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作品ID:554
こちらの作品は、「お気軽感想希望」で、ジャンルは「一般小説」です。
文字数約2665文字 読了時間約2分 原稿用紙約4枚
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■まっしぶ ■遠藤 敬之 ■a10 ワーディルト
小説の属性:一般小説 / 未選択 / お気軽感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし /
偽物の月
作品紹介
月が世界に二つ、同時に存在するのなら、
そのどちらか片方は偽物となる。
本物の月は。
本物の月とは。
僕は、そのどちらか一つを選ばなければならない。
そのどちらか片方は偽物となる。
本物の月は。
本物の月とは。
僕は、そのどちらか一つを選ばなければならない。
男は、凍った水面の上を歩いていた。彼の歩む一歩は在りし日の追憶を噛みしめるようだった。アイスグラスの氷上を歩く靴音だけが、今を静寂でない事を知らせてくれた。
しんしんと降り続く雪が、彼の頬に座って消える。
彼は不意にデジャブに襲われたかのように、その足を止めた。
(そうだ、あの時も、こんなふうな底冷えのする雪の散る夜だった……)
* * *
そのとき、僕はまだあどけない少年だった。僕の隣を歩いていたのはかつての妻ではない。もう少し茶色っぽい髪の、白い肌の少女だった。当時の関係は絶対に誰にもいえないものだった。まだ少女だった妻と同時に、彼女とも付き合っていたからだ。
人の道をはずれる行為だと自覚はあった。だが、僕らはその背徳的な行動に、意味を見出してしまったのだ。
またその夜も、僕は彼女と秘密を共有した。
僕ら二人は、それぞれの帰路につこうとして白い雪に覆われたアスファルトの上を歩いていた。
バス停のある大通りを、人目を避けるように歩いていく。手も繋がず、もちろん腕なんか組まずに。ただ澄み切った夜空と明るすぎる月を一緒に眺めて歩いていた。
彼女が突然振り返ると、言った。
「あのね、あなたにお願いがあるの」
彼女からの願いなど、初めてだった。彼女は僕の目を見て、きっぱりと言った。その時、彼女の瞳が、どこか山奥の湖畔のように見えた。
「……私といつか結婚してくれませんか?」
「そんなの無理だよ」
できるだけ、有無を言わさない口調で言った。
彼女の瞳の湖畔が、ゆらりと揺れる。その瞳が、あまりにも美しかったのは、きっと明るすぎる月のせいだ。
「…………」
彼女は一瞬だけ涙をぬぐい、不思議な笑みをたたえる。
確かな約束を、僕に告げた。
「なら、もしもあの月が二つになるときがあったら、そのときは私とずっと一緒に、いてください」
そんな事あるはずが無い。
それでも、当時の僕にはうなずく事しか出来なかった。
底冷えのする真っ暗な夜に、雪が散りはじめるのをぼんやりと眺めていた。
* * *
男は、悲しげな笑みを夜空に浮かべた。あたりは一面の氷であった。
男の手が携えたいっぱいの花束。そのすべては、抱かれた少女に贈られる。
凍った水面を男は、一人の少女を抱きながら歩いていた。彼の歩む一歩は在りし日の追憶を噛みしめるようにどこか切なそうな足取りだった。アイスグラスの上を歩く靴音だけが、今を静寂でない事を知らせてくれる。
凍りついた朽木のボートを横切った。彼は、湖にあいた墓穴(はかあな)へと向かっていた。
黒いドレスをあしらった少女は男に運ばれるまま、微動だにしようとしない。彼女の腕はだらりと垂れ下がり、心臓が無くなってしまったかのように動かなかった。
まるで金属みたいに冷たくなって、電源が落ちたように動かない。透き通るような月明りは、白濁とした氷上に光を落す。上空の白い月は何も語らない。
男には、彼女の白い肌も、柔らかそうな唇も、淡い色の髪も全てが愛しそうだった。いつの日か彼ら二人が一緒に漕いだあのボートも、湖に住んだ魚たちも全てが、彼女のためだけにあった。今では何も居なくなった。あの時の面影と共に消失したのだ。
今ではもう何もかもが動かない。少女はもう、二度と彼には笑いかけてくれない。笑う事すら出来はしない。
