エルヴィン・スミス1 02
訓練がある日だというのに、私服を着て作戦会議室にある机に向う
手元には座学に必要な教科書と筆記用具
ロングスカートの裾から出る左足首には包帯が巻かれていた
昨日はエルヴィン団長に背負われたまま診療所へと連れて行かれ、なにやら大事になってしまって
まあ、団長が訓練兵を背負って来たのだから無理もないけれど――
結局エレンとジャンがぶつかってきたこともミカサに知られてしまい彼女が怒って大変だった
必死に宥めていたアルミンやライナーも疲れたことだろう
そして自分はと言えばこの足では訓練には出られないという医師の言葉で二日間の安静を言い渡されてしまった
そんな訳で訓練施設に行くことは出来ず、自習をしている
でも今までの復習の甲斐もあり特に勉強に必要な部分はなかった
どうしたものかと開いたままの教科書を前にぼんやりと過ごす
ペンを持った手に視線を落とし、傍らに置いていた別のノートを開いてそこにペン先を触れる
サラサラと何度も、重ねるように線を引いて文字ではなく絵を描いていった
何も考えず、昨日間近に見たエルヴィン団長の顔を
昔から絵が得意ではあるが兵士としては役に立つのかどうか分からない
それでも描くのが好きで暇で仕方がない時には絵を描くことがあった
ミカサとか、アルミンとか
見せたことはないけれど、他の人に見せれば恐らく誰を描いたかは分かってくれるだろう
そう思いながら手を動かし、完成した絵に一人で満足していると頭上から声を掛けられた

「上手いものだな」
「ひぇっ……だ、団長……!?」

絵に集中していたせいか近くに来ていたのに全く気付くことが出来ず
はガタッと椅子を鳴らしながらそれごと後ろへと身を引いた
机に片手をついてこちらを見下ろすエルヴィンが不思議そうに首を傾げる

「驚かせてしまったか」
「え、ええ、その、集中していましたので……」

落書きに集中していたなんて恥ずかしいが、事実であった
あわあわとノートを閉じようとするがさっと取り上げられてしまう
空しく机に手が触れてそのノートの行き先を目で追った

「ふむ……絵ならば何でも描けるのか?」
「……はい、一応……」
「ならば描いてもらいたいものがある。壁の外の風景を」
「壁の、外……ですか」

訓練兵であるから未だに出たことはない外の世界
自分は元から調査兵団希望だから外に出ることに抵抗はなかった
でも、団長の頼みで絵を描くのは責任が――

「私よりも上手に描ける人がいると、思うのですが……」
「いや、何人かに描かせているがこれほど上手い者はいない」
「……分かりました。兵団に入ったら、壁外任務の時に描きます」
「楽しみにしている」

そう言い、彼がノートをこちらの手元に戻してくれた
机に触れていた手を離し、出入り口へ向かおうとして動きを止める


「っ……はい」
「美しい名前だ」
「あ……ありがとうございます……」

薄く笑い、さらりと恥ずかしいことを言って去るのはやめてほしかった
扉の向こうに消える姿を見送り、細く息をはく
立っているだけでも、歩いているだけでも優雅に見えるのは団長だからだろうか
そして、この胸がドキドキと騒がしいのは――
は胸元に触れた手をぐっと握るとぶんぶんと頭を振った
そんな訳がない
訓練兵である自分が普段は顔を合わせることのない団長
そんな彼が急に現れて驚いただけだ

(そうよ、気のせい……)

自分にそう言い聞かせて鼓動が落ち着くのを待つ
訓練兵になってからは友人に恵まれて相談相手が多くいるが、こんなことは誰にも言えなかった
団長は素敵な人だけれど、その姿を見るだけで満足しなければ
人類の為に心臓を捧げ、功績を上げて、少しでも使える兵士になって、巨人を討伐して
そして、それが団長の描く未来に近付くように
死亡率の高い調査兵団で少しでも生き延びて彼の背を見つめ続けよう
はそう思い、ノートに書いた団長の顔に手を触れた




自分の背後にぴたりとくっつく同期の少女
はちらりとそちらを見ると困惑しながらアルミンの方へ顔を向けた

「あの、アルミン。ミカサは何を……?」
「君が心配なんだよ。エレンのせいで危ない目に合っているから……」
「気にしなくても良いのに」
「エレンを止められなかった。私がを守る」

いつもエレンを守ると口癖のように言うミカサ
そんな彼女に言われて嬉しくない訳がない
けれども、背後に控えられていてはどうにも落ち着かないものだった

「ミカサ、後ろじゃなくて隣に……」
「あなたがそう言うのなら」

彼女が言いながら自分の隣の席へと腰を下ろす
これで背後からの謎の圧から解放されてほっと息をついた
テーブルの上に開いたままのノートに視線を戻してペンを握る
サラサラと絵を描いていると、隣からミカサが覗き込んできた

