作品ID:1042
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神算鬼謀と天下無双
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 連載中
前書き・紹介
第六話 死者の上に生者は立つ
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第六話 死者の上に生者は立つ
レノーク城とその城下町はお祭り騒ぎとなっている。
街には出店が大盛況となっており、戴冠式を翌日に控え、人々は新たな国王誕生を祝っている。
そんな街の様子を秀孝と呂布は、出店で購入した水を失礼ながらラッパ飲みで飲みつつ、街の中央にある噴水の周囲に設置されたベンチに座って見渡していた。
街の様子を見て秀孝は安心感に包まれていた。
エーベルンの民に活気があり、人々は占領軍から解放された事を喜びながら商売に勤しんでいる。これは、まだ、エーベルンの民がドゴール王国に服従していない事を示している。
「まだ、エーベルンの命運は尽きていない」
それが、秀孝の感想だった。万が一、ドゴールにエーベルンの民が服従してしまっていた場合、どれだけ努力してエーベルン全土を奪還しても、エーベルンの民がライネを、エーベルン王家を支持しなければ王国として成り立つ事は無い。
民無き王など、存在価値は無い。
「で? ……次は何処へ行く?」
ちなみに、秀孝と呂布は現在お忍びで街を散策していた。……大柄で一際目を引く呂布と共に行動しているので、目立つ事この上無いが。
バルハ城砦で二万のドゴール軍を打ち破ってエーベルンの窮地を救い、続くレノーク湖畔での戦いで五万のドゴール軍を殲滅し、レノーク城を無血で奪還せしめた。今や秀孝はエーベルンにとって、無くてはならない重要な人物である。当然、一人で街を散策するなど許されるものでは無い。そこで、呂布に護衛を頼んで街に繰り出したのだが、人選を失敗したと秀孝は心の中で思った。
それともう一つ。秀孝はどうしてもやりたい事があった。できればそれは呂布以外の他者には余り知られたくない事だった。
ベンチから立ち上がり、秀孝と呂布は街の散策を再開した。目指す場所は最初から決めている。事前にレノーク城の守備隊にいたという護衛のマゴにその場所を教えてもらった。
しばらく歩き続けると秀孝はその建物を見つけた。
「ここか?」
呂布が尋ねると、秀孝は頷いた。
秀孝は大きく息を吐いてその建物の中に入った。
「ここは、社か? 神を祭っているのか?」
建物の中は質素ではあるが、荘厳な作りであった。それもそのはず、秀孝が入った建物は教会であった。
「どうかなさいましたか? 旅の方」
秀孝の姿を確認して、一人の女性が声をかけた。秀孝と呂布の顔を見ると、異国の人間であったからだろうか、旅人と勘違いしていた。
「実はお願いしたい事があるのですが……。その……死者の為に鎮魂の祈りを捧げたいのですが、俺は神を信仰していない背信者で、祈り方も知りません。申し訳ないのですが、私の代わりに祈りを捧げて頂けませんか? そんな人間の祈りの言葉よりも、信心深い方の祈りの方が神も聞きやすいと思うのです」
「え? ……それは、貴方ご自身が祈られた方が、お亡くなりになられた方も喜ぶ事でしょう。失礼ですが、お亡くなりになられた方はどのような……」
修道女が申し訳なさそうに言うと、秀孝は首を横に振った。
「いえ、家族や友人ではないのです。……ただ、その……」
秀孝が答えにくそうにしていると、何事かと修道女達が集まってきた。
「どうなさったのですか、皆さん。まだ清掃の時間ですよ? 清掃は終わったのですか?」
集まった修道女達から少し遅れて、一番最年長と思われる修道女が姿を見せた。
「…………修道長様、実はこの旅の方が死者へ祈りを捧げたいと……。ただ、祈り方を知らないので、代わりに祈って欲しいと……」
最初に声をかけた修道女が説明すると、修道長と呼ばれた老女はゆっくりと頷いた。
「旅の方。死者へ祈りを捧げたいとの事ですが、ご家族かご友人を亡くされたのですか?」
「………………」
秀孝は言葉に詰まった。だが、目を瞑り、再び大きく息を吐いた。
「……いえ、俺が殺した人々の鎮魂を願いに来ました」
殺した人々。その言葉に修道女達は驚きと恐怖の表情を浮かべた。ただ一人、修道長と呼ばれた老女を除いて。
「どうかなさいましたか?」
男の声が聞こえて、秀孝は声のする方向に視線を向けた。
そこには三人の騎士が立っていた。
一人は赤毛の大男で、全身から闘志が伝わる。北方方面軍司令官、エドガー=バルバロイ将軍である。エドガー将軍は現在三十四歳。その武勇はエーベルン随一と讃えられる武勇に秀でた武将である。
二人目は金髪の優男で、落ち着いた春風のような男だった。南方方面軍司令官、アルト=エルローン将軍である。アルト将軍は現在二十一歳。エーベルンの将軍達の中で最年少の将軍である。
三人目は黒髪の男で、背丈はエドガー将軍ほどでは無いが、エドガー将軍に匹敵するほど太い腕を持つ男だった。西方方面軍司令官フェニル=アルギン将軍である。フェニル将軍は四十歳。バルバロッサ将軍に一兵卒から見出されたという叩き上げの将軍である。
「軍師がこのような所に何の用だ? ついに自慢の智恵が底を尽いて神頼みか? 常に戦場の後方にて眺めるだけの臆病者め」
エドガーが言うと、呂布がエドガーに向かって一歩進み出た。
「たかが、客将が俺に向かって立ち塞がろうというのか?」
エドガーが挑発の言葉を投げかけるが、呂布はまったく動じなかった。
「エドガー将軍。お二人はライネ様、リューネ様を救ったお方ですぞ」
アルトがエドガーを嗜めると、エドガーは視線を逸らした。
「本城殿、お気になさらず」
アルトが言うと、秀孝は軽く頷いた。
「アルト、何を遠慮する。確かにこの男は智恵が回るが、小細工を弄しているだけだ。戦いは真正面から堂々と戦うものだ。レノーク湖畔で確かに敵に勝利したが、あのような戦い、卑怯にもほどがある。エーベルンの騎士として、名誉と誇りが許さん!」
「………………そうして、真正面から戦いを挑み、今まで一体何人の若きエーベルン兵を無駄に死なせた?」
「なんだと!? もう一回言ってみろ! 今この場で剣の錆にしてやるぞ!」
秀孝の言葉にエドガーは怒りの表情を見せ、剣の柄を手にした。と、同時に呂布も剣の柄を手にした。
「エドガー将軍! 味方同士で殺し合いをするおつもりですか! 本城殿も、今の言葉を取り消してください!」
アルトがとっさに両者に間に立つも、秀孝は一歩たりとも後に下がらず、呂布よりさらに前に進み出た。
「……取り消すつもりも無ければ、一歩たりとも引くつもりも無い! エドガー将軍。あなたはどのような権限を持って、兵の命を弄ぶ。己の名誉か? 己の誇りか? あなたの名誉と誇りが満たされれば、死んだ兵士が生き返ってくるのか!?」
「貴様、本当に死にたいようだな。たかが小細工が得意な新参者が、この俺に説教だと?」
「質問に答えていないぞ。エドガー将軍」
「止めなさい!」
にらみ合いをする秀孝とエドガーはお互いにびっくりして声の主に視線を向けた。修道長であった。
「貴方達は子供ですか」
修道長の言葉に最初に反応したのは秀孝であった。
「子供では無い。だが、必要な事であり、極めて重要な事だ」
「……なぜ、そうまで意固地になってエドガー様に言葉を告げるのですか?」
「俺の国で、エドガー将軍をまったく同じ考えを持った者達が、国の権力を握った。そして、絶対に勝つ見込みがない相手に対して戦争を起こした。俺の祖父がまだ若い頃の時代の事だ」
「……敗北して、酷い結果になったのですか?」
「ああ、とても酷いよ。死者だけだ。負傷者を含めず、死者だけで、兵士は二百三十万! 民は八十万を越える人間が死んだ! たった四年の戦争で! 自分達が負けるはずがない! 自分達は必ず勝利する事ができる! 卑怯な事は出来ない! 正々堂々敵と戦うべきだ! そんな根拠も何も無く戦いを挑み、それだけ死者を増やし、国は焦土となった! 新参者? それがどうした! 死んだ者に対してどうやって贖罪できようか! その遺族に対してどのような謝罪ができようか!」
秀孝の言葉に呂布まで言葉を失っていた。
死者の数が兵と民を合わせて三百万を越えている。想像を絶する数である。
