作品ID:2293
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ナイフが朱に染まる
小説の属性:一般小説 / ミステリー / お気軽感想希望 / 初投稿・初心者 / R-18 / 完結
前書き・紹介
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(第25話)マコト、キミに一つ確かめたいことがあるんだ。あの出刃包丁事件、もしかして…。
前の話 | 目次 | 次の話 |
正月明けて無事、僕とマコトは退院ができた。
僕は一つ、マコトに確かめたいことがある。
アパートに帰り、すぐさまマコトに電話をかけた。
『もしもし』
マコトは電話に出た。
声からして元気そうだ。
挨拶もそこそこにして、ひと呼吸置いてから言った。
「あのさ。今から会うことできないかな。話したいことがあるんだ」
手が汗ばんだ。
息苦しくなる。
電話の向こうのマコトは少し照れくさそうにしてた。
待ち合わせの場所と時間を決めてから震える指で電話を切った。
午前11時。頬を刺すような冷たい風が吹いてきた。
茂みと木が植えられている歩道沿いに店が立ち並ぶが、
歩いている人が少ないので寂しく感じる。
喫茶店“ブルボン”の青い看板を見つける。
背中を丸めて歩いてたら襟の隙間から北風が入り思わず飛び上がった。
チャイム音を鳴らして店の中へと滑り込んだ。
挽きたての珈琲の香りで充満していた。
カウンターの向こうには小柄で人の好さそうなマスターがいる。
花柄のカップを拭きながら笑顔で「いらっしゃい」と言ってくれた。
マスターの声がよく通っていたのでてっきり客はいないかと思っていた。
ゴホン、と大きく咳払いをするのが聞こえ僕はビクっとした。
たしかに一人客はいる。
棚に人形が並べられてある奥のテーブルに、新聞を読んでいる老人がいた。
前来たときも彼はあそこにいたような気がする。どうやら常連のようだ。
僕はできるだけ人目につかないよう、窓際の老人から少し離れた奥のテーブル席に座ることにした。
コーヒーを注文して一口飲んだときにマコトの走る姿が窓から見えた。
店に入ってきたマコトを見て、僕は目をパチパチさせてしまった。
彼女は栗色の髪を肩まで下ろし、化粧をして服装もドレッシーな恰好で来たのだ。
まるで女優みたいだ。息を呑んで見惚れてしまった。
「すいません!遅くなってっ」
マコトは声を上ずらせて両手を合わせた。
「おいおい。そんなに慌てるとスカート踏んでこけるゾ」
「まー。子供じゃないから大丈夫ですよお」
ぷー、と彼女は笑いながらむくれたあと、水色のロングコートを脱いで隣の椅子の上に畳んで置いた。
原色の黄色のセーターと緑色のエレガントなスカートが剥き出しになり、向日葵が向かいの席に座っているかと思ってしまった。
「用意に手間取ってしまいました。今日のコーヒー、おごらせてください」
「いやあ。そんな。これぐらい大丈夫さ。レディにおごらせちゃ男が廃れるよ」
「え?レディ?どこ?誰?」マコトはキョロキョロした。
「何言ってんだ。女はおまえしかいないだろが」
「あは。そうでした。アタシなにやってんだろ」
ペロっと舌を出したマコトはマスターに紅茶を注文した。
「スケオ先輩。話したいことがあるってなんですか?」
マコトの耳についている金のリングのイヤリングが揺れた。
「ああ。そのことだけどな」
あとの言葉を詰まらせた。
いま、このタイミングで言っていいものかどうか分からない。
マコトの顔をみたら急に話しづらくなった。
「先輩。私なら大丈夫です。さあ。どうぞ」
彼女は胸に手をポンと叩き真剣な眼差しを送った。
どうやら、僕の態度を見て薄々何が言いたいか感じたらしい。
ひと呼吸置いて、真正面に座りなおしてから言った。
「去年の11月頃に居酒屋で起きた事件、覚えてるか?」
「ええ。出刃包丁が私に飛んできたんですよね。覚えてますよ」
「うん。その出刃包丁なんだが、指紋照合の結果、誰のものか分かったんだよ」
マコトは口を閉ざし、硬直してしまった。
僕の顔をじっと見据えている。
僕が口にするのを待っているようだった。
勇気を出して話した。
「マコトの指紋と一致したんだ。」
