作品ID:2385
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Tear of Piece
小説の属性:ライトノベル / 異世界ファンタジー / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 連載中
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act 1
目次 |
――剣(けん)。
それは、鋭利な刃を持ち、ひとが“脅威”と戦うために手に取るもの。
そして今は、大いなる存在を、鋭く切断し、深々と貫き、殺めるためのもの。
この零落し緩やかに滅びゆく世界で、人々は強大な敵性存在の強襲に抗い、生きながらえるためにその剣を振るっていた。人間はしぶとくもたくましく、彼らの生存圏を僅かずつ広げていった。
一陣の風が、荒野を舐めるように吹いた。
砂埃まみれの穢れた地面の上に、家屋だった瓦礫とともにうち捨てられた古書の中身が捲られる。書物を綴っていた紐が風化でぷつりと千切れ、ページが薄汚れた羽毛のごとく舞い上がった。それらは枯れた大気の流れに乗って、かすかに舞い踊り、やがて散り散りになる。
ふと、足元に落ちてきたそれに気づいた少年は、歩みを止めた。屈(かが)んで落ちてきた紙切れを拾おうと手を伸ばす。
「――あ」
掴もうとした彼の手をすり抜けて、汚れた紙片は風に攫(さら)われてしまった。
「相変わらず、ここは風が強いわね……鬱陶しいったら……」
「……そうだね。フェリス」
彼の後ろをついて歩いていた少女、フェリス=トルードルは、風になびく赤髪の長髪を片手で抑えた。彼女は、その端正な顔立ちをしかめ面にして、荒野の果て――彼らの目指す方角の先を見る。二房にまとめられた深紅の髪が、はためいた。
彼方には、地上に半分ほど埋まった巨大な卵の殻のようなとてつもなく巨大な構造物が、雲を貫きながらうっすらと霞んで聳(そび)えていた。そこが彼らの目的地なのだろう。
「……あと少しで日が暮れるわ。さっさとこの殺風景な場所を抜けるわよ――ユノ」
「うん……」
少年、ユノ=レイニールは、頷くと背に負っていた大仰な荷物を背負いなおす。
ユノが歩き出そうと踏み出したその直後、不意に遠方で閃光が炸裂し一瞬二人の目を眩ませた。
――ズッ、ドォォオオム
光から遅れて、大気を揺るがす轟音が耳をつんざく。さらに小規模な爆発が幾度も連続する。
「っ!」
「……!」
二人はとっさに身をかがめ、ユノとフェリスは腰に下げた得物に手をかけていた。
周囲を見回すと、視界の先で砂塵が大きな黒雲を作り、立ち昇っていた。
それから短く連続した銃声が、悲鳴のように木霊する。
フェリスは音のする方角を睨みながら、彼に鋭く問う。
「この音、火薬の射撃音――対人用か。あんたはどう考える」
ユノはフェリスの横顔を見て、頷いた。
「……えっと、うん。間違いないと思う。荒野を自力で移動してるわけだから、……例えば、自警団同士の争い、とかかな」
それで、とユノの言葉の後でフェリスは呆れと怒りで目元をゆがませた。
「人間同士の争いか。……違うわ。そうだとしたら、まだ考えが甘いわね。……あんな強力な榴弾砲か何かを、自警団程度が外に持ち出せるわけないでしょ。連中は、きっともっとロクでもない」
ユノの言葉に、フェリスは不愉快な心持ちを隠さずため息をついた。彼女は、小枝と石ころで戦車に挑もうとするほどに愚かしい連中の無知と恥知らずな行いを怒(いか)っている。ユノはどう宥めたものかと思案していた。
「……仕方ない。運のいいやつめ」
「うん。……うん?」
ユノは首をかしげると、突然彼の視界はフェリスが放り投げた彼女のリュックで埋め尽くされた。
「うわっ! っと」
ユノは投げられた荷物を、あわてて両腕で抱きかかえる。
フェリスは横目でユノが荷物を受け取った様子を確認した。それから、小さく折りたたまれた得物を握りしめた手を地面に付け、姿勢を低くする。その場から走りだすつもりなのか、片足のつま先を突き立てて、靴底を土に食い込ませる。
上体を深く沈ませ、構えた。
「――追いかけてきなさい」
――ドッ、
つまさきのひと蹴りで土煙が湧き立ち、地面が抉り飛ぶ。
ユノの、もはや誰に届くこともない言葉が言い終わるや否や、フェリスは風鳴りと残像を残して、彼方まで駆けだしていた。こうして眺めている今も、みるみるうちに彼女の姿が遠ざかっていく。フェリスが進むたびに立ち昇る土煙と、彼女が残した凄烈な脚力で穿たれた轍が、一直線に曲がることなく深々と大地に続いていた。