「…………そ、そのような戯言を俺が信じるとでも…………」
「信じなくても構わない。俺をこの場で殺すのも構わない! 名誉と誇りは幾らでも取り戻す事ができ、手にする事ができるが、死んだ兵士は生き返らない。その兵士の家族の嘆きと怨嗟を止める事は出来ない。エドガー将軍! 貴方は、名誉と誇りの為に死ねと数万の兵には言えるが、その数万の兵士の家族に向かって言えるか!? 俺は言える。俺は必要ならば、ここで死ねと言い放つ! 俺は兵法家として、エーベルンの客将となっているからだ! 兵法家の矜持とは、己が軍略を達成する為ならば、世界を制覇する覇王の怒りすら畏れぬ!」
「…………………………」
エドガーは答えなかった。答える事が出来るはずも無かった。
「…………お前が負けだ」
終止符を打ったのは、今まで一言も喋ることも無く、成り行きを見守っていたフェニル将軍であった。エドガーの肩を叩くと、ただ一言だけ言い放った。
言い争いが終わり、アルトは改めて秀孝に視線を向けた。
「本城殿。我等は明日の戴冠式に必要な準備の為にこの教会を訪れたのですが、貴殿はどのようなご用件で?」
「……死者への追悼の為に」
秀孝はただそれだけ言うと、修道長に向かって頭を下げた。
「俺は祈り方を知らない。そして、神への信仰も無い。そんな人間が神に死者への鎮魂を願っても意味は無いだろう。申し訳ないが、代わりに祈りを捧げては頂けないでしょうか」
「……良いでしょう。私がお祈り致します」
修道長は快く承知した。そして、修道長の勧めに従い秀孝は祭壇の前に足を運んだ。
「修道長……俺が名前を言いますので、祈りをお願いできますか?」
「……はい、分かりました。きっと貴方の思いは必ず神は聞き届けてくださいます」
修道長はそう言うと、祭壇の前で膝を地面に付け、頭を垂れて両手組んだ。その姿を見て、秀孝はその直ぐ後に立ち、目を閉じて両手を組んだ。
そして、ゆっくりと、緊張した声で名前を告げた。
それは、一人ではなかった。次々と秀孝の口から名前が告げられる。修道女達も、エドガー、アルト、フェニル、呂布の四人も、最初は興味本位で聞いていたが、途中からそれは驚愕に変わっていた。
十人、二十人と増え続け、秀孝が告げる名前が明らかに百人を超えた。それでも秀孝は名前を告げ続ける。
それは、誰も立ち入る事を許さない、神聖な儀式か何かであった。
秀孝がひたすら懸命に名前を告げ、修道長が穏やかな表情で祈りを続けていた。
そして、それは永遠に続くかと思われた。
気が付くと秀孝が告げる名前が千人を越え、すでに二時間以上の時間が経過していたからである。だが、秀孝はひたすら名前を語り続けた。
その儀式のような祈りは四時間近く続き、そしてようやく秀孝は最後の名前を告げた。
「以上、エーベルンの民の土地と平穏を取り戻す為、勇敢に戦った憂国の戦士達、二千四十五名。そして、この地で死んだドゴール兵七万名。この俺がこの手で殺した人々の鎮魂を願う」
教会の中は嵐の前の様に静まり返っていた。
誰一人として言葉を発する事が許されない様だった。それを最初に打ち破ったのはアルトであった。
「あ、貴方という人は、今までの戦いで死んだ全ての兵の名を覚えていらっしゃるのですか!」
驚きの表情と共に、アルトは驚嘆の声を挙げた。
「ああ。誰が死んだのか、常に戦闘終了後確認させている。俺は手に持つ武器では無く、知識を武器として戦う。故に、刃が交わる戦場で戦う事は無い。そんな俺ができる事は、その名をかくのごとく記録し、後世に残す事だ。大量虐殺者である俺が実行しても良い行いなのかどうか、結構……迷ったけどね」
「虐殺だと? 戦いの結果だろう」
エドガーが言うと、秀孝は首を横に振った。
「エドガー将軍。俺は呪われるべき存在なのです。実行者は兵でも、その方法を考えたのは間違い無く、俺です。そして、エーベルンの兵を死地に送り込んだのも、俺です」
「………………ああ、もう! 面倒くせぇ奴だな。何でお前は一人で背負い込む? さっきもそうだ! 俺がイラつくのは、お前は全部自分が悪い、自分が全部責任を取るような事を言うのが気に喰わないんだよ!」
秀孝はエドガーの言葉に目を見開いた。まさか、そんな言葉を掛けられるとは思わなかったからだ。
「……貴方は心優しい方なのですね」
修道長が言うと、秀孝は自嘲気味に嗤った。
「心優しい? 七万人近い人を殺した大量虐殺者が心優しいと思いますか?」
「で、でも、それはドゴール兵で……」
若い修道女の一人が言った瞬間、秀孝はその修道女を睨み付けた。
「ドゴールだから? 何だ? 人では無い魔物とでも言うのか? 彼等は軍隊だ。命令されてこの地に来て、そして戦った。それだけだ。母国には故郷があり、家があり、家族がいて、友人がいる。エーベルンの兵、そして民と何が違う?」
秀孝の言葉に、若い修道女は反論する事もできず、閉口してしまった。
「やはり、貴方は心優しい人ですね」
修道長は微笑みを浮かべながら再び秀孝に言い、そして近くにある椅子に座った。
「どの国の王も、将軍達も、兵も民も、相手は憎むべき敵だから。そういう理由で命を奪う。でも、貴方は確かに命を奪えど、戦う相手が同じ人である事、同じように愛する家族と共に生活を営む人々である事を理解されている。そして、貴方はそんな相手を殺してしまった事、それ自体を悔やんでらっしゃる。心優しいと言わず、何と言えば宜しいのでしょう」
「…………理解しているのでは無く、それは当然の事だ」
「その当然である事が特別なのです。貴方は…………戦争を憎んでいらっしゃるのですね」
「ま、憎んでいるか……と、問われれば、憎んでいます。戦争はあくまで外交の一手段に過ぎず、本来は国土防衛の為、民を守護する為にやむなく選択する最終手段です。もし、使用するならば、それは国土防衛、治安維持、そして、矛盾するかも知れませんが経済的理由です」
「経済的理由?」
「例えば……民が餓えているならば、農業政策を実行する。それでも民が餓えるならば、攻め込んで奪うしかないでしょう。みすみす餓死させる訳にもいきませんから。そもそも、そのような状態になること。君主が、その家臣が無能と言える。まぁ、天災という例外中の例外もあるが……」
秀孝は出口に向かって振向き、ゆっくりと歩き始めた。それに呂布が続いた。
二人が教会を出た後、アルトはエドガーを見た。
「……エドガー将軍」
「何だ?」
「…………我々は、もしかしたら賢者と会話をしているのかもしれません」
「賢者? あれが?」
「どのように戦うか。私も、頭で戦う将でありますから、それが当然なのですが……。私の知識は、軍師殿の足元にも及ばない」
「……俺はそんな細かい事は知らん」
エドガーは面倒くさそうに言い放った。
「だが、ただ単に小細工を弄して、後方で眺めているだけの奴…………では無いようだ」
「……我も同意だ」
エドガーの言葉にフェニルが応じた。
「エドガー将軍も人が悪い。あのような言い方をなさらずとも良かったでしょうに」
「これが、俺だ」
エドガーはそう言うと、出口に向かって歩き始め、フェニルがそれに続いた。
「修道長、お騒がせして申し訳ありませんでした。明日の戴冠式の件、宜しくお願い致します」
「はい、わかりました。でも、騒がしいのは私、嫌いではありませんよ」
「……そう言って頂けると恐縮です」
アルトは修道長に向かって頭を下げ、教会を後にした。
教会の騒ぎから一昼夜経過し、秀孝は自室で全面戦争を繰り広げていた。
「いつもの服装がやはり一番しっくり来るな」
秀孝は微笑みながら鏡を見て頷いた。
そんな秀孝の周囲には散乱した無数の豪華な衣装がある。それは、侍女達と秀孝の戦争の結果であった。
「……秀孝様。やはり、その衣装は如何な物と考えます。せめて、本日は別の服装を着て頂けませんか? 今日はライネ様の戴冠式でございます。……失礼ではございますが、そのような服装では……まるで……その……大道芸人としか……」
そう言ったのは、エルキアというまだ十六歳の侍女であった。
彼女を秀孝の元へ送り出したのはリューネである。と言うのも、リューネはエルキアという侍女とは幼い頃から共に育ち、王女と侍女という壁を越えた親友である。
エルキアを含め、王都から脱出した者達がレノーク城に集結した。
