字傷をするりと撫でた。
「人斬りも流浪人も、全てあなたです。そして私の前では只の剣心であり、大切な家族だという事は努々忘れぬ様に。私はあなたが迷い、悩み、考え抜いた道を信じるだけです。どんな道を選ぼうとも、どれだけ離れていようとも、共に在り続けるのが家族なのですから……」
ああ、しばらくぶりだ――の諭す様なやさしさに触れたのは。
いつもこうやって自分を尊重し、母の様に、姉の様に抱き締められるあたたかさが全身に染み渡る。
「……さて、随分と長居をしてしまいました。そろそろお暇しなくては……」
いまだに一言も喋れない薫達に挨拶をして腰を上げると、剣心がその手を掴んだ。
「っ! ――ありがとう」
は剣心の言葉に応える様に微笑むと、静かに去っていくのだった。
(「っいや! まだ話は終わっちゃいねえ!!」「左之? まだ何か話す事があったでござるか?」「あの様子じゃはまだまだ剣心の恥ずかしいネタを持ってる筈だ! この機会に聞かなきゃ損だぜ!!」「それなら俺も助太刀するぜ左之助!!」「そっそれだけは勘弁でござるよ~!!」「(さん……綺麗で、強くて、穏やかだけど嵐の様な人……)」「薫殿ー!! いつもの様に左之達を止めるのを手伝ってはくれぬかー!!」「(そして剣心の家族!! 剣心とさんは家族なのよ薫!!!)」「薫殿ー!!?」)