※最後のラスト対戦時の話
「ッロイ!! ハボック!!」
のこんなにも焦った声は初めて聞いたかもしれない。焼け焦げた室内で大の男が二人して血を流して倒れていたら、さすがの彼女も取り乱すのか。まだ私は恋人の新たな一面を知れて喜べる余裕があるらしい。
「は、はは……勝利の女神はまだ微笑んでくれてるよう、だな……」
「何笑ってんの?! 今死んだら殺すからね?!!」
無茶苦茶な事を言いながらも、しっかりと私に止血を施すはやはり幾多もの修羅場を乗り越えてきた軍人であり、最高の恋人だ。
「あとの傷は自分で焼いて塞いで」
だってそうだろう、どこの世界に恋人に向かって傷は焼いて塞げなんて平然とした顔で言い放ち、他の男の処置に向かう女がいるんだ。私の勝利の女神はなかなかに手厳しい。だが、それでこそ私の恋人だ。
が安全圏にある私を先に治療したのには理由がある。深手を負っているハボックの傷を私に焼かせるためだ。だから今彼女は、私が復活する時間を計算に入れて動いているはずである。どうだ、私のはイイ女だろう――なんだか無性に世界中に触れ回りたい気分になってきた。
激痛とが来た事で生まれた気の緩みで、おかしくなっている自覚はとっくにしている。
いつかのイシュヴァール戦の時もの指示で部下の傷を焼いて塞いだが、それがまさか今度は自分で自分を焼くなんてな。あの部下は今も元気だろうか。「ロイ! ロイ・マスタング! 気をしっかり保て!!」私の名を必死に呼び続けているの声に、いつの間にか遠のいていた意識が引き戻された。眼前にはの顔。この赤い唇には、いつキスをしただろうか。
「……キスしたい(大丈夫だ)」
人間限界が近いと本能に従うらしい。見事に本音と建前が逆になった。
私が譫言のように囁いた煩悩は、しっかりとの耳に届いていたらしい。彼女は切羽詰まった表情から、呆れたように笑った。すぐに柔らかい感触が私の唇を掠める。キスにはモルヒネの約十倍の効果が期待されているというが、あながち間違いではないかもしれない。色んなものが吹っ飛んで、生きてて良かったとすら思えるのだから。
軍人はいつか路傍でゴミのように死ぬかもしれない。だからこそ今を精一杯生き、今できる事はしておくというのが私との信条だ。こんな時でも忘れていないのが実にらしい。
「続きは人の男に手を出した女を殺してから、ね」
そう言って彼女は・から、中佐の顔になった。
(「(彼女が実は人造人間で、おまけにその彼女に殺されかけたっつー最高の失恋を味わってんのに、なんで俺上官のラブシーン見せつけられてんだろ……)」)
※過去捏造
※最後のエンヴィー対戦時の話
「嫉妬?」
「ああ、おまえ達とはもう長い付き合いだが、俺ぁおまえが嫉妬してるの見たことねぇ」
ロイの野郎はいまだに俺との距離が近ぇってぼやくのによ、とぶちぶち文句を言いながらも、マースは正確にダーツの矢を中央に当てる。さすがナイフ投げの達人。ダーツもお手の物だ。よくマースは私達錬金術師をデタラメ人間というが、私からしたら十分マースもデタラメ人間である。
「確かに"女"に嫉妬はしない」
こうしてマースとダーツバーで時間を潰しているのには理由があった。ロイが綺麗な女性とディナーデートをしているからだ。もちろん私もマースも、そうやって他人の目を誤魔化してロイが情報収集をしているのはわかっている。だから嫉妬なんかしないのだが、マースやロイまで、頭でわかっていても嫉妬してしまうのが恋愛だろうと熱く語ってきた。こういう時の男って面倒だし、なんならその辺の女よりもロマンチストで本当に困る。
「でも、私はいつもマースに嫉妬してるよ。男の友情って私じゃあ割り込めないから」
それこそどうしようもないって頭でわかっている。けれども時々味わう疎外感に嫉妬してしまうのだ。男同士言葉を交わさずともわかり合っている――あの空気は私には出せない。
男は女心をわかっていないとよく言われる。実際ロイのように女心を掌握するのがうまい男がモテるのが現実だ。だが、結局女も男心なんてわかっていない。だから私はロイの一番の理解者はマースなんじゃないかって思ってしまうのだ。きっとそう言ったら、ロイとマースは互いに不快感を露わにした顔を見合わせるだろう。ほうら、そういうとこに私は嫉妬してるんだよ。
「なんだよおまえら二人して俺に嫉妬して! 俺のこと大好きか!」