だからここで、この場所で彼女を葬る。
彼女は、ゆりおこせば目を擦りながら起きだしそうなほどに瑞々しい。ただ、目を閉じているだけのように、彼女が生きているかのような錯覚を起こすほどだ。
彼女の亡骸が腐敗しないこの湖ならば、彼女の体の時を永遠に止めたままにする事が出来る。
――彼と私との思い出の場所。
「永遠の命なんていらない。私が死んだら、あの湖へ沈めて。あなたの手で、私を葬ってほしいの。これが私の最後の願い」
生前、少女は言った。付き合ってから、たった二度しか、彼に願いを言った事はなかった。
男自身の手で、自らを葬って欲しい、と。
彼女の全てを湖へと沈める。蒼く深い湖の底へ、水尾とも立てずに彼女の華奢な体は飲み込まれていく。
ひと一人分の氷上に空いた水面に、流星が尾を引いて空を切り裂く姿が映りこんだ。
* * *
色とりどりの花束を君へ贈ろう。
「僕のことなら大丈夫だ。ちゃんと上手くやっておいたから。君は安心して逝くといいよ」
君が動かなくなってから、君の温もりを忘れた。
君を抱いてボートに乗ったら、僕は君の笑顔を忘れた。
君を湖へ沈めたとき、君の肌を、髪を、唇を失った。
「全部、きみの言うとおりだったんだ」
僕の独り言は氷上を吹きすさぶ夜風に散らされて、大気の中に溶けた。
* * *
氷に空いた穴は、深淵の淵の様に暗い。少女は、黒いドレスを水中に躍らせながら、たゆたうように落ちていく。水の抵抗によって投げ出された彼女の両腕は、助けを請うような格好のままどんどん沈んでいく。
そして、湖の気泡となった。
彼の手向けた花束は、何も居なかった湖の中に彩りを与えた。氷上は男の流した涙で光っている。
* * *
空から、この凍結した湖を眺めるといい。この地上でしか見ることの出来ない現象が空の上からならば、見ることが出来る。俯瞰すると何よりも一目瞭然だろう。
湖は、月の光を反射し輝いていた。美しい、内側に閉じたような弧を描いて湖は、月の鏡写しとなった。
地上に、二つ目の月が生まれたのだ。半透明の新たなる氷の月が、空に浮ぶ満月に懺悔する。止めどなく溢れた涙の白雪ともに。
少女の体が見えなくなると、男は薬指から指輪を抜きとった。男の動きは何度もデモンストレーションを重ねたような、流れる動作だった。そのまま銀の指輪は少女の眠る湖へ投げ落とされた。
揺れるように水の中を泳いで、湖の底で眠る少女に寄り添いたがるように沈んでいく。
少女に男はすべてを捧げた。
男が投げ捨てたのは、誰かと永遠の愛を誓った指輪だった。
偽者の月の底で横たわる少女が、勝ち誇るようにその柔らかな唇の端を吊り上げたかに見えた。
しんしんと降り続く雪が、彼の頬に座って消える。
彼は不意にデジャブに襲われたかのように、その足を止めた。
(そうだ、あの時も、こんなふうな底冷えのする雪の散る夜だった……)
* * *
そのとき、僕はまだあどけない少年だった。僕の隣を歩いていたのはかつての妻ではない。もう少し茶色っぽい髪の、白い肌の少女だった。当時の関係は絶対に誰にもいえないものだった。まだ少女だった妻と同時に、彼女とも付き合っていたからだ。
人の道をはずれる行為だと自覚はあった。だが、僕らはその背徳的な行動に、意味を見出してしまったのだ。
またその夜も、僕は彼女と秘密を共有した。
僕ら二人は、それぞれの帰路につこうとして白い雪に覆われたアスファルトの上を歩いていた。
バス停のある大通りを、人目を避けるように歩いていく。手も繋がず、もちろん腕なんか組まずに。ただ澄み切った夜空と明るすぎる月を一緒に眺めて歩いていた。
彼女が突然振り返ると、言った。
「あのね、あなたにお願いがあるの」
彼女からの願いなど、初めてだった。彼女は僕の目を見て、きっぱりと言った。その時、彼女の瞳が、どこか山奥の湖畔のように見えた。
「……私といつか結婚してくれませんか?」
「そんなの無理だよ」
できるだけ、有無を言わさない口調で言った。
彼女の瞳の湖畔が、ゆらりと揺れる。その瞳が、あまりにも美しかったのは、きっと明るすぎる月のせいだ。
「…………」
彼女は一瞬だけ涙をぬぐい、不思議な笑みをたたえる。
確かな約束を、僕に告げた。
