三月十七日から二十五日まで。
最後の最後にその日程を聞いた瞬間、ああ、という自分の声が頭に響いた。
またに会えなくなると言わなければいけないのか。八日。一週間と一日。大した日数ではないと言う奴もいるだろうが、あの子にはあまりにも長すぎる。二十五日までというのがせめてもの救いだが、どう伝えたらいいのか。ほんの数十分前まで誕生日プレゼントのことばかり考えていた自分が憎い。忍田さんに呼び出されたのだからそれなりの話をされるだろうと予想できたはずなのに。
「そういうことだから、よろしく頼む」
ぐるぐると渦巻く頭を、淡々とした声が現実に引き寄せた。真っ暗だった視界に整理整頓された部屋が映り、正面に座っている忍田さんと目が合う。
「はい」
何もないように頷くのが精一杯だった。俺の返事を聞くと忍田さんは椅子に座ったまま深く頷いた。
「突然呼び出して悪かった。東には事前に話しておいたほうが良いだろうと思ってな」
「いえ、ありがとうございます」
「この後の予定はどうなっているんだ?」
「隊室に戻ります。三十分もすれば小荒井と奥寺が来るので」
「そうか。まあ、隊室を使えるのも今のうちだからな」
やめてください、と笑うと忍田さんは口角を上げた。冗談めいて言ったものの、自分がボーダーの一隊員でなくなる日のことをあまり考えないようにしているのは事実だ。それを考えると、どうしても避けられない大きな壁にぶつかることになるから。このことは幹部陣で最も仲が良い沢村を含め、ボーダーの誰にも話していない。
忍田さんはひとしきり話し終わると立ち上がった。俺が想像もできないほど忙しい人だから、この後も予定が詰まっているのだろう。部屋を出て、並んで廊下を進んでいく。最初こそ真面目に次の入隊試験の話をしていたが、最近太刀川が変なことをしでかしてないかと忍田さんが尋ねてきたあたりから雑談が始まった。
「そういえば、論文は進んでいるのか?お前のことだから心配する必要はないだろうが」
「はは、まあ、なんとか」
「疲れているならたまには休め。入隊直後もそうやって根をつめていただろう」
「え?いや俺は、」
「さっきもぼうっとしていたみたいだからな」
「……」
頭が働いていないせいだろうか。苦言を呈されているのか心配されているのか、どちらなのかがすぐに判断できなかった。が、隣から送られてくる視線と視線が絡み合った瞬間に杞憂だったことに気付く。すみませんと口早に謝ると忍田さんは返事の代わりにほんの少し目元を緩ませた。
「悩み事、というか……。ボーダーのことではないんですけど」
「ほう?珍しいな」
何について?と、忍田さんが視線だけで問いかけてくる。
「忍田さん、お付き合いされている方にはどういう誕生日プレゼントを送りますか?」
恋人がボーダーの活動を良く思っていないんです。と、素直に答える気になれず、咄嗟に誤魔化してしまった。
忍田さんはそんな俺をぽかんとした顔で見つめる。あまりにもボーダーに関係のない話だったから驚いているのだろう。当然だ。
「誕生日プレゼント?」
「恋人の誕生日が近いもので」
「君ならいくらでも思いつきそうなものだが」
「昔はそうだったんですけどね」
忍田さんは不思議そうに瞬きをしながら、しかし口では「そうなのか」と答えてくれた。深く追求してこないのも、そんなことを考えていたのかと怒らないのも、この人の優しさだ。忙しいはずなのに部下のコミュニケーションの一つと捉えてくれたのか、忍田さんは小さく唸ると宙を眺めて過去を遡り始める。
「実際にあげたものでもいいのか?」
「ええ、むしろそっちを聞いてみたいですね」
「そうだな……。恋人の誕生日が夏だからサンダルとかワンピースとか」
「ああ……服もありですね」
「それからバッグ」
「なるほど」
「あとぬいぐるみ」
「ん……はい?」
「あとはゲームソフトとか」
「ゲ、ゲーム?」
「彼女、ゲームが好きなんだよ」
忍田さんが指を折りながら口にする数々に、今度は俺がぽかんとしてしまった。なんだか意外だ。忍田さんがぬいぐるみやらゲームソフトやらを買っている姿があまり想像がつかない。子どもがいるような店に買いに行くこともあるのだろうか。しかし当の本人がにこにこと笑っているので意外ですねの一言も言えず、「はあ」と口にすることしかできなかった。
でも、忍田さんが言った服と靴……あと、ぬいぐるみもいいかもしれない。俺の判断だけで買うのはやめておいたほうがいいから、と一緒の時じゃないと買えないというのが欠点ではある。
「忍田さんの恋人は欲しいものを言ってくれる人なんですね」
「東の相手は言わないのか?」
「言わないというか、欲しい物自体がない子なんです」
「はは、なるほどな。それなら物よりも思い出のほうが喜ぶんじゃないか?」
「思い出……というと、食事とか旅行とかってことですか?」
「ああ」
なるほど、旅行。その手があったか。の誕生日は平日だからその前後に旅行するのも……いや、誕生日の前は選抜試験があるんだった。行くとしたら誕生日後だろうな。年度末での仕事が忙しい可能性もあるし、四月以降で考えてみよう。は海が好きだから、海が見えるところを調べておこうか。
ふと視線を感じて隣を見ると、忍田さんが悪戯っぽい表情で笑っていた。……あまり見ない表情だ。
「すまない。君も年相応に恋人のことで頭を抱えるんだなと思うと可笑しくてな」
「これでも本気で悩んでるんですけどね」
「そうだろうな。素直に言わせてもらうと、見ていて楽しいよ」
良い悩みじゃないか、楽しむんだぞ、青年。忍田さんはそう言うといつもよりも幼い顔で笑った。