作品ID:1795
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異界の口
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
二章 瑠璃 七
前の話 | 目次 | 次の話 |
わたしは、とっくりと老婆を見た。
腰は曲がっていないが、顔のしわも小柄な体も、わたしほどではないにせよ、じゅうぶん年をとっているだろう。これが、穂高の言っていたばあやか。
ふと、ばあやがわたしに目を向けた。目線があったのがわかる。
その顔は、道端に咲く小さな花のようにおしとやかだった。
「穂高の弟くんかい。」
「そうです。」
やや緊張気味のホタルの声が届く。ばあやはわたしに気がついているだろうか? ホタルに話しかけているだけなら、口を出さないほうがいい。
「似ているねえ。」
ニコニコ笑うばあやは縁側に座ると、「ときに、ホタル。」と切り出した。
「お前は、ここがどういう場所か分かるかい?」
「神社の奥社……、じゃないの?」
穂高の言っていたとおりなら、ここは奥社のはずだ。
ばあやは首を横に振った。
「その手前さ。綾瀬蛍、お前は奥社が見たいかい?」
「奥社って、何があるの?」
ホタルの質問に、ばあやは明快な答えを返さなかった。
「あそこは入り口であり、出口でもある。ただしこちらにいる人からすれば、行ったら帰ってこられない、一方通行の通路だろうね。」
通路の向こうには何があるのだろう。ホタルもきっとそのことを思っているのだろう。わたしにそっとふれて、こっちをずっと見下ろしている。
「一度行ったら帰ってこられないんだよね。」
「そうだよ。」
ホタルは少し考えて、首を横に振った。
それを見て、ばあやはホタルと同じように首を振った。
「ばあやとしては、お前にはあちらへと行ってもらいたいのだけれどね。」
「どうして?」
「お前の一族は音につられる。穂高はそうでもなかったが。そのぶん、弟のお前に力が行ってしまったのだろうよ。つられすぎると、たとえこちらにいたとしても、あちらの者とそう変わりはない。この世界ではさぞ生きづらいだろう。」
ばあやの言葉に、ホタルは固まるばかりだ。
「あちらならば、まだ同類がいるだろうさ。」
あちらとこちら。
どこかで聞いたような話だ。確か、誰かのうわさ話だった。
この世界は生き辛いから、あちらへと移り住むとか、なんとか――。
そうか。ホタルはそれを問われているのか。
しばらくして、ホタルがゆっくりと顔をあげた。
「ねえ、ばあやはぼくの質問に答えをくれる?」
ばあやはおっとりとした声で、ズボンをぎゅっとにぎったホタルを指さし、
「疑問するのではなく、そう願ってごらん。」
まるで孫を見るように言った。
「願う?」
「そうさ。やってごらん。」
ホタルは、体をこわばらせていた。何がそんなに怖いのだろう。ただ願い事を口に出すだけなのに。
ふと、さきほどの町の風景が頭をよぎった。
ホタルをいやなふうに見る人々。逃げる穂高。元の姿に戻ったわたし。そのきっかけを作ったホタル。
もしかしたら、ホタルの力は願うことなのかもしれない。
願いを口にするとそれが叶ってしまうのだ。たとえどんな願いであれ。ホタルには思いあたることがあるのか、体をこわばらせている。
「大丈夫だよ、ホタル。」
言葉がすべり出ていた。
ホタルがわたしを見下ろす。その顔が、ゆっくりとほぐれていった。
「ありがとう。」
その顔が見えなくなった。勢いよく前を向いたのだ。
「ばあや、教えて。ぼくってなんなの?」
満足したようにうなずいたばあやが、言葉を紡ぐ。
「ホタルは、言の葉の子。その言葉は人を惹きつけ、心をひれ伏させる。お前が行けといえば立ち去り、教えろと言えば喋りだすのよ。そういう人にできない力を持った者を、今の人はあやかしと呼ぶそうだよ。」
「あやかし……。」
それは、人ならざるものではなかろうか。
「じゃあ、ぼくが願えば花が咲いたり、人がどいたり、ボールが曲がったりするの?」
ホタルの思い当たる事は、どうやら一つではないらしい。それを聞いたばあやは、初めて目を見開いた。
「なんと。そこまで干渉できるのか……。」