「君らしいや……」
ユノは去っていったフェリスの背中をぼんやり眺めていた。
「……っと! 僕も急がないと」
慌てて我に返ったユノは、二人分の荷物を背負ってヨタヨタと走り出した。
* * *
踏みつけられ、蹴り飛ばされて、擦り切れた文字の羅列。
巨大な何かが地面ごと殴りつけた衝撃が、大地を酷く諫めた。喧しい羽虫が掌で潰されるように、容易に人の形は変形し、無残につぶされ、そしてただの鮮やかな赤となる。
白色の巨人がこちらを見る。鈍く軋みをあげて首を向け、矮小な者どもを睥睨した。
感情のない白面から降り注ぐ強烈な威圧は、彼らを怯えさせ一瞬の硬直を与えた。
誰かの言葉で、はねるようにそれぞれが武装を構える。
銃口から瞬くマズルフラッシュで、「それ」の白色に光る外骨格が照らされ輝く。一斉に弾丸を叩き込むも、異形な何かは襲い来る全ての銃弾を物ともせず、かすかな火花と共に弾いた。
穢れ一つないその無垢なるその装甲には、傷一つつくことはない。
「びびってんじゃねえ! ランチャー構え!」
司令塔と思しき男の声で、ひとりの部下がすぐさま片膝をつき、ひと抱えもある砲塔を肩に担いだ。
呼び声で照準を合わせた砲身から、弾頭が噴射されて襲撃者に向かって白い尾を引いて飛んでいく。
ダメ押しで、男達は怒号と共に手榴弾を投げ込んだ。緩やかな弧を描いて次々に投げ込まれる。 爆発の閃光が走ると、遅れてミサイルの爆発音が大気を劈(つんざ)いた。連続して、爆弾が炸裂する轟音が幾重にも木霊する。土埃がむせび、周囲が一瞬、暗澹たる様となる。
そして、爆音が止み、立ち込める粉塵を前にほとんどの者が勝利を確信した、その時。
舞い上がる土煙をかき分け、機械仕掛けの五指が伸びた。
「ぐわッ、うあああ!」
ランチャーを担いだままだった男を、酷く損在(ぞんざい)に掴み上げると、白い巨人は、両の掌で思い切りそれを握りしめた。
――バキ、ブヂ、
骨格を破壊する音と絶えた悲鳴が、見るものを震撼させるつかの間。白磁の指の隙間から、血が噴き出す。白の異形は掌を解き、臓物と脂と、武装の破片が混じり合った塊がボトボトと地面を赤黒く汚した。
そして手近な獲物を新たに見留めると、また手を握りしめては児戯のように殴りつけ、踏みつぶし、握りつぶしては殺戮していく。機械的に繰り返される動作で人の命は軽々と失われる。
それまで応戦していた男たちは、目の前で起きた所業に圧されてしまったのか、後ずさりして武器を落としていた。
超硬度を誇る正体不明の物質で構成された純白の装甲。生物的な形状をした板状の突起、どことなく既存の生物をなぞるようにして形成された金属質の骨格や、白色の装甲の一部がほどけて薄く長く湾曲して覆っている。
体表にあるささくれのような凹凸や、幾何学的とすら感じる無数に組み込まれた部品、背部から頭部にかけて環を結ぶような形状の歪な光輪が、人類を殴殺する上位の存在としての畏怖を刃のように突きつける。
全身を軋ませながら躍動する、生命を超越した存在。
機械と呼ぶには生き物じみて、生命と呼ぶには異形すぎる、命紛いの化物。
多くの異形は、経年で外殻の一部が剥がれ落ちて内部構造の一部を晒していた。その一体が、これほどの時を経るまでの間、人命を奪い続け、建造物を破壊し尽くしたのかは想像に難くない。
人間の介入を許さない、神が設計したとすら思わせる神々しいほど精巧で緻密なる形状と、その荘厳で神の化身ともいうべき外観は圧倒的な威圧を放っていた。
これが、異形なる白き襲撃者――『天鎧』(てんがい)。
薙いだ腕を掠めるだけで、生身の人間の体は原型をとどめることすら許されずに飛び散ってしまう。先ほどまで気力で満ちていた男たちの声は、悲鳴と怯えの混じった叫びに変わっていた。
悲痛な声。助けを呼ぶ、『天鎧』の猛攻で瓦礫に潰されてしまった足を引きずりながら、なおも叫び続ける声。
「おれは、まだ、死にたくない――!」
その瀕死の呼び声に、果たして、凛とした声が応えた。
「――安心なさい。あなたは私が死なせない」
烈風を纏って死屍累々の戦地に駆け付けた小柄な人影は、その得物を浅い眠りから醒めさせる。
小さな得物の表面に赤い光が葉脈のように走ると、短かった持ち手がすらりと伸び、“柄”に変わる。小さな先端は、長大で鋭利な円錐形の“穂先”に展開する。
白い「槍」だ。
ふわりとそれを中空に投げ、浮かせて――。
「そう、らっ」
――ガンッ!!