実は新川刑事と病室で話してたときに彼からこの真相を聞いたのだ。
マコトは僕の言葉を聞いても動じなかった。
始めからバレると分かってて観念しているようだった。
「アハハ。いつかバレると思ってたんだ。アタシの仕業だということが」
彼女は子供のように足を投げ出して笑っていた。
「でもミネ子さんとは関係ないし、実際の事件と関わっていないからアタシの仕業だとわかってもしょうがないんじゃないの?」
「そうなんだけどさ。聞いた以上は知りたくなるんだよ。
なんであんな危ないことをしたんだよ。
まあ、マコトが話したくなかったら無理に話さなくてもいいが」
マスターが紅茶をもってマコトの前に置いた。
彼女はカップにミルクと砂糖を入れて金のスプーンでかき混ぜた。
「えへへ。どうしようかなあ。なんか、惨めになるなあアタシ」
彼女の声のトーンが沈んでいた。
神秘的な湯気をあげながらマコトはカップに唇をつけて飲む。
「なんて説明したらいいのだろ。アタシでもはっきりわからないんですよ。なんで出刃包丁を自分の顔ギリギリに刺したのか。
もし、言葉に当てはめるとしたら、スケオ先輩を独り占めにしたかったのではないのかしら」
うつろな目をしたマコトはカップに残ったミルクティーを見ていた。
「僕を独り占め?どういうことだ」
「ほら。お姫様が王子様に振り向いてもらいたいがために、自分で怪我をして犯人にやられたフリをすることと同じなんですよ」
僕はマコトの言いたいことが分からなかった。
首をかしげて難しい顔をしていたからか、
マコトはクスっと笑った。
「つまり、出刃包丁事件に関しての犯人はいなかったんですよ。
死んだ伊藤さんでも捕まったミネ子さんでもないんです。
私の自作自演なんです」
自作自演……。
僕に振り向いてもらいたかった……。
そうまでしてマコトは僕の心を引き寄せたかったのか……。
「ああ。もう。やっぱり惨めだわアタシ。
こんなカッコ悪いこと、バレるのだったら最初からしなければよかったわ。
それに、スケオ先輩には素敵な彼女さんがいたとはなあー」
栗色の髪の毛を彼女は両手でくしゃくしゃさせた。
何か言葉をかけようかと思ったが、
マコトは髪の毛を振って顔をあげた。
「結局、話をややこしくしてしまったんです。
脅迫状も誘拐の事件も全く関係がなかったんですよ。
とんでもない方向になってしまいましたよね。
おかげでこっちは裸になって肺炎を起こして入院してしまったし」
へへへとマコトは鼻の下を指でこする。
僕はガバッと机に手をついて頭を下げた。
「すまない!
僕に彼女がいることをもっと早くいえばマコトに恥をかかせずに済んだんだ!
邪な心があったからマコトを傷つけてしまったんだ!」
「先輩。そんなことを言わないで。顔をあげてくださいよ」
恐る恐る顔をあげてみる。
不思議とマコトはケロリとしていた。
スッキリしたような表情をして微笑んでいる。
「先輩も手術で大変だったじゃないですか。
体を張ってアタシを守ってくれたときはスーパーマンのように素敵でした。
心から嬉しいですよ。感謝しています。
それに、無事、退院できたし、ねっ」
ドキン。
マコトはニンマリとした顔で僕の手の甲に自分の手を重ねた。
「スケオ先輩。私にもう一度チャンスをいただけませんか?」
「えっ。何のチャンスだい?」目を皿のようにして聞いた。
「もう。野暮ですよ。わざわざ女の子に聞くなんて。えへへ。
私を彼女にしてくれるチャンスですよお」
マコトは頬を染めてモジモジさせた。
僕はここに来る前から既に決意を固めていた。
もう、これ以上マコトの気持ちを弄んではいけない。
中途半端はもう嫌だ。
マコトの手を振り払った僕は深呼吸をして物凄く軽蔑した顔をして言った。
「はぁ?出刃包丁を持って歩くような女を誰が彼女にするんだよ」
「え」
マコトは聞き間違いかな、という顔をして平然としている。
可哀そうだが仕方があるまい。
テーブルを思いっきり叩いた。マコトがビックリした表情で僕を見てた。
「今まで一緒に居てやったのはあくまで会社での僕の株をあげるタメだ。
そうでなけりゃ、誰がオマエみたいなドブスなんかと並んで歩くかよ」
さっきまで目をトロンとさせたマコトは、僕の一言で石のように顔が固まってしまった。
