No1
今日1日に付き合う。
そう言ったのは普段なかなかオフが取れず、約束が先延ばしになりがちな世界の英雄オールマイトもとい、八木俊典であった。
今度のテストこそヤバイと呟くを見兼ねて、わかりやすいご褒美を提示してあげたのだ。さすがのナチュラルボーンヒーローも、つくづくお姫様には甘い。
そしてなんとかテストを乗り越えてご機嫌なは、ティーンエイジャー向けの雑誌で特集を組まれるほど大人気なクレープを食べに来ていた。もちろん、女子中学生と並ぶには少しばかり勇気がいるトゥルーフォームの八木の奢りだ。
「俊典さんのチョコバナナ味見させて~!」
ただでさえ女子中高生の多いクレープ屋さんの前で、さらに追いうちをかけるかのようなの際どい発言に、さすがの平和の象徴も狼狽える。これで無意識なのだからタチが悪い。
先程から親子にしては似てないし、たとえ親子でも距離感が近過ぎるふたりをちらちらと周りの人間が見ているのには気づいているのだろうか。いくら昔からの付き合いとはいえ、ももう中学3年生だ。世間の目という概念を教えようと口を開こうとすると、は幸せそうな顔で八木の目の前にクレープを差し出してきた。
「俊典さんも私のいちごスペシャル食べて!」
小柄なが一生懸命背伸びして八木の口元にクレープを持っていこうとする姿に、思わずキュンと胸を打たれてなにも言えなかった。またやってしまった――後悔しても結局の可愛さに負けてクレープを口にするのだった。
「俊典さん、喉乾いたから飲み物買ってこ?」
俊典さんとデートだから!といつもより大人っぽいワンピースを身に纏い、ふわりと裾を翻しながら腕を引っ張ってくるはアンバランスだ。身体つきはどんどん大人の女性に近づいているのに、表情や言動はまだまだお子様だ。それでも最年少プロヒーローとして活動している時の彼女はひどく大人びていて、その辺のヒーローよりも頼りになるし経験や知識もある。八木は所謂そのギャップに酔わされている自覚があった。いや、八木だけでなく、の周りの大人やヒーローはなにかと彼女を気にかけている節がある。業界では有名なリカバリーガールの孫という理由もあるだろうが、の大人になりきれていない危うさだったり、人柄がそうさせているのだろう。
「強盗だーっ!! 誰かああ!!」
飲み物を買ってコンビニから出ると、丁度人の叫び声が聞こえた。するとすぐにと八木の目の前を緑のヘドロのような敵がお札や汚泥を撒き散らしながら通過していった。
「……オールマイト、私は警察の連絡と周囲のケガ人の確認、混乱の鎮静に回ります。敵は任せました」
ふわふわとクレープに破顔していたとは違い、敵を確認した彼女は既にプロヒーローの顔をしていた。普段俊典さんと呼ぶは、仕事をする時はオールマイトとヒーロー名で呼ぶのだ。八木もそれが彼女のスイッチだと認識している。
八木が枯れ木のような身体に力を込めれば、一気に筋肉が膨隆してマッスルフォームへと変化した。いつもの決め台詞で周囲を安心させると、ヘドロに向かって飛んでいった。はその後ろ姿を見送ってから、警察への連絡とケガ人の有無の確認を始めた。
「オールマイト!!」
はオールマイトから連絡を受け、位置情報を頼りに入り組んだ住宅地を走っていた。無事敵は捕まえたが、被害に遭った少年がいるから診てくれとのことだった。
は路地に立つ広い背中を見つけ、名を呼んだ。
「ホワイトエンジェル! すまない、少年が敵に襲われて意識がない状態だ」
ホワイトエンジェルとはのヒーロー名だ。はヒーリングヒーローで、その名の通り怪我を治す個性を持っている。正確な個性は再生と廃棄、把握。細胞や分子の再生や活性を促したり、それを廃棄、無に帰すことができる。直接触れて集中することが条件だが、そのものの情報を把握する個性も備わっている。病人ならばどこを再生すべきか、廃棄すべき異物がないかを把握することも可能だ。まだ正確性に欠けるが、その地に触れれば周囲の位置情報なども把握でき、災害救助の際役に立っている。多種多様に応用できるので(もちろんの個性の使い方やコントロールがあってこそだが)、をヘルプで呼び出すヒーローは多い。
「大丈夫ですか?!」
少年を揺すってみると、苦しそうではあるが呻き声をもらす。脈も少し速いが正常範囲内で、目立った外傷もない。身体に触れて意識を集中させても、再生を必要とする場所は特にない。
「特に異常はありません。多分もう少ししたら意識が戻ると思います」
「はーよかった! 君がそう言うなら安心だ! ところでペン持ってない?」
「え?」
オールマイトは焦げて煤けた大学ノートを手に、いつもの笑顔でに問うた。こんな状況でそんな質問されたら素っ頓狂な声も上げるだろう。
はオールマイトの顔を見つめると、すぐに彼の考えを察知し、薄汚れてしまった大学ノートを綺麗に再生して、誕生日に八木に買ってもらったショルダーバッグからペンを取り出して一緒に渡した。
「話が早くて助かるよ」
「ふふふ、何年の付き合いだと思ってるんですか」
大人びた、凛とした姿はやはりプロヒーローで、いつも八木の前で見せる中学生のとは程遠い。女という生き物はいつだって化ける可能性があるのだと痛感した。
「う、うう……」
「あ、目が覚めましたか?」
は思ったよりも早く目が覚めた少年――緑谷の身体を支えて顔を覗き込むと、目を見開き顔を赤くして物凄いスピードで後退りされた。あからさまに避けられたは少しショックを受けるが、当の緑谷は今まで生きてきた中でこんなにも女子と近づくというイベントがなかったため自分を保つのに必死だ。
「あっあのあの! すみません! ……ってあなたは!! ヒーリングヒーロー・ホワイトエンジェル?!」
「あら? 私のこと知っているんですか?」
「オールマイトと一緒に災害救助で活躍しているのをテレビで……ってウワアアアアア?!! オオオオールマイト??!!」
女子との接触イベントとテレビで見ていたプロヒーローとの接触イベントを同時にこなした以上の衝撃が緑谷を襲った。無理もないだろう、長年自分が追いかけてきた憧れの平和の象徴が目の前に現れたのだから。緑谷の容量はとっくに超えていた。オールマイトが今までの経緯を説明してくれていたが、緑谷の耳には全くなんの情報も入ってこなかった。
「っは! サイン! サイン!」
「はい、ノートは綺麗にしました。オールマイトもサインしてくれてますよ」
緑谷の慌てように我慢できずは笑いながらノートを手渡すと、緑谷はオールマイトのサインを見てまた騒ぎ出した。家宝にしますと頭を高速で下げる緑谷を宥めつつ、に緑谷のことを頼み、オールマイトは敵を警察に届ける準備をする。屈伸運動をし、下肢に力を溜める。その背中を緑谷は名残惜しそうに見つめ、待ってと手を伸ばす。オールマイトはトゥルーフォームに戻るまでの時間が迫っているため、そんな緑谷の声をかき消すように飛び出した。その直前に緑谷がオールマイトの片足にしがみついていたのを、は誰もいなくなった道路を見て気づいたのだった。
「あーあ、ふたりとも行っちゃった」
はプロヒーローの顔から、元の中学生に戻っていた。