予想はしていなかったらしい。
「ホタルや。お前がもしもこちらに残るというのなら、ひとつ、ばあやと約束しておくれ。」
「なあに?」
「その力をなるべく使ってくれるな。お前の力では、やがて世界がひれ伏してしまう。」
ホタルはきょとんとしていた。わたしも、なんだか意味がわからなくて、頭の中で考える。
世界がひれ伏す。つまり、世界中の人を従えることができる。それはホタルが全ての先導者で、一番上に立つということ。
わかりやすく言えば王様だ。
「もしもぼくがそうなったら、どうなる?」
「とりあえず、ここは平和ではなくなるだろうねえ。」
「ぼくのまわりも?」
「もちろん。」
「それはいやだなあ。」
ホタルは一つうなずいた。
「分かった。なるべく使わない。」
あっさりと、ホタルは手に入れられたはずの地位と名誉を捨ててしまった。それは彼にとってはさして重要なものではなかったのだろう。
「それにぼく、約束してるんだよ。海を見に行こうって。」
それを聞いたばあやは、声を出して笑った。今までにないくらい大きな声で、びっくりしたホタルが一歩下がる。安心したようにうなずいたばあやは、ホタルの後ろを指差した。
「それなら、引き返しなさい。穂高もやきもきしているだろうからね。」
穂高という名前が懐かしく聞こえてしまった。さほど時間は経っていないだろうに。ホタルはばあやの言葉に首をかしげているようだ。
「どういうこと?」
「ここには、答えを問われる子どもしか入ってはいけないのだよ。穂高はこちらに残ると答えを出した。もうここには来られない。」
ばあやがゆるりと手を振った。
「お行き、言の葉の子や。お前の世界はあっちだよ。」
「ありがとう、ばあや。」
ホタルは歩き出した。石段をかけ足で下りて、広場の入り口に立つ。その先は竹林だ。ふと、ホタルが振り向く。もしかしたらばあやがまだ手を振っていると思ったのかもしれない。
そこはただの竹林になっていた。
見つめれば見つめるほど、奥の暗闇が濃くなっていく気がする。
ひんやりとした空気が通り過ぎる。何も言わず、慌ててかけだしたホタルは、二度と振り向くことはなかった。
腰は曲がっていないが、顔のしわも小柄な体も、わたしほどではないにせよ、じゅうぶん年をとっているだろう。これが、穂高の言っていたばあやか。
ふと、ばあやがわたしに目を向けた。目線があったのがわかる。
その顔は、道端に咲く小さな花のようにおしとやかだった。
「穂高の弟くんかい。」
「そうです。」
やや緊張気味のホタルの声が届く。ばあやはわたしに気がついているだろうか? ホタルに話しかけているだけなら、口を出さないほうがいい。
「似ているねえ。」
ニコニコ笑うばあやは縁側に座ると、「ときに、ホタル。」と切り出した。
「お前は、ここがどういう場所か分かるかい?」
「神社の奥社……、じゃないの?」
穂高の言っていたとおりなら、ここは奥社のはずだ。
ばあやは首を横に振った。
「その手前さ。綾瀬蛍、お前は奥社が見たいかい?」
「奥社って、何があるの?」
ホタルの質問に、ばあやは明快な答えを返さなかった。
「あそこは入り口であり、出口でもある。ただしこちらにいる人からすれば、行ったら帰ってこられない、一方通行の通路だろうね。」
通路の向こうには何があるのだろう。ホタルもきっとそのことを思っているのだろう。わたしにそっとふれて、こっちをずっと見下ろしている。
「一度行ったら帰ってこられないんだよね。」
「そうだよ。」
ホタルは少し考えて、首を横に振った。
それを見て、ばあやはホタルと同じように首を振った。
「ばあやとしては、お前にはあちらへと行ってもらいたいのだけれどね。」
「どうして?」
「お前の一族は音につられる。穂高はそうでもなかったが。そのぶん、弟のお前に力が行ってしまったのだろうよ。つられすぎると、たとえこちらにいたとしても、あちらの者とそう変わりはない。この世界ではさぞ生きづらいだろう。」
ばあやの言葉に、ホタルは固まるばかりだ。
「あちらならば、まだ同類がいるだろうさ。」
あちらとこちら。
どこかで聞いたような話だ。確か、誰かのうわさ話だった。
この世界は生き辛いから、あちらへと移り住むとか、なんとか――。
