これでも軍人として多くの人を助けてきたけど、まさか腹を空かせて行き倒れている男を助けるとは思わなかった。
「地獄に仏とはこのことダ! こんな可愛い女の子にご飯をご馳走になれるなんてナ!」
陽気な笑顔を浮かべ、片言で話す男は見事にデザートまで平らげてみせた。自他共に認める大食いの自信はあったが、久しぶりに自分より食べる人間を見た気がする。
女の子だなんて歳でもないんだけど、私服で出歩いて年相応の女性に見られた試しがない。ましてや職業が軍人なんて言っても誰も信じやしないし、この童顔のせいで散々色んな人間に揶揄われたから今更とやかく言うつもりはなかった。
「お腹は一杯になった? シン国の御仁」
「ああ! ……ん? どうして俺がシンの人間だとわかったんダ?」
「生憎この辺りの人間で仏を信仰している者はいないし、その訛りはシン特有のもの……私の母と同じだからすぐにわかったよ」
私の母は小さな部族の皇女だったらしく、シンからアメストリスに亡命してきた。殺し合いという名の権力争いから逃げてきたのだ。そんな時偶然父と出会い、右も左もわからなかった母を匿った事がきっかけで結婚に至り、私が生まれた。それから次々と子宝に恵まれ、果ては両親と七人兄弟の大家族となった。
「七人兄弟! 俺も兄弟は多い方だけど、みんな母親が違うからなァ……」
「それにしたって兄弟が多いのはお国柄なのか……?」
家族に囲まれ、騒がしくも楽しい日々。きっと母も幸せだったはずだ。
「幸せ、だっタ?」
「流行り病でね、もう何年も前に亡くなったよ」
母は最後の最期まで故郷と家族の身を案じていた。私達との暮らしを享受する一方で、一族や国すらも捨てて逃げてきたのをずっと悔やんでいたのだろう。だが結局母は、私達の前では決して弱音も涙も見せずに微笑んで亡くなった。
「私にとってシンは完全な他国とは割り切れない国だ。だからこそ、母のような立場の人間であっても安心して暮らせる国になれるよう願っている」
「なるほド。俺を助けたのは母上と同郷のよしみだからカ」
もちろんそれもあるが、残念ながら最初に過ったのは、行き倒れている人間は助けろという父の教えであった。そうして自分が母と結婚したからって、あんなに口酸っぱく言う事ないと思うが。
「ははハ! 何にせよ、腹が減って死にそうだった所を助けてもらった事には変わりないサ!」
「私はこの世で我慢ならんものが二つあるんだ。一つは冷えたスープ、そして空腹だ」
そんでもって今だけ追加でチンピラ。
「ここのメシは虫が入ってるからこんなクセェのかぁ?! 店員さんよぉ!!」
こんな典型的なチンピラがいるのかって位ベタベタなチンピラが店員に突っかかっていた。誰がどう考えても、あらかじめ虫を仕込んでタダ飯を食う算段だったとわかる。しかし、残念ながら証拠はどこにもない。店員はただ頭を下げるばかりだ。談笑をしながらご飯を食べていた他の客も気まずそうに視線を泳がす。
「ハァイ、お客さん。随分と熱くなっているみたいだから、少し頭を冷やしたらいかが?」
「なんだ嬢ちゃん、文句あんならこの店員に……ッ?!」
顔の半分を凍らされたチンピラは目と口をかっ開いて固まった。
たとえお嬢ちゃんに見えても、超武闘派で知られていた今は亡きアイザック・マクドゥーガルの元で学んでいたし、軍に入るなら一か月ナイフ一本でブリッグズ山を生き延びろと父親に言われて無事生還を果たした女だ。こんなド三流が服を着たようなチンピラに、万一にも負ける要素など見当たらない。
「お詫びと言っては何だが、私から特別サービスだ」
ビアが注がれたグラスを氷漬けにしてチンピラに持たせる。グラスを持つ手は震えていた。ああ、なぜだろうな。人を陥れるのには慣れているくせに、寒さには慣れていないのだろうか。
「これで勘弁してもらえる? それとも、もっと冷たいのがお好き?」
錬成陣が刻まれている手を見せつけるようにチンピラの前にかざせば、かろうじて動かせる首の筋肉を使って頭を振った。その返答に満足した私は男に差し出していた手を、今度は場の雰囲気を変えるように二、三度パンパンと叩いた。
「ここまで私のアイスショーにお付き合いくださりありがとうございます! そんな皆様に、私からちょっとしたサプライズをお届け致しますね!」
我ながらちんけな誤魔化し方だと笑いながら両手を合わせ、空に手を伸ばせば、錬成反応特有の光が辺りを包んだ。一瞬だけ人々が怯んで目を閉じ、そして目蓋を上げる。
「す……すげぇ……俺、知ってるよ……雪って言うんだろこれ……」
「ママー! 僕こんなの初めて見たよー!!」
「とってもきれいねぇ」
こんなパフォーマンス染みた事をしたのは、あの時と錬金術師の国家試験の時以来だ。試験では自分の最大限の力を出せたし、最後に雪でも降らせたら面白いかと思ってやってみせたら、それを影で見ていた大総統が気に入り、"白雪"という二つ名を決めたらしい。しかも大総統が白雪にかけて白雪姫と呼ぶもんだから、こっちは必死に作り笑顔を浮かべる羽目になった。十代ならまだしも、三十近くに姫は寒すぎるだろう。
まぁでも、太陽に照らされてきらきらと輝く雪が舞う光景を見て皆が笑顔になるのなら、二つ名に恥じない行動が少しでもできたかなと思える。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
これからの未来を担う希望に溢れた小さな少女の手が、私の薄汚れた手をきゅっと強く握った。
そうだ、本来錬金術とは人々に幸福と笑顔を齎すものなのだ。それなのに今や国家錬金術師は軍の狗と呼ばれ、人間兵器へと成り下がってしまった。そんな現実から目を背けるように少女の頭を撫でようと手を伸ばしたら、ばっと誰かが私の手を取る。
「惚れタ!」
私の手を握り締めてきたのは、今さっき助けたシンの者だった。
「は?」
「名前を教えてくレ!」
「・だけど……」
「! 俺はシン国第十二皇子のリン・ヤオ!」
「はぁ?」
「この国には不老不死になれるという賢者の石を求めてやってきタ。それさえ手に入れば俺が皇帝になって、シンをが望むような国にしてみせル。だから俺のお嫁さんになってヨ」
「はぁああぁあ?!!」
女の子ならば一度位憧れたことがあるであろうお姫様になんてなりたくなかった。いや、黙って王子様をじっと待つお姫様になんてなれやしないってのが正しいのかもしれない。いつか王子様が――なんて夢を見ている白雪姫なんて柄じゃない。
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