蜜雨

※士官学校時代から原作最終章に至るまでの過去を捏造し放題






 実地訓練で来た士官学校生の中で腕の立つ狙撃手がいると聞いた。その女の名は。ここ北方の出身で、このあたりの地理地形にも詳しく、まだ資格こそ持っていないが錬金術にも長けた将来有望な人財らしい。だが、そんな他人が付けた評価などは一切当てにならんので、私は自分の目で実力を見極める事にした。もしその実力が本物であったのなら、今のうちに唾をつけておくのも悪くない。

「お言葉ですが大尉殿」

 を見た事がある私の隊の者に容姿や特徴を尋ねれば、一際小柄で白い肌と黒髪が目立つからすぐにわかると言われた。部下の言葉の通り、はすぐに見つかった。外見は話通り、如何にも可愛らしい姫といった容貌である。今はその可憐な要素をすべて捨て去った至極厳しい表情と低く張りつめた声で、自分の隊の上官と口論をしているようだ。

「あの状況ではああするより他なかったのではありませんか?」

 たかが士官学校生が上官に歯向かっている様子に、と同じ隊に所属している士官学校生はこの世の終わりだという顔をしていた。その者にこれまでの経緯を尋ねる。
 作戦終了後に雪山を移動中、隊がドラクマ兵と遭遇した。通常であれば見通しの良い道のりであったが、その時は天候も悪く、視界不良であったため敵に気づくのが遅れてしまったのだ。更に不運な事に、作戦終わりで大分兵力も疲弊している状態だった。まともに戦えるのは士官学校生含め数名。そして使える武器にも限りがあった。そんな一刻を争う最悪な状況で、隊の上長は判断に躊躇した。まともに交戦すればきっと無傷ではいられない。下手したら自分も死ぬかもしれないと怖気づいたのだろうか。そうこうしているうちにドラクマ兵が発砲してきて、兵の体をぶち抜いた。隊は完全にパニックだ。しかしだけは違った。自分の実力を正確に把握していた彼女は、武器を手にしておらずとも錬金術で十分に戦えると判断した。

「ったとえそうだとしても、貴様は命令なしに勝手な行動をした! 隊の規律を乱したのだ!!」
「ではなぜ大尉殿はすぐにご命令をくださらなかったのですか!! 判断が遅れれば遅れるほど、隊は危険に晒されます! そのせいで部下が死んでいるのですよ!!」

 その部下とはの級友である衛生兵であった。仲間の死を目の当たりにしたは、もたもたしている猶予はないと、命令を待たずに錬金術でドラクマ兵を雪崩に巻き込んで一掃した。確かに予告なしに行われたその単独行動は、自分達の足場も崩れて一緒に巻き込まれたら隊が全滅する恐れがある。だが、彼女は決して考えなしに行動を起こした訳ではなかった。この北の大地は彼女にとってホームグラウンド。生まれた時から雪と共に育ち、雪が当たり前にある生活を送ってきた彼女は、きちんと自分のできる錬金術の範囲や特性を熟知していたのだ。

「上官に向かってその口の利き方はなんだ! 貴様それでも軍人か!」
「軍人である前に私は一人の人間です! 人が人を助けようとして何が悪いのですか!!」
「喧しい! 貴様は黙って私の命令だけを聞いていればいいのだ! 歯を食いしばれ!!」

 拳を振り上げながら胸倉を掴まれて怒鳴られようとも、は怯むどころか真っ向から制裁を受けるつもりだ。

「だから貴様は出世できんのだ」

 自分のミスを棚に上げ、学生相手に激昂する男の手を掴んだ。まさか私が仲裁に入ってくるとは思っていなかったは、大きな瞳を更に大きくさせた。見れば見る程ここにいる事すら違和感を覚える顔立ちをしているが、ここの誰よりも武人である。だからこそ外見などはじめからどうでも良いのだ。

「気に入ったぞ、。士官学校を卒業したら我が隊に来い」

 自分の頭で考え、それを行動に移す。言葉にしてみれば酷く簡単に思える。だが、実際にできる人間はそう多くない。――私の隊に欲しい。






 ブリッグズ要塞に新たに配属された屈強な戦士の中に、見覚えのある小さな女がいた。見た目こそか弱い姫のようだが、もちろんそんな軟弱な者をこのブリッグズに呼ぶ訳がない。