あの時豪快に笑ったマースの顔は今でも鮮明に思い出せる。
思えば士官学校時代からマースはずっと私とロイの隣にいて、私達を繋いでくれた。それは今も変わらないのに、マースという人間はもう居ない。
*
自在に姿が変えられる人造人間のエンヴィーは、最愛の妻であるグレイシアに化けてマースを殺した。その事実を知った今、憎しみに全身が震え、心臓が嫌な音をたてて脈打つ。くらりと眩暈がする。殺せ殺せと頭に血が上り、頭痛までしてきた。負の感情に呑まれそうになる。
「中佐……大丈夫?」
すべてを吐き出すように深く息を吐けば、私の後ろに控えていたエドワード君が険しい顔で声を掛けてくれた。その横でリザも不安を隠し切れない表情で、エンヴィーと交戦中のロイの背中と私を見つめていた。
なさけない。私達は子供と部下にこんな顔をさせているのだ。しかし業腹のロイがそれに気づくことはない。
「……大丈夫だ。エドワード君は行ってくれ」
緊張を和らげるように笑ったつもりだったのに、その私の顔がよっぽど酷かったのか、エドワード君は何か言おうと口を開きかけたが、私の圧に押されてぐっと口を噤んだ。そうして後ろ髪を引かれながらも、その場を他の仲間達と共に去っていく。残されたリザは汗こそ滲んではいたが、すでに覚悟を決めた顔をしていた。
「リザ、もしもの時は頼んだ」
「中佐も、もしもの時は約束……守ってくださいね」
「ああ……死んでも守るよ」
マースが何者かに殺された時、ロイの身体に狂気の焔が灯った。その焔が猛々しく揺れるたびに、私までこの焔に喰われては駄目だとなんとか正気を保つ。イシュヴァール戦の時、マースに言った言葉は今も私の中に在るのだ。
『ロイが生真面目に何でもかんでも背負い込む姿を見るほど――ロイの強さの裏に隠された弱さを知れば知るほど、私は強くあろうと思えるんだ』
だから私が畜生の道に堕ちる訳にはいかない。
「ッロイ!」
「……来るなと言ったろう!」
曲がり角でロイと対峙すると、苛立ちや焦りと怒りが綯い交ぜになった表情で控えめに怒鳴られた。どうやらエンヴィーは見失ったらしい。こちらとしては好都合だ。
「今だリザ!!」
私の声でリザが水道管を撃つと、狙い通り飛び出た水がロイを水浸しにする。その怯んだ隙に私はロイの腹部に掌底を打ち込み、顔から下を氷漬けにした。その間もずっとリザの照準はロイの背中だ。
「こんの暴力女ァ!! なんで最初から偽物だと気づいたんだっ!!?」
「貴様……エンヴィーだったのか」
堅牢な氷に包まれて身動きが取れないエンヴィーは、ロイの顔を苦悶の表情に歪めて喚き出した。
いくら私達が仲間であるロイに奇襲を仕掛けたとはいえ、自ら正体を明かすなど愚の骨頂。やはりこいつは馬鹿だ。
「このエンヴィー様と気づいてなかったくせに、何の躊躇もなく恋人をこんな目に遭わせやがったのかよ!」
「ああ。ロイに貴様を殺させる訳にはいかなかったものでね、ここで無力化してやろうとリザと作戦を立てていた」
こんな奴にマースが殺された。落ち着け。許さない。冷静になれ。憎い憎い憎い。復讐の焔に心を焦がすな。
「だが、もうそんな必要はなくなったな……今ここで貴様を始末するのだから」
「……ッハ! 果たして中佐殿は愛しい恋人の姿をした人間を殺せるかな?」
「貴様の考えなどお見通しさ。親友であるマース・ヒューズと同じ手で私達を殺そうと思ったのだろう?」
そうやってエンヴィーは愛する者に殺される最期を見て醜く笑うのだ。いかにも小賢しい奴が考えそうな最高のシナリオじゃないか。だが今回は私達を見下し、わざわざ手の内を見せる余裕や慢心、自信家な性格が仇となったな。
「あまり私をなめるなよ。たとえロイの姿だろうが、貴様の首を捩じ切るのは造作もない事だ」
ロイの姿をしたエンヴィーの頭を掴み、内部で爆発を起こさせる。
私やロイなんかよりも頭のキレる親友が遺してくれた敵の穴。おかげで私は同じ轍を踏まずに済んだ。死んでもなお、私はマースに助けられっぱなしだ。今度墓前に美味しい酒を用意しなければならない。
「中佐……」
「大丈夫。私は大丈夫だ、リザ」
淡々とエンヴィーを殺していく私に、リザが心配そうな声を上げる。私は自身に言い聞かせるように大丈夫と繰り返すことしか出来なかった。
もちろん燃え上がる憎しみに、本能のままエンヴィーを嬲り殺したくなる。だが、それではロイの二の舞だ。堪えろ、最大限まで感情を押し殺し続けるんだ。
