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作品ID:410
こちらの作品は、「感想希望」で、ジャンルは「一般小説」です。
文字数約5737文字 読了時間約3分 原稿用紙約8枚
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「母さんが由美子先生と一緒に公園で人体模型を産んだ。」を読み始めました。
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母さんが由美子先生と一緒に公園で人体模型を産んだ。
作品紹介
「教科書に挟まったこれを見て、思わず笑ったりしなかった?」
友人と「妹が人体模型だったらどうする?」という話で盛り上がったことを思い出して書いたものです。
本当は定期テスト勉強の合間に書いたとk――いえ、何でもありません。
友人と「妹が人体模型だったらどうする?」という話で盛り上がったことを思い出して書いたものです。
本当は定期テスト勉強の合間に書いたとk――いえ、何でもありません。
今日の体育は僕が最も嫌いとする長距離走だった。
走ることが苦手で、長距離をやると言われた時は世界の終わりを感じていた僕の記録は、当然のことながら最悪だった。しかし、神様はまだ僕を苦しめたいらしく、更に最悪なことに僕の記録を確認する相手にどうしようもないうっかりさんを当ててきた始末。そのため、一回目の記録を「うっかり」聞き取るのを忘れたらしく、合計三キロ走らされたのだ。まあ、そのうっかりさんを怒るのも馬鹿らしいので、その時は笑顔で応じておいたのだけれど、奴が走る時は二回と言わず十回ぐらい走らせようかと思う。
この後は一時間目から待っていた給食。
僕が人の倍走ったのを知っている心優しきクラスメイトが当番を代わってくれると言ってくれたから、別に急がなくても大丈夫だ。しかし、それとは別に白衣に身を包んだ生徒が、壁に両手を付き、疲労に溺れて太腿からぶら下がっているだけのような右足を引き摺っている僕を凝視してくるのが耐えられない。いつもならば小走りに通り過ぎることができたのに、それができないのもうっかりさんのせいだ。十回だなんて甘いこと言わないで、百回ぐらい走ってもらおうかな。ヒーヒー言いながら走ってる姿が目に浮かぶ。
そんなこんなで、やっと辿り着いた教室。中ではもう当番が盛り付けを行っていた。
窓側にある自分の机に腰を下ろして、ふぅと一息つく。隣の席には文庫本を手にした眼鏡少女(名前は忘れた)が座っている。顔を前に出して表紙を覗き込んでみると、「五十嵐博士の、三分で寝れる睡眠術講座」というタイトルが目に入った。どうやら彼女は眠れないことを困っているらしい。いや、本に食い掛かるような眼つきでページを捲っているのだから、そうに違いない。世の中、色々な人がいるわけだしね。ちょっと怖くなってきた。
何事もなかったかのように、出しっぱなしにしておいた社会の教科書を机の中に仕舞い込む。すると、教科書の中から一枚のメモ用紙が滑り落ちてきた。目がキラキラと輝いている羽の生えた猫のメモだ。僕が持っているわけのないメモなのに、どうして僕の教科書の中に挟まっていたのだろう。今日は教科書を誰にも貸していないはずだ。
床に落ちたメモを拾う。ネコの面には何も書いていなかったので、悪戯かと舌打ちしたい気分になったが、これを裏返してみると見慣れた丸っこい文字が並んでいた。
そこには、
『あんたの母さんが由美子先生と一緒に公園で人体模型を産んだ』
そう書いてあった。確かにそう書いてあった。
見間違えではない。隣の眼鏡さんにも見せてみたら、思い切り顔を顰められたけど、ちゃんと僕が見た文章と同じものを繰り返してみせた。きっと多分、このクラス全員に聞いて回ってみても同じ結果を得られると思う。いや、それよりも僕がこのクラスの(色んな意味で)有名人になる方が先か。とにかく、訳のわからないものを貰ってしまったものだ。