目が覚めるような神速の回し蹴りが一閃。
風を裂いて猛進する質量体が、光線の如く残像を残して『天鎧』へと目掛けて放たれた。
――ダァアンッ
小気味良い音を響かせ、『天鎧』の胸部に突き刺さった。
当該の『天鎧』は槍をまとも受けた衝撃に耐えかね、ぐらりと大きく体勢を崩す。尋常の武装に対して、無敵を誇ったあの装甲を一投で割り砕き、地に膝をつかせたのだ。
『天鎧』は、ぎこちない動きで突き刺さった槍を引き抜こうともがくが、体内の奥底まで貫いた槍は生半な力では引き抜くこともままならず、それどころか駆動させるための動力が傷の隙間から次々と染み出ていた。『天鎧』の動きが少しずつ緩慢になっていく。
痙攣させるように蠕動する全身を使って振り絞り、最後の力が込められた。
足が潰れた男は、思わず『天鎧』の巨体に深々と突き立った槍を見上げていた。あの槍は、絶望するほど頑強だった『天鎧』の装甲を一撃で貫いた。男にとって、それは“救い”そのものだった。
助走をつけ、小さな人影が大きく地面をけり上げた。逆光に、はためくプリーツスカートのシルエットが浮かぶ。
その武装、身の丈を超える大槍を撃ち放ったのは、なんと、自分たちと同じ人間だった。それも、十代半ば程の少女の姿をしていた。少女は四、五メートル程もある『天鎧』の胸元の高さで態勢を保ちつつ、滞空している。
「――いい加減、くたばりなさい」
影が小さく言葉を漏らした。
そのまま突き刺さった槍の柄頭を思いきり強く蹴りつける。
その瞬間、
――パシャンッ
機体の深奥で軽い音が響いた。
衝撃波と共に槍が胸部を貫通し、見事に背部からその穂先が勢いよく飛び出した。蹴りの威力で飛ばされた槍が、地面に穂先を突き立てようやく静止する。その胸に生じた致命的な空洞から蛍光色の液体が勢いよく噴き出した。液体はあとからあとから溢れだし、地面に水たまりをつくる。
『天鎧』の『核』(コアパーツ)は、刺し貫かれた槍で容易く砕け散った。それはそのままひっくり返り、それから二度と動かなかった。
少女は槍を大地から力まかせに引き抜いた。そして、周囲を見渡してほかに危険がないことを確認すると、武装に流していた動力の接続を切り、小さく折りたたむ。白を基調とした、軍服のような彼女の戦闘服には、『天鎧』から噴き出した体液は一滴も付着していなかった。
人間を凌駕した力をもつ機械敵性体を、『天鎧』と呼ぶのなら、『天鎧』を討ち滅ぼす人間を、一体何と呼べばよいのだろう。
唯一この惨状を生き残った男は、足の怪我からの失血と激痛ですでに意識を失っていた。
「フェリスー!」
「ユノ、遅かったわね」
遅れてやってきた彼は、肩で息をしながら膝に手をついていた。
「フェリスが早すぎるんだって……。それで、どうだった?」
「生き残ったのは、そこ一人だけ。あとは全滅のようね」
「そう……」
少年は担いでいた荷物を地面に降ろすと、中から高性能の通信機器を取り出した。デバイスの画面をタップして起動すると、淀みなく報告を告げていく。
「コール。こちら、フェリス班。事後報告でごめんなさい。伝達です。ポイントBの31。学園に帰投中、『天鎧』一体による民間人の襲撃を目視し、現場に急行。対象の討伐で対処しました。生存者が一名。足から失血が激しく、急ぎ救護を要します。……はい。……」
フェリスは、自分の荷物から水筒を取り出すと、気を失った男のそばに屈みこんだ。男のズボンをめくり、ズタズタになった足に水筒に入っていた水をかけた。それから簡単に自前の応急キットから出した包帯とガーゼで患部を包むと、ぐったりとした男の体を横にして、毛布をかけてやる。
荷物を拾い、軽く砂埃を払うと背負いなおした。
「……ユノ、本部はなんか言ってた?」
十一名の名残と、元の地面が何色だったかわからないほどの血潮でむせ返る荒野を、ユノはじっと眺め、うめく男のほうを見た。
フェリスは『天鎧』を破壊する力に優れていても、傷ついた人を癒せるような能力を持たない。ゆえに、施したのは一般の道徳的配慮に基づいて行った、素人の応急処置にすぎない。もとより、フェリスもユノも、純粋な人間用のキットは持ち合わせてなどいない。
ユノはフェリスが処置をした男の深い傷を見て、茫然としていた。
「ユノ? 聞いてる?」
「あ。はい! ……本部は、少ししたら迎えに来てくれるって」
「そう。分かったわ。なら、近くの風がしのげる場所へ移りましょ」
「そうだね。じゃあ、この人は僕が運ぶよ」
「好きにしなさい」
「うん。……じゃあ、力を抜いてください。……運びますね」
ユノは男に声をかけると、首に男の胸を回してその小さな背中に担いだ。付近に停まっていた旧型輸送車の脇に移動する。
幸い車両に目立った損傷はなく、中で休むことができそうだ。