「よく来たな、
「ご指名頂き大変恐縮であります、アームストロング大佐殿」

 学生の時分と変わらず、まだ肉体に幼さは残っているものの、中身はしっかりと不屈の精神を宿していた。






*







「これが国家資格の証である銀時計。こっちが拝命証と規約の入った封筒だ。此度はよくやった」

 国家錬金術師に関する書類に紛れて小さな紙片を見つけた。そこには大総統直筆のメッセージとサインが書かれていた。

「知っていると思うが、私が素直に賛辞を送るなんてなかなかないぞ。だからその嫌そうな顔は即刻やめろ、白雪の錬金術師――いや、白雪姫と呼ぶべきか」
「いや、呼ばないでください」

 姫と称される程の美貌を惜しげもなく崩し、げんなりとした表情を浮かべる。上官に対して言いたい事が言えるの性格は学生時代と何ら変わらんな。

『白雪姫の更なる活躍を期待している。キング・ブラッドレイ』

 後にブリッグズ要塞にはおっかない白雪姫と氷の女王がいると噂される事となったのだった。






「うん、ありがとう。ロイも合格本当におめでとう。これでお互いまた一歩前進だね」

 昼の時間になると真っ先に食堂へと走るの声が、電話が設置してある一角から聞こえた。珍しい事もあったものだ。彼女は貧しい家で育ったためか他の誰よりも空腹を嫌い、そして食い意地が張っている。食べる量も自分の倍の体躯はある男共とそう変わらない。そんな彼女が食事の時間そっちのけで電話など、よっぽどその"ロイ"とやらに合格を伝えたかったのだろうか。

「……え? 中央に来たらマースが合格祝いにお肉奢ってくれるって? うーわー、魅力的な提案だけどしばらく行けそうもないや。ロイも無理? ……くそう、マースったら私達が来れないのを見越して適当な事言ってたりしない? ……あ、ロイもそう思う? もう無理やりにでも中央行ってやろうかな……っぷ! う・そ。誰かさんより先に会いに行ったら燃やされそうだもん……マースが」

 軍人として職務を全うしている時のとは異なり、今の彼女は完全な素に見える。表情や口調は大層柔和で、見た目通りの可愛らしさが滲み出ていた。あのも男の前ではこんな態度をとるのかと、部下の新たな一面を発見した。

「あはは! うん、うん、そうだね、それじゃまた……ん、私も……愛してる」

 最後電話を切る際の別れの台詞は消え入りそうであったが、しっかりと相手に届くように通話口近くで甘く囁いていた。好いた女にそんな事されたらと考えると、相手の男の心情が察せられる。

「思いの外、熱烈だな」
「わっ! アームストロング大佐! いつからここに?!」
「聞きたいか?」
「あー……いえ、結構です……」

 知りたいようで知りたくない。渋い面持ちでは私の申し出を断った。

「私に気づかない位おまえが夢中になる"ロイ"という男は、さぞイイ男なんだろうな」
「ふふっ、それはもう……私を選んでくれた男ですもの」

 ブリッグズの質実剛健な戦士に囲まれてもなお遜色のない働きをする、あの勇猛なを骨抜きにしている男――一度相見えたいものだ。






*







 アームストロング准将と共に東方司令部へ出張が決まった時、嬉しくてすぐさまロイに電話をした。ロイもすごく喜んでくれて、少しだけど夜ならお互い時間が取れそうだと、会う約束も交わした。
 早く出張の日が来ないかな。今から楽しみ。

 待ちわびていた出張の日は激務に追われていたせいか、すぐにやってきた。
 汽車でノースシティからイーストシティまでの長い道のりを乗り継ぎ、私と准将はやっと東の駅へと降り立った。東の地に足を踏み入れただけで、すごくロイを近く感じる。いくら軍服を着ていないとはいえ上官が隣にいる状況だけれども、自然と口角が上がってしまう衝動は抑えきれない。

 それともう一つ私には楽しみがあった。出張先の土地で美味しい食べ物を堪能する事だ。あらかじめおいしいと評判のお店の情報はロイから仕入れておいた。その店は駅から程近く、ボリュームのあるお肉がメインのランチと季節のデザートが美味しいと女性にも人気――という事をロイは可愛い女の子から聞いたらしい。
 可愛い女の子の部分を甚く強調してきたが、私に嫉妬して欲しいのが見え見えである。