僕は机の上のパソコンに向かっている由美子先生を見つめた。穏やかな性格で滅多に生徒を怒鳴りつけたりはしない。というか、寧ろ口数の少ない先生だ。綺麗な黒髪を下の方で一つに縛り、ぎこちない手つきでキーを打つ姿は華奢な少女を連想させる。よく見せてくれる笑顔に、一部の男子からは「可愛い」だの「天使のようだ」との評価を得ているらしい。僕も嫌いではない。
「母さんと、公園で人体模型……」
思わず公園に佇む母さんと先生の姿を想像し、慌てて頭を左右に振った。
僕の馬鹿。こんなこと、男子にでも言ってしまったら間違いなく半殺しの刑だって。
頭を抱え込もうと手を上げたのと同時に、隣の眼鏡さんが読んでいた本を閉じて席を立ち上がった。手でも洗いにいくのだろうと思っていたのだけれど、彼女が席を離れる直前にちらりと見えた表情が、まるで女子のスカートを覗いた男でも見るかのような表情であったため、そうではなさそうだ。誤解されないように言うけど、例え話であって実際に覗いた男をどういう目で見るのかは知らない。本当だよ。
――それにしても、だ。僕はもう一度、手元に目を落としてみた。
母さんが、由美子先生と一緒に、公園で、人体模型を、産んだ。
ゆっくりと心の中で読み上げてみると、自分でとんでもないことを言っているような気がして、一気に頬が熱くなった。慌てて机の上に置いてある牛乳を掴み、頬に擦り付ける。パックの表面についた水滴が気持ち良い。火照った頬がそれによって冷えていくのにつれて、頭も冷えはじめていく。平常心平常心。
そうだ、何もここに書いてあるからといって、この紙切れは由美子先生が人体模型なんか産んだという証拠にはならない(母さんはわからないが)。あの眼鏡さんだって、有り得ないことが書かれたメモ用紙を突きつけられたから、あんな反応を示してくれたのだろう。決して、僕を変な人間だと認識したわけではなく。そうか。
「さてと」
頭も冷えたところで。
「これがどういう意味なのか、教えてもらいたいな」
僕は保健室の中からひょっこりと顔を覗かせた幼馴染――千尋に、謎のメッセージが刻まれたメモ用紙を突きつけた。ショートカットにした茶髪と割り箸のような手足、痩せこけた頬に浮かぶ弱々しい笑み。いかにも病弱そうな印象を与える千尋は持ち前の演技力で、いつも保健室のお世話になっている。給食も保健室で摂るらしく、僕は千尋の分の給食を届けるついでに、このメモの内容の説明を求めることにしたのだ。
「教科書に挟まってたんだけどさ、……何これ?」
「何って、ラブレターに決まってんじゃん」
ラブレター。僕とは無縁だと思っていた言葉が鼓膜を突く。
「ら、ラブレター……?」
「うん、そう。ラブレターだよ、ラブレター」
「ラブレターって、あのラブレター?」
「うん、そう。愛の手紙のラブレターのこと」
「あ、あああ愛の手紙っ!?」
「……ここ、一応保健室なんだけど」
どうやら聞き間違えではないらしい。
千尋の背後に目を走らせ、先生の姿を確認しようとする僕を見て、制服のポケットから棒つきの飴を取り出した彼女は悪戯っぽく笑う。「今はいないけどね」と。お盆を引っ繰り返してやろうかと思った。
「千尋はさ……」僕は飴を咥えた千尋にお盆を渡して、ベッドの端に腰を掛けた。「何がしたいわけ?」
「なんで僕なんかにラブレターを渡すのか、わからないや」
「わからないって、好きだからに決まってんじゃん」
しれっと恥ずかしいことを言ってのけてみせた千尋はきっと、そこら辺の男子より度胸があると思う。少なくとも、好きだからの理由でラブレターを渡したことのない僕よりは。
「逆に聞くけどさ、私が好きでもない人にラブレターなんて渡すと思うの?」
答えるまでもありません、と僕は肩を竦める。いつも保健室に居る彼女は男前だった。
「それじゃあ、なんでラブレターの内容がこれなのさ」