「なら、もしもあの月が二つになるときがあったら、そのときは私とずっと一緒に、いてください」
そんな事あるはずが無い。
それでも、当時の僕にはうなずく事しか出来なかった。
底冷えのする真っ暗な夜に、雪が散りはじめるのをぼんやりと眺めていた。
* * *
男は、悲しげな笑みを夜空に浮かべた。あたりは一面の氷であった。
男の手が携えたいっぱいの花束。そのすべては、抱かれた少女に贈られる。
凍った水面を男は、一人の少女を抱きながら歩いていた。彼の歩む一歩は在りし日の追憶を噛みしめるようにどこか切なそうな足取りだった。アイスグラスの上を歩く靴音だけが、今を静寂でない事を知らせてくれる。
凍りついた朽木のボートを横切った。彼は、湖にあいた墓穴(はかあな)へと向かっていた。
黒いドレスをあしらった少女は男に運ばれるまま、微動だにしようとしない。彼女の腕はだらりと垂れ下がり、心臓が無くなってしまったかのように動かなかった。
まるで金属みたいに冷たくなって、電源が落ちたように動かない。透き通るような月明りは、白濁とした氷上に光を落す。上空の白い月は何も語らない。
男には、彼女の白い肌も、柔らかそうな唇も、淡い色の髪も全てが愛しそうだった。いつの日か彼ら二人が一緒に漕いだあのボートも、湖に住んだ魚たちも全てが、彼女のためだけにあった。今では何も居なくなった。あの時の面影と共に消失したのだ。
今ではもう何もかもが動かない。少女はもう、二度と彼には笑いかけてくれない。笑う事すら出来はしない。
だからここで、この場所で彼女を葬る。
彼女は、ゆりおこせば目を擦りながら起きだしそうなほどに瑞々しい。ただ、目を閉じているだけのように、彼女が生きているかのような錯覚を起こすほどだ。
彼女の亡骸が腐敗しないこの湖ならば、彼女の体の時を永遠に止めたままにする事が出来る。
――彼と私との思い出の場所。
「永遠の命なんていらない。私が死んだら、あの湖へ沈めて。あなたの手で、私を葬ってほしいの。これが私の最後の願い」
生前、少女は言った。付き合ってから、たった二度しか、彼に願いを言った事はなかった。
男自身の手で、自らを葬って欲しい、と。
彼女の全てを湖へと沈める。蒼く深い湖の底へ、水尾とも立てずに彼女の華奢な体は飲み込まれていく。
ひと一人分の氷上に空いた水面に、流星が尾を引いて空を切り裂く姿が映りこんだ。
* * *
色とりどりの花束を君へ贈ろう。
「僕のことなら大丈夫だ。ちゃんと上手くやっておいたから。君は安心して逝くといいよ」
君が動かなくなってから、君の温もりを忘れた。
君を抱いてボートに乗ったら、僕は君の笑顔を忘れた。
君を湖へ沈めたとき、君の肌を、髪を、唇を失った。
「全部、きみの言うとおりだったんだ」
僕の独り言は氷上を吹きすさぶ夜風に散らされて、大気の中に溶けた。
* * *
氷に空いた穴は、深淵の淵の様に暗い。少女は、黒いドレスを水中に躍らせながら、たゆたうように落ちていく。水の抵抗によって投げ出された彼女の両腕は、助けを請うような格好のままどんどん沈んでいく。
そして、湖の気泡となった。
彼の手向けた花束は、何も居なかった湖の中に彩りを与えた。氷上は男の流した涙で光っている。
* * *
空から、この凍結した湖を眺めるといい。この地上でしか見ることの出来ない現象が空の上からならば、見ることが出来る。俯瞰すると何よりも一目瞭然だろう。
湖は、月の光を反射し輝いていた。美しい、内側に閉じたような弧を描いて湖は、月の鏡写しとなった。
地上に、二つ目の月が生まれたのだ。半透明の新たなる氷の月が、空に浮ぶ満月に懺悔する。止めどなく溢れた涙の白雪ともに。
少女の体が見えなくなると、男は薬指から指輪を抜きとった。男の動きは何度もデモンストレーションを重ねたような、流れる動作だった。そのまま銀の指輪は少女の眠る湖へ投げ落とされた。
揺れるように水の中を泳いで、湖の底で眠る少女に寄り添いたがるように沈んでいく。
少女に男はすべてを捧げた。
男が投げ捨てたのは、誰かと永遠の愛を誓った指輪だった。
偽者の月の底で横たわる少女が、勝ち誇るようにその柔らかな唇の端を吊り上げたかに見えた。
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