薄汚れ、ヤニの臭いが染みついた車内で、フェリスは、比較的綺麗な運転席を選んだ。座席の土汚れを払う。そこで吸い殻入れに堆(うずたか)く積もった灰に気づき、顔をしかめた。それから、助手席のグローブボックスの中身を出して後部座席に適当に捨てると、空になったボックスにあたりに散らかった食糧の空ゴミや吸い殻をケースごとまとめて押し込み、無理やり閉じ込めた。彼女は目に見える汚物が消えて満足したのか、運転席に座り直す。ガシガシとハンドルを回して薄く窓を開け、シートを倒してくつろぎはじめる。
「……ちょうどいい。学園まであの山を越えるのは面倒だったし……。このまま少し休むから、応援が来たら起こしてちょうだい」
フェリスは後方に向かったユノに向けて言う。
「うん。任せといて」
手慣れているのかユノはフェリスの指示を快諾すると、
「ありがと。先に休むわ」
それが聞こえるや否や、フェリスは座席の上で丸まった。
ユノは担いだ男を、後方の乱雑に散らかった荷物置場に横たえた。積まれた木箱はどれも粗雑な扱いをされたらしく、焦げ跡や血痕がついて酷く汚れていた。
その積み荷の様子から、ユノは何かに気づいて顔を伏せた。
浅い呼吸をしていた男の顔色は今も青白いままだ。ユノは男の脈拍を計るために、手首に触れた。心音は未だゆっくりと、刻まれている。
(もう、僕がこの人できることは何もない、のかな……)
ユノは、ゆっくりと手を離した。それから、男の生きているのか死んでいるのか、外見では判別のつかない寝顔を見ると車両のバックドアを丁寧に閉めた。
彼女は、後ろで苦しむ男のことなど意にも介さず、言葉通り目をつぶり休んでいた。それから、すぐにかすかな寝息が聞こえてきた。ここのところ、遠方での探索任務が続いていて野宿だったこともあるだろう。常に気を張っていた冷たい夜間の地面と、屋根や窓があり、簡易的な屋内となる車内とでは天と地の差がある。エンジンの駆動音で『天鎧』を呼び寄せかねないので空調を使うことはできないが、柔らかな座席で仮眠を取ることができるのはありがたいことだった。
ユノは自身の毛布を彼女にかけてやると、防寒用のマントを纏い、自分の荷物から拠点開設に使う丈夫なショベルを出し、ランタンに火を入れた。そっとドアを開けて外に出ると、あたりは黄昏に差し掛かり、夕日はもう去り際で夜間の冷えた空気が迫る頃だった。
「……」
荒野の冷風にすさぶ多くの肉の残骸。もはや遺体と呼ぶには形をとどめているものの方が少ない有様だが、そのまま野晒しにしておくのは躊躇(ためら)われた。
(僕は、やれることはなんだってやらなくちゃいけないんだ)
ユノは、車両にショベルとランタンを立てかけると、散らばった肉片から彼らの身元が分かる遺品を探すために歩み寄った。
* * *
学園から派遣された救護班の装甲車に揺られ、二人は車窓を見ていた。雲のない夜空には無数の星々が瞬き、学園の人工の明かりから遠のいたこの場所ならではの絶景が広がっている。
フェリスは車窓から視線を移し、少し眠たげな眼でユノの汚れて傷ついた手を見やった。
「ユノ。あんた、私が寝てる間に何してたの?」
「……あの人たちを埋葬してた」
「獣が寄り付かないくらい、深く掘ったんでしょ。……そんなこと、私たちのやることじゃないはずよ」
フェリスは、その返答の内容を知っていたのか驚きもせず、淡々と話した。車窓を眺める眼差しは、何かに憤っているかにも見える。
「うん。……でも、僕は自分ができることをしただけだから」
「あの人たちが何者だったか、知ってて掘ったんでしょ?」
「うん。近隣の居住区から移動中の自警団だと思う。遺品で見たんだ」
「自警団、ね……。それ、野盗の間違いじゃないのかしら」
「……フェリス、僕は、」
フェリスは、ユノの言葉を遮ると、言った。
「そんな無意味なことを、やってやる価値があるの?」
冷たい声音を孕んだフェリスの声に、ユノは視線を落とす。
「……」
「……彼らは、」
フェリスは言葉をゆっくりと区切り、息を吸って続けた。
「彼らは、事実として、他の居住区を襲撃して“略奪した”物資を乗せていた。そして、その奪った物資を守るために、襲撃してきた『天鎧』と交戦した。本来、『使徒』ではない一般人が『天鎧』と会敵した場合の打倒な対応は、ただ一つ。出来るだけ車両を軽くして、最速でその場から離れ、逃げること」
「……」
「連中は、他人を傷つけて物資を奪った。それから、生身のひとでありながら、無謀にも『天鎧』に挑んだ愚か者よ。その中でも最も愚かで、救いようのない連中だった。……で。あんたはそれを知っていて、そんな無駄に血豆を作ってまで埋葬してやったの?」
ユノの方を向き直ったフェリスは、じっとユノを見つめている。
「……僕は、『使徒』である僕だから、どんな命であっても、平等に向き合いたかったんだ」
「自分の欲のために、ほかの誰かを殺すような連中に対しても、あんたは同じことをいうのね」
「……うん」
「だから、あんたは甘いのよ。命の価値は、平等なんかじゃない」
