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作品ID:6

こちらの作品は、「感想希望」で、ジャンルは「一般小説」です。

文字数約11548文字 読了時間約6分 原稿用紙約15枚


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小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし /

白い奇蹟

作品紹介

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 僕は、自殺しようとしている。

 いま、まさに。

 目の前は崖。車の免許のない僕は自転車で二時間かけてここまできた。

 僕の名前は楠慶喜。祖父がつけてくれたものだ。徳川慶喜にあやかれ、ということだったと父から聞いたことがある。

 あやかるどころか。

 ガードレールに手をかけて、しばらく海を見る。



 海は言葉なく、どこまでも続いている。



 高校を卒業してから、気がつけばもう22歳になっていた。

 進学するわけでもなく、特に目的のなかった僕は流されるようにして仕事についた。

 小さな印刷の仕事だった。でも、長続きはしなかった。

 小学生のころから、いつもいじめられてばかりいた。周囲に溶け込めなくて、クラス替えがあるたびに新しいいじめっ子が僕をいじめた。

 いじめられ体質なのだろうか、職場でも僕はいじめられてばかりいた。

 あまりにいじめがひどいので、結局やめてしまった。

 アルバイトを探して、雇ってもらえるといじめにあって、結局やめてしまう。

 その繰り返しで、いまでは定職もないありさまだ。

 友達なんてひとりもいない。

 生まれてこのかた、一度だけ彼女ができたことがある。

 高校のときだった。

 三年間。

 僕たちは付き合った。

 彼女との電話、手紙、そして毎週日曜日のデート。



 楽しかった。

 うれしかった。



 僕の人生で、一番楽しかった。

 父は僕を疎んでいる。

 僕より出来のいい弟を溺愛している。

 兄である僕も、弟が学生のころから優秀だったから、 僕も仕方のないことだと思っている。

 高校を卒業してからすぐに、僕は都会へ行き、一人暮らしをはじめた。

 母親から、父に内緒でいくらかの仕送りがあったから、バイト代と足して、どうにか生活してこられた。

 でも。

 正直、もう疲れた。

 この世は、不条理な世界だ。

 もっともだと、僕は思う。

 でも、それに想いを馳せると、否応なく死にたくなった。



 もう。



 もう、これ以上は……無理だ。

 せめて社会人として死にたい、と思ったからスーツを着てきた。

 ガードレールに立てかけた自転車のハンドルをなでる。

「いままで、ありがとうな」

 愛着が強いわけじゃなく、せめてもの自分への餞(はなむけ)の言葉だった。

 ガードレールにかけた手に力を入れて、僕は一気に崖下に飛び降りようとした。

 そのとき。

 僕は誰かに肩をつかまれて、後ろにひっぱられた。

 後頭部にすごい痛みが走った。

 そのまま、気が遠くなっていった。



「ねぇ……ごめんね、今度入院しなくちゃならなくなったの」

 電話の向こうの彼女は、元気のない声で僕に謝った。





『僕は……誰と話しているんだろう……』





「仕方ないじゃない。病気なんだからさ。元気になる事が今一番大事な事だよ」

「ごめんね、手紙、書くから。ちゃんと返事ちょうだいね?」

「わかってるよ」

「じゃ……またね」

「うん。体、大事にな」

「うん……」

 それから、手紙のやりとりはしばらく続いた。

 ある日を境に、手紙は全く来なくなった。





『誰と……手紙を……』





「いってぇ……」

「大丈夫?」

「ん、なんとかって……」

 聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはさくらがいた。

「さくら……。さくら!」

 僕は痛む頭をなでながらよろよろと立ち上がった。

 僕を好きになってくれた、この世でたったひとりの女の子。

 小倉さくらだった。

 ジーパンにジージャン姿。

「ど、どうして、また、ここに?」

 僕は大いに混乱した。

 そのとき、さくらは僕の右頬を力強くひっぱたいた。

 思わずよろけて、体勢を立て直すと、さくらの目を見た。

 涙がうっすらと浮かんでいる。

「何考えてんのよ! よっしー! 信じらんない!

