作品ID:1617
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人魚姫のお伽話
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結
前書き・紹介
「みつけた幸せのエピローグ」 ――2
前の話 | 目次 | 次の話 |
――――『わたし、巧君のこと、好き』
グレーの生地に縁に赤いラインの二つ入ったジャンバースカート、広めに空いた襟ぐりのシャツ。白いシャツの襟にはスカートと同じ赤色のライン。
シャツの襟から除くのは、薄いピンクのギンガムチェックのスカーフタイ。タイの左下には、大きく入れられた校章の紋様。
ジャンバースカートの上に羽織るのは、スカーフタイとお揃いの淡いピンクのブレザー。学年章と名札を付けたブレザーのポケットから覗くのは、赤い造花の薔薇のリボン。
……ああ、あれは小学校を卒業した日のこと。お互いの両親が色々な人への挨拶回りで離れていた。両親を待つその間の時間、頬を真っ赤にして、小さく告げた。
――――『わたし、巧君のこと、好き』
心臓の音を破裂させそうになりながら、ギュッと瞳を閉じて返事を待つ優卵の耳に聞こえたのは、優卵が待つ相手の声でも返答でもなく……。
――――あ~!! お姉ちゃん、ズルイ!! 希生も、希生も!! 希生も巧くん、好きなのにっ!
周囲の期待に大人の子どもに成らざるを得なかった優卵とは違う、無邪気な子どもの声が響く。無邪気で残酷な妹の声が……。
優卵は確かに早熟な子どもだったのだろう。優卵が抱く『好き』は、『恋愛感情』に近いものだと優卵は知っていたけれど……。
小学六年生の男の子には、優卵が振り絞った勇気の意味は伝わらず、優しい笑顔と哀しい言葉だけが返った。
――――『ぼくも優卵ちゃんが好きだよ。勿論、希生ちゃんも好きだよ。だから希生ちゃんも拗ねないで?』
白地に緑のセーラーカラーの少し変わった形のブレザー。結ぶスカーフは大きな藤色のリボンタイ。セーラーカラーとお揃いのプリーツスカートに、紺のハイソックスは学校指定の紋章入りのもの。
白いブレザーに臙脂色で刻まれた校章のポケットに覗くのは、学年章と生徒章、そして、作られたピンクのスイートピーのリボン。
……ああ、これは中学を卒業した日。綺麗にアイロン掛けしたプリーツスカートを思い切り握り締めて。皺が出来るくらいに握り締めて、振り絞れ、と、自分に言った。
――――『私、巧君のこと、好き』
流石に巧は驚いて、瞳を瞠った。
――――『え、僕も優卵ちゃんのこと、好きだよ?……』
――――さっがしたぁ~!! 二人ともずるいっ!! いっつも、そうやって希生を置いてく!!
残酷な声がそこに響く。
――――言っとくけどね、お姉ちゃんのことが好きなのは希生のほうが先なんだから!! 希生のお姉ちゃんなんだからっ!! 希生だってお姉ちゃんのこと、誰にも負けないくらい大好きなんだからっ!!
希生の言葉で優卵の言葉は掻き消されて…………。いつかと同じ言葉が返る。優卵は勇気を振り絞り過ぎて、もう声が出ない。十二の希生の『好き』はとても無邪気で大き過ぎる。
受け入れられるのが当然に育った妹の言葉は、『無邪気』なゆえに大き過ぎて、『抑える』ことを『知っている』優卵の言葉を消してしまう。十五の優卵の『好き』を掻き消していく……。
先生方への感謝を込めた謝恩会、優卵はクラスを代表して、感謝の気持ちを込めた合唱の伴奏を務めた。謝恩会の終わり、クラスメートたちが優卵を称賛する。
――――優卵ちゃんの演奏って凄いよ、なんか歌ってる私たちまでほんとに哀しくなってきちゃったもん。ああ、もう中学生も終わりなんだなぁって思わせてくれてさ、先生方への気持ちが溢れ出ちゃって……。
クラスメートたちの賞賛に、優卵はもう一度、勇気を振り絞った。謝恩会の帰りの道筋を一緒に歩く彼に、息を切らして追い付いて、告げる。
――――功君っ!!
他のクラスメートたちに囲まれ、輪の中で遥か後方を歩いていたはずの優卵が、息を切らして走ってきたことに驚いている様子には構わず、優卵は必至で言い募った。
――――あのね、ピアノ、聞いて欲しいの!! 私、巧君と作った曲、私なりにアレンジして完成させるから、ピアノ聞いて欲しい。あの曲で、私、歌詞を付けて歌うから、ピアノを聞いて!!