 直属の上司であるグラマン中将に気に入られたロイは、様々な指南を受けていた。切れ長の涼し気な目元に、スッと通った高い鼻筋。軍人らしい精悍さの中に甘さの残る容姿を活かし、女好きの遊び人を演じる事を勧めたのもグラマン中将だ。自身の野心を隠せる上、情報の宝庫である女性とも親しくなれる。まさしく一石二鳥。
 はじめロイは、私という恋人が居るのだからそんなマネはできないと渋っていた。しかし私は、所詮演技なのだから中将の妙案を受け入れるべきだと説得したのだ。それに、ロイと付き合った時にも言ったはずである。『生涯ロイの隣は私だけだし、私の隣もロイだけだ。これから先、ロイが私以外の女を口説いたり抱いたりしていたら、布石を打つために必要な事だと考える』繰り返しそう言ったら、ロイの方が折れた。
 それからというもの、話しづらいだろうから私から女性の話題を振れば、ちらほらと話を聞くようになった。不快に思うだろうから無理に聞かなくていいとロイから言ってきたが、今後部下に指導する事があった時用に聞いておくと返した。そうしたら、どうしてそんな冷静でいられるのだと文句を言い始め、頭でわかっていても嫉妬してしまうのが恋愛ではないのかという持論まで主張してきて、今では私に嫉妬して欲しくて積極的に色んな話をしてくれるようになった。男心って本当にわからん。

「あの男……」
「はい?」

 お目当ての店の席に着き、メインはもちろんデザートや食後の紅茶まで頼み終えると、アームストロング准将は私の背後を睨みつけながら口を開いた。メニューに載っていた紅茶の解説を読んでいた私は、その声に顔を上げる。あまりあからさまにならないように准将の視線を追えば、そこには軍服を見事に着こなし、人好きのする笑顔を浮かべて女性と食事するロイの姿が。
 実は私と准将がお店に入った時点で、既にロイが店内にいたのだ。完全に偶然であった。なるべく常に出入り口や店内を見渡せる席に座す事を心掛けているロイは、すぐに私の来店に気が付いた。私もまた軍服が目立つおかげでロイの存在に気づき、互いにアイコンタクトを送り合って、適当にこの場をやり過ごそうと決めたのである。

「あんな軽薄そうな男がもしの恋人だとしたら、別れさせてマイルズと交際させるな」
「へっ?!」

 さすが若くして准将にまで上り詰めた女性だ。いきなり核心を突いてくる。おかしいな、准将はロイの顔を知らないはずなのに、なぜこんなにもピンポイントでそんな話題を振ってくるのだろう。しかもよりにもよってロイが一番反応を示す私の色恋沙汰の話だ。

「あれならば、まだマイルズの方がマシな男だろう」

 良くも悪くも堂々としている准将の声は、きっとロイにも届いているだろう。だから"あの男"と呼ばれるロイについて、私の方から言及するのは憚られた。

「いえ、あの、マイルズには最近付き合った彼女が……」
「知らんのか? マイルズはおまえに恋人がいると知り、諦めて他の女と付き合ったんだ。聞けば、おまえが背中を押したらしいじゃないか。なかなかに残酷な事をする」

 う、嘘だ。だってマイルズは今あんなに幸せそうに――いや、待てよ。彼女と付き合う少し前、マイルズが私を避けているような素振りがあった。本当に一瞬の出来事だったから、気のせいかとも思ったが、今振り返ればあれは私に失恋したからだったのかもしれない。そう考えると、マイルズのあのよそよそしい態度にも納得がいく。

「だからおまえが恋人と別れたからマイルズと付き合いたいと言えば奴は落ちるだろうな」
「そ、そんな悪魔みたいな所業できませんよ!」
「私は仕事に支障がなかったら気にせんのだがな……どうだ? 少しはマイルズの事意識したか?」

 ニヤリと笑うアームストロング准将こそ悪魔染みていた。隊のトップともあろうお方が、自身の隊の治安を乱してどうするのだ。完全に准将に弄ばれている私は溜息を吐いて軽く反論でもしようとしたら、「それは聞き捨てなりませんね」頭上に声が落とされて急に肩を抱かれた。ま、まさかこの声とこの手は――