 いままで何があっても挫けないのがよっしーのいいとこだったのに!」

 ものすごい剣幕で怒られた。

 正直、さくらがこんなにも怒っているのを見るのは初めてだった。

「ご……ごめん……」

 さくらは、腰に手をかけていたが、やがて僕の顔を心配そうに眺めこみ、

「大丈夫? よっしー」

 かわいい、と僕は思った。

 あの、胸の高鳴りがいまよみがえる。

「とにかく、携帯持ってる?」

「あ、ああ。あるよ」

「じゃ、タクシー呼んで、よっしーん家行くから」

「あ、うん、わかった……」

 僕は内ポケットから少し古い機種の携帯電話を取り出した。



 借りているアパートに、僕たちが着いたのは、午後3時だった。

 和室が二部屋で、あとは台所とトイレ、風呂場がある。

 狭いベランダにはアロエの鉢植えをおいている。

 何かの本で、この方角にアロエをおくと運が良くなると書いてあったからだ。

 ……運がよくなったとは思えない。

 水だけはしっかりあげているせいか、なんとか元気に育っている。

 部屋の中には、最低限のものしかおいてない。

 テレビ、ビデオ、冷蔵庫、ガスコンロ、電子レンジ、CD/MDコンポ。

 留守録電話。タンスがふたつ。実家から持ってきた机。

「なんか、殺風景だね」

 少しだけ笑って、さくらがいった。

「そうだね、これが僕の現実なんだ」



 これが、僕のもてるすべての現実。



 ともかく、敷きっぱなしの布団のある寝室といえるほどじゃないけど、ともかくその部屋だけはさくらに見られたくなかったから、ふすまを閉めた。

 すると、するするとふすまを開けられてしまった。

「……やっぱり。

 どうして、男の子ってこうなんだろー」

 さくらはふぅ、とため息をついて、

「お部屋のお掃除するから。ほら、掃除機、掃除機」

 僕は掃除機を持っていたことを思い出した。



 しばらく散歩でもしてきて、といわれたので何をするでもなく町をぐるりと1周してから、部屋に帰った。

「うわ、すごい……」

 部屋は見違えるほどにきれいに片付けられていた。

 洗濯物はすべて干されていて、それも干してあるTシャツにもしわひとつなかった。

 布団も干されていて、置きっぱなしの求人雑誌もきちんとまとめられていた。

 台所のごみもきちんと分類されてからポリ袋にまとめて並べられていた。

「あー、疲れた」

 僕がもごもごといっている間に、さくらはそういって、にこっとほほえんだ。

「ま、好きなひとのためだもん。全然ヘーキ」

「ありがとう……」

 僕が心から礼をいうと、

「ね、じゃお返しに今度の日曜日、デートに誘ってよ」

「あ、お金ないからなぁ……」

「海、見にいこうよ。海って、崖から飛び降りるためのものじゃないよ、うん。

 見たり、泳いだりするところだよ」

「うん、じゃあ、連絡先……」

「あ、ごめん、携帯もってないんだ。家電は親がうるさいから、あたしからかけるね」

「あ、うん」

 僕は家の電話番号と携帯の番号を紙に書いて渡した。

「よっしー、字、相変わらず上手だねー。詩人になりたかったんでしょ?