彼等は王都を脱出する際、亡くなった先代国王の命令で王宮内の秘密文書等を持ち出し、レノーク城近くの隠れ家に潜伏していたのである。
これは、エーベルン王家の非常時の備えであった。万が一、王都が危機に瀕した場合、レノーク城を基点として反撃する為、必要な文書を持ち出して王都から脱出するのである。
本来王家の者が脱出する為の隠れ家であるが、残念ながら国王夫妻の脱出は叶わなかった。
脱出した者達の証言に寄れば、先代国王夫妻は生き残るよりもライネに託すという選択肢を選び、少しでも復興に必要な文官達や文書を遠くに逃がす事を選んだとの事だった。
レノーク城に到達するより早く、ドゴール軍が先にレノーク城を制圧してしまったが、バルハ城砦にいるライネ信じて彼等は雌伏の時を過していたのである。
「別にそんなに畏まる必要もないだろう?」
秀孝が言うと、エルキアは両手を腰に当てて秀孝に迫った。
「いいですか! 戴冠式なのですよ! た・い・か・ん・し・き! ライネ様の名声に傷を付けるおつもりですか!」
「だが断る! 俺はNOとハッキリ言える日本人です! キリッ!」
秀孝はきっぱりと言い放った。
「ちっ…………で、では、このマントを。意匠もあり、少しは威厳が出るかと。それに、この鷹の羽飾りの帽子と、装飾品を……」
「俺に威厳が必要だと思うか? つか、今君舌打ちした?」
「空耳でしょう。それはともかく、威厳は必要です! 秀孝様はライネ様の家臣でございます!」
「残念。俺はただの客将だ」
「例え客将でもです! 呂奉先様も身なりを整えていらっしゃいますよ!? 貴方お一人だけなのです!」
「呂布はいいんだよ。元は一国の将軍だし。俺はただの平民。貴族でもなんでもない」
「それこそ、余計に他者に侮られます!」
「言いたい奴には言わせておけ。俺には威厳は必要無い」
秀孝が言うと、秀孝の背中に蹴りが飛んだ。
「いい加減にしろ。ライネ様、リューネ様のお二方に恥を掻かせる気か」
蹴りを入れたのは近衛騎士の一人、ヒエン=ルートリアである。この時、二十一歳。リューネ直属の護衛であり、近衛騎士の中でも一際目立つ美人である。蛇足ではあるが、胸もリューネより大きい。だが、武芸も近衛騎士の中で随一である。そして、リューネは彼女を武芸の師として信頼している。
手を出す早さも随一じゃないか? とは、ここでは控えて置く。
彼女も今回合流した一人である。運悪く病気の療養の為、王都に居残りをしていたのである。
リューネと再開した時は、二人とも抱き合ってお互いの無事を喜んでいた。それだけで、リューネがどれだけヒエンを信頼しているか、窺い知れた。
「お前如きの為に私の貴重な時間を使わせるな」
「ひどっ! 如きって言われた!」
「とにかく、さっさと着替えろ! 戴冠式に遅れる!」
「よし、こうしよう」
秀孝は手を叩いて、エルキアを見つめた。
「エルキア、君が俺の名代として……」
「お前が出ろ!」
再び、今度は手加減なしの蹴りが秀孝の背中を襲った。
レノーク城内は戴冠式を直前に控え、とにかく慌しかった。
しかし、秀孝にとってそれはどうでもいい事であった。それよりも重要な事は、ドゴールが今後どう動くかで対応が大きく変更される事だ。
秀孝は、久秀と共謀して、ライネ、リューネ、呂布にまで秘密にした部隊を創設している。
それは、伊賀崎道順率いる諜報部隊である。現在道順率いる諜報部隊はドゴールの動向を逐一秀孝に報告していた。
彼等の実力は秀孝も久秀も高く評価している。以前のレノーク湖畔での戦いの際、ドゴール軍偵察部隊を逆に偵察し、ドゴール軍がどう動いているか、報告してきた事により秀孝の作戦はより完成された作戦へとなったのである。
「…………ん? もう、来たか」
妥協案で豪華な刺繍を施したマントを身につけた秀孝が廊下を歩き城内にある庭に出た時、一人の兵士が秀孝に近づいた。兵士の胸には小さな花が添えられていた。
「……告げる。北方、南方より撤収。東部方面でも動きあり。ドゴール全戦力王都集結する可能性大」
兵士はそれだけ言うと、すぐさま花を取り外してその場から立ち去った。
「…………………………」
秀孝は返事も頷きもせず、思案に暮れた。
ドゴール軍が集結している。それは、敵が攻勢に出る為と考えられる。だが、まだ足りない。
ドゴール軍エーベルン侵攻軍の現在の兵力は十三万。それが一箇所に集結している。一方のエーベルン軍もレノーク城に集結しているが、現在の兵力は四万二千。増えたのは傭兵と新たに加わった周辺領主の兵士達である。
領主では無く、領主達の兵。というのが実は秀孝と久秀の企みである。
一度ドゴールに降伏して、我が身の保身を図った領主など信用できる訳が無い。だが、彼等を受け入れないと兵力を増やせないというのも事実であった。
そこで、二人は嘘を交えた論議で領主達を言いくるめた。
「ドゴールから解放された領民達の心の安定と火事場を狙った盗賊から民を守る為、領主達はそのまま各地の領地を必要最低限の兵力と共に治安維持をしつつ待機すべし。余剰兵力は全てレノーク城へ預けるように。兵力の多さで忠誠心を測る訳では無いから領主達は安堵するように。但し、どれだけの兵力で各々の領地を維持するのか? 各自の領主としての能力は試される可能性があるので、注意すべし」
詐欺にも似た実にあくどい手法であった。
まだ、兵力を送っている領主も居るので、最終的には五万近くまで兵力は増える予定である。しかし、それでも。
「たった五万で、十三万の敵と戦うのか」
敵より兵力を整えて挑むというのは、どうやら永遠に叶えられそうに無い。だが、しかし。
「勝算はある」
秀孝はポツリと呟いた。秀孝は事前に敵が選ぶであろう戦場を選択肢していた。そもそも十三万もの大兵力を自由に展開できる場所など、そうそうあるものでは無い。
そして、そこでどのように戦うか。すでに秀孝の腹の内では決まっていた。
だが、敵が本国から十万の増援を送られた場合、これが根底から覆る。
二十三万となると、敵が三つの戦力で分散して攻めてきた場合、各個撃破できるように思えて、実はそうではない。各部隊は約七万。レノーク城を初めとする全ての根拠地を制圧された場合、エーベルンは終焉を迎える。
やり方はとてもシンプルだ。部隊の一つが七万の兵力で五万のエーベルンに張り付いて戦おうとせず、他が自由自在に動き回れば対処が出来ない。
その場合は七万の敵部隊を翻弄し、文字通り変幻自在に立ち回る必要性がある。
「……考えるだけ鬱だ」
やはり、十三万という兵力の有利を敵が利用し、エーベルンを叩き潰そうとする動きをするように誘導する方法を考えたほうがまだ現実的だ。
「また悩み事か? まぁ、いつもの事だが」
背後からリューネの声が聞こえた。そして、秀孝は声がする方向に振り向いた。
「…………………………………………」
絶句した。
普段、男装しているリューネを見慣れているからかもしれない。いや、それを抜きにしても絶句しない方が、感覚が麻痺しているのではないかと疑いたくなる。
リューネは普段の動き易い男装ではなく、一国の王族に相応しい純白のドレスに身を包んでいる。まさしく可憐な王女と言うには言葉が足りない! 頭に黄金のティアラ、胸の谷間に見えるのは無数の宝石をあしらったネックレス。しかも、そのドレスは大胆に肩が空いており、それがとても妖艶に見える。リューネがとても妖しく、そして美しく見えた。
いや、元々顔立ちはかなり美人なのだが。服装が変わるだけでこうも印象が変わるのか。
「お、おい。そんなに真顔でジロジロ見られると、私も恥ずかしいぞ」
顔を紅く染めたリューネがとても愛らしく見えた。
あ、あれ? ひょっとして、リューネって凄いカワイイ女の子なのか? あれ? 俺は今、恥らうリューネの姿を見て胸がドキリとしたのか? 男として反応したのか? アリエナイ! あってはならない! 普段、いつもツンツンして、いつもライネの横で俺を睨みつけている女が、ドレスを着て恥ずかしがっているだと!? これは、夢だ。いや、幻に違いない!
「あ、ああ、まぁ、その、似合ってるよ。うん」
なんとか秀孝はそれだけ言って、元の体勢に戻った。
「何だ! その反応は!」
頭に手が添えられたかと思うと、物凄い勢いでその手は秀孝をリューネの方向に振り向かせた。
グキリッ! という、異音と共に。
ヒエンであった。今思い返せば、リューネの傍にヒエンが立っていた。
リューネに見惚れて、ヒエンの存在を忘れていた!