「……僕は、いつか、ひと同士で争わなくても済むような世界になるように『使徒』として、できることをしたかったんだ」
「……それは、とても素敵な話ね。でも、私は、あなたのいう『使徒』だなんて、嘘っぱちだと思ってる。『天鎧』と戦うための従順な兵器としての私たちが、……あなたの思い描く世界になんて、到底たどり着けるとは思えない」
そう言い切ったフェリスの顔は、ユノの目にはどこか切なげに映った。
「……」
押し黙ったユノとその場の空気を少し取り繕うように、フェリスは少しだけ暖かい声で言う。
「でも、……もし、あなたがそれを実現させるのなら、……私も、見てみたいわ」
「……うん」
かすかに微笑んで見せた彼女の言葉が、本心から紡がれたものだとユノは胸の奥でじんわりと感じていた。
「……帰ったら一緒にいつものシチューでも食べましょ」
それからフェリスは問答にも飽いたのか、ユノの毛布にくるまって目を閉じた。
ユノは、彼女がいうように略奪者に慈悲をかけることが、いかに愚かしいことかという道理を理解していた。それでもユノは、それが略奪者であろうと、誰であろうとも、汗を流して硬い荒野の土にいくつもの深い穴を掘り、飛び散った遺体をかき集めて、埋葬することを選んだだろう。
車両は、彼らの拠点である『使徒』を育成し、管理する施設。通称「学園」と呼ばれる場所へと粛々と向かっていた。
それは、鋭利な刃を持ち、ひとが“脅威”と戦うために手に取るもの。
そして今は、大いなる存在を、鋭く切断し、深々と貫き、殺めるためのもの。
この零落し緩やかに滅びゆく世界で、人々は強大な敵性存在の強襲に抗い、生きながらえるためにその剣を振るっていた。人間はしぶとくもたくましく、彼らの生存圏を僅かずつ広げていった。
一陣の風が、荒野を舐めるように吹いた。
砂埃まみれの穢れた地面の上に、家屋だった瓦礫とともにうち捨てられた古書の中身が捲られる。書物を綴っていた紐が風化でぷつりと千切れ、ページが薄汚れた羽毛のごとく舞い上がった。それらは枯れた大気の流れに乗って、かすかに舞い踊り、やがて散り散りになる。
ふと、足元に落ちてきたそれに気づいた少年は、歩みを止めた。屈(かが)んで落ちてきた紙切れを拾おうと手を伸ばす。
「――あ」
掴もうとした彼の手をすり抜けて、汚れた紙片は風に攫(さら)われてしまった。
「相変わらず、ここは風が強いわね……鬱陶しいったら……」
「……そうだね。フェリス」
彼の後ろをついて歩いていた少女、フェリス=トルードルは、風になびく赤髪の長髪を片手で抑えた。彼女は、その端正な顔立ちをしかめ面にして、荒野の果て――彼らの目指す方角の先を見る。二房にまとめられた深紅の髪が、はためいた。
彼方には、地上に半分ほど埋まった巨大な卵の殻のようなとてつもなく巨大な構造物が、雲を貫きながらうっすらと霞んで聳(そび)えていた。そこが彼らの目的地なのだろう。
「……あと少しで日が暮れるわ。さっさとこの殺風景な場所を抜けるわよ――ユノ」
「うん……」
少年、ユノ=レイニールは、頷くと背に負っていた大仰な荷物を背負いなおす。
ユノが歩き出そうと踏み出したその直後、不意に遠方で閃光が炸裂し一瞬二人の目を眩ませた。
――ズッ、ドォォオオム
光から遅れて、大気を揺るがす轟音が耳をつんざく。さらに小規模な爆発が幾度も連続する。
「っ!」
「……!」
二人はとっさに身をかがめ、ユノとフェリスは腰に下げた得物に手をかけていた。
周囲を見回すと、視界の先で砂塵が大きな黒雲を作り、立ち昇っていた。
それから短く連続した銃声が、悲鳴のように木霊する。
フェリスは音のする方角を睨みながら、彼に鋭く問う。
「この音、火薬の射撃音――対人用か。あんたはどう考える」
ユノはフェリスの横顔を見て、頷いた。
「……えっと、うん。間違いないと思う。荒野を自力で移動してるわけだから、……例えば、自警団同士の争い、とかかな」
それで、とユノの言葉の後でフェリスは呆れと怒りで目元をゆがませた。
「人間同士の争いか。……違うわ。そうだとしたら、まだ考えが甘いわね。……あんな強力な榴弾砲か何かを、自警団程度が外に持ち出せるわけないでしょ。連中は、きっともっとロクでもない」
ユノの言葉に、フェリスは不愉快な心持ちを隠さずため息をついた。彼女は、小枝と石ころで戦車に挑もうとするほどに愚かしい連中の無知と恥知らずな行いを怒(いか)っている。ユノはどう宥めたものかと思案していた。
「……仕方ない。運のいいやつめ」
「うん。……うん?」
ユノは首をかしげると、突然彼の視界はフェリスが放り投げた彼女のリュックで埋め尽くされた。
「うわっ! っと」
ユノは投げられた荷物を、あわてて両腕で抱きかかえる。
フェリスは横目でユノが荷物を受け取った様子を確認した。それから、小さく折りたたまれた得物を握りしめた手を地面に付け、姿勢を低くする。その場から走りだすつもりなのか、片足のつま先を突き立てて、靴底を土に食い込ませる。
