エルヴィン・スミス1 12
遠方で上がる信煙弾を見ながら馬を走らせる
ここまで来ると少しだが気持ちに余裕も出来てきた
気が付けば周囲には木々が多くなっていてこの辺りならば訓練兵であっても討伐が出来るだろうと思える
アンカーの支点になる場所があるから――と、そんな事を考える自分の周囲を先輩たちが飛び回ってその度に自分と距離が開いてしまうが馬の脚を止める事は出来なかった
とにかく団長について行けと言われていて気付けば彼の姿がかなり左の方にだが目に入る距離にある
まあ、この程度は陣形が乱れるとよくある事なのだろうけど
そう考えていると右側後方から巨人が迫ってくるのが見えた

「!……奇行種」

視界に入っているであろう自分には興味がないようで、四肢を使い驚くほどの速さで移動している
方角的にその先にはエルヴィンがいて――どうやら彼に狙いを定めたようだ
先ほど後方を見た時に上がった黒い信煙弾はあれの接近を知らせるものだったのだろう
生憎、リヴァイ班の人たちは他の巨人の討伐の為に離れた場所にいた
一人で討伐するなと言われているが、このまま行かせては指揮を執るエルヴィンの邪魔になるだろう
はそう思い、手を背中側に回してホルダーの銃を掴んだ
撃鉄を起こしながら銃口を前へ向け、左手を添えて構える
自分と奇行種との距離は結構あるが、これくらいならば信煙弾も届くだろう

「こっちに来なさい!」

言いながら引き金を引くと強い衝撃と共に赤い信煙弾が打ち出された
目の前を通過したそれに巨人が手足の動きを止めてこちらへと顔を向ける
奇行種の割には扱いやすい性質のようだ
こちらへと狙いを変更した巨人が動き出し、そしてそちらへ向かう馬の脚の速度のせいで、瞬く間にその距離が近くなる

「ひぃっ……怖い、けど!」

恐怖と緊張に震える手で刃を引き抜き、グリップに指を掛けた
怖いけど、逃げたいけれど討伐しなければ
周囲に視線を走らせて、支点となる木にアンカーを撃って――
目標をこちらへと変更して向かってくる奇行種の掴もうとする手を躱し、ガスを使って背後へと回り込んだ
勢いを付けて降下するのと同時に項を削ぐ
力が抜けたように突っ伏した巨人の上に着地すると熱い蒸気が立ち上って思わず口元を覆った

「熱っ……」

蒸気と共に消滅するとは聞いていたが、こんなに熱いとは
いや、のんびりと見ていないで早く馬に戻って団長を追わないと――と思ったところで後方から鋭く声を掛けられる

「ガキ、後ろだ!」
「っ――!」

リヴァイの声に背後を振り返ろうとして右の前腕に痛みを感じた
消滅していく巨人から足が離れ、振り回されるようにして体が浮き上がる
顔を上げて見えたのは当然ながら巨人の顔でそのずらりと並ぶ歯の間に自分の腕が挟まれていた
大きさは十メートル程度の、大きな――と思っていると肩に激痛が走る
離れなければ――と思っているとこちらを掴もうとしていた大きな手が動きを止めた
腕を噛む顎から力が抜け、巨人の影から兵長が姿を現す
落下するこちらの体を片腕に抱えるとくるりと回りながら前へ向って口を開いた

「オルオ!」

部下の名を呼びながらぶんと勢いを付けて投げるように腕を離される
何が起きているのか――と思った次の瞬間にはオルオの腕に抱き止められていた

「……?」
「一人でなにやってんだ!連携しろって言われてるだろ!」
「あ……はい。すみませんでした」

馬を走らせながら人を抱き止める事が出来るなんて
精鋭の先輩はやはり凄いなと怒られながらもそう思い、手に持ったままの刃を立体機動装置に納めた
右腕の動きが鈍いのを感じているとオルオが馬の進行方向を変えて信煙弾を撃つ銃を取り出す
それを先ほどの自分と同じように前方に向けて構えた
赤い煙が打ち出されると団長が何事かとこちらを振り返る
自分がオルオの腕に抱えられている事に気付いたのか、馬の脚が少し緩められた
そんな彼にオルオが馬を近付けるとこちらの体を抱え直す

