エルヴィン・スミス1 03
悩み事があり、眠れないというのに非情にも朝日は昇る
はのそのそと毛布から手を出すと重たい瞼を擦った
上段からギシッと音が聞こえ、ベッドの淵からサシャが顔を覗かせる

「おはようございます、……眠れましたか?」
「おはよう、サシャ……あまり眠れなかったよ」
「そうですよね。あんな告白を受けるなんて……それで、答えは出ましたか?」
「出ないよぉ……どうしよう」

そんな言葉を交わし、毛布を掴んで体を起こした
乱れた髪を手櫛で軽く整えて靴を履く
眠気を引きずりながらそれでも起きなければと窓へと近付いてカーテンに手を触れた
薄い布の向こうから燦々と朝日が照り付けているのが分かる

「サシャ、今日も良い天気だよ」
「良いですねー、こんな日はぱーっと遊びに行きたいです」
「訓練でしょう。私は明日からだけど」
「そうでした。足は大丈夫ですか?」
「うん。昨日よりも痛くないし……明日から訓練に出られるよ」
「良かったです」

そんな話をしながらカーテンを開け、続いて窓を開けて
想像よりも冷たい空気がゆるりと室内に流れ込んだところでふっと上から影が降ってきた
タン、と音を立てて窓の端に触れる靴底
その脚を伝い、腹部から胸、首から顔へと視線を巡らせては出そうになった悲鳴を両手で物理的に押さえ込んだ

「おはよう、。返事を聞きに来た」
「っ……おはようございます、団長。あ、あの……」

後日、とは言ったが翌日だとは誰も思わないのでは
まだ返事を考えているところだし、それにこんな早朝から――
訓練兵は朝早くから支度をし、朝食を取らなければならなかった
だから外にはまだ人の姿がなく兵舎の窓辺に外側から立つ団長の姿を見られることはないけれど
どうしようと固まる自分の背後で同じようにサシャが動きを止めているのが分かった
助けを求めたいが彼女にもどうしようもないだろう
いっそのこと逃げてしまいたい――と思ったところで向かいの兵舎の影から人が飛んできた

(うわっ、リヴァイ兵長……!)

助かった、と思っても良いのだろうか
彼は何故か寝衣姿のまま立体機動装置を身に着けているのだが
しかも、普段は刃の替えが収まる場所にヒラヒラといくつもの布が揺れている
なんだと目を瞬いて、エルヴィンの隣に少し距離を取って立ったリヴァイを少し身を乗り出して見た

(ハタキ……?)

何でハタキを何本も差して来ているのか
おかしな格好の兵長に噂通り変わった人だと思っているとリヴァイがそのハタキを、刃のようにして両手に持った

「エルヴィン。朝っぱらから何をしてやがる」
に会いに来ただけだが」
「一昨日から様子がおかしいとは思っていたが……おいガキ、何を言われた」
「はい、兵長。昨日、お付き合いをして欲しい、と……返事は後日と言われたのですが……」
「……エルヴィン。突っ走り過ぎだ」
「?……」
「このガキは訓練兵だ。いくつ年が離れてると思ってやがる」
「二十は離れているか」
「少しは相手のことを考えてやれ。……ガキ、今は逃げろ」

え、と思った次の瞬間には夜間は鍵を掛けている扉を破る音が聞こえた
バタバタと複数の足音が聞こえ、腹部を圧迫するようにして体を持ち上げられる
サシャの驚く顔を視界の端に見ながらは己の身に起こったことを理解しようとした
自分を抱えるのは男性で、年上のようだが誰だろうか
目を動かすと他にも二人の男性と一人の女性の姿が見えた

「おい、エルド。どこへ行けば良い」
「良い場所がある。とにかく、団長からこの子を離さないと」
「なにしてんだかあの人は……訓練兵にいきなり告白なんて」
「だから変人なんて言われてるのよ」