ラブレターには普通、好きです的なことが書かれてあるのだとばかり思っていたけど、このメモ用紙にはそんな言葉の影もなく、関係のない母さんと由美子先生のプライベートな内容が書かれてあるだけだ。正直、僕にとってはどうでも良いこと――とは言えないか。人体模型が弟(妹か?)になるかもしれないところだったし。
すると、千尋は飴を一舐めし、待っていたと言わんばかりに顔を近付けてきた。
「よくぞ気付いてくれましたね」
これをスルーする人間は人間じゃないだろ、という突っ込みは敢えて飲み込んでおく。
「最初はね、その人体模型のやつか、「生徒会長がドブで熊の縫いぐるみを抱いて寝ていた」か「ケーキ屋さんの棚の上で久保田先生がまんじゅうを食べていた」のどれにしようか迷っていたんだけど、やっぱり一番現実味のある人体模型にしたの」
「答えになってませんよ、千尋さん」
どれも告白の内容ではない。もし、本当に好きな相手に「会長がドブで熊の縫いぐるみを抱いて寝ていました」なんて言ったら、ばっさり振られるに決まってる。相手が冗談だと思って交わせる相手ではなかったら、それはもはや自殺行為に近いものだ。
「渡す相手が僕で良かったな」と苦笑すると、千尋は真面目な顔をこちらに向けてきた。
「だって、これはあんたじゃなきゃ意味なくない?」
「……はあ?」
予想外の返事に間抜けな声が漏れた。
自分で言うとたまらなく恥ずかしくなってくるのだけれど、それは好きな相手が僕だから僕にラブレターを渡さないと意味がないと言っているのか。或いはおかしなラブレターは僕にお似合いだと言いたいのか、今の僕には説明してもらわないと区別がつかない。
「この内容のどこが、僕じゃないといけないものだって?」
「あ、うん。……えっと、これ見て、笑わなかった?」
またまた予想外の返事。僕は頭上に疑問符を幾つも並べた。
「笑わなかった、って……?」
「教科書に挟まったこれを見て、思わず笑ったりしなかった?」
ええと……。
「笑いは、しなかったかな?」
実際、訳のわからないものを貰ったと思ったわけだし、ここは正直に答える。
それにしても、千尋は一体何を言いたいのだろう。折角書いたラブレターを見て笑うのは失礼ではないのか。いつか、無理矢理千尋に読まされた少女漫画には、女子が書いたラブレターを勝手に盗んだ挙句、大声で読み上げながら高笑いしていた奴が思い切りビンタされたシーンがあった記憶がある。それと同じようなものだと思っていたけど。
混乱しはじめた僕を見て、千尋は少しだけ頬を赤く染めて笑った。
「残念。これはさ、あんたが笑うように書いたラブレターだったのになあ」
お盆を近くの机の上に置き、僕の隣に腰を下ろしながら、彼女は大きな欠伸をする。
「最近あんたさ、生徒会とか部活とか色々と窮屈なスケジュールで動いてきてたから、疲れてきたのか知らないけど、なんか笑い方がぎこちなくなってきたように見えるんだよね。自然と笑うようなやつじゃなくて、無理矢理笑わせたみたいな。自然に出てきたように見える笑顔も薄っぺらいしさ。だから、思い切り笑わせてやろうと思ってね」
…………。
言葉を放り投げるような口調とは裏腹に、何故か妙な温かさが感じられた。言うならば、心にじんわりと染み込むようなもの。普段、あまり感じられないような独特の温もりがそこにはあったのだ。
「……そう、だったっけ?」
「自覚してなかったわけね。幼馴染を舐めんなよ」
確かに心当たりがないわけではない。
生徒会役員として文化祭色に染まった学校中を走り回ることは多くなったし、副部長として吹奏楽部を引っ張り、個人の腕を伸ばすことにも力を入れてきた。おまけに球技大会に合唱祭。そして今週末に行われるテスト。忙しいわけではないと言えば嘘になると思うけど、それは他の人も同じだと思っていたので然程苦痛だとは思っていなかったはず。
しかし、
「僕、あまり笑ってなかった?」
「笑ってなかったわけじゃないよ。ただ、作り笑いみたいになってる」
