「お」

見覚えのある姿が目に入った瞬間、勝手に声が溢れた。え?という声とともに凪原が顔を上げる。その拍子に今まさに食べられようとしていたパスタの束からベーコンが皿の中に戻っていって、手元の変化に気が付いた凪原はその様子を目で追いながら、しかしなす術なく「あーあー」と声を出すだけだった。

「ちょっと、東さんのせいで逃げられたじゃないですか」
「すまんすまん。席、一緒にいいか?」
「どうぞ」

あっさりと答えると凪原はパスタを口に運んでから先ほど食べ逃したベーコンにフォークを突き立てた。

「久しぶりにこの時間に食堂に来たけど、相変わらず混んでるな」
「お昼時ですからね。わたしは休憩時間なので仕方ないにしても、東さんは何でこの時間に?」
「この後忍田さんに呼ばれててな。今しか時間が取れなかったんだ」
「それはそれは」

隊長様は大変ですね。涼しい表情で、しかし揶揄うように凪原が言うので、小さく笑ってから机の上にトレイを置く。麻婆茄子を何口か食べてから、賑わう食堂の中に冷やかしてくるような連中がいないことを確認すると、正面に座る年下の女子に向かって口を開いた。

「なあ凪原」
「はい」
「村上から誕生日プレゼントもらったことあるよな?」

ごふ、と凪原がコップの中で咽せる。ぎょっとした俺はそんなに不意打ちの質問をしてしまっただろうかと思いつつ、テーブルに置かれていた紙ナプキンを手に取った。軽く咳き込んでいる凪原にそれを渡すと、すみませんという言葉と一緒に手が伸びてくる。凪原は咳をしながら口の周りや机の下で服に落ちたであろう水滴を拭き取った。

「何ですかいきなり」
「彼女の誕生日が近いんだよ」
「……その参考にしようって?」
「ああ」
「……」

参考にならないと思いますけど、と思っているのが伝わってくる目に見つめられる。あくまでも参考だからと念を押すと、凪原は小さくため息を吐いた。答えに悩んでいるのか何なのかわからないが、まるで時間を稼ぐように凪原はゆっくりとフォークにパスタを巻き付けている。

「腕時計です」
「ああ……お揃いの?」

凪原の手がぴたりと止まった。怪訝そうにこちらを見る瞳が心なしか揺れている。何故バレたのかと動揺しているのだろう。ただ腕時計と答えるだけなのにやけに時間がかかったからもしかすると思ってな、と笑うと凪原は顔を歪めた。

「東さんのそういうところ、本当に気味が悪いです」
「はは、たまに言われる」

笑いながら答えると凪原は苦い表情のままパスタを再び食べ始めた。不味い物を食べているかのような光景に笑いを堪えながら、皿に残っているものを片付けにかかる。しかし、そうか。お揃いか。お揃いで身に着けられるもの……服とバッグ。相当限られるけど靴もある。それかやっぱりアクセサリー……の中でいうとブレスレットか?俺は今まで買ったこともつけたこともないが、どうなんだろうな。あとはネックレス……いや、がネックレスをしているところなんて見たことがない。それを言ったらブレスレットもしないのだが。あとは、

「東さんも」

小さい声が聞こえてきて顔を上げる。凪原はこちらを見ることもせずに残り少なくなったパスタを皿の隅に追い込んでいた。

「東さんも彼女さんへの誕生日プレゼントで悩んだりするんですね」
「そりゃあ悩むよ」
「彼女さんの欲しい物とか全部わかりきってそうですけど」
「わかればいいんだけどなあ」

笑って見せると凪原はちらりと俺を見て、微笑んだのかそうじゃないのかわからないほど控えめに頬を緩ませてから立ち上がった。

「ありがとう、助かった」
「参考になったとは思えないですけどね」
「そんなことないよ」

そうですかと静かに告げると凪原は周りより一足早く食堂を出て行った。昼飯の時間くらいゆっくりすればいいのにと思った直後、今日は珍しく村上が本部に来ていたことを思い出す。一緒に帰る約束をしているのだろうと考えれば、休憩時間を削ってでも今日の仕事を終わらせようとするのも納得がいく。一見落ち着いていて恋愛で浮かれるようなタイプには思えないが、村上の惚れっぷりを聞くと周りが知らないだけで可愛いところがあるのだろう。恋人のために仕事を早く終わらせようとしていることも含めて。

……ああ、なんだかの声が聞きたくなってきた。