エンドロールが流れ始めて、自分の身体から力が抜ける。その時にやっと自分が少し緊張していたことに気づいた。まさか別れて終わるとは思わなかった。……いや、あそこまでの関係になれば別れるのは自然の流れなんだけど、こんなに世間に受け入れられる作品ならハッピーエンドなんじゃないかと……。安直な考えだったか……。真っ黒な背景に白い文字が流れていくのを眺めながら聞こえてくる曲に耳を傾ける。ふと、テーブルの上に二つ並んだカップに目をやると、どちらも中身を失っていた。
「……、何か飲、」
ベッドに預けていた背中を浮かせて隣に目をやりながら口にした言葉が、ぎょっとしたことで途切れた。は俺を見ずに、真正面に顔を向けたまま静かに涙を零し続けている。多分俺の声が聞こえなかったのだろう。
「……」
少し悩んだ結果、浮かしかけていた腰を戻した。床に座ったまま、と同じように何も言わずにエンドロールを見つめる。……そうか。こういうのでも泣くのか、この子は。が涙脆いことは知っていたけど、恋愛映画でも泣くなんて知らなかった。ヒューマニズム作品を観た時は悲しい涙と感動の涙の二パターンがあったけど、今回はどっちだ。結末としては感動するようなものじゃないと思うけどはそうじゃないかもしれない。でもは基本的に幸せなエンディングを迎える映画が好きだから、今回は悲しみの方じゃないだろうか。しかし、初めて一緒に見る恋愛映画が別れの物語なんてよかったのだろうか。せっかくなら多幸感に包まれるような映画を選べばよかった。この映画のタイトルから何となく感じ取っていたものを、もっと信じるべきだったか。
「」
エンドロールが終わったタイミングで声をかける。今回はちゃんと俺の声が届いたらしい。はぽろぽろと涙を流したまま俺を見た。頬の上で太陽の光を反射して、きらきらして。相変わらず綺麗な涙だ。俺が眉尻にキスをした拍子には瞼を閉じたようで、長い睫毛が肌に触れるのを感じた。
「観なければよかった?」
映画を観終わって泣くの第一声はいつもそれだった。こんなに悲しい映画なら観なければよかった、こんなに泣く映画なら観なければよかった。いろんな条件ではあるけど、泣きながらは毎回言っていた。でも、本当にそう思っているわけじゃない。そして今回もそれは同じだったようで、俺の質問には首を横に振った。
「心が揺れただけです」
これも、いつも言っている。強がるようにはそう言ってテーブルの上に置かれたティッシュに手を伸ばした。光る涙が安い紙に吸収されて、勿体ないなんて頭の隅で思う。しかし、この映画が若者に受けている理由は何なのか。ボーダーの後輩達がこぞってこの映画の話をしていたものだから相当なものだとは思ったけど、蓋を開けてみればありふれた男女の出会いと別れの物語だった。劇的なシーンはなく、終始変わらないテンポで進んでいく。今に何か起こるのではないか。そんなことを思っているうちに終わってしまった。今の若い子にはこういうものが受けるんだろうか。
「……なんか」
「ん?」
「春秋さんと別れるとしたらこうやって別れそう」
思わぬ発言に刺されて、時間が止まったかと錯覚した。の言葉はそれくらいに衝撃的で、眩暈がした。別れるなんて冗談でも言わないでくれ。こうやって別れるだろうなんて考えないでくれ。俺との関係を、映画の中の関係なんかに重ねないでくれ。言いたいことが渦巻いて、俺はしばらく黙り込んだ後にの身体を抱き寄せた。はまだ心が揺さぶられたままなのか、俺の背中に腕をまわすことなく黙って抱きしめられている。
「って時々怖いこと言うよな」
「……ごめんなさい」
そうか。これがこの映画が売れた理由なのかもしれない。あまりにもありふれていて、自分も恋人とこうなるかもしれないと思うのかもしれない。記憶を振り返り、今までと喧嘩をしてきたことを思い出す。その度にこの映画のような結末にならなかったことに心の底から安心した。少しするとがもぞもぞと動いて細い腕が背中にまわった。は俺の胸にぴったりと耳を当ててゆっくりと呼吸を繰り返している。俺は俺で、の髪に鼻先を埋めて息を存分に吸い込んだ。俺はの香りが好きだから香水はあまりつけてほしくないんだけど、彼女が好きでつけているのだからしょうがない。甘ったるいバニラの奥に、自分とは違う香りがする。落ち着くような、そうでないような。俺がと同じ感性を持っていたら、映画なんかよりの香りだけで心が揺さぶられて泣いていただろう。
「春秋さんの香りがする」
がぽつりと呟いて小さく笑ってしまった。俺も同じことを思っていると、伝えたくなる。けど、続いて聞こえてきたの言葉に気を取られて言うのを忘れてしまった。
「喉乾いた……」
「あー……泣いたからかな……何がいい?持ってくるよ」
「ううん」
一緒に行く。がそう言うので俺は堪らなくなって腕の中にいるにキスをした。突然の出来事には最初驚いていたけど、すぐに受け入れる。呼吸をなおざりにして俺はの唇を食むように貪った。すぐ近くで苦しそうな息遣いと息を聞き続けて、少しだけ満足して口を離す。酸欠になったのかの瞳はとろけていた。
「……大丈夫か?」
「だい、じょうぶじゃ、ない……」
ごめんと言ったけどは許してくれなかった。首を振って「ココアをいれてくれないと訴えます」と言われて俺は思わず笑ってしまう。どこに訴えるんだよ。そんな言葉を飲み込んで立ち上がると伸びてきたの手を取って、指に指を絡ませながら使い慣れたキッチンに向かう。
「温かいのと冷たいのどっちがいい?」
「冷たいのがいいです、……あ。牛乳でいれてくださいね」
「もちろん」