蜜雨

「エドワード君、アルフォンス君。お疲れ様」

 合成獣錬成の研究者であるタッカーさんの家で、元に戻る手掛かりはないかと資料を漁る合間に、休憩と称してニーナとアレキサンダーと遊んでやっていると、通りがかった中佐が手を振ってくれていた。いつもは北にいる中佐が東にいるなんて珍しいと声を掛けると、東方司令部で開かれる会議に招集され、わざわざブリッグズ要塞からやってきたんだそうだ。やけに大佐の機嫌が良いと思ったら、理由はこれか。そりゃ愛しのオヒメサマが自分の元に来るとなりゃ、あの大佐も浮足立つのは当然だろう。
 事情はわかったが、小さな体躯に似合わぬ大きな紙袋は何だろうと視線を移すと、様々な種類のパンがいっぱいに詰め込まれていた。堅っ苦しい会議が長引いたおかげで昼飯を食いっぱぐれたのだと、笑顔で言い放つ割に圧がすごい。この間のお茶のこだわりっぷりといい、どうやら食にはうるさいタイプのようだ。つか、そのパン全部食べるつもりじゃないだろうな、この人。

「お兄ちゃん、そのお姉ちゃんだあれ?」
「ああ、ニーナ。この人は――」
「お兄ちゃんの友達のだよ、よろしくね」

 駆け寄ってきたニーナに目線を合わせながらしゃがんで笑うその横顔は、軍人とは思えぬほど可愛らしい。本当に軍人か?そう疑いたくもなるが、青を基調とした軍服を纏うこの人は紛れもなく国家錬金術師。軍の狗だ。そして、この若さで中佐の地位を得ている。ということは、軍人としてそれ相応の功績を挙げているのだ。

「あ、そうだ! みんなソーセージロール食べる? それともホットクロスバンがいいかな?」

 紙袋からごそごそとパンを取り出すが、それでもなお一人分以上のパンが残っている。軍部内で誰かと分けるからその量なのか、それともただ単に痩せの大食いなのか。本当に中佐は見た目と中身が違い過ぎる。大佐はこのギャップにコロッといってしまったクチだろうか。今度からかい半分に訊いてやろう。
 思わぬおやつに目を輝かせたニーナは飲み物を準備すると言って、台所へ走った。中佐は転ばないようにね、と優しく見送りつつアレキサンダーを撫でる。犬の扱いには慣れているのか、すっかりアレキサンダーを手懐けていた。

「はぁ~久々のもふもふ~癒される~~~」
「久々って事は、中佐も犬飼ってるんですか?」

 とろけた笑顔でアレキサンダーのもふもふを堪能する中佐に、アルが純粋な疑問を投げた。

「うん、実家でね。うちの子もこんな感じの大型犬で……むしろ私が生まれた北のど田舎では、どの家も犬を飼ってるよ。犬は狩りをしたり、ソリを引いたりできるから、北の厳しい環境で生活をする上で、すごく重要な役割を担っているんだ」
「狩り!? うわー、本当に犬がそんな事できるなんてすごいや!」

 ね、兄さんとアルが無邪気な視線をオレに向ける。鎧姿では表情こそわからないが、アルが今どんな表情を浮かべているかなんて、声の抑揚だけで容易に想像がつく。なんせ生まれた時からずっと一緒にいるのだから。

「……なあ、中佐。言いたくなかったら答えなくていいんだけどさ、なんで中佐は軍なんかにいるの?」

 自分達の知らない世界に触れて興奮しているアルをよそに、オレはオレで中佐に疑問をぶつけた。中佐はきょとんとした後、吹き出した。

「なっなんだよ! なんも笑うとこなんて……!」
「ああ、ごめんごめん! ふふっ……気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、昔ロイにも似たような質問されたことあるからおかしくて……!」

 エドワード君とロイってどこか似てるなって思ってたんだけど、ここまでとは――と中佐はいまだ笑い続けていた。同族嫌悪ってやつですよね、とつられてアルまで笑い出す始末。

「あ゛ーもう! で、どうなんだよ中佐!」
「ううん? 私がなんで軍にいるかって? それは……」

 居心地が悪くてついつい声を荒げてしまう。誰があのクソ大佐と似てるだって?!
 見かねた中佐は話題を戻すが、もったいぶるように言葉を区切り、一呼吸置くとにっこり笑って口を開いた。

