「春秋さん、手貸して」

今日この言葉を聞くのは何度目だろう。苦笑いを抑えたつもりだったけど上手く隠せていなかったらしく、は「だっていい香りだから」とムキになった。わかってるわかってると宥めながら手を差し出すと赤くなった鼻先が近づいてくる。

「ふふ」

は満足そうに唇を弧の字にすると笑みを零す。
数日前、「ちょっと早いクリスマスプレゼントです!」と言われながらと一緒に行った店は俺が今まで足を踏み込んだこともない世界で、店員とがあれこれ話しているのを見てたまに手を出しているうちに一つの細長い瓶を渡されることになった。それが今指先につけている香水で、はそれがひどく気に入ったらしい。待ち合わせ場所で「もしかしてつけてきてくれたんですか?」と開口一番に聞いてきた時の表情といったら。その後も店に行く間に二回「手貸して」と言われて香りを確かめられたし、店に入る直前に一回、食事が終わって駅に向かう途中で二回、電車の中で二回。そして駅から家に向かってる今。そうとう気に入ったんだろう。

「なあ、こういうのって普段からつけたほうがいいのか?はいつもつけてるけど」
「うーん……わたしは好きだからつけてるだけで……春秋さんは慣れてないし、特別な時だけつけるとか?」
「特別な時?」
「今日みたいな日とか」

クリスマスイブのデートなんて年に一回しかないじゃないか。それじゃあ死ぬまでに使い切れないぞ。……でも、よくよく考えればとのデートは俺にとっては特別な事だ。それならデートの時につければいいんじゃないか?そこまで考えて、小さく頷いた。

「デートの時いつもつけてると変かな」
「えっ?いえ、変じゃない……です……けど……」
「けど?」
「……」

がちらりと視線だけで見てくる。けど、それはすぐに逸らされた。何が引っかかってるんだと思いながら耳を澄ましていると大通りを走って行く車の音に紛れて「ドキドキするからあんまりつけられると困ります」と小さな声が聞こえてくる。耳を疑ってを凝視するといつものようには照れ隠しに俺を睨んだ。自分で言っておいて何を恥ずかしがっているのか。笑ったらいいのか呆れたらいいのか迷ったけど勝手に身体が笑ってしまって、まずいと思った時にはもうはさっきと同じようにムキになっていた。スタスタと速く歩き始めただったけど俺はすぐに追いついてその手を握る。向けられた鋭い目に笑みを返すとはしばらく俺を見たままそっぽを向いた。

「香水は春秋さんの好きな時につけてください」
「ん、わかった」
「……あの。さっき言ったこと、忘れてくれませんか」
「それは無理だな」

俺の返事には小さく息を吐いた。言わなきゃよかったと思っているのだろうか。俺は言ってくれて嬉しかったけど。手を繋いだまま信号が青に変わるのを待っていると、が空いている手を伸ばしてきた。小さな手が腹の前を通り過ぎていくのを眺めていると宙ぶらりんになっていた俺の片手が掴まれて、そのまま持ち上げられる。ここまで気に入られると感動してくるな。そんなことを思いながら俺の香水の香りを楽しんでいるを見下ろす。

「ドキドキするか?」
「しません」
「嘘つけ」

笑いながら言ってやるとは何も言わずに、ただ頬を膨らませた。