「ちょ、おま! 何を……! つか、今、鳴ってはならない音が首から鳴ったぞ!」
「黙れ! あれほどジロジロ見たんだ! キチンと感想を言え!」
「言えるか! 恥ずかしいわ!」
「そ、そんなに私の格好は変なのか?」
リューネが疑問を投げかけると、ヒエンの握力が増した。
「貴様! リューネ様が変だというのか! この場で頭を潰すぞ!」
三人がじゃれ合っている……のか、よく分からない風景を二人は暖かく見守っていた。
ライネと呂布である。
「……何をしているんだ、あの三人は」
呆れた様子で呂布は見つめていた。
「良いでは無いか。とても仲が良いようだ」
ライネは姉らしい笑みを浮かべながら見つめていた。
「それはそうと、ライネ様。この度の国王としての戴冠の儀、一客将として心よりお祝い申し上げる。不肖不才ではございますが、今後ともエーベルン王家の為、エーベルンの民の為、微力ながらお手伝いする事、ここに改めてお約束いたします」
「呂奉先殿。貴殿の武勇、それは誰もが認める所である。今後ともエーベルンに力を貸してくれ」
「ライネ様、どうぞ、呂布とお呼び下さい。貴方様は一国の主であり、私は客将であります」
「……では、呂布殿。……今度はリューネが秀孝の首を完全に極めてしまっているのだが……あれはどうしたものであろうか?」
「リューネ様には少し慎みが必要かと……」
「おや、顔色が青くなってきたな……。あれほど照れ隠しするリューネというのは始めて見る。余程恥ずかしいのか……」
「……………………早めに止めるべきかと」
「やれやれ、国王になる前の最期の仕事が、妹が部下と共に客将軍師の首を締め上げて殺そうとするのを止める事とはな」
ライネは大きく溜息を吐きながら三人の元へ向かった。
戴冠式は盛大に行われた。
一国の王が即位するには客が少ないが、戦時中である為、それは仕方が無い。
戴冠の儀が終わり、ライネは頭にある王冠を外し、武官、文官、それぞれが左右に並ぶ光景を見つめた。
ライネの左隣にはリューネも控えている。
「……客将、呂奉先! 客将、本城秀孝! 両名、私の前に出よ」
突然名前を呼ばれ、二人はゆっくりとライネ王の前に膝を付いた。
「呂布よ。貴殿の武勇に比類する者は無く、数々の敵兵を討ち取り、その武功は大である。秀孝、お前の智略はバルハ城砦でドゴール軍を撃退し、レノーク湖畔ではドゴールの大軍を打ち破り、このレノーク城奪還を達成した。お前がいなければ、エーベルンは既に滅亡していただろう。その軍功は同じく大である。二人が望むのならば、私はお前達を家臣として取り立て、貴族に列するであろう」
呂布は答えなかった。ただ、秀孝に視線を向けた。
「…………ん? 俺が決めて良いのか?」
秀孝が尋ねると、呂布は大きく頷いた。
「…………では、陛下に恐れながら申し上げます。我等両名、謹んでお断り申し上げます」
「やはり、断るのか」
ライネは最初から断られる事を分かっていた様だった。
「はい。私も呂布も、地位を得る為でも無く、権威を手にする為でも無く、名誉を得る為でも無く、名声を得る為でも無く、ただ、右も左も分からず、困窮していた所を陛下に助けて頂いた恩に報いる為に戦いました」
「恩はもう十分に返せている。それでは、此処に留まる理由が無いではないか」
「ええ。しかし、一度始めた戦いは、最後まで終わらせなければなりません。故に、私は無位無官のままで結構。ただ、この戦を終わらせる為に留まります。いつか、私が居るべき場所に戻るその瞬間まで」
「呂布も同じか」
「…………はっ」
「何でも望めば良いのだぞ? 遠慮する必要は無いぞ」
「…………では、恐れながら、幾つかの嘆願をお聞き届け願えますでしょうか」
「遠慮するな」
「では、一つ目、戦死した兵士達の遺族へ見舞金をお願い申し上げます」
「良かろう。金は無限にある訳ではないが、文官達と吟味しよう」
「次に、軍の再編成をして頂きたい。現在、我々は敗残兵が合流した軍と言えます。故に、これを一つに纏め上げる為に、軍を再編成し、軍律を改めようと思います。すでにその草案は出来ており、これを諸将すべてのご意見を伺いたいので、その機会を頂きたい」
「話し合いの場を設けるのだな、良かろう。軍の再編成についても了承した。軍律に関してだが、まず私にその草案を見せるように」
「次に、私のような人物の保護です。中には大魚と言える逸材もいることでしょう。是非、ご協力頂けますよう、お願い申し上げます」
「了承した。既に、松永久秀という、逸材が見つかった事だしな。この戴冠の儀を整えたのも奴だ。確かに、信用は出来ないが、信頼は出来るようだ。他には?」
「ある人物を抜擢して頂きたいと願います」
「ある人物?」
秀孝は立ち上がると、武官、文官が並ぶ列の中にいる一人を探した。
「ああ、いたいた。ローラ=クェス。陛下の御前に出られよ」
名前を呼ばれて出てきたのは、長い黒髪の若く美しい女性文官であった。
ただ、名前を呼ばれる事も、ライネの前に出る事も予想していなかったのか、その顔は驚きと困惑で満ちていた。
「ライネ陛下に奏上致します。この者、バルハ城砦戦以後、エーベルン全軍の糧食、補給物資を管理していた者でございます。この者がいたからこそ、限られた物資の中でレノーク湖畔の作戦が実行する事ができました。その軍功は絶大にして、実に貴重な逸材です。彼女が軍事物資全てを統括する役職に就任する事を推挙致します」
秀孝の言葉に周囲から疑問の声があった。
たかが補給物資を運んだから、監理したから、それがどのような功なのか?
誰にでも出来る事が功になるなら、誰も苦労はしない。
などなど、多方面から批難の声があがった。ライネは右手を挙げてそれを制して、改めて秀孝に視線を向けた。
「後方で物資を監理するのが、軍功とお前は言うのか?」
「彼女が水、食料、馬の草、各種の薬を調達し手配しなければ、我々は餓えた兵で戦うことになり、戦う所か、立ち上がることも出来なかった事でしょう。彼女が武器、防具、馬、それを運ぶ馬車を用意しなければ、我々は王都に辿り着く前に全員餓死して倒れていた事でしょう。彼女が川の流れのように補給を万全にしてくれたからこそ、我々は戦う事ができた、立ち上がる事が出来た。俺は兵が万全の状態で戦う事ができるという前提で考える事が出来た。彼女が最大の功績者で無ければ、一体誰が最大の功績者なのか? 俺は餓えた兵で戦う術を知らない」
秀孝の断言とも言える発言であった。
「そうか、補給物資の監理か。そこまで重要に考えた事はなかったが」
「場合によっては戦局そのものを左右します。もし、敵がこれを疎かにしているならば、私は例えドゴールが百万の歩兵、五十万の騎兵を揃え、エーベルンに侵攻してこようと、そのこと悉くを打ち破り、ドゴール王国そのものを地図から消し去ってご覧に入れましょう。無論、敵もそこまで愚かでは無いでしょうが」
「……万が一、疎かであれば、それは可能か?」
「可能です。それは、我等エーベルンが百万の軍勢を揃えてドゴールに攻め込んでも同じでしょう」
「……良く理解した。ローラ=クェス!」
「は、はいっ! 陛下!」
「お前を軍事物資の統括総責任者に命じる。……役職名は……そうだな、主席兵站監督官とでも名付けようか。尚、この役職の権限は将軍と同格とする」
「えっ! そ、そのような……」
余りに突然の鶴の一声にローラは狼狽しきっていた。ただの文官から将軍と同格の役職に大抜擢である。
「ローラ殿。今後、貴方には無理を強いる事が多々あるでしょうが、信頼してお任せいたします。今後も、宜しくお願い申し上げる」
秀孝はそう言うと、深く頭を下げた。
「え、あ、はい! こ、こちらこそ、宜しくお願い申し上げます!」
「呂布は何かないのか?」
ライネが尋ねると、呂布はゆっくりと立ち上がった。
「レノーク城外から兵を雇いたい、数は五百。これを騎兵として育てたい」
「………………レノーク城外……だと?」
「そうだ。おそらくエーベルンで最も弱兵であろう。我が最強の騎兵部隊にしてみせる」
「呂布は騎兵の指揮官としては随一だからねぇ」
秀孝は笑いながら呂布の背中を叩くと、呂布は大きく頷いた。
「何故、城外の者を改めて雇う? 精鋭騎兵を望むなら分かるのだが」
「これは、秀孝から聞いた事なのだが、次の戦で最強の戦力になるのは城外にいる者達であると」
「なんだと?」
ライネは驚いて秀孝に視線を向けた。
「…………ま、理由は簡単です。彼等は、家を失い、土地を失って行き場の無い者達です。そんな彼等にも守りたい者がいる」
「それは、誰でも同じであろう」
「……違います。陛下、万が一我等が敗れた場合、真っ先に攻撃の対象となる者。略奪、強姦、暴行、虐殺の最初に対象に選ばれるのは城外にいる力無き者達です」
「っ!」
