作品ID:1613
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人魚姫のお伽話
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
にんぎょひめ ――――番外「すれ違いに冬を終えたくて……」
前の話 | 目次 | 次の話 |
「ちょっと!! 小児科の仁科ってのは、一体どいつよっ!!? 誰か、今直ぐここへ連れてきなさいっ!!」
区立、反南総合病院。病院受付付近のロビー、突如として響いた大きな罵声に。ギョッとしたのは、正登だけではなかったはずだ……。
思わず視線をやって、正登は更に仰天した。受付に向かって小児科アイドルを名指しで呼び付けろと怒鳴った声の持ち主。
肩口で切り揃えられた髪、印象的な大きな瞳は釣り上げられて。明るい水色の薄手のニットに、ワッペンの付いた白のカーディガン。レースの縁取り可愛らしいクロップドパンツにスニーカー。
……背中に見えるは、赤い赤いランドセル。受付で小児科アイドルを呼び付けていたのは、どう見ても小学生の女の子だったのだ。
「え~っと、お嬢ちゃん、お名前はなんていうの? パパかママはいらっしゃる? 仁科先生にご用事なのかしら? お知り合い? あのね、先生はね、いま、お仕事ちゅ……」
「うるっさい!! いいから、ソイツを今直ぐここに連れて来いって言ってんのよ!!」
けんもほろろな女の子の言葉に、受付事務の女性は顔を引き攣らせている……。あの様子じゃ取りつくしまもなさそうだが、生憎、女の子の言う『仁科』は、診療業務中である。
と、いうか、あの年頃の子どもにあんな態度取らせるなんて珍しいな……。受付女性の引き攣り笑いも周囲の困惑にも臆することなく。女の子は目を吊り上げて叫んだ。
「きっちし話つけるまで帰らないからね!! とっととその馬鹿連れて来なさいよっ!! ウチの心の先生を、アタシ達のお姉ちゃんを泣かせておいて、しらばっくれてんじゃないわよっ!! 何が何でもその馬鹿一発殴らないと気が済まないわっ!!」
随分、物騒な台詞である。だが、台詞の中に聞き覚えのある単語を見つけて……。正登は彼女に声を掛けた。
「ごめんね、仁科センセは診察中だから。だけど、よかったらお話聞かせてもらえるかな? 『ウチの心の先生』って言ってたよね? ひょっとして、心君の先生って言うのは、ピアノ教室の長谷川さんっていう女の子かな?」
「……アンタ、誰よ?」
胡散臭いと不審げな目線が語っている。正登はにっこり微笑んだ。
「前に長谷川先生が入院してたのは知ってるかな? そのときに長谷川先生のお世話に着かせてもらった看護師で、武原正登といいます。小児科の仁科先生の友人でもあるかな?」
「……要は、その『仁科』って馬鹿の知り合いなのね? だったらいいわ。アタシが納得できるようにきっちり説明なさいっ!! その『馬鹿男』は、どういうつもりよっ!!?」
流石の正登も顔を引き攣らせそうになった。元々、女の子の言うところの『馬鹿男』と違って、特段子どもの扱いに秀でているわけでもないのだ……。
だが、何故か聞き逃してはいけないことの気がするという勘が、ぐっと正登を堪えさせる。
「……えぇと、仁科先生は君と心君に何をしちゃったのかな? で、君と心君の関係と君のお名前も聞かせてもらえると助かるんだけど……」
正登の言葉に、女の子は更にキツく眦を釣り上げた。
「るっさい!! 『何した?』ですって!? こっちが訊いてんのよっ!! こっちが!!」
……うわ、駄目だ。話にならない…………。と、現れたのは、小児科病棟看護師長。天の助けに正登は縋った。
「こんにちは、お嬢ちゃん。おばちゃん、この病院で看護婦さんやってる小牧伸子です。あのね、お嬢ちゃんが何を怒ってて、心君の先生がどうして泣いちゃったのかを知るために、おばちゃん達の質問にも答えてもらえないかな? 心君の先生にウチのドクターが何かやらかしちゃったなら教えて?」
流石、小児科病棟看護師長。女の子は小牧伸子氏の言葉に少し考えて……。一息入れて、応じる構えに入ってくれた。というか、何処から聞いてた!! 小牧師長!!?
「……じゃあ、よく聞きなさい! アタシは新居(あらい)愛(うい)。新居(あらい)心(こころ)はアタシの弟で、長谷川のお姉ちゃんはアタシと心の通うピアノ教室の先生よ!
で? その仁科って馬鹿は、以前の交流演奏会で、ウチの心に『自分は長谷川先生の王子さまだ』って名乗ったらしいじゃない!!
先生だってついこないだまで凄く嬉しそうに笑ってたのよ!! それが!! どこがどうなったら、お姉ちゃんが泣かなきゃいけないようなことになったのよっ!!?
様子がおかしかったから他の先生達が訊き出したの聞いてたのよ!! 『王子さまは優しかったから言い出せなかったみたいですけど、振られたんです』って!! どういうことよっ!!? その馬鹿連れて来なさいよ!! 絶対殴ってやるんだから!!!」
一気に紡がれた言葉の剣幕に押されながらも、聞き捨てならない台詞に正登は思わず訊き返していた。
「……え? 待った!! 今、長谷川さんが『仁科先生に振られた』って言った?」
正登の言葉に、愛と名乗った女の子はキッと目を釣り上げた。そのまま一息に凄い剣幕で喋り出す。
「だから、そう言ってるでしょ!! だけど、その馬鹿は、ついこないだまで長谷川のお姉ちゃんに付きまとってたらしいじゃない!! 他の先生達言ってたわ!! 『お似合いに見えてたのに』って!!
どういうことよっ!? 半端な気持ちで人の先生に近寄るんじゃないわよっ!! 長谷川のお姉ちゃんね、ああ見えてモテるんだからねっ!!?
なのに、その馬鹿のことを『私の王子さま予定なんです』って、お姉ちゃんがみぃーんなみんな断っちゃってたの知ってるんだからっ!!!」
ふざけんじゃないわよ!! 馬鹿にすんのも大概になさいよっ!! いいからその馬鹿連れて来なさいっ!!! 今直ぐここでぶっ飛ばしてやるわ!! お姉ちゃんの分も殴り倒してやらないと気が済まないんだからっ!!
続けられた言葉はあまりにも物騒なものだったが、それよりも先の台詞の方が重要だ。正登の想いは小牧も同じだったらしい。
正登の方を見ていた彼女は、しゃがみ込んで愛に向き直った。
「愛ちゃん、そのお話、誰から聞いたの?」
「長谷川のお姉ちゃんと他の先生達が話してるところを聞いたって言ったでしょ!!」
「愛ちゃん、多分、どっかで誤解が混ざってると思うよ。少なくともウチの仁科先生は愛ちゃんと心君の長谷川先生を振ったりしてないはずだよ。絶対だと思う」
正登の言葉に、愛は思い切り声を張り上げて噛みついた。
「じゃあ、どういうことよっ!? 説明なさいよっ!! 説明をっ!! アタシにもお姉ちゃんにも、きっちし納得できる説明してみなさいよっ!!? その馬鹿男が他の女の人と仲良さそうに店にいた理由をっ!!
馬鹿男がいない間に勇気出して話しかけたお姉ちゃんに、その女の人がなんて言ったか知ってるの!!? 知っててアンタは言ってるのっ!?
『知人の紹介からなんですけどこういう始まりもある意味運命だよねって言ってたんです。貴悠さんのお仕事の都合もありますけど、出来れば早めのお式の方がいいわねなんて。もう周りも気が早くって』!! この言葉のどこが誤解なのよっ!!? 馬鹿にすんじゃないわよっ!!」
愛の言葉には正登も流石に目を丸くした。愛が紡いだ台詞は、どう考えても結婚前提の交際をしている恋人の言葉だ。けれど、どういう経緯でそうなったのかが解らない……。
正登が知る限り、小児科の貴悠センセは、リボンを結んだピアノの先生を気に掛け続けているし、最近は何故か避けられていると落ち込んでさえいたはずだ。
……疑問を解消してくれたのは、小児科病棟看護師長だった。
「……うわ……。センセ、やっちゃったわねぇ……。愛ちゃん、その話、もしかしなくても先々週の土曜日の話よね?」
「それがどうしたのよっ!! やっぱりそうなんじゃない!! 馬鹿男を今直ぐ連れて来なさいっ!!! ぶっ飛ばしてやる!!」
愛は大きな瞳に涙を浮かばせて、こちらを睨みつけている。話の見えない正登に、小牧が大きく溜息を吐いた。
「……先々週の土曜にね、仁科センセ、親戚の騙し打ちで見合いの席に連れ出されたらしいのよ。急に電話がかかってきたとかで、気付いたら見合い相手と向こう方の紹介者に同席させられてたらしいわ。
それも、余計な真似した親戚本人は、急遽事情で同席できなくなったとか連絡してきたらしくて……。仁科センセ本人は混乱したままの状態で、『お見合い』になっちゃったようよ」
小牧の言葉に、正登は頭を抱えた。……何やってんだ!! あの小児科アイドル!!! と、いうことは?
「……長谷川さんが見たのは、『見合い相手の女性』ですか?」
「そういうことでしょうね……」
しかし、先程の話では……。正登の疑問を酌んだように、小児科病棟看護師長が続ける。
「勿論、仁科センセはお断りされたわよ。だけど、あのセンセ、一目で自分が気に入られちゃったっていう自覚が無かったんでしょうね。
セッティングした親戚に、抗議と断りの電話を入れて戻ってきたら、相手の女性は式の日取りにまで話を飛ばしてたらしくて……。そのとき、お相手の女性が言ってたんですって。
『貴悠さんがいらっしゃらない間に、リボンの可愛らしい女の子に話しかけられましたのよ。お二人はどういうご関係なんですかなんて訊かれてしまうと照れてしまいますわね。お幸せにって言って下さいましたわ』……話、見えた?」
見えた。流石に見えた。だが、何故に気付かないっ!? ウチの小児科ドクターはっ!! 『貴悠さんのいらっしゃらない間に話しかけてきたリボンの女の子』の正体に!!