これならば、と優卵は思ったのだ。クラスメートたちが賞賛してくれるような力が、もしもほんとに自分にあるのなら。優卵のピアノにあるのならば、優卵はピアノで伝えよう、と……。
自分の言葉は希生の子どもの言葉には敵わない。けれど、優卵には希生が出来ないことが一つだけある。希生は習って直ぐに二年で辞めた。でも、優卵はずっとピアノと過ごしてきた。
ピアノでならば、ピアノの演奏ならば、優卵の心は掻き消されはしない。クラスメートたちが、そう言ってくれた。優卵のピアノは人に伝える思いを持つと……。
先生方への感謝と中学生活に思いを馳せて奏でたピアノは、クラスメートたちの心にも響いたと、友人たちが告げてくれた。
――――えっと、よくわかんないけど……。わかった、じゃあ、優卵ちゃんが完成させる曲、楽しみにしてるよ。完成したら一番に聞かせてね?
――――うん、約束する。一番に聞いて!!
洗面台の前で泣き腫らした瞳を洗い流し、髪形を整えながら、優卵は微笑む。鏡に映る優卵の微笑みは、殆ど自嘲といってもよいもので、優卵にはもう苦笑いしか出来ない。
「…………二人の結婚式に弾くために完成させたいと言った訳じゃなかったのよ。ねえ、巧君、あの日の約束、いつの間に反故にされていたの、私……」
呟きは決して届かない。否、もう決して届けてはいけないものになってしまった。優卵は今日、彼らの結婚式のための初めての打ち合わせの場所に出るのだから…………。
「色々とお世話になりました。本当にありがとうございました」
ニコリと微笑んで一礼すると、詰所の看護師が優しく微笑み返してくる。
「これからまだ暫くは通院もあるし、大変だとは思うけど、元気でね、長谷川さん。無事に退院が決まって、本当によかったわ。あんまり無茶したら駄目よ?」
激励の言葉と一緒にしっかりと釘を刺されてしまえば、優卵は苦笑するしかない。
「はい。本当にお世話になりました。それじゃ、失礼します」
入院中に随分と増やされてしまっていた荷物は、退院が決まってから、あらかた父親に車で自宅へ送ってもらっているので、手に掲げているのは中身の軽いボストンバッグ一つ。
それと普段から持ち歩くハンドバッグ。ハンドバッグはショルダーにして、両手にボストンバッグを掲げた姿のまま、もう一度だけお辞儀して、エレベーターの方角へと足を進める。
「なんか、ここ最近、色々有り過ぎた気分……。教室の子どもたちにも迷惑かけたし、先生方には何か手土産を持参するべきよね。何がいいかしら。
先生方には御店のケーキか何かとして、子どもたちにも必要かしらね。子どもたちには御手製で我慢してもらっちゃおうかな……」
教える教室の子どもたちの顔を思い浮かべながら呟けば、もう一つの教室の子どもたちの顔が思い出された。短い期間だったけれど、縁在って一緒に過ごした小児病棟の子どもたち。
「病棟の子どもたちには、お菓子なんていうわけにもいかないものね」
あれやこれやと浮かべるうちに、エレベーターが到着音を告げる。
「ええっと、忘れ物は……ないわね。会計は済ませてるし、電車が混雑しない間に帰っちゃお」
呟いた言葉と乗り込もうとしたエレベーターは、何故か遮られてしまった。荒い息を吐く人の手が、エレベーターの開閉ボタンの閉じるを勢いよく押し潰していて……。
瞳をパチクリとさせながら疑問符を浮かべた優卵は、背後を振り返ってギョッとした。ゼェハァと息を吐きながら、据わった瞳で微笑んでいる人影がいる。
「忘れ物、大有りだと思うんだけど? 僕、昨日から当直明けで勤務に入ってるんだよね。ここ数日間、夜勤明け続いてたし、宮尾先生の伝言無かったら、知らずに帰られてるとこ!!
