ハンジ・ゾエ 01
誰かの心を欲しいと思ったことはない
異性との関係に興味はなく、性的なことも絶えて久しかった
巨人の討伐を繰り返す日々を繰り返してどれだけの年月が過ぎたのか
部下となる者には死ぬなと命じる
もう失いたくはないから
それでも、やはり壁外に出れば死ぬ者もいる
それでも自分は死ぬなと言い続けるだろう
命を懸けて戦わなければならない敵を相手にする部下たちに
戦死した者のジャケットから紋章を剥がす作業には慣れた
それを残された家族の元へ届けることも、胸糞悪いが慣れた
時には、届ける相手が居ない者もいるが――

遺品を届けに行った帰り、ふと立ち寄った訓練施設でその訓練兵の姿を見かけた
何故兵士を目指したのか分からない、まだ子どもらしさが残る柔軟な体つき
邪魔にならないように結ばれているが解けば長いであろうライムライトの髪
ゆるやかな美しい形のターコイズの瞳
木々の影から立体機動装置を使い姿を現した彼女は木陰にいたこちらに気付いたようで一瞬だけ目を向けた
だが動きを止めることなく先にある巨人模型の項を刃で削いでくるりと体を反転させて着地する
普段から訓練をしているのが分かる身のこなしだった
すぐにでも実践に出られそうな、そんな訓練兵で――
彼女が刃を立体機動装置に納めるとこちらへと体を向ける
明らかに訓練兵ではない年嵩の男の正体が分からずにいるのか
そう思い、その女へと自分も体を向けた

「リヴァイだ」
「っ……リヴァイ兵長。105期訓練兵、です」
「良い動きをする。だが、体が傾く癖がある。なんとかしろ」
「は、はい。ご指摘ありがとうございます」

綺麗な所作で敬礼をし、それからグリップを刃ごと引き抜いて飛びさる
その姿を見送り、リヴァイは細く息をはいた

人の心を、欲しいと思ったことはない
だがあの女の心だけは欲しいと思った


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


窓の外から覇気のある声が聞こえてくる
一つは男で、一つは女で
読んでいた本を机に置き、椅子から腰を上げて窓辺に立つ
見下ろす先に班員であるオルオとウィンクルムの姿があった
互いに腰を少し落とし、両手を握り対人戦の構え
日々訓練を怠ることのない真面目な二人の日課のようなものだった
ウィンクルムの拳を滑らせるようにして避けて、足を払って――
瞬時に足を踏みかえたウィンクルムがオルオの顎を下から狙い
その手首を掴んだ彼が体を反転させ、背負うようにして投げようとして、投げずに優しく地面へと下ろした

「ははっ。良い動きだったぞ、ウィル」
「また負けてしまいました……」

そんな会話が聞こえ、オルオの手がウィンクルムの頭を撫でる
互いに一目惚れしたという恋人同士
想いが通じ合った今、二人で過ごす時間は増えていた
それを他の班員は羨ましがったり、悔しがったり、応援していたり
自分は好きにすれば良いと思っていたが、気になる女が出来てからは様子が気になるようになった
あのようなことが出来るのか――この自分に
頭に優しく触れて、笑みを向けるなど
どちらともなく手を繋ぎ、木陰に入って小休止するのが分かりリヴァイは窓から離れた

「……

ぽつりと名前を呟くとざわりと胸の奥がざわめいた
同時に脳裏には鮮明に該当する訓練兵の姿が思い浮かぶ
女で兵士になる奴など大勢いる
何人も目にしてきたが、一瞬で興味を引かれたのはあの女が初めてだった
一体、自分はどうしたというのだろう
もしや、これが――

「……ふぅ」

まさかと思い首を振るとリヴァイは読みかけの本をそのままにして部屋を出た




日が落ち、仕事を終えた班員たちが自由に過ごす就寝時間前
リヴァイは燭台を片手に廊下を進み、一つの扉の前で足を止めた
室内に人がいる気配を感じるとノブを掴んで引き開ける
ノックをしない不躾な訪問者に中にいた人物が驚いたように振り返り、目を瞬いた

「兵長?どうしたんスか、こんな時間に……?」

言いながら手に持っていた書類を机に置くオルオ
すぐにでも寝るつもりだったのか彼は寝衣姿だった
まあそれは自分も同じなのだが――

「……オルオよ」
「はい?」
「てめぇ、ウィンクルムに一目惚れしたらしいな」
「っ……そう、ですが……」

返事をしながら、恥ずかしいのか僅かに視線を泳がせる
まだ濡れている癖のある髪がいつもよりも下がっているのを見ながらリヴァイは口を開いた

「……どんな気持ちだった」
「え、ええと……目が合ったのはほんの一瞬だったんスけど、心臓が痛くなるくらいドキッとして、胸の奥がざわつくような……」
「……」
「それからはウィル……ウィンクルムの姿が、頭から離れなくなって……それで、惚れたんだなって思いました、が」
「……そうか」
「はい。それが、なにか……?」
「いや……もう休め」