「……あ~、なんかすっごく頭痛いんですけど、凄く見えた気がします。お相手の女性の『可愛らしい女の子』の形容詞で、ウチのドクターは職業病を発揮した……と。なんか、つまり、そういうことですかね……?」
正登の言葉に小牧が頷く。
「いいとこ中学生、下手すれば幼稚園児や小学生の女の子が誤解で話しかけてきた。それぐらいにしか思わなかったんでしょうね……。
で、長谷川さんは誤解したまま。……そりゃ、避けられるでしょうよ…………」
「カップル溢れかえる中、わざわざ自分達を選んで、しかも『どういうご関係ですか』と話しかけてきた『女の子』の方じゃなくて、お相手にどう断りを入れるかで一杯になったと……」
小牧と正登の言葉に、愛が噛みついた。
「ちょっと!! アタシに分かるように言えって言ったでしょ!! なんなのよっ!!? 要は、その馬鹿は長谷川のお姉ちゃんを振ったの!? それともそうじゃないの!? どっちよっ!!?」
「「振ってない」」
図らずとも重なってしまった正登と小牧の言葉に。その即答加減に、愛も瞳を見開いていたが……。
「……長谷川のお姉ちゃんの誤解なのね? 仁科ってのはお姉ちゃんがどうでもよくなったわけじゃないのね?」
頷いた正登に、愛は大声で叫んだ。
「じゃあ、なんとかしてよっ!! 長谷川のお姉ちゃん、もう体壊しちゃってぼろぼろなのよ!!?」
「え?」
「愛ちゃん、どういうこと?」
正登と小牧の言葉に、愛は大きくしゃくりあげ始めた。吊り上げていた瞳から、ポロポロと涙を溢しながら。
「先々週の土曜から、長谷川のお姉ちゃん、何も食べられなくなっちゃったって。教室の先生達の交流会でお食事に行ったときに、もどしちゃったのをアタシの先生が見ちゃったの。
休ませて着替えさせようと思って教室に連れ帰ってきて、アタシの先生が気付いたのよ!! お姉ちゃんの身体が凄く痩せちゃってるって……。先生がこっそり問い詰めてたのを立ち聞きしてたの……。
入院したこともあるし病院にって、出来れば反南がいいって先生が言ったんだけど、反南だけはイヤだって……」
いつの話だと思う? 先週の日曜日の話よっ!!? 先々週の土曜から先週の日曜日までごはん食べられなくなってたって。今もそれが続いてるけど、別の病院で点滴してもらって誤魔化してるってことなのよっ!? どういうつもりよっ!? 仁科ってのは、お姉ちゃんを殺すつもりなのっ!!!??
自分で長谷川のお姉ちゃんの王子さまだって言ったんでしょっ!!? 王子さまだって言うんなら助けてよっ!! お姉ちゃん、今直ぐ助けてよっ!!!
愛は感情の箍が外れてしまったようで、そのまま大きく泣き出してしまった。予想外の事態に、正登は小牧と顔を見合わせる。
「これ、流石に放置しておくわけにいかない状況ですよね?」
正登の言葉に小牧が頷いて。愛はしゃくりあげたままで正登を睨みつけた。
「ふざけんじゃないわよっ!! その馬鹿にきっちし責任取らせなさいよっ!! ……っそれとも、アンタはその馬鹿庇おうってつもりなのっ!!?
…………ざけんじゃないわよっ! そんならアンタもぶん殴ってやるからっ!!」
言葉だけ聞けば威勢はそのままだけれど……。先までの怒りの雰囲気と違って、愛が今醸し出している雰囲気は、不安の色が濃い。
十歳にも満たないだろう女の子は、自分達の大好きな先生をなんとか助けたいと。それだけでここまでやって来た。
正登の記憶が正しければ、愛の先生の普段暮らす地域から反南までは、電車を二つ乗り継がねばならない。時間にして、一時間強。この年頃の子どもが一人で乗り込んで来るには、相当の距離だ。それを、愛はやって来たのだ。
ならば。後は、大人が動く番だ。事情を知るものとして、事情を聞いた者として、誰より当事者として。正登が、小牧が、仁科が、動く番だ。
「……ここまで来るの大変だったでしょう? おばちゃん達が責任持って、ねぼすけ王子は叩き起こすから、ね?」
「後はお兄ちゃん達大人に任せてくれるかな? 愛ちゃんをここまで動かしたんだから、次に動くのは大人の番だよ」
小牧と正登の言葉に。愛は唇を噛み締めた。
「……絶対だからね!! 絶対、その馬鹿なんとかしてよっ!!? このままお姉ちゃんが倒れるようなことがあれば、アタシ又来るからねっ!! アンタ達が何て言おうと、ぶっ飛ばしてやるかんねっ!!!」
正登と小牧を睨みつけて宣言して。愛は病院ロビーを去った。愛が去った方角を見ながら、小児科病棟看護師長が溜め息を吐く。
「……さて? まずは長谷川さんが誤解してることを伝えるところから始めなきゃならないのかしら…………」
「でしょうね~。確か、仁科センセ、避けられまくってるはずですもん。おまけに、本人が理由も事態も理解してないんですから」
とにかく、長谷川さんが見た場面を仁科センセに知ってもらって。それから、仁科センセに誤解を解いてもらうしかなさそうですよね。
正登の言葉に小牧も頷く。丁度、正登の今夜の勤務は貴悠と被っていたはず。そのときに切りだすか……。正登も内心で大きく溜め息を吐いた。
深夜の病棟、何を誰が仕組んだのやら……。救急の受け入れ要請も急患もやけに少ない。が、正登には好都合だ。
自分の勤務を終えた正登は、小児科の当直室の扉を叩いた。扉を開ければ、仮眠を取っていたのだろう小児科アイドル。驚いた様子の貴悠を制して、正登は切り出した。
「勤務中に悪いんだけどな、話がある。率直に訊くぞ。貴悠、お前、この間、長谷川さんから避けられてるって言ってたよな?」
正登の言葉に貴悠は目を白黒させている。不意なきっかけで打ち解けた同い年。とはいえ、勤務中は、別病棟の医師と看護師。正登が貴悠を呼び捨てにすることもないし、貴悠も距離を置いている。砕けた言葉を病院内で使うことは殆どない。
「……そうだけど……。昼間、電話もメールも入れたのに応答なし。……これで、ほぼ二週間近く音沙汰ないんだ……」
正登の言葉と態度でなのか、貴悠も友人としての言葉遣いで返す。項垂れた様子の友人に、正登は大きく溜め息を吐いた。
「その件で話があるんだよ。昼間、『小児科の仁科を連れて来いっ!!』って、受付に乗り込んで来た女の子がいてな……。新居愛ちゃんって言って、弟の名前が心君って言うそうだ。
で、その愛ちゃん曰く、『弟の大事な長谷川先生に散々付きまとった挙句、他の女性と結婚するとか言い出した馬鹿男を殴らせろ!!』ってさ」
正登の言葉に、貴悠は疑問符を浮かべている。正登はもう一度溜め息を吐いた。……噛み砕いて説明するしかないだろう。
「……貴悠、お前、二週間前に、親戚に騙し討ちで見合いに連れ出されたんだってな?」
「え? あ、あぁ、小牧さんからでも聞いたのか? あれ、参ったけどね……。だけど、勿論、当日に断り入れてるよ?」
正登の言葉は貴悠に苦笑いは浮かべさせたが、貴悠は事態に気付いたわけではないようだ。コイツはなんでこういうとこで鈍感さを発揮するんだ!! 普段の観察眼と推理力は何処行った!!
「……お前が騙し打ちを仕組んだ親戚に抗議の電話入れて戻ったとき、お相手がなんか言ってたんだよな? それ、覚えてるか?」
「……何処まで聞いてんだよ。あ~、なんか子どもが話しかけてきてたらしくて、話を飛ばされてて参った」
「いいから、相手の言葉を復唱してみろ」
正登の言葉に、貴悠は首を傾げた。
「えっと、『リボンの可愛らしい女の子に話しかけられました』と、『お幸せにって言われて……』…………だったと思うけど?」
「……そこで職業病を出すのがお前だって解っちゃいるんだけどな……。貴悠、お前、わざわざ自分達を選んで話しかけてきた『女の子』の正体に気を回せないか?
店の中で人間が溢れ返ってる中、自分達を選んで話しかけて、『どういうご関係ですか?』って訊いてるんだぞ?」
ここまでヒントを出しても、貴悠はまだ気付いていないらしい。正登の方は本気で頭が痛くなってきた……。
「……貴悠、お前、大学時代に散々からかわれたんだよな? 『面立ち優しいベビーフェイスの仁科君』って」
「うるさい! 放っとけ!! だからなんだよっ!!?」
正登の言葉は貴悠の声を尖らせたけれど、ここでそれを気にしている場合ではない。もう、はっきり言ってやるしかないだろう。
「……落ち着いた雰囲気してるから、あまり言われないのかもしれないけど、長谷川さんも童顔って言っていい顔立ちの子だと俺には見える。で、親戚が連れて来たお前の見合い相手は、年上だったんだよな?」
「……武原、おまえ、よく見てるね。普段の物静かな雰囲気で相殺されてるけど、おまえの言う通りだと思うよ? 結構、幼いって言われる顔立ちなんじゃないかな……」
…………まだ気付かないかっ!!? 全く辿り着く様子が無い友人に、内心何度目になるか解らない溜め息を吐くしかない……。
「……貴悠? お相手は『リボンの女の子が話しかけてきた』って言ったんだよな? 訊くけど、長谷川さんが普段髪を結んでるのは何だ?」
「……? そうだって言ってる……!!! って、えぇ!!? ちょっ、まさか!!?」
「ようやく辿り着いたか? そう、話しかけてきたのは、『リボンで髪を結んだ』長谷川さんだ。幼稚園児や小学生の女の子なんかじゃない。
話を戻すが、お相手はお前が戻ったときに話を飛ばしてたんだよな? その女性は、長谷川さんにも同じ答えを返してる。
『知人の紹介からなんです。貴悠さんのお仕事の都合もありますけれど、出来れば早めのお式がいいなって』って、長谷川さんに言ってる。……お前が避けられてるの、当たり前なんだよっ!!」
正登の言葉に。今度こそ、貴悠は蒼褪めた。正登も大きく息を吐く。お相手の女性とやらも全く厄介な事態を引き起こしてくれた……。
とにかく、彼女が何を誤解しているかは友人には伝わったはずである。後は、友人がアクションを起こさない限りどうにもなるまい。
しかし、彼女の方が友人を完全に避けている状況でどうしたものか……。思案する正登を余所に、友人は徐に鞄から私物の携帯を取り出している。
取り敢えずは、メールを入れるのだろう。正登はそう判断した。……が、しかし。友人の行動は、正登の予想を遥かに上回っていた……。
――――トゥルル、ルルル、ルル…………。
当直室に響くは携帯電話からの呼び出し音。あまりのことに呆気に取られる正登を他所に、友人の携帯が相手との繋がりを告げる。聞こえてきたは……。
「『はい、長谷川です。御用件のある方は』…………は、はいっ!? 長谷川です!!」
コール音の後、繋がった留守番電話らしきメッセージを遮って。慌てたように電話の向こう、突然の電話に飛び起きたのだろう女の子の声がする。彼女の声は、はっきり寝起きで驚いている……。
……当然である。正登と貴悠がいるのは、深夜の病棟の当直室。時計の針が示す時間は、夜中の二時。しかも、留守録に繋がったところを見るに、貴悠が掛けたのは相手の携帯ではなく家の固定電話だ。
何事かっ!? そう、身構えるのが普通の反応である。と、いうか、コイツ、一般常識をすっ飛ばしやがったっ!!