 なれるよ、きっと」

 そうだ。

 僕は、自分の夢も忘れていた。

 そして、さくらは帰っていった。



 静かに、静かに寄せては返す波。

 かもめが空を飛んでいる。

「いいねー」

 ピクニックシートを敷いて、僕たちは砂浜に並んで座った。

 風と共に、潮騒が香る。



 海はどこまでも広く、雲はどこまでも白く。

 僕たちもその風景のひとつ。



 しばらく、ふたりして黙って海を眺めていた。

「不思議だねー」

「何が? 」

 するとさくらは波間を指差して、

「ほら、満ち引きとかさ、波見てると、海って生きてるなーって思っちゃうよねー」

「詩人ぽいね、それって」

 笑って僕がいうと、さくらはちょっとむっとした顔で、

「詩人はよっしー。

 あたしの夢は……へへ、内緒だよん」

「いいじゃない、なに? なになに?」

 そのとき。

 さくらは沈んだ顔をして、いった。

「決して叶わない夢だから……」

「あ……」

 いつになく暗い表情だったから、僕はあわてて「ごめん、ごめん。あ! ほら、魚が跳ねたよ、ほら!」

 指差して海を見る。

「ほんと?」

 タイミングよく魚が飛び跳ねた。

「あ、ほんとだー! 初めて見たよ」

 銀色のうろこが太陽の光で一瞬、きらりと輝いて海に消えた。

「いいなぁー。いいなぁー」

 さくらはそういって、立ち上がった。

「どうしたの?」

「生きてるって実感できること。

 生きてるってことは、ほんの少しでも可能性があるってあたし思うの。

 だから、もう、絶対に、二度とだめだよ?

 約束、できる?」

 僕はここに至ってようやく、さくらが僕を海に誘った意味に気がついた。

「あ……うん、わかった。

 約束する」

「小指と小指でね」

「あ、うん……」

 白い彼女の指と僕の指は絡んで、約束した。

 生きて、ってことなんだ……きっと……。



 そして、3時間ほどしてから、僕たちは部屋に帰った。

 さくらは、それから少しくつろいでから帰った。

 再来週の日曜日は、水族館にいくことになった。

 僕は、2週間ぶりに、求人雑誌を買いに本屋へと急いだ。



 工場内でのくつの製造補助の仕事を得た。

 7社目で、やっと雇ってもらえた。

 アルバイトからはじめて、二ヵ月後に正社員になる、という説明を受けた。

 僕は、毎日、がんばって仕事に向かった。



「ねーねー、すっっっごい久しぶりじゃない?」

 水族館に入って、さっそくさくらははしゃいだ。

「そうだね、何年前かな」

 僕は笑って答えた。

 何年ぶりだろう。

 心から笑えたのは。

「ね、イルカショーやってるよ、見にいこうよ」

「うん」

 僕たちは手をつないで、イルカショーを見るために会場に入った。

 休日だというのに、幸いにして観客は少なかった。

「さて、お客さま、イルカにさわってみませんかー?」

 飼育係のお姉さんがヘッドマイクでいう。

 驚いたことにさくらは手を上げた。

「はい、そちらのお客さま、ステージへどうぞー」

「ひょっとして、僕も?」

「ひょっとしなくても、僕も」

 仕方なく、恥ずかしさで耳が真っ赤に火照ってくるのがわかる。

 ステージの上で、お姉さんがイルカにエサをやって、右に飛んだり左に飛んだりする手の合図を僕たちに教えた。

 僕は遠慮してしなかったけど、さくらはよろこんでイルカと遊んでいる。

 最後に、イルカに触ってみた。

 会場からでると、

「ねー、イルカってかわいいねー♪ 特に目がかわいいのだ♪」

「そうだね♪」

 僕は笑って答えたが、確かに目はつぶらでかわいかったけど、触ったとき、妙に生暖かかった。

 ステージに上がった僕たちはプレゼントをもらった。

 小さなイルカのぬいぐるみだった。

「かわいいー♪」

 さくらはものすごくよろこんでいた。

 そして、売店で僕はイルカのネックレスをさくらにプレゼントした。

 18金で、イルカの目には小さなダイヤがはめ込まれている。

「あたしに!? ありがとー♪」

 僕に抱きついてきた。

 僕の胸は早鐘のように高鳴った。

 とうぜん、胸があたるわけで。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らいでか、さくらは抱きつくのをやめると、僕の手をとって

「海亀見に行こうよっ♪」

といった。

 イルカの次に海亀……。

 発想のすさまじさに舌を巻く思いでいたけれど、僕はひっぱられていった。

 そこでさくらは海亀に水をかけられて半泣きになった。



「楽しかったー!

