13

エルヴィンの腕に抱かれ、どうしたものかと考える
頬に触れる指先が新たな涙で濡れるのを感じてそっと手を離す
ポケットからハンカチを取り出して、もう一度エルヴィンの涙を拭って
一度広げて、濡れた面を先ほどと同じように中へと折り込んでポケットへと戻した
目元が赤くなってしまった団長をどうしたら良いのだろう
早く壁内に戻らなければならないのにこんな顔では――

「エルヴィン」
「……、……」

名を呼ぶと何か言おうとしたがぐす、と鼻を鳴らして黙り込んでしまった彼
大人の男性が泣く姿を見るのは初めての事で、どうしたら良いのか分からなかった
でもなにもしない訳には行かないと思い、腰を下ろしている木箱に手を触れて身動ぎをする
エルヴィンの腕の力が少しだけ緩むのを感じて左腕を上げた
彼の頭を抱くようにして回すとぐっと力を込めて引き寄せる
両腕で抱きしめられたら良かったのだが、右腕が痛くて出来なかった
手の先でそっとエルヴィンの頭に触れると綺麗な金の髪が指の間をすり抜ける

「大丈夫です。すぐに治りますよ」

こちらの言葉に彼は無言のまま
だが抱き返すようにして腕に力が込められた
あまり髪型を乱さないように、そっと撫でているとエルヴィンがふうと息をはく

「……すまない。落ち着いた」

耳元に聞こえた声は、普段通りの彼の声
腕の力を緩めると少し体を離してエルヴィンを見る
少し目元が赤いけれど、それ以外はいつもの団長だった
良かったと内心安堵して、それから何か期待しているような彼の表情に気付く
恋人同士が、身を寄せてひしと抱き合ってする事と言えば――
そう考えてはちらりと出入り口の方を見た
エルドは最初と変わらずこちらに背を向けて立っている
幕の中には自分と団長以外には誰も居ないと分かっているのだが、今一度確認するとエルヴィンの頭から手を離した
手を少し下ろし、今度は頬に触れると背筋を伸ばして顔を寄せる
自分からするのは初めてなのだが思った以上に恥ずかしく感じた
でも、エルヴィンが望むのだからと寸前で目を閉じるとそっと唇を重ねる
数秒待ってから顔を離して目を開けると、ゆっくりと瞼を開けたエルヴィンが頬を赤らめ、視線を別の方向へと向けるのが見えた
もしかしたら照れているのだろうか
貴重な表情だと思いながら、やはり気になるのはその目元の赤みで――
冷やせば良いだろうかと周囲を見回して桶に入った水を見つける
側にはタオルもあって、これを使おう――としたところで肩を掴まれた

「え、あっ――」

そのまま体重を掛けるようにして後ろへと倒されてしまう
肩から腕にかけて腕に走る痛みに顔を歪め、片目だけを開けて団長を見て――
こちらの体を跨ぐ体勢を見てさすがにヤバいと口を開いた

「エ、エルドさん!ちょっと、助けて――」
「ん?ちょっ……へ、兵長!リヴァイ兵長、団長を止めてください!」

振り返った彼が慌てた様子でリヴァイを呼ぶ
果たして、エルヴィンを止める事が出来るだろうか
そう思いながら左腕を突っ張るように必死に団長の体を押し返した
右手が使えないという圧倒的に不利な状況
それでもこんな場所であんな行為が出来るかと渾身の力を押し込めた
そんな自分を見下ろすエルヴィンは余裕がある笑みを浮かべている
こちらの左手を掴み、易々と体から離すとその上体を倒した
スカーフがずらされて首筋に唇が触れ、肌を吸われて
やはり女の力では――と思ったところで自分と団長の微かな隙間に刃の切っ先が差し入れられた

「っ……!」
「ガキ、行け」
「すみませんっ」

リヴァイが来てくれてほっとしながらエルヴィンの下から身を捩って抜け出す
オルオに手を引かれ、ジャケットと外套を抱えるペトラと共に幕の中から連れ出された
二十メートルほど離れた場所に同期であり、友人でもある訓練兵が集まっていて、そこへと連れて行かれる
皆が驚いた様子でこちらを見ている――と思ったところでオルオが歩調を緩めてこちらへと顔を向けた