頭を抱える正登に更なる追い打ちをかけたのは、急患の来訪を告げるドクター呼び出しのPHS。
しかも、かなり緊急性の高いものだったようで……。呼び出しの内容を聞いて、私物の携帯をそのままに。貴悠は当直室を飛び出して行ってしまった……。
放り出された携帯片手に、途方に暮れたのは正登である。電話の向こうでは、非常識な時間の電話に叩き起こされたのだろう相手の困惑した声……。
「……あの?」
「……あ、ごめんね。ちょっとウチのドクター、緊急呼び出しかかっちゃって……」
成す術なく電話に応対した正登の声に。電話の向こうの相手の声が更に戸惑うのが否が応でも解ってしまう……。
「……? え、あの、えぇと? お声に聞き覚えがあるんですけど……。えぇと、入院中にお世話になった看護師さんですよね? え? で、なんで、私の番号……」
「あ、うん。反南病院の看護師の武原です。えぇと、ごめん。なんで番号を? って言われると、掛けたのがウチの仁科だから……って言うしか……。
で、肝心の仁科センセは呼び出しかかって、この携帯の存在忘れて飛び出してって診療中……?」
相手の困惑が手に取るように見える気がして。正登は溜め息を吐いた。今日一日で何度目になるのか、既に正登には判らない……。
非常識な電話を掛けた友人ドクターは、きちんと叱っておくから。告げた正登に電話の向こうから返ってきたのは、困った色と戸惑った色が滲んだ声。
一時間と少し後、当直室に戻った貴悠に。正登が無言で拳骨を落としてしまったのは、ある意味仕方ないだろう……。
正登の暴挙に憤慨した貴悠も、正登が無言で示した布団の上の携帯電話に流石に黙らざるを得なかったようだけれど……。
しかし、懲りもせずに再び携帯のボタンを押しかけた貴悠は、合計二回、正登の鉄拳制裁を喰らう羽目になった。
「……った!! 武原、何すんだよっ!!?」
「馬鹿!! 頼むから、一般常識すっ飛ばすのは止めてくれっ!! 時計を見ろ、時計を!! 夜中の三時を回ったところだぞっ!?
世間様では深夜って呼ばれる時間なんだ!! 普通の人間は寝てんだよっ!!」
「……あ、そうか…………」
一般常識をすっ飛ばした行動に出た友人に大いに疲弊させられた出来事から数日。病院の会計窓口付近の待合の椅子。鮮やかな青のリボンで髪を結んだ姿を見つけ、正登は声を掛けた。
「……こんにちは、長谷川さん。こないだはごめんね。常識すっ飛ばしたヤツは叱っといたから。今日は……診察かな?」
突然話しかけられて驚いていたようだが、彼女は穏やかに微笑んだ。季節に不似合いな厚い生地の大きめサイズのパーカーと、念入りな化粧。服装とメイクで誤魔化しているつもりでも、お世辞にも体調が良さそうだとは正登にも見えない。
「……アハっ。……ホント、流石にびっくりしました……。人の心臓止めるような行動は控えて下さいって伝えて下さいます?」
クスクスと笑う声は小さい。声に潜めた哀しみが隠しきれていないことに正登が気付けるほどに、小さくて淡い微笑み……。
「……長谷川さんから避けられてるっていうことで一杯になって、非常識やらかしたんだろうと思うんだけどね……。これ、俺から言っちゃ駄目だろうとは思うんだけど、二人さ、ちょっとすれ違ってるかなって……」
隠せていない弱々しさに、思わず正登は口を開いたのだけれど……。彼女は静かに首を振って、正登の言葉を拒絶した。弱さの中の強い拒絶に、正登も知る。
これは、仁科でなければ……。この子は、正登達が何を言って諌めたところで、仁科の言葉でないものは遮断してしまうだろう、と。
「……構わないんです。もう知っていますし。ただ、そうですね。お願い出来るなら、一言だけ。
一言だけ、恨みごとをお伝え願えます? …………知らされなかった哀しさを、貴方は知ってくれていると思ってました……って」
――――クスッ。どう言っても逆恨みにしかなりませんし……。本当にお伝え頂かなくて結構ですよ? というか、伝えられると却って困っちゃうので……。
自嘲気味に微笑む彼女は、きっとこのままでは誰の言葉も受け入れない。会計から名前を呼ばれて彼女は正登に一礼した。会計を済ませる姿に視線をやりながら、正登は内心で頭を巡らせた。
……正直、参った。正登の想像を遥かに上回って、状況はややこしく深刻になっている。只の第三者の仲介などでは、恐らく事態は良い方向には転がらない。
去年の夏に彼女が入院した経緯ならば、僅かながら知っている。そのエピソードがあっての今回の一件だ。
誰だって、むざむざ傷付きたくなどない。彼女は貴悠の後輩である同級生を子どもの頃から想い続けていた。
――――けれど、選ばれたのは、彼女の妹で……。貴悠が現れるまで、泣いていたという女の子。
会計を終わらせたらしい。彼女がこちらに会釈しようとして……固まった。彼女の視線を追えば、友人の小児科ドクター。不意のことに双方とも固まっていたが、先に動いたのはどちらだったか……。
呼び止めようとした貴悠を、彼女の言葉が遮った。
「……あ、えっ……あの、知ってますから!! ……もう、いいですから…………。ごめんなさい、お稽古の時間があるので失礼します。……番号とアドレスは消しておいて下さいね」
――――仁科さんもお元気でお過ごし下さい。
ぺこりと深く一礼して。彼女はそのまま走って玄関を飛び出してった。慌てた貴悠が何度か呼び止めていたが、彼女は振り返らない。
貴悠の方も追いたくとも追えないだろう……。勤務時間中である上に、貴悠の後方、小児科の看護師が貴悠の名前を呼んでいる。
単純な行き違いとすれ違いが、どこをどうしたら、ここまで厄介事に発展した挙句、こうも間の悪さを連ねられるものなの……。正登は痛む頭を押さえた。
その日の夕方、職員駐車場で、小牧に捕まえられることとなった正登は、用件を聞いて更に深く嘆息する羽目に陥った。小牧は宮尾から聞かされたという。
ピアノ教室の先生は、今日の診察で、反南から自宅付近の病院への紹介状を依頼してきたらしい。反南への通院はもう困難だから、と。
……それで、今日のあの言葉だったのだ。リボンの彼女が貴悠に向けた今日の言葉。二度と会わない覚悟の上での言葉……。
――――仁科さんもお元気でお過ごし下さい。
「……長谷川さん、本気で覚悟決めちゃってるってことですよね?」
「そういうことになるでしょうっ! あ~、もう!! どうしたらここまで拗れるのか、いっそ天晴れだわよっ!!」
仁科センセは仁科センセだし……。続けられた小牧の言葉に正登が首を捻ると、小牧が大きく溜め息を吐いた。
「ホントならね、自宅に押し掛けるなり職場で待ち伏せるなりして、どうにかして本人捕まえて、仁科センセが誤解を解けばそれでいい話のはずでしょうがっ!! だけど、あのセンセ、変なとこで弱気出すのよ……。
『なんでそうしないんです!!』って、問い詰めて、返ってきた答え、信じられないわよ。『弱ってた雛を放っておけなくなって、そしたら雛が懐いてくれて……みたいな始まりだったから、何処まで強気に出ていいのかが判らないんです』って言うのよっ?」
小牧の言葉と貴悠の言葉に。はっきし言って、正登は呆れかえるしか出来ない。始まりがどうあれ、既に彼女は貴悠を見ていることは明白で……。そうでなければ、『貴悠が結婚する』という言葉に、教室の子どもが乗り込んで来なければならないような痛手を受けているはずがないのだ。
「……わかりました。それなら仕方ないですよね。長谷川さんの方が覚悟決めてるんです。仁科センセの方にも覚悟決めてもらいましょう」
小牧さん、すみませんが、幾つか手配して欲しいものがあるんです。正登の言葉に耳を傾けていた小牧は、話を聞いてニッコリ笑った。
「……そういうことなら、手近に打って付けの人材がいるわ。確かにそうね。仁科センセに覚悟決めてもらいましょ」
翌日、正登は同僚に頼みこんでシフト調整を願い出た。事情を聴いて、同僚は二つ返事で引き受けてくれた。……一週間後、勤務中の休憩時間。
ある目的で正登は小児科病棟を訪れた。詰め所のカウンター越し、正登が大きな声で話しかけたのは、小児科病棟看護師長。
「あ、小牧さん! 例の件、どうでした?」
「あぁ、武原君、そうだ、そのことでお礼言わなきゃと思ってたのよ。子どもの方はもうすっかり懐いちゃってるらしいわ。長谷川さんも、流石に本職よねぇ……」
こっちの病棟に出入りしてくれてたときの子ども達の扱い方も素晴らしかったみたいだし? 小牧の言葉に、カウンターの背後のデスクで仁科の背中が揺れたのを確認して……話を続ける。
「ただねぇ、一つ困っちゃってるのよねぇ……。知り合いが親戚の子どもさんのピアノの先生を探してるって話だったから、武原君にお願いしたんだけど……」
「どうかしたんですか?」
正登の促しに小牧が大きく息を吐く。
「ピアノの先生で適当な人いませんかって言ってきた知り合いの男の子、どうも長谷川さんを気に入っちゃったらしいのよねぇ……。
彼女の方がよければ付き合いたいって言いだすかもしれないわ……。でもねぇ、そういうつもりで紹介したわけでもないし……。どうしたもんかと……」
「あらら、意外な展開ですね。でも、年の頃も丁度良いくらいの方ですよね? なら、案外上手くいくかも知れませんね」
そこから、正登と小牧は声を顰める。ヒソヒソヒソ……と。背後のデスクの仁科には、殆ど何も聞こえていないだろう。二人とも、意味のある単語は聞こえるように、他は話しこんでいるふりをしているだけなので……。
貴悠に聞こえたであろうキーワードは、五つほど。『長谷川』・『知り合い』・『気に入った』・『上手くいく』…………。『仁科がいるのでこの話はあとで』……。
そのまま正登は小児科病棟を後にした。勤務の終り、職員駐車場の片隅に貴悠の姿を確認して、正登は小牧と話しながら歩く。貴悠には気付いていない様子で……。
「小牧さん、で、昼間の件は?」
「あ~、あの件ね。まぁ、もう気に入っちゃってるのを無理に引き剥がすわけにもいかないじゃない?