メアドもケー番も聞いてなければ、何日に何処で何時に待ち合わせとかも何にも決めてないよね? それ、あんまり酷くない?」
「へ? え、あれ、仁科さん? え、もしかして、私、怒られてます?」
佇む影にキョトンと返せば、相手は引き攣り笑いを浮かべた。
「解ってもらえて光栄です。ケーキ屋さん、連れてってもらう予定だったと思うんだけど?」
相手の言葉に、優卵は驚きしか返せない。
「え、社交辞令じゃなかったんですかっ!?」
優卵の言葉に、仁科は眉根を寄せた。
「子ども相手の仕事してる僕が、実現させられない意味のない約束をすることが、どれだけ子どもにとって傷を付けることかを知らないとは思わないで。
僕はどうしても必要な場面以外で、実現不可能な約束や、社交辞令での約束をしません!! すっごく心外だけど? で、これ、とりあえず、僕の番号とアドレス」
一息に捲し立てられて、優卵は呆気にとられたのだが……。捲し立てられた言葉の中に気になるフレーズを見つけて恐る恐る口を開く。
「……今、さりげなく人のこと、子ども扱いされませんでした?」
が、言葉は無視されてしまって、にっこりと微笑まれるのみ。仁科の番号とアドレスが書かれた名刺と共に、白衣から取り出したメモ帳を押し付けられ、ついでにペンまで押し付けられて…………。
何処か有無を言わせない圧力に負けて、優卵はメモ帳に自分のアドレスと番号を綴る。渡したメモに、目の前の相手はにっこりと微笑んだ。それまでの威圧感を漂わせたものではなく、優しい笑みで。
「じゃあ、今度、ケーキ屋さんでね。幾つか日程の候補挙げて連絡入れておくから、都合のつく日を教えて。それから、退院、おめでとう」
ポンッと頭の上で手を弾ませられて、優卵は微笑む。
「…………なんか、本当に病棟の子どもたちと間違われてる気がしないこともないですけれど……。分かりました。連絡、お待ちしてますね」
優卵の言葉でニコリと微笑んだ仁科は、右手の腕時計を見て、慌てたようにそのまま駆け出した。突然のことで再び呆気にとられた優卵は、背後からこの二週間で聞き慣れた声に話しかけられて、二重に驚く。
「おやおや、伝言入れておいて正解のようだね。あの様子じゃ、持ち場から休憩もぎ取って走ってきたようだねぇ……。ま、とにかく、退院おめでとう。
この先も暫くは通院してもらうことになるが、くれぐれも無理はしちゃいかんよ? まぁ、小児科ドクターがついとるようだから、そんなに心配しちゃおらんけどね」
この二週間お世話になった主治医の姿に、優卵は慌てて頭を下げる。
「わ、お会いするとは思ってなくて……。失礼しました、二週間、本当にお世話になりました」
優卵の言葉に主治医は笑みを浮かべて肯いて、そのまま立ち去った。
「……で、何を悩んでるの?」
「だって、悩むじゃない! この大粒イチゴのタルトって本当に人気なの!! 売り切れの時のほうが多いし、でも、この、季節限定のマスカットのタルトも今日までなのよ?」
メニュー表を片手に、かけられた言葉に思い切り噛み付いて…………。自分の言動に気付いた優卵は、ギョッとして顔を上げた。しまった、と思う。
普段は売り切れ御礼のタルトが二種類も残っているのにすっかり心奪われていて、気心知れた友人と来ているのではないことを綺麗さっぱりと忘れていた。
案の定、テーブルの向かいで肩を震わせて笑いを堪えている人影がいる。無論のこと、仁科である。それでなくてもこの間から、子ども扱いされていたのに……。
「し、失礼しました!! えと、ちょっとケーキの方に頭が行ってて……。あ、えと、ええと、仁科さんは決められました? 私、ちょっと選びきれないので、今日は紅茶にしておきます」
「…………っくっくっくっ。それじゃ、店員さん呼ぶけど?」
肩を震わせて笑いながら返された言葉に、優卵は真っ赤になって俯いた。どうも、いつもの調子が狂う。一番弱っているところを見られてしまっている所為だろうか、こんな失敗、普段の自分では在り得ない。
「ええと、アイスのハイビスカス&ローズヒップをシトラスのシロップで」
「んーと、ホットコーヒー。それと、季節のマスカットタルトと大粒イチゴのタルト、一つずつ。あ、申し訳ないんですけど、半分ずつにしたいんで、カット用のナイフも一緒にもらえますか?」
仁科の言葉に店員はにこやかに微笑んで肯き、注文を繰り返しているが、優卵の方は瞳を丸くして固まった。完全に先ほどの言動を酌んで注文されている。
「え、え、え?」
「懸念事項は解決したかな?」
ニコリと仁科に微笑まれ、優卵はガクリと肩を落とした。もう本当に、これでは手のかかる子ども扱いである。周囲の自分への評価を知るだけに、優卵からすると、やりにくいことこの上ない。
グレーの生地に縁に赤いラインの二つ入ったジャンバースカート、広めに空いた襟ぐりのシャツ。白いシャツの襟にはスカートと同じ赤色のライン。
シャツの襟から除くのは、薄いピンクのギンガムチェックのスカーフタイ。タイの左下には、大きく入れられた校章の紋様。
ジャンバースカートの上に羽織るのは、スカーフタイとお揃いの淡いピンクのブレザー。学年章と名札を付けたブレザーのポケットから覗くのは、赤い造花の薔薇のリボン。
……ああ、あれは小学校を卒業した日のこと。お互いの両親が色々な人への挨拶回りで離れていた。両親を待つその間の時間、頬を真っ赤にして、小さく告げた。
――――『わたし、巧君のこと、好き』
心臓の音を破裂させそうになりながら、ギュッと瞳を閉じて返事を待つ優卵の耳に聞こえたのは、優卵が待つ相手の声でも返答でもなく……。
――――あ~!! お姉ちゃん、ズルイ!! 希生も、希生も!! 希生も巧くん、好きなのにっ!