そんな言葉を交わしながら走る人たちは、もしかしたら特別作戦班の方だろうか
見れば皆、何故か寝衣姿で立体機動装置を身に着けているけれど
こちらは兵長とは違ってきちんと刃を持ってきているようだが――
なんてことを考えている間にも外へと運び出され、建物の影に見え隠れする自室の窓へと目を向ける
見えたのは壁を足場にして手にしたハタキで団長と戦う兵長の姿だった
それに応戦するエルヴィンは無情にも刃を手にしている
なんて不利な戦いをしているのか
そう思っていると再びどこかの建物へと連れ込まれ、一つの扉の前で彼らが足を止めた
自分を片腕に抱えたままのエルドと呼ばれていた男性がノックをすると、少し間をおいて扉が開けられる

「早朝からすみません、キース教官。この子を匿ってください」
「匿う?が何かをしたのか」
「完全な被害者です。団長の目から隠したい」
「……分かった」

なんでよりによってキース教官の部屋なのか
散々怒鳴られてきた相手を前にして委縮してしまい、は抱える腕から解放されても身動きが出来なかった
しかも寝衣のままの教官が、その上からコートを着るという妙な格好をするものだから直視できない
どうしたら良いのかと考え込んでいると女性が側に来て肩を抱いてくれた

「大丈夫?」
「あ……はい」
「驚いたわよね。私たちも急いでたからこんな格好で……」
「……あの、皆さんは……リヴァイ班の……?」
「ええ、ペトラよ」
「オルオだ」
「俺がエルドで」
「グンタだ」

やはり彼らがリヴァイ兵長に選出された精鋭の人たちか
素晴らしい討伐技術を持っているという噂だが――寝衣姿ではいまいち格好がつかない
まあ、自分も起き抜けの格好で来てしまっているのだけど
サシャは無事だろうかと友人のことを考え、促されて椅子へと腰を下ろす
両手を膝の上に置いて指先をもじもじと動かしているとオルオが側に近付いてきた

「ガキんちょ、怪我してるんだよな。大丈夫か」
「はい。足首を捻挫して……明日からは訓練に出られます」
「そうか」

見た目は少し怖い感じだが、優しい人なのかもしれない
そう思い、少しこの空間に居ることにも慣れたところでキースが口を開いた

。なぜ団長から身を隠すのだ」
「そ、それが、ですね……」
「団長がこの子に告白して、返事を急かそうとしているんです。兵長が一昨日から団長の様子がおかしいと気付いて……早朝からこんな騒ぎになっています」
「……は……そう、か」

グンタの言葉にキース教官の様子もおかしくなったが、そうなっても仕方がないだろう
自分だっていまだに現実だと受け入れられないのだから
夢であってほしいと思っていると壁に寄り掛かっていたオルオがふと窓の方へ顔を向けた
細く開いているカーテンの隙間を凝視すると素早く側にある本棚から分厚い本を両手に1冊づつ抜きとってこちらを見る

「兵長が負けた!ペトラ、その子を連れて逃げろ!」
「っ、分かった!、来なさい!」
「嘘だろ、兵長が……あんなに沢山ハタキを持って行ったのに!」
「やはりハタキでは分が悪すぎたんだ!」

そんな話を聞きながらペトラに手を引かれて部屋を出る
背後ではなにやら凄い音が聞こえて――肩越しに振り返ると窓を破って団長が入ってくるのが見えた
背筋がぞっとして前に向き直り、足首の痛みを忘れて走り出す
玄関から出ると先ほど来た道を引き返して兵舎へと戻って――
ふと視界の端に兵長が仰向けで地面に倒れているのが見えた

「えっ、ペトラさん兵長が……!」
「大丈夫、人類最強だから生きてるわ!疲れてるだけよ!」

それは巨人相手のときで、人間相手だと団長に勝てないのか
使った武器の差もあるのだろうが――と思いながら手を引かれるままに辿り着いたのはお手洗いだった
清掃強化週間の途中でもあり中は綺麗なもので長時間その場にいても苦ではない
さすがにここまでは団長も入ってこないだろう
そう思い、ほっと息をはくとペトラが気遣うようにこちらの顔を見た