なるようになるかって思い始めたとこよ。長谷川さんには騙し討ちみたいで悪い気もするんだけどねぇ……」
「あぁ、長谷川さんからすれば寝耳に水ですよね。でも、却って彼女には良い結果に繋がるかもしれませんね……」
「そうねぇ……。仁科センセのことがあったばかりだものねぇ……。まぁ、悪い方向にいかないことを祈るしかないわ……。長谷川さん、もう反南に来る気もないみたいだし」
「そうですね……。そういえば、既にその人は長谷川さんに次の約束取り付けられたとか?」
「そうそう。行動が早くて感心するわ……。えぇと、ここの駅近くで最近オープンしたカフェがあったでしょ? 次の土曜に二時前に待ち合わせって言ってたかしら……」
「あぁ、お洒落で可愛いって、反南の看護師達にも騒がれてる店ですね? 煉瓦造りが洒落た感じの」
と、そこまで筒抜けに響かせておいて、正登は小牧に一礼して別れた。駐車場の片隅、貴悠が車の陰で今の会話を全て聞いていることは、勿論ながら計算の上である。
日程のヒントも店のヒントも出し尽くした……。仁科貴悠の勤務日程に合わせて組まれた日取りであるのは当然のこと。後はホントに貴悠次第。
――――さぁ、どうする?
土曜日、正登は帽子にサングラスの出で立ちで、小牧との会話の店にいた。時間は午後の一時過ぎ。斜め後方の席、いかにも爽やか好青年といった風の男性と、幼稚園ほどの年の子ども、そして……。
自分達が位置するのは、カフェの中でも外から一番目に付きやすい場所。きゃいきゃいとはしゃぐ子どもに、リボンで髪を結ぶピアノの先生は微笑んでいる。時計の針はそろそろ半を回ったか……。斜め後方の席、男性が小さめの紙袋を取りだした。
お洒落なロゴの入った紙袋は、正登達の世代で今話題を呼んでいるジュエリーショップのもの。中から取り出されたのは、小さめの小箱。リボンの先生はしきりに驚いている様子で……。
――――と、ようやく主人公が現れた。正登には目もくれず斜め後方の席へ一直線に向かい、紙幣をテーブルに叩きつけて……。
「……悪いけど、この子、僕が予約済みなんで!! 返してもらうよっ!! お代、ここに置いとくからっ!!」
何のウケを狙っているのかは知らないが、王子様らしいと言えばらしい。漫画のヒーローのような登場ではある……。呆気に取られているらしいリボンの子を無理やり立ち上がらせ、貴悠は彼女を引っ立てるようにして店を出た。
間を置かずに、店員に一言いれて、正登も席を立つ。店の外、目を白黒させたままの女の子と貴悠を確認して、そっと陰に隠れた。
「…………電話もメールも拒否された挙句、いきなりこれ? 流石に僕もキレることあるんだけど……?」
……おい、お前が怒るところじゃないと……。
「……というか、仁科さんがここにいらっしゃる意味が解りません。大体、仁科さんにキレられる覚えはありませんけど……」
……彼女の疑問と抗議は尤もだろう……。
「!! 本気で言ってる!!?」
「……はいっ? 本気も本気ですっ!! ご結婚、おめでとうございます!! いいからもうそっとしといて下さい!! 結婚するって人が私に構わないで下さいっ!!」
憤った貴悠に、彼女の方も幾つか感情の枷が外れたようで……。最早、完全に売り言葉に買い言葉になっている……。
「だから、それは誤解だって言ってる!! あの店のリングだって、いつから僕が用意してたと思ってるんだっ!!? 普段の演奏に邪魔にならなくてイメージに合うモノ探すのにどれだけ苦労したと……!!」
「……な!! …………え、えぇと? ……は? ……あの…………?」
あ、駄目だわ、これ。会話が全く噛み合っていないことに、彼女の方は今気付いた様子だが……。頭に完全に血が上っている様子の貴悠は気付いていないだろう……。
帽子とサングラスを外し、正登は貴悠の肩を叩いた。
「……ハイハイ!! その辺にしとけ? 貴悠、お前、無茶苦茶だ!!」
唐突に現れた正登に、双方とも驚きを隠せない様子だったが……。そんな二人を気にせず、正登は続ける。
「貴悠? お前さ、長谷川さんからすれば『誤解を解かれた覚えが無い』ってこと、気付いてるか?」
「なんでだよっ!? 勝手に親戚が仕組んだ見合いに騙し討ちで連れ出された挙句、僕がいない間に話を飛ばされてただけだろっ!!? 話をおまえから聞いて、直ぐに電話掛けてるだろっ!!」
「……はい? 誤解? ……騙し討ち? え? え、えぇと…………、え? あの、話が見えないんですが……」
三者三様の言葉が飛び交って暫し……。ようやく貴悠は気付いたらしい。それは見事に固まった。
「あの日、僕、呼び出しかかったんだ……」
「思い出してもらえたか? 非常識な時間の電話の挙句、携帯放り出して飛び出してったよな?」
「……えぇと? 武原さんから頂いた深夜のお電話ですか……?」
「うん。あの日、長谷川さんが疑問を持ったでしょ? そのときも言ったけど、掛けたのコイツ」
「……ホントに誤解なんだよ。何にも知らされずに連れ出された先が見合いの席だったんだ……。けど、勿論当日に断ってる!! 余計な真似した親戚にも釘は差したし、お相手にも断った。
申し訳ないけれど、交際を考えてる女の子がいるって……。森村の件からそんなに時間も経ってないし、ゆっくりいこうと思ってたんだ。でも、だからって、これはないだろっ!?
いきなりメールも電話も繋がらなくなるし、人の顔見て逃げるし、挙句、他の男にアクセサリー渡させるなんて、そんなつもりじゃないっ!!」
キョトンとしている彼女に気付かず、貴悠は憤慨しているが……。彼女の方は困惑している。そろそろ頃合いかな? 内心考えた正登に合わせたように。二つの影が現れた。先の子どもと……小児科病棟看護師長の小牧伸子氏。
「……お兄ちゃん、パパが長谷川先生に渡したのは、ボクのママでパパの奥さんからのご挨拶のクッキーだよ? ね、おばあちゃん」
「悪く思わないで下さいね、仁科センセ? 元を辿れば、誤解を撒いたり、はっきりしなかったりするセンセが悪いんですから……」
「……は?」
呆けた声は、仁科貴悠センセ。だが、リボンの先生も困惑している……。遅れて姿を現したのは、先程ジュエリーショップの紙袋を取りだした男性。
――――役者全員揃ったところで、種明かしをすれば…………。
男性は小牧の息子。子どもは孫息子。……病院での一件から暫くして、武原正登がピアノ教室に電話を掛けた。長谷川先生を指名して……。
リボンの先生に伝えられたのは、知人の夫妻が子どものピアノの先生を探しているのだけれど、子どもは人見知りをする方なので悩んでいる。もしよければ相談に乗ってはもらえないだろうか? という内容。
お人好しの長谷川先生が断るはずもなく、正登が指定した場所と時間に彼女はやって来た。で、彼女は知らされていなかったことだが、正登の言った知人とは、他ならぬ小牧である。やって来たのは、小牧の息子と息子の子どもで小牧の孫……。
武原と小牧が病院で会話した『長谷川さんを気に入った知人の男の子』は、正しく表現すれば『年齢六歳の幼稚園児』の男の子。
先に断っておくが間違ったことは言っていない。小牧は確かに疑いようなく正登の知人、六歳の男の子でも男の子には変わりはない。
――――と、種明かしに脱力している貴悠を他所に…………。外野は和気あいあいと盛り上がった。小牧の息子も孫も小牧自身も、すこぶる愉しそうだ……。
「だっけど、あんな登場の仕方されるとはね……」
「お兄ちゃん、結構かっこよかったね!! お姫さまを助けに来た王子さまみたいで!!」
「センセ、やる気になればちゃんと出来るんじゃないですか!!」
「……長谷川さん、誤解は解けたかな?」
「へ? ……え、えぇ、あの……。 ええと、あ、あの、仁科さん…………?」
脱力状態からは回復したようで。貴悠は身体を震わせている……。
「……ひ、人で遊ぶな~っ!!」
響き渡った貴悠の怒鳴り声に……。それぞれ目配せを交わしあって、正登も小牧も息子達も逃げ出す。
逃げる正登の後ろ、聞こえてきた微笑ましい会話は、友人の立場に免じて聞かなかったことにしてやろう。
正登の後方、先程小牧の息子が取り出したのと同じ袋、但し、中身は随分違いそうな小箱を押し付けている友人の姿。
――――結構高かったし勇気要ったんだからね、そのリング。返して来いっての、もう受け付けてないから。
――――私が頂いて良いものなんですか?