 ありがとう、ネックレス♪」

 部屋の前でさくらはいった。

「いいよ、いいよ。

 そんなによろこんでもらえるなら、僕もほんとにうれしい」

 えへっ、といってさくらはほほえんだ。

 なんてかわいいんだろう。

「ね、ひとつお願いがあるんだけど」

「ん? なに?」

「あのね、詩人になってほしいの」

「え?」

 だって、とさくらは続けた。

「夢だったんでしょ? いまも夢なんでしょ? 夢は、叶えられる間に挑戦しないと、だめだよ」

 真剣な目だった。

 しばらく考えてみた。

 また、書けるだろうか。

 昔のように、言葉から自然にいくらでもわき上がってくるだろうか。

 恐かった。

 もし、浮かんでこなかったら?

 けれど。

 真剣な瞳が僕の瞳に映っている。

「わかった、やってみるよ」

「うん! それでこそあたしのよっしーだよ!」

 さくらはほほえんで、

「じゃ、もいっこお願い」

「ん?」

「映画、見に行こうよ」

「うん、じゃ、いつがいい?」

「再来週の日曜でいい?」

「うん、いい。絶対」

 うん、じゃ、またね♪

 またね、気をつけて。

 僕は、その夜から、手始めにノートに少しずつ、詩を書き始めた。



 僕はバイトに精をだした。

 不思議に、今度はいじめられなかった。

 作業が僕向きだったのか、職場のひとたちが気さくなひとたちだったからか。

 よっちゃん、といつも呼ばれて、かわいがってもらった。車の免許もとった。

 僕は、毎日がんばって仕事をしては、家に帰ってから詩を書き続けた。



 その映画のタイトルは、『縁?えにし?』といった。

 なんでもシャーロック・ホームズがでてくるとかで、観客が多かった。

 ラブロマンス。

 ちょっと自己陶酔している演出があったけれど、僕はじゅうぶん感動できた。

 さくらは、涙を流して、ハンカチで拭ってはまた泣いた。

 と、どこからか鼻をかむ音がしきた。

 かむな! 鼻を! 泣ける映画見ながら鼻かむな! 外でかめおとなしく!