「彼等は命を賭けて戦う事でしょう。地位でも、名誉でも、出世でも、金の為でも無く、自分自身が愛する家族の命を守る為、その未来を守る為、文字通り死を決した決死の兵として。……死ぬ覚悟で大切な者を守ろうとする者。これ以上の最強の兵がこの世にいますか?」
「…………よかろう。城外から希望する者を集え。数は五百。武器、防具、馬は準備させよう。……ローラ、装備の支給を任せるが、良いか?」
「かしこまりました」
「呂布。彼等が使えるようになるまで、どの程度時間が必要だ?」
秀孝が尋ねると、呂布は少し考えて答えた。
「一ヶ月。但し、まず試しを行い、その中から千人雇い、五百まで篩いに掛ける」
「では、必ず一ヶ月で兵を仕上げてくれ。それ以上は一刻も待たない」
「必ず」
「…………秀孝」
ライネが呼ぶと、秀孝はライネに視線を向けた。
「はっ! 陛下」
「これより、お前を軍師として改めて命じる。そして、我はお前に全軍の指揮権を与える。リューネ、バルバロッサ、エドガー、アルト、フェニル、そして、呂布。全ての武官は秀孝の指示に従え。これは勅命である」
『はっ!』
武官全てがライネに頭を下げる。そして、それより一つ遅れて秀孝も頭を下げた。
「久秀」
「はい、陛下」
続けてライネは久秀の名を呼んだ。
「お前には文官長を命じる。これはあくまで一時的な措置である。全ての文官の長となり、国政の取り纏めを取り仕切れ」
「了解しました」
「皆の者に伝える。これは勅命として命じる。我、ライネ=エーベルンは、エーベルンの国土をドゴールから奪還するまで、如何なる困難があろうと決して戦いを止める事は無い。故に、皆の力と皆の智恵を我に貸せ。少しでも早く戦を終わらせる為に! 良いな!」
『はっ!』
エーベルン王国の新たな歴史がライネの言葉により、始まりを告げる。
エーベルン第十七代国王、ライネ=エーベルンは国王の座に就いた。
ドゴール王国の王都襲撃から二ヵ月後の事である。
レノーク城とその城下町はお祭り騒ぎとなっている。
街には出店が大盛況となっており、戴冠式を翌日に控え、人々は新たな国王誕生を祝っている。
そんな街の様子を秀孝と呂布は、出店で購入した水を失礼ながらラッパ飲みで飲みつつ、街の中央にある噴水の周囲に設置されたベンチに座って見渡していた。
街の様子を見て秀孝は安心感に包まれていた。
エーベルンの民に活気があり、人々は占領軍から解放された事を喜びながら商売に勤しんでいる。これは、まだ、エーベルンの民がドゴール王国に服従していない事を示している。
「まだ、エーベルンの命運は尽きていない」
それが、秀孝の感想だった。万が一、ドゴールにエーベルンの民が服従してしまっていた場合、どれだけ努力してエーベルン全土を奪還しても、エーベルンの民がライネを、エーベルン王家を支持しなければ王国として成り立つ事は無い。
民無き王など、存在価値は無い。
「で? ……次は何処へ行く?」
ちなみに、秀孝と呂布は現在お忍びで街を散策していた。……大柄で一際目を引く呂布と共に行動しているので、目立つ事この上無いが。
バルハ城砦で二万のドゴール軍を打ち破ってエーベルンの窮地を救い、続くレノーク湖畔での戦いで五万のドゴール軍を殲滅し、レノーク城を無血で奪還せしめた。今や秀孝はエーベルンにとって、無くてはならない重要な人物である。当然、一人で街を散策するなど許されるものでは無い。そこで、呂布に護衛を頼んで街に繰り出したのだが、人選を失敗したと秀孝は心の中で思った。
それともう一つ。秀孝はどうしてもやりたい事があった。できればそれは呂布以外の他者には余り知られたくない事だった。
ベンチから立ち上がり、秀孝と呂布は街の散策を再開した。目指す場所は最初から決めている。事前にレノーク城の守備隊にいたという護衛のマゴにその場所を教えてもらった。
しばらく歩き続けると秀孝はその建物を見つけた。
「ここか?」
呂布が尋ねると、秀孝は頷いた。
秀孝は大きく息を吐いてその建物の中に入った。
「ここは、社か? 神を祭っているのか?」
建物の中は質素ではあるが、荘厳な作りであった。それもそのはず、秀孝が入った建物は教会であった。
「どうかなさいましたか? 旅の方」
秀孝の姿を確認して、一人の女性が声をかけた。秀孝と呂布の顔を見ると、異国の人間であったからだろうか、旅人と勘違いしていた。
「実はお願いしたい事があるのですが……。その……死者の為に鎮魂の祈りを捧げたいのですが、俺は神を信仰していない背信者で、祈り方も知りません。申し訳ないのですが、私の代わりに祈りを捧げて頂けませんか? そんな人間の祈りの言葉よりも、信心深い方の祈りの方が神も聞きやすいと思うのです」
「え? ……それは、貴方ご自身が祈られた方が、お亡くなりになられた方も喜ぶ事でしょう。失礼ですが、お亡くなりになられた方はどのような……」
修道女が申し訳なさそうに言うと、秀孝は首を横に振った。
「いえ、家族や友人ではないのです。……ただ、その……」
秀孝が答えにくそうにしていると、何事かと修道女達が集まってきた。
「どうなさったのですか、皆さん。まだ清掃の時間ですよ? 清掃は終わったのですか?」
集まった修道女達から少し遅れて、一番最年長と思われる修道女が姿を見せた。
「…………修道長様、実はこの旅の方が死者へ祈りを捧げたいと……。ただ、祈り方を知らないので、代わりに祈って欲しいと……」
最初に声をかけた修道女が説明すると、修道長と呼ばれた老女はゆっくりと頷いた。
「旅の方。死者へ祈りを捧げたいとの事ですが、ご家族かご友人を亡くされたのですか?」
「………………」
秀孝は言葉に詰まった。だが、目を瞑り、再び大きく息を吐いた。
「……いえ、俺が殺した人々の鎮魂を願いに来ました」
殺した人々。その言葉に修道女達は驚きと恐怖の表情を浮かべた。ただ一人、修道長と呼ばれた老女を除いて。
「どうかなさいましたか?」
男の声が聞こえて、秀孝は声のする方向に視線を向けた。
そこには三人の騎士が立っていた。
一人は赤毛の大男で、全身から闘志が伝わる。北方方面軍司令官、エドガー=バルバロイ将軍である。エドガー将軍は現在三十四歳。その武勇はエーベルン随一と讃えられる武勇に秀でた武将である。
二人目は金髪の優男で、落ち着いた春風のような男だった。南方方面軍司令官、アルト=エルローン将軍である。アルト将軍は現在二十一歳。エーベルンの将軍達の中で最年少の将軍である。
三人目は黒髪の男で、背丈はエドガー将軍ほどでは無いが、エドガー将軍に匹敵するほど太い腕を持つ男だった。西方方面軍司令官フェニル=アルギン将軍である。フェニル将軍は四十歳。バルバロッサ将軍に一兵卒から見出されたという叩き上げの将軍である。
「軍師がこのような所に何の用だ? ついに自慢の智恵が底を尽いて神頼みか? 常に戦場の後方にて眺めるだけの臆病者め」
エドガーが言うと、呂布がエドガーに向かって一歩進み出た。
「たかが、客将が俺に向かって立ち塞がろうというのか?」
エドガーが挑発の言葉を投げかけるが、呂布はまったく動じなかった。
「エドガー将軍。お二人はライネ様、リューネ様を救ったお方ですぞ」
アルトがエドガーを嗜めると、エドガーは視線を逸らした。
「本城殿、お気になさらず」
アルトが言うと、秀孝は軽く頷いた。
「アルト、何を遠慮する。確かにこの男は智恵が回るが、小細工を弄しているだけだ。戦いは真正面から堂々と戦うものだ。レノーク湖畔で確かに敵に勝利したが、あのような戦い、卑怯にもほどがある。エーベルンの騎士として、名誉と誇りが許さん!」
「………………そうして、真正面から戦いを挑み、今まで一体何人の若きエーベルン兵を無駄に死なせた?」
「なんだと!? もう一回言ってみろ! 今この場で剣の錆にしてやるぞ!」
秀孝の言葉にエドガーは怒りの表情を見せ、剣の柄を手にした。と、同時に呂布も剣の柄を手にした。
「エドガー将軍! 味方同士で殺し合いをするおつもりですか! 本城殿も、今の言葉を取り消してください!」
アルトがとっさに両者に間に立つも、秀孝は一歩たりとも後に下がらず、呂布よりさらに前に進み出た。
「……取り消すつもりも無ければ、一歩たりとも引くつもりも無い! エドガー将軍。あなたはどのような権限を持って、兵の命を弄ぶ。己の名誉か? 己の誇りか? あなたの名誉と誇りが満たされれば、死んだ兵士が生き返ってくるのか!?」
「貴様、本当に死にたいようだな。たかが小細工が得意な新参者が、この俺に説教だと?」
「質問に答えていないぞ。エドガー将軍」
「止めなさい!」
にらみ合いをする秀孝とエドガーはお互いにびっくりして声の主に視線を向けた。修道長であった。
「貴方達は子供ですか」
修道長の言葉に最初に反応したのは秀孝であった。
「子供では無い。だが、必要な事であり、極めて重要な事だ」
「……なぜ、そうまで意固地になってエドガー様に言葉を告げるのですか?」