周囲の期待に大人の子どもに成らざるを得なかった優卵とは違う、無邪気な子どもの声が響く。無邪気で残酷な妹の声が……。
優卵は確かに早熟な子どもだったのだろう。優卵が抱く『好き』は、『恋愛感情』に近いものだと優卵は知っていたけれど……。
小学六年生の男の子には、優卵が振り絞った勇気の意味は伝わらず、優しい笑顔と哀しい言葉だけが返った。
――――『ぼくも優卵ちゃんが好きだよ。勿論、希生ちゃんも好きだよ。だから希生ちゃんも拗ねないで?』
白地に緑のセーラーカラーの少し変わった形のブレザー。結ぶスカーフは大きな藤色のリボンタイ。セーラーカラーとお揃いのプリーツスカートに、紺のハイソックスは学校指定の紋章入りのもの。
白いブレザーに臙脂色で刻まれた校章のポケットに覗くのは、学年章と生徒章、そして、作られたピンクのスイートピーのリボン。
……ああ、これは中学を卒業した日。綺麗にアイロン掛けしたプリーツスカートを思い切り握り締めて。皺が出来るくらいに握り締めて、振り絞れ、と、自分に言った。
――――『私、巧君のこと、好き』
流石に巧は驚いて、瞳を瞠った。
――――『え、僕も優卵ちゃんのこと、好きだよ?……』
――――さっがしたぁ~!! 二人ともずるいっ!! いっつも、そうやって希生を置いてく!!
残酷な声がそこに響く。
――――言っとくけどね、お姉ちゃんのことが好きなのは希生のほうが先なんだから!! 希生のお姉ちゃんなんだからっ!! 希生だってお姉ちゃんのこと、誰にも負けないくらい大好きなんだからっ!!
希生の言葉で優卵の言葉は掻き消されて…………。いつかと同じ言葉が返る。優卵は勇気を振り絞り過ぎて、もう声が出ない。十二の希生の『好き』はとても無邪気で大き過ぎる。
受け入れられるのが当然に育った妹の言葉は、『無邪気』なゆえに大き過ぎて、『抑える』ことを『知っている』優卵の言葉を消してしまう。十五の優卵の『好き』を掻き消していく……。
先生方への感謝を込めた謝恩会、優卵はクラスを代表して、感謝の気持ちを込めた合唱の伴奏を務めた。謝恩会の終わり、クラスメートたちが優卵を称賛する。
――――優卵ちゃんの演奏って凄いよ、なんか歌ってる私たちまでほんとに哀しくなってきちゃったもん。ああ、もう中学生も終わりなんだなぁって思わせてくれてさ、先生方への気持ちが溢れ出ちゃって……。
クラスメートたちの賞賛に、優卵はもう一度、勇気を振り絞った。謝恩会の帰りの道筋を一緒に歩く彼に、息を切らして追い付いて、告げる。
――――功君っ!!
他のクラスメートたちに囲まれ、輪の中で遥か後方を歩いていたはずの優卵が、息を切らして走ってきたことに驚いている様子には構わず、優卵は必至で言い募った。
――――あのね、ピアノ、聞いて欲しいの!! 私、巧君と作った曲、私なりにアレンジして完成させるから、ピアノ聞いて欲しい。あの曲で、私、歌詞を付けて歌うから、ピアノを聞いて!!