「二回も三回も言いたくないんだけど、他の人間に買ったつもりないよ」
「……なんか、言い包められてるって言う気もするんですけど……」
――――手のかかる王子さま、どうやら無事にお姫さまは捕まえたらしい……。
区立、反南総合病院。病院受付付近のロビー、突如として響いた大きな罵声に。ギョッとしたのは、正登だけではなかったはずだ……。
思わず視線をやって、正登は更に仰天した。受付に向かって小児科アイドルを名指しで呼び付けろと怒鳴った声の持ち主。
肩口で切り揃えられた髪、印象的な大きな瞳は釣り上げられて。明るい水色の薄手のニットに、ワッペンの付いた白のカーディガン。レースの縁取り可愛らしいクロップドパンツにスニーカー。
……背中に見えるは、赤い赤いランドセル。受付で小児科アイドルを呼び付けていたのは、どう見ても小学生の女の子だったのだ。
「え~っと、お嬢ちゃん、お名前はなんていうの? パパかママはいらっしゃる? 仁科先生にご用事なのかしら? お知り合い? あのね、先生はね、いま、お仕事ちゅ……」
「うるっさい!! いいから、ソイツを今直ぐここに連れて来いって言ってんのよ!!」
けんもほろろな女の子の言葉に、受付事務の女性は顔を引き攣らせている……。あの様子じゃ取りつくしまもなさそうだが、生憎、女の子の言う『仁科』は、診療業務中である。
と、いうか、あの年頃の子どもにあんな態度取らせるなんて珍しいな……。受付女性の引き攣り笑いも周囲の困惑にも臆することなく。女の子は目を吊り上げて叫んだ。
「きっちし話つけるまで帰らないからね!! とっととその馬鹿連れて来なさいよっ!! ウチの心の先生を、アタシ達のお姉ちゃんを泣かせておいて、しらばっくれてんじゃないわよっ!! 何が何でもその馬鹿一発殴らないと気が済まないわっ!!」
随分、物騒な台詞である。だが、台詞の中に聞き覚えのある単語を見つけて……。正登は彼女に声を掛けた。
「ごめんね、仁科センセは診察中だから。だけど、よかったらお話聞かせてもらえるかな? 『ウチの心の先生』って言ってたよね? ひょっとして、心君の先生って言うのは、ピアノ教室の長谷川さんっていう女の子かな?」
「……アンタ、誰よ?」
胡散臭いと不審げな目線が語っている。正登はにっこり微笑んだ。
「前に長谷川先生が入院してたのは知ってるかな? そのときに長谷川先生のお世話に着かせてもらった看護師で、武原正登といいます。小児科の仁科先生の友人でもあるかな?」
「……要は、その『仁科』って馬鹿の知り合いなのね? だったらいいわ。アタシが納得できるようにきっちり説明なさいっ!! その『馬鹿男』は、どういうつもりよっ!!?」
流石の正登も顔を引き攣らせそうになった。元々、女の子の言うところの『馬鹿男』と違って、特段子どもの扱いに秀でているわけでもないのだ……。
だが、何故か聞き逃してはいけないことの気がするという勘が、ぐっと正登を堪えさせる。
「……えぇと、仁科先生は君と心君に何をしちゃったのかな? で、君と心君の関係と君のお名前も聞かせてもらえると助かるんだけど……」
正登の言葉に、女の子は更にキツく眦を釣り上げた。
「るっさい!! 『何した?』ですって!? こっちが訊いてんのよっ!! こっちが!!」
……うわ、駄目だ。話にならない…………。と、現れたのは、小児科病棟看護師長。天の助けに正登は縋った。
「こんにちは、お嬢ちゃん。おばちゃん、この病院で看護婦さんやってる小牧伸子です。あのね、お嬢ちゃんが何を怒ってて、心君の先生がどうして泣いちゃったのかを知るために、おばちゃん達の質問にも答えてもらえないかな? 心君の先生にウチのドクターが何かやらかしちゃったなら教えて?」
流石、小児科病棟看護師長。女の子は小牧伸子氏の言葉に少し考えて……。一息入れて、応じる構えに入ってくれた。というか、何処から聞いてた!! 小牧師長!!?
「……じゃあ、よく聞きなさい! アタシは新居(あらい)愛(うい)。新居(あらい)心(こころ)はアタシの弟で、長谷川のお姉ちゃんはアタシと心の通うピアノ教室の先生よ!
で? その仁科って馬鹿は、以前の交流演奏会で、ウチの心に『自分は長谷川先生の王子さまだ』って名乗ったらしいじゃない!!
先生だってついこないだまで凄く嬉しそうに笑ってたのよ!! それが!! どこがどうなったら、お姉ちゃんが泣かなきゃいけないようなことになったのよっ!!?
様子がおかしかったから他の先生達が訊き出したの聞いてたのよ!! 『王子さまは優しかったから言い出せなかったみたいですけど、振られたんです』って!! どういうことよっ!!? その馬鹿連れて来なさいよ!! 絶対殴ってやるんだから!!!」
一気に紡がれた言葉の剣幕に押されながらも、聞き捨てならない台詞に正登は思わず訊き返していた。
「……え? 待った!! 今、長谷川さんが『仁科先生に振られた』って言った?」
正登の言葉に、愛と名乗った女の子はキッと目を釣り上げた。そのまま一息に凄い剣幕で喋り出す。
「だから、そう言ってるでしょ!! だけど、その馬鹿は、ついこないだまで長谷川のお姉ちゃんに付きまとってたらしいじゃない!! 他の先生達言ってたわ!! 『お似合いに見えてたのに』って!!
どういうことよっ!? 半端な気持ちで人の先生に近寄るんじゃないわよっ!! 長谷川のお姉ちゃんね、ああ見えてモテるんだからねっ!!?
なのに、その馬鹿のことを『私の王子さま予定なんです』って、お姉ちゃんがみぃーんなみんな断っちゃってたの知ってるんだからっ!!!」
ふざけんじゃないわよ!! 馬鹿にすんのも大概になさいよっ!! いいからその馬鹿連れて来なさいっ!!! 今直ぐここでぶっ飛ばしてやるわ!! お姉ちゃんの分も殴り倒してやらないと気が済まないんだからっ!!
続けられた言葉はあまりにも物騒なものだったが、それよりも先の台詞の方が重要だ。正登の想いは小牧も同じだったらしい。
正登の方を見ていた彼女は、しゃがみ込んで愛に向き直った。
「愛ちゃん、そのお話、誰から聞いたの?」
「長谷川のお姉ちゃんと他の先生達が話してるところを聞いたって言ったでしょ!!」
「愛ちゃん、多分、どっかで誤解が混ざってると思うよ。少なくともウチの仁科先生は愛ちゃんと心君の長谷川先生を振ったりしてないはずだよ。絶対だと思う」
正登の言葉に、愛は思い切り声を張り上げて噛みついた。
「じゃあ、どういうことよっ!? 説明なさいよっ!! 説明をっ!! アタシにもお姉ちゃんにも、きっちし納得できる説明してみなさいよっ!!? その馬鹿男が他の女の人と仲良さそうに店にいた理由をっ!!
馬鹿男がいない間に勇気出して話しかけたお姉ちゃんに、その女の人がなんて言ったか知ってるの!!? 知っててアンタは言ってるのっ!?
『知人の紹介からなんですけどこういう始まりもある意味運命だよねって言ってたんです。貴悠さんのお仕事の都合もありますけど、出来れば早めのお式の方がいいわねなんて。もう周りも気が早くって』!! この言葉のどこが誤解なのよっ!!? 馬鹿にすんじゃないわよっ!!」
愛の言葉には正登も流石に目を丸くした。愛が紡いだ台詞は、どう考えても結婚前提の交際をしている恋人の言葉だ。けれど、どういう経緯でそうなったのかが解らない……。
正登が知る限り、小児科の貴悠センセは、リボンを結んだピアノの先生を気に掛け続けているし、最近は何故か避けられていると落ち込んでさえいたはずだ。
……疑問を解消してくれたのは、小児科病棟看護師長だった。
「……うわ……。センセ、やっちゃったわねぇ……。愛ちゃん、その話、もしかしなくても先々週の土曜日の話よね?」
「それがどうしたのよっ!! やっぱりそうなんじゃない!! 馬鹿男を今直ぐ連れて来なさいっ!!! ぶっ飛ばしてやる!!」
愛は大きな瞳に涙を浮かばせて、こちらを睨みつけている。話の見えない正登に、小牧が大きく溜息を吐いた。
「……先々週の土曜にね、仁科センセ、親戚の騙し打ちで見合いの席に連れ出されたらしいのよ。急に電話がかかってきたとかで、気付いたら見合い相手と向こう方の紹介者に同席させられてたらしいわ。
それも、余計な真似した親戚本人は、急遽事情で同席できなくなったとか連絡してきたらしくて……。仁科センセ本人は混乱したままの状態で、『お見合い』になっちゃったようよ」
小牧の言葉に、正登は頭を抱えた。……何やってんだ!! あの小児科アイドル!!! と、いうことは?
「……長谷川さんが見たのは、『見合い相手の女性』ですか?」
「そういうことでしょうね……」
しかし、先程の話では……。正登の疑問を酌んだように、小児科病棟看護師長が続ける。
「勿論、仁科センセはお断りされたわよ。だけど、あのセンセ、一目で自分が気に入られちゃったっていう自覚が無かったんでしょうね。
セッティングした親戚に、抗議と断りの電話を入れて戻ってきたら、相手の女性は式の日取りにまで話を飛ばしてたらしくて……。そのとき、お相手の女性が言ってたんですって。
『貴悠さんがいらっしゃらない間に、リボンの可愛らしい女の子に話しかけられましたのよ。お二人はどういうご関係なんですかなんて訊かれてしまうと照れてしまいますわね。お幸せにって言って下さいましたわ』……話、見えた?」
見えた。流石に見えた。だが、何故に気付かないっ!? ウチの小児科ドクターはっ!! 『貴悠さんのいらっしゃらない間に話しかけてきたリボンの女の子』の正体に!!
