蜜雨

第一訓

 桜が美しく咲き誇っている季節だった。
 昼間のかぶき町は平和だ。夜は薄汚れた金と酒と女と男が入り乱れているが、今は寝静まっている。あの喧騒はどこ吹く風と閑散としたかぶき町で営業している万事屋銀ちゃんには訪れていた。

「ごめんくださーい!」

 そこは自宅兼事務所のような店構えで、入口には注意書きも何もなく、一目見ただけでは普通の家と変わらない。これでは依頼主はさぞや混乱するのではないのだろうか。はインターホンを鳴らして声を飛ばすが、戸の先に人の気配は感じられない。戸を引いてみても鍵が掛かっている。休業日ならばそれ相応の目印だの看板だの付けて欲しいものだ。仕方なく諦めて階段を下ると、スナックお登勢と看板を掲げている店先で煙草を吸いながら掃き掃除をしているお登勢が目に入った。

「すみません、万事屋銀ちゃんは今日お休みでしょうか?」

 咥えていた煙草を指に挟めたお登勢の顔つきは元から穏やかな方ではなかったけれど、の言葉によってより一層顔つきが険しくなった。

「休みだァ? ったく、アイツらの脳味噌は毎日が日曜日だよ……」

 お登勢は煙草を口に含ませて溜息と共に煙を吐き出した。多くは語らなかったが、お登勢の声色はあからさまにあの万事屋に対してあまりよろしい感情を抱いていないようだった。碌なことがないからあんな所行かない方が賢明だというお登勢の思いを察したは密かに笑みを零した。相変わらずあの男は何かしでかしているのだろう――なんら昔と変わらない。はまだ顔も見ていないのに、何故かそれだけで安心してしまった。

「すまないね、せっかく来てくれたのにあいつらどっかほっつき歩いてるみたいだよ。私でよければ言伝しといてやるが……」
「いえ、いいんです。連絡なしに来た私が悪いので……これから行く所もあるのでまた日を改めます」
「……アンタ銀時の奴と知り合いかい?」
「ただの腐れ縁ですよ。それでは、お忙しいところ失礼しました」

 それ以上追及を許さない程流れるようにけれども丁寧に頭を垂れて礼をすると、は足早に去ってしまった。

「あの甲斐性無しに女の旧友……ねぇ」

 大分短くなった煙草を下に落として足でもみ消し、箒で塵と一緒に掃きながら小さくなっていくの背中を見つめて呟いた。あのマダオにはもったいないくらいの美人がはるばる会いに来る理由を考えたが、どうにも思いつかない。あの男が借金をしたとか浮気をしたとかで女が怒って殴り込みという状況ならば納得だが、どう考えてもあれはそんな様子ではなかった。もっとこう、愛おしげで切なさを含んでいて――そんな若さと甘酸っぱさがあった。



 その後すぐに新八と神楽がやって来た。どうやら神楽は昨日志村家に泊っていたみたいだ。

「銀さんに美人な旧友……だと?」
「ババア、春は頭が沸く季節ネ。きっとその女も頭沸いてるに違いないネ」
「アタシも最初そう思ったさね。けど、あれは間違いなく銀時と何かあったって顔してたね」
「あんな爛れた恋愛しかしてなさそうな男に……!!? 駄目だ! 銀さんが借金か浮気したかで女が殴り込みに来るシチュエーションしか思いつかない!!!」

 つい先刻の自分と同じような考えに至った新八に、お登勢もそして神楽も深く深く頷くしかなかった。謎は深まるばかりだがは名前も告げずにお登勢の前からさっさと消えてしまったし、肝心要の銀時に問い詰めようにもまだ帰ってきていないらしい。どうせ長谷川あたりと飲み歩いてその辺で寝ているに違いない。もう酔っ払いが外で寝ていい程にはあたたかくなってきたのだから。






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