 僕は心の中で毒づいた。

 やがて映画は終わり、僕たちはファミレスに入った。

「なんか、あんまりしゃれた店知らないから……。

 なんか、頼んでよ、好きなの」

「んーとね、じゃ、チョコレートパフェ」

「ん。僕はレア・クリームチーズケーキ」

 やがてウェイトレスが注文の品を運んできた。

「さ、食べよっか」

「うん、いただきまーす」

 しばらく映画について話しあったあと、さくらは僕のケーキをじっと見て、

「ね、ひとくちちょーだい」

「あ、またはじまった」

 僕は笑っていった。

 さくらは、必ず最後のひとくちをおねだりする。

 食べている僕にしてみればそれは大変なもので、ちっとも食べた気がしない。

 それでも、トム&ジェリーのジェリーのように小さな口をあけて、

「あーんやって」

 といわれると、断れなかった。

「はい、あーん」

 僕は、ケーキをさくらに食べさせた。

「あうー、こっちもおいしいよぉ」

 かわいい声でそういうと、さくらは今度は僕に

「はい、あーんして」

 僕は恥ずかしさで耳が真っ赤になったが、

「あーん」

 結局、食べさせてもらった。



 じゃ、あたし帰るね……。

 そういって、さくらが帰ろうとしたとき。

「ね、クリスマス、あけといてね」

 僕はいった。

「うん」

「僕も休みとってあるから」

「こんなに早くから?」

「そう」

 笑ってそういうと、さくらは僕よりももっとうれしそうな顔をして、

「うん、絶対にあけとくね! 迎えにくるから」

 といって、帰って行った。

 すでに暗く、送っていくよと何度もいったけれど、さくらはきかなかった。

 僕は、部屋に入って、風呂に入ったりいろいろしてから、詩を、いっぱい、いっぱい書いた。



 雪が……降っている。

 デコレーションされた街を通り過ぎるひとたちは、みなほのかな幸せを漂わせていた。

 このころ、僕は詩の雑誌にひとつ応募して、大賞を受賞した。

 朝、さくらが迎えに来てくれて。

 僕たちは、ゲームセンターに行ったり、映画を見たりして、日中を過ごした。

 そして。

 めかしこんで夜の街にくりだした。



 ちらちらと。

 雪が舞い降りてくる。

 僕たちの上に。

 そしてきみたちの上にも。



 ふたりで歩きながら、僕はそんなことを思った。

「ね、どこ行くの?」

「ん? 秘密―」

「あ、なんか最近変わってきたぞー、秘密が多いー」

 へっ、と笑って僕はいった。

「ま、来てのお楽しみってことで」



 雪の舞い散る港。

 街灯の明滅。

 汽笛。

 寂しさが波の飛沫と共に舞い散る。

 その港に、1隻の客船が停泊している。

 V・R号、とパンフに書いてあった。

 僕たちは船に乗り込むと、ボーイに導かれて食卓についた。

「あ、すご、あたしこういうの、知らないよ」

「僕もにわか覚えだから、大丈夫さ」

 テーブルマナー、必死に覚えてきた。

 僕たちはフィンガーボールで軽く手をあらって、フレンチを仲良く楽しんだ。



「すごいよね、よっしー、ほんっっっっとすごくなったよね!」

「そ……その力のいれようはなんですか?」

 笑っていった。

 やがて、僕は止めてあった車にふたりで乗り込んで、港を一望できる山に向かった。

 さすがに、人が多かった。

 二人連れ二人連れ二人連れ一人の中年のおっさん一人二人連れ二人連……おっさん?