「俺の国で、エドガー将軍をまったく同じ考えを持った者達が、国の権力を握った。そして、絶対に勝つ見込みがない相手に対して戦争を起こした。俺の祖父がまだ若い頃の時代の事だ」
「……敗北して、酷い結果になったのですか?」
「ああ、とても酷いよ。死者だけだ。負傷者を含めず、死者だけで、兵士は二百三十万! 民は八十万を越える人間が死んだ! たった四年の戦争で! 自分達が負けるはずがない! 自分達は必ず勝利する事ができる! 卑怯な事は出来ない! 正々堂々敵と戦うべきだ! そんな根拠も何も無く戦いを挑み、それだけ死者を増やし、国は焦土となった! 新参者? それがどうした! 死んだ者に対してどうやって贖罪できようか! その遺族に対してどのような謝罪ができようか!」
秀孝の言葉に呂布まで言葉を失っていた。
死者の数が兵と民を合わせて三百万を越えている。想像を絶する数である。
「…………そ、そのような戯言を俺が信じるとでも…………」
「信じなくても構わない。俺をこの場で殺すのも構わない! 名誉と誇りは幾らでも取り戻す事ができ、手にする事ができるが、死んだ兵士は生き返らない。その兵士の家族の嘆きと怨嗟を止める事は出来ない。エドガー将軍! 貴方は、名誉と誇りの為に死ねと数万の兵には言えるが、その数万の兵士の家族に向かって言えるか!? 俺は言える。俺は必要ならば、ここで死ねと言い放つ! 俺は兵法家として、エーベルンの客将となっているからだ! 兵法家の矜持とは、己が軍略を達成する為ならば、世界を制覇する覇王の怒りすら畏れぬ!」
「…………………………」
エドガーは答えなかった。答える事が出来るはずも無かった。
「…………お前が負けだ」
終止符を打ったのは、今まで一言も喋ることも無く、成り行きを見守っていたフェニル将軍であった。エドガーの肩を叩くと、ただ一言だけ言い放った。
言い争いが終わり、アルトは改めて秀孝に視線を向けた。
「本城殿。我等は明日の戴冠式に必要な準備の為にこの教会を訪れたのですが、貴殿はどのようなご用件で?」
「……死者への追悼の為に」
秀孝はただそれだけ言うと、修道長に向かって頭を下げた。
「俺は祈り方を知らない。そして、神への信仰も無い。そんな人間が神に死者への鎮魂を願っても意味は無いだろう。申し訳ないが、代わりに祈りを捧げては頂けないでしょうか」
「……良いでしょう。私がお祈り致します」
修道長は快く承知した。そして、修道長の勧めに従い秀孝は祭壇の前に足を運んだ。
「修道長……俺が名前を言いますので、祈りをお願いできますか?」
「……はい、分かりました。きっと貴方の思いは必ず神は聞き届けてくださいます」
修道長はそう言うと、祭壇の前で膝を地面に付け、頭を垂れて両手組んだ。その姿を見て、秀孝はその直ぐ後に立ち、目を閉じて両手を組んだ。
そして、ゆっくりと、緊張した声で名前を告げた。
それは、一人ではなかった。次々と秀孝の口から名前が告げられる。修道女達も、エドガー、アルト、フェニル、呂布の四人も、最初は興味本位で聞いていたが、途中からそれは驚愕に変わっていた。
十人、二十人と増え続け、秀孝が告げる名前が明らかに百人を超えた。それでも秀孝は名前を告げ続ける。
それは、誰も立ち入る事を許さない、神聖な儀式か何かであった。
秀孝がひたすら懸命に名前を告げ、修道長が穏やかな表情で祈りを続けていた。
そして、それは永遠に続くかと思われた。
気が付くと秀孝が告げる名前が千人を越え、すでに二時間以上の時間が経過していたからである。だが、秀孝はひたすら名前を語り続けた。
その儀式のような祈りは四時間近く続き、そしてようやく秀孝は最後の名前を告げた。
「以上、エーベルンの民の土地と平穏を取り戻す為、勇敢に戦った憂国の戦士達、二千四十五名。そして、この地で死んだドゴール兵七万名。この俺がこの手で殺した人々の鎮魂を願う」
教会の中は嵐の前の様に静まり返っていた。
誰一人として言葉を発する事が許されない様だった。それを最初に打ち破ったのはアルトであった。
「あ、貴方という人は、今までの戦いで死んだ全ての兵の名を覚えていらっしゃるのですか!」
驚きの表情と共に、アルトは驚嘆の声を挙げた。
「ああ。誰が死んだのか、常に戦闘終了後確認させている。俺は手に持つ武器では無く、知識を武器として戦う。故に、刃が交わる戦場で戦う事は無い。そんな俺ができる事は、その名をかくのごとく記録し、後世に残す事だ。大量虐殺者である俺が実行しても良い行いなのかどうか、結構……迷ったけどね」
「虐殺だと? 戦いの結果だろう」
エドガーが言うと、秀孝は首を横に振った。
「エドガー将軍。俺は呪われるべき存在なのです。実行者は兵でも、その方法を考えたのは間違い無く、俺です。そして、エーベルンの兵を死地に送り込んだのも、俺です」
「………………ああ、もう! 面倒くせぇ奴だな。何でお前は一人で背負い込む? さっきもそうだ! 俺がイラつくのは、お前は全部自分が悪い、自分が全部責任を取るような事を言うのが気に喰わないんだよ!」
秀孝はエドガーの言葉に目を見開いた。まさか、そんな言葉を掛けられるとは思わなかったからだ。
「……貴方は心優しい方なのですね」
修道長が言うと、秀孝は自嘲気味に嗤った。
「心優しい? 七万人近い人を殺した大量虐殺者が心優しいと思いますか?」
「で、でも、それはドゴール兵で……」
若い修道女の一人が言った瞬間、秀孝はその修道女を睨み付けた。
「ドゴールだから? 何だ? 人では無い魔物とでも言うのか? 彼等は軍隊だ。命令されてこの地に来て、そして戦った。それだけだ。母国には故郷があり、家があり、家族がいて、友人がいる。エーベルンの兵、そして民と何が違う?」
秀孝の言葉に、若い修道女は反論する事もできず、閉口してしまった。
「やはり、貴方は心優しい人ですね」
修道長は微笑みを浮かべながら再び秀孝に言い、そして近くにある椅子に座った。
「どの国の王も、将軍達も、兵も民も、相手は憎むべき敵だから。そういう理由で命を奪う。でも、貴方は確かに命を奪えど、戦う相手が同じ人である事、同じように愛する家族と共に生活を営む人々である事を理解されている。そして、貴方はそんな相手を殺してしまった事、それ自体を悔やんでらっしゃる。心優しいと言わず、何と言えば宜しいのでしょう」
「…………理解しているのでは無く、それは当然の事だ」
「その当然である事が特別なのです。貴方は…………戦争を憎んでいらっしゃるのですね」
「ま、憎んでいるか……と、問われれば、憎んでいます。戦争はあくまで外交の一手段に過ぎず、本来は国土防衛の為、民を守護する為にやむなく選択する最終手段です。もし、使用するならば、それは国土防衛、治安維持、そして、矛盾するかも知れませんが経済的理由です」
「経済的理由?」
「例えば……民が餓えているならば、農業政策を実行する。それでも民が餓えるならば、攻め込んで奪うしかないでしょう。みすみす餓死させる訳にもいきませんから。そもそも、そのような状態になること。君主が、その家臣が無能と言える。まぁ、天災という例外中の例外もあるが……」
秀孝は出口に向かって振向き、ゆっくりと歩き始めた。それに呂布が続いた。
二人が教会を出た後、アルトはエドガーを見た。
「……エドガー将軍」
「何だ?」
「…………我々は、もしかしたら賢者と会話をしているのかもしれません」
「賢者? あれが?」
「どのように戦うか。私も、頭で戦う将でありますから、それが当然なのですが……。私の知識は、軍師殿の足元にも及ばない」
「……俺はそんな細かい事は知らん」
エドガーは面倒くさそうに言い放った。
「だが、ただ単に小細工を弄して、後方で眺めているだけの奴…………では無いようだ」
「……我も同意だ」
エドガーの言葉にフェニルが応じた。
「エドガー将軍も人が悪い。あのような言い方をなさらずとも良かったでしょうに」
「これが、俺だ」
エドガーはそう言うと、出口に向かって歩き始め、フェニルがそれに続いた。
「修道長、お騒がせして申し訳ありませんでした。明日の戴冠式の件、宜しくお願い致します」
「はい、わかりました。でも、騒がしいのは私、嫌いではありませんよ」
「……そう言って頂けると恐縮です」
アルトは修道長に向かって頭を下げ、教会を後にした。
教会の騒ぎから一昼夜経過し、秀孝は自室で全面戦争を繰り広げていた。
「いつもの服装がやはり一番しっくり来るな」
秀孝は微笑みながら鏡を見て頷いた。
そんな秀孝の周囲には散乱した無数の豪華な衣装がある。それは、侍女達と秀孝の戦争の結果であった。
「……秀孝様。やはり、その衣装は如何な物と考えます。せめて、本日は別の服装を着て頂けませんか? 今日はライネ様の戴冠式でございます。……失礼ではございますが、そのような服装では……まるで……その……大道芸人としか……」