「大丈夫か?」
「はい、ありがとうございました」

そう言葉を返すと手が離されてペトラがジャケットを肩に掛けてくれる
右腕は動かすと痛みがあり、左腕だけを袖に通すとその上から外套を着せてくれた

「肩は痛くない?」
「動かさなければ平気です。……あの、リヴァイ兵長は……」
「っ……そうだよな。ペトラ、戻るぞ」
「えぇっ」
「削ぎ合ってたらヤバいだろ」
「行きたくないけど……!」

そんな言葉を交わしながら幕の方へと走って戻る二人
その先へ目を向けるとハンジが恐々と入り口から中を覗いているのが見えた
ミケはと周囲を見回すと、二階建ての家屋の屋根にその姿がある
巨人の匂いが分かるという彼は警戒中のようだ
自分はどうすれば良いのかと思ったところで周囲に同期が集まってくる


「大丈夫か?結構出血したみたいだな」
「巨人に噛まれたって聞いたよ」
「一人で討伐したんだってな」

一気にそう声を掛けられて、は曖昧に頷いた

「あ、うん。皆、無事だったんだね。良かった」

そう言うとミカサが吊っている右腕へと視線を向ける
気遣うようにそっと左腕に触れられ、顔を見るように視線が動いた

「痛みは酷いの?」
「ううん。大袈裟に見えるけど、肩を脱臼して吊ってるだけだから」
「大怪我だ。痛くない訳がない」
「大丈夫だよ」

そう言うと彼女が一度視線を落とし、それから再び自分を見る

「……団長が、ずっとあなたを抱き抱えていた」
「え……」
「無表情なのは、いつもの事だけど。何も見ていないような目をしていた」
「……」
が心配で、あなたのことだけを考えていたみたい」
「こ、困ったねぇ、壁外にいるのに。色々、指示を出さなきゃいけないのにね」
「それだけあなたは大切にされている」
「……私、調査兵団に入るの辞めたほうが良いかな」

自分が怪我をして、その度に団長が仕事を放棄して周囲に迷惑が掛かる、なんて事になったら大変だ
そうならない為には比較的安全でいられる駐屯兵になった方が良いのでは
憲兵団にも入団出来る成績だが、そこを選ぶと配属先は内地になりエルヴィンの側を離れる事になってしまうし――
そう考えたところで腕に触れるミカサの手にぐっと力が込められた

「それは違う。は調査兵団に必要だ」
「そうだぞ。一人で奇行種を討伐出来るお前は優秀な兵士だ」
「君がいないと寂しいよ」
「ふん、怪我をしないように討伐すれば良いだけじゃねぇか。好きな兵科に入れば良いんだよ」

友人たちにそう言われ、視線を落とす
元から調査兵団になりたくて、自分でも驚くくらい成績が良く、上位十名に入っていた
三つの兵団のどれにでも入れるが、やはり希望するのは――

「私は調査兵団に入りたい……でも、今も……」

ちらりと幕の方を気にすると、皆もそちらへ顔を向けた
刃で内側から切り裂かれていく幕を見ると驚いたように目を瞬く

「あれは……何が起きているの?」
「……団長と兵長が、戦ってるのかも、知れない……」
「えっ」
「止めてくるね」
「待てよ、危ないだろあれ」
「私がこっちに来たから、ああなってるんだと思うから……兵長が怪我したら大変だもの」

恐らく兵長は手加減をするだろうが団長は本気だろう
班員が加勢してもきっと彼らだって本気は出せないはず
こんな事で人類最強の男性に怪我をさせる訳にはいかないだろう
そう思ったところでハンジがこちらに向かって声を上げた