「お給料がいいから!!」

 どーんと効果音がつきそうなほど声高に宣言する。もちろんオレとアルはずっこけた。
 しかし、中佐の話にはまだ続きがあるらしい。

「北部の、特に私の実家がある町は貧しくてね……しかもうちは七人も兄弟がいるものだから、長女の私が稼いで家族を守らなきゃって小さい頃から思ってたんだ」

 幸い北方司令部が近くにあるから、軍には昔から馴染みがあった。猟師兼食堂を営む父親には銃やナイフの扱いを叩き込まれたし、体格は小さいけど体力と根性はある――そこは何気にオレとキャラ被ってんだな、中佐って。

「なんでもさ、きっかけってのは些細な事なんだ。私が錬金術を学んだのだってそう……」

 はじめは家族を助けられるだけで良かった。それがやがて町の人々も助けたいと思った。
 北部で生活を送るには、雪は切っても切り離せない存在である。雪が降らなければ雪解け水が出ず、その年は水不足に悩まされるし、大量に降ったら降ったで、時には人が死ぬ事もある。北部の人間からすると、雪は恵みにもなるし脅威にもなるのだ。その脅威を少しでも減らしたくて、シン国出身の母親からは語学や体術の他に錬丹術の手解きを受け、近所で有名だった錬金術師シルバ・スタイナーが遺した書物を読み漁り、昔からの知り合いで兄のように慕っていた国家錬金術師から教えを請いた。

「錬金術は私にとって……いや、家族や町の皆にとって希望になった」

 雪の重みで家が潰れそうになった時、雪で道が塞がれたり汽車が立ち往生した時、錬金術でたちまち何とかしてしまう中佐は、すぐに町の英雄となった。

「はじめて自分の錬金術が人の役に立った時、皆が笑顔になったんだ。それが、今でも忘れられない」

 そう語る中佐と、母親に褒められたい一心で錬金術を勉強していた幼い自分が重なる。ああ、オレ達も同じだ。いつだって動機は単純で明快なんだ。もう一度母親の笑顔が見たくて、褒めて欲しくて――そうした自分達の身勝手な気持ちだけ押し付けて、禁忌を犯した。

中佐は、きちんと錬金術を人々の為に使ってるじゃないですか! お金目的で錬金術を悪用する人達とは全然違う! 僕は中佐の事、その……月並みですけど、すごいと思います!!」
「ありがとう、アルフォンス君。でもね、全然すごかないよ。極論を言ってしまえば、自分の家族を養うお金を得られるのなら軍の狗にだってなるし、その他大勢は犠牲になってもいいって考えだからね」
「それでもオレは、自分の意志を貫き通しつつ、その他大勢の人々すら助けてしまう中佐は立派だと思うぜ」
「エドワード君……」
「それに、自分の手に錬成陣を刻むのも相当な覚悟の表れだろうし」

 掌に錬成陣を刻むということは、いつでも錬金術を使って戦う覚悟がある証拠だ。戦場へ行き、国の為国民の為だときれいごとで塗り固めた大義名分を掲げ、錬金術で人を殺す事も厭わない。その可憐な笑顔の下に隠されているのは、生半可な覚悟ではないだろう。

「ああ、これ? お金がなかったから、知り合いの彫師さんに頼んで安く手に彫ってもらっただけだよ」

 銃やナイフはもちろんロイの発火布とか意外といい値段するんだよねえ、と苦笑を浮かべる中佐に、オレとアルは再びずっこけた。これまでのシリアスなモノローグが台無しだ。
 道具はいつか壊れるが、自身の手ならば買い替える必要はない。確かに、確かにそうなのだが、まったく本当に、この人の事を知れば知るほど謎が深まる一方だ。ああ、大佐が中佐に夢中になるのも頷ける。錬金術師になる奴なんて、大抵は探究心が強い。つまり、大佐は中佐の中身を掘り進めた結果、後戻りが出来なくなるくらいハマっちまったのだ。そうして今も抜け出せずにいる。



 飲み物を持ってきてくれたニーナとおやつ(中佐は遅めの昼食)を摂り終わると、そろそろ帰る時間だと中佐が立ち上がった。今日中に東部を発つので、それまでにまた一仕事しなければならないらしい。オレ達はともかく、ニーナとはもう会うことはないかもしれない。その事実を口に出さずとも悟ったニーナは、あからさまにさみしそうな表情を浮かべる。