これならば、と優卵は思ったのだ。クラスメートたちが賞賛してくれるような力が、もしもほんとに自分にあるのなら。優卵のピアノにあるのならば、優卵はピアノで伝えよう、と……。
自分の言葉は希生の子どもの言葉には敵わない。けれど、優卵には希生が出来ないことが一つだけある。希生は習って直ぐに二年で辞めた。でも、優卵はずっとピアノと過ごしてきた。
ピアノでならば、ピアノの演奏ならば、優卵の心は掻き消されはしない。クラスメートたちが、そう言ってくれた。優卵のピアノは人に伝える思いを持つと……。
先生方への感謝と中学生活に思いを馳せて奏でたピアノは、クラスメートたちの心にも響いたと、友人たちが告げてくれた。
――――えっと、よくわかんないけど……。わかった、じゃあ、優卵ちゃんが完成させる曲、楽しみにしてるよ。完成したら一番に聞かせてね?
――――うん、約束する。一番に聞いて!!
洗面台の前で泣き腫らした瞳を洗い流し、髪形を整えながら、優卵は微笑む。鏡に映る優卵の微笑みは、殆ど自嘲といってもよいもので、優卵にはもう苦笑いしか出来ない。
「…………二人の結婚式に弾くために完成させたいと言った訳じゃなかったのよ。ねえ、巧君、あの日の約束、いつの間に反故にされていたの、私……」
呟きは決して届かない。否、もう決して届けてはいけないものになってしまった。優卵は今日、彼らの結婚式のための初めての打ち合わせの場所に出るのだから…………。
「色々とお世話になりました。本当にありがとうございました」
ニコリと微笑んで一礼すると、詰所の看護師が優しく微笑み返してくる。
「これからまだ暫くは通院もあるし、大変だとは思うけど、元気でね、長谷川さん。無事に退院が決まって、本当によかったわ。あんまり無茶したら駄目よ?」
激励の言葉と一緒にしっかりと釘を刺されてしまえば、優卵は苦笑するしかない。
「はい。本当にお世話になりました。それじゃ、失礼します」
入院中に随分と増やされてしまっていた荷物は、退院が決まってから、あらかた父親に車で自宅へ送ってもらっているので、手に掲げているのは中身の軽いボストンバッグ一つ。
それと普段から持ち歩くハンドバッグ。ハンドバッグはショルダーにして、両手にボストンバッグを掲げた姿のまま、もう一度だけお辞儀して、エレベーターの方角へと足を進める。
「なんか、ここ最近、色々有り過ぎた気分……。教室の子どもたちにも迷惑かけたし、先生方には何か手土産を持参するべきよね。何がいいかしら。
先生方には御店のケーキか何かとして、子どもたちにも必要かしらね。子どもたちには御手製で我慢してもらっちゃおうかな……」
教える教室の子どもたちの顔を思い浮かべながら呟けば、もう一つの教室の子どもたちの顔が思い出された。短い期間だったけれど、縁在って一緒に過ごした小児病棟の子どもたち。
「病棟の子どもたちには、お菓子なんていうわけにもいかないものね」
あれやこれやと浮かべるうちに、エレベーターが到着音を告げる。
「ええっと、忘れ物は……ないわね。会計は済ませてるし、電車が混雑しない間に帰っちゃお」
呟いた言葉と乗り込もうとしたエレベーターは、何故か遮られてしまった。荒い息を吐く人の手が、エレベーターの開閉ボタンの閉じるを勢いよく押し潰していて……。
瞳をパチクリとさせながら疑問符を浮かべた優卵は、背後を振り返ってギョッとした。ゼェハァと息を吐きながら、据わった瞳で微笑んでいる人影がいる。
「忘れ物、大有りだと思うんだけど? 僕、昨日から当直明けで勤務に入ってるんだよね。ここ数日間、夜勤明け続いてたし、宮尾先生の伝言無かったら、知らずに帰られてるとこ!!