僕は感情を押し殺して続けて言った。
「オマエなんか鼻から本気にしてねーよ。
どんくさいし一緒にいるだけでもカッコ悪いよ。
それになんだその恰好。笑えるぜ。
ゴテゴテ化粧して派手な恰好なんかしたりしてよ。
オマエは漫才師か?そのファッション、本気で良いと思ってんのか?」
窓際の奥のテーブル席に座っていたお爺さんがギョッとした顔で僕を見てた。
マスターも皿拭きをしたまま硬直してしまっている。
朝の穏やかな喫茶店が殺伐とした雰囲気へと変わってしまっていた。
マコトの唇がワナワナ震えている。
バラ色の頬が今では死体のような色へと変わってしまっていた。
マコトの顔を見るのが怖くなってきた。
だがここで引いてしまっては同じ繰り返しだ。
僕は目を閉じて息を思いっきり吸い込む。
眉間に皺を寄せて彼女を罵倒した。
「なんて顔をしてんだよ。マスカラが目から流れ落ちているぜ。
ケッ汚たねぇ。化け物だ。ブスが似合わない化粧なんかしやがって。
もう二度と僕に近づくな。もういい加減にウンザリだよ!
迷惑なんだよ!」
店中にひっぱたく音が響いた。
耳がキーンと聞こえ頬がピリピリと焼けるような痛みが走る。
横目でマコトを見た。
僕の予想してた通りに彼女は椅子から立ち上がって手をあげて息を荒くしていた。
「言われなくても、もう、アンタなんかに近づかないわよ!」
マコトはヒステリックな声をあげた。
彼女は真っ赤な顔をして僕を睨みつける。
水の入ったグラスを掴み、彼女は僕の顔にパシャっと浴びせて乱暴にグラスを置いた。
「本気にしてたアタシが馬鹿だった!」
テーブルの上にいくつも雫が落ちている。
僕の顔から滴り落ちたものではなく、紛れもなく、マコトの両目から零れ落ちたものだった。
マコトは脱いだコートとショルダーバッグをひっつかんで乱暴にチャイムを鳴らして出て行った。
ずっと僕たちの言い争いを見てたお爺さんは、僕が振り向いたときに慌てて新聞を広げて読みだした。
固唾をのんで見守っていたマスターは冷ややかな目で僕を一瞥する。
顔を押さえて駆け出していく彼女の姿が窓から見えた。
コンクリートを蹴るブーツの踵の音が鳴り響いてだんだんと小さくなって消えていった。
喫茶店は平然となりマスターも珈琲を挽きだした。
ああ。可哀そうなことをしてしまった。
テーブルに腕を置いて水に濡れた顔を埋める。
目を閉じるとマコトの屈託のない笑顔が見えてきた。
ミネ子に劣らないぐらいに今日のマコトは向日葵のようで眩しいぐらいに綺麗だった。
僕に逢うのが嬉しくて、とびっきりにおめかしをしてくれたんだな。
気持ちとは裏腹なことを言ってしまって僕の胸は痛んだ。
「何があったか分からないけど、仲直りした方がいいよ、お客さん。
これ、おごりだよ」
掠れた声でマスターはカップを置き、飲みさしのカップを下げていった。
顔をあげると香り高いブラックコーヒーとおしぼりが目の前に置かれていた。
緊張が緩んで思わず涙がこぼれ落ちる。
鼻をすすり、おしぼりで顔を拭いたあと花柄のカップをとって飲んだ。
苦い味が口の中に広がった。
あの子は本当にいい子だった。
明るくて素直で真面目でずっと僕と一緒に仕事をしてくれた。
だけど、ここでケジメをつけなければならない。
もう僕は決めたんだ。後戻りはしない。
あんだけ酷い言い方をされたんだ。
きっとマコトも愛想をつかして踏ん切りをつけてくれるだろう。
僕よりももっと、若くて、良い男と付き合って結婚をするだろう。
カップに残った珈琲に涙でぐちゃぐちゃになった顔が映った。
「これで…いいんだ……」
僕の声は震えていた。
視界は雨模様になっていった。
マコト、今までありがとう。
元気に暮らせよ。
心の中でずっと繰り返して想い、夕方になっても喫茶店に居続けていた。
(つづく)
僕は一つ、マコトに確かめたいことがある。
アパートに帰り、すぐさまマコトに電話をかけた。
『もしもし』
マコトは電話に出た。
声からして元気そうだ。
挨拶もそこそこにして、ひと呼吸置いてから言った。
「あのさ。今から会うことできないかな。話したいことがあるんだ」
手が汗ばんだ。
息苦しくなる。
電話の向こうのマコトは少し照れくさそうにしてた。