「お姉ちゃん、もう帰っちゃうんだ……」
「そんな悲しそうな顔をしないで……そうだ、特別にいいもの見せてあげる!」

 まるで子供のように無邪気に笑う中佐は、庭にあったホース付きの立水栓へオレを呼び寄せた。オレをはじめ、アルやニーナは首を傾げるばかり。完全に置いてけぼり状態のオレらに構わず、中佐はホースの先を絞って上空へ向かって水を出した。そのまま四方八方に水を撒くように、とオレにホースを託すと、中佐は両手を合わせてから掌を空に翳した。すると、青白い錬成反応が起きる。

「う、わあ……!」
「これは……雪?!」

 雪が降る季節でもないのにオレ達の頭上には真っ白な雪がキラキラと降り注ぎ、立ち所に辺り一面が美しい銀世界と化した。ニーナとアルは、まるで天に祈りを捧げるように手を伸ばしてはしゃぎ回り、オレはオレでぽかんとバカみたいに口を開けるしかなかった。
 白雪の錬金術師――中佐の二つ名だ。その名に恥じぬ、素晴らしい錬金術である。そうだ、錬金術とは本来大衆の為に在るべきなのだ。富や名誉、権力、ましてや戦争の為なんかじゃない。
 たとえ金の為、家族の為と他を犠牲にしていようとも、中佐が今オレ達に喜びを与えている事実に偽りはない。だからオレは、まかり間違っても自分は殊勝な人間でもましてや善人なんかじゃないと、自ら言い放つ中佐が悪人だとは思わなかった。むしろこんな正直な人、人として好きになるしかなかった。こんな事大佐に言ったら私の自慢が始まるか、嫉妬で燃やされるか、はたまたその両方か。どちらにしろ面倒くさそうだ。

「……どうか彼らに"美しい未来"があらんことを」

 眩しそうに目を細めて微笑む中佐が何か呟いたような気がしたが、ニーナとアルの楽しげな声にかき消され、オレの耳に届くことはなかった。






*






「そう……イシュヴァールの民……傷の男が……」
『ああ、あともう一歩のところで逃げられた。がいたら凍らせて拘束も出来たんだがな……』

 電話口から聞こえるロイの声は沈んでいた。本人は何でもないように振舞っているが、長年苦楽を共にしてきた私にはわかる。
 錬金術を使った人の殺し方は、すべてイシュヴァールの民によって教えられた。染みついた数多の血は拭っても拭っても消え去る事はない。確実に我々の中で磨かれた技術としていつまでも残り続ける。だからこそイシュヴァール殲滅戦は、今でも生々しい記憶が在るのだ。だが、それでいい。決して忘れてはいけない、目を背けてはいけない。ずっとこの咎を背負って生きていく。私もロイもそう心に誓っていた。

「エルリック兄弟の様子は……?」
『タッカー氏の件で大分へこんでいたが、今じゃすっかり前を向いて歩もうとしているよ』
「そっか……彼らは強いね」
『……ちっぽけな人間だと――』

 ロイの呟きが小さすぎて、私は「え?」と聞き返した。

『鋼のは、たった一人の女の子さえ助けてやれないちっぽけな人間だと言っていたよ』

 その言葉は、イシュヴァール殲滅戦の終戦時に一人の力などたかが知れていると呟いたロイと重なる。

「……やっぱりエドワード君とロイって似てるね」
『ム……私に似てるからと言って鋼のを好きに「なる訳ないでしょ、バカ」

 同族嫌悪も、嫉妬深いのも、大概にしてほしい。



 エドワード君は自身をちっぽけな人間だとののしるが、そんなの私達だってそうだ。護るどころか、むしろ奪う事の方が多かった私達こそちっぽけな人間である。だからこそロイはエルリック兄弟へ優しい言葉をかけなかったし、へたな慰めもしなかったのだろう。こんな私達が彼らへ偉そうに講釈を垂れられるはずがない。

「おやすみ、ニーナ」

 "美しい未来"で待っていて――












(基本原作準拠でお話を書いておりますが、旧鋼でニーナが雪ではしゃいでたのを見て突発的に書いたお話。ニーナ特別EDが印象的)






BACK / TOP