 僕は今見たばかりの記憶を巻き戻した。

 ま……まさか死ににきたわけじゃないよね……。

 心の中で汗をかいた。

 やがて。

 僕たちは、港を一望した。



 夜景。

 港街の夜景。

 いま、この夜景の中で、いろんな愛や夢がいたずら心をおこした妖精のように。

 赤や黄色のファイバーの光の中で。

 シルバーとスケルトンのサイバーの中で。

 舞曲を演奏している。



 僕の部屋の前で。

 僕は、さくらにクリスマスプレゼントを渡した。

 桜の花びらをかたどった純プラチナの指輪。

 さくらは、飛び上がってよろこんだ。

「ね、今夜は送るよ。もういい加減真っ暗だし」

 下心のまったくなしで、僕はいった。

 すみません、嘘ツキマシタ。下心、すこしアリマス。すみません。

 また嘘ツキマシタ。下心、かなりアリマス。

「今夜はね」

 さくらはいった。

「ふたりっきりで……。

 同じときを……同じ空の下で…………。

 …………過ごしたいの…………」

 僕はどきっとした。

 部屋の玄関の明かりをつけているから、真っ赤になってうつむいているさくらが、小さく、とても小さくて、大切に、本当に大切に、想った。



 いったんやんでいた雪が再び、ちらちらと、静かに舞い降りてくる。

 すべての音が雪に包まれる世界の中で。

 その夜、僕たちはひとつになった。



 朝、目覚めると、さくらはいなかった。

 それからしばらく、僕は詩の製作で忙しくなり、バイトをやめた。

 すでに正社員になっていたけれど、詩人としてデビューするということで、みんなよろこんでくれた。

 そればかりでなく、社長たちと一緒に居酒屋でささやかなパーティを開いてくれた。

 いままでの人生の中で、考えもしなかったことだった。

 それから忙しくてさくらとは逢えなかったが、毎晩さくらから電話がかかってきたので、ふたりで長電話をした。

 楽しい時間だった。

 そのころには僕の部屋にもパソコンやら新しい電化製品やらが増えていた。



 翌年の元日、さくらは何の前触れもなくやってきた。

 ね、初詣いこうよ。

 さくらは僕にいった。

 振袖が、さくらをいつもよりもっときれいに見せていた。

「うん!」

 僕たちは近くの大国主天満宮にお参りに行った。

 おみくじをひいてみると、ふたりとも1番で、大吉だった。

「ふふっ」

「へっ」

 僕たちはおかしくなり、ふたりしてくすくすと笑った。

 おみくじを木の枝に結び付けて、拝殿に賽銭箱を放り込んで、ぱちぱちとかしわ手をうった。

「何かお願いした?」

 聞いてみると、さくらは首を振って、真っ赤になっていった。

「な、内緒だよ。そんなこといったら、お願いが叶わないじゃない!」

「じゃ、僕も内緒だな……」

「あ。それはずるいー」

「な、なんて不条理なっ!」

 それから、屋台巡りをした。

「これが楽しみなんだよねー」

 さくらはそういって、わたがしを食べながらほほえんだ。



 どれだけ、このほほえみに助けられてきただろう。

 どれだけ、このほほえみに勇気付けられたろう。



 僕は、ふと、こう思った。



 さくらは、僕にとって、天使のような存在だった。



 やがて夜になり、僕たちは市主催の正月花火大会を見てから、部屋に帰った。

 さくらは、ひとりで闇の中に消えいるようにして帰って行った。

「なんで、送らせてくれないんだろう……」

 僕は無用心で心配だから、せめて家の近くにでも、といってもさくらは頑として聞き入れてくれなかった。



 そして。



 その日は突然、やってきた。



 母から荷物が届いた。

 ダンボール箱を開けると、音信不通だったときからの僕宛の郵便物が入っていた。

 その中に。



 小倉幸子



 という名前が記された白い封筒がでてきた。

 さくらのお母さんだ。

 僕は、封筒を開けて、中の便箋を読んだ。



 そして。



 目の前が、真っ暗になった。



 さくらは、ずっと入院していた。

 音信不通になったのは、もはや手紙すら書けないほど衰弱していたからだった。

 そして。

 さくらが亡くなった日は。

 僕が自殺しようとしていた日の、朝6時だった。



 僕は混乱した。

 どういうことだろう、なんなんだこれ、信じられない、いつもさくらと逢っているのに。



 その日から、さくらからの電話はなくなった。

 僕はさくらの実家に電話をかけて、弔意を伝えると共に、改めて真実を知った。



 四月。

 僕は、久しぶりに田舎に帰った。

 さくらとよく来ていた公園のベンチに座っていた。

 あまりに小さな公園なので、花見客はいなかった。

 桜がいまを盛りと咲き乱れている。

 そこへ。

 うしろから、さくらが歩いてきた。

 僕には後ろに目がない。

 でも、わかった。わかったんだ。

 さくらだと。

「よっしー」

「ん?」

 僕はほほえんで振り向いた。

 さくらは、僕が高校の時に、お別れのキスをしたときの、学校の制服姿だった。

 その場所は、ここだった。

 ここにくれば。