上体を深く沈ませ、構えた。
「――追いかけてきなさい」
――ドッ、
つまさきのひと蹴りで土煙が湧き立ち、地面が抉り飛ぶ。
ユノの、もはや誰に届くこともない言葉が言い終わるや否や、フェリスは風鳴りと残像を残して、彼方まで駆けだしていた。こうして眺めている今も、みるみるうちに彼女の姿が遠ざかっていく。フェリスが進むたびに立ち昇る土煙と、彼女が残した凄烈な脚力で穿たれた轍が、一直線に曲がることなく深々と大地に続いていた。
「君らしいや……」
ユノは去っていったフェリスの背中をぼんやり眺めていた。
「……っと! 僕も急がないと」
慌てて我に返ったユノは、二人分の荷物を背負ってヨタヨタと走り出した。
* * *
踏みつけられ、蹴り飛ばされて、擦り切れた文字の羅列。
巨大な何かが地面ごと殴りつけた衝撃が、大地を酷く諫めた。喧しい羽虫が掌で潰されるように、容易に人の形は変形し、無残につぶされ、そしてただの鮮やかな赤となる。
白色の巨人がこちらを見る。鈍く軋みをあげて首を向け、矮小な者どもを睥睨した。
感情のない白面から降り注ぐ強烈な威圧は、彼らを怯えさせ一瞬の硬直を与えた。
誰かの言葉で、はねるようにそれぞれが武装を構える。
銃口から瞬くマズルフラッシュで、「それ」の白色に光る外骨格が照らされ輝く。一斉に弾丸を叩き込むも、異形な何かは襲い来る全ての銃弾を物ともせず、かすかな火花と共に弾いた。
穢れ一つないその無垢なるその装甲には、傷一つつくことはない。
「びびってんじゃねえ! ランチャー構え!」
司令塔と思しき男の声で、ひとりの部下がすぐさま片膝をつき、ひと抱えもある砲塔を肩に担いだ。
呼び声で照準を合わせた砲身から、弾頭が噴射されて襲撃者に向かって白い尾を引いて飛んでいく。
ダメ押しで、男達は怒号と共に手榴弾を投げ込んだ。緩やかな弧を描いて次々に投げ込まれる。 爆発の閃光が走ると、遅れてミサイルの爆発音が大気を劈(つんざ)いた。連続して、爆弾が炸裂する轟音が幾重にも木霊する。土埃がむせび、周囲が一瞬、暗澹たる様となる。
そして、爆音が止み、立ち込める粉塵を前にほとんどの者が勝利を確信した、その時。
舞い上がる土煙をかき分け、機械仕掛けの五指が伸びた。
「ぐわッ、うあああ!」
ランチャーを担いだままだった男を、酷く損在(ぞんざい)に掴み上げると、白い巨人は、両の掌で思い切りそれを握りしめた。
――バキ、ブヂ、
骨格を破壊する音と絶えた悲鳴が、見るものを震撼させるつかの間。白磁の指の隙間から、血が噴き出す。白の異形は掌を解き、臓物と脂と、武装の破片が混じり合った塊がボトボトと地面を赤黒く汚した。
そして手近な獲物を新たに見留めると、また手を握りしめては児戯のように殴りつけ、踏みつぶし、握りつぶしては殺戮していく。機械的に繰り返される動作で人の命は軽々と失われる。
それまで応戦していた男たちは、目の前で起きた所業に圧されてしまったのか、後ずさりして武器を落としていた。
超硬度を誇る正体不明の物質で構成された純白の装甲。生物的な形状をした板状の突起、どことなく既存の生物をなぞるようにして形成された金属質の骨格や、白色の装甲の一部がほどけて薄く長く湾曲して覆っている。
体表にあるささくれのような凹凸や、幾何学的とすら感じる無数に組み込まれた部品、背部から頭部にかけて環を結ぶような形状の歪な光輪が、人類を殴殺する上位の存在としての畏怖を刃のように突きつける。
全身を軋ませながら躍動する、生命を超越した存在。
機械と呼ぶには生き物じみて、生命と呼ぶには異形すぎる、命紛いの化物。
多くの異形は、経年で外殻の一部が剥がれ落ちて内部構造の一部を晒していた。その一体が、これほどの時を経るまでの間、人命を奪い続け、建造物を破壊し尽くしたのかは想像に難くない。
人間の介入を許さない、神が設計したとすら思わせる神々しいほど精巧で緻密なる形状と、その荘厳で神の化身ともいうべき外観は圧倒的な威圧を放っていた。
これが、異形なる白き襲撃者――『天鎧』(てんがい)。
薙いだ腕を掠めるだけで、生身の人間の体は原型をとどめることすら許されずに飛び散ってしまう。先ほどまで気力で満ちていた男たちの声は、悲鳴と怯えの混じった叫びに変わっていた。
悲痛な声。助けを呼ぶ、『天鎧』の猛攻で瓦礫に潰されてしまった足を引きずりながら、なおも叫び続ける声。
「おれは、まだ、死にたくない――!」
その瀕死の呼び声に、果たして、凛とした声が応えた。
「――安心なさい。あなたは私が死なせない」
烈風を纏って死屍累々の戦地に駆け付けた小柄な人影は、その得物を浅い眠りから醒めさせる。
小さな得物の表面に赤い光が葉脈のように走ると、短かった持ち手がすらりと伸び、“柄”に変わる。小さな先端は、長大で鋭利な円錐形の“穂先”に展開する。
白い「槍」だ。
ふわりとそれを中空に投げ、浮かせて――。
「そう、らっ」
――ガンッ!!
