蜜雨

第二訓

 真選組屯所前――こんなむさ苦しく物騒な場所に好き好んで訪れる者などそういない。繁華街のかぶき町と違って、お堅い門構えの近くには人っ子一人いなかった。武装警察と呼ばれる彼らの本拠地を目の前にすれば、悪事を働いてなくともなんとなく緊張をしてしまう。そんなの緊張を解きほぐす様な爆発音が響くと、屯所の荘厳な扉をぶち破って人が飛んできた。門の前に立っていたが反射的に避けてしまえば、真っ黒な制服を着た男が勢いよく地べたに叩きつけられた。

「ったく総悟の野郎所構わずぶっぱなしやがって……!!」
「大丈夫ですか?!」

 思わず飛んできた人影を避けてしまい、医者として罪悪感を抱いたは迷うことなくいまだに地面に突っ伏している土方に駆け寄った。しかし驚くべきことに、彼は派手に戸を壊して吹っ飛ばされた割にピンピンしていた。

「あんな爆発に巻き込まれて大した傷もないなんて……」

 さすが本場のギャグ漫画は一味違うという発言は呑み込んだ。

「ん? 誰だアンタ?」
「私のことは今はいいです! それよりも早く手当を……!」

 突然土方の前に現れたが起き上がらせようとすると――

「っち、こんぐらいの威力じゃあ殺せねえか……」

 バズーカを携えた沖田がぽつりと小さく呟きながら原型を留めていない門をくぐり、そ知らぬふりして地面に転がっていた土方を容赦なく踏み潰した。

「っだあああ!! 総悟てめっ思いっきり踏んでんじゃねーよ!!」
「あ、土方コノヤロー無事だったんですかィ。死ねばよかったのに」
「本心がだだ洩れなんだよ!! 少しは隠しやがれ!!!」

 いけしゃあしゃあとした物言いに怒り心頭に発する土方は、自分の背中でのうのうと突っ立っている沖田をひっくり返さんばかりの勢いで起き上がった。しかし彼がそう無様に倒れる訳もなく、バランスを崩される前に軽やかに土方から降りる。相変わらず反省の色はこれっぽっちも見えない。

「あ、あの……真選組の方ですよね?」

 同じ制服を着た者同士仲間である筈なのに、何故この二人はいがみ合っているのだろうか。思えばの以前の仲間たちも小さな(下らない)言い争いが絶えなかった。どうしてこう野郎ばかりの組織は生傷が増えていくのだろう。しかもその傷が敵から受けたのならともかくとして、仲間からもらうなんて――これはなかなか忙しくなりそうだ。



 当初の予定とは大幅に違う屯所訪問になってしまったが、普通に訪れるよりは真選組の内情を知れた気がする。あまり露見しない方が良い内部事情だったかもしれないが、それは一先ず置いておいた。

「いやあっはっはっは! お見苦しい所見せてしまってどうもすみませんねえ!!」

 この豪快に笑うゴリ――近藤は、荒くれ者の集まりである真選組を束ねる局長だ。この笑い方や振る舞いだけで彼の度量の大きさや人柄が伝わってくる。幕府直属の警察とは名ばかりで、実際は局長を慕って集まった集団だとは聞いていたが、どうやら噂通りの組織らしい。

「さ、コイツ等に自己紹介してやって下さい」

 突然大広間に集められたざわつく厳つい隊士達の前では特段怯える様子もなく、堂々と口を開いた。

「本日付で真選組のかかりつけ医を担当させて頂きますです。至らぬ所も多いと思いますが、皆さんが安心してお仕事に励めるよう尽力致します。どうぞよろしくお願いします」

 の言葉を聞いた隊士達のテンションが急上昇していく中(攘夷じゃなくて女医がキター!!!という寒いギャグはこの際目を瞑る)、土方は口に咥えていた煙草を噛み潰しながら隣に座っていた近藤を睨みつけた。

「近藤さん、俺は何も聞いてねぇぞ……!!」
「あれ? 言ってなかったか? 今までのかかりつけ医の山じいがもう歳とかで俺らの相手に疲れちまったようでな、新しい人を宛がってくれたんだ。いやあ、まさかこんな美人が来てくれるとは……ますます仕事に精が出るな!」