「ごめんなさいね、走らせてしまって。足、痛くない?」
「大丈夫です。あの……残った方たちは大丈夫でしょうか……」
「刃は持っているけどさすがに団長相手には抜けないわね……オルオが本を持ってたでしょ。なにか投げつけて戦ってるわ」
「……団長ってあのような人、なんですか?」
「ううん。変わり者だけど、あそこまでは……一昨日から異常なのよ」

一昨日、ということは自分が二階から落ちて抱き止められた日か
その後にも怪我をしておんぶで運んでもらったけれど
自分が団長をおかしくしてしまったのだろうか
このままでは調査兵団の未来が――と考え込んでいるとペトラが腕を組んでこちらを見た

「あのね、。聞きたいことがあるんだけど」
「はい……?」
「団長のこと、好き?」
「……尊敬しています。力になりたいと思っています。……好きかと聞かれると、好きだと、思います」
「そう。……最悪な結果になっても大丈夫そうね……」
「最悪……」

なにをもって最悪なのか
想像するのが怖いと思っているとペトラが優しさを感じさせる目を見開いた
そのまま閉じた扉の向こう、恐らくは廊下の方へ意識を向けたのが分かる

「?……」

何だろうと思っていると自分の耳にもそれが聞こえて、思わずペトラに身を寄せた
彼女がこちらの体を抱きしめて、震える呼吸をはいて口を開く

「嘘でしょ……オルオたちも負けた……対人戦がこんなに強かったなんて……!」

コツコツと響く靴音が恐怖を同時に連れてくるようで手が震えた
もうこれ以上、逃げる場所なんてないのに
どうすれば良いと考えている間にもキイと軋んだ音を立てて外扉が開かれる
男性ならば躊躇する女性用のトイレだというのにその足音の持ち主は一切そんな素振りを見せずに中へと入って来た
一番奥の個室で息をひそめる自分たちに気付いているかのように足音が止まり、掛けていた鍵が僅かな隙間から差し込まれた刃で破壊されて
もうホラーでしかない――と思ったところでペトラが自分から離れ、両手で扉を思いきり外側へと向けて押した

「逃げなさい、!」
「はい!」

女性の力で鍛えられた体を持つ男性を抑えるのは容易ではない
だからこそは躊躇わずに個室から飛び出して廊下へと逃げた
自分はどこへ行けば良いのか――考えて、もうそれしか浮かばずに廊下を駆け抜ける
起きだしてきた同期たちが何事かと見ているが、構わずに扉を開けてその中へと飛び込んだ
この時間帯だから中に人はいない
朝から夜まで使える浴室だが、朝は皆顔を洗う程度で入浴することはなかった
トイレには入って来た団長だが、さすがにこちらへは来ないだろう、と思いたい
そんなことを考えながら脱衣所の壁に寄り掛かりふぅと息をはいた
どれくらい時間が過ぎたら部屋に戻ろうか
いや、その前にペトラの様子を見に行かなければ
怪我をしていなければ良いけれど――と思ったところで聞こえた音には血の気が引いた
コツコツと響く、この足音は紛れもなく団長のもの
その証拠に扉を隔てた廊下が訓練兵の挨拶の声で騒がしくなっていた

「ペトラさん……」

彼女も負けたのか
兵長を初め、キース教官を含む男性五人を相手にしながらなんという体力だろう
本当に三十路を超えているのかと思いながら戸口から距離を取るように身を引いた
ゆっくりと開いていく扉の向こうに、死神が立っているようで足が震える
薄暗い廊下に立つ団長の表情には一切の感情が見えなかった
もう、これ以上の犠牲を出さない為にも受け入れるしかないのかも知れない
これから先の人生が、どのような形になるとしても――
はそう思いながら高い位置から自分を見下ろす視線を感じて震える両手を握り合わせた