目が覚めるような神速の回し蹴りが一閃。
風を裂いて猛進する質量体が、光線の如く残像を残して『天鎧』へと目掛けて放たれた。
――ダァアンッ
小気味良い音を響かせ、『天鎧』の胸部に突き刺さった。
当該の『天鎧』は槍をまとも受けた衝撃に耐えかね、ぐらりと大きく体勢を崩す。尋常の武装に対して、無敵を誇ったあの装甲を一投で割り砕き、地に膝をつかせたのだ。
『天鎧』は、ぎこちない動きで突き刺さった槍を引き抜こうともがくが、体内の奥底まで貫いた槍は生半な力では引き抜くこともままならず、それどころか駆動させるための動力が傷の隙間から次々と染み出ていた。『天鎧』の動きが少しずつ緩慢になっていく。
痙攣させるように蠕動する全身を使って振り絞り、最後の力が込められた。
足が潰れた男は、思わず『天鎧』の巨体に深々と突き立った槍を見上げていた。あの槍は、絶望するほど頑強だった『天鎧』の装甲を一撃で貫いた。男にとって、それは“救い”そのものだった。
助走をつけ、小さな人影が大きく地面をけり上げた。逆光に、はためくプリーツスカートのシルエットが浮かぶ。
その武装、身の丈を超える大槍を撃ち放ったのは、なんと、自分たちと同じ人間だった。それも、十代半ば程の少女の姿をしていた。少女は四、五メートル程もある『天鎧』の胸元の高さで態勢を保ちつつ、滞空している。
「――いい加減、くたばりなさい」
影が小さく言葉を漏らした。
そのまま突き刺さった槍の柄頭を思いきり強く蹴りつける。
その瞬間、
――パシャンッ
機体の深奥で軽い音が響いた。
衝撃波と共に槍が胸部を貫通し、見事に背部からその穂先が勢いよく飛び出した。蹴りの威力で飛ばされた槍が、地面に穂先を突き立てようやく静止する。その胸に生じた致命的な空洞から蛍光色の液体が勢いよく噴き出した。液体はあとからあとから溢れだし、地面に水たまりをつくる。
『天鎧』の『核』(コアパーツ)は、刺し貫かれた槍で容易く砕け散った。それはそのままひっくり返り、それから二度と動かなかった。
少女は槍を大地から力まかせに引き抜いた。そして、周囲を見渡してほかに危険がないことを確認すると、武装に流していた動力の接続を切り、小さく折りたたむ。白を基調とした、軍服のような彼女の戦闘服には、『天鎧』から噴き出した体液は一滴も付着していなかった。
人間を凌駕した力をもつ機械敵性体を、『天鎧』と呼ぶのなら、『天鎧』を討ち滅ぼす人間を、一体何と呼べばよいのだろう。
唯一この惨状を生き残った男は、足の怪我からの失血と激痛ですでに意識を失っていた。
「フェリスー!」
「ユノ、遅かったわね」
遅れてやってきた彼は、肩で息をしながら膝に手をついていた。
「フェリスが早すぎるんだって……。それで、どうだった?」
「生き残ったのは、そこ一人だけ。あとは全滅のようね」
「そう……」
少年は担いでいた荷物を地面に降ろすと、中から高性能の通信機器を取り出した。デバイスの画面をタップして起動すると、淀みなく報告を告げていく。
「コール。こちら、フェリス班。事後報告でごめんなさい。伝達です。ポイントBの31。学園に帰投中、『天鎧』一体による民間人の襲撃を目視し、現場に急行。対象の討伐で対処しました。生存者が一名。足から失血が激しく、急ぎ救護を要します。……はい。……」
フェリスは、自分の荷物から水筒を取り出すと、気を失った男のそばに屈みこんだ。男のズボンをめくり、ズタズタになった足に水筒に入っていた水をかけた。それから簡単に自前の応急キットから出した包帯とガーゼで患部を包むと、ぐったりとした男の体を横にして、毛布をかけてやる。
荷物を拾い、軽く砂埃を払うと背負いなおした。
「……ユノ、本部はなんか言ってた?」
十一名の名残と、元の地面が何色だったかわからないほどの血潮でむせ返る荒野を、ユノはじっと眺め、うめく男のほうを見た。
フェリスは『天鎧』を破壊する力に優れていても、傷ついた人を癒せるような能力を持たない。ゆえに、施したのは一般の道徳的配慮に基づいて行った、素人の応急処置にすぎない。もとより、フェリスもユノも、純粋な人間用のキットは持ち合わせてなどいない。
ユノはフェリスが処置をした男の深い傷を見て、茫然としていた。
「ユノ? 聞いてる?」
「あ。はい! ……本部は、少ししたら迎えに来てくれるって」
「そう。分かったわ。なら、近くの風がしのげる場所へ移りましょ」
「そうだね。じゃあ、この人は僕が運ぶよ」
「好きにしなさい」
「うん。……じゃあ、力を抜いてください。……運びますね」
ユノは男に声をかけると、首に男の胸を回してその小さな背中に担いだ。付近に停まっていた旧型輸送車の脇に移動する。
幸い車両に目立った損傷はなく、中で休むことができそうだ。
薄汚れ、ヤニの臭いが染みついた車内で、フェリスは、比較的綺麗な運転席を選んだ。座席の土汚れを払う。そこで吸い殻入れに堆(うずたか)く積もった灰に気づき、顔をしかめた。それから、助手席のグローブボックスの中身を出して後部座席に適当に捨てると、空になったボックスにあたりに散らかった食糧の空ゴミや吸い殻をケースごとまとめて押し込み、無理やり閉じ込めた。彼女は目に見える汚物が消えて満足したのか、運転席に座り直す。ガシガシとハンドルを回して薄く窓を開け、シートを倒してくつろぎはじめる。
「……ちょうどいい。学園まであの山を越えるのは面倒だったし……。このまま少し休むから、応援が来たら起こしてちょうだい」
フェリスは後方に向かったユノに向けて言う。
「うん。任せといて」
手慣れているのかユノはフェリスの指示を快諾すると、
「ありがと。先に休むわ」
それが聞こえるや否や、フェリスは座席の上で丸まった。
