砂糖で煮た李をの続編です




 日向上忍がいかに素晴らしいお人であるか、という考察に関しては、わたしはそれこそ日付が変わるまで語り尽くしても足りないくらいである。いや、語り尽くせないというのが正しい。簡潔に表せば日向上忍まじすげえという言葉に落ち着くが、それだけでは何がまじすげえなのか分からないし、誰にも何も伝わらないだろう。この言葉は論文の冒頭に置くに相応しい。中身の説明には膨大な時間を必要とするので、つまり、わたしはこの考察を胸の内に留めておくことしかできないのだ。
 人はこれを阿呆と呼ぶ。
 知るか。日向上忍は本当にすごい人で、在り来たりな賞賛の言葉を並べるだけでは随分物足りない。わたしは自分の語彙力の無さを呪う。先程から要するにすごいとしか発言していない。もっと、こう、知的な発言ができないものかと思う。幼少期には本をよく読んでいたから、アカデミー時代は割と言葉を知っている方だと自負していたが、卒業してからは任務で日々くたくた、読書の時間を削ってでも睡眠に充てたい悲しい体力の持ち主になってしまった。忍者としてこれはいかに。ボキャブラリー貧民で辛い限りである。

、この報告書の下部の欄なんだが」
「はい」

 日向上忍が親鳥で、わたしは雛だという揶揄を受けることがある。金魚の糞と言われることもある。確かにわたしの仕事内容の殆どは日向上忍の指導のもとに成り立つものなので、彼と一緒に仕事をしている以上は、ほぼ四六時中傍にいることになる。わたしの尊敬の念は、母や父を見る子と同義であると同僚に指摘された。別に間違っちゃいない。そもそも足場の高さの差異は大きい。日向上忍とわたしの視界は一致しない。

「あー、上官の判子掠れちゃってますね、後で待機所に伺います」
「そうしてくれ。それから、このBランク任務の報酬金額は一桁ずれているんじゃないか」
「うっわ、申し訳ありません。依頼書と照らし合わせます。他に修正が必要な書類はあります?」

 物事を的確に判断し、瞬時に最善の行動に移る。本当に仕事のよくできる人だ。わたしは日向上忍のその能力を自分のものにできるように努力しなければならないが、ちょっとやそっと頑張ったところで、という話である。日向上忍がわたしの指導にどれだけの期間当たれるのか予測が付かないので、うだうだしている余裕も無いのは分かっている。
 三時のおやつにと買ってきた豆大福は、二人とも手をつけないまま、すでに夕闇が窓の外に広がっていた。冬は太陽が隠れるのが早くて嫌になる。そして大福が固くなってしまう、勿体無い。

「日向上忍、大福なんですけど」

 書類を片手に振り返りもせず、日向上忍は「分かった」とだけ言った。本当に分かってらっしゃるのか定かではない。日向上忍は意外とズボラでめんどくさがりで、投げれる仕事は容赦なく全力投球してくださる方だ。
 まあ、そういう一面を見せていただけるのは、ある程度の信頼関係を築けているからだとわたしは思っている。この間執務室に来た中忍の女の子を割と適当にあしらっていたの見たし。優越感は表に出さないが、そりゃまあ、わたしは右腕ですから。でへへ。
 ちょっと浮かれた気分のまま、日向上忍の机の隅に見ただけで美味しいと分かる大福を鎮座させる。埃が被るといけないから、上に軽く懐紙を乗せて、壁時計を見る。この仕事量から見て、あと一時間は頑張らないといけないだろう。いえーい残業、サービスサービスゥ。
 ミ○トさんの物真似をして虚しくなったところで、わたしは書類によって水分を奪われてガッサガサの我が右手にハンドクリームを塗り込んだ。油分も水分も一切消えたわたしの指先が潤ってとっても良い感じである。歳取ったわ。書類を一枚一枚捲ることがこんなに難しかったなんて。
 日向上忍から小さな唸り声が聞こえた。次いでバキバキと骨の軋む音が部屋に響く。音源は日向上忍の肩だ。男の人の割には華奢な肩から、えげつない音がするものだ(負けない自信はある)。いや、日向上忍の仕事量に比べればわたしなど。
 日向上忍が軽く腕を回す振動が伝わって、古い椅子がギッと嫌な音を立てた。

「くっ……」

 まるで任務中に予想外の敵襲に遭って負傷したかのような反応である。余程肩凝りが深刻であると伺える。そりゃあ、その肩に乗っている重みはわたしの想像を超えているだろう。これが上司の姿だ。労わらねば。

「揉みましょうか」
「は?」

 わたしを見上げた日向上忍の視線の冷たいことよ。

「あ、肩ですよ」
「他にどこを揉むんだ」
「手も凝るんですよ、あと腰とか」
「肩で良い」

 呆れ顔で溜め息を吐いた日向上忍は、あっさりくるっと椅子ごとわたしに背を向けた。なんと無防備な! いや、白眼があるしその視界はほぼ三百六十度であるから、隙などないのだけれども!
 背中を見せるというのは、ある種の信頼関係が構築されていなければ難しいのではないだろうかと思う。つまり、だ。
 ここにきてやっと進歩した!
 それだけの事実で嬉しくなるわたし、超お手軽。によによしながら日向上忍の肩に触れる。想像通り、恐ろしく凝り固まった肩は岩の如し。とりあえず血流をよくするところからだろうと、首筋から肩にかけて指圧をかける。

「日向上忍、働きすぎじゃないですか?」

 返事がない。自覚はあるのだろうか。服越しに感じる骨を少しなぞり、ぐっと窪んだところを押していく。そういや点穴を見抜く日向一族の人はツボとかにもお詳しいのだろうか。マッサージが得意だったりするのだろうか。社畜には大変ありがたい一族だなあ。
 下忍の頃は他人を見下すことが常であったこの人は今は真っ直ぐ前を見据えて、着実に一歩ずつ進んでいく。時たま振り返ってわたしのことを確認してくださるから、それで十分なのだ。
 勝手に想像して勝手に自己完結して、勝手に後ろをついていく。右腕という地位さえ揺らがなければ、後のことは別にどうだって良い。日向上忍の後ろは、それはもう、何にも替えがたい唯一の居場所だ。

「じゃ、腕もマッサージしておきますんで」
「……お前、忍者より按摩師の方が向いているんじゃないか?」

 にこにこ笑って日向上忍の二の腕だあ僥倖だあと思っていたのがバレたのか否か、それはさっぱり分からないけれど(分からない振りをするのは得意である)、傷付く一言を頂戴して少ししょぼくれる。日向上忍の右腕として、やはり忍としても懸命に頑張ることは重要であろう。

「いやですよ、わたしはずっと、日向上忍の右腕がいいです」

 ご存知でしょう、と付け加えると、日向上忍は僅かにその大きな瞳を見開いて、一切の動きを止めてしまった。
 二の腕にバランスよくついた筋肉を手のひら全体を使って解すことに夢中なわたしは、日向上忍が何か言いたげにこちらを見上げているとは予想すらせず、ひたすら僥倖僥倖と悦に浸っていたのだった。

絵画の雛たち

160214|千紗さん、リクエストありがとうございました