エンヴィーを殺し尽くせば、頭部から醜く小さい生き物が飛び出てきた。きっとこれがエンヴィーの本体だ。大分弱っている。もう一度殺せば完全に死に絶えるだろう。
私がエンヴィーを足で潰して逃げられないようにしていると、「、止めろ」地獄から這い出てきたような低い声が私の背筋をぞわりと撫で上げる。
「……ロイ……」
今度こそ本物のロイだ。
「そいつを最後に殺すのは私だ」
「いいや、私だ」
睨みつけてくるロイを睨み返しつつ、リザに目配せをする。私の意図を汲んだリザは頷き、先刻とは別の水道管を撃ってロイに水を被せた。
「……っく! なんのマネだ!!」
「ロイにエンヴィーは殺させない」
「ふざけるな!! おまえなら私の気持ちがわかるだろ!!? 奴に最低の死を与えてやるのは私だ!!」
ロイの悲痛な怒号が響き渡る。
ああ、わかるさ。今じゃ私がこの世で最もロイを理解している人間――わからない訳がない。だからこそロイの前に立ち塞がっているのだ。
「それが国を守る礎になりたいと言った奴の言葉か?! そんな人間が国のトップに立って"美しい未来"を築けると思うのか!!?」
負けじと私も声を張り上げる。
胸ポケットに仕舞ってあった写真をロイに突き付けた。士官学校を卒業した直後に、軍服を着て三人で撮った集合写真だ。思った以上に軍服が似合わなくて不貞腐れている私、せっかくの写真なのだからとキリっとした表情を浮かべるロイ、この後の飲み会が楽しみすぎてすっかり気の抜けた笑顔のマース。何もかもが輝いていて、青臭い理想を語り、美しい未来を思い描いていた時が切り取られている。
「その顔でマースに顔向けできるか?!! 今のロイは国のためでも仲間を助けるためでもない! ただ憎悪に蝕まれてエンヴィーを殺そうとしかしていないんだ!!」
「やっとだぞ!! やっと追い詰めたんだぞ!!!」
烈火の如く襲い掛かってくる憎しみの波を押し殺すように呻く。その声は今までになく掠れていた。
私が水浸しにしたせいで、摩擦を起こしても決して焔が生み出される事がない発火布をはめた手が震える。
「大佐……もうおやめください……」
ロイをずぶ濡れにした後からずっと背後で銃を構えていたリザが静かに声を上げた。
「ロイに銃を向けているリザの心情なんて、今のロイにはわからないだろうね……」
ロイがリザを補佐官に任命した時、唯一リザが私に頼み事をしてきた。『もし私がマスタング少佐を撃つ事があれば、その後は少佐が私を殺してください』あの時のリザの顔と、今のリザの顔が重なる。それはつまり覚悟を決めているという事だ。
「リザがロイを撃ち殺した後、私はリザを殺さねばならない。狂気を生み出す焔の錬金術もろとも……それがロイの理想か?! 違うだろう!!」
自分が非力な人間だからこそ、全てを守るには仲間の協力が必要だ。ロイが仲間の命を守り、その仲間がまた別の命を守る。そして何が何でも意地汚く生き、皆でこの国を変える。
そんなロイの青臭い理想の実現を見届けたいと思ったから、私とマースはロイの隣を守っていたのだ。そうしてリザのような信頼のおけるかけがえのない仲間ができた。それなのになぜロイは自らの理想に反して死を厭わず、道を外して仲間に殺されるような事をしているのだ。自分の死が仲間を殺すのだぞ。
「……私は、大馬鹿者だ……」
ふっと焔が消えた音がした。
ロイの強張っていた肩の力は抜け、悲し気に眉を寄せた表情でどしゃりといまだに水が残る床に崩れ落ちる。
「ヒューズと約束したのにな……を絶対泣かせないと……」
ロイとは士官学校時代からの付き合いだが、マースが死んだ時まで一度だって泣いた事はなかった。今回だって泣くつもりはなかったのに、涙を凍らせることはできなかったらしい。いつの間にか感情が高ぶって自然と涙が流れていたのだ。
「きっと許してくれるよ……俺も泣かせたからおあいこだ、って」
嫉妬は愛にも憎しみにも似ている。
そんな感情を私とロイから向けられていたマースは、嫉妬に焼き尽くされようとしていたロイと、これから嫉妬を手に掛ける私を見て何を思うのだろう。
もうすぐだ――もうすぐ終わる。どうか安らかに、親愛なる友よ。
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