そう言ったのは、エルキアというまだ十六歳の侍女であった。
彼女を秀孝の元へ送り出したのはリューネである。と言うのも、リューネはエルキアという侍女とは幼い頃から共に育ち、王女と侍女という壁を越えた親友である。
エルキアを含め、王都から脱出した者達がレノーク城に集結した。
彼等は王都を脱出する際、亡くなった先代国王の命令で王宮内の秘密文書等を持ち出し、レノーク城近くの隠れ家に潜伏していたのである。
これは、エーベルン王家の非常時の備えであった。万が一、王都が危機に瀕した場合、レノーク城を基点として反撃する為、必要な文書を持ち出して王都から脱出するのである。
本来王家の者が脱出する為の隠れ家であるが、残念ながら国王夫妻の脱出は叶わなかった。
脱出した者達の証言に寄れば、先代国王夫妻は生き残るよりもライネに託すという選択肢を選び、少しでも復興に必要な文官達や文書を遠くに逃がす事を選んだとの事だった。
レノーク城に到達するより早く、ドゴール軍が先にレノーク城を制圧してしまったが、バルハ城砦にいるライネ信じて彼等は雌伏の時を過していたのである。
「別にそんなに畏まる必要もないだろう?」
秀孝が言うと、エルキアは両手を腰に当てて秀孝に迫った。
「いいですか! 戴冠式なのですよ! た・い・か・ん・し・き! ライネ様の名声に傷を付けるおつもりですか!」
「だが断る! 俺はNOとハッキリ言える日本人です! キリッ!」
秀孝はきっぱりと言い放った。
「ちっ…………で、では、このマントを。意匠もあり、少しは威厳が出るかと。それに、この鷹の羽飾りの帽子と、装飾品を……」
「俺に威厳が必要だと思うか? つか、今君舌打ちした?」
「空耳でしょう。それはともかく、威厳は必要です! 秀孝様はライネ様の家臣でございます!」
「残念。俺はただの客将だ」
「例え客将でもです! 呂奉先様も身なりを整えていらっしゃいますよ!? 貴方お一人だけなのです!」
「呂布はいいんだよ。元は一国の将軍だし。俺はただの平民。貴族でもなんでもない」
「それこそ、余計に他者に侮られます!」
「言いたい奴には言わせておけ。俺には威厳は必要無い」
秀孝が言うと、秀孝の背中に蹴りが飛んだ。
「いい加減にしろ。ライネ様、リューネ様のお二方に恥を掻かせる気か」
蹴りを入れたのは近衛騎士の一人、ヒエン=ルートリアである。この時、二十一歳。リューネ直属の護衛であり、近衛騎士の中でも一際目立つ美人である。蛇足ではあるが、胸もリューネより大きい。だが、武芸も近衛騎士の中で随一である。そして、リューネは彼女を武芸の師として信頼している。
手を出す早さも随一じゃないか? とは、ここでは控えて置く。
彼女も今回合流した一人である。運悪く病気の療養の為、王都に居残りをしていたのである。
リューネと再開した時は、二人とも抱き合ってお互いの無事を喜んでいた。それだけで、リューネがどれだけヒエンを信頼しているか、窺い知れた。
「お前如きの為に私の貴重な時間を使わせるな」
「ひどっ! 如きって言われた!」
「とにかく、さっさと着替えろ! 戴冠式に遅れる!」
「よし、こうしよう」
秀孝は手を叩いて、エルキアを見つめた。
「エルキア、君が俺の名代として……」
「お前が出ろ!」
再び、今度は手加減なしの蹴りが秀孝の背中を襲った。
レノーク城内は戴冠式を直前に控え、とにかく慌しかった。
しかし、秀孝にとってそれはどうでもいい事であった。それよりも重要な事は、ドゴールが今後どう動くかで対応が大きく変更される事だ。
秀孝は、久秀と共謀して、ライネ、リューネ、呂布にまで秘密にした部隊を創設している。
それは、伊賀崎道順率いる諜報部隊である。現在道順率いる諜報部隊はドゴールの動向を逐一秀孝に報告していた。
彼等の実力は秀孝も久秀も高く評価している。以前のレノーク湖畔での戦いの際、ドゴール軍偵察部隊を逆に偵察し、ドゴール軍がどう動いているか、報告してきた事により秀孝の作戦はより完成された作戦へとなったのである。
「…………ん? もう、来たか」
妥協案で豪華な刺繍を施したマントを身につけた秀孝が廊下を歩き城内にある庭に出た時、一人の兵士が秀孝に近づいた。兵士の胸には小さな花が添えられていた。
「……告げる。北方、南方より撤収。東部方面でも動きあり。ドゴール全戦力王都集結する可能性大」
兵士はそれだけ言うと、すぐさま花を取り外してその場から立ち去った。
「…………………………」
秀孝は返事も頷きもせず、思案に暮れた。
ドゴール軍が集結している。それは、敵が攻勢に出る為と考えられる。だが、まだ足りない。
ドゴール軍エーベルン侵攻軍の現在の兵力は十三万。それが一箇所に集結している。一方のエーベルン軍もレノーク城に集結しているが、現在の兵力は四万二千。増えたのは傭兵と新たに加わった周辺領主の兵士達である。
領主では無く、領主達の兵。というのが実は秀孝と久秀の企みである。
一度ドゴールに降伏して、我が身の保身を図った領主など信用できる訳が無い。だが、彼等を受け入れないと兵力を増やせないというのも事実であった。
そこで、二人は嘘を交えた論議で領主達を言いくるめた。
「ドゴールから解放された領民達の心の安定と火事場を狙った盗賊から民を守る為、領主達はそのまま各地の領地を必要最低限の兵力と共に治安維持をしつつ待機すべし。余剰兵力は全てレノーク城へ預けるように。兵力の多さで忠誠心を測る訳では無いから領主達は安堵するように。但し、どれだけの兵力で各々の領地を維持するのか? 各自の領主としての能力は試される可能性があるので、注意すべし」
詐欺にも似た実にあくどい手法であった。
まだ、兵力を送っている領主も居るので、最終的には五万近くまで兵力は増える予定である。しかし、それでも。
「たった五万で、十三万の敵と戦うのか」
敵より兵力を整えて挑むというのは、どうやら永遠に叶えられそうに無い。だが、しかし。
「勝算はある」
秀孝はポツリと呟いた。秀孝は事前に敵が選ぶであろう戦場を選択肢していた。そもそも十三万もの大兵力を自由に展開できる場所など、そうそうあるものでは無い。
そして、そこでどのように戦うか。すでに秀孝の腹の内では決まっていた。
だが、敵が本国から十万の増援を送られた場合、これが根底から覆る。
二十三万となると、敵が三つの戦力で分散して攻めてきた場合、各個撃破できるように思えて、実はそうではない。各部隊は約七万。レノーク城を初めとする全ての根拠地を制圧された場合、エーベルンは終焉を迎える。
やり方はとてもシンプルだ。部隊の一つが七万の兵力で五万のエーベルンに張り付いて戦おうとせず、他が自由自在に動き回れば対処が出来ない。
その場合は七万の敵部隊を翻弄し、文字通り変幻自在に立ち回る必要性がある。
「……考えるだけ鬱だ」
やはり、十三万という兵力の有利を敵が利用し、エーベルンを叩き潰そうとする動きをするように誘導する方法を考えたほうがまだ現実的だ。
「また悩み事か? まぁ、いつもの事だが」
背後からリューネの声が聞こえた。そして、秀孝は声がする方向に振り向いた。
「…………………………………………」
絶句した。
普段、男装しているリューネを見慣れているからかもしれない。いや、それを抜きにしても絶句しない方が、感覚が麻痺しているのではないかと疑いたくなる。
リューネは普段の動き易い男装ではなく、一国の王族に相応しい純白のドレスに身を包んでいる。まさしく可憐な王女と言うには言葉が足りない! 頭に黄金のティアラ、胸の谷間に見えるのは無数の宝石をあしらったネックレス。しかも、そのドレスは大胆に肩が空いており、それがとても妖艶に見える。リューネがとても妖しく、そして美しく見えた。
いや、元々顔立ちはかなり美人なのだが。服装が変わるだけでこうも印象が変わるのか。
「お、おい。そんなに真顔でジロジロ見られると、私も恥ずかしいぞ」
顔を紅く染めたリューネがとても愛らしく見えた。
あ、あれ? ひょっとして、リューネって凄いカワイイ女の子なのか? あれ? 俺は今、恥らうリューネの姿を見て胸がドキリとしたのか? 男として反応したのか? アリエナイ! あってはならない! 普段、いつもツンツンして、いつもライネの横で俺を睨みつけている女が、ドレスを着て恥ずかしがっているだと!? これは、夢だ。いや、幻に違いない!
「あ、ああ、まぁ、その、似合ってるよ。うん」
なんとか秀孝はそれだけ言って、元の体勢に戻った。
「何だ! その反応は!」
頭に手が添えられたかと思うと、物凄い勢いでその手は秀孝をリューネの方向に振り向かせた。
グキリッ! という、異音と共に。
ヒエンであった。今思い返せば、リューネの傍にヒエンが立っていた。
リューネに見惚れて、ヒエンの存在を忘れていた!
