「ない」
ええ?
うーん、なんだろうなぁ
えーっと
という四種類の言葉を数分かけてそれぞれ三回ほど使った後、は諦めたように口にした。予想していたとおりの返事に、やはりそうかと苦笑いをしてしまう。
「物欲がないとこういう時に困りますね」
「そうだなぁ」
「……プレゼント、したいですよね?」
「せっかくだからな。もちろん強要はしないけど」
「そうですよねぇ……わたしが春秋さんだったらそう思うし」
はそう呟くと真っ白なカップを両手で包んだ。浮き出てくる湯気に紛れて、右隣からココアの香りが漂ってくる。
「参考に聞きたいんですけど」
「うん」
「わたしが今まで春秋さんにもらったものは置いといて、男の人が女の人にあげるプレゼントって、例えばどういうものなんですか?」
跳ねた心臓に押し出されて、「えっ」という声がテーブルの上に転げ落ちる。
それは俺の今までの経験に基づく話を聞かれているのか、それとも世間一般の話を聞かれているのか。どっちだ。
と、思ったものの、今まで付き合った人には当たり障りのないプレゼントを買ってきたのだから結局同じことか。
「バッグとかアクセサリーとかは多いんじゃないか?」
「あー……」
「あとは腕時計とか……流行ってる化粧品とかスキンケアとか」
「ふうん……」
ああ、どれもピンときてないな、これは。
まるでワインの香りを楽しむかのようにカップを揺らし始めたの横でコーヒーを飲む。店内に流れているジャズに合わせてはココアを回し、そのうち満足したのかふうと息を吐いてカップに口をつけた。それを見届けてから、年季の入ったカウンターの木目に視線を落とす。
あくまでも推測なのだが、は俺からプレゼントをされる時、もらいたくない物があるのではないだろうか。
以前からうっすらと抱いていた疑問にそろそろ決着をつけないといけない気がして、どうしようかと思考を巡らせる。そして、耳に染み込んでくる曲が変わったタイミングでカウンターに腕を乗せながら口を開いた。
「普段使ってもらえるものがいいかな、俺としては」
「普段使うもの?何だろうなぁ……香水?」
「香水か。の好きな香りは何となくわかるから、選びやすいな」
「ほんと?」
「ああ」
「へえ……」
えへへ。そっか、そうなんだ。は照れくさそうに笑うとそれを紛らわせるようにココアを飲んだ。
……やっぱり、消耗品がいいのか。
髪がかかっているの左耳を眺めつつ、今度は椅子に背を預ける。
欲しい物を尋ねると、は必ずいずれなくなるものを挙げる。その理由は何となく分かっていて、きっと俺と会えない時に俺のことを思い出したくないのだろう。会えない時というのは次のデートまでの間とかそういうことではなくて、遠征に行ってる時とかランク戦に集中するために会わない時とか、ボーダーの活動が理由で会えない時のことだ。その期間、はきっと俺のことを思い出さないように努めている。だから、形に残るものを手元に置いておきたくない。しかもこの子の性格上、俺が渡したものを捨てるという行為はできないはずだ。だから、なくなるものを使い切って俺の痕跡を消そうとする。もしかしたら今までプレゼントした物も使い切れなかった時、俺と会えない間は目に入らない場所に隠している可能性すらある。
これが俺の勝手な思い込みだったらそれでいい。でも、が消耗品でないものを望んでいるのは事実だ。
焦点が定まっていない視界の中で何かがきらりと光る。上手く見えないが、おそらくのイヤーカフだ。髪の隙間からたまに顔を出してはオレンジの照明を反射している。……そう、が普段使うもので残るものといえば真っ先にアクセサリーが思い浮かぶ。しかし、どういう会話だったか忘れたが、付き合う前には「恋人から指輪はもらいたくない」と言い切っていた。何故指輪と限定するのかは聞きそびれてしまって、理由はわからないままなのだが。
「春秋さん?」
「えっ?」
機能しなくなっていた視界にスイッチを入れられる。そこではひらひらと手が揺れていて、反射的に右を見ると身を乗り出してこちらを覗き込んでいるがいた。
「どうしたんですか、難しい顔して」
「あ、ああ……いや、何がいいかなと思って」
「どの香水がいいかなってこと?」
「ああ……うん……」
肯定とも否定ともとれる返事をしてから狭い隙間に指を通してカップを持ち上げる。俺がコーヒーを飲んでいるのをはじっと見つめて、時間をかけていることがバレたのかそのうち彼女も同じようにココアを飲み始めた。
これは俺の持論なのだが、コーヒーは気を紛らわせたい時に向いている。紅茶と違ってカップの底が見えないから、思考が止まらないで済むように思う。今みたいに。
コーヒーの奥に隠れているカップの底を探すように、ほんの少しの茶色と、その向こうで永遠に広がる黒を見つめる。
ボーダーのことを話せたらどんなにいいだろう。お前が心配してるようなことは起こらないんだと言ってやりたいのに、それが出来ないのが歯がゆい。どうしたらいいだろうと悩んでいた時期もあったが、どうしようもなくて今は悩むことも諦めてしまった。そして、そのせいでは苦しんでしまっている。
黒でいっぱいだった視界をほんの少し右にずらす。はいつの間にか窓の外に目をやって、柔らかくなり始めた日差しから春の気配を探そうとしていた。
このまま俺を忘れてしまうんじゃないか。
一瞬だけそんな考えが頭を過って、の名前が口を衝いて出た。大したことない俺の不安を吹き飛ばすようにはすぐに顔をこちらに向けて、首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「あ……えっと……」
「……春秋さん、疲れてます?今日たくさん歩いたから?」
「え?いや、違うよ。疲れてるわけじゃない」
「ほんとに?」
「うん」
「それならいいんですけど……」
「……」
「……」
「……なあ、」
「はい」
「……プレゼント、いろいろ考えてみるよ。アクセサリーとかも含めて」
歯切れが悪くなってしまったものの、なんとか言うことができた。よっぽど予想外だったのか、はぽかんとして、どうして?と言うこともできずに俺を見つめていた。そのまましばらく俺とは見つめ合う。何も知らない周りの客や店員には別れ話の最中だと思われたかもしれない。どれだけ意地の張り合いが続くだろうかと思った矢先、思っていたよりもが早く折れた。は息を吐くと、口を少しだけ尖らせながら再びカップに口をつける。
「もう、変なとこで頑固なんだから」
「だってそうだろ」
俺の返事には目を丸くした。が、反論してくる気配はない。仕方ないなぁ、もう。呆れたようにそう言いそうで、言わない口元がだんだん緩んでいく。目尻も少しずつとろけていって、ああ、俺はこんなにもこの子に愛されているんだ、と痛いほど実感する。
「そこまで言うなら、期待して待ってますね」
浮ついた声はココアの湯気とともに空気に漂って、そのうちジャズの中に溶けていった。