自分の頬に手を当てて、本当かどうかわかるはずもないのに確かめようとする。ゆっくりと頬を撫で回し、やはりわからなかったので、やがて首を傾げながら「そうかなあ?」と唸ってみせた次の瞬間、何の前触れもなく突然千尋はぶっと吹き出した。
「あっはははは、あんた何やってんの?」
「何やってんのって……、確かめようと」
そんなんでわかるわけないでしょ、と言われると思ったけど(僕もそう思っていたし)、当の千尋はまだ舐めかけの飴をゴミ箱に放り込みながら「確かめるも何も、嘘だから意味ないよ」と笑い飛ばしてきた。
「は?」
「だから、嘘だって」
「え?」
「本当はどういう反応するのか見たかっただけなんだ。特に中身には深い意味なんて付けてないの」
ようやく千尋の言っていることが頭に届いた気がする。
つまり、彼女は僕のことを心配していたわけではなく、ただ単に面白半分でこんなメモ用紙を教科書に挟み、そして内容の意味を問うた僕に嘘を吹き込んで楽しんでいたと。僕のことを好きでも何でもないのに、好きだと言って。
「……拍手」
「あれー、怒っちゃった?」
給食に手を付けはじめる千尋から目を逸らし、僕は靴も脱がずにベッドに横になった。
彼女を甘く見た僕が馬鹿だった。千尋にしては良いことを言うと思って素直に感動していたのに、これはこれは見事に騙されてしまった。毎日先生を騙して、保健室に住み着いている千尋の演技力はここまでのものだったのか。実際に自分で体験して分かった。本当に素晴らしいものを見た、と別の意味で感動してしまう。拍手喝采だ。
機械的な動きでカレーを口へと運ぶ千尋にそう言ってみると、彼女は「心外だ」と頬を膨らませる。
「好きな人をからかって何が悪いのさ」
僕はベッドの上で手を左右に振った。「うん、わかった」
「もう嘘がいいよ」
「何が嘘よ?」
「好きな人が僕だってことが」
「何ソレ」とスプーンを置いた千尋が鼻で笑ってくる。
「もう一回だけ言うけど、私が好きでもない人にラブレターなんて渡すと思うの?」
あ。僕は口を半開きにさせたまま天井を見つめ、そして千尋の方へと視線を滑らせた。
「あいらぶゆーだよ、和くん」
失礼なことをした、と思った。
腰に手を当てて仁王立ちしながらそう言う千尋に、「紛らわしいな」と苦笑すると、彼女も「悪かったね」とからから笑う。それは、どんなに有名な俳優にでも真似できないような笑顔に見えた。そして、その笑顔のまま千尋はこう続けるのだ。
「今度は「生徒会長がドブで熊の縫いぐるみを抱いて寝ていた」にしてあげる」と。
――結構デス、千尋さん。
走ることが苦手で、長距離をやると言われた時は世界の終わりを感じていた僕の記録は、当然のことながら最悪だった。しかし、神様はまだ僕を苦しめたいらしく、更に最悪なことに僕の記録を確認する相手にどうしようもないうっかりさんを当ててきた始末。そのため、一回目の記録を「うっかり」聞き取るのを忘れたらしく、合計三キロ走らされたのだ。まあ、そのうっかりさんを怒るのも馬鹿らしいので、その時は笑顔で応じておいたのだけれど、奴が走る時は二回と言わず十回ぐらい走らせようかと思う。
この後は一時間目から待っていた給食。
僕が人の倍走ったのを知っている心優しきクラスメイトが当番を代わってくれると言ってくれたから、別に急がなくても大丈夫だ。しかし、それとは別に白衣に身を包んだ生徒が、壁に両手を付き、疲労に溺れて太腿からぶら下がっているだけのような右足を引き摺っている僕を凝視してくるのが耐えられない。いつもならば小走りに通り過ぎることができたのに、それができないのもうっかりさんのせいだ。十回だなんて甘いこと言わないで、百回ぐらい走ってもらおうかな。ヒーヒー言いながら走ってる姿が目に浮かぶ。
そんなこんなで、やっと辿り着いた教室。中ではもう当番が盛り付けを行っていた。