そう言い、首を傾げる彼の姿を視界の端に見ながら扉を閉める
自室へと向かって歩きながら窓の前で足を止めて夜空に浮かぶ細い三日月を見上げた

「……一目惚れ、か」

どのようなものかは知らなかった
今までに経験がないから
だが体験した者から聞けば、己のこの感情もそうなのだと理解できる
目が合った瞬間の跳ね上がった鼓動と、胸の奥のとても深い場所の落ち着くことのないざわめき
そして、今現在も脳裏から離れない少女の姿
随分と年下の相手に心を奪われたものだ
人に興味を抱くのは悪いことではないだろう
だが、近付く手段が自分にはなかった
相手は訓練兵で、対する自分は兵士長で
一般の兵士でさえ自分の前に立てば委縮する
己の目つきと口の悪さのせいで
自覚はしているがそうやって生きてきたのだからどうしようもない
まさか、こんなことで悩む日が来るとは――

「クソ……」

静かな廊下に響く己の声
リヴァイは前髪を乱暴にかき上げると自室へと向かって足を踏み出した


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


どうして、自分は今日こんな目に合っているのだろう
は混乱しながらも敬礼の姿勢を保っていた
目の前に立つのは人類最強と謳われるリヴァイ兵士長
兵士長、という立場だが兵長と呼ばれている人だった
そんな人がかれこれ五分ほどずっと目の前に立っている
通りすがりに足を止めた、という距離ではない
自分と彼との間には二歩分くらいの隙間しかないのだから
訓練兵団にいれば時々だけれどエルヴィン団長や彼――リヴァイ兵長の姿を見かけることはあった
でも言葉を交わすことはなく、ただ視界の端で見るだけ
男性にしては小柄な彼を誰だろうと思っていたのだが先輩の一人だと思って特に気にしたことはなかった
三日ほど前に初めて彼がリヴァイだと知り、ほんの少し話しただけ
そんな彼に今日は一言も声を掛けられず、ただただ見つめられている
その目つきの悪さと引き結ぶ口元に不機嫌さを感じたが、なにか自分に至らない部分があるのだろうか
敬礼の姿勢は間違ってはいない
制服も着崩してはいないし、訓練前だから汚れてもいなかった
髪だって邪魔にならないようにきちんと結んでいる
それなのに、どうしてそんなに睨むようにして自分を見ているのか
理解が出来ず、混乱して緊張のせいか呼吸が震え、視界が涙で滲む
上官に見られているだけで泣くなんて、そんなに心が弱い訳ではないのに
キース教官にどれだけ怒鳴られても、理不尽なことを言われても、一度も泣いたことはないのに
この程度で泣いていてはとても兵士になんてなれないだろう
分かっているのに――ふいにリヴァイの目が細められ、びくりと肩が震えた拍子にとうとう涙が零れ落ちてしまった
それを拭おうとして手が動きかけるがぐっと握って動きを封じる
自分を見た彼が何か言おうとして、薄く口を開くが結局言葉は掛けられず
再び閉じられたところで近付く足音が聞こえた
目を動かせず、誰だと思っていると声が耳に届く

「兵長、そろそろ時間です」
「行きましょう」

若い男性と、女性の声
臆することなく声を掛けるということは、リヴァイと親しい人なのだろうか
はそう思い、そろりと目を動かした
見えたのは声は若いのに老けて見える男性と、自分より少し上くらいの年頃の女性
男性が兵長の背に手を触れて自分の前から退かせるようにと押して行ってくれた
見つめる視線から解放されてほっとしていると女性がこちらに顔を向ける

「ごめんなさい、兵長は目つきが少し悪いだけで……」
「こ、怖かった、です」
「部下想いの優しい人ですよ」

微笑んでそう言った彼女はとても綺麗な人だった
こちらへとハンカチを差し出してくれて、それを両手で受け取る
会釈をして二人の男性を追うようにして足早に立ち去る姿を見送った
兵長の姿が、休憩所の向こうに消えたところでようやく肩の力を抜く事が出来る
頬を濡らす涙の跡を手渡されたハンカチで拭っていると近付くことが出来ずに見守っていた同期が側へと駆け寄ってきた

、大丈夫か」
「どうしたの?兵長、ずっとあなたを見つめていたけど……」
「話をしている様子は無かったが……」
「うん……見られてただけ」
「なんか変わった人、らしいからな」
「そうらしいわね。調査兵団って団長も変わり者みたいだし……やっぱり私は駐屯兵団にするわ」

そんな会話を聞きながらハンカチへと視線を落とす
真っ白で端をきちんと合わせて折り畳まれたそれ
洗濯をして返したいのだが、あの人にはいつ会えるだろうか
あんな美人ならば印象に残るだろうが、タイミングが悪いのか今まで見かけたことはなかった
リヴァイ兵長が率いる精鋭を集めた特別作戦班というのがあるらしいが、その班員の人なのだろうか
そうであれば彼らの兵舎は別の場所にあるから顔を合わせることは少ないだろう
いつか会えるまで毎日持ち歩いていようか
はそう思いながらハンカチをジャケットのポケットへとしまい込んだ