「……エレンとアルミンと……私」
「うん、分かる?」
は絵が上手だ」
「そうかな」

そう言ってもらえると嬉しくもあり、恥ずかしくもある
皆の顔を描き終えてペンを置くとミカサが少し身を乗り出して口を開いた

「他にも描いているの?」
「うん、このノートには絵しか描いてないから……」
「見せて欲しい」
「良いよ」

そう言うと彼女がノートを手に取り、一度閉じてから表紙側から捲る
始めの頁に描いたキース教官の姿に少し驚いたようだが、じっくりと見てからページを捲っていった
同期生の姿とか、訓練施設の光景とか
巨人模型の弱点部位とか、立体機動装置の内部構造とか
それらを順に見ていき、最後の方に近付いたところで朝に描いたエルヴィンの胸から上の姿の頁になる
そこでミカサの手が止まりじいと見つめていた
何を言われるか、ヒヤヒヤしながら横目でそれを見ていると彼女がこちらに顔を向ける

「エルヴィン団長」
「うん……二回も助けてもらっちゃった」
「エレンたちのせいで二回。……二人には反省が足りない」
「!……き、気にしないで。どっちも事故だったじゃない」
「明らかにエレンとジャンが悪い」
「あはは……まあ、周りを見ていないのは、困るけど……」

余計なことを言ってしまった
確かに、どちらも彼らの不注意なのだけれど
立体機動で移動中によそ見は駄目だろう
木にぶつかることもあるだろうし
それで怪我をするのは自分たちなのだから
いや、今回怪我をしたのは私だけど
はそう思いながらそろりと痛む足を動かした
早く痛みが引いてくれれば良いのだけど
でも訓練兵になってから殆ど休まずに自主訓練を続けていた自分には良い休憩になるだろうか

、ノートをありがとう。とても上手だ、羨ましいくらい」
「えへへ、そうかな。……早く壁の外の景色も描きたいなぁ」
「っ……あなたは、調査兵団に?」
「うん」
「十位内に入っているから憲兵団に行けるのに」
「んー、希望兵科は元から調査兵団だったから。あなたと同じ、シガンシナ区出身だし……あの時に、両親も……だからね、巨人の討伐をしたいの」

目の前に現れる巨人をいくら倒したところで、領地を取り戻すことは叶わない
でもいつか故郷を取り戻すことが出来たらという夢を抱いていた
だからその為に壁外へと出られる調査兵になろうと訓練兵団に入る前から決めている
そんな自分の言葉にミカサが少し視線を落とした

「……そう。私は調査兵団でエレンを守る。あなたのことも守りたい」
「ミカサ、自分の身も守らないと……私も手伝うよ。エレンとアルミンを一緒に守ろうね」
「ありがとう、あなたは立体機動が上手だ。とても頼りになる」
「足が治ったらリハビリに付き合ってね」
「任せてほしい」

そんな言葉を交わし、夕食を食べ終えてから部屋へと戻る
片足を庇いながら歩くことは出来るのだが、走るのは無理だった
でも痛みはだいぶ引いてきているから二日後からは訓練に戻れるだろう
は送ってくれたミカサに礼を言って部屋に入り、同室のサシャが居ないのを見て首を傾げた

「……まだ食べてるのかな?」

食に関しては貪欲な彼女
自分よりも早くから食べ始めていた筈だが、まだ居座ってお芋を食べているのだろうか
その食欲が羨ましいと思いながら机に近付いてノートを置いた
お風呂に入ろうかなと着替えの準備をしようとしたところで扉をノックする音に動きを止める

(?……ミカサかな)

先ほど別れたばかりだが何か用事があっただろうか
それともクリスタが心配をして様子を見に来たのか
そう思いながら扉へと近付いてドアノブに触れる
そっと、それを押し開けて目に入った人物にはギシ、と体中の骨が軋む音を聞いたような気がした
高い位置からこちらを見下ろす薄い青い瞳
金色の髪が蝋燭の灯りに照らされて色濃く染まり、キラキラと輝いていた

「だ、団長……?」
「君に話がある」
「!……はいっ」

何だろうと緊張しながらも、団長を廊下に立たせたままではと思い室内へと促す
訓練兵の兵舎に紅茶なんて高級品はなくて、なにもおもてなしは出来ないが――
そう思っているとエルヴィンが部屋へと入り扉を閉めた
相手が彼だから大丈夫だろうが、異性と二人きりの空間
余計に緊張してしまうと思っていると、エルヴィンがこちらへと向き直った


「はい」
「私、エルヴィン・スミスは君に交際を申し込む」
「……は……?」
「返答は後日聞こう。今日はもう休むと良い」

そう言うと表情を全く変えず、なんの感情も感じさせないままに部屋を出て行ってしまう
残されたは扉が開閉する音を聞き、足音が遠ざかっても身動き出来なかった
ただ、その場で立ち尽くしているとガチャ、と扉が開き隙間から同室のサシャが顔を覗かせる

、何かありましたか?今、団長がこの部屋から出て行ったように見えましたが……」
「……あ、うん……」
「何か任務を受けたんですか?あ、でも訓練兵の私たちに任務は早いですね」
「その……サシャ、どうしよう……」
「!……どうしたんですか!私で力になれるのなら協力します、食べ物を寄越せというのは聞けませんが」

友人でありながらそのような話し方をするサシャ
は目を瞬くとゆっくりと彼女の方へ顔を向けた

「あのね……誰にも話さないって約束してくれたら、明日の朝のパンをあげる」
「乗りました!さあ、どうぞ。話してください!」

食べ物を引き換えにすると途端に目を輝かせるサシャ
そのキラキラとした目が曇るのを想像しながらはつい先ほどのことを彼女へ語り始めた