 あの日から消息が途絶えてしまったさくらともう一度逢えるかもしれない、と思ってここに来たから。

 だから。

 うれしかった。

「あの……」

「いいよ、さ、隣に座って」

「うん……」

 さくらは、沈痛な面持ちで僕の隣に座った。

 華奢でか細い肩は、少し震えているようだった。

「あの……」

「いい。みんな知ってるから」

「じゃあ……」

「うん。大好きだよ。愛してる……さくら」

 僕は、さくらの瞳を見て、いった。

 桜の瞳に僕が映っている。その僕の瞳の中にもさくらが映っている。

「あたしも……よっしーのこと、大好き。愛してる……」

 僕は、どういう表情をすればいいか分からなかったから、少しほほえんだ。

「僕を、励ましに来てくれたんだね?」

「うん」

 さくらはうなずいて、そういった。

「ね、さくら……このまま、ずっと一緒にやっていこう……?」

 でも……僕は、恐かった。

 ……さくらを失うことが。



「だめ……なの……」

 風が吹く。

「どうして?」

 桜が舞う。

「神さまと約束したの、よっしーがひとりで生きていけるようになるまでって……」

「そっか……でも……なんとか、ならないの?」

「なんとも……ならない、の……」

 しばらく、僕たちはだまっていた。



 少しずつ。

 少しずつ、さくらの体が透き通っていく。

「さくら……離したくない……」

 僕は、さくらを抱きしめた。

 体温が感じられない。

「あたしも……一緒にいたいよ……ずっと一緒にいたいよ……でもね……」



 よっしーには、これからの人生があるから。

 その人生を大切に生きていってほしいから。

 あたしは心の中のほんの片隅にいられればそれでいいから。



「だめだよ……だめだよ……僕の中で、さくらの存在は大きすぎるから……。

 とても、とても大切だから……」

「ごめんね……。

 あ、そうだ。

 元日にね、お願いしたこと……。

 よっしーと一緒になりますようにってお願いしたの……。

 でも……やっぱだめかな……」



 一筋の、涙。



「さくら……、別れたくない、離したくない……」

 桜の体は、光輝き始めている。

 さらに透き通っている。

 ベンチから立ち上がり、さくらは僕の腕を通りすぎて桜の樹の下にたった。

「……桜……この季節に、いつでも、逢えるじゃない……」

 僕はさくらのもとにいった。

 抱きしめても、もう、さくらを抱きしめることができない。

「お別れなの……。

 ごめんね……」

 さくらは、僕にキスした。

 触れ合っているように、キスした。

 光のようなキスだった。

「お願いがあるの。

 あのね、

 よっしーの人生は、まだまだこれから長いの。

 いろんなことがあると思う。

 でも、負けないで、挫けないで、いつまでも……。

 いつまでも……あたしの大好きなよっしーのままでいて……」

「うん、うん……」

 僕は流れる涙をとめられなかった。

 さくらも泣いている。

 涙が、光の粒となって頬を伝って落ちては消えていく。

「大好きだよ……いつまでも、愛してるよ……さくら……忘れない……忘れないから……」

「あたしも……大好き、愛してるよ、忘れないよ……よっしー……」

 さくらは、光りの粒となって。

 静かに。

 静かに、天に昇っていった。



 一陣の風が吹く。

 まきあげるように、桜の花びらが舞う。

 雪のように。

 それは、とても雪のように。

 さくらの最後の光を抱きしめている僕に。

 ゆっくりと。

 ゆっくりと、優しく、優しく桜の花びらは舞い降りてきた……。

 どこまでも。

 それはどこまでも。

 白く、白く染め上げられていった……。

 そして。

 光は、消えていった…………。





 慶喜は、最後に小説を書き上げた。

 タイトルは、白い奇蹟。

 その夜。

 原稿をベッドのテーブルの上においたまま、慶喜は、死んでしまった。

 看護婦たちが巡回をしていて、発見したときはもう遅かった。

 胃がんだった。





「神さまがいるとしたら、僕もいると思う。」





「天国がこの世にあるとしたら、僕もあると思う。」





 その日、ひとつの魂が天使によって天国へと迎え入れられた。



 そして。



 ふたつの魂は、永遠に結ばれることとなった。



「待たせて、ごめんね……」

「ううん、そんなことないよ」

「これからは、ずっと一緒だね」

「うんっ♪ 今度こそ、ずぅーーーーっと、一緒にいられるもんね……」



 下界は、おりしも春だった。



 風が、桜をまきあげていく。



 天に、届けとばかりに。



 時に強く……。



 そして。



 時に、誰よりも優しく……。

後書き

未設定


作者 神原平人満(葉桜のえる)
投稿日:2009/10/25 20:10:13
更新日:2009/10/25 20:10:13
『白い奇蹟』の著作権は、すべて作者 過去ログ(管理人投稿)様に属します。
HP『

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