、来てくれ!」
「はい!」

どうやらリヴァイ班が劣勢らしい
せっかく逃がしてくれたのに、戻るのは嫌だけど
はそう思いながらミカサの肩をぽん、と軽く叩いた

「皆に怪我がなくて良かった。帰りも頑張ろうね」

そう言うと彼女が目を瞬き、微笑んで頷く
ミカサの貴重な笑顔につられて笑みを浮かべると、皆の顔を見回してから走ってハンジの元へ向かった
近付くにつれて金属同士がぶつかり合う音が聞こえ、パキンと刃が折れる音まで耳に届く
どうやら大変な事になっているようだと思いながらハンジの側で足を止めた

「ハンジ分隊長」
「ごめんね、逃がしてもらったばかりなのに」
「すまないがどうにかして欲しい。このままではリヴァイ班が……」

ハンジの側に居るこの男性は――確か、モブリットという名の人だっただろうか
上官に振り回されているのか疲れ切ってへろへろになっている姿を見掛ける事がある
今日もなんだか疲れた顔をしているのを見ながらは頷いた
二人が覗く幕の隙間からそろりと中へ入り、その悲惨な光景に肩を落とす
先ほどまで自分が横になっていた簡易なベッドは切り刻まれ、天井の庇もボロボロ
幕は切り裂かれた跡が無数にあり、机代わりの箱の残骸や折れた刃が地面に散乱していた
そんな中で対峙する団長と兵長を初めとした特別作戦班
どちらも大きな怪我はしていないようだが、刃を手に本気でやりあっていたのが分かった
チラチラと視線を彷徨わせて、班員の刃が残数ゼロなのだと分かる
確かにこれ以上は戦えないと思い、は真ん中に走り込むとエルヴィンの方へと体を向けた
左手を水平に近い角度に上げ、背に五人を庇うようにして立つと団長を見上げる

「団長」

声を掛けても彼の目は兵長に向けられたままだった
聞こえていないのかと思い、もう一度声を掛ける

「エルヴィン」
「っ……
「刃を収めてください」
「……ああ、すまない」

彼が自分の手へと視線を落とし、言葉を返しながら刃を立体機動装置に納め、グリップをホルダーへ戻した
それを見て背後で誰かがほっと息をはくのが気配で分かる
とにかく、エルヴィンには仕事をしてもらわなければ
壁外に出て仕事をしない団長なんて許されるはずがない
彼が仕事をしなければ兵長と分隊長に負担が掛かるのだから
はそう思い、腕を下ろすとちらりとリヴァイたちの方を見てからエルヴィンへと向き直った

「団長。ここは壁外です。兵站拠点の設置任務に来た筈です。お仕事をしてください」
「……」
「心配してくださるのは嬉しいです。ですが……仕事が、手に付かないというのなら――」

そこまで口にして、言葉が途切れる
自分としては言いたくない言葉
でも、エルヴィンが団長らしくしてくれないと皆が困るだろう
彼の為に、調査兵団の為にも言わなければ
はそう思い、ぐっと両手に力を込めた
自然と落していた視線を上げ、エルヴィンを見上げると言いたくない一言を発する

「お別れしましょう」

自分の言葉に、エルヴィンの目が見開かれた
それと同時にピシリと空気が凍ったような音が、聞こえたような気がする
何事かと団長から視線を逸らして背後を見ると固まっている特別作戦班の面々がいた
皆がエルヴィンの方を見ている中、リヴァイだけがこちらに目だけを向ける

――てめぇ、なんの冗談だ――

険のある目が、そう言っているような気がしてほんの少しだけ口元を引きつらせた
元から目つきが鋭い兵長だから、睨まれると迫力が五割増しになる
怖いと思いながらさっと前に向き直ると、そこには歯を食いしばる団長の姿があった

(うっ……)

これは、兵長の睨み顔を見ている方がマシというような迫力がある
すぐさま撤回した方が良いか――と思ったところでエルヴィンがゆっくりと目を瞬いた
それから細く息をはきだして口を開く

「嫌だ」

短く発せられたその言葉は誰もが動きを止めた幕の中にやけに響いて聞こえた

2022.08.28 up