「ちょ、おま! 何を……! つか、今、鳴ってはならない音が首から鳴ったぞ!」
「黙れ! あれほどジロジロ見たんだ! キチンと感想を言え!」
「言えるか! 恥ずかしいわ!」
「そ、そんなに私の格好は変なのか?」
リューネが疑問を投げかけると、ヒエンの握力が増した。
「貴様! リューネ様が変だというのか! この場で頭を潰すぞ!」
三人がじゃれ合っている……のか、よく分からない風景を二人は暖かく見守っていた。
ライネと呂布である。
「……何をしているんだ、あの三人は」
呆れた様子で呂布は見つめていた。
「良いでは無いか。とても仲が良いようだ」
ライネは姉らしい笑みを浮かべながら見つめていた。
「それはそうと、ライネ様。この度の国王としての戴冠の儀、一客将として心よりお祝い申し上げる。不肖不才ではございますが、今後ともエーベルン王家の為、エーベルンの民の為、微力ながらお手伝いする事、ここに改めてお約束いたします」
「呂奉先殿。貴殿の武勇、それは誰もが認める所である。今後ともエーベルンに力を貸してくれ」
「ライネ様、どうぞ、呂布とお呼び下さい。貴方様は一国の主であり、私は客将であります」
「……では、呂布殿。……今度はリューネが秀孝の首を完全に極めてしまっているのだが……あれはどうしたものであろうか?」
「リューネ様には少し慎みが必要かと……」
「おや、顔色が青くなってきたな……。あれほど照れ隠しするリューネというのは始めて見る。余程恥ずかしいのか……」
「……………………早めに止めるべきかと」
「やれやれ、国王になる前の最期の仕事が、妹が部下と共に客将軍師の首を締め上げて殺そうとするのを止める事とはな」
ライネは大きく溜息を吐きながら三人の元へ向かった。
戴冠式は盛大に行われた。
一国の王が即位するには客が少ないが、戦時中である為、それは仕方が無い。
戴冠の儀が終わり、ライネは頭にある王冠を外し、武官、文官、それぞれが左右に並ぶ光景を見つめた。
ライネの左隣にはリューネも控えている。
「……客将、呂奉先! 客将、本城秀孝! 両名、私の前に出よ」
突然名前を呼ばれ、二人はゆっくりとライネ王の前に膝を付いた。
「呂布よ。貴殿の武勇に比類する者は無く、数々の敵兵を討ち取り、その武功は大である。秀孝、お前の智略はバルハ城砦でドゴール軍を撃退し、レノーク湖畔ではドゴールの大軍を打ち破り、このレノーク城奪還を達成した。お前がいなければ、エーベルンは既に滅亡していただろう。その軍功は同じく大である。二人が望むのならば、私はお前達を家臣として取り立て、貴族に列するであろう」
呂布は答えなかった。ただ、秀孝に視線を向けた。
「…………ん? 俺が決めて良いのか?」
秀孝が尋ねると、呂布は大きく頷いた。
「…………では、陛下に恐れながら申し上げます。我等両名、謹んでお断り申し上げます」
「やはり、断るのか」
ライネは最初から断られる事を分かっていた様だった。
「はい。私も呂布も、地位を得る為でも無く、権威を手にする為でも無く、名誉を得る為でも無く、名声を得る為でも無く、ただ、右も左も分からず、困窮していた所を陛下に助けて頂いた恩に報いる為に戦いました」
「恩はもう十分に返せている。それでは、此処に留まる理由が無いではないか」
「ええ。しかし、一度始めた戦いは、最後まで終わらせなければなりません。故に、私は無位無官のままで結構。ただ、この戦を終わらせる為に留まります。いつか、私が居るべき場所に戻るその瞬間まで」
「呂布も同じか」
「…………はっ」
「何でも望めば良いのだぞ? 遠慮する必要は無いぞ」
「…………では、恐れながら、幾つかの嘆願をお聞き届け願えますでしょうか」
「遠慮するな」
「では、一つ目、戦死した兵士達の遺族へ見舞金をお願い申し上げます」
「良かろう。金は無限にある訳ではないが、文官達と吟味しよう」
「次に、軍の再編成をして頂きたい。現在、我々は敗残兵が合流した軍と言えます。故に、これを一つに纏め上げる為に、軍を再編成し、軍律を改めようと思います。すでにその草案は出来ており、これを諸将すべてのご意見を伺いたいので、その機会を頂きたい」
「話し合いの場を設けるのだな、良かろう。軍の再編成についても了承した。軍律に関してだが、まず私にその草案を見せるように」
「次に、私のような人物の保護です。中には大魚と言える逸材もいることでしょう。是非、ご協力頂けますよう、お願い申し上げます」
「了承した。既に、松永久秀という、逸材が見つかった事だしな。この戴冠の儀を整えたのも奴だ。確かに、信用は出来ないが、信頼は出来るようだ。他には?」
「ある人物を抜擢して頂きたいと願います」
「ある人物?」
秀孝は立ち上がると、武官、文官が並ぶ列の中にいる一人を探した。
「ああ、いたいた。ローラ=クェス。陛下の御前に出られよ」
名前を呼ばれて出てきたのは、長い黒髪の若く美しい女性文官であった。
ただ、名前を呼ばれる事も、ライネの前に出る事も予想していなかったのか、その顔は驚きと困惑で満ちていた。
「ライネ陛下に奏上致します。この者、バルハ城砦戦以後、エーベルン全軍の糧食、補給物資を管理していた者でございます。この者がいたからこそ、限られた物資の中でレノーク湖畔の作戦が実行する事ができました。その軍功は絶大にして、実に貴重な逸材です。彼女が軍事物資全てを統括する役職に就任する事を推挙致します」
秀孝の言葉に周囲から疑問の声があった。
たかが補給物資を運んだから、監理したから、それがどのような功なのか?
誰にでも出来る事が功になるなら、誰も苦労はしない。
などなど、多方面から批難の声があがった。ライネは右手を挙げてそれを制して、改めて秀孝に視線を向けた。
「後方で物資を監理するのが、軍功とお前は言うのか?」
「彼女が水、食料、馬の草、各種の薬を調達し手配しなければ、我々は餓えた兵で戦うことになり、戦う所か、立ち上がることも出来なかった事でしょう。彼女が武器、防具、馬、それを運ぶ馬車を用意しなければ、我々は王都に辿り着く前に全員餓死して倒れていた事でしょう。彼女が川の流れのように補給を万全にしてくれたからこそ、我々は戦う事ができた、立ち上がる事が出来た。俺は兵が万全の状態で戦う事ができるという前提で考える事が出来た。彼女が最大の功績者で無ければ、一体誰が最大の功績者なのか? 俺は餓えた兵で戦う術を知らない」
秀孝の断言とも言える発言であった。
「そうか、補給物資の監理か。そこまで重要に考えた事はなかったが」
「場合によっては戦局そのものを左右します。もし、敵がこれを疎かにしているならば、私は例えドゴールが百万の歩兵、五十万の騎兵を揃え、エーベルンに侵攻してこようと、そのこと悉くを打ち破り、ドゴール王国そのものを地図から消し去ってご覧に入れましょう。無論、敵もそこまで愚かでは無いでしょうが」
「……万が一、疎かであれば、それは可能か?」
「可能です。それは、我等エーベルンが百万の軍勢を揃えてドゴールに攻め込んでも同じでしょう」
「……良く理解した。ローラ=クェス!」
「は、はいっ! 陛下!」
「お前を軍事物資の統括総責任者に命じる。……役職名は……そうだな、主席兵站監督官とでも名付けようか。尚、この役職の権限は将軍と同格とする」
「えっ! そ、そのような……」
余りに突然の鶴の一声にローラは狼狽しきっていた。ただの文官から将軍と同格の役職に大抜擢である。
「ローラ殿。今後、貴方には無理を強いる事が多々あるでしょうが、信頼してお任せいたします。今後も、宜しくお願い申し上げる」
秀孝はそう言うと、深く頭を下げた。
「え、あ、はい! こ、こちらこそ、宜しくお願い申し上げます!」
「呂布は何かないのか?」
ライネが尋ねると、呂布はゆっくりと立ち上がった。
「レノーク城外から兵を雇いたい、数は五百。これを騎兵として育てたい」
「………………レノーク城外……だと?」
「そうだ。おそらくエーベルンで最も弱兵であろう。我が最強の騎兵部隊にしてみせる」
「呂布は騎兵の指揮官としては随一だからねぇ」
秀孝は笑いながら呂布の背中を叩くと、呂布は大きく頷いた。
「何故、城外の者を改めて雇う? 精鋭騎兵を望むなら分かるのだが」
「これは、秀孝から聞いた事なのだが、次の戦で最強の戦力になるのは城外にいる者達であると」
「なんだと?」
ライネは驚いて秀孝に視線を向けた。
「…………ま、理由は簡単です。彼等は、家を失い、土地を失って行き場の無い者達です。そんな彼等にも守りたい者がいる」
「それは、誰でも同じであろう」
「……違います。陛下、万が一我等が敗れた場合、真っ先に攻撃の対象となる者。略奪、強姦、暴行、虐殺の最初に対象に選ばれるのは城外にいる力無き者達です」
「っ!」
「彼等は命を賭けて戦う事でしょう。地位でも、名誉でも、出世でも、金の為でも無く、自分自身が愛する家族の命を守る為、その未来を守る為、文字通り死を決した決死の兵として。……死ぬ覚悟で大切な者を守ろうとする者。これ以上の最強の兵がこの世にいますか?」
「…………よかろう。城外から希望する者を集え。数は五百。武器、防具、馬は準備させよう。……ローラ、装備の支給を任せるが、良いか?」
「かしこまりました」
「呂布。彼等が使えるようになるまで、どの程度時間が必要だ?」
秀孝が尋ねると、呂布は少し考えて答えた。
「一ヶ月。但し、まず試しを行い、その中から千人雇い、五百まで篩いに掛ける」
「では、必ず一ヶ月で兵を仕上げてくれ。それ以上は一刻も待たない」
「必ず」
「…………秀孝」
ライネが呼ぶと、秀孝はライネに視線を向けた。
「はっ! 陛下」
「これより、お前を軍師として改めて命じる。そして、我はお前に全軍の指揮権を与える。リューネ、バルバロッサ、エドガー、アルト、フェニル、そして、呂布。全ての武官は秀孝の指示に従え。これは勅命である」
『はっ!』
武官全てがライネに頭を下げる。そして、それより一つ遅れて秀孝も頭を下げた。
「久秀」
「はい、陛下」
続けてライネは久秀の名を呼んだ。
「お前には文官長を命じる。これはあくまで一時的な措置である。全ての文官の長となり、国政の取り纏めを取り仕切れ」
「了解しました」
「皆の者に伝える。これは勅命として命じる。我、ライネ=エーベルンは、エーベルンの国土をドゴールから奪還するまで、如何なる困難があろうと決して戦いを止める事は無い。故に、皆の力と皆の智恵を我に貸せ。少しでも早く戦を終わらせる為に! 良いな!」
『はっ!』
エーベルン王国の新たな歴史がライネの言葉により、始まりを告げる。
エーベルン第十七代国王、ライネ=エーベルンは国王の座に就いた。
ドゴール王国の王都襲撃から二ヵ月後の事である。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2012/07/15 01:04 更新日:2012/07/15 01:04 『神算鬼謀と天下無双』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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