「フン、やはり貴様と知り合いか」
「恋人のロイ・マスタングです」

 なんで来ちゃうかな~~~!?
 ロイが浮かべた完璧な笑みは、アームストロング准将を苛立たせるのには十分過ぎる程の威力を持っていたらしい。不穏な空気がそわりそわりと私達を取り巻き始める。
 やはり――准将は確かにそう言った。
 はじめは軍の人間が随分とチャラついているなと思う位だった。だが、何気なく始めた雑談でマイルズの名を出した途端にロイの纏う空気が変わり、ちらちらと視線を感じるようになったらしい。それで私とロイに何かしらあると踏んで、今まで会話を進めていたのだ。
 いくら私に関する話題だからって、頼むからもっと上手く誤魔化してよ。


「イエス、マム!」

 不機嫌さを隠しもしない准将の声に、思わず背筋を伸ばして敬礼してしまった。

「マイルズにしておけ。命令だ」
「職権乱用は頂けませんな、閣下殿」

 私が返事するよりも先に、相変わらず私の肩を抱いたまま笑みを崩さずロイが食い気味に返事をした。

「貴様は黙っていろ。さっきまで他の女を抱いていた手でに触れるな。斬り落とすぞ」
「その件に関しては、ときちんと話をつけております。閣下が口を出すような問題ではないかと」

 あ゛~~~見える、見えるよ、バチバチとした火花の幻覚が。

「す、すみませーん! 今すぐ紅茶を持ってきてもらってもいいですかー?!」

 よもや東に来てまで極寒の地に突き落とされるとは思わなんだ。氷点下までに下がったこの空気を紅茶であたためられるか定かではないが、私はこの空気を切り裂くように店員さんを呼ぶのだった。



「さ、アームストロング准将もロイも、この紅茶を飲んで落ち着いてください」
「む……」
「ああ……」

 一触即発だった二人をなだめるようにカップを差し出せば、大人しく紅茶を口に含んでくれた。やっと落ち着いたようだ。

「紅茶と言えば、が飲みたいと言っていたシン国産のキームンの茶葉が手に入ったんだ。今日の夜に渡すよ」
「ほんとっ?! 嬉しい! すっごい楽しみ! 美味しく淹れてあげなきゃ!」

 思えば、准将に向けたロイのわかりやす過ぎる挑発だったのだが、紅茶に目がない私はキームンをどんな茶器に淹れてあげようかと考えるのに忙しくて気づかない。
 かくして、終わらない戦いの鐘が鳴った。

「キームンならば、この間私が中央から取り寄せたシノワズリの茶器が合うな」
「さすがアームストロング准将! 私も今まさにその茶器を思い浮かべておりました! やっとあの子達が満足するお茶を淹れられそうです!」
「楽しみにしている。ああでも、お気に入りの茶器に注がれた茶を東の田舎者に飲ませられなくて残念だな」
、もちろん今夜は私の家にある"二人の思い出のカップ"に淹れてくれるんだろう?」

 ロイもアームストロング准将も、私が紅茶だけでなく紅茶を淹れる茶器も好きだという事を知っており、二人は何かと茶器を贈ってくれる。その度に私はその子達に合う茶葉を探すのだ。

「貴様の性格は嫌という程わかった……今のうちに出る杭は打っておかねばな。表へ出ろ」
「閣下、人の恋路を邪魔する者はなんとやら、ですよ」

 いつの間にかお茶を飲み干したロイとアームストロング准将はがたりと席を立つ。
 どうしてこうなっちゃうのかな~~~???

「す、すみませーん! お料理ってまだ来ませんかー?!」

 この攻防は料理が来ても続き、肝心の料理の味はまったくわからなかった。なんて日だ!
 こうして二人の確執は生まれ、その関係性は後々も引き摺る事となる。






*







 アームストロング家にて――



「……私にもしもの事があったらこの屋敷丸ごとくれてやってもいいぞ」
「それは私との仲を認めてくださったと解釈しても……?」
「貴様が死んだ後、が路頭に迷わないためだ」
「私が先に死ぬのが前提なんですね……」
「当たり前だろう。あれは"私の"部下だぞ。簡単には死なん」
「そうですね。"私の"は決して私を遺して逝くつもりはないようだ」

 姉弟喧嘩で壊した屋敷の修繕作業は今日明日には終わるとされていたが、どうやらもう少し日が延びそうである。






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