「団長、止血をお願いします」
……!」
「右腕です。大丈夫ですから……俺は討伐に戻りま――っ!」

目の前で血が散るのを見てびくりと肩を揺らした
またしても舌を噛んだのだと分かり、やはり騎乗中は喋らない方が良いのではとその身を案じる
口の端から一筋の血を流しながらオルオがこちらの体を団長の方へと押し出した
エルヴィンがこちらの体を抱えて自分の馬へと乗せてくれる
指揮を執らなければならないのに、邪魔になってしまうのでは
そう思っている間にもオルオが馬首を返してリヴァイの方へと戻って行った
視界の端でそれを見送り、エルヴィンへと顔を向ける
彼がジャケットのポケットからハンカチを取り出すとそれを開いて対角を掴み何度か捩じった
腕を伝った血が手の甲から指先まで流れ、触れていたスラックスの太腿部分が赤く染まっている
染み抜きが大変だ――と思っていると傷の場所を確認して、肘の上で固くハンカチを縛られた
噛まれた場所だけではなく右腕全体が痛む
酷い痛みがあるのに、それを他人事のように感じているとと体に回された団長の腕に力が込められた
手を見つめていた目を彼の方に向けると、辛そうな表情を浮かべているのが見える

「?……」
「すまない、
「え?」
「今は馬を止められない。手当てをしてやれない」
「大丈夫です。そんなに痛くないですから」
「……君は嘘が下手だな」

ささやかな嘘は何故かすぐにバレてしまった
痛いのが顔に出ていただろうか
そう思いながら左手で右腕を抱えるように押さえた
腕は動かさなくても痛みが酷くて、そのせいか視界がチカチカしてくる
明滅して、その度にゆっくりと色を失っていくような不思議な感覚だった
数日前からずっと抱えていた緊張の糸が途切れてしまったのだろうか
団長の腕が、あまりにも優しく、力強く体を抱いてくれているから――
壁外だというのにとても安心できて、同時にすごく眠くなってきてしまって
次第に地を削る馬の蹄の音が遠ざかり無音になる
頬に触れる風は感じるのに腕の痛みもなくなって
はエルヴィンが何か言っている口元を見ながらゆっくりと目を閉じた


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


左手が温かいものに包まれていて、髪を撫でるように頭に何かが触れる
何だろうと考えてどちらも人の手であると分かった
徐々に意識が覚醒していくのと同時に右肩から前腕にかけて痛みを感じてくる
思わず眉を寄せ、目を開けようとしたところでぽつ、と頬に何かが落ちてきた
冷たいそれは雨だろうか
朝から晴れていて風も弱く、壁外に出るには良い天気だと思っていたのに
ぽた、ともう一滴落ちたのを感じながらゆっくりと瞼を開けて
ぼやける視界を瞬くとこちらを見下ろすエルヴィンの顔が見えた

「……エルヴィン……?」

名を呟いてから、任務中だった事を思い出す
団長と呼ばなければならなかったのに
やってしまったと思いながらも、は彼の頬を濡らす涙に驚いていた
目が合うとエルヴィンが微笑んで目を瞬き、零れ落ちた涙が再びこちらの肌を濡らす
右手でそれを拭おうとして――痛くて動かせずに左手をそっと上げた
握られていた指が離されて、自分よりも彼の方が気になり、その頬を拭うように指の背で触れる
夢でも見ているのだろうかと思ったのに指には確かに濡れた感覚があった
あまり力が入らないが、今度は手のひら側でゆっくりと撫でると僅かに首を傾ける

「どうして、泣いているんですか……?」
「君が、怪我を……したからだ」

言い終えて彼の手が背を抱くように差し入れられて体を起こされる
上を向いていた視界が動き、エルヴィンから見て正面――自分からは右手側に兵長や分隊長の姿があった
それに、エルドとかグンタとか
オルオにペトラも揃っていて、そんな中で眠っていたのを恥ずかしく感じる
自分は寝相は良い方だが、寝言とか言っていなかっただろうか――と思ったところでエルヴィンにぎゅうっと抱きしめられてしまった
肺から空気が強制的に排出されて息苦しさに身動ぎをする
怪我をした右腕を圧迫しないように避けてくれているが、窒息しそうだった
それでもなんとか呼吸をして、彼が落ち着くのを待つ
気を失ってしまったから余計に心配を掛けてしまっただろうし――
周囲の人たちはエルヴィンが泣いたことに驚いているようで信じられない物を見たような顔でこちらを見ている
リヴァイ兵長もあんな顔をするのかと思っていると、ゆっくりと体を抱く腕から力が抜かれた