待ち合わせの場所と時間を決めてから震える指で電話を切った。
午前11時。頬を刺すような冷たい風が吹いてきた。
茂みと木が植えられている歩道沿いに店が立ち並ぶが、
歩いている人が少ないので寂しく感じる。
喫茶店“ブルボン”の青い看板を見つける。
背中を丸めて歩いてたら襟の隙間から北風が入り思わず飛び上がった。
チャイム音を鳴らして店の中へと滑り込んだ。
挽きたての珈琲の香りで充満していた。
カウンターの向こうには小柄で人の好さそうなマスターがいる。
花柄のカップを拭きながら笑顔で「いらっしゃい」と言ってくれた。
マスターの声がよく通っていたのでてっきり客はいないかと思っていた。
ゴホン、と大きく咳払いをするのが聞こえ僕はビクっとした。
たしかに一人客はいる。
棚に人形が並べられてある奥のテーブルに、新聞を読んでいる老人がいた。
前来たときも彼はあそこにいたような気がする。どうやら常連のようだ。
僕はできるだけ人目につかないよう、窓際の老人から少し離れた奥のテーブル席に座ることにした。
コーヒーを注文して一口飲んだときにマコトの走る姿が窓から見えた。
店に入ってきたマコトを見て、僕は目をパチパチさせてしまった。
彼女は栗色の髪を肩まで下ろし、化粧をして服装もドレッシーな恰好で来たのだ。
まるで女優みたいだ。息を呑んで見惚れてしまった。
「すいません!遅くなってっ」
マコトは声を上ずらせて両手を合わせた。
「おいおい。そんなに慌てるとスカート踏んでこけるゾ」
「まー。子供じゃないから大丈夫ですよお」
ぷー、と彼女は笑いながらむくれたあと、水色のロングコートを脱いで隣の椅子の上に畳んで置いた。
原色の黄色のセーターと緑色のエレガントなスカートが剥き出しになり、向日葵が向かいの席に座っているかと思ってしまった。
「用意に手間取ってしまいました。今日のコーヒー、おごらせてください」
「いやあ。そんな。これぐらい大丈夫さ。レディにおごらせちゃ男が廃れるよ」
「え?レディ?どこ?誰?」マコトはキョロキョロした。
「何言ってんだ。女はおまえしかいないだろが」
「あは。そうでした。アタシなにやってんだろ」
ペロっと舌を出したマコトはマスターに紅茶を注文した。
「スケオ先輩。話したいことがあるってなんですか?」
マコトの耳についている金のリングのイヤリングが揺れた。
「ああ。そのことだけどな」
あとの言葉を詰まらせた。
いま、このタイミングで言っていいものかどうか分からない。
マコトの顔をみたら急に話しづらくなった。
「先輩。私なら大丈夫です。さあ。どうぞ」
彼女は胸に手をポンと叩き真剣な眼差しを送った。
どうやら、僕の態度を見て薄々何が言いたいか感じたらしい。
ひと呼吸置いて、真正面に座りなおしてから言った。
「去年の11月頃に居酒屋で起きた事件、覚えてるか?」
「ええ。出刃包丁が私に飛んできたんですよね。覚えてますよ」
「うん。その出刃包丁なんだが、指紋照合の結果、誰のものか分かったんだよ」
マコトは口を閉ざし、硬直してしまった。
僕の顔をじっと見据えている。
僕が口にするのを待っているようだった。
勇気を出して話した。
「マコトの指紋と一致したんだ。」
実は新川刑事と病室で話してたときに彼からこの真相を聞いたのだ。
マコトは僕の言葉を聞いても動じなかった。
始めからバレると分かってて観念しているようだった。
「アハハ。いつかバレると思ってたんだ。アタシの仕業だということが」
彼女は子供のように足を投げ出して笑っていた。
「でもミネ子さんとは関係ないし、実際の事件と関わっていないからアタシの仕業だとわかってもしょうがないんじゃないの?」
「そうなんだけどさ。聞いた以上は知りたくなるんだよ。
なんであんな危ないことをしたんだよ。
まあ、マコトが話したくなかったら無理に話さなくてもいいが」
マスターが紅茶をもってマコトの前に置いた。
彼女はカップにミルクと砂糖を入れて金のスプーンでかき混ぜた。
「えへへ。どうしようかなあ。なんか、惨めになるなあアタシ」
彼女の声のトーンが沈んでいた。
神秘的な湯気をあげながらマコトはカップに唇をつけて飲む。
「なんて説明したらいいのだろ。アタシでもはっきりわからないんですよ。なんで出刃包丁を自分の顔ギリギリに刺したのか。