窓側にある自分の机に腰を下ろして、ふぅと一息つく。隣の席には文庫本を手にした眼鏡少女(名前は忘れた)が座っている。顔を前に出して表紙を覗き込んでみると、「五十嵐博士の、三分で寝れる睡眠術講座」というタイトルが目に入った。どうやら彼女は眠れないことを困っているらしい。いや、本に食い掛かるような眼つきでページを捲っているのだから、そうに違いない。世の中、色々な人がいるわけだしね。ちょっと怖くなってきた。
何事もなかったかのように、出しっぱなしにしておいた社会の教科書を机の中に仕舞い込む。すると、教科書の中から一枚のメモ用紙が滑り落ちてきた。目がキラキラと輝いている羽の生えた猫のメモだ。僕が持っているわけのないメモなのに、どうして僕の教科書の中に挟まっていたのだろう。今日は教科書を誰にも貸していないはずだ。
床に落ちたメモを拾う。ネコの面には何も書いていなかったので、悪戯かと舌打ちしたい気分になったが、これを裏返してみると見慣れた丸っこい文字が並んでいた。
そこには、
『あんたの母さんが由美子先生と一緒に公園で人体模型を産んだ』
そう書いてあった。確かにそう書いてあった。
見間違えではない。隣の眼鏡さんにも見せてみたら、思い切り顔を顰められたけど、ちゃんと僕が見た文章と同じものを繰り返してみせた。きっと多分、このクラス全員に聞いて回ってみても同じ結果を得られると思う。いや、それよりも僕がこのクラスの(色んな意味で)有名人になる方が先か。とにかく、訳のわからないものを貰ってしまったものだ。
僕は机の上のパソコンに向かっている由美子先生を見つめた。穏やかな性格で滅多に生徒を怒鳴りつけたりはしない。というか、寧ろ口数の少ない先生だ。綺麗な黒髪を下の方で一つに縛り、ぎこちない手つきでキーを打つ姿は華奢な少女を連想させる。よく見せてくれる笑顔に、一部の男子からは「可愛い」だの「天使のようだ」との評価を得ているらしい。僕も嫌いではない。
「母さんと、公園で人体模型……」
思わず公園に佇む母さんと先生の姿を想像し、慌てて頭を左右に振った。
僕の馬鹿。こんなこと、男子にでも言ってしまったら間違いなく半殺しの刑だって。
頭を抱え込もうと手を上げたのと同時に、隣の眼鏡さんが読んでいた本を閉じて席を立ち上がった。手でも洗いにいくのだろうと思っていたのだけれど、彼女が席を離れる直前にちらりと見えた表情が、まるで女子のスカートを覗いた男でも見るかのような表情であったため、そうではなさそうだ。誤解されないように言うけど、例え話であって実際に覗いた男をどういう目で見るのかは知らない。本当だよ。
――それにしても、だ。僕はもう一度、手元に目を落としてみた。
母さんが、由美子先生と一緒に、公園で、人体模型を、産んだ。
ゆっくりと心の中で読み上げてみると、自分でとんでもないことを言っているような気がして、一気に頬が熱くなった。慌てて机の上に置いてある牛乳を掴み、頬に擦り付ける。パックの表面についた水滴が気持ち良い。火照った頬がそれによって冷えていくのにつれて、頭も冷えはじめていく。平常心平常心。
そうだ、何もここに書いてあるからといって、この紙切れは由美子先生が人体模型なんか産んだという証拠にはならない(母さんはわからないが)。あの眼鏡さんだって、有り得ないことが書かれたメモ用紙を突きつけられたから、あんな反応を示してくれたのだろう。決して、僕を変な人間だと認識したわけではなく。そうか。
「さてと」
頭も冷えたところで。
「これがどういう意味なのか、教えてもらいたいな」
僕は保健室の中からひょっこりと顔を覗かせた幼馴染――千尋に、謎のメッセージが刻まれたメモ用紙を突きつけた。ショートカットにした茶髪と割り箸のような手足、痩せこけた頬に浮かぶ弱々しい笑み。いかにも病弱そうな印象を与える千尋は持ち前の演技力で、いつも保健室のお世話になっている。給食も保健室で摂るらしく、僕は千尋の分の給食を届けるついでに、このメモの内容の説明を求めることにしたのだ。
「教科書に挟まってたんだけどさ、……何これ?」
「何って、ラブレターに決まってんじゃん」