「……あ~、なんかすっごく頭痛いんですけど、凄く見えた気がします。お相手の女性の『可愛らしい女の子』の形容詞で、ウチのドクターは職業病を発揮した……と。なんか、つまり、そういうことですかね……?」
正登の言葉に小牧が頷く。
「いいとこ中学生、下手すれば幼稚園児や小学生の女の子が誤解で話しかけてきた。それぐらいにしか思わなかったんでしょうね……。
で、長谷川さんは誤解したまま。……そりゃ、避けられるでしょうよ…………」
「カップル溢れかえる中、わざわざ自分達を選んで、しかも『どういうご関係ですか』と話しかけてきた『女の子』の方じゃなくて、お相手にどう断りを入れるかで一杯になったと……」
小牧と正登の言葉に、愛が噛みついた。
「ちょっと!! アタシに分かるように言えって言ったでしょ!! なんなのよっ!!? 要は、その馬鹿は長谷川のお姉ちゃんを振ったの!? それともそうじゃないの!? どっちよっ!!?」
「「振ってない」」
図らずとも重なってしまった正登と小牧の言葉に。その即答加減に、愛も瞳を見開いていたが……。
「……長谷川のお姉ちゃんの誤解なのね? 仁科ってのはお姉ちゃんがどうでもよくなったわけじゃないのね?」
頷いた正登に、愛は大声で叫んだ。
「じゃあ、なんとかしてよっ!! 長谷川のお姉ちゃん、もう体壊しちゃってぼろぼろなのよ!!?」
「え?」
「愛ちゃん、どういうこと?」
正登と小牧の言葉に、愛は大きくしゃくりあげ始めた。吊り上げていた瞳から、ポロポロと涙を溢しながら。
「先々週の土曜から、長谷川のお姉ちゃん、何も食べられなくなっちゃったって。教室の先生達の交流会でお食事に行ったときに、もどしちゃったのをアタシの先生が見ちゃったの。
休ませて着替えさせようと思って教室に連れ帰ってきて、アタシの先生が気付いたのよ!! お姉ちゃんの身体が凄く痩せちゃってるって……。先生がこっそり問い詰めてたのを立ち聞きしてたの……。
入院したこともあるし病院にって、出来れば反南がいいって先生が言ったんだけど、反南だけはイヤだって……」
いつの話だと思う? 先週の日曜日の話よっ!!? 先々週の土曜から先週の日曜日までごはん食べられなくなってたって。今もそれが続いてるけど、別の病院で点滴してもらって誤魔化してるってことなのよっ!? どういうつもりよっ!? 仁科ってのは、お姉ちゃんを殺すつもりなのっ!!!??
自分で長谷川のお姉ちゃんの王子さまだって言ったんでしょっ!!? 王子さまだって言うんなら助けてよっ!! お姉ちゃん、今直ぐ助けてよっ!!!
愛は感情の箍が外れてしまったようで、そのまま大きく泣き出してしまった。予想外の事態に、正登は小牧と顔を見合わせる。
「これ、流石に放置しておくわけにいかない状況ですよね?」
正登の言葉に小牧が頷いて。愛はしゃくりあげたままで正登を睨みつけた。
「ふざけんじゃないわよっ!! その馬鹿にきっちし責任取らせなさいよっ!! ……っそれとも、アンタはその馬鹿庇おうってつもりなのっ!!?
…………ざけんじゃないわよっ! そんならアンタもぶん殴ってやるからっ!!」
言葉だけ聞けば威勢はそのままだけれど……。先までの怒りの雰囲気と違って、愛が今醸し出している雰囲気は、不安の色が濃い。
十歳にも満たないだろう女の子は、自分達の大好きな先生をなんとか助けたいと。それだけでここまでやって来た。
正登の記憶が正しければ、愛の先生の普段暮らす地域から反南までは、電車を二つ乗り継がねばならない。時間にして、一時間強。この年頃の子どもが一人で乗り込んで来るには、相当の距離だ。それを、愛はやって来たのだ。
ならば。後は、大人が動く番だ。事情を知るものとして、事情を聞いた者として、誰より当事者として。正登が、小牧が、仁科が、動く番だ。
「……ここまで来るの大変だったでしょう? おばちゃん達が責任持って、ねぼすけ王子は叩き起こすから、ね?」
「後はお兄ちゃん達大人に任せてくれるかな? 愛ちゃんをここまで動かしたんだから、次に動くのは大人の番だよ」
小牧と正登の言葉に。愛は唇を噛み締めた。
「……絶対だからね!! 絶対、その馬鹿なんとかしてよっ!!? このままお姉ちゃんが倒れるようなことがあれば、アタシ又来るからねっ!! アンタ達が何て言おうと、ぶっ飛ばしてやるかんねっ!!!」
正登と小牧を睨みつけて宣言して。愛は病院ロビーを去った。愛が去った方角を見ながら、小児科病棟看護師長が溜め息を吐く。
「……さて? まずは長谷川さんが誤解してることを伝えるところから始めなきゃならないのかしら…………」
「でしょうね~。確か、仁科センセ、避けられまくってるはずですもん。おまけに、本人が理由も事態も理解してないんですから」
とにかく、長谷川さんが見た場面を仁科センセに知ってもらって。それから、仁科センセに誤解を解いてもらうしかなさそうですよね。
正登の言葉に小牧も頷く。丁度、正登の今夜の勤務は貴悠と被っていたはず。そのときに切りだすか……。正登も内心で大きく溜め息を吐いた。
深夜の病棟、何を誰が仕組んだのやら……。救急の受け入れ要請も急患もやけに少ない。が、正登には好都合だ。
自分の勤務を終えた正登は、小児科の当直室の扉を叩いた。扉を開ければ、仮眠を取っていたのだろう小児科アイドル。驚いた様子の貴悠を制して、正登は切り出した。
「勤務中に悪いんだけどな、話がある。率直に訊くぞ。貴悠、お前、この間、長谷川さんから避けられてるって言ってたよな?」
正登の言葉に貴悠は目を白黒させている。不意なきっかけで打ち解けた同い年。とはいえ、勤務中は、別病棟の医師と看護師。正登が貴悠を呼び捨てにすることもないし、貴悠も距離を置いている。砕けた言葉を病院内で使うことは殆どない。
「……そうだけど……。昼間、電話もメールも入れたのに応答なし。……これで、ほぼ二週間近く音沙汰ないんだ……」
正登の言葉と態度でなのか、貴悠も友人としての言葉遣いで返す。項垂れた様子の友人に、正登は大きく溜め息を吐いた。
「その件で話があるんだよ。昼間、『小児科の仁科を連れて来いっ!!』って、受付に乗り込んで来た女の子がいてな……。新居愛ちゃんって言って、弟の名前が心君って言うそうだ。
で、その愛ちゃん曰く、『弟の大事な長谷川先生に散々付きまとった挙句、他の女性と結婚するとか言い出した馬鹿男を殴らせろ!!』ってさ」
正登の言葉に、貴悠は疑問符を浮かべている。正登はもう一度溜め息を吐いた。……噛み砕いて説明するしかないだろう。
「……貴悠、お前、二週間前に、親戚に騙し討ちで見合いに連れ出されたんだってな?」
「え? あ、あぁ、小牧さんからでも聞いたのか? あれ、参ったけどね……。だけど、勿論、当日に断り入れてるよ?」
正登の言葉は貴悠に苦笑いは浮かべさせたが、貴悠は事態に気付いたわけではないようだ。コイツはなんでこういうとこで鈍感さを発揮するんだ!! 普段の観察眼と推理力は何処行った!!
「……お前が騙し打ちを仕組んだ親戚に抗議の電話入れて戻ったとき、お相手がなんか言ってたんだよな? それ、覚えてるか?」
「……何処まで聞いてんだよ。あ~、なんか子どもが話しかけてきてたらしくて、話を飛ばされてて参った」
「いいから、相手の言葉を復唱してみろ」
正登の言葉に、貴悠は首を傾げた。
「えっと、『リボンの可愛らしい女の子に話しかけられました』と、『お幸せにって言われて……』…………だったと思うけど?」
「……そこで職業病を出すのがお前だって解っちゃいるんだけどな……。貴悠、お前、わざわざ自分達を選んで話しかけてきた『女の子』の正体に気を回せないか?
店の中で人間が溢れ返ってる中、自分達を選んで話しかけて、『どういうご関係ですか?』って訊いてるんだぞ?」
ここまでヒントを出しても、貴悠はまだ気付いていないらしい。正登の方は本気で頭が痛くなってきた……。
「……貴悠、お前、大学時代に散々からかわれたんだよな? 『面立ち優しいベビーフェイスの仁科君』って」
「うるさい! 放っとけ!! だからなんだよっ!!?」
正登の言葉は貴悠の声を尖らせたけれど、ここでそれを気にしている場合ではない。もう、はっきり言ってやるしかないだろう。
「……落ち着いた雰囲気してるから、あまり言われないのかもしれないけど、長谷川さんも童顔って言っていい顔立ちの子だと俺には見える。で、親戚が連れて来たお前の見合い相手は、年上だったんだよな?」
「……武原、おまえ、よく見てるね。普段の物静かな雰囲気で相殺されてるけど、おまえの言う通りだと思うよ? 結構、幼いって言われる顔立ちなんじゃないかな……」
…………まだ気付かないかっ!!? 全く辿り着く様子が無い友人に、内心何度目になるか解らない溜め息を吐くしかない……。
「……貴悠? お相手は『リボンの女の子が話しかけてきた』って言ったんだよな? 訊くけど、長谷川さんが普段髪を結んでるのは何だ?」
「……? そうだって言ってる……!!! って、えぇ!!? ちょっ、まさか!!?」
「ようやく辿り着いたか? そう、話しかけてきたのは、『リボンで髪を結んだ』長谷川さんだ。幼稚園児や小学生の女の子なんかじゃない。
話を戻すが、お相手はお前が戻ったときに話を飛ばしてたんだよな? その女性は、長谷川さんにも同じ答えを返してる。
『知人の紹介からなんです。貴悠さんのお仕事の都合もありますけれど、出来れば早めのお式がいいなって』って、長谷川さんに言ってる。……お前が避けられてるの、当たり前なんだよっ!!」
正登の言葉に。今度こそ、貴悠は蒼褪めた。正登も大きく息を吐く。お相手の女性とやらも全く厄介な事態を引き起こしてくれた……。
とにかく、彼女が何を誤解しているかは友人には伝わったはずである。後は、友人がアクションを起こさない限りどうにもなるまい。
しかし、彼女の方が友人を完全に避けている状況でどうしたものか……。思案する正登を余所に、友人は徐に鞄から私物の携帯を取り出している。
取り敢えずは、メールを入れるのだろう。正登はそう判断した。……が、しかし。友人の行動は、正登の予想を遥かに上回っていた……。
――――トゥルル、ルルル、ルル…………。
当直室に響くは携帯電話からの呼び出し音。あまりのことに呆気に取られる正登を他所に、友人の携帯が相手との繋がりを告げる。聞こえてきたは……。
「『はい、長谷川です。御用件のある方は』…………は、はいっ!? 長谷川です!!」
コール音の後、繋がった留守番電話らしきメッセージを遮って。慌てたように電話の向こう、突然の電話に飛び起きたのだろう女の子の声がする。彼女の声は、はっきり寝起きで驚いている……。
……当然である。正登と貴悠がいるのは、深夜の病棟の当直室。時計の針が示す時間は、夜中の二時。しかも、留守録に繋がったところを見るに、貴悠が掛けたのは相手の携帯ではなく家の固定電話だ。
何事かっ!? そう、身構えるのが普通の反応である。と、いうか、コイツ、一般常識をすっ飛ばしやがったっ!!