メアドもケー番も聞いてなければ、何日に何処で何時に待ち合わせとかも何にも決めてないよね? それ、あんまり酷くない?」
「へ? え、あれ、仁科さん? え、もしかして、私、怒られてます?」
佇む影にキョトンと返せば、相手は引き攣り笑いを浮かべた。
「解ってもらえて光栄です。ケーキ屋さん、連れてってもらう予定だったと思うんだけど?」
相手の言葉に、優卵は驚きしか返せない。
「え、社交辞令じゃなかったんですかっ!?」
優卵の言葉に、仁科は眉根を寄せた。
「子ども相手の仕事してる僕が、実現させられない意味のない約束をすることが、どれだけ子どもにとって傷を付けることかを知らないとは思わないで。
僕はどうしても必要な場面以外で、実現不可能な約束や、社交辞令での約束をしません!! すっごく心外だけど? で、これ、とりあえず、僕の番号とアドレス」
一息に捲し立てられて、優卵は呆気にとられたのだが……。捲し立てられた言葉の中に気になるフレーズを見つけて恐る恐る口を開く。
「……今、さりげなく人のこと、子ども扱いされませんでした?」
が、言葉は無視されてしまって、にっこりと微笑まれるのみ。仁科の番号とアドレスが書かれた名刺と共に、白衣から取り出したメモ帳を押し付けられ、ついでにペンまで押し付けられて…………。
何処か有無を言わせない圧力に負けて、優卵はメモ帳に自分のアドレスと番号を綴る。渡したメモに、目の前の相手はにっこりと微笑んだ。それまでの威圧感を漂わせたものではなく、優しい笑みで。
「じゃあ、今度、ケーキ屋さんでね。幾つか日程の候補挙げて連絡入れておくから、都合のつく日を教えて。それから、退院、おめでとう」
ポンッと頭の上で手を弾ませられて、優卵は微笑む。
「…………なんか、本当に病棟の子どもたちと間違われてる気がしないこともないですけれど……。分かりました。連絡、お待ちしてますね」
優卵の言葉でニコリと微笑んだ仁科は、右手の腕時計を見て、慌てたようにそのまま駆け出した。突然のことで再び呆気にとられた優卵は、背後からこの二週間で聞き慣れた声に話しかけられて、二重に驚く。
「おやおや、伝言入れておいて正解のようだね。あの様子じゃ、持ち場から休憩もぎ取って走ってきたようだねぇ……。ま、とにかく、退院おめでとう。
この先も暫くは通院してもらうことになるが、くれぐれも無理はしちゃいかんよ? まぁ、小児科ドクターがついとるようだから、そんなに心配しちゃおらんけどね」
この二週間お世話になった主治医の姿に、優卵は慌てて頭を下げる。
「わ、お会いするとは思ってなくて……。失礼しました、二週間、本当にお世話になりました」
優卵の言葉に主治医は笑みを浮かべて肯いて、そのまま立ち去った。
「……で、何を悩んでるの?」
「だって、悩むじゃない! この大粒イチゴのタルトって本当に人気なの!! 売り切れの時のほうが多いし、でも、この、季節限定のマスカットのタルトも今日までなのよ?」
メニュー表を片手に、かけられた言葉に思い切り噛み付いて…………。自分の言動に気付いた優卵は、ギョッとして顔を上げた。しまった、と思う。
普段は売り切れ御礼のタルトが二種類も残っているのにすっかり心奪われていて、気心知れた友人と来ているのではないことを綺麗さっぱりと忘れていた。
案の定、テーブルの向かいで肩を震わせて笑いを堪えている人影がいる。無論のこと、仁科である。それでなくてもこの間から、子ども扱いされていたのに……。
「し、失礼しました!! えと、ちょっとケーキの方に頭が行ってて……。あ、えと、ええと、仁科さんは決められました? 私、ちょっと選びきれないので、今日は紅茶にしておきます」
「…………っくっくっくっ。それじゃ、店員さん呼ぶけど?」
肩を震わせて笑いながら返された言葉に、優卵は真っ赤になって俯いた。どうも、いつもの調子が狂う。一番弱っているところを見られてしまっている所為だろうか、こんな失敗、普段の自分では在り得ない。
「ええと、アイスのハイビスカス&ローズヒップをシトラスのシロップで」
「んーと、ホットコーヒー。それと、季節のマスカットタルトと大粒イチゴのタルト、一つずつ。あ、申し訳ないんですけど、半分ずつにしたいんで、カット用のナイフも一緒にもらえますか?」
仁科の言葉に店員はにこやかに微笑んで肯き、注文を繰り返しているが、優卵の方は瞳を丸くして固まった。完全に先ほどの言動を酌んで注文されている。
「え、え、え?」
「懸念事項は解決したかな?」
ニコリと仁科に微笑まれ、優卵はガクリと肩を落とした。もう本当に、これでは手のかかる子ども扱いである。周囲の自分への評価を知るだけに、優卵からすると、やりにくいことこの上ない。
後書き
作者:未彩 |
投稿日:2015/12/22 19:42 更新日:2015/12/22 19:42 『人魚姫のお伽話』の著作権は、すべて作者 未彩様に属します。 |
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