ラブレター。僕とは無縁だと思っていた言葉が鼓膜を突く。
「ら、ラブレター……?」
「うん、そう。ラブレターだよ、ラブレター」
「ラブレターって、あのラブレター?」
「うん、そう。愛の手紙のラブレターのこと」
「あ、あああ愛の手紙っ!?」
「……ここ、一応保健室なんだけど」
どうやら聞き間違えではないらしい。
千尋の背後に目を走らせ、先生の姿を確認しようとする僕を見て、制服のポケットから棒つきの飴を取り出した彼女は悪戯っぽく笑う。「今はいないけどね」と。お盆を引っ繰り返してやろうかと思った。
「千尋はさ……」僕は飴を咥えた千尋にお盆を渡して、ベッドの端に腰を掛けた。「何がしたいわけ?」
「なんで僕なんかにラブレターを渡すのか、わからないや」
「わからないって、好きだからに決まってんじゃん」
しれっと恥ずかしいことを言ってのけてみせた千尋はきっと、そこら辺の男子より度胸があると思う。少なくとも、好きだからの理由でラブレターを渡したことのない僕よりは。
「逆に聞くけどさ、私が好きでもない人にラブレターなんて渡すと思うの?」
答えるまでもありません、と僕は肩を竦める。いつも保健室に居る彼女は男前だった。
「それじゃあ、なんでラブレターの内容がこれなのさ」
ラブレターには普通、好きです的なことが書かれてあるのだとばかり思っていたけど、このメモ用紙にはそんな言葉の影もなく、関係のない母さんと由美子先生のプライベートな内容が書かれてあるだけだ。正直、僕にとってはどうでも良いこと――とは言えないか。人体模型が弟(妹か?)になるかもしれないところだったし。
すると、千尋は飴を一舐めし、待っていたと言わんばかりに顔を近付けてきた。
「よくぞ気付いてくれましたね」
これをスルーする人間は人間じゃないだろ、という突っ込みは敢えて飲み込んでおく。
「最初はね、その人体模型のやつか、「生徒会長がドブで熊の縫いぐるみを抱いて寝ていた」か「ケーキ屋さんの棚の上で久保田先生がまんじゅうを食べていた」のどれにしようか迷っていたんだけど、やっぱり一番現実味のある人体模型にしたの」
「答えになってませんよ、千尋さん」
どれも告白の内容ではない。もし、本当に好きな相手に「会長がドブで熊の縫いぐるみを抱いて寝ていました」なんて言ったら、ばっさり振られるに決まってる。相手が冗談だと思って交わせる相手ではなかったら、それはもはや自殺行為に近いものだ。
「渡す相手が僕で良かったな」と苦笑すると、千尋は真面目な顔をこちらに向けてきた。
「だって、これはあんたじゃなきゃ意味なくない?」
「……はあ?」
予想外の返事に間抜けな声が漏れた。
自分で言うとたまらなく恥ずかしくなってくるのだけれど、それは好きな相手が僕だから僕にラブレターを渡さないと意味がないと言っているのか。或いはおかしなラブレターは僕にお似合いだと言いたいのか、今の僕には説明してもらわないと区別がつかない。
「この内容のどこが、僕じゃないといけないものだって?」
「あ、うん。……えっと、これ見て、笑わなかった?」
またまた予想外の返事。僕は頭上に疑問符を幾つも並べた。
「笑わなかった、って……?」
「教科書に挟まったこれを見て、思わず笑ったりしなかった?」
ええと……。
「笑いは、しなかったかな?」
実際、訳のわからないものを貰ったと思ったわけだし、ここは正直に答える。
それにしても、千尋は一体何を言いたいのだろう。折角書いたラブレターを見て笑うのは失礼ではないのか。いつか、無理矢理千尋に読まされた少女漫画には、女子が書いたラブレターを勝手に盗んだ挙句、大声で読み上げながら高笑いしていた奴が思い切りビンタされたシーンがあった記憶がある。それと同じようなものだと思っていたけど。
混乱しはじめた僕を見て、千尋は少しだけ頬を赤く染めて笑った。
「残念。これはさ、あんたが笑うように書いたラブレターだったのになあ」
お盆を近くの机の上に置き、僕の隣に腰を下ろしながら、彼女は大きな欠伸をする。