 言葉を重ねていくにつれて段々と土方の眉間の皺が深くなっていくのに耐えきれず、近藤は冷や汗をダラダラと垂らしながら捲し立てる様にべらべらと喋った。これ以上土方に自分の連携ミスをツッコまれる前に、に視線を移す。

「それにしても、本当に良いんですか? こんな汚ねえ男所帯のかかりつけ医とか……きっとコイツら意味もなくさんに会いに行きますよ、いや絶対!!」
「この仕事を紹介してくれたのは顔の広い旧友で、私のことをよく知っているんです。ここは戦いで傷ついた人たちが多く集まる場所……私が一番救いたいと思っているのは戦場で傷ついた人達だって知っているからこそ、ここを紹介してくれたんだと思います。だから真選組の方達が私を必要としてくれるのならすごく嬉しいですし、むしろ本望です」

 優しく芯のある声と共に近藤に向かって嫋やかに微笑めば、近藤はくうううと歯を噛みしめて拳を握った。それこそ大袈裟な位涙まで浮かべている。

「ッさん……!! こんな若い内にしっかりと自分の志を持っている人なんてそうはいない! 俺は感動した!! さん、これから真選組をよろしくな!!!」
「はっはい! あの、ちょっ近藤さん距離が……距離が近っ……近いです、もうちょっと離れ――」

 がっしりとの華奢な肩に両手を置いて鼻息荒く迫ってくる近藤から距離を置こうとすればする程、近藤は目を爛々と輝かせて距離を詰めてくる。

「局長セクハラーッッ!!!」
「せっかくの俺らのオアシスを汚すなゴリラァァァァ!!」

 に急接近するセクハラゴリラ改め近藤に野次を飛ばすのは、もちろん魅惑の女医が来て今なら何でも来い状態となった隊士達だ。なんなら今すぐ怪我をして優しく手当されたい者まで現れる始末。

「おいっ今ゴリラっつったの誰だ!? ゴリラっつったの!!」
「やっかましいわお前ら静かにしやがれ!!!! 切腹させるぞ!!!!」
「土方さんが一番うるせェ黙れ鼓膜破れて死んでしまえ」
「総悟てめェェェェ!!!!」

 阿鼻叫喚とはこのことか――はいつしか現実を見るのをやめた。



 なんとか自己紹介を無事終えたは、いまだ隊士達に睨みを利かせている土方に声を掛けた。

「土方さん、あとで医務室に来て下さい。手当しますから」
「こんなもん、ほっときゃ治る」
「駄目ですよ、真選組の副長さんともあろうお方がそんなボロボロでは私の立場がないです」

 真選組の隊士達の怪我を治すのも万全の体調にするのも、かかりつけ医に就任したの役目だ。真選組の顔である副長の土方が怪我をしたままではの職務怠慢が疑われてしまう。そんなの心情を察した聡い土方は何も言い返せずに押し黙った。

「それに……そんな煤だらけでは、せっかくの男前が台無しですよ?」

 くすくすと冗談を交えながら肌触りの良いハンカチで煤けた頬を撫でられると、土方の心臓は波打った。女性にこんな触れ方をされたからではない。以前にもこんな事があった気がしたからだ。だが、何故それが初めて顔を合わせた筈のに対して思い出されたのかわからなかった。

「俺とアンタ、どっかで会ったことないか……?」

 まるで口説いているような土方の言葉には少しばかり目を見開いた。そして言葉を紡ごうとすれば、その前にどこからともなく二人の間に現れた沖田が先刻まで土方が睨みを利かせていた隊士達に向かって叫んだ。

「土方がナンパしてやがるぞォォォォ!!!」
「ぬわァァにィィィィ!!!??」
「副長ォォォ!! 抜け駆けはご法度っすよォォォォ!!!!」
「総悟てめェェェェ!!!!」

 あれ、さっきも見たぞこの光景。
 このままでは埒があかないと判断し、は苦笑を漏らして聞こえているか定かではないが、土方に医務室で待っていると告げて部屋を後にした。



「私とは初対面ですよ……土方さん」

 医務室へと続く屯所の廊下をゆっくりと歩くの囁きは春風に攫われていった。






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