そうか。ホタルはそれを問われているのか。
しばらくして、ホタルがゆっくりと顔をあげた。
「ねえ、ばあやはぼくの質問に答えをくれる?」
ばあやはおっとりとした声で、ズボンをぎゅっとにぎったホタルを指さし、
「疑問するのではなく、そう願ってごらん。」
まるで孫を見るように言った。
「願う?」
「そうさ。やってごらん。」
ホタルは、体をこわばらせていた。何がそんなに怖いのだろう。ただ願い事を口に出すだけなのに。
ふと、さきほどの町の風景が頭をよぎった。
ホタルをいやなふうに見る人々。逃げる穂高。元の姿に戻ったわたし。そのきっかけを作ったホタル。
もしかしたら、ホタルの力は願うことなのかもしれない。
願いを口にするとそれが叶ってしまうのだ。たとえどんな願いであれ。ホタルには思いあたることがあるのか、体をこわばらせている。
「大丈夫だよ、ホタル。」
言葉がすべり出ていた。
ホタルがわたしを見下ろす。その顔が、ゆっくりとほぐれていった。
「ありがとう。」
その顔が見えなくなった。勢いよく前を向いたのだ。
「ばあや、教えて。ぼくってなんなの?」
満足したようにうなずいたばあやが、言葉を紡ぐ。
「ホタルは、言の葉の子。その言葉は人を惹きつけ、心をひれ伏させる。お前が行けといえば立ち去り、教えろと言えば喋りだすのよ。そういう人にできない力を持った者を、今の人はあやかしと呼ぶそうだよ。」
「あやかし……。」
それは、人ならざるものではなかろうか。
「じゃあ、ぼくが願えば花が咲いたり、人がどいたり、ボールが曲がったりするの?」
ホタルの思い当たる事は、どうやら一つではないらしい。それを聞いたばあやは、初めて目を見開いた。
「なんと。そこまで干渉できるのか……。」
予想はしていなかったらしい。
「ホタルや。お前がもしもこちらに残るというのなら、ひとつ、ばあやと約束しておくれ。」
「なあに?」
「その力をなるべく使ってくれるな。お前の力では、やがて世界がひれ伏してしまう。」
ホタルはきょとんとしていた。わたしも、なんだか意味がわからなくて、頭の中で考える。
世界がひれ伏す。つまり、世界中の人を従えることができる。それはホタルが全ての先導者で、一番上に立つということ。
わかりやすく言えば王様だ。
「もしもぼくがそうなったら、どうなる?」
「とりあえず、ここは平和ではなくなるだろうねえ。」
「ぼくのまわりも?」
「もちろん。」
「それはいやだなあ。」
ホタルは一つうなずいた。
「分かった。なるべく使わない。」
あっさりと、ホタルは手に入れられたはずの地位と名誉を捨ててしまった。それは彼にとってはさして重要なものではなかったのだろう。
「それにぼく、約束してるんだよ。海を見に行こうって。」
それを聞いたばあやは、声を出して笑った。今までにないくらい大きな声で、びっくりしたホタルが一歩下がる。安心したようにうなずいたばあやは、ホタルの後ろを指差した。
「それなら、引き返しなさい。穂高もやきもきしているだろうからね。」
穂高という名前が懐かしく聞こえてしまった。さほど時間は経っていないだろうに。ホタルはばあやの言葉に首をかしげているようだ。
「どういうこと?」
「ここには、答えを問われる子どもしか入ってはいけないのだよ。穂高はこちらに残ると答えを出した。もうここには来られない。」
ばあやがゆるりと手を振った。
「お行き、言の葉の子や。お前の世界はあっちだよ。」
「ありがとう、ばあや。」
ホタルは歩き出した。石段をかけ足で下りて、広場の入り口に立つ。その先は竹林だ。ふと、ホタルが振り向く。もしかしたらばあやがまだ手を振っていると思ったのかもしれない。
そこはただの竹林になっていた。
見つめれば見つめるほど、奥の暗闇が濃くなっていく気がする。
ひんやりとした空気が通り過ぎる。何も言わず、慌ててかけだしたホタルは、二度と振り向くことはなかった。
後書き
作者:水沢妃 |
投稿日:2016/08/13 22:29 更新日:2016/08/13 22:29 『異界の口』の著作権は、すべて作者 水沢妃様に属します。 |
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