「最近あんたさ、生徒会とか部活とか色々と窮屈なスケジュールで動いてきてたから、疲れてきたのか知らないけど、なんか笑い方がぎこちなくなってきたように見えるんだよね。自然と笑うようなやつじゃなくて、無理矢理笑わせたみたいな。自然に出てきたように見える笑顔も薄っぺらいしさ。だから、思い切り笑わせてやろうと思ってね」
…………。
言葉を放り投げるような口調とは裏腹に、何故か妙な温かさが感じられた。言うならば、心にじんわりと染み込むようなもの。普段、あまり感じられないような独特の温もりがそこにはあったのだ。
「……そう、だったっけ?」
「自覚してなかったわけね。幼馴染を舐めんなよ」
確かに心当たりがないわけではない。
生徒会役員として文化祭色に染まった学校中を走り回ることは多くなったし、副部長として吹奏楽部を引っ張り、個人の腕を伸ばすことにも力を入れてきた。おまけに球技大会に合唱祭。そして今週末に行われるテスト。忙しいわけではないと言えば嘘になると思うけど、それは他の人も同じだと思っていたので然程苦痛だとは思っていなかったはず。
しかし、
「僕、あまり笑ってなかった?」
「笑ってなかったわけじゃないよ。ただ、作り笑いみたいになってる」
自分の頬に手を当てて、本当かどうかわかるはずもないのに確かめようとする。ゆっくりと頬を撫で回し、やはりわからなかったので、やがて首を傾げながら「そうかなあ?」と唸ってみせた次の瞬間、何の前触れもなく突然千尋はぶっと吹き出した。
「あっはははは、あんた何やってんの?」
「何やってんのって……、確かめようと」
そんなんでわかるわけないでしょ、と言われると思ったけど(僕もそう思っていたし)、当の千尋はまだ舐めかけの飴をゴミ箱に放り込みながら「確かめるも何も、嘘だから意味ないよ」と笑い飛ばしてきた。
「は?」
「だから、嘘だって」
「え?」
「本当はどういう反応するのか見たかっただけなんだ。特に中身には深い意味なんて付けてないの」
ようやく千尋の言っていることが頭に届いた気がする。
つまり、彼女は僕のことを心配していたわけではなく、ただ単に面白半分でこんなメモ用紙を教科書に挟み、そして内容の意味を問うた僕に嘘を吹き込んで楽しんでいたと。僕のことを好きでも何でもないのに、好きだと言って。
「……拍手」
「あれー、怒っちゃった?」
給食に手を付けはじめる千尋から目を逸らし、僕は靴も脱がずにベッドに横になった。
彼女を甘く見た僕が馬鹿だった。千尋にしては良いことを言うと思って素直に感動していたのに、これはこれは見事に騙されてしまった。毎日先生を騙して、保健室に住み着いている千尋の演技力はここまでのものだったのか。実際に自分で体験して分かった。本当に素晴らしいものを見た、と別の意味で感動してしまう。拍手喝采だ。
機械的な動きでカレーを口へと運ぶ千尋にそう言ってみると、彼女は「心外だ」と頬を膨らませる。
「好きな人をからかって何が悪いのさ」
僕はベッドの上で手を左右に振った。「うん、わかった」
「もう嘘がいいよ」
「何が嘘よ?」
「好きな人が僕だってことが」
「何ソレ」とスプーンを置いた千尋が鼻で笑ってくる。
「もう一回だけ言うけど、私が好きでもない人にラブレターなんて渡すと思うの?」
あ。僕は口を半開きにさせたまま天井を見つめ、そして千尋の方へと視線を滑らせた。
「あいらぶゆーだよ、和くん」
失礼なことをした、と思った。
腰に手を当てて仁王立ちしながらそう言う千尋に、「紛らわしいな」と苦笑すると、彼女も「悪かったね」とからから笑う。それは、どんなに有名な俳優にでも真似できないような笑顔に見えた。そして、その笑顔のまま千尋はこう続けるのだ。
「今度は「生徒会長がドブで熊の縫いぐるみを抱いて寝ていた」にしてあげる」と。
――結構デス、千尋さん。
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