「痛みは?」
「ありますが、我慢できないほどでは……」

そう返しながら左手でポケットを探り、ハンカチを取り出す
それで彼の顔をきちんと拭った
こんな泣き顔の団長なんて多くの人の目には晒せないだろう
自分が泣かせてしまったと思うと心苦しく、同時に嬉しくもあるけれど
そんな事を考えながらハンカチの濡れた面を内側へと畳み直してポケットに戻した
落ち着いて来ると今度は右腕の痛みが気になって来る
ジャケットは脱がされていて、シャツの袖が肘上まで捲り上げられていた
噛まれた部分には包帯が巻かれていて三角巾で首から下げた状態になっている
恐らく巨人に持ち上げられた時に無理な体勢と負荷で肩が脱臼したのだろう
考えると痛みが増しそうだからそちらに意識を向けないようにして周囲を見回す
自分が寝かされているのは年季の入った家屋の外にある広い庇の下だろうか
周囲は幕で覆われていて、外の様子は良く分からなかった
でも兵站拠点になる廃村にいるのだという事は分かる
箱を並べて、布を敷かれただけの簡易なベッドに寝かされていたようだが、どれだけの時間が過ぎたのだろうか
リヴァイとハンジの間に見える出入り口の隙間から見える外は明るくて、お昼頃かなと思っていると口元にエルヴィンの手が近付けられた

「?」
「鎮痛剤だ。飲みなさい」
「はい」

これは有難いと思い、素直に口を開ける
ころりと二つの錠剤が舌の上に転がり、その粉っぽさと苦味に眉を寄せた
すぐに水筒から水を貰えて二、三口飲ませてもらう
けほっ、と小さく咳き込んでからさすがに居た堪れなくなってきて兵長と分隊長の方へ顔を向けた

「すみませんでした、勝手な行動を……」
「ガキ、一人で動くなと言われなかったか」
「はい……グンタさんに。ですが、あの時は誰も居なくて……」
「誰もいなかったのなら手を出すな。てめぇ、奇行種を引き付けただろう」
「エ……団長に、向かっていくのが分かったので、つい」
「ついじゃねぇ、二度とやるな。エルヴィンのことは放っておけ。奇行種くらい自分で討伐する」
「は、はい。了解しました」

怒られてしまった
でも確かにその通りだなと思う
エルヴィンだって訓練兵から兵士になって、副隊長とか分隊長になって、団長になって――
その間に何度も巨人を討伐しているのだから奇行種が一体来ても大丈夫だったか
そう思い、左手で体を支えて足を地面へと下ろした
いつまでも休んでいられないから外へ出よう
こんな上官と先輩しかいない場所にいては全く寛げないし――友達の無事な姿を見たいし
と思ったところで背後から腕を回されて動けなくなる

「っ……団長?」

「はい……?」
「君は俺の為に……」
「あ……あの……泣かないで、ください……」

せっかく泣き止んだと思ったのに
そう思っているとリヴァイが無言で幕を出て行ってしまった
それに班員が続き、ミケも出て行って
最後に残ったハンジがこちらを見て困ったように笑う

「エルヴィンは君に任せたよ。……出来るだけ早く、元に戻してね」
「……はい……」

返事をするとその人も出て行き、二人きりになってしまった
人が集まれば巨人も集まるから早く撤退しなければならない
自分の手当てのせいで余計に時間が掛かっているのでは
でも皆で見捨てなくても良いじゃないか――と思ったが止められないのか
無理に引き離したら彼が何をするか分からないから
でもこの状態で同期が入ってきたら困るなと思ったが、幕の入り口を塞ぐようにエルドが立ってくれた
彼の体に邪魔されてこのエルヴィンの姿を見られることはないか
とにかく今は団長の涙を止めなくては
はそう思いながら彼の方に顔を向けると困ったように笑ってその頬に手を触れた