頭を抱える正登に更なる追い打ちをかけたのは、急患の来訪を告げるドクター呼び出しのPHS。
しかも、かなり緊急性の高いものだったようで……。呼び出しの内容を聞いて、私物の携帯をそのままに。貴悠は当直室を飛び出して行ってしまった……。
放り出された携帯片手に、途方に暮れたのは正登である。電話の向こうでは、非常識な時間の電話に叩き起こされたのだろう相手の困惑した声……。
「……あの?」
「……あ、ごめんね。ちょっとウチのドクター、緊急呼び出しかかっちゃって……」
成す術なく電話に応対した正登の声に。電話の向こうの相手の声が更に戸惑うのが否が応でも解ってしまう……。
「……? え、あの、えぇと? お声に聞き覚えがあるんですけど……。えぇと、入院中にお世話になった看護師さんですよね? え? で、なんで、私の番号……」
「あ、うん。反南病院の看護師の武原です。えぇと、ごめん。なんで番号を? って言われると、掛けたのがウチの仁科だから……って言うしか……。
で、肝心の仁科センセは呼び出しかかって、この携帯の存在忘れて飛び出してって診療中……?」
相手の困惑が手に取るように見える気がして。正登は溜め息を吐いた。今日一日で何度目になるのか、既に正登には判らない……。
非常識な電話を掛けた友人ドクターは、きちんと叱っておくから。告げた正登に電話の向こうから返ってきたのは、困った色と戸惑った色が滲んだ声。
一時間と少し後、当直室に戻った貴悠に。正登が無言で拳骨を落としてしまったのは、ある意味仕方ないだろう……。
正登の暴挙に憤慨した貴悠も、正登が無言で示した布団の上の携帯電話に流石に黙らざるを得なかったようだけれど……。
しかし、懲りもせずに再び携帯のボタンを押しかけた貴悠は、合計二回、正登の鉄拳制裁を喰らう羽目になった。
「……った!! 武原、何すんだよっ!!?」
「馬鹿!! 頼むから、一般常識すっ飛ばすのは止めてくれっ!! 時計を見ろ、時計を!! 夜中の三時を回ったところだぞっ!?
世間様では深夜って呼ばれる時間なんだ!! 普通の人間は寝てんだよっ!!」
「……あ、そうか…………」
一般常識をすっ飛ばした行動に出た友人に大いに疲弊させられた出来事から数日。病院の会計窓口付近の待合の椅子。鮮やかな青のリボンで髪を結んだ姿を見つけ、正登は声を掛けた。
「……こんにちは、長谷川さん。こないだはごめんね。常識すっ飛ばしたヤツは叱っといたから。今日は……診察かな?」
突然話しかけられて驚いていたようだが、彼女は穏やかに微笑んだ。季節に不似合いな厚い生地の大きめサイズのパーカーと、念入りな化粧。服装とメイクで誤魔化しているつもりでも、お世辞にも体調が良さそうだとは正登にも見えない。
「……アハっ。……ホント、流石にびっくりしました……。人の心臓止めるような行動は控えて下さいって伝えて下さいます?」
クスクスと笑う声は小さい。声に潜めた哀しみが隠しきれていないことに正登が気付けるほどに、小さくて淡い微笑み……。
「……長谷川さんから避けられてるっていうことで一杯になって、非常識やらかしたんだろうと思うんだけどね……。これ、俺から言っちゃ駄目だろうとは思うんだけど、二人さ、ちょっとすれ違ってるかなって……」
隠せていない弱々しさに、思わず正登は口を開いたのだけれど……。彼女は静かに首を振って、正登の言葉を拒絶した。弱さの中の強い拒絶に、正登も知る。
これは、仁科でなければ……。この子は、正登達が何を言って諌めたところで、仁科の言葉でないものは遮断してしまうだろう、と。
「……構わないんです。もう知っていますし。ただ、そうですね。お願い出来るなら、一言だけ。
一言だけ、恨みごとをお伝え願えます? …………知らされなかった哀しさを、貴方は知ってくれていると思ってました……って」
――――クスッ。どう言っても逆恨みにしかなりませんし……。本当にお伝え頂かなくて結構ですよ? というか、伝えられると却って困っちゃうので……。
自嘲気味に微笑む彼女は、きっとこのままでは誰の言葉も受け入れない。会計から名前を呼ばれて彼女は正登に一礼した。会計を済ませる姿に視線をやりながら、正登は内心で頭を巡らせた。
……正直、参った。正登の想像を遥かに上回って、状況はややこしく深刻になっている。只の第三者の仲介などでは、恐らく事態は良い方向には転がらない。
去年の夏に彼女が入院した経緯ならば、僅かながら知っている。そのエピソードがあっての今回の一件だ。
誰だって、むざむざ傷付きたくなどない。彼女は貴悠の後輩である同級生を子どもの頃から想い続けていた。
――――けれど、選ばれたのは、彼女の妹で……。貴悠が現れるまで、泣いていたという女の子。
会計を終わらせたらしい。彼女がこちらに会釈しようとして……固まった。彼女の視線を追えば、友人の小児科ドクター。不意のことに双方とも固まっていたが、先に動いたのはどちらだったか……。
呼び止めようとした貴悠を、彼女の言葉が遮った。
「……あ、えっ……あの、知ってますから!! ……もう、いいですから…………。ごめんなさい、お稽古の時間があるので失礼します。……番号とアドレスは消しておいて下さいね」
――――仁科さんもお元気でお過ごし下さい。
ぺこりと深く一礼して。彼女はそのまま走って玄関を飛び出してった。慌てた貴悠が何度か呼び止めていたが、彼女は振り返らない。
貴悠の方も追いたくとも追えないだろう……。勤務時間中である上に、貴悠の後方、小児科の看護師が貴悠の名前を呼んでいる。
単純な行き違いとすれ違いが、どこをどうしたら、ここまで厄介事に発展した挙句、こうも間の悪さを連ねられるものなの……。正登は痛む頭を押さえた。
その日の夕方、職員駐車場で、小牧に捕まえられることとなった正登は、用件を聞いて更に深く嘆息する羽目に陥った。小牧は宮尾から聞かされたという。
ピアノ教室の先生は、今日の診察で、反南から自宅付近の病院への紹介状を依頼してきたらしい。反南への通院はもう困難だから、と。
……それで、今日のあの言葉だったのだ。リボンの彼女が貴悠に向けた今日の言葉。二度と会わない覚悟の上での言葉……。
――――仁科さんもお元気でお過ごし下さい。
「……長谷川さん、本気で覚悟決めちゃってるってことですよね?」
「そういうことになるでしょうっ! あ~、もう!! どうしたらここまで拗れるのか、いっそ天晴れだわよっ!!」
仁科センセは仁科センセだし……。続けられた小牧の言葉に正登が首を捻ると、小牧が大きく溜め息を吐いた。
「ホントならね、自宅に押し掛けるなり職場で待ち伏せるなりして、どうにかして本人捕まえて、仁科センセが誤解を解けばそれでいい話のはずでしょうがっ!! だけど、あのセンセ、変なとこで弱気出すのよ……。
『なんでそうしないんです!!』って、問い詰めて、返ってきた答え、信じられないわよ。『弱ってた雛を放っておけなくなって、そしたら雛が懐いてくれて……みたいな始まりだったから、何処まで強気に出ていいのかが判らないんです』って言うのよっ?」
小牧の言葉と貴悠の言葉に。はっきし言って、正登は呆れかえるしか出来ない。始まりがどうあれ、既に彼女は貴悠を見ていることは明白で……。そうでなければ、『貴悠が結婚する』という言葉に、教室の子どもが乗り込んで来なければならないような痛手を受けているはずがないのだ。
「……わかりました。それなら仕方ないですよね。長谷川さんの方が覚悟決めてるんです。仁科センセの方にも覚悟決めてもらいましょう」
小牧さん、すみませんが、幾つか手配して欲しいものがあるんです。正登の言葉に耳を傾けていた小牧は、話を聞いてニッコリ笑った。
「……そういうことなら、手近に打って付けの人材がいるわ。確かにそうね。仁科センセに覚悟決めてもらいましょ」
翌日、正登は同僚に頼みこんでシフト調整を願い出た。事情を聴いて、同僚は二つ返事で引き受けてくれた。……一週間後、勤務中の休憩時間。
ある目的で正登は小児科病棟を訪れた。詰め所のカウンター越し、正登が大きな声で話しかけたのは、小児科病棟看護師長。
「あ、小牧さん! 例の件、どうでした?」
「あぁ、武原君、そうだ、そのことでお礼言わなきゃと思ってたのよ。子どもの方はもうすっかり懐いちゃってるらしいわ。長谷川さんも、流石に本職よねぇ……」
こっちの病棟に出入りしてくれてたときの子ども達の扱い方も素晴らしかったみたいだし? 小牧の言葉に、カウンターの背後のデスクで仁科の背中が揺れたのを確認して……話を続ける。
「ただねぇ、一つ困っちゃってるのよねぇ……。知り合いが親戚の子どもさんのピアノの先生を探してるって話だったから、武原君にお願いしたんだけど……」
「どうかしたんですか?」
正登の促しに小牧が大きく息を吐く。
「ピアノの先生で適当な人いませんかって言ってきた知り合いの男の子、どうも長谷川さんを気に入っちゃったらしいのよねぇ……。
彼女の方がよければ付き合いたいって言いだすかもしれないわ……。でもねぇ、そういうつもりで紹介したわけでもないし……。どうしたもんかと……」
「あらら、意外な展開ですね。でも、年の頃も丁度良いくらいの方ですよね? なら、案外上手くいくかも知れませんね」
そこから、正登と小牧は声を顰める。ヒソヒソヒソ……と。背後のデスクの仁科には、殆ど何も聞こえていないだろう。二人とも、意味のある単語は聞こえるように、他は話しこんでいるふりをしているだけなので……。
貴悠に聞こえたであろうキーワードは、五つほど。『長谷川』・『知り合い』・『気に入った』・『上手くいく』…………。『仁科がいるのでこの話はあとで』……。
そのまま正登は小児科病棟を後にした。勤務の終り、職員駐車場の片隅に貴悠の姿を確認して、正登は小牧と話しながら歩く。貴悠には気付いていない様子で……。
「小牧さん、で、昼間の件は?」
「あ~、あの件ね。まぁ、もう気に入っちゃってるのを無理に引き剥がすわけにもいかないじゃない?