ユノは担いだ男を、後方の乱雑に散らかった荷物置場に横たえた。積まれた木箱はどれも粗雑な扱いをされたらしく、焦げ跡や血痕がついて酷く汚れていた。
その積み荷の様子から、ユノは何かに気づいて顔を伏せた。
浅い呼吸をしていた男の顔色は今も青白いままだ。ユノは男の脈拍を計るために、手首に触れた。心音は未だゆっくりと、刻まれている。
(もう、僕がこの人できることは何もない、のかな……)
ユノは、ゆっくりと手を離した。それから、男の生きているのか死んでいるのか、外見では判別のつかない寝顔を見ると車両のバックドアを丁寧に閉めた。
彼女は、後ろで苦しむ男のことなど意にも介さず、言葉通り目をつぶり休んでいた。それから、すぐにかすかな寝息が聞こえてきた。ここのところ、遠方での探索任務が続いていて野宿だったこともあるだろう。常に気を張っていた冷たい夜間の地面と、屋根や窓があり、簡易的な屋内となる車内とでは天と地の差がある。エンジンの駆動音で『天鎧』を呼び寄せかねないので空調を使うことはできないが、柔らかな座席で仮眠を取ることができるのはありがたいことだった。
ユノは自身の毛布を彼女にかけてやると、防寒用のマントを纏い、自分の荷物から拠点開設に使う丈夫なショベルを出し、ランタンに火を入れた。そっとドアを開けて外に出ると、あたりは黄昏に差し掛かり、夕日はもう去り際で夜間の冷えた空気が迫る頃だった。
「……」
荒野の冷風にすさぶ多くの肉の残骸。もはや遺体と呼ぶには形をとどめているものの方が少ない有様だが、そのまま野晒しにしておくのは躊躇(ためら)われた。
(僕は、やれることはなんだってやらなくちゃいけないんだ)
ユノは、車両にショベルとランタンを立てかけると、散らばった肉片から彼らの身元が分かる遺品を探すために歩み寄った。
* * *
学園から派遣された救護班の装甲車に揺られ、二人は車窓を見ていた。雲のない夜空には無数の星々が瞬き、学園の人工の明かりから遠のいたこの場所ならではの絶景が広がっている。
フェリスは車窓から視線を移し、少し眠たげな眼でユノの汚れて傷ついた手を見やった。
「ユノ。あんた、私が寝てる間に何してたの?」
「……あの人たちを埋葬してた」
「獣が寄り付かないくらい、深く掘ったんでしょ。……そんなこと、私たちのやることじゃないはずよ」
フェリスは、その返答の内容を知っていたのか驚きもせず、淡々と話した。車窓を眺める眼差しは、何かに憤っているかにも見える。
「うん。……でも、僕は自分ができることをしただけだから」
「あの人たちが何者だったか、知ってて掘ったんでしょ?」
「うん。近隣の居住区から移動中の自警団だと思う。遺品で見たんだ」
「自警団、ね……。それ、野盗の間違いじゃないのかしら」
「……フェリス、僕は、」
フェリスは、ユノの言葉を遮ると、言った。
「そんな無意味なことを、やってやる価値があるの?」
冷たい声音を孕んだフェリスの声に、ユノは視線を落とす。
「……」
「……彼らは、」
フェリスは言葉をゆっくりと区切り、息を吸って続けた。
「彼らは、事実として、他の居住区を襲撃して“略奪した”物資を乗せていた。そして、その奪った物資を守るために、襲撃してきた『天鎧』と交戦した。本来、『使徒』ではない一般人が『天鎧』と会敵した場合の打倒な対応は、ただ一つ。出来るだけ車両を軽くして、最速でその場から離れ、逃げること」
「……」
「連中は、他人を傷つけて物資を奪った。それから、生身のひとでありながら、無謀にも『天鎧』に挑んだ愚か者よ。その中でも最も愚かで、救いようのない連中だった。……で。あんたはそれを知っていて、そんな無駄に血豆を作ってまで埋葬してやったの?」
ユノの方を向き直ったフェリスは、じっとユノを見つめている。
「……僕は、『使徒』である僕だから、どんな命であっても、平等に向き合いたかったんだ」
「自分の欲のために、ほかの誰かを殺すような連中に対しても、あんたは同じことをいうのね」
「……うん」
「だから、あんたは甘いのよ。命の価値は、平等なんかじゃない」
「……僕は、いつか、ひと同士で争わなくても済むような世界になるように『使徒』として、できることをしたかったんだ」
「……それは、とても素敵な話ね。でも、私は、あなたのいう『使徒』だなんて、嘘っぱちだと思ってる。『天鎧』と戦うための従順な兵器としての私たちが、……あなたの思い描く世界になんて、到底たどり着けるとは思えない」
そう言い切ったフェリスの顔は、ユノの目にはどこか切なげに映った。
「……」
押し黙ったユノとその場の空気を少し取り繕うように、フェリスは少しだけ暖かい声で言う。
「でも、……もし、あなたがそれを実現させるのなら、……私も、見てみたいわ」
「……うん」
かすかに微笑んで見せた彼女の言葉が、本心から紡がれたものだとユノは胸の奥でじんわりと感じていた。
「……帰ったら一緒にいつものシチューでも食べましょ」
それからフェリスは問答にも飽いたのか、ユノの毛布にくるまって目を閉じた。
ユノは、彼女がいうように略奪者に慈悲をかけることが、いかに愚かしいことかという道理を理解していた。それでもユノは、それが略奪者であろうと、誰であろうとも、汗を流して硬い荒野の土にいくつもの深い穴を掘り、飛び散った遺体をかき集めて、埋葬することを選んだだろう。
車両は、彼らの拠点である『使徒』を育成し、管理する施設。通称「学園」と呼ばれる場所へと粛々と向かっていた。
後書き
未設定
作者:灰縞 凪 |
投稿日:2024/03/21 22:14 更新日:2024/04/04 19:50 『Tear of Piece』の著作権は、すべて作者 灰縞 凪様に属します。 |
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