もし、言葉に当てはめるとしたら、スケオ先輩を独り占めにしたかったのではないのかしら」
うつろな目をしたマコトはカップに残ったミルクティーを見ていた。
「僕を独り占め?どういうことだ」
「ほら。お姫様が王子様に振り向いてもらいたいがために、自分で怪我をして犯人にやられたフリをすることと同じなんですよ」
僕はマコトの言いたいことが分からなかった。
首をかしげて難しい顔をしていたからか、
マコトはクスっと笑った。
「つまり、出刃包丁事件に関しての犯人はいなかったんですよ。
死んだ伊藤さんでも捕まったミネ子さんでもないんです。
私の自作自演なんです」
自作自演……。
僕に振り向いてもらいたかった……。
そうまでしてマコトは僕の心を引き寄せたかったのか……。
「ああ。もう。やっぱり惨めだわアタシ。
こんなカッコ悪いこと、バレるのだったら最初からしなければよかったわ。
それに、スケオ先輩には素敵な彼女さんがいたとはなあー」
栗色の髪の毛を彼女は両手でくしゃくしゃさせた。
何か言葉をかけようかと思ったが、
マコトは髪の毛を振って顔をあげた。
「結局、話をややこしくしてしまったんです。
脅迫状も誘拐の事件も全く関係がなかったんですよ。
とんでもない方向になってしまいましたよね。
おかげでこっちは裸になって肺炎を起こして入院してしまったし」
へへへとマコトは鼻の下を指でこする。
僕はガバッと机に手をついて頭を下げた。
「すまない!
僕に彼女がいることをもっと早くいえばマコトに恥をかかせずに済んだんだ!
邪な心があったからマコトを傷つけてしまったんだ!」
「先輩。そんなことを言わないで。顔をあげてくださいよ」
恐る恐る顔をあげてみる。
不思議とマコトはケロリとしていた。
スッキリしたような表情をして微笑んでいる。
「先輩も手術で大変だったじゃないですか。
体を張ってアタシを守ってくれたときはスーパーマンのように素敵でした。
心から嬉しいですよ。感謝しています。
それに、無事、退院できたし、ねっ」
ドキン。
マコトはニンマリとした顔で僕の手の甲に自分の手を重ねた。
「スケオ先輩。私にもう一度チャンスをいただけませんか?」
「えっ。何のチャンスだい?」目を皿のようにして聞いた。
「もう。野暮ですよ。わざわざ女の子に聞くなんて。えへへ。
私を彼女にしてくれるチャンスですよお」
マコトは頬を染めてモジモジさせた。
僕はここに来る前から既に決意を固めていた。
もう、これ以上マコトの気持ちを弄んではいけない。
中途半端はもう嫌だ。
マコトの手を振り払った僕は深呼吸をして物凄く軽蔑した顔をして言った。
「はぁ?出刃包丁を持って歩くような女を誰が彼女にするんだよ」
「え」
マコトは聞き間違いかな、という顔をして平然としている。
可哀そうだが仕方があるまい。
テーブルを思いっきり叩いた。マコトがビックリした表情で僕を見てた。
「今まで一緒に居てやったのはあくまで会社での僕の株をあげるタメだ。
そうでなけりゃ、誰がオマエみたいなドブスなんかと並んで歩くかよ」
さっきまで目をトロンとさせたマコトは、僕の一言で石のように顔が固まってしまった。
僕は感情を押し殺して続けて言った。
「オマエなんか鼻から本気にしてねーよ。
どんくさいし一緒にいるだけでもカッコ悪いよ。
それになんだその恰好。笑えるぜ。
ゴテゴテ化粧して派手な恰好なんかしたりしてよ。
オマエは漫才師か?そのファッション、本気で良いと思ってんのか?」
窓際の奥のテーブル席に座っていたお爺さんがギョッとした顔で僕を見てた。
マスターも皿拭きをしたまま硬直してしまっている。
朝の穏やかな喫茶店が殺伐とした雰囲気へと変わってしまっていた。
マコトの唇がワナワナ震えている。
バラ色の頬が今では死体のような色へと変わってしまっていた。
マコトの顔を見るのが怖くなってきた。
だがここで引いてしまっては同じ繰り返しだ。
僕は目を閉じて息を思いっきり吸い込む。
眉間に皺を寄せて彼女を罵倒した。
「なんて顔をしてんだよ。マスカラが目から流れ落ちているぜ。
ケッ汚たねぇ。化け物だ。ブスが似合わない化粧なんかしやがって。
もう二度と僕に近づくな。もういい加減にウンザリだよ!