なるようになるかって思い始めたとこよ。長谷川さんには騙し討ちみたいで悪い気もするんだけどねぇ……」
「あぁ、長谷川さんからすれば寝耳に水ですよね。でも、却って彼女には良い結果に繋がるかもしれませんね……」
「そうねぇ……。仁科センセのことがあったばかりだものねぇ……。まぁ、悪い方向にいかないことを祈るしかないわ……。長谷川さん、もう反南に来る気もないみたいだし」
「そうですね……。そういえば、既にその人は長谷川さんに次の約束取り付けられたとか?」
「そうそう。行動が早くて感心するわ……。えぇと、ここの駅近くで最近オープンしたカフェがあったでしょ? 次の土曜に二時前に待ち合わせって言ってたかしら……」
「あぁ、お洒落で可愛いって、反南の看護師達にも騒がれてる店ですね? 煉瓦造りが洒落た感じの」
と、そこまで筒抜けに響かせておいて、正登は小牧に一礼して別れた。駐車場の片隅、貴悠が車の陰で今の会話を全て聞いていることは、勿論ながら計算の上である。
日程のヒントも店のヒントも出し尽くした……。仁科貴悠の勤務日程に合わせて組まれた日取りであるのは当然のこと。後はホントに貴悠次第。
――――さぁ、どうする?
土曜日、正登は帽子にサングラスの出で立ちで、小牧との会話の店にいた。時間は午後の一時過ぎ。斜め後方の席、いかにも爽やか好青年といった風の男性と、幼稚園ほどの年の子ども、そして……。
自分達が位置するのは、カフェの中でも外から一番目に付きやすい場所。きゃいきゃいとはしゃぐ子どもに、リボンで髪を結ぶピアノの先生は微笑んでいる。時計の針はそろそろ半を回ったか……。斜め後方の席、男性が小さめの紙袋を取りだした。
お洒落なロゴの入った紙袋は、正登達の世代で今話題を呼んでいるジュエリーショップのもの。中から取り出されたのは、小さめの小箱。リボンの先生はしきりに驚いている様子で……。
――――と、ようやく主人公が現れた。正登には目もくれず斜め後方の席へ一直線に向かい、紙幣をテーブルに叩きつけて……。
「……悪いけど、この子、僕が予約済みなんで!! 返してもらうよっ!! お代、ここに置いとくからっ!!」
何のウケを狙っているのかは知らないが、王子様らしいと言えばらしい。漫画のヒーローのような登場ではある……。呆気に取られているらしいリボンの子を無理やり立ち上がらせ、貴悠は彼女を引っ立てるようにして店を出た。
間を置かずに、店員に一言いれて、正登も席を立つ。店の外、目を白黒させたままの女の子と貴悠を確認して、そっと陰に隠れた。
「…………電話もメールも拒否された挙句、いきなりこれ? 流石に僕もキレることあるんだけど……?」
……おい、お前が怒るところじゃないと……。
「……というか、仁科さんがここにいらっしゃる意味が解りません。大体、仁科さんにキレられる覚えはありませんけど……」
……彼女の疑問と抗議は尤もだろう……。
「!! 本気で言ってる!!?」
「……はいっ? 本気も本気ですっ!! ご結婚、おめでとうございます!! いいからもうそっとしといて下さい!! 結婚するって人が私に構わないで下さいっ!!」
憤った貴悠に、彼女の方も幾つか感情の枷が外れたようで……。最早、完全に売り言葉に買い言葉になっている……。
「だから、それは誤解だって言ってる!! あの店のリングだって、いつから僕が用意してたと思ってるんだっ!!? 普段の演奏に邪魔にならなくてイメージに合うモノ探すのにどれだけ苦労したと……!!」
「……な!! …………え、えぇと? ……は? ……あの…………?」
あ、駄目だわ、これ。会話が全く噛み合っていないことに、彼女の方は今気付いた様子だが……。頭に完全に血が上っている様子の貴悠は気付いていないだろう……。
帽子とサングラスを外し、正登は貴悠の肩を叩いた。
「……ハイハイ!! その辺にしとけ? 貴悠、お前、無茶苦茶だ!!」
唐突に現れた正登に、双方とも驚きを隠せない様子だったが……。そんな二人を気にせず、正登は続ける。
「貴悠? お前さ、長谷川さんからすれば『誤解を解かれた覚えが無い』ってこと、気付いてるか?」
「なんでだよっ!? 勝手に親戚が仕組んだ見合いに騙し討ちで連れ出された挙句、僕がいない間に話を飛ばされてただけだろっ!!? 話をおまえから聞いて、直ぐに電話掛けてるだろっ!!」
「……はい? 誤解? ……騙し討ち? え? え、えぇと…………、え? あの、話が見えないんですが……」
三者三様の言葉が飛び交って暫し……。ようやく貴悠は気付いたらしい。それは見事に固まった。
「あの日、僕、呼び出しかかったんだ……」
「思い出してもらえたか? 非常識な時間の電話の挙句、携帯放り出して飛び出してったよな?」
「……えぇと? 武原さんから頂いた深夜のお電話ですか……?」
「うん。あの日、長谷川さんが疑問を持ったでしょ? そのときも言ったけど、掛けたのコイツ」
「……ホントに誤解なんだよ。何にも知らされずに連れ出された先が見合いの席だったんだ……。けど、勿論当日に断ってる!! 余計な真似した親戚にも釘は差したし、お相手にも断った。
申し訳ないけれど、交際を考えてる女の子がいるって……。森村の件からそんなに時間も経ってないし、ゆっくりいこうと思ってたんだ。でも、だからって、これはないだろっ!?
いきなりメールも電話も繋がらなくなるし、人の顔見て逃げるし、挙句、他の男にアクセサリー渡させるなんて、そんなつもりじゃないっ!!」
キョトンとしている彼女に気付かず、貴悠は憤慨しているが……。彼女の方は困惑している。そろそろ頃合いかな? 内心考えた正登に合わせたように。二つの影が現れた。先の子どもと……小児科病棟看護師長の小牧伸子氏。
「……お兄ちゃん、パパが長谷川先生に渡したのは、ボクのママでパパの奥さんからのご挨拶のクッキーだよ? ね、おばあちゃん」
「悪く思わないで下さいね、仁科センセ? 元を辿れば、誤解を撒いたり、はっきりしなかったりするセンセが悪いんですから……」
「……は?」
呆けた声は、仁科貴悠センセ。だが、リボンの先生も困惑している……。遅れて姿を現したのは、先程ジュエリーショップの紙袋を取りだした男性。
――――役者全員揃ったところで、種明かしをすれば…………。
男性は小牧の息子。子どもは孫息子。……病院での一件から暫くして、武原正登がピアノ教室に電話を掛けた。長谷川先生を指名して……。
リボンの先生に伝えられたのは、知人の夫妻が子どものピアノの先生を探しているのだけれど、子どもは人見知りをする方なので悩んでいる。もしよければ相談に乗ってはもらえないだろうか? という内容。
お人好しの長谷川先生が断るはずもなく、正登が指定した場所と時間に彼女はやって来た。で、彼女は知らされていなかったことだが、正登の言った知人とは、他ならぬ小牧である。やって来たのは、小牧の息子と息子の子どもで小牧の孫……。
武原と小牧が病院で会話した『長谷川さんを気に入った知人の男の子』は、正しく表現すれば『年齢六歳の幼稚園児』の男の子。
先に断っておくが間違ったことは言っていない。小牧は確かに疑いようなく正登の知人、六歳の男の子でも男の子には変わりはない。
――――と、種明かしに脱力している貴悠を他所に…………。外野は和気あいあいと盛り上がった。小牧の息子も孫も小牧自身も、すこぶる愉しそうだ……。
「だっけど、あんな登場の仕方されるとはね……」
「お兄ちゃん、結構かっこよかったね!! お姫さまを助けに来た王子さまみたいで!!」
「センセ、やる気になればちゃんと出来るんじゃないですか!!」
「……長谷川さん、誤解は解けたかな?」
「へ? ……え、えぇ、あの……。 ええと、あ、あの、仁科さん…………?」
脱力状態からは回復したようで。貴悠は身体を震わせている……。
「……ひ、人で遊ぶな~っ!!」
響き渡った貴悠の怒鳴り声に……。それぞれ目配せを交わしあって、正登も小牧も息子達も逃げ出す。
逃げる正登の後ろ、聞こえてきた微笑ましい会話は、友人の立場に免じて聞かなかったことにしてやろう。
正登の後方、先程小牧の息子が取り出したのと同じ袋、但し、中身は随分違いそうな小箱を押し付けている友人の姿。
――――結構高かったし勇気要ったんだからね、そのリング。返して来いっての、もう受け付けてないから。
――――私が頂いて良いものなんですか?
「二回も三回も言いたくないんだけど、他の人間に買ったつもりないよ」
「……なんか、言い包められてるって言う気もするんですけど……」
――――手のかかる王子さま、どうやら無事にお姫さまは捕まえたらしい……。
後書き
作者:未彩 |
投稿日:2015/12/22 19:35 更新日:2015/12/22 19:35 『人魚姫のお伽話』の著作権は、すべて作者 未彩様に属します。 |
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