迷惑なんだよ!」
店中にひっぱたく音が響いた。
耳がキーンと聞こえ頬がピリピリと焼けるような痛みが走る。
横目でマコトを見た。
僕の予想してた通りに彼女は椅子から立ち上がって手をあげて息を荒くしていた。
「言われなくても、もう、アンタなんかに近づかないわよ!」
マコトはヒステリックな声をあげた。
彼女は真っ赤な顔をして僕を睨みつける。
水の入ったグラスを掴み、彼女は僕の顔にパシャっと浴びせて乱暴にグラスを置いた。
「本気にしてたアタシが馬鹿だった!」
テーブルの上にいくつも雫が落ちている。
僕の顔から滴り落ちたものではなく、紛れもなく、マコトの両目から零れ落ちたものだった。
マコトは脱いだコートとショルダーバッグをひっつかんで乱暴にチャイムを鳴らして出て行った。
ずっと僕たちの言い争いを見てたお爺さんは、僕が振り向いたときに慌てて新聞を広げて読みだした。
固唾をのんで見守っていたマスターは冷ややかな目で僕を一瞥する。
顔を押さえて駆け出していく彼女の姿が窓から見えた。
コンクリートを蹴るブーツの踵の音が鳴り響いてだんだんと小さくなって消えていった。
喫茶店は平然となりマスターも珈琲を挽きだした。
ああ。可哀そうなことをしてしまった。
テーブルに腕を置いて水に濡れた顔を埋める。
目を閉じるとマコトの屈託のない笑顔が見えてきた。
ミネ子に劣らないぐらいに今日のマコトは向日葵のようで眩しいぐらいに綺麗だった。
僕に逢うのが嬉しくて、とびっきりにおめかしをしてくれたんだな。
気持ちとは裏腹なことを言ってしまって僕の胸は痛んだ。
「何があったか分からないけど、仲直りした方がいいよ、お客さん。
これ、おごりだよ」
掠れた声でマスターはカップを置き、飲みさしのカップを下げていった。
顔をあげると香り高いブラックコーヒーとおしぼりが目の前に置かれていた。
緊張が緩んで思わず涙がこぼれ落ちる。
鼻をすすり、おしぼりで顔を拭いたあと花柄のカップをとって飲んだ。
苦い味が口の中に広がった。
あの子は本当にいい子だった。
明るくて素直で真面目でずっと僕と一緒に仕事をしてくれた。
だけど、ここでケジメをつけなければならない。
もう僕は決めたんだ。後戻りはしない。
あんだけ酷い言い方をされたんだ。
きっとマコトも愛想をつかして踏ん切りをつけてくれるだろう。
僕よりももっと、若くて、良い男と付き合って結婚をするだろう。
カップに残った珈琲に涙でぐちゃぐちゃになった顔が映った。
「これで…いいんだ……」
僕の声は震えていた。
視界は雨模様になっていった。
マコト、今までありがとう。
元気に暮らせよ。
心の中でずっと繰り返して想い、夕方になっても喫茶店に居続けていた。
(つづく)
後書き
未設定
作者:白河甚平 |
投稿日:2020/03/08 14:10 更新日:2020/03/08 14:10 『ナイフが朱に染まる』の著作権